アビドスユメモドキ 作:泡沫のユメ
天雨アコは焦燥に駆られていた。
作戦が、ヒナ委員長に無断で強行した作戦が失敗しかけているからだ。
作戦の目的であったシャーレの先生の指揮は、チナツの報告書にもあった通りで、なるほど見事なものだった。想定を大幅に上回っていたと言わざるを得ない。
人数の差を覆すような的確な指示で、普段ならとっくにダウンしているであろう便利屋すら、1人も倒すことができていない。
でも、それだけなら問題はなかった。いくら卓越した指揮能力があろうとも、人数に絶対的な差がある。いつかは押し切れるはずだった。
だというのに、押し切るどころか押し返され始めている。原因はわかりきっていた。
本当の原因は、小鳥遊ホシノというアビドスの生徒だ。
どれだけ追い込もうとしても、彼女のいる場所から瞬く間に包囲が食い破られていく。数の利もなにもあったものではない。
あまりの速さと身体が小柄なこともあって、ただでさえ攻撃を当て辛いというのに、数発当たった程度では怯みすらしない。彼女1人に部隊がどんどん壊滅させられていく。既に風紀委員の半数近くが戦闘不能に陥っていた。
──あれではまるで、ヒナ委員長のような……
そこまで考えて、アコは誤魔化すように首を振った。この作戦が失敗するわけにはいかないからだ。
委員長の不在につけ込んでの独断だけでも怒られるだろうに、作戦まで失敗してしまえば合わせる顔がない。
それに、何の成果も上げていないわけではないのだ。小鳥遊ホシノ以外の生徒は少し息を切らし始めているし、銃弾の数にだって限界がある。なんとかなるはずだ。
そう思って攻撃の指示をしようとした瞬間、通信が入ってきた。出鼻をくじかれたような気分になって、つい通信端末を睨みつけてしまったが、相手を見てそれどころでは無くなる。
「ひ、ヒナ委員長!?」
無視をするわけにもいかず対応をするが、アコの頭はどう誤魔化すかでいっぱいだった。
『アコ。今、どこにいるの?』
「え、ええと。ゲヘナの近郊をパトロールしている最中に、便利屋68を見つけたんです! それで、捕らえるために指揮を執っていて外に……」
アビドスの生徒が嘘じゃん! と叫んでいる声が遠巻きに聞こえる。通信に入っていないことを祈るしかない。
『………そう。なら、私も向かった方がいいかしら』
「い、いえ! 委員長のお手を煩わせる程の状況では! イオリもいますので、私達だけで問題ありません!」
アコは安心していた。きっと誤魔化せたのだろう。ならあとは、急いでアビドスと便利屋を倒して……
『『……他の学園の自治区で、風紀委員会のメンバーを独断で運用しなければならないような状況なのに?』』
「……え?」
声が二重に聞こえて前線を見てみると、憤怒の表情を浮かべたヒナ委員長の姿が見えた。
目の前のホログラムと、前線の委員長。2人分に睨まれたアコは冷や汗が止まらなくなった。
『アコ。この状況、詳しく説明してもらう』
◇◇◇
『あれは……ゲヘナの風紀委員長、空崎ヒナさんです。外見情報も一致していますし、風紀委員会側の態度を見るに本人で間違いないようですが……』
先生は、アヤネの言葉で戦闘が収まった理由を察することができた。本来命令をしていたはずのアコ。彼女より上の立場の委員長が現れたことで、風紀委員達はどうすればいいのかわからなくなってしまったのだろう。今が、話し合いをするチャンスかもしれない。
「まずいことになったね……」
そう思っていた先生とは真逆のような言葉をカヨコが呟いた。よく見ると、アルやムツキ、ハルカも冷や汗を流している。
「なんで? 1人増えただけじゃない」
「ヒナは、風紀委員会全体の戦力を1人で賄えるくらい強いんだよ。ゲヘナ最強……どころか、キヴォトス最強だって噂もあるくらいにね。私達も、ヒナが相手じゃ手も足も出せない」
カヨコの言葉でセリカは押し黙った。アコを睨んでいるヒナからはそれ相応の圧力を感じるから、そのせいもあるかもしれない。
「それに、さっきはアコの独断だって言ったけど、結局は私の推測でしかないからさ。もしもヒナが私達と敵対するようなら……かなり厳しい状況だよ」
「ホシノ先輩もいるから、きっと大丈夫」
「……ヒナが相手なのに、大丈夫かもしれないと思えちゃうのが怖いところだね」
小鳥遊ホシノがいなかったら多分私達も逃げてたよ、とカヨコは締めくくる。
そんな話をしているうちにあちらでは話が纏まったのか、アコが通信を切って、ヒナがこちらに視線を向けながら近づいてくる。──瞬間、ヒナが目を見開いた。
「……小鳥遊ホシノ…?」
「なに。風紀委員長ちゃんは私のことを知ってるの?」
緊張感が高まる。ヒナはともかく、ホシノは今すぐにでも発砲してしまいそうな雰囲気を纏っていた。
「……情報部にいた頃、各自地区の要注意生徒達をある程度把握してたから。特に小鳥遊ホシノ。あなたのことを忘れるはずがない。あの事件の後、アビドスを去ったと思ってたけど……なるほど。あなたがいたからこうなったのね」
ヒナがそう言いながら、周囲で倒れている風紀委員達を一瞥する中、ホシノは……
「……君に、何がわかるのさ」
今まで聞いたことがない、底冷えするような声でそう告げた。殺意すら籠っているように感じる。
「っ!」
ホシノの態度に、ヒナや便利屋だけでなく、対策委員会の子達も驚いていた。ノノミだけは顔を顰めていたが。もちろん、先生だって驚いている。ヒナの言う事件。そこで一体何が……
「ホシノちゃん!!」
その時。連絡が付かなかったユメがやってきた。ここまで走ってきたのだろう。息を切らしている。
「ユメ先輩…?」
「……梔子ユメ」
その場にいる全員が呆然としている中、ホシノとヒナが呟く。先程までのホシノの雰囲気は、既に収まっていた。
「……小鳥遊ホシノ、ごめんなさい。さっきの言葉は、配慮が足りていなかった」
「………うん。いいよ」
ヒナはホシノに謝ったあと、風紀委員達に向き直った。
「撤収準備、帰るよ」
風紀委員達だけでなく、対策委員会と先生も驚いた。このまま戦うのか、或いは何か話し合う必要があると思っていたからだ。
驚愕が収まらぬ中、ヒナはもう一度こちら側に向き直り、頭を下げた。
「事前通達無しでの無断兵力運用。そして、他校の自治区で騒ぎを起こしたこと。このことについて。私、空崎ヒナがゲヘナ風紀委員会の委員長としてアビドスの対策委員会に公式に謝罪する。……便利屋も、今回は見なかったことにする」
そう告げたヒナを見て、更に戦おうという気になるはずもなく。対策委員会も矛を収めた。──1人を除いて。
「ちょっと待ちなさい! 柴関ラーメンはどうするつもりなの!?」
「……柴関ラーメン?」
セリカの言葉にヒナが顔を上げる。その顔には疑問符が浮かんでいた。
「そうよ! そこの便利屋を捕まえるために、あなた達が砲撃を撃ち込んだんでしょ!?」
セリカの話を聞いたユメがショックを受けたような顔をする中、ヒナが風紀委員に向き直る。
「イオリ。彼女の言葉は本当なの?」
「あ、う……うん。本当だ。迫撃砲をあの店に……アコちゃんがもう退去してるだろうからって」
「……」
ヒナは表情を憤怒に染めた後、ため息を吐いて、セリカに謝罪をした。
「……後日、建物の補填と正式な謝罪を店主にも行うわ。今はこれで、どうか許して欲しい」
その言葉でセリカも溜飲を下げ。風紀委員会達はアビドスから撤退していく。対策委員会はユメに駆け寄っている。
「シャーレの先生、あなたに伝えておきたいことがある」
そんな中、ヒナに話しかけられた。
◇◇◇
「ユメ先輩、どこに行ってたの? アヤネがあんなに連絡してたのに……」
シロコちゃんの責めるような口調に、私は答えることができない。誤魔化すことしかできない。
「ごめんね、ちょっと用事で遠いところにいて……連絡に気付いてからは、走ってきたんだけど……」
そう言ってみても、シロコちゃんは納得していないようだった。"用事"の具体的な内容を知りたいだろうことは簡単に察せられる。
それでも……私は、何も答えられない。
「まあまあシロコちゃん。ユメ先輩も用事が終わったらすぐに来てくれたんだしさ。今日は大変なこともあったし、1回解散して、明日また集まって話し合おう?」
ホシノちゃんが助け舟を出してくれる。どこか不満そうな顔をしてはいるが、シロコちゃんも納得してくれた。
先生と話し終えたヒナちゃんが風紀委員を連れてゲヘナへ撤退していく。
ヒナちゃんの姿を見届けたあと、ホシノちゃんと共に帰路についた。ホシノちゃんはその後、何も聞いてこなかった。
気を遣ってくれたのか。他に何か理由があったのかは分からないけれど、ありがたい。
その日の夜、大規模な砂嵐がアビドス砂漠で吹き荒れていた。
◇◇◇
翌日の早朝、一度学校へ向かったあと、アヤネちゃんとセリカちゃんと一緒に大将のお見舞いに来ていた。
「大将、大丈夫?」
「やあ、セリカちゃん。それに、ユメちゃんとアヤネちゃんも。こんな早い時間からありがとな。身体の方は、軽い怪我をしたくらいでなんともないさ。直ぐに治るってよ」
「よかった……」
本当によかった。ホシノちゃんから経緯を聞いた時は、少しだけ流れが原作と違っていて、何かよくないことが起こってしまったのかもしれないと、不安だった。
「でも、大将のお店が……」
「それなんだがな。さっき、ユメちゃん達が来る前に来た風紀委員会の子達から謝罪と一緒に補填の資金を貰ってな。身体が治ったらすぐにでも店を開けるって状況さ」
「! 本当!?」
「ああ。だから、セリカちゃんのバイト先も心配ないぜ。退去通知のこともあるし、屋台にはなっちまうだろうが……」
大将の言葉にアヤネちゃんとセリカちゃんが疑問符を浮かべている。
「退去通知……ですか? アビドス自治区の所有者は、アビドス高校のはずじゃ……」
「……そうか、君たちは知らなかったのか………何年か前。それこそ、ユメちゃんが入学するよりも前の話だな。アビドスの生徒会が借金を返せなくて、建物と土地の所有権が移ったんだ」
アヤネちゃんとセリカちゃんの表情が驚愕に染まる。
大将の言う通り、アビドスの土地の所有権は、既にカイザーに渡ってしまっている。
私はそれを知っていたのに。時間だってたくさんあったのに。何もできなかった。何も変えられなかった。
「……セリカちゃん、ユメ先輩。先に学校へ戻っていてください。私は確認したいことがあるので、ちょっと別のところに寄ってから行きます」
「え、アヤネちゃん…? よ、よくわからないけど、私も一緒に行く! 大将! またね!」
そう言って、アヤネちゃんとセリカちゃんはどこかへ行ってしまった。病室で大将と2人きりになる。
「はは、あの子達は元気だな。あんな子達がいるなら、アビドスもまだまだなんとかなりそうだ」
「……うん。アヤネちゃんもセリカちゃんもすごくいい子だし、アビドスのためだって言って、ずっと頑張ってくれてるから……2人とも、自慢の後輩だよ」
アヤネちゃんは1年生とは思えないほど優秀だ。手先も器用だし、知識も豊富。原作のことを知らなければ、私の知識なんてアヤネちゃんの足元にも及ばないのだろう。
セリカちゃんはたまに騙されて変なものを買っちゃうけど、誰よりもひたむきに頑張っている。休む暇すら惜しんでアルバイトに励んでいるくらいだ。
「………なあ、ユメちゃん。なんかあったのかい? 3年前くらい、とまでは流石にいかないが。あの子達がいなくなってから、酷い顔してるぜ。それこそ、ホシノちゃんだったか。あの娘が入学してくる前みたいなさ」
「……え?」
「気付いてなかったのか? 多分、後輩がいなくなって気を抜いちまったんだろうが……」
私は今、どんな顔をしているんだろう。ぺたぺたと顔を触ってみても、よくわからない。
「……俺に話してみちゃくれないか? そんなに力になれるとは思えないが、これでもユメちゃんよりは長く生きてるんだ。話を聞くくらいはできる」
言ってしまっても、いいのかな。大将の好意に甘えても、いいのかな。私の身勝手でみんなに……ホシノちゃんに迷惑をかけてるんだって。私は全部知ってたのに、何もできなかったんだって。
………言えない。これは、私の責任だから。私が、なんとかしなきゃいけない問題だから。
そう考えて、1つ気になっていることを聞くことにした。
「……ねぇ、大将。大将はどうして、お店を続けることにしたの? 退去通知も来てるし、色々大変なこともあるでしょ…?」
「まあ、困ることがないと言えば嘘になっちまうが……でも、ユメちゃんがまだ頑張ってるからな」
予想外の返事に驚いて、目をぱちぱちとさせてしまう。
私が理由…?
「昔店に来た時、アビドスが復興するその時まで諦めないって、そう言ってくれただろ? ユメちゃんは実際に、ずっとアビドスのために頑張ってくれてる。借金もちょっとずつだけど減ってるって、セリカちゃんから聞いたぜ?」
大将の言う通りだった。原作の借金がいくらだったのか。そこまで細かいことは流石に覚えていないが、今のアビドスの借金は約8億9000万まで減らせている。長い道のりではあるが、きっと全て返すのも不可能では無い。
「それに俺も、『また腹が減ったら来てくれ』って言っちまったからな。ユメちゃんがアビドスを復興させるその時までは、俺もやめるわけにはいかないさ。店がないんじゃ、来れる場所がなくなっちまう」
大将の言葉を聞いて、少し気が楽になったような気がする。
私は、何もできなかったわけじゃないのかもしれない。少なくとも、大将にとってはそうなのだ。
今、私がやるべきことは……
「……大将、ありがとう」
「おう。まあ、よくわからねえが……顔はマシになった気がするぜ。頑張れよ、ユメちゃん」
そんな大将の言葉を聞きながら、ユメは病室を後にした。
◇◇◇
アヤネちゃんとセリカちゃん、そして、ユメ先輩が大将のお見舞いに向かったのを見届けて、ホシノは空き教室へと足を運んだ。
シロコちゃんから見せたいものがあると、相談したいことがあると、呼ばれていたのだ。
「あれ? 先生?」
"……ホシノ? シロコに呼ばれたと思ってたんだけど……"
その言葉で納得する。きっとシロコちゃんは、ホシノと先生の2人に相談をしようと思ったのだろう。先生にも伝えると、納得したように頷いていた。その後少しして、シロコちゃんも教室に入ってくる。
「ん……ホシノ先輩、先生…」
シロコちゃんは、不安そうな表情を浮かべている。こんな顔をしているシロコちゃんを見るのは、シロコちゃんを拾った日以来かもしれない。
できるだけ優しく聞こえるように。ユメ先輩のように、シロコちゃんに質問をする。
「シロコちゃん、相談したいことって?」
「これ……」
シロコちゃんが取り出したのはなにかの書類だった。受け取って、上から順に読んでいく。ある一点で目が止まった。
──退学届
そんな文字が視界に飛び込んできて、ホシノは頭が真っ白になった。