ジャイロツェペリ、キヴォトスに行く 作:ウェカピポの妹の夫
しばらくの間通話は続いた。その間ジャイロは組んでいた腕を入れ替えたり、毛先を弄ったり、自分の手や爪を見たり、と……とにかく暇だった。やっと電話が終了し、アルが室内の全員を見渡した。
「新しい依頼よ。今度は護送」
「護送? なに運ぶの〜?」
ムツキが身を乗り出して目を輝かせて言う。
「万魔殿はそこまで言ってくれなかったのよね……そこが気がかりだわ」
その言葉に、ムツキは興味深そうに声を上げた。
「ふ~ん。楽しくなりそうな依頼だね! アルちゃん!」
「でも……いや、どうしようかしら……」
アルは腕を組み、唇を噛みながらしばらく考え込んでいた。彼女は通話が終わってからこの調子だった。
万魔殿の依頼を受けるか、それとも目の前の護衛対象を優先するか。
少女らしい気まぐれと、便利屋の長としての責任感。その間で揺れていたが、やがて彼女は大きく息を吐いた。
その目に迷いはなかった。
「とりあえず、まずはツェペリさんをトリニティまで送っちゃいましょう!」
「おい──」
アルの声が消えた。空気が張り詰める。
「テメー、どうしてオレの名字を知ってやがる」
威圧感をたっぷりと含んだ、ドスの効いた声で問いただしたが、どうやら彼女には聞こえちゃいなかったらしい。あっけらかんとした表情で返答してきた。
「依頼人が教えてくれたのよ。あなたの写真と、ジャイロ・ツェペリって名前と、あと鉄球を使うって事を」
「また依頼人かよ……ソイツの名前は本当に知らないんだな?」
「ええ!」
アルは一度言葉を区切り、鼻を鳴らして得意げにこう述べた。
「代わりにイニシャルは聞いてるわ!」
全身に微かな緊張が走る。それをグッと抑えて聞いた。
「……どんなイニシャルだ?」
「
──H・P
そのイニシャルがジャイロの脳裏に、遠い記憶の断片をよぎらせる。まさか、そんな偶然あるはずがない。
「エイチピー……まさかな」
口を抑えて考える。一瞬の思考の渦が、濁流の情報となりジャイロの頭の中を駆け巡った。少し、考える必要があるな。
「すまねえが……トイレはどこだ?」
アルは一瞬きょとんとするが、あっちよ、と廊下の奥を指差した。
口に手を押さえたまま、ジャイロは無言で事務所の奥へと向かって、静かに扉を閉めた。
彼の姿が見えなくなると、アルはカヨコの方を向き直り、再び腕を組む。
「それで、
「……実は、万魔殿が一時間後にどうするかの連絡またしてくるの。それまでは待機ね」
アルは腕を組み、壁の時計に目をやる。
現在の時刻は四時。
一時間
──そこから、物語が動き出す。なんとなく、そう感じた。
「ところで社長、護衛は何で移動するの?」
「それはもちろん新幹線よ! 依頼人もできるだけ早く来させて欲しいって言ってたからね!」
「そっか……それじゃ、チケット買ってくるね」
カヨコは早速、依頼を行う準備に取り掛かる。彼女の後を追うようにもう一人も準備をし始めた。
「ムツキちゃんもついて行っちゃおっかな〜。昨日火薬補充しそびれちゃったしー」
大きく手を振って満面の笑みでドアを開けるムツキ、それを後ろから見ながらカヨコはドアを閉め、事務所を後にした。残されたのはアルとハルカ。そして……
一つ、アルが気づく。
「……ハルカ? 私達の護衛対象は今どこにいるかしら?」
「え、えっと……さっきから、そこのトイレから出てきてません……」
「そうよね? いくら何でも遅くないかしら?」
「は、はい……遅いです」
「ちょっと見てしまいましょ。いなくなってたら大変だしね」
「わかりました……」
返事をして、トイレのドアの前へ行く。アルが先頭に立ち、ゆっくりと音を立てないように移動する。
ドアノブに手をかけると、ひんやりした感触が手に伝わる。
そのままゆっくりと回す……するりと簡単に開いた。
こっそりと中を覗く。
そこには、目を丸くして洗面台の蛇口を見つめるジャイロの姿があった。
手元のレバーを握ったまま微動だにしない。蛇口からは、止めどなく水が勢いよく流れ出し、洗面台から溢れかえりそうなほど溜まっていた。
「な、ななな、何してるのよぉぉおおおおッ!?」
彼女は慌ててジャイロの隣に駆け寄り、蛇口のレバーを強く押して水を止めた。
「良いねェ〜〜〜……捻ればこんなに水が出るなんて、すげえなこの世界は。ちょっと感動」
ジャイロは非常に感心し、無邪気に声を漏らした。しかし、アルはそんな声を聞く余裕などなかった。
「感動してる場合じゃないわよっ! 水はずっと出してたらお金がかかるのよ! タダじゃないのよぉっ!!」
再び、彼女の声が事務所に響き渡る。
「悪かったって。オレだって金取られるなんて知らなかったんだぜ?」
「ふふっ、もう気にしてないわ! 良く考えたら水道代で騒ぐほどの物でも無かったし……やっぱり、ちょっと気にしてるかも」
後半のセリフを言うにつれ、彼女の声は小さくなっていく。それを聞かなかったことにしたジャイロは、辺りを見回す。
「そういえばよー、あの二人はどこいったんだ?」
「ああ、ムツキとカヨコなら準備をしに出かけたわ」
「準備……?」
「ええ、あなたをトリニティまで送る準備よ」
「オレをか……嬉しいもんだね」
そこからしばらく休息を取ったジャイロ。これから始まろうとしている冒険に向けて、少しでも体力を残そうと考えたのだ。結果、客人用のソファーで寝ることにした。
ゆったりした空間。異邦の客人の寝息とコーヒーの香りが広がる。相変わらず外では爆発音が響き渡ているが、それすらも心地よいBGMだと思えるほどに、その空間は落ち着いていた。
それも束の間、この空間の主であるアルは、出されたコーヒーの熱さに苦戦し初める。その隣でこの世の終わりのような顔をしたハルカが、頭が千切れるぐらいの勢いで謝り始める。すると突然、テーブルに備え付けられた電話がけたたましく鳴り響く。アルは急いでカップを置き、受話器を取る。
「はい、こちら便利屋68。どんなご依頼かしら?」
『……もしもし。我々万魔殿は完璧な依頼の成功を望んでいる。そのために、便利屋68にはこの件に完全に集中してもらいたいのだ』
電話口の相手の声は、感情を一切感じさせない冷徹なものだった。その剣幕に、アルは思わず身構える。
「ど、どうしたのよ一体……」
『単刀直入に言おう。今、お前達は他の依頼を請け負っているのか?』
「答えられるわけないでしょう? 顧客の信用にも関わるのよ」
『客か……確かにそれも大事だが、今は閑古鳥が鳴いてるだろ?』
「うるさいわね!」
冷徹だった声が更に低くなる。電話の向こうから、威圧的な気配が伝わってくるかのようだ。
『あまり情報部を舐めるなよ』
「そ、それでどうしろってのよ!」
『こちらの荷物の護送を優先しろ。何もお前達の受けている依頼を中止しろとは言っていない』
万魔殿の要求は、あくまで「優先」だった。しかし、その声には有無を言わさぬ圧力が込められている。
「た……確かに依頼は請け負ってるけど、明日には終わってるわよ」
『それじゃだめだ、この依頼は今日でなくてはならない』
受話器の奥の声は、一切の妥協を許さない冷たさで告げた。アルの眉間に深い皺が刻まれる。
「それは、ちょっとキツイわね……」
『そうか。ならばこの話は無かったことにする。では、さらばだ』
一方的に通話が切れた。ツーツー……と、無機質な音が耳に響く。アルは呆れたように受話器を下ろし、万魔殿の融通の利かなさに内心で毒づいた。
「あら、切れちゃった」
ハルカが、不安げな表情でアルを見つめる。彼女の視線は、机の片隅に置かれた、いかにも物騒な赤いスイッチに向けられている。
「……爆破しますか?」
アルは慌ててハルカの手を掴んだ。万魔殿の理不尽さはさておき、事務所を爆破する理由にはならない。
「大丈夫よ、どうせ受けるつもりじゃなかったから……だから、そのスイッチは置いて!」
その時、合図のようにアルのスマホが再び鳴った。今度はムツキからの着信だった。
『もしもーし! アルちゃーん! いつでも出発できるよ!』
「わかったわ。それじゃ、ハルカ行くわよ!」
勢い良く立ち上がり事務所の扉を開ける。ハルカはショットガンを抱え、彼女の後を追う。便利屋68の次の仕事が、始まる。
事務所の扉を押し開けると、外の空気は一気にざわめきを増した。ジャイロの目に影が差す。
昼方だというのに、通りは聞き飽きた銃声と爆音の混ざる喧騒で満ちている。飽きねえのか、こいつら。
アルが軽い調子で「乗り遅れるわよ!」と言い、満面の笑みで先導する。ハルカは荷物を抱えたまま小走りでついてくる。
一体どこへ連れて行かれるのかと思いきや、目的地はなんと初めてこの学園に降り立った場所、ゲヘナ中央駅だった。駅の構内は相変わらず大きいが、短期間での二度の来訪だ。驚愕と感動も始まりのそれと比べると劣ってしまうもの。
しかし、アルから渡された切符を機械に滑り込ませ、電車とは別のホームに足を踏み入れた……瞬間、ジャイロは言葉を失う。
ガラスの巨大な天井に幾何学模様で鉄が這っている。そこから落ちる光は、眩しすぎず暗すぎない。計算され尽くしたかのように降り注ぐ。
そしてその中央には、彼の時代を過ぎ去った開拓者の夢があった。
滑らかに磨き上げられた金属の巨体。
今にも放たれそうな矢のように、その車両は白刃の輝きを纏って待ち構えていた。
車内に入ると、廊下を挟んで右と左に座席が並んでいた。
椅子は同じ形で整然と並び、赤っぽい色の布で覆われている。頭上の荷物を置ける棚に、我先にと学生たちがバッグを押し込んでいく。喧嘩に発展しそうな女子二人を横目に、座席へと向かう。
ジャイロはアルとハルカに挟まれる形で座らされた。護衛中だかららしい。両隣の少女が談笑する中、彼は周りを観察する。
窓は大きく、外の景色がよく見える。アナウンスと共に駅の構内がゆっくり後ろに流れる。やがて都市のビル群が視界いっぱいに広がった。
通路側は人が二人すれ違えるのがやっとの幅で、学生たちが忙しなく行き来している。聞こえるのは低い振動音や周囲の話し声だけ。実に落ち着ける環境だ。
「そういえばよォ〜〜〜、あの二人はどこにいんだ?」
「カヨコ達? だったらこの車両の一番前と後ろにいるわ」
ウソだろ? 目を光らせて警戒していたはずなのに、見逃したってのか……
「……本当にいたのか?」
「いたわよ」
「……本当か?」
「私が嘘ついてどうするのよ!」
「…………」
伊達に便利屋を名乗ってるだけはある。彼女達の実力の片鱗を知った……気がした。