エリスが倒れていた。
血だまりは、どういう理屈か消えていた。
それでもまだ傷口から血が噴き出している。
どうしてこうなったんだろうか?
頭の中が一瞬真っ白になった。
急いで彼女に駆け寄って
なのに、体が思ったように動いてくれない。
「結依が……待ってるんだ」
無理矢理体を動かして横たわるエリスに近寄り、
「今度こそ……結依を助けてみせる」
◆ ◆ ◆
早く帰ろうと思ったタイミングで担任教師に捕まった。
先月の文化祭から教室の隅に置きっぱなしで展示物「だったもの」になったゴミ。
それを校舎裏のゴミステーションに運ぶという面倒な仕事を押しつけられてしまった。
俺、
ただの帰宅部の生徒にすぎない。
たまたま担任教師が教室の隅にゴミが残っていることに気付いてしまい、たまたま近くにいた俺に声がかかったというだけ。
文化祭の展示内容は「町の歴史紹介」。
地味で客を呼べない割に、労力だけはそれなりにかかるものだった。
弥生時代に人が住んでいただの、昔に北条氏が支配していた時にはたたら場があっただの。
日本全国どこにでもありそうな、特に面白みのない普通の歴史。
面白そうなのは、明治時代に外国人宣教師が建てた教会の跡地が学校になったとかそれくらいだ。
展示物の製作にはかなりの手間と時間をかけたので捨てるには惜しい。
だけど、自宅に持ち帰るほどのものではない。
文化祭後は持ち帰り自由としたはずなのに誰も持ち帰らないという、なんとも言えない微妙な立場の代物だった。
そして、それらは本日、微妙な立場から正式にゴミへと立場が変わった。
ゴミ収集箱に集められたそれは、数日後には業者に回収されて町のゴミ処理センターで燃やされて灰になるだろう。
面倒な仕事を押しつけられた気持ち。
微妙に惜しいと思いつつも、やっぱりいらないという複雑な気持ち。
色々な感情で億劫になりながらも校舎裏に向かった。
そこに一人の女子生徒がいた。
幼稚園の頃に今の自宅に引っ越した時から隣に住んでいるユイちゃん……結依。
自宅の隣に住んでいる
特徴的なお下げ髪は小学校低学年の頃から何も変わっていない。
少し痩せたくらいか?
目の下に少しクマがある。疲れているのだろうか?
「こんなところで何してるんだ?」
「別に」
素っ気ない返事に冷ややかな目。
思えば小学校低学年以来の会話だった。
家は隣同士、同年代ということもあり、昔はよく遊んでいたおぼろげな記憶はある。
だが、小学校高学年くらいから女の子と遊ぶのは恥ずかしくなってそれきりである。
それでも何かしら縁だけはあるのか、中学校、高校と同じ学校で同じクラスだった。
ただ、ろくに会話をした記憶がない。
「俺はゴミ捨てだよ」
「それ文化祭のものじゃ……勝手に捨てていいの?」
「先生がゴミって言うからゴミなんだろ」
「みんながゴミと言うなら、そうなんだろうね」
記憶を辿ると小学校の頃のゆ……品田さんはもっと明朗快活な性格だったはずだ。
だけど、今は表情も口調も淡泊。
声も枯れていて、掠れている。
あまり話し慣れていないようだった。
よく遊んだアヤちゃんと勘違いしていたか?
「これなんて作るの苦労したのにな。昔に町で発掘された勾玉のレプリカ」
古墳時代に作られた、翡翠を削り出して作った勾玉が、町のあちこちにある古墳から見つかったらしい。
うちの学校が建っている場所にある古墳からも見つかったとか。
それをペンダント状に加工して展示していた。
もちろん、現代だと翡翠なんてそんな簡単に手に入るものでもない。
なので、自宅近くの河原で拾ってきた、比較的透明で綺麗な石を工作室の機械で削って作った。
後で歴史教師に
「ああ、それは石じゃなく割れたビール瓶の欠片な」
と馬鹿にするように言われて、なんとも言えない気分になったのも良い思い出である。
「誰が作ったの?」
「俺だよ。これ一個作るだけでも何時間もかけて、苦労したんだよ」
「要らないなら私が貰ってもいいかな?」
「まあ捨てるくらいなら誰かが貰ってくれた方が良いかな。俺も頑張って作った甲斐がある」
勾玉で作ったペンダントを渡すと、初めて笑顔が見えた。
「私が……持っていてもいいの?」
「もう1個あるしな。俺も貰っておくか。お揃いだ」
「ゴミじゃなかったの?」
「みんながゴミと言っても俺にとってはゴミじゃない。品田さんにとってもゴミじゃない。それで良いんじゃないか?」
素材は単なる資源ゴミだったかもしれないが、俺の手が入った以上は俺の創作物と言えなくはない。
それに高校の文化祭の思い出の品でもある。
そう考えると担任の言葉が急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。
これのどこがゴミなんだ。俺の労力を返せ!
品田は頷いて勾玉のペンダントを大事そうに抱えて校舎裏から走っていった。
喜んでもらえて俺も嬉しい。
俺にとってもこのペンダントは宝になった。
その日の晩は子供の頃に品田……結依と遊んだ時の夢を見た。
◆ ◆ ◆
翌日、昼休みに結依が1人で弁当の包みを持ってどこかに消えていくことに気付いた。
その翌日も、さらに翌日も。
クラスの誰かと食事を取ることなく、1人でどこかに消えていく。
ある日、どうしても気になって俺は彼女の後を追った。
彼女は例の校舎裏のゴミステーションの裏に座り込むと、キョロキョロと周囲を警戒するように見回した。
何かを過剰なまでに恐れているようにも見えた。
周りに誰もいないことを確認した後で、弁当箱を開けて1人で食べ始めた。
「品田さん」
俺が声をかけると何か恐ろしいものを見たかのように結依が大げさに飛び上がった。
いくらなんでも驚きすぎだ。
別に誰かに命を狙われているわけでもないだろうに。
「カ、カズ……こ……もりくんがなんでここに?」
結依がどもりながら言った。
こもりくんか。
名字で呼ばれるという他人行儀な態度に少しショックを受ける。
いやそれは品田さんと呼んでいる俺も同じなのか。
時間が2人の間にこれだけ大きな壁を作ってしまった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
「気になったから」
照れ隠しでわざとドスンと音を立てて、ぶっきらぼうに彼女の横に腰掛ける。
怯えたような顔をして結依が俺の顔を見たのが、少しだけショックだった。
「1人?」
「はい」
「今日は俺も外で弁当食べたい気分だから、ここで一緒に食べていいかな……ユイちゃん」
返答を待たずに弁当を開けて食べ始める。
彼女は最初こそ呆気に取られたのか口を開けたまま言葉を失っていたが、やがて少しずつ話し始めた。
小学生から今までのこと。
中学、高校と同じクラスだったが昔の友人を含めて話しかけるきっかけがなかったこと。
美しく成長していた結依に下心がなかったわけではない。
ただそれよりもクラスで孤立している結依の力になりたかった。
結依は常に何かに怯えているようだった。
何か理由は分からないが、少しでもその悩みの解決になれたらと思った。
結依と一緒に校舎裏での食事をする日々は一週間ほど続いた。
三日坊主という言葉が頭をよぎる。
いや、一週間続いたのだから3日ではないだろうと自分に言い聞かせる。
結依との食事会が途切れたのは、友人の木島からの言葉だ。
「最近、昼食はどこで食ってるんだ?」
「結依と一緒に」とは恥ずかしくて言えず、天気が良かったので外で食べようと思ったなどと適当な嘘をついた。
それをきっかけに彼女とのささやかな食事会は終わった。
終わってしまった。
恥ずかしいからという理由で離れてしまうのは、小学生の時から何も進歩していない。
バレンタインの時にアヤちゃんと喧嘩分かれしたのもそれが原因だ。
恥ずかしいという理由だけで、彼女にも酷いことを言った。
心無いことを言って泣かせてしまっての喧嘩別れだ。
思えば、結依と疎遠になったのも、その頃だ。
アヤちゃんとも、もう何年も会っていない。
結依にも同じことをしてしまっているかもしれない。
翌週に校舎裏へ行くとやはり彼女は一人で弁当を食べていた。
俺は既に教室で他のクラスメイトと弁当を食べた後だ。
手元にはもう弁当はない。
「ごめん、ここで食べられなくなった」
しばらくの沈黙。
時間にすれば1分もないのだろうが、俺には何時間も待たされたように感じた。
「……知ってた」
結依の声は少し枯れていた。
怒りはなく、諦めのような、そんな声。
「だからその埋め合わせというわけじゃないけど、今度の、週末、俺と、一緒に」
うまく言葉が出ない。
「今度の週末、一緒に食事へ行かないか!」
恥ずかしさを堪えて思っていた言葉を一気に出した。
思っていた以上の大声になった。
ユイちゃん……結依は一瞬目を丸く開いたが、すぐに顔を伏せた。
返答はない。
「おかしなことを言ってるのは俺も分かってる。でもここで弁当を食べられなくなった埋め合わせというかなんというか」
「小森くんは、私なんかと行っても楽しくはないでしょ」
「そんなことはない!」
「どうせまた来ないんでしょ。一人にするんでしょ」
「絶対に行く! 約束する」
唾を飲み込んで深呼吸をする。
「俺とデートして欲しい」
「小森くん……嘘じゃないよね」
「もちろん。俺はもう君を一人にはしない」
返事はすぐに返ってきた。
「小森くん……カズ君を信じてみる。誰かを信じたい」
土曜は朝4時に起床した。
全く落ち着くことができず、無駄に自宅の周りを何周かジョギングをしたり、何度もトイレに行ってみたりしているうちに約束の時間が近づいてきた。
よし行くぞ!
予定よりも2時間前に自宅を出ようとした時、父親から声をかけられた。
「良かった、起きていたか?」
なんでも親戚の叔父が昨晩に倒れて今も危篤ということで急に家族全員で見舞いへ行くことになったらしい。
俺は約束があると拒否の姿勢を示したが、全く聞き入れてはもらえなかった。
強制的に車に乗せられて病院へ行くことになった。
仕方なく結依にメールを打つ。
「今日は急な用事で行けなくなった」
返答はなかった。
叔父の症状についてはたいしたことはなかったらしい。
病院で叔父のつまらない下ネタを含むダジャレを聞かされただけで帰宅することになった。
日曜日に結依の家を謝罪のために直接訪れた。
玄関のチャイムを鳴らすが出てきてくれない。
彼女にメールを打つ。
今度はすぐに返事が返ってきた。
「うそつき」
たったそれだけのメール。
その時は、さすがに酷く言われすぎだろうとは思った。
急な用事が入ることくらいあるだろう。
ちゃんと謝罪のメールも入れている。
それでも、その素っ気なさが逆に気になった。
月曜日……いつもの昼休みにちゃんと謝ろう。
品田結依が飛び降り自殺をしたのはその翌日……月曜日の昼のことだった。
彼女が中学校の頃からいじめを受けていたことを母親経由で知った。
結依はとっくに限界だったのだ。
食事会の時に結依はどこか怯えていた。
出会った時の顔色はどうだった?
表情は?
改めて思い出すと、兆候はいくらでもあった。
女子の事情に詳しい木島に話をしていれば、もっと事前に結依の異変に早く気付けていたはずだ。
もっと違う結果もあったはずだ。
恥ずかしい……たったそれだけのことで、俺は大切なものを見逃してしまった。
俺は彼女の何の助けにもなれないどころか、中途半端な希望と……絶望を与えてしまった。
最後に彼女を裏切り、とどめを刺してしまったのは俺だ。
何も考えないようにしても、彼女の悲しそうな顔と「うそつき」の言葉が何度も頭をよぎる。
なんで俺はこうなった? どこで間違えた?
俺は結依を助けられたのに、なんで手を伸ばせなかった……
答えはない。
なんで俺は……結依……
◆ ◆ ◆
――結依の葬式が済んだ3日後。
この世界に連れてこられた俺は、50人の中に「いるはず」の結依を探していた。
漫画やゲームには、現実の世界で死んでしまった人間が、異世界に新しい生命として転生して面白おかしく冒険をするというものがある。
現実の世界から「いなくなってしまった」結依も、それらの創作作品のようにこの世界に召喚されているかもしれない。
今度こそ困っている結依のために俺が力にならないと。
俺はまだ結依と何も話していない。
何も気持ちを伝えられていない。
俺と同じように結依も姿を別人に変えられているのだろう。
ならば見た目だけで捜すのは不可能だ。
直接話をして、誰が結依なのかを確認しないといけない。
そう考えて、少しでも多くの人と話すようにした。
変な服の人たちには話せなかったが、さすがにアレは違うだろう。
みんなが少しでも事態を好転させるべく、慌ただしく動いていた。
そんな中、部屋の隅に何もせずに三角座りで突っ伏している彼女を見つけた。
パーカーにスポーツシャツとホットパンツ。
何かのスポーツをやっていそうな活発そうな少女である。
髪は染めているのか明るい茶色。
結依とは何一つ被ってはいない。
見た目も似ていない。
「……もう嫌だよ」
だけど、お下げ髪が揺れるのを――そして、何かを諦めたような、その悲しげな表情が結依と重なって見えた。
「結依?……いや違う……のか?」
いや別人だ。彼女は結依ではない。
だが、ここで結依と似た雰囲気を持つ彼女を見捨ててしまったら。
その結果として「また」死なせてしまったら俺は耐えられるのだろうか?
いや無理だ。
俺はもう耐えられない。
「大丈夫だよ、結依。俺が絶対に守るから」
「あなたは?」
「俺は小森裕和……いや今の名前はモーリスというらしい」
「私は
だから、同じことはもう繰り返させない。
結依……今度こそ守ってみせる。