「えーと、まずはだな……お前はもう、1日1枚、金貨を払わなくていい」
ランヴァルドが説明を始めると、ネールは真剣な顔でこくんと頷いた。……大丈夫だろうか。ちゃんと理解しているのか、時々確認し直してやった方がいいかもしれない。
「で、その代わり、俺とお前とで稼いだ金は山分けしよう。……まあ、ジレネロストが軌道に乗るまではひとまず俺が4割、お前が6割ってことにしておくか」
続けてそう言ってやると……ネールは、『よんわり、ろくわり……とは?』とばかり、首を傾げた。ネールは割合の計算ができないのである。ランヴァルドは頭を抱えた。
「あー……えーと、まあ、10ある内の4……ああくそ、これでも難しいか?うん、そうだな……ええと、相場では5と5なんだが、今回は……いや、まあ、うん、これはお前が算術を勉強して、理解できるようになったところで改めてもう一回協議ってことでいいか……?」
ネールは申し訳なさそうに頷いた。なので一旦、このあたりの話は置いておくことにする。
「まあとにかく……俺はお前がたくさん金を稼げるように補佐する。管理と運用も俺がやろう。いや、お前が管理してもいいんだが……できるか?ああ、うん、できないな。うん。そうだな。まあいずれは1人でできるようになって……え?できるようにならなくていい?ああ、そう……?」
更に、ネールが首を横に振るものだから、ランヴァルドは少々困惑するしかない。ネールはそんなに、算術の勉強が嫌なのだろうか!
「……いや、まあ、いずれはお前も1人で金勘定できるようになれ。なってくれ」
……ランヴァルドが眉間に皺を寄せつつそう言えば、ネールはしゅんとして頷いた。……そんなにも算術の勉強が嫌なのか?と、ランヴァルドは何とも言えない気持ちになってきた。ランヴァルドはどちらかと言うと、金勘定の類が好きな性質なので……。
「えーと……で、だ。ネール。俺はだな、貴族位が欲しい。それはお前も知ってるな?」
算術の勉強はさておき、話を続ければネールはうんうんと頷いた。『ちゃんと覚えています』ということなのか、なんとも輝かしい顔である。
「だからお前は、その手伝いをしてくれ。……ま、できる限りでいい。舵取りは俺がやるから、そんなに難しく考えなくてもいいさ」
ネールはまた嬉しそうに、うんうんと頷く。喜ぶところではないように思われるのだが。
「それから……俺はお前の夢を叶える手伝いをする。お前がなりたいものになれるようにするんだ。なあ、ネール。お前は何になりたい?」
だが、喜んでいたネールも、ランヴァルドがそう聞いてしまうと……一丁前に眉間に皺を寄せて考え始めてしまった。
……今までのネールは、生きるだけで精一杯であったはずだ。となると、『将来の夢』など持つ余裕も無かったのだろう。ついでに、憧れられるような大人にも恵まれなかったから、『どんな大人になりたい』などとも考えられなかったに違いない。
……だから今、ようやくネールはそれを考えているのだ。
ランヴァルドはネールを見守っていた。結論を急かすことはしなかった。ネールは深く考えて、考えて……そして、ふと、ランヴァルドと目が合う。
……途端、ネールは何かに気づいたように表情を輝かせ……そして。
「……俺か!?」
ランヴァルドを指差して、ネールはにこにこと、それはそれは嬉しそうに何度も頷くのだった!
「止めとけ止めとけ止めとけ!俺みたいになるのは!誰だネールにこんなことを吹き込んだのは!俺か!?」
ランヴァルドは大いに混乱した。商人になってから一番の混乱だったかもしれない。何せ、ネールがよりによって、ランヴァルドになりたいなどと言うものだから!
「……なあ、ネール。お前も薄々分かっているとは思うが……俺はな、良いか悪いかで言ったら、悪い方の大人だぞ」
ネールは首を傾げた。訝し気である。『そうでもないと思う』とでも言いたげな、不満げな顔である!嗚呼!分かっていない!ネールはランヴァルドに騙されている!騙した以上、ランヴァルドが嘆く権利は無いのだが!
「まあ……うん。今ので、お前が世間知らずなのはよく分かった。よーく、分かったぞ。ああ……」
ランヴァルドは頭を抱えて大いに嘆くのだが、ネールはなんとも不満げであった。これはいよいよ、ちゃんと教えてやらねばなるまい……。
「なので、だな……俺はお前が真っ当な大人になれるように、色々と勉強とか、そういうのの手伝いをすることにしよう。それで本当になりたいものが決まったら、教えてくれ。その時に改めて、お前の夢を叶える手伝いをしてやるから」
これはネールに『真っ当』を教えるところから始めなくては、とランヴァルドがため息を吐く一方、ネールは何やら文句のありそうな顔をしていたのだが、少し考えて、やがてネールは渋々、といったように頷いた。
……ランヴァルドは、ふと、『色々と学んだ上で、それでも俺みたいになりたいなどと言ってきたらどうしよう』と思ったのだが、『いや、そんなことはあるまい……』と考えを打ち消した。
考えに蓋をした、ともいう。
さて。ランヴァルドはいよいよ『本当に俺はネールと出会ってから悉く、間違った選択をしている気がする』と頭を抱えつつ……最後に、一番大切な話をすることになる。
「それで……お前が俺とさよならしたくなる時までを契約期間にしよう」
ネールは不思議そうな顔をしている。ランヴァルドは苦笑しながらネールの金髪の頭を撫でてやった。
「お前は、好きな時に俺から離れていい。多分、俺と組むよりもお前にとっていい選択は幾らでもある。お前がそれを見つけられたら、その時、契約終了としようじゃないか」
ネールは何やら、不安そうな顔をした。放り出されてしまったように感じるのだろう。今日、丁度『放り出された』ばかりのネールは、こういったことに余計に敏感なのかもしれない。
だからランヴァルドは、ネールの海色の目が不安そうに揺れるのをしっかり見つめて……随分とらしくないことを言う羽目になる。
「だが俺は、お前がもういいと言うまで、ずっとお前の傍に居て、お前の面倒を見る。お前のことを裏切らない。これはそういう約束だ」
その夜、ランヴァルドはネールと同じ寝袋で寝る羽目になった。
まあ、ネールにとってあまりにも酷な一日であっただろうから、今日は目を瞑るべきなのだろう、とも思ったランヴァルドだが、一応、『あのな、ネール。前も言ったが、本当はこういうのはよくないんだぞ』と説明はした。
……が、ネールは非常に強かで、予め書いておいたと思しき紙を見せてきたのだ。『かぞくなら いいっていった』と!
おかげでランヴァルドはまた、『あのな、ネール。家族であったとしても、妹はいつまでもはお兄ちゃんのベッドには入らないものだし、娘はお父さんのベッドに入らないものなんだぞ』と説明する羽目になったのだが、まあ……それはそれとして、さっさとネールを抱き込んで寝かしつけることにした。
ランヴァルドの腕の中に抱き込まれたネールは、なんとも嬉しそうにしていたし、同時に何か、少し寂しそうな、少し落ち着いたような、そんな顔をしていた。
ネールは眠るまで、ランヴァルドの胸に耳を当てて、心臓の音を聞いているようだった。
そして……時折、くすん、と鼻を啜る音が聞こえてきた。もぞもぞ、とネールが動いて目元を擦る様子も、分かった。
ランヴァルドは、そんなネールの頭を自分の胸に抱き寄せて、しばらく頭を撫でていた。
月が高く登っても、しばらく、ずっとそうしていた。
翌朝。
朝陽に照らされる天幕の中でランヴァルドが目を覚ますと、目の前にネールの目があった。
……相変わらず心臓に悪い。だが、今日ばかりは文句は言ってやるまい、と、ランヴァルドはただ『おはよう』とだけ言った。ネールはまだ幾分赤みの残る目元で、にこ、と笑った。
それからネールはごそごそ、と自分の懐を漁って、金貨を取り出して……それから、はた、と気づいたように動きを止める。
「そうだぞ、ネール。今日からそれは必要無い」
ランヴァルドが苦笑しつつそう言ってやれば、ネールはじんわりと嬉しそうにこくんと頷いた。
「さ。朝飯を貰いに行こう。今日も忙しくなるぞ」
ネールと並んで歩こうとしたら、ネールはもじもじしながら……両手を上に上げて『ばんざい』というような姿勢になり、ぴょこ、と軽く飛び跳ねた。
……これがどういう意味なのかは、ランヴァルドにもまあ、分かる。何せ、ランヴァルドの数少ない家族の記憶の中で、自分もかつて、父にこうした記憶があるので。
「抱っこか。しょうがない奴だな」
ランヴァルドが屈んでネールを抱き上げると、ネールはそれはそれは嬉しそうな笑顔で、きゅう、とランヴァルドにくっついてきたのだった。
……そうして、ネールを抱きかかえて運びがてら、ランヴァルドは改めて、ネールに告げる。
「で、ネール。さっきも言ったが、今日は忙しくなるぞ。中々嫌な話になりそうではあるんだが……お前にも傍に居てもらうぞ。覚悟を決めてくれ」
ネールはやる気いっぱいの顔で、こくんと頷いた。実に頼もしいことである。
「……何と言っても今回の厄介ごとの元凶をとっちめるんだからな」
ランヴァルドがそう言いつつ向かう先……広場では、イサクがのんびりとした様子で座って、軽く手を挙げている。
アンネリエの姿は無い。
「おはようございます、イサクさん」
「おはようございます、マグナスさん。いやあ……昨日はそちらも大変だったようで」
「ええ、まあ。……すみませんね、イサクさんにも厄介な仕事を1つ、お願いしてしまって」
「ああ、いやいや、とんでもない。むしろこちらの不手際によって起きたことですから……」
ランヴァルドは早速、イサクといくらか言葉を交わして、それから『朝食ですよー』と配られたスープの椀を3人分受け取り、ネールとランヴァルドとイサクと、3人並んで座ることになる。
「それでですね……まあ、結論から申し上げますと、やっぱりそうでした」
「ああ、やっぱり……」
イサクがため息を吐いているのを見て、ランヴァルドは頷く。
……まあ、つまり。
「やはり、アンネリエさんがイサクさんの印章を盗んで、文書の偽造をしていた、と」
「はい。そのようです」
……どうやら、アンネリエが言っていた『ランヴァルドが誘拐の罪によって逮捕されそう』という話。
あれはアンネリエ自身が仕組んだ、狂言であったようなのである。