あけましておめでとうございます。『ゴジラ・ライバルズ』の3巻に着想を受けて書きました。

1 / 1
 

 『塩の柱』という話を知っているかね、と語り出した。

 

「旧約聖書の『創世記』にある話だ。遠い昔、ソドムとゴモラという街が神の怒りに触れ、滅ぼされることになった。神は街に蔓延る悪徳と堕落を見過ごすことができなくなり、すべてを灰に帰すことにしたそうだ」

 

 そこで彼はいったん話を止め、火をつけた煙草を軽く吸い込んだ。煙がゆらゆらと天井に向かって()()()、部屋の闇に溶けていった。

 

「……でもな、その中にただ一人、信仰と道徳を保ち続けた義人(ぎじん)がいた。ロトという名の男だ。街が滅ぼされる直前、天使が現れてロトに告げた。『すぐに家族を連れて町を出なさい。それから、決して後ろを振り返ってはならない』と。ロトはその言葉を信じて逃げた。だが、その途中で……」

 

 ここで声は少し低くなり、まるでその瞬間を目の前で見ているかのような調子で続けた。

 

「ロトの妻が、振り返ってしまった。ほんの一瞬のことだったが、その瞬間、彼女は塩の柱に変わったんだ。神の命令を破った代償として、ロトの妻は塩の柱となって永遠にそこに立ち尽くすことになった……そういう話だ」

 

 その話を聞かされながらわたしは、その表情に暗い影のようなものが差し込むのを見た。この御伽噺に籠められている意図はわかりかねたが、目の前の人物がこれから語ろうとしている“事件”と重要な関わりがあるような気がした。

 彼は、わたしに訊ねた。

 

「……それで、イチノセ記者。君が聞きたいというのは、『塩の星』での出来事だそうだね」

 

 ええ、とわたしは頷く。

 かの人物、〈ウンベルト=モーリ〉氏は元宇宙飛行士、かつて宇宙探検家として名を馳せた人物だ。往年のモーリ氏といえば宇宙開発における英雄であり、数々の功績を残した偉大な人物である。

 だが、その栄光の日々の終焉はあまりにも突然で、悲劇的なものだった。その真相については様々な憶測が語られているが、モーリ氏本人が直接語るのはこれが初めてになるだろう。

 

「『塩の星』とは、モーリ氏が名付けたそうですね?」

 

 わたしがそう訊ねると、モーリ氏もまた遠い記憶を思い返すように目を閉じながら頷いた。

 

「ああ、そうだ。『塩の星』という名は、その惑星の地表が一面、結晶化した白い(えん)で覆われていたことから付けたんだ。その美しさは神秘的だったよ。どこまでも広がる白い荒野が、まさに清浄そのものを象徴しているように見えた。しかし……」

 

 モーリ氏は一瞬言葉を切り、再び煙草を吸い込んだ。その仕草は、言葉を選び抜こうとするための時間稼ぎのようだった。

 

「その美しい光景の背後に、我々は想像を絶する“恐怖”を見つけたんだ」

「……恐怖、ですか?」

 

 思わずわたしは息を呑む。モーリ氏の声は重々しく、部屋の空気さえも張り詰めたようだった。

 

「……あの星で何かを“見た”んだ。それが何だったのか、彼女は最後まで教えてくれなかった。だが、それを見た瞬間、彼女はこう言ったんだ。『もう帰れない』と」

 

 その瞬間、モーリ氏の瞳に一瞬浮かんだ痛みの色が、彼がどれだけ深い傷を負っているかを物語っていた。

 

「……イチノセ記者、これから話すことは、きっと君の想像を超える内容になるだろう。あるいはこう思うかもしれない、『あまりにも荒唐無稽で現実離れした、狂った男の哀れな妄想』だと」

 

 だが、とモーリ氏は言う。

 

「真実というものは、いつだってそういうものだ。私がなぜ宇宙飛行士を辞めたのか、そしてなぜ『塩の星』が二度と探査されることがなくなったのか……そのすべてを話そうと思う」

 

 

 私たちが『塩の星』に初めて着陸したのは、実は当初のミッションとはまったく無関係な“イレギュラー”が原因だったんだ。

 故障したのは推進装置の制御系統だった。私たちが乗っていた船には、予備システムはあったが、それも完全に頼りきれるわけではなかった。とにかく応急措置で航行を維持しながら、近くにあった惑星へ不時着するしかなかったんだ。

 そんなときだ、『塩の星』と巡り会ったのは。

 

「緊急着陸します……」

 

 船内に響いた合成音声のアラートを聞きながら、私はコックピットのモニターから目を離せなかった。推進装置の制御系統が限界を超えて悲鳴を上げている。慌ただしく警告ランプが点滅し、機械的なアラームが船内の空気をさらに張り詰めさせていた。

 

「船体安定のため、スラスター出力を落とします……船長、最終着陸姿勢、取りました」

 

 イーディスの声が通信チャンネルから聴こえる。彼女の冷静なトーンに救われる思いだった。つづいて、副官のタケシ=ジェームス・ハマモトが、別のコンソールから状況を読み上げる。

 

「このまま行けば船の底部が少々擦れるかもしれませんが、致命傷にはならないはずです……コマンダー、覚悟はいいですか?」

「やれるだけやるしかない、ハマモト……着陸だ!」

 

 外部カメラの映像に、色彩の乏しい惑星表面が映る。大気は極端に薄いようだが、嵐やクレーターの形跡は見当たらない。ただただ白く輝いている。その“光”が妙に不気味だった。大理石の上を滑るように、私たちの船は白い大地へ突き刺さるように接地した。

 激しい揺れが一瞬身体を浮かせ、全身の筋肉がきしむ。エンジンが停止した後も、しばらく耳の奥がジンジンと鳴り続けていた。ともかく、船はどうにか持ちこたえてくれたようだ。

 

「……大丈夫か?」

 

 私は声を出そうとしたが、緊張のせいだろうか、喉がからからに乾いている。ヘルメット越しに隣を見ると、イーディスが固唾を飲み込みながら計器を睨んでいるのがわかった。

 イーディスは鼻で息をつくと、操作パネルを素早くタッチした。

 

「環境スキャン中。ハマモト、どう?」

「はい、船体底部を中心に軽度の損傷がありますが、幸い致命的ではありません。修理ロボットを稼働させましょう……おそらく、2時間から3時間程度でメイン動力を回復できます」

 

 それから私はシートから立ち上がり、ヘルメットのシールドを軽くタップした。外の様子をもっと鮮明に捉えようと、可視光域を調整してみた。

 ……辺り一面、真っ白だ。乱反射のせいか、モニター越しには水平線の彼方まで一面に続く“白”が見えるだけだ。

 

「なんだ、これは。(しお)か?」

 

 私の問いに、分析担当のイーディスが答える。

 

「ええ。この星の地表、何かの結晶みたいね。塩……それも単なる塩化ナトリウムではないかもしれない」

「化学的な意味での“(えん)*1”か……。地球にもいろいろあるが、ここまで大規模なのは聞いたことがない」

 

 私はそう呟きながら、過去の惑星探査の経験を脳裏に走らせる。岩塩を採掘する岩塩坑を彷彿とさせるが、それと比べても桁違いのスケールだ。

 

「探査ドローン、発進します」

 

 ハマモトがリモートコントロールでロボットを起動し、船体下部のハッチから外へと送り出す。船体外部のステータスは続々とモニターに反映されるが、腐食を示す警告が目立ち始めた。

 

「腐食の速度が速い……この星の塩が何らかの活性を持っている可能性が高いですね。防護コーティングがどこまで持つか」

 

 私は眉間に皺を寄せて、ハマモトの報告に耳を傾ける。イーディスがモニターのゲージを指さし、言葉を継いだ。

 

「修理はロボットに任せた方が良さそうね。人間が修理に当たったら、船外活動用の気密服が危ないかもしれないわ……時間はかかるけど、できる限りロボット主体で作業をさせましょう」

「……うむ。そうだな」

 

 私は深く息をつく。私たちがこの星に長く留まるのは得策ではない。それでも修理が終わるまでの間、ただ船内に閉じこもっているわけにもいかなかった。もしかすると、外の状況を知ることで“抜け道”が見つかるかもしれない。

 

「よし、じゃあ我々は外の環境調査に出よう。ヘルメットと気密服の点検を入念にやってくれ。ハマモト、船の管制は任せる」

「了解です、コマンダー。修理ロボットの動きはモニターで常に把握しておきます。何かあったらすぐ呼んでください……」

 

 こうして私とイーディスは、ロボットによる修理作業と並行して、“塩の星”の地表を見に行くことになった。

 ……それがまさか取り返しのつかない悲劇へ続く第一歩になるなど、そのときの私には知る由もなかったのだ。

 

 

 船外ハッチを開くと、まばゆい光が一気に視界を焼きつけた。

 

「ぐっ、まぶしい……!」

 

 目が慣れてくると、白い結晶が無数の平面で反射した光が、レーザーのように一帯を満たしていた。私とイーディスは、できるだけ眩しさを抑えるためにバイザーを二重フィルターに切り替える。

 

「……信じられない光景ね。どこまでも真っ白」

 

 イーディスがヘルメット越しに呟く。足元に視線を落とせば、砕けたような結晶片が幾重にも折り重なり、その奥にさらなる結晶層が続いているのがわかる。

 

「気をつけろ。転んだら全身がこの塩で覆われることになる。腐食どころじゃ済まないかもしれん」

 

 私も慎重にブーツを踏み出す。表面は固いが、踏みしめるたびザクザクと奇妙な音がする。微細な結晶の粉がふわりと舞い上がり、それがまた強烈に光を反射する。まるで雪中にいるような錯覚を覚えるが、空気の匂いはまったくの別物だった。

 

「……船長、問題なさそうですか?」

 

 背後で、イーディスの声が聞こえた。私は真後ろに控えるイーディスへと振り返り、ヘルメット越しに軽く頷いた。

 

「とりあえず歩くには支障なさそうだ。ただ、足下に気をつけてくれ。結晶が思わぬ方向に割れ込んでる」

「了解……でも、すごい眩しさね。地球の雪山よりも厄介かもしれないわ」

 

 気密服のセンサーが、微量の塩素系ガスや酸性ガスを検知する。鼻孔を刺激するような匂いは、ヘルメットのフィルター越しでも微かに感じるほどだ。こんな場所で長居はできない——はずなのに、どこか“静謐”な空気に心奪われてしまいそうになる。

 

「ハマモト、大丈夫か?」

 

 船から送られてくる映像を確認しつつ、インカムで副官に呼びかける。ハマモトは落ち着いた声で返事を寄越した。

 

「ロボット作業は順調です、コマンダー。周囲に風や嵐の兆候はありませんか?」

「今のところは何もない。拍子抜けするくらい穏やかだが……油断はできんだろうな」

 

 続いてイーディスが膝をついて、簡易分析機で結晶を採取し始める。スキャナー画面に未知のピークが重なる。ナトリウム塩やカルシウム塩、リン酸塩らしき成分が次々と表示され、複雑に交じり合うようなスペクトルを形成しているようだ。

 

「純粋な(えん)の結晶だけで構成された惑星だなんて……こんな場所、本当にあるんだ……」

 

 イーディスは熱心にサンプルを調べながら、目を見開いている。彼女にとっては科学的な興味が何よりも強いのだろう。

 ……だが、私の胸中には漠然とした恐れがあった。人間が踏み込んではいけない領域に来てしまったのではないか、という得体の知れない不安が。

 

 ――ミシッ、パキッ。

 

 ふと、遠くで氷が軋むようなきしみ音が聞こえた気がして、私は思わず振り返る。しかし、見えるのは一面の白い地平線だけ。何かがいるはずもない——そう自分に言い聞かせて、再び前を向いた。

 

「……戻るか」

「え……?」

 

 そう言うと、イーディスは少し不満そうだった。まだ分析を続けたいのだろう。

 しかしこのような環境では安全を最優先にすべきだ。私は言った。

 

「修理が終わるまでしばらく時間があるが、くれぐれも焦らず、体力を温存しておいた方がいい。ここで遭難なんてシャレにもならん」

「だけど船長、もう少しだけ周辺を調べてみたいわ。すぐそこの稜線の先が気になるの」

 

 イーディスが振り返りながら答える。イーディスが指差した先には、なだらかな白い丘が見えていた。好奇心旺盛で学者肌のイーディスとしては、やはりこんな未知の塩惑星に踏み込んでいる以上、できる限り情報を集めておきたいのだろう。

 ……私も、探索すること自体は反対ではない。この星が何なのか、修理ロボット任せで船の中に引きこもっていても得られる答えは限られている。

 

「……わかった、だが本当に少しだけだ。長居は禁物だぞ」

 

 イーディスと並んで少し歩き出すと、結晶の地面が緩やかに傾斜している場所に出た。地表の一部がうっすらと波打つように盛り上がっている。塩の地殻が、力学的な圧力でゆるやかに変形した跡のようだった。

 足下は相変わらずザクザクとした感触が続く。

 

「おっと」

 

 時折、ブーツが結晶の裂け目にはまりかけて冷や汗をかく。透き通った隙間からは、青白い輝きが奥深くまで連なっているように見えるが、その底がどれほどの深さなのかは皆目見当もつかない。落ちたら最後、戻れないのではないかという不安が首筋を伝った。

 

「船長、見て」

 

 イーディスの声に、私はハッと視線を上げる。小高い塩の尾根を越えた先に、一段と眩く光が反射している場所があった。塩の結晶が塔のようにせり上がっている、そんな不思議な光景だ。

 

「……自然にできたものか? それとも、どこかに空洞があって結晶が成長しているのか」

 

 近づいてみると、結晶の突起物は高さにして人の背丈をゆうに超えている。表面は琥珀色や淡い緑色、あるいは乳白色など、様々な色合いの層が幾重にも折り重なり、硬質なオブジェのように聳え立っていた。

 

「試しにサンプルを採ってみるわ」

 

 イーディスが気密服の収納ポーチからコンパクトな採取キットを取り出し、そっと結晶の端に触れた。すると、カチリという抵抗とともに小さな破片が剥がれ落ちる。

 一瞬だけ、先端からチリチリと放電するような火花が散った——ように見えた。私は驚いて身を引く。

 

「今、何か光ったな……」

「ええ、たぶん局所的に静電気が帯びていたんだと思う。帯電する塩……こんな現象、通常はよほど特殊な条件下じゃないと起こらないはず」

 

 イーディスは興味深げに採取した欠片をスキャナーにかける。画面に無数の波形とデータが映し出されるが、その大半には“未知(Unknown)”の表示が上書きされている。

 

「こんなものが結晶化しているなんて……まさに化合物としての(えん)が、複雑に絡み合っているのね。下手に触れたらどうなるかわからない」

「気をつけろ。何もかもが予想外すぎる」

 

 突起物を少し回り込んでみると、さらに奥に細いクレバスのような裂け目が走っているのがわかった。覗き込むと、底知れない深淵が広がっているような暗さだ。ヘルメットのライトを当てると、内壁が鏡のように鈍く反射した。

 

「この下……どうなってるんだろう」

「覗くのはやめておいた方がいい。落ちれば一巻の終わりだ」

 

 私は警戒心から声を荒げてしまったが、イーディスはなおも結晶の裂け目を見つめていた。そして、その目が何かに釘付けになる。

 

「待って、船長……下に何か見える」

 

 イーディスの声が強ばった。私も思わず目を凝らすと、裂け目の底で、結晶に埋もれるように人工的な構造物らしきものが見えた。

 

「あれは……建造物?」

「降りてみましょう」

 

 ワイヤーで降り、光を当てると、それは明らかに建築物の残骸だった。

 塩の結晶に浸食され、ほとんど原形を留めていないが、整然と並ぶ柱の配列や、壁面に刻まれた幾何学的な文様は、紛れもなく知的生命の痕跡を示していた。

 ワイヤーでぶら下がりながら、イーディスがつぶやく。

 

「信じられない……この星にかつて文明があったのね」

 

 クレバスの中で、建造物は塩の結晶に覆われ、まるでガラスの中の標本のように永遠の時を閉じ込められていた。壁面には地球のどの文字体系とも異なる、曲線と直線が複雑に組み合わさった象形文字が刻まれている。

 

「これは……警告を示しているのかもしれない」

 

 私はライトを建造物の隅々まで走らせた。至る所に亀裂が走り、何か巨大なものによって破壊されたかのような痕跡が残っている。そして何より不気味なのは、建造物全体を覆う塩の結晶が、何かの意思を持つかのように中心から放射状に広がっているという点だった。

 

「この文明は……何かによって滅ぼされたのね」

 

 イーディスの声が震えた。彼女のスキャナーが建造物の分析データを示し始める。

 

「年代測定では……数万年前。でも、この結晶化の進行具合を見ると、もっと最近まで何らかの活動があったように見えるわ」

 

 裂け目の奥を見やると、さらに巨大な建造物の残骸が続いているようだった。おそらくここには都市があったのだろう。だがそれは今、すべて白い塩の結晶に飲み込まれ、永遠の沈黙の中に埋もれていた。

 

「彼らは“何か”と戦ったんだ。そして敗れた」

 

 私の言葉に、イーディスは黙って頷いた。勝者は誰なのか――その答えは、私たちの目の前に広がる果てしない塩の荒野が物語っていた。

 そのとき、かすかな振動が足下を伝ってきた。音というよりは、地面の奥深くから響く鼓動のような震動。私とイーディスは同時に目を見開いた。

 

「今の、感じた?」

「……ああ。何か、地下を通ってるような……液体か、あるいは……」

 

 答えが見つからないまま、私たちは言葉を失った。地表は静かに見えて、その実、星そのものが“生きている”かのように不穏な波動を発しているのではないか。そんな不安が急速に膨れ上がる。

 イーディスが気密服越しに肩をすくめ、抑えた声で続けた。

 

「……やっぱり一度船に戻りましょう。この星、想像以上に複雑すぎる。船外にいるだけでも、どんな影響があるかわからないし」

 

 ……ようやく、その気になったか。

 あまりここに長く留まるべきではない。もし、このままスムーズに修理が終わって離陸できれば、後でしっかり調査チームを派遣するなり、遠隔探査を続けるなり手はある。

 内心安堵しつつ、私も応じた。

 

「そうだな。戻ろう」

 

 探索を始めてから2時間。クレバスから這い上がり、船に向かって引き返す道のりは、来たとき以上に長く感じられた。

 何かの気配がすぐ後ろに迫っているような錯覚さえ覚える。私はイーディスを促すように先を急いだが、気持ちばかりが空回りして、胸の鼓動が高まるばかりだ。

 ようやく、着陸船の船影が視界に入ったときには思わずホッと息をついていた。ハマモトの声が通信チャンネル越しに届く。

 

「コマンダー、そちら大丈夫ですか? 修理の進捗は……あと15分で終わります」

「無事だ。こちらも何とか帰還する……」

 

 私は緊張をほぐそうと首を回す。しかし、船体の側面にはすでに白い結晶の粉が付着しはじめていた。いや、付着というより、何かが“食いついている”ようにも見える。

 

「腐食がどんどん進行しています。ロボットが頑張ってくれてるが、想像よりも厳しいようです」

 

 ハマモトはモニターを睨みながら報告を続ける。心なしか、彼の声にも焦りがにじんでいた。

 船のハッチに辿り着いて内気圧調整室へ入ろうとしたとき、イーディスが私に訊ねた。

 

「……ねえ、Beppo(ベッポ)*2。さっきの振動……いったい何だったのかしら?」

「わからん。だが、嫌な予感がする。まるで、俺たちを飲み込もうとしているみたいだ」

 

 そう答えたとき、警報が鳴り響いた。

 

「な、なんだ……!?」

 

 警報音が鳴り響いた瞬間、地面全体が大きく揺れ始めた。無数の結晶が轟音を立てて崩れ落ち、白い粉塵が宇宙空間へと舞い上がる。

 

「船長! 地下から途方もない生体反応! こ、これは……スケールが振り切れています!」

 

 ハマモトの悲鳴のような声が通信を突き破った。振り返った私とイーディスの目に、信じがたい光景が飛び込んでくる。白い地平線の彼方で、氷河が崩壊するように塩の大地が裂け、その奥底から何かが姿を現そうとしていた。

 

「見ろ……あれを!」

 

 私の声が震えた。裂け目から、純白の巨大な背びれが突き出す。

 それは私たちの宇宙船をはるかに超える高さで、クリスタルのような劈開面を持つ結晶体が幾重にも連なり、神々しいまでの輝きを放っていた。背びれの一枚一枚が完璧な結晶構造を持ち、まさにこの星の象徴であるかのように光を乱反射させる。

 

「ありえない……これが、この星の主だったの?」

 

 イーディスの絶句した声が消え入りそうだった。

 塩の荒野が大きく裂け、そこから巨大な生命体が這い上がってきた。全長400メートルを超える巨体。

 

 それは私たちの知る怪獣、ゴジラの姿によく似ていた。

 だが、全身に透明な結晶が生え、その背びれは月光を浴びた氷山のように純白に輝いていた。口からは太陽のコロナのようなオレンジ色の光が漏れ、その存在自体が宇宙の神秘を体現したかのようだ。

 私は震える声で告げた。

 

「こいつは宇宙のゴジラ……〈スペースゴジラ〉だ」

 

 ……宇宙大怪獣、スペースゴジラ。塩の星を支配する主が、ついに姿を現したのだ。

 スペースゴジラは首を持ち上げ、私たちを見下ろした。その残忍な瞳が蒼く輝き、敵意に満ちた視線で私たちを見下ろしている。そうだ、この星は巣だったのだ。この宇宙を彷徨う、恐るべきスペースゴジラの。

 その背後では無数の塩の結晶が共鳴するように明滅し、生命体のように律動していた。

 

「早く! 船内に! エネルギー値が跳ね上がっています!」

 

 呆気に取られていた私たちだったが、ハマモトの叫び声と共に我に返り、すぐさま宇宙船へと乗り込んだ。船内は混乱と警報の音で満たされている。

 

「船長、メイン動力はまだ修理完了しきっていません。あと数分はかかるかと……」

 

 ハマモトが冷静に状況を報告する。焦りを押し殺した声がスピーカーから響くが、船外のカメラモニターには、白い結晶の荒野を割って悠々と進み出る“スペースゴジラ”の姿が映し出されていた。

 その巨体は信じがたいほどの大きさで、結晶化した背びれが聖堂のステンドグラスのように輝いている。まばゆい光を帯びた尾が一振りされるたび、大地がえぐれるように揺れた。

 

「まずい……このままでは船ごと踏み潰される!」

 

 イーディスが操縦コンソールを乱打するように操作し、機関の起動を試みるが、警告音が絶え間なく鳴り響き、ディスプレイには「動力系未接続」の表示がちらついている。

 

「船長、どうするの……!?」

 

 イーディスが動揺を隠せないまま、私の方を振り返る。彼女は冷静な人間だが、この状況では誰であっても取り乱すだろう。私も心臓が暴れまわっていた。

 スペースゴジラは一歩、また一歩と、ゆっくりではあるが確実にこちらに近づいてくる。巨大な足が塩の星の地表を踏み砕くたび、雲海にも似た塩の粉が舞い上がり、視界が白くかすむ。

 

「修理を急げ、ハマモト! ……くそ、間に合わないかもしれない」

 

 私は奥歯を噛みしめる。ここで船内に立てこもっていても時間の問題で踏み潰されるか、あるいはビームのような怪光線でも放たれればひとたまりもない。

 一か八か、何か手を打たなければならない。

 

「……時間を稼ぐしかない」

 

 そう呟いた瞬間、私の中である作戦が浮かんだ。スペースゴジラの足止めをし、そのあいだに船の修理を完了させて離陸する——陽動作戦だ。

 

「陽動……?」

 

 イーディスが私の意図を察し、顔をこわばらせる。

 あまりにも無謀な策だ。だが、ほかに道はない。今すぐに飛び立つことができない以上、スペースゴジラの注意を引きつけない限り、船はひとたまりもなく破壊されるだろう。

 

「……わかったわ。だけどわたしも行く。あなたをひとりで行かせるわけにはいかないもの」

 

 イーディスは目を伏せ、深く息をつく。彼女の瞳には恐怖がある――しかしそれ以上に、私たちが一緒に乗り越えなければならないという決意が宿っている。

 

「ハマモト、聞こえるか?」

 

 通信で呼びかけると、修理用コンソールの操作に忙殺されていたハマモトが、慌ただしい声で応じる。

 

「はい、コマンダー! 今、動力系統の接続を急いでいますが、どうしてもあと数分……」

「わかった。俺とイーディスは外に出る。スペースゴジラを引きつけるから、そのあいだに修理を終わらせて船を飛ばしてくれ。行けそうになったら通信で知らせろ」

「……陽動、ですか? しかしそれは……」

「やるしかない! このままじゃ全滅だ。いいな!」

「……了解しました。絶対に戻ってきてください、コマンダー」

 

 ハマモトの声には動揺がにじんでいたが、私たちは船を守るために出撃するほかない。イーディスと目を合わせ、一度だけ頷き合う。

 もう一度、気密服とヘルメットを身につけ、私たちは船外へと躍り出た。目の前には信じがたいほど巨大なスペースゴジラの姿。荒涼たる白の地平線に、結晶をまとった怪獣が人知を超えた威圧感を放っている。

 その背びれから迸る光が、辺りに無数の虹彩を走らせ、塩の結晶が七色にきらめいていた。

 

「イーディス、まずはあいつの視線をこちらに向けるぞ。船を踏まれないように、なるべく反対方向へ誘導するんだ」

「了解!」

 

 私たちは合図し合い、一気に左右へ散開する。塩の上を走るたびに足元の結晶が砕け、舞い上がる粉塵が視界を奪う。バイザー越しにスペースゴジラのシルエットが巨大に歪んで見えた。

 

「こっちだぞ、化け物め!」

 

 私は信号弾の発射装置を構え、スペースゴジラの横合いへ向けて撃ち込む。閃光と同時に派手な炸裂音があたりに響き、濃い煙が何重にも広がる。

 その一瞬、スペースゴジラの鋭い瞳がこちらを捕捉したのを感じた。

 

「やった、こっちを向いた!」

 

 イーディスが声を上げたのと同時に、スペースゴジラは低い咆哮を轟かせる。その口から太陽のプロミネンスに似たオレンジ色の閃光、コロナビームが走り、塩の地表が大きく弾け飛んだ。

 耳鳴りがするほどの爆発音が周囲を揺るがす。結晶の破片が無数に飛び散り、あわやこちらに直撃しそうな勢いだった。

 

「イーディス、下がれ! 危ない!」

 

 私が叫ぶと、イーディスは間一髪で身を伏せ、飛来する結晶塊をやり過ごした。巨大な破片がすぐ脇をかすめ、地面に激突し粉々に砕け散る。その衝撃波で、塩の粉塵がさらに舞い上がった。

 

 しかし作戦通り、スペースゴジラは私たちを脅威とみなしたらしく、その巨体をゆっくりと船とは逆方向へ向け始めている。

 

「いいぞ、あと少し……ハマモト、修理はどうだ!?」

 

 インカム越しに通信を呼びかける。すると焦げ付くような電子音の合間から、ハマモトの声が返った。

 

「コマンダー、もう少しです! 動力はほぼ回復しました……あと30秒ほど時間をください」

「よし……あと30秒、持ちこたえるんだ」

 

 私は決死の思いで信号弾を再装填しようとしたが、残りはあと一本しかない。

 スペースゴジラはゴジラそっくりの唸り声を上げながら、背びれを高く掲げてゆっくりと私に向けてくる。あの背びれが放つエネルギーが最大限に高まっているのを感じた。

 

「まずい……!」

 

 イーディスが何かを叫ぶ。その瞬間、スペースゴジラの全身が発光し、両肩のクリスタルから閃光が奔った。グラビトルネード、反重力光線だ。地表をなぎ払うかのような光線が一直線に私を襲う。

 私はとっさに横へ飛び込むが、衝撃波が全身を打ちつけ、気密服のヘルメット・バイザーにひびが入るのを感じた。塩の結晶が砕け散った凶器となって飛び、身体に痛烈な衝撃を与えてくる。

 

「ベッポ!」

 

 イーディスの絶叫する声が耳に届く。一瞬、意識が飛びそうになったが、私はどうにか踏みとどまり、膝をついて荒い息を吐く。

 

「だ、大丈夫だ……あと、もう少し……」

 

 船の方を振り返れば、メインスラスターから煙が噴き上がっている。徐々に光が灯り始め、エンジンの起動音が船体を震わせているのがわかった。

 

「やった、エンジンが……!」

 

 イーディスも私も、それを見て顔を輝かせる。ハマモトからの通信が飛び込んだ。

 

「コマンダー、エンジン点火可能です! 燃料タンクの安全が確認できました!」

「よし、離陸だ。早く行け! 私たちもすぐ戻る!」

 

 その言葉を聞いたイーディスは、安堵の笑みを浮かべかけた。しかし――次の瞬間、彼女の表情が強張る。視界の端で、スペースゴジラの右腕が高々と持ち上がり、結晶に覆われた鋭い爪がきらりと光を放っていた。

 

「まずい……あれを受けたら、船が――!」

 

 スペースゴジラは、今まさに最後の一撃とばかりに、船のある方向へ腕を振り下ろそうとしている。飛び立とうとする船を粉砕するつもりだ。

 

「イーディス、今度は私が囮になる。お前は船に戻れ!」

 

 私は最後の信号弾を握り締め、懸命に立ち上がった。

 

「だめよ、そんなことしたらあなたが――」

「行け! 二人とも犠牲になる必要はない!」

 

 そう叫ぶと同時に、私は必死で走り出し、スペースゴジラの巨体の側面へ信号弾を撃ち込む。閃光と炸裂音に気を取られ、怪獣が振り下ろそうとしていた腕が一瞬止まった。そしてその隙を突くように、船のスラスターが噴射を始める。

 ……今だ! わたしはハマモトに命じた。

 

「ハマモト、離陸しろ……早く!」

「了解しました、コマンダー!」

 

 船の底部から白い煙が吹き上がり、機体がゆっくりと浮き上がり始めた。しかし、目を疑う光景が次の瞬間広がる。

 イーディスが……船に戻らない。船へ走り寄るどころか、なぜか反対方向へ歩き出しているではないか。

 

「イーディス! なにをしている、戻れ!」

 

 私は船に乗り込みながら、懸命に呼びかける。

 しかし、イーディスは何かに誘われるように歩みを進め、視線を一点に注ぎ込んでいた。その見つめる先にはスペースゴジラの巨大な背びれ――その奥で神殿のように屹立する無数の結晶が、降り注ぐ光と交わり、極彩色に輝いている。

 

「あれは……あまりにも美しい……」

 

 イーディスの呟きが通信チャンネルから聞こえる。彼女の声は震えており、恍惚に包まれたように聞こえた。

 

「なにしてる、イーディス! 早く船に……!」

 

 私は必死に叫ぶ。だがイーディスは聞いていないかのように、その結晶の輝きへ近づいていく。まるで〈見るなのタブー〉を破ってしまった者が払う代償のように、イーディスの心は完全に囚われていたのだ。

 

「この……光は……“神”……?」

 

 イーディスはそう呟くと、気密服のバイザーに手をかけた。ヘルメットを外すつもりだ。

 

「お、おい、よせ……!」

 

 私はすかさず止めようとしたが、イーディスは聞き入れなかった。

 ……ヘルメットを脱ぎ捨てたイーディスは、喉鼻を突く刺激臭ですぐにむせ返っていた。こんな有毒の塩素に満ちた大気の中で、まともな呼吸などできるはずもない。

 だが、それでも彼女は純白の塩の荒野に両膝をつき、恍惚の表情を浮かべていた。

 

「なんて、綺麗なのかしら……!」

 

 スペースゴジラの圧倒的な結晶の輝きと星の白さが、イーディスをも取り込んでしまいそうに思える。

 

「イーディスッ!」

 

 私が駆け寄ろうとするその瞬間、通信チャンネルからハマモトの声がかすかに聞こえた。

 

「コマンダー……もう、時間がありません。推進力が限界です……戻ってください!」

「でも、イーディスが、イーディスが……!」

 

 スペースゴジラは再び死のコロナビームを放ち、あたりの地面が大爆発を起こして粉塵が舞う。私の気密服は負荷限界を超えかけ、センサーが壊滅的ダメージを示している。周囲の視界は真っ白な塵に覆われ、何も見えない。

 ノイズ混じりのインカムから、ハマモトの必死の呼びかけが響く。

 

「コマンダー、船が限界です! 置いていくしかありません……!」

 

 泣きそうな声だったが、ハマモトは船をホバリングさせるためにフルスロットルで制御を続けているのだろう。このままではスペースゴジラの巻き添えで、船すらも粉々に吹き飛ばされてしまう。

 

「……イーディス……!」

 

 白い闇の中で私は目を伏せ、嗚咽をかみ殺す。

 ……悔しくてどうしようもない。が、今の状況ではイーディスを助け出すどころか、自分も死にかねない。戻れば船は落とされる。塩の星そのものに飲み込まれてしまう。

 スペースゴジラの猛威、そして星の結晶が招く呪いのような輝き、それを目にしたときのイーディス最後の言葉……それらが、耳の奥に焼き付いて離れなかった。

 

「コマンダー、もう時間がありません!」

 

 ハマモトの叫びが私を現実に引き戻す。私は舌を噛むほどの苦しさと絶望をかき消すように、無理やり身体を起こす。

 

「……わかった、今すぐ戻る! 離陸しろ、ハマモト……離陸だ!」

 

 荒れ狂う白い粉塵の中、私は必死の思いで船まで駆け戻った。すでにハッチは開放準備を整えてくれており、中に飛び込んだ瞬間、エンジンの唸り声と共に船体が大きく揺れた。

 その刹那、イーディスが呟く言葉が聞こえた。

 

「ベッポ……もう帰れない……」

 

 ――ごうん、と重々しい衝撃音が船底に響き渡り、次の瞬間、船は塩の荒野を振り切って垂直に浮上し始める。外部カメラが塩の星の地表を捉えていたが、そこにはもはやイーディスの姿を確認することすらできなかった。

 ただひときわ強烈に光り輝く結晶の塔と、そのそばで獰猛に吠え立てるスペースゴジラ。

 あの奥底に、彼女は――。

 

「イーディス……」

 

 私はただ、祈るように彼女の名を呟くことしかできなかった。

 

 

「……あれ以来、私は宇宙飛行士を辞めた。これ以上、何かを失うのが怖くなってな」

 

 そう語るモーリ氏の声は、静かでありながら、深い悔恨と嘆きが押し殺されていた。

 イーディス=モーリ博士、()()()()()()()()()()()かの優秀な女性科学者は、『塩の星』の事故の一件で行方不明となり二度と帰らぬ人となった。公的な記録ではそうなっている。

 しかし、その死の真相がこのようなものだったとは。わたしが愕然としている中、モーリ氏はなおも語り続けた。

 

「……私がイーディスを見殺しにしたと思う人もいるだろう。実際そうだ、そう言われても仕方のないことをした」

 

 モーリ氏の語りに、私は言葉を失った。モーリ氏が背負っている罪悪感と悲しみは、きっと誰にも拭えないものだろう。

 モーリ氏は続けて言った。

 

「だが、あの星には、それだけの“魔力”があったんだ。決して人間が踏み込むべきではなかったのかもしれない……」

 

 末期、イーディス=モーリ博士はこう語ったという。

 

「ベッポ……もう帰れない……」

 

 ……旧約聖書でロトの妻は振り返って塩の柱になった。イーディス=モーリ博士は“あまりにも美しい《何か》”を見てしまい、塩の星に囚われた。

 モーリ氏は言う。

 

「イーディスがあのとき何を“見た”のか、私にはわからない。見ていないからこそ、私は生き延びたのかもしれない」

 

 果たしてイーディス=モーリ博士は何を見たのか。それは結局わからずじまいだ。

 ロトの妻が塩の柱と化したように、モーリ氏の妻であったイーディス=モーリ博士もまた“塩の星”の白い荒野に永遠に立ち尽くしているのかもしれない。あの星で“振り返ってしまった”イーディス=モーリ博士は、今もどこかで塩の柱のように凍りついたまま、スペースゴジラの結晶の輝きを見つめ続けているのかもしれない。

 

「だが、時折こう思うこともある……本当はあのとき“私も見ておけばよかったのではないか”とね。妻を失ったことについて、ロトはどう思っていたんだろうか。私はロトのような善人でも何でもないが、あるいはロトも、私のようにずっと悔やんでいたかもしれんな」

 

 深く息をついたあと、モーリ氏はタバコをもみ消しながら言った。

 

「……これが、すべてだ。あの『塩の星』で起こったこと、そして私がイーディスを失った理由。それ以来、私は宇宙飛行士を辞めた。死者の日(Giorno dei Morti)*3を迎えるたびに、彼女の幻影が脳裏をよぎって……もうどれだけ時が経ったかもわからない」

 

 モーリ氏はそう語り終え、黙りこんだ。どこか重苦しい空気のなか、わたしは一瞬呼吸を止めてしまう。

 あの“塩の星”――スペースゴジラとともに、二度と戻れないはずの深宇宙へと消え去ったはずのその恐怖が、いまも彼の瞳を惑わせているのだろう。言葉では言い尽くせない後悔の色が、モーリ氏の背をさらに丸めていた。

 わたしはずっと息を詰めたように聞いていたが、その隙間を突いて、窓の向こうが急に暗くなったのに気づいた。

 

「……天気が崩れる予報はなかったが」

 

 モーリ氏が小さく呟き、それにつられて視線を窓へ向けると、深い灰色の雲がどす黒く渦を巻くように地上へ迫っているのが見えた。

 ……いや、雲ではない。外に出て空を見上げたわたしたちは、その姿に言葉を失った。

 

 

 

 ――塩の星。

 

 

 

 いや、正確には巨大な“結晶の塊”が地球の空に浮かんでいるのだ。

 純白の惑星、かつてモーリ氏が脱出したはずのあの『塩の星』が、地球の軌道近くまで迫っている。巨大な惑星クラスの天体が移動しているなど、通常の天文学では説明がつかない。

 だが、その有無を言わさぬサイズと不気味な光の反射が、紛れもなく“本物”であることを物語っていた。

 続いて響き渡るのは、ゴジラによく似た怪獣の咆哮。それは星そのものから聞こえてきた。

 

「まさか、そんな……あの星そのものがスペースゴジラだというの……!?」

 

 わたしが呆然と見上げたまま言葉を詰まらせると、隣でモーリ氏が喉を鳴らして笑った。だが、それは喜びの笑いではない。乾いた、絶望に似た笑いだった。

 

「私を追ってきたのか、スペースゴジラ……」

 

 その声には、諦観と、安堵のようなものさえ滲んでいた。

 モーリ氏は、どこか懐かしげな瞳で白い惑星を見つめる。なんだか、その奥にイーディスが立っているかのように。

 

「イチノセ記者、あなたも逃げるなら今のうちだ……もう遅いかもしれんが」

 

 雲間から覗く塩の星は、不気味な輝きを増していた。

 さらに地上の大気がざわめき始め、海鳴りのような低い唸り声が大気全体を伝っているように思える。瞬く間にあちこちの通信網が混線し、サイレンが遠くからけたたましく響く。もはや世界中でパニックが起きているのが想像できた。

 モーリ氏は空を見上げる。

 

「あの時、もっと早く塩の星を破壊しておけば……。だが、どうやって破壊などできただろう? イーディスを、あそこに置き去りにしてしまった以上……」

 

 言葉を継がずして、モーリ氏はただ唇を噛む。

 塩の星は、地球へと覆いかぶさるように徐々に軌道を下げてきている。雲間が裂け、空の半分が白い結晶の光で満たされるにつれ、辺りは不自然な静けさに包まれた。

 

「…………っ!」

 

 わたしは思わず後ずさる。地上へ伸びる白い影が、徐々にモーリ氏やわたしたちを呑み込もうとしているようだ。胸が押し潰されそうな圧迫感の中、モーリ氏はただ虚空を見据えたまま、一言だけ口にした。

 

「イーディス……もう一度、会えるかもしれんな」

 

 絶望の底で、彼は確かな決意を宿したように見えた。そして、この地球の終焉をも受け入れる覚悟を。

 空には崩壊を告げるような長い閃光が走り、鼓膜を突き破るほどの低周波が世界を震動させる。

 罵声と、絶叫。人々の悲鳴や警報が混ざり合う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そして、それらすべての光景を最後まで見届ける間もなく、わたしの意識はまばゆくも美しい、清らかな純白に溶け落ちていった。

*1
塩(えん):広義には陰イオン(アニオン)と陽イオン(カチオン)から成る化合物のことであり、狭義には酸と塩基の中和で生じる物質。

*2
ウンベルトの愛称形。

*3
イタリアにおける死者を悼む日。11月に行われる。




新年早々に何を書いてんですかねと思わないでもないですが、今年もこんな感じです。よろしくお願いいたします。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。