サンディエゴ……ウィンキーの町を発つ日がやってきた。
最後に全員で、なんだかんだで世話になった伊原さんへ挨拶をすることにした。
ここで手ぶらのまま出ていくのも違うだろうと思って、夜なべして袋いっぱいのクッキーを手土産として用意した。
塔の下にある事務所にやってくると、窓から、やはり伊原さんがバタバタと書類を持って走り回っている光景が見えた。
「伊原さん、本日はお別れに――」
「――ああ、もう行くのか。それじゃあもう戻ってくるなよ」
伊原さんは話の途中で両手で書類の山を抱えたまま、足で器用にドアを蹴ってバタンと勢いよく閉めた。
どうしよう……あまりに塩対応すぎてリアクションに困る。
「今のはあんまりすぎるので少しくらいは挨拶をしましょう」
今度はモリ君がドアを開けようとノブを掴むと、ドアを開ける前にガチャリと中から鍵をかけられる音がした。
「忙しいっつってんだろ。ここではそういうマナーとか要らないから早く行ってくれ。私は忙しいんだ」
事務所の中から扉越しに声だけが聞こえてきた。
「それとも何か? ここで私の仕事を手伝ってくれるのか? もしそうなら老衰するまで一生分こきつかってやるぞ」
「それはちょっと……」
拒否を示すと、事務所の窓から手だけが飛び出してきて、帰れと言わんばかりにパタパタと振り始めた。
ただ、顔を一切出そうとしない。
「湿っぽいのは嫌いなんだ。いなくなるやつの顔も見たくもないし、合わせたくもない。さっさと出て行ってくれ」
「本当に色々と助かりました。ありがとうございました」
「だからもう何も言うな。長引かせるな」
窓から出た手にクッキーを入れた布袋を持たせた後に俺たち10人は事務所に向かって頭を下げた。
そのまま離れようとすると「頑張れよ」と小さい声が聞こえて来た。
伊原さんの意向を汲んで、振り返りはしなかった。
そのまま事務所を後にする。
「本当に最初から最後まで面倒くさい人だよ。悪い人じゃないんだけど」
「でも本人曰く、邪神の化身だって」
「使う力からしてそれは事実。ただ、それ以上にこの世界が好きで、それだけに、よそ者に好き放題されたくないってことなんだと思う」
俺たちに「日本へ帰るのは諦めろ」と言ったのはそういう意味もあったのかもしれない。
この世界は良いところだから、わざわざ帰らなくてもいいと。
老衰するまでこきつかってやるというのもそういう意味だろう。
死ぬまで面倒を見てやると。
だが、俺たちは日本へ帰ると決めたのだから、こんなところで諦めるつもりはない。
最後にもう一度事務所へ向かって深く頭を下げた。
◆ ◆ ◆
全員の荷物を車に詰め込んだ後に乗り込んだ。
さすがに10人とその荷物を積み込むと若干の狭さは感じるが、仕方がない。
もう運営はいないので変なちょっかいなどはないだろう。
前のサルナスのようにたまたま立ち寄った町で問題が起こっているなどがなければ基本的には戦闘は回避の方向だ。
まずはエンジンを起動。
振動はほぼなく、モーターの回転音のような小さい音が聞こえるのみだ。
ただし、運転席周りの計器類が一斉に点灯するので、エンジンが始動したのはすぐに分かる。
「エーテル残量よし。車体状態チェックよし。いつでも出られます」
空中に浮かんだ半透明のSF風コンソールを指で叩いてメニューを操作する。
これからの旅の相棒だ。
操作については一通り慣れないといけない。
これほど大きな車に乗るのは初めてなので、ハンドルやアクセル操作も覚えていく必要がある。
「カーターはよくこんなデカい車をいきなり運転できたな」
「土木課をなめんなよ。重機免許も一応取ってるぞ」
「すごいなお前」
「その上で、オレの愛車はV8エンジン搭載のアメ車だ。その延長と思えば余裕よ」
「なんでそんなデカい車に乗ってんの?」
カーターは前からアメカジやアウトドア好きなのは知っていたが、自家用車までそんなのに乗っているとは知らなかった。
そう言えば前に先祖が貿易商うんぬんとか言っていたのを思い出した。
それなりの金持ちのボンボンなのか、こいつは。
まずは周辺地図を表示させる。
おそらくは現在位置が表示されてナビのように使える機能だと思うのだが、信号がロストされていると表示が出て現在位置は取得できない。
運営がこの世界から撤退したためにGPS的な何かが使えないからなのだろう。
だが、地図が表示されるだけでも十分だ。
太陽の位置や山や川の形からだいたいの現在位置くらいは分かる。
「こいつの速度を考えると今日中にはサルナスにまで戻れそうなんですよね」
「サルナスからはどうする?」
「街道沿いに進んでテロスで一泊。そこからフラニスまで進んで一泊。そこで情報収集ですね」
地図を動かしてルートを確認する。
「ここまで来るまでの時間と苦労はなんだったんだろう」
ウィリーさんが悩み始めたが、ここに来ないと車を手に入れることはできなかったのでそんなものだ。
サルナスからフラニスまでの移動距離と時間を考えると、うまくいけば、馬車で移動中のフォルテやアデレイドたちに途中で追いつけるかもしれない。
もしそうなれば渡りに船だ。
そのまま次元の異常についての調査に協力してもらいたいところだ。
「あとは第4チームにも連絡を取りたいところですね。おそらくタウンティンの軍に保護されたと思うのですが」
「連絡のために無線機が欲しいところだな。この万能の車には無線機能は付いていないのか?」
「運転席には無線用のハンディマイクみたいなのが付いてるから使えると思うんですが」
メニュー欄を開いて見ていくとラジオコントロールの項目があった。
この場合のラジオとは無線通信の意味で合っているはずだ。
「この中世の世界で電波を飛ばしている存在なんてタウンティンの軍関係だけだと思うので、周波数スキャンをかけて、何か声が聞こえたら呼びかければ大丈夫かと」
「それで検知できるのかね?」
「この車の無線の性能とタウンティンで使用している無線の電波の強さ次第ですね。まあこの世界には通信衛星も中継アンテナもないので近くに寄らないとダメだと思いますが」
無線機能をオンにすると、いきなり一定間隔で送信されている信号が検知された。
5秒に1回の規則正しい間隔で電波による信号が放出されている。
ただ、音声ではなさそうだ。
ポーン、ポーンというモノトーンの音だけが車のスピーカーから再生されている。
周波数のスキャンはまだ行っていない。
これはこの車のデフォルトで設定されている帯域に流されている電波信号ということになる。
つまり、運営が使用している何かの機能だ。
「なんだこれ?」
「ノイズか何かではないのか?」
「いえ、ノイズにしては規則的すぎます。何かの機器が出している信号かと」
念のためにカーターの腕を引っ張って腕時計の秒針を見ても間違いはない。
信号のオンオフの長さは全く同じなので、モールス信号ということもなさそうだ。
電波の方向と強さからだいたいの発信位置を探ってみると、信号は南側から発信されているということだけは確認できた。
「ビーコン的な何かだと思います。現在位置を伝えるための何かの信号」
「現在位置を伝えるとしても何のために?」
「この車は元々運営の備品ですよ。こいつが無線信号を受信できるってことは、逆に言うと運営の関係者に何かを伝えようと出している信号ってことです」
「運営はこの世界から撤退したはずなのでは?」
「自動的に動作する装置なのかもしれません」
俺はハセベさんに人差し指、中指、薬指を立てて見せた。
「ここで考えられるのは3つ。運営は別に撤退などしていなくてまだ何かこの世界で企んでいる。もう1つは運営の意思とは無関係に自動実行される機械が動いている。もう1つは次元の歪み的な何か」
「現状はそれ以上情報がないというわけか」
「はい。単調な電波でしかないので、行ってみたら自然現象がたまたま電波を発していたとか、タウンティンの観測機器か何かでしたという可能性がないとは言い切れません」
何を判断するにも情報が不足すぎているのは事実だ。
まずは現地の情報を確認したい。
「もちろん、これは俺の一存では決められません。そこで多数決を取ろうと思います」
「多数決なんて必要ですか?」
モリ君が不思議そうに言った。
「この距離で伊原さんが放置しているということは、気づいていない証拠です」
「運営や次元の歪み関連ならば、調べておいても損はないってことか」
「ええ。もしかしたら、何かの企みの可能性もあります」
モリ君ならばそう言うだろうと思った。
伊原さんが気づいていない理由として考えられるのは、これは魔力とは関係ない、科学の電波だからだ。
しかも、無線の受信機があって、周波数を合わせて、ノイズと勘違いしてもおかしくない単調な信号を違和感として気づかないとダメ。
これに気づけないのは失態ではない。
むしろ俺たちが気づけたことすら奇跡のようなものだ。
「みんなもそれでいいかな?」
「何もない可能性だってあるんだろう。なら一応チェックくらいはしておくべきだ」
「そうですよ。この車ならすぐに行けちゃうんでしょう」
ウィリーさんとガーネットちゃんも肯定的意見だ。
エリちゃんや子供たち、タルタロスさんも異論なし。
「ということだ。全会一致なので、まずは近くの信号から調査してみよう」
ハセベさんが締めてくれた。
俺は全員に頭を下げた後に運転席へと座りハンドルを握った。
「それではこの町でやり残したことは?」
「ありません!」
では出発だ。
まずは信号の発信源を目指して出発だ!