ランヴァルドがネールを連れて戻ると、そこでは丁度、リンド夫妻が兵士達に何かを訴えているところであった。
だが、ランヴァルドとネールが戻ってくるのに気づいたらしい。彼らはこちらを見てぎょっとすると、すぐさま笑顔をその顔に貼り付ける。
……醜悪だな、とランヴァルドは思った。
彼らはネールの親だ。紛れもなく、そうなのだろう。だからランヴァルドは、彼らを無碍にすることはしなかった。ネールをランヴァルドと実の両親との間で板挟みにするのはあまりに惨いだろう、と思われたので。
……そうだ。ネールの精神状態は、どうやら彼女自身の生命力や魔力にも関わってきてしまうらしい。
先程のネールだって、本人がその気になれば、瓦礫をすぐさま吹き飛ばして自力で脱出できていたはず。身体を強化すれば、怪我をすることだってなかったのかもしれない。だがネールはそうならなかったのだ。
……あれは彼女自身に、生きる気が無くなってしまっていたからであり、それによって、魔力が不安定になったからだろう。
つまり、ランヴァルドは今後もネールを『利用』するにあたって、ネールが健やかに、幸せに、落ち着いていられるようにするべきなのである。
……という理屈もちゃんと付けられるようになったランヴァルドは、いよいよ……覚悟を決めた。
『こいつらはネールの親に相応しくない』と。まるで無関係であるはずのランヴァルドが、傲慢にも断じるのだ。
「ネール。先に天幕に戻っていてくれるか。……よし、いい子だ」
ランヴァルドが促せば、ネールはこくんと頷いて、ぱたぱたと駆けていった。リンド夫妻はそんなネールを追いかけようとしたが、彼らの前にランヴァルドが立ちはだかる。
リンド夫妻はランヴァルドに媚びるべきか、ランヴァルドを罵るべきか、決めあぐねているようであった。
だが、ランヴァルドはもう覚悟を決めている。
「……ちょっと話そうじゃないか。ああ、息子さんにはご退席頂いていた方がいいだろう。……ま、『そういう』話だ」
敵対でもなく、歓迎でもなく……そんな笑みを浮かべてそう言ってやれば、リンド夫妻はそっと、エイナルの背を押した。
……こうしてエイナルがそこらに居た気の良い兵士に『ん?ああ、お父さん達はお話し中か。ならおやつ食うか?』と捕まりつつ、彼らの天幕へ連れていかれたのを確認して……ようやく、ランヴァルドは口を開く。
「……こちらには、あんた達を訴える準備がある」
「え?」
「当然、そうだな?え?あんた達はネールの生みの親だって『詐称』して、ネールを誘拐しようとしたわけだ。当然、罪に問われて当然だろう?違うか?」
……悪徳商人ランヴァルドは、自分を訴える相手を訴え返した経験がいくらかある。
ついでに、諸々の書類を偽造した経験もある!
そう。ランヴァルドは……悪徳商人としての知識と技能を目いっぱい利用して、リンド夫妻を陥れることができるのだ!
「詐称……?い、一体何のことだ?どうしてそんなことになる!?」
「詐欺師はあなたの方でしょう?私達はネレイアの、本当の親なのよ!?」
リンド夫妻は慄いた。だがランヴァルドは止まらない。
「はあ?何を言っているんだ?あんた達がネールの親だって証明するものは何処にも無いぞ。何せジレネロストは滅びたんだ。戸籍なんか残ってるわけがない。当たり前だろ?」
如何にも悪徳商人らしくせせら笑ってやれば、リンド夫妻は口を開いたまま、黙ってしまった。そんな彼らを睨み下ろして、ランヴァルドは凄んでやる。
「それで……ネールはあんた達のことを、親だって証言すると思うか?」
……答えられる訳がない。
彼らはたった今、ネールを裏切ってきたばかりだ。
「当然、ネールはこう証言してくれるだろう。『シモン・リンドもヘレーナ・リンドも、親じゃない。彼らは詐欺師だ』ってな。何と言ってもネールは詐欺の被害者だ。かわいそうに。なら俺はネールの為にもあんた達を訴えてやらなきゃあな」
如何にも露悪的な台詞回しと仕草。『悪徳商人』ここに極まれり、といったランヴァルドの姿に、リンド夫妻は戸惑っていた。
ランヴァルドは彼らの前では今まで大人しく、善人のふりをしていたのだ。その分、今、彼らは大いに戸惑い……そして、恐れている。
黙ったまま、それぞれに怯えて、考えて……そして、シモンが口を開いた。
「……あなたが上手くネレイアを利用しているのは、知っている。だが本来、あなたにその権利は無いはずだ。そして、本来、我々にその権利がある。だから……」
「一枚噛ませろ、って言いたいのか?」
先回りして言ってやれば、シモンは如何にも図星だというような顔をした。
……考えた挙句がこれか、とランヴァルドは落胆する。同時に、落胆する程度には、何か期待していたのだな、と気づいて自嘲気味に笑った。
「……あんた達がちゃんとネールの親でいるつもりなら、その話に乗ったかもな。だが、あんた達はそうじゃなかった。あんた達はネールの親のふりが上手にできなかった。だから、俺はあんた達をネールの親だってことにはしてやれない」
期待するだけ、無駄だろう。リンド夫妻にとって、ネールは娘ではない。
もう、ネールはただの化け物で、金稼ぎの道具であって……家族ではないのだ。
「何の権利があってそんなことを言うの!?私達が親じゃないっていうなら、あなただってそうでしょう!?」
ヘレーナが喚く。自分達の望みが叶わずとも、せめてランヴァルドを自分達と同じところにまで引きずり降ろそう、とでも考えているのかもしれない。
「そうだな。俺はネールの親じゃない。親じゃない以前に、人間としてだって碌なモンじゃないさ」
そしてヘレーナの言う通り、ランヴァルドはネールの親ではない。今まで悪徳商人としてやってきた所業を考えれば、真っ当な人間だとも言い難い。
「だが……」
それでも、ランヴァルドはもう覚悟を決めている。
「あんた達よりはマシだ。……マシにやってみせる」
広場の方から、『夕飯ですよー』とのんびりした声が聞こえてくる。最近では、その日の魔物狩りの成果が芳しくなかった冒険者達が日銭稼ぎがてら、食事の係やネールの獲物の解体を買って出てくれることが多い。そして聞こえてきた声の主は、中々料理が上手いので、すっかり飯炊き係として重宝されているのだ。
「さて……そろそろ本当に、逃げた方がいい。ああ、馬車を一台、貸してやるよ。王都の小作農に戻って、慎ましやかに暮らせばいいさ」
ネールもお腹を空かせていることだろう、と、ランヴァルドは話を切り上げにかかる。
「……ああ、言い忘れてたことがある。俺はあんたの借金を知ってるぞ。あの金貸し達は全員、俺の友達だからな」
「な、なんだと」
ついでにもう少々怯えてもらおう、とランヴァルドが借金の話を出せば、分かりやすくシモンが狼狽した。
「一回、肩代わりしてもらったらしいが。……ネールの『誘拐』に失敗したあんた達に、『二度目』はあるのか?その足りない頭でよーく考えてみるといい」
多少ハッタリをかましながら、ランヴァルドは如何にも『全て知っている』かのように話してやって……そうして、にやり、と笑ってやった。
「尻尾巻いて逃げ出すんなら、今だぜ。今、俺達の目の前から消えて、二度とネールの前に現れないっていうんなら、見逃してやってもいい」
そうして、リンド一家は夕食も食べない内に、ひっそりとジレネロストを出ていった。
王都の小作農に戻るのか、はたまた、別の場所で暮らすことにするのかは分からないが……まあ、彼らがネールの前に姿を現すことは無いだろう。
……これで良かったのかは、分からない。だが、あの夫婦にネールを預けるよりはマシな結果くらい、いくらでも出せるだろう。
『上手くやってみせる』。ランヴァルドはそう覚悟を決めた。
今までだって、難しい仕事をいくつもこなしてきた。初めてのことだって、なんとかしてきたのだ。
だから……まあ、完璧に、というのは難しくとも、そこそこになら、なんとかやれるだろう。
1人の少女を、幸せに暮らさせてやることくらいは。
「よお、待たせたな、ネール」
天幕に戻ると、ネールがぱっと顔を上げて、それからおずおず、とランヴァルドに近付いてきた。
「夕食ができたらしい。行くぞ」
声を掛けて促せば、ネールはまた、おず、とランヴァルドの後ろに付いてくる。……その様子がなんとなくおかしくて、ランヴァルドは笑いながらネールをひょいと抱え上げた。
ネールは、わたわた、とランヴァルドの腕の中で慌てていたが、ランヴァルドは構わずネールを抱えたまま広場へ向かう。
もじもじしているネールを焚火の傍の丸木椅子に乗せると、夕食の配膳を受け、ごろごろとした肉や根菜が煮込まれたシチューの椀とパンを手にネールの隣へ戻って、『ほら』とネールにシチューとパンを渡した。
……ネールは、きょろ、と周囲を見回している。大方、リンド一家を探しているのだろう。いや、探しているというよりは、警戒している、と言った方が近いだろうか。
「ああ。あの人達はもう居ないぞ。王都へ帰した」
ランヴァルドは努めて事も無げにそう言った。……言ってから、目を円くするネールを見て、気まずい思いをする。
「……すまん。先にお前の意見を聞くべきだったかもしれない」
どうすべきだったのか、ランヴァルドには未だに正解がよく分からない。ネールにあれ以上、リンド夫妻を近づけたくなかった。どうせ奴らはネールを傷つけるような下手なことを言うだろうと目に見えていた。だが、それでもネールにお別れくらいは言わせるべきだったのか……。
……ランヴァルドは困っている。何せこんなこと、経験したことが無かったので!
だが、ネールはランヴァルドに、ぶんぶんと首を横に振って見せ、そして、むん、と胸を張って頷いてみせてきた。……自信を持て、と言っているのかもしれない。ランヴァルドは苦笑しつつ、『まあ、お前が良かったならよかったよ』と言ってシチューの椀を意味もなく匙でかき混ぜた。
……何を話そうか、と考えながら、ランヴァルドはふと、『勢い任せに随分と薄っぺらい言葉を吐き出したもんだ』と思う。
ネールに対して、『俺達はもう家族みたいなもんだろ』などと。……他でもない、ランヴァルドが。家族を捨てて、1人で生きてきた人間のくせに。
こんな奴が『家族』について語ったところで、その言葉にどれほどの重みがあるというのだろう。
そうだ。まるで薄氷か何かのようだ。……薄っぺらく、冷たく、すぐに割れて……それでいて煌めいて見えてしまうところまで、そっくりではないか。
ランヴァルドにとって、温かな家族の記憶は随分と遠い。それは父が死んだ頃……もう20年ほど前に途切れたきりだ。
あの頃に何を話していたかなど、もう朧気にしか覚えていない。それ以降の、母が叔父と再婚した後のことは、余計に覚えていない。ただ勉学に打ち込んでいた記憶ばかりが残っている。
そんな有様なので、ランヴァルドは只々、焚火の光に照らされながら、シチューの椀を意味もなくかき混ぜ続けることになる。珍しくもこの悪徳商人が、何を話すべきか思いつかないのだ!
……そうして、ネールが『もしかしてこうするものなのだろうか』とでもいうかのように、ランヴァルドを真似してシチューの椀をかき混ぜ始めたころ。
「あー……ネール。今後の話をしよう」
ランヴァルドはようやく、話すべきことを思いついた。家族らしい話ではないだろうが、まあ……必要なことだ。
「今、俺はお前に毎日金貨1枚で雇われてる。その代わりに、お前の身の回りのことを世話したり、色々教えたり、まあ色々やってる。そうだな?」
ネールは『その通り!』とばかり、こくりと頷いた。……更に、そわそわ、としながらシチューの椀を横に置いて、金貨を一枚、懐から取り出した。『明日もランヴァルドを雇う準備はある!』と言わんばかりに、きらきらした目でランヴァルドを見上げてくるのだが。
「明日からそれは止めよう」
ランヴァルドが、金貨を差し出すネールの手をそっと押しやると、ネールは明らかに絶望したような顔をし始めた。……『もう契約は結べなくなって1人ぼっちになってしまうのだ』とでも思ったのかもしれない。
なのでランヴァルドは苦笑しつつ、ネールに分かるように、かつ、嘘は吐かないように、誠実であるように、と言葉を考えて……。
「それで俺と長期契約を結ばないか?契約期間は……お前が俺とさよならしたくなる時までだ」
そう言って、ネールをきょとんとさせるのだった。