アビドスユメモドキ 作:泡沫のユメ
「うわ·····まさかこの手紙は····」
私以外の3人が帰って少し経った頃。私も戸締りを終えて帰ろうとしていたのだが厄介な、すごく厄介なものを見つけてしまった。
全体的に黒を基調としていて、しかし白いヒビのようなものが入ったデザインの手紙。
「······黒服·····かなぁ」
黒服。所謂悪い大人であり、ブルーアーカイブにおける悪役の組織であるゲマトリアの一員。
そして私達アビドス····特にホシノちゃんとはかなり因縁のある相手だ。原作でもホシノちゃんが1年生の頃から目をつけていたようだしこっちでも既に接触しているのだろう。
私しかいないタイミングで手紙を送ってきた、ということは私になにか用があるということなのだろうか。手紙には建物の座標と階層、そして『アビドスの借金についての話があります』とだけ書いてあった。
すごく行きたくない。私は原作のユメ先輩みたいにすぐ騙されるということはないが、別に腹の探り合いが得意なわけじゃない。黒服との舌戦で勝てるとは思えない。
「でも、行かないとダメなんだろうな···」
行かなかった場合今後も同じような手紙が送られてくるという確信がある。黒服が目をつけたものを簡単に見逃すとは思わない。無視し続けてもあっちから会いに来たりするかもしれないし。どうせ会わなければならないのならさっさと会って話とやらを終わらせてしまった方がいいだろう。
それに黒服が私に目をつけている理由について心当たりがあるのだ。
あの精神世界でユメ先輩が言っていたこと。前世の記憶の先生のテクスチャが混ざってるとか言う話だ。
テクスチャだの神秘だの難しいことは私にはよくわからないが、普通の生徒とは全く違うものになっているというのは間違いないのだろう。そして普通とは違う不思議な存在に、探求者を名乗る黒服が興味を持たないわけが無い。
「場所は····普通のオフィスビルだね」
原作でホシノちゃんや先生が黒服と会っていた場所と同じなのかもしれない。場所自体は至って普通のビルだった。
憂鬱な気持ちになりながらも指定されたビルに向かって行った。
◇◇◇
「·····お待ちしておりましたよ、梔子ユメさん」
「······うわぁ」
予想通りオフィスにいたのは黒服だった。黒服····というよりゲマトリア全員の話でもあるのだが、見た目がなんだかおぞましい。
前世で見ていた時よりもなんというか····恐怖? みたいなものを感じる。
全身真っ黒なのに右目の部分と口みたいな所だけ白いヒビみたいなのが入っている。そんな異形の存在なのにスーツだけはきっちりと着こなしているというアンバランスさも恐怖心を煽る要因になっている。
薄暗いオフィスでこんな異形の存在とふたりきりなんてとんでもないホラー展開だ。黒服の存在を知らなかったら走って逃げ出していたかもしれない。
「····借金の話って手紙を見て来たんですけどどんな話ですか? ええと····」
「おっと、自己紹介を忘れていましたね。私のことは黒服、とお呼びください。この名前が気に入ってましてね」
「黒服······」
「ええ、そのように。それで借金についてのお話、でしたね。ユメさんにご提案をしようと思いましてお呼びしたのですよ」
「提案····?」
提案····いったいなんだろう
「アビドス高校を退学し、私共の企業に所属する····その条件さえ呑んでいただければ、今アビドスが背負っている借金の半分近くをこちらで負担しましょう」
········どこかで聞いたことがある提案だね
「話は聞いておりますよ。アビドスの生徒会長として長い間借金を返し、たったひとりでアビドス高等学校を守り続けてきたと」
「·····今はひとりじゃないよ」
「ええ、存じ上げておりますとも。後輩ができたのでしょう? そして、あなたはその後輩達も守りたいと考えている。違いますか?」
「·······」
「ならば私が提案した契約を結んでいただければよいのです。それに砂漠で遭難して倒れていたせいでユメさんは留年しているのでしょう? そのような出来事がなければ高校を卒業してどこかに就職していたはずです」
「契約を結べばこの問題も解決できます。私共の企業に所属できるのですから。先程は退学、と表現したので印象が悪かったかもしれません。なのでこう言い換えましょう」
「アビドス高等学校を卒業して私共の企業に所属する、そう考えればいいのです。そうすればユメさんは順調に学校を卒業して就職することができ、更に借金が減ることでアビドス高等学校や後輩達も守ることができるでしょう」
「さあ、答えを聞きましょう。もしイエスならば、こちらにサインを」
なるほど。これは原作でホシノちゃんが契約を結んでしまうのも仕方ないのかもしれない。アビドスの辛い環境で、絶望的な状況でこの提案はあまりにも魅力的すぎるのだ。だって私も契約を結ぶかどうか悩んでしまった。
········色々な悩みのせいで、私は自分が思っている以上に限界なのかもしれない。
前の私ならこんな契約悩むことすらせずに突っぱねたはずだ。だって私は契約のデメリットを、黒服の目的を知っている。
企業に所属、なんて言っているがどうせ人体実験に利用されてしまうのがオチだろう。
·······そうなるのだとわかっているのに黒服の提案に乗るのもありかも····なんて考えてしまっている。
悩んだ理由はある。ここで私がアビドス高等学校を退学していなくなる····すると原作とほぼ同じような状況になるだろう。そうなれば世界が滅ぶことは無くなるはず。私が犠牲になるだけでアビドスも後輩も、世界も救える。
全ての問題が解決してしまうのだ。ならばデメリットなどないだろう。と、そう考えてしまった、思ってしまった。
1度考えてしまえば忘れることなどできない。私が犠牲になるだけで全ての問題が解決する。こんなにも簡単なことで、今後悩む必要すら無くなる。みんなを、守ることができる。
·········でも、これは最終手段にするべきだろう。まだ、考える時間はある。
「急には、決められないよ····だから帰ってもっと考えて、それから返事をしてもいいかな?」
「ええ、もちろんですとも。当然こんな話をされたら混乱してしまうのも仕方のないことでしょう。冷静に考えて頂いて、メリットとデメリットを比べた上で結論を出していただければよいのです」
恐ろしい男だと思う。こんなにもこちらに寄り添うような考えを見せてきて、しかし騙そうとしているのだから。たしかに黒服は嘘を一切吐いていないが、その代わり私のデメリットを全て隠している。その癖にメリットとデメリットを比べて結論を、なんてセリフを吐くんだから。
「クックック····ではまた、お会いしましょう」
そんな黒服の声を聞きながら私はオフィスビルを後にした。
◇◇◇
「梔子ユメさん。何かと混ざり合い他の生徒達とは全く違う存在。不可解な神秘を宿した生徒····」
「いや生徒、と表現することすら躊躇してしまいますね。他の誰とも·····キヴォトス最高の神秘を宿すホシノさんですらあれほど歪な存在ではなかったのですから」
「彼女がどのような選択をするのか。そしてホシノさんとの長期に渡る接触がどのような結果を生み出すのか。全てが不可解で、しかし興味深い」
「それに、彼女の存在は目を覚ましてから新たに変化している。それまでも少し歪でしたが、興味を惹かれるほどのものでは無かったのです。キヴォトス最高の神秘に注目していたから見逃していただけなのかもしれませんが·····」
「彼女が眠っている間にいったい何があったのか。テクストの変質など観測したことも、他のゲマトリアからも聞いたことがありません」
「·····もし····もしも彼女を契約により確保することができたのならば······」
「崇高に、1歩近づくことができるのかもしれませんね。クックック······」
オフィスには、男の笑い声が響き渡っていた。
◇◇◇
「はぁ·····ほんとにどうしようかな......」
黒服のいたビルを後にした私は家に帰って、ベッドの中で悩んでいた。····なんだか最近は寝付きが悪い気がする。不安だからなのかもしれないし、ずっと悩んでいるからなのかもしれない
「契約、ねえ....」
少しは冷静になれたおかげで黒服の取引に乗るなんてありえない、という考えも浮かんできている。
浮かんできてはいるが、じゃあ他にどうするの? という疑問も新たに浮かんでくる。実際何が正解なのか全くわからない。
対策委員会を失くしてしまうべきなのか存続させるべきなのか。黒服との契約を結ぶべきなのか断った方がいいのか。私にはもうわからないのだ。
キヴォトスで過ごすと、未来のことを考えると。先生の凄さを、強さを改めて実感してしまう。私はあの人のような覚悟を持ち合わせていない。だからこそ黒服に契約を持ちかけられただけで簡単に揺らいでしまうし、前回のような失敗だってしてしまう。
今悩んでいるのはよく考えずに中途半端なままここまで来てしまった罰なのかもしれない。現状のことでいっぱいいっぱいだったから、未来のことをここまで考えたことはなかった。ここまでの道のりはほぼ一直線だった。
こんなにも重大な選択をしたことはなかった。こんなにも悩んだことはなかったのだ。私は先生のような大人としての責任も、義務も、背負っていない。正しい選択がどれなのかなんて、わからないのだ。
思考がどんどんダメな方向に向かっている気がする。しかし、理解しても止めることができない。
夜の暗闇が私の心を表しているみたいだった。どんどん憂鬱な気分になっていく。
今日もまた、眠れる気はしなかった
黒服のエミュが難しすぎる。