神郷巣食う魔   作:P-PEN

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神境巣食う魔

 

 

 

「ううっ……?」

 

 

 

 どれ程時間が経たのか、頭痛と全身の倦怠感と共に九鬼 叶(くき かなえ)は意識が浮上するのを自覚した。どうにも纏まらない思考に混乱と揺れる視界の中で、それでも身に沁みついた祓魔師としての本能が素早く上半身を起き上がらせる。ふらつきながらも立ち上がり、鴉神剣を抜刀し周辺を警戒を開始。

 

「な、何これ……」

 

 視界に映り込んだのは襖で区切られた延々と続く廊下だ。鬼火の様に揺れる行燈が等間隔で並んでいる。前方、そして左右に伸びた回廊はその終わりは見えない。叶は混濁する意識で必死に思考する、最高品質の狩衣に包まれた身体には見知らぬ擦り傷。腰の霊薬ベルトや巻物整理器、ストラップで吊られたパウチやホルスターに納められる魔道具や霊具の数々には、いくつか使用された形跡があった。当然その使用者は自分であるはずだ。

 

 そして理解する。自分が一体どういった状況に陥っているのかを――禁域に封印されていたマヨヒガに自分は引きずり込まれたのだ!陰陽寮に次期当主として顔を出す用事を済ませた帰り道。千年前に攻略を諦められ封印されたマヨヒガ。その禁域の傍を通る古道を通っている最中に地面が崩れた――ある人がこのマヨヒガは植物的な特徴を持つ界異だと言っていた。結界に閉じ込められ飢えたマヨヒガは地に根を伸ばし、禁域近くの古道にその触肢を伸ばしていて、マヌケにも自分はそれにかかってしまったのだ。

 

 その事に思い当たった時。突如、辺りの部屋の中その全てから琵琶と琴が奏でられ始める。軽快なその音に気を取られる前に熊野の姫は姿勢を低くしながら急速反転。頭上を通り過ぎていく長い首を、虎が地に伏せる態勢から鴉神剣を切り上げる。異様に長い首を伸ばして牙を打ち鳴らす界異は、その首が別たれた事も気が付かず、鴉神剣によって開かれた常世の門に呑み込まれていった。

 

 音も無い不意討ちを流麗かつ迅速な対処で斬り伏せた叶は、眼を見開いて停止した――覚悟はしていた。していたが熊野の姫として、後継者として大切に育てられてきた彼女は死地に慣れていない――しかし、その眼前に広がる光景を見れば、それはあながち彼女の経験不足だと責められはしないだろう。

 

 廊下の影から、あるいは左右の廊下の襖が次々と開かれ、待ち構えていたかのように現れるのは黒百足に大ナメクジ、火蜥蜴、蝮、鰐、カマドウマ、蛙、蛞……小さい物は子犬程の、大きな物は軽く馬を越える界異共の群れ。口を開き、牙を見せつけ舌を伸ばす。視覚、赤外線、聴覚、或いは舌を出し入れして空気中の組成分子から叶の気配を感知。即座に獲物として認識して一斉に迫り来る。

 

「ひっ!?」

 

 即座に背を向けて界異が進路上に存在しない通路に駆け込み、疾走を開始。今姿を見せているのはⅠ号からⅡ号級の群れ、冷静に対処すれば熊野鴉神流の希代の天才たる叶は対処が出来たかもしれない。しかしながら、窮地に陥った経験が不足している彼女がこの状況で落ち着けと言う方が無理である――そして、むしろその方が生存率は高いのかも知れなかった。死に物狂いで回廊を疾走する叶には見えなかったが、有象無象の後ろからのそりとおっとり刀でⅢ号級の大物たちが姿を見せていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 九鬼叶が危機的状況にある時、彼女が姿を消したポイントでは神祇官の要請によって駆けつけた“特葬班”の面々が到着、周囲を警戒していた。引き裂き尽くされて、打ち砕き尽くされて、そして焼き尽くされた無数の蔓と根が散乱する大地。地面には光を反射しないほど深く穿たれた空洞が大口を開けている――行方不明となった祓魔師を追って、古道を探索していた彼等もまたマヨヒガの根と遭遇戦となったのだ、

 

「現状、把握出来る範囲での損害は一名。どの程度からマヨヒガの根が活動していたのかは不明ですので、この数は今後報告が纏まり次第、更に増加する可能性があります」

 

 冷静に状況を報告する若い外見にも拘らず、白髪の偉丈夫。特葬班の班長である咎討には、いつものアルカイックスマイルは浮かんでいない。理由は“損害”に起因する事は明らかだった。

 

 特葬班は境対の班の中でも非常に高い悪路走破力を持つ。それは海中封印を解いた元ミワシ隊メンバーの追跡時、逃亡した対象者の目的地不明。ターボババアの妨害、おまけに真夜中の山中という悪条件をものともせず短期間で討ち取っていた。よって、今回の行方不明者捜索任務も迅速に遂行可能と判断されて投入されたのだった。そして、“禁域のマヨヒガ”の根と遭遇戦。これを撃破したものの、最初の伏撃を電磁波による探知で、一早く察知した九鬼鼎(くきかなえ)が仲間を庇った際に引きずり込まれてしまったのだ――生還が絶望的とされる禁域のマヨヒガの中に。

 

 「咎討隊長!まだマヨヒガへの出撃許可は下りないんですか!?」

 

 噛みつく様に詰問したのは三田 懿音(さんだ よいね)。明るいとび色の髪と瘦せぎすの身体、器量はそれなりに良いのだが鋭い目付きがそれを台無しにしている。強いストレスを感じているのか、度々親指の爪を噛みかけては停止する行動を繰り返している。マヨヒガの根との戦闘では班の中で最も奮戦し、全身に忌火の煤がこびりついたままの彼女は、鼎に庇われてマヨヒガに連れ去られずに済んだ――持久力というものが欠如している彼女は、単独でマヨヒガに放り込まれた場合確実な死が待っていただろう。

 

「ウチは何時でもええよ。かなちゃん寂しがり屋やから、なるべく早めにいけるとええね」 

 

 続いて声を上げたのは童売(どうる)だ。彼女は人ではない。縁起、儀式技術や祭具を用いて人間に従わせた“人形の界異”である。白い肌や長い白髪など些末な事で、最も特徴的なものが無数の人形の集合体故の多腕である。霊具は五寸釘と金槌で、よく見れば釘を保持するホルダーが弾帯ベルトの様にまとめられているのが分かる。何時も厭々任務に参加している態度を隠さない彼女が、積極的な意志を見せているのは珍しい。

 

「ボクの霊力は満タンまで回復しているよ。何なら斥候として先に行っていようか?マヨヒガにはちょっとしたアドバンテージがあるんだ」

 

 そう自信満々に提言するのは、一行の中で唯一ダメージの形跡がない巫女服を着た女――顔まわりの髪を頬から顎のあたりで短く切り揃えたヘアを後ろは腰を越えて伸ばしている。前髪とサイドもぱつっと切り揃えられており、日本の伝統的な髪型である振り分け髪を現代風にアレンジした髪型を揺らし、紅い眼を輝かせて提案する縁起――神無(かみな)は起源がハッキリしている縁起で、見た目を裏切って戦闘経験が最も豊富なベテランだ。ただ彼女の欠点は空気を読むのが苦手な事。

 

「ありえない。論外だね」

 

 突き放すように答えたのは、黙考しながら紫煙をくゆらせた元刑事――鐵 斗稀弥(くろがね ときや)だ。この“禁域のマヨヒガ”にまで成長したその内に突入するのは限りなく自殺行為だと指摘した。とはいえ、生還の可能性がない訳ではない。このマヨヒガの権能。己が内で他者を迷わせ幻惑させて、地獄のような迷宮に閉じ込めるその力は、しかしながら凶悪無比である代わりに完全に攻略不可能な訳ではない。

 

 どれ程可能性は低くても、実力と洞察力と幸運さえあれば、生還は理論的には可能な構造である事……それが権能の縛りとして存在している。千年以上の間、挑戦した名うてのクラシカル祓魔師たちの内、三名程は生き残ってその内部構造や眷属の種類に生息圏、仕掛け罠の傾向などを記録として残している。

 

 千年以上でかつ腕利きの祓魔師の集団が挑戦した中で(そのうちの何度かは朝廷の下知による遠征部隊だ)たった三名。

 

 「“禁域のマヨヒガ”だとは確かに俺達も上も想定していなかった――でも現実にはこうだ。だとするなら境対の規定に従うべきだ。余計な行動は二次災害を引き起こすだけだし、それ以上は生存に期待するのは無意味だよ」

 

 彼が言及した境対の規定……正確に言えば陰陽寮が作成する各種妖の特性に基づいた対処方法の規定書を流用したものだが――には記されている。“マヨヒガ”ないし異界へ落ちた者は丸一日以上その内から生還せぬ場合死んだものとして考えるべしと。

 

 咎討は困ったように微笑み、三田は元刑事を睨む――縁起組は概ね同じ反応、つまり済ました顔を維持しているがその気配は対照的だ。神無は「それじゃあ仕方ないね」とアッサリしている態度なのと比べ、童売は何時でも出撃できる準備を維持したままだ。論理的には鐵のいう通りで、そうするべきだと誰もが分かっている。“特葬班”はただの班ではない。その素行は文字通り班員の未来を決める(特に縁起組みの処遇をだ)。だが、それで割り切ってしまえるほどお利巧なのは一体だけである。

 

「残念だけど確かに規定通り――」

 

 その空気を読めない神無が追従しようとした矢先に、通信が入る。通信画面に現れたのは上級神祇官の久部からの通信だった。いかにも陰険そうなその顔にはこの様な緊急事態でも変わらない。

 

「特葬班の諸君、任務ご苦労。状況は聞いている(つちのえ)神祇官久部が発令。神無隊員を除く全隊員の撤退、及び待機を命じる。以上」

 

 無慈悲な宣告だった。正式な令が降苦りてしまえば制約で縛られた縁起組みは逆らう事も出来ない。納得できない三田が噛みつくように叫ぶ。

 

「久部上級神祇官!貴方はまた見捨てるつもりか――第六班の様に!!」

 

 かつて境対最強戦力と見做されていた第六班――もちろん今もそうなのだが、旧第六班の伝説にはまだ及ばないとされている。そして彼らの最後の任務を担当したのは久部神祇官だった。彼は旧第六班発足時からの専属神祇官であり、旧第六班の壊滅の真相を知る人物どころかその黒幕だという噂すらあった。とはいえ、あくまで噂は噂。そのような言いがかりが許されるわけはない。しかし帰ってきた言葉は特葬班全員にとってすら意外なものだ。

 

 「――そのつもりはないよ。三田君」

 

 今まで状況の推移を静かに見守っていたオペレーターの女性が息をのむ音が聞こえたが、久部は無視して続ける。別に彼も遊んでいた訳ではない。特葬班からの報告を目に通した瞬間から、禁域のマヨヒガについての資料を恐ろしく短時間で、全てひっくり返してから何食わぬ顔で今彼らと会話している。

 

 「このマヨヒガの“専門家”に救出任務を要請するつもりなのでね――神無隊員、君は千年以上前にこのマヨヒガに侵入し、生還した現存する唯一の境対所員だ」

 

 一斉に皆の目が神無に向かう。肝心の縁起は首をかしげていた。

 

「それがどうかしたのかい?」

 

 何故皆が驚いているのか分からないという表情だった。だが、確かに撤退命令には彼女の名前は無かったのだ。

 

「緊急の依頼失礼する。かつて史上最強の陰陽師に仕えた式“神無月”の力を借り受けたい――この通りだ」

 

 全員が驚いていた。あの傲慢な久部がディスプレイ越しとはいえ頭を下げたのだ。平然としていたのは下げられた本人だけだった。常日頃から浮かべている薄っぺらい微笑みを維持したまま。

 

「具体的には?」

 

「禁域のマヨヒガに単独で突入し、九鬼鼎と救出対象を確保。その後にマヨヒガから脱出して欲しい」

 

 途轍もない無茶ぶりであった。鐵などは驚きの余り煙草を取り落とし、慌ててそれを靴で踏み消していた。童売に至っては何言ってんだこいつという表情を隠そうともしていない。咎討には疑問の表情が浮かんでいる。

 

「良いとも。ボクは人間の味方だからね、それに鼎君はボクが初めて一緒にパフェを食べた仲なんだ。つまり親友なのさ。親友を助けに行くことに躊躇いなどあるものか」

 

 胸を張って答えるが、先程あっさり見捨てようとしていた者が言う言葉ではない。今度は三田と童売から「何言ってんだこいつ」という目で見られている神無を置いて、鐵が新しい煙草に火を付けながら当然の疑問を口にする。

 

「命令なら命令で構わないですけれどね、何故単独なんですか?特葬班全員で、と言った方が堅い様に見受けられますが」

 

 当然と言えば当然の疑問。しかし、口にしながらも鐵はある程度予想はついていた。マヨヒガの内部攻略で絶対的な条件の一つは――

 

「君達は知っているだろうが神無隊員は補給を必要としない能力を持っている。その上でマヨヒガの内部が穢れに満たされている事を鑑みれば、長期間単独で物資損耗などの理由による戦力低下を引き起こさず、土地勘がある彼女単体の方が生存率は高いという計算が出た」

 

 神無は周囲の穢れを“喰って”その力を自らの霊力や存在強度を回復できるという、特異な力を持っている――そういう存在は多かれ少なかれ居るものだが、神無のその速度は明らかに異常なのだ。現に先ほどの戦闘での損耗は通信が繋がる前には全て回復している。そして、異常な強度――特葬班全員が神無のタフさは熟知していた。この女は界異化した旧式戦艦とはいえ、その艦載砲の直撃を受けて耐えた事もあった。生存率に関して言えば、形代の所持枚数制限を受けてなお特葬班随一と言える。

 

 そして、多くの任務を共にこなしながらもこの女が本気を出した場面が一度もない事も。

 

「反対意見は無い様だな。では、戊神祇官久部が発令。“神無月”に命じる。禁域のマヨヒガに潜入し、遭難者の救出活動に当たれ。以上」

 

 神無はその命に対し、大仰でさえある――しかし完璧なカテ―シーで応えた。

 

Wenn es meines menschheit Wille(それが人々の望みならば)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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