アビドスユメモドキ 作:泡沫のユメ
独自解釈が多分に含まれています。
アビドスの市街地から離れたオフィスビル。薄暗い一室でのことだった。
先生が来てくれてからアビドスを取り巻く様々な問題が一気に進展している一方、カイザーに学校を狙われているという事実が発覚したことで、みんなの表情に精神的な疲れが見えていた。
そういうわけで明日は休みを取ろう、というノノミちゃんの案が満場一致で可決された。アビドスが小さな学校だからこそ許される暴挙である。
そして、本当は休みを利用して柴関ラーメンへ向かうつもりだったのに、目の前にいる彼──黒服のせいで全ての予定が崩れてしまった。
「お待ちしておりましたよ、梔子ユメさん。お久しぶりですね」
「う、うん。久しぶり……だね?」
なに、この……なに?
そんな久しぶりに会った友達みたいな対応をされても困るというか……私達、絶対そんな関係じゃなかったよね?
「クックック……お変わりなくお元気なようで、安心しましたよ」
「……ええ…?」
社交辞令としては普通の言葉なのかもしれない。でも、よりにもよって黒服にそんなことを言われているという事実にとてつもない違和感を覚えてしまう。
包み隠さずに言ってしまうとドン引きしている。
──黒服ってこんなことを言う人だったっけ…?
早速ここに来たことを後悔し始めていたが、残念なことに黒服の話を聞かずに帰るという選択肢は存在していない。
黒服から話をしたいという旨の連絡が来たときは、ここまで来るつもりは無かった。どうせまたろくでもない話を聞かされるのだろうし、ホシノちゃんに心配をかけたくなかったから。
でも、最後に添えられていた一言のせいで、私は黒服のもとに行かざるを得なくなってしまった。
『小鳥遊ホシノさんのことで、少しお話したいことがあります』
この一言だ。この一言のせいで無視をすることができなくなった。
最近のホシノちゃんは明らかに様子がおかしかった………というか、そもそも私に相談もしてくれている。
自覚できる程の異常がホシノちゃんの身に起こってしまっているのだ。
──黒服のもとに行けばその原因がわかるのかもしれない。ホシノちゃんを助けられるのかもしれない。
私は、そんな気持ちに逆らうことができなかった。
尚、ホシノちゃんについて私よりも詳しいのが許せなかったという気持ちも多分に含まれている。
私の後輩なのに。
と、そんなことを考えているうちに、黒服が話を始めた。
「少し、状況が変わったのです。本日は梔子ユメさんに新たなご提案をしようと思いましてね」
「提案……ね」
「ええ。ですが、その前に少し話をしましょう。ご連絡した通り、小鳥遊ホシノさんの件です。最近、ホシノさんの様子がおかしいことはユメさんもご存知ですね?」
無言で頷くと、黒服は笑みを深めたような気がする。口の部分にある亀裂のようなものが広がっていた。
「そうですね。簡単に言うなれば、あれは、中身の存在に引っ張られてしまっているのです」
「中身…?」
「ええ。ホシノさんの身に宿るキヴォトス最高の神秘、暁のホルス。アビドス砂漠に顕現しようとしている存在に、ホシノさんの神秘が呼応しているのです」
これはきっと、テクストだとか神話だとか、そういった話なのだろう。それらに精通していない私では、全てを理解することはできない。
気になっていることは、1つだけ。
「どうすれば、ホシノちゃんの状態は治るの…?」
「先程も申し上げた通り、アビドス砂漠に無理やり顕現しようとしている存在がホシノさんが苦しんでいる原因です。これを防ぐことができれば、ホシノさんはすぐに元通りになるでしょう。……ならば、何故アビドス砂漠に顕現しようとしているのか。因果という言葉があるように、そちらにも原因があります」
なんだか、黒服が口を開く姿が嫌に遅く感じる。彼の言葉を聞くべきではないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
それでも、時間は待ってくれない。耳を塞ぐ時間も、逃げる時間だって私にはないのだ。
「アビドスの地に彼の存在が顕現しようとしている原因……それは、梔子ユメさん。あなたを狙うためです」
それは、つまり。私が……
「端的に申し上げますと、梔子ユメさん。あなたがアビドスの地を去れば、ホシノさんの状態は改善されることでしょう」
「…………そっか」
きっと、心のどこかではわかっていたのだろう。
原作にはなかったはずの、ホシノちゃんの苦しみ。
それを生み出しているのは、いったい誰なのか。
そんなもの、考えるまでもない。
──私のせいだ。
妙な納得感があったし、驚く気持ちも、反論をする気力も湧いてこない。
ただ、喉の乾きと嫌な汗。鼓動の加速だけを感じていた。
「……もう少し、何か反論をされると思っていたのですが」
そう言っている黒服に反応をするような余裕はない。
──私のせい。私のせいで、ホシノちゃんが苦しんでいる。
その事実を受け止めるのに必死だったから。
「正確には、あなたに宿っている神秘が原因です。本来は学園都市となったキヴォトスに降り立つことのなかった存在が、ユメさんを狙うため、顕現しようとしているのです」
「それが、どうしてホシノちゃんに……」
「ホルスとユメさんを狙っている存在は宿敵であり、敵対する者。そんな相手が近くにいるのですから、暁のホルスであるホシノさんの気が立っているのは当然のことと言えるでしょう。今はユメさんの力もあって抑え込めているようですが……いずれ、限界が訪れます」
限界。
その言葉が、嫌に耳に残った。
何が起こるのかも、黒服が何を言っているのかも、全てを理解できているわけではない。でも、ホシノちゃんにとって何か良くないことが起こってしまうということは、簡単に察することができてしまう。
きっと、黒服が言っているのは本当のことなのだろう。
宿敵だとか、敵対するものだとか。そういったことはよく知らないけど、黒服はこんな下らない嘘をつかない。そこだけは信頼している。
それに何よりも、ホシノちゃんの様子がおかしかったことと辻褄が合ってしまう。その原因が、原作にはいない私だと言うことも。私がいなくなれば、元通りになることまで。
ただ、1つ気になることが……
「私の力…?」
「おや……無自覚でしたか」
黒服の言う、私の力。
会話の流れから察するに、私が何かをして、ホシノちゃんの助けになれている。
それ自体は嬉しい。その言葉で、幾分か持ち直せたような気もする。
でも、本当に自覚がないのだ。
たしかに相談をされた時、ホシノちゃんが寝れるよう私の家に泊める提案なんかはしてみたし、実際に効果もあった。でも、黒服がそれのことを指しているようには思えない。
「無自覚……しかし、それであれほどの…?」
黒服は、何かをブツブツと呟きながら思案に耽っている。私が無自覚だったことに、少なくない衝撃を覚えている様子だった。
「………ユメさん。あなたは何ともないのですか? どこか体調が悪かったり、何か違和感を覚えたりもしていないと?」
「急にどうしたの…? 別に、体調は普通だけど………というか、最初に自分でも言ってたよね?」
突然どうしたのだろう。そもそもの話、仮に私の体調が悪かったとしても、黒服が心配をする理由は無いような…?
その後も少し考え事をしていた黒服は、ふと我に返ったのか、話を再開した。
「………失礼。話が逸れましたね。ユメさんへのご提案の件です」
そうだ。最初に黒服がそんなことを言っていた。でも、どうしてホシノちゃんの話を……
「申し上げた通り、『状況が変わった』のです。何が、どう変わったのか。それらをユメさんに説明する必要がありましてね」
多少持ち直したとはいえ、気分は最悪なままだ。そんな状態で黒服の提案を聞かなければならない。その事実だけで、気が滅入ってしまいそうになる。
「ユメさんにはアビドスを退学してもらい、私共の企業に所属していただきたい。もちろん、アビドスからも離れていただくことになります。しかしそうすれば、彼の簒奪者もアビドスの地を離れ、ホシノさんも元通りになるでしょう」
それは、1年前に聞いたものと同じ契約だった。黒服の言う通り、状況には天と地ほどの差があるが。
「それに、あの時話したこともありましたね。アビドスの借金も半分とは言わず、私が全て支払いましょう。もちろん、ホシノさん達があの学校に通えるよう手配もしておきます」
破格の提案。その一言に尽きる。
私にはホシノちゃんを助けられる具体的な方法がわからないのだ。その点も黒服に任せれば、なんとかなるのだろう。彼は契約を重んじる性格だ。私が1人アビドスを去るよりも確実にホシノちゃんを助けられる。
それだけではない。アビドスの借金だって全て無くなるのだ。
原作知識……未来の知識という明らかなチートを持っておきながら、借金塗れの学校生活を後輩達に強いてきた私には、酷く魅力的な提案に映る。
ホシノちゃんを助けられる。アビドスも、他の後輩達も守れる。
私は……
◇◇◇
「オシリスの神秘を宿す彼女には、暁のホルス以上の負担がかかっている筈。だというのに、以前会った時と変わらない印象だった……」
1人きりになったオフィスビル。
彼は、自らの思考をまとめるため、誰に聞かせるわけでもなく言葉を続ける。
「……本当に。彼女はいったい、何者なのでしょうか。生徒のテクスチャを被ったオシリスの神聖。それ以上の何かが…?」
皆目見当もつかない。それが素直な感想だった。小鳥遊ホシノの件が失敗した時の保険として観察を続けていたが、考えても考えても答えを見つけられない。
それに、保険に手を出さざるを得ない状況にも陥っている。それもこれも、オシリスを狙っているセトが原因だ。
セトのせいで、小鳥遊ホシノへの実験は中断せざるを得なくなってしまった。
あんな状態では、あんなにもセトの恐怖に曝されている状態では。自分が用意した恐怖程度で望む結果を得られるはずがないからだ。実験に失敗は付き物だが、だからと言って、目に見えている間違いを犯すような真似をするつもりはない。
ただ、落胆の気持ちはあまりなかった。今の自分の興味は小鳥遊ホシノではなく、梔子ユメに向いていたからだ。
「セトが、上手くオシリスを認識できていない…? しかし、何故そんなことに……」
セトがオシリスを狙っている。これは確かな事実だ。それが逸話通りなのだから。
アビドスの生徒会長を降り、王権を捨てたとはいえ、アビドスを去ったはずの、仕留めたはずのオシリスが復活して戻ってくる。その事実が、セトの逆鱗に触れてしまったのだろう。
その憤怒が、砂嵐という形で砂漠にも現れてしまっている。なればこそ、梔子ユメが何も感じていないというのは、やはり何かがおかしい。
何か勘違いをしている可能性も考慮し、何度も何度も前提を疑ってみたものの、それでも解明の糸口は見当たらなかった。
セトが狙っている以上、梔子ユメの神聖がオシリスであることは疑う余地もない。
また、小鳥遊ホシノの状態から、彼女を狙っているのがセトだということも。
だというのに、彼女だけが……梔子ユメだけが普段通りで、理から外れている。
「神聖が弱まっている? 生徒と、学園都市のテクスチャ故に…? ならば……なぜ、両名で差異が……」
そんな呟きが暗闇に溶けていった。