老人が隠れ潜んでいたのは人がほぼ歩いていない大学の隅にある古びた建物の一角だった。
そこで彼は、まるで影に溶け込むようにして、壁の陰に身を潜めてぜいぜいと荒い息を吐いていた。
近くにカーターの姿はない。
地の利を生かされて、どこかで撒かれてしまったのだろうか。
それだけこの建物の角は見つけにくい場所なのだろうか?
「あいきゃんのっとすぴーく、いんぐりっしゅ!」
老人が何か言う前に先制で英語が話せないと告げて近付く。
今のネイティブには程遠い日本語発音からして、俺が英語を話せないというのは伝わったと思う。
更にスケッチブックに「少し話せませんか?」「私は英語を話せませんが読み書きは出来ます」と鉛筆でさらさらと書き込んで見せた。
老人は観念したのかそのスケッチブックを受け取ると、自らの胸ポケットに入っていた万年筆で「部屋でゆっくりと話そう」と書き込んだ。
どうやら了承はいただけたようだ。
老人は続けて何やら書き込んだのでそれを読む。
「どうやってここが? 大学生もここを知る者はいないはず……かな?」
身分を分かりやすく説明するために、空へ放って偵察をさせていた使い魔の命令を解除して手元に手繰り寄せた後に肩の上へ乗せる。
「まい、ふぁみりあ、すぴりっと。うぃっぱーうぃるヨタカ……えー、ヨタカって何だ? ナイトホーク?」
◆ ◆ ◆
後から追いついてきたカーターと共に俺達は暗い部屋に招かれた。
椅子に座って待っていると、老人は中年男性2人を連れて一緒に部屋に戻ってきた。
椅子から起立し、頭を下げて挨拶をすると「Japanese Style?」と聞かれたので「あいあむじゃぱにーず」と答えておいた。
中年男性2人はこちらを警戒している様子が見られるが、今すぐに暴力的な手段に訴えるという雰囲気はない。
老人と中年男性2人が着席するのを待って、俺達も席に着く。
中年男性が持ったプレートの上にはカップが5つとティーポット。
老人は一冊のノートと万年筆数本を持っており、それをテーブルの上へ広げた。
これを使って筆談しろということだろう。
中年の男が手慣れた手付きでカップに紅茶を注いでくれた。
紅茶にはあまり詳しくないが、良い香りがした。
それなりに良い茶葉なのかもしれない。
老人がノートに文字を書き込み始めた。
「君達は何者だ? 例の一族と関係はないのか?」
例の一族とは何のことなのか分からないので、なんとも反応に困る。
おそらく老人が俺の顔を見ただけで逃げ出したことと関係が有るのだろうが、流石に分からないことには答えられない。
どう答えるか逡巡したが、ここは正直に答えることにした。
万年筆を手に取って回答を書き込んでいく。
「私達は異世界人です。元の世界に帰るためにここまで旅をしてきました。例の一族が何なのかはわかりません」
それを読んだ老人達が動きを止めて信じられないという顔で俺と、肩に乗せている青白く光る鳥を見た。
ダメ押しでクッキーを取り出して、老人の前に置く。
「ハロウィンです、クッキーをどうぞ」
老人はそれを持ち上げてしばらく右往左往していたが、意を決したのかクッキーを口に頬張り、咀嚼した後に紅茶で流し込んだ。
「先程は日本人と」
「別の世界……21世紀の日本です」
運営がどうの、ソシャゲがどうのという説明は不要だろう。
事態をややこしくするだけだ。
謎の能力を使える未来の日本人はどうなってんのと聞かれたらニンジャのカラテとチャドーを極めて身についた力とでも答えておけば良い。
古事記にもそう書いてある。
「そちらの君もカーターではないのか?」
「親戚みたいなもので別人です」
「確かに年齢が合わない」
筆談にも慣れてきた。
インクが乾くより先に万年筆とノートを奪い合って書き殴っていくのでインクが滲んで大変なことになっているが、これは書き残すことが目的ではなく、筆談が目的なのでこれで良いだろう。
「センティネル丘陵に行って何をする?」
「時空神の祭壇があるらしいので、そこで神と交信して、日本へ帰してもらいます」
これも正直に書いた。
時空神とは何なんだと聞かれたら、なんと答えようかと、色々と考えていると、先に老人が謎のワードを書き込んだ。
「Yog-Sothoth?」
突然に固有名詞が書き込まれた。
固有名詞は事前知識がないとイマイチ読み方が分からない。
どう答えたら良いか悩んでいると、カーターが迷いなく書き込んだ。
「Yes」
老人達に動揺が走ったのが見えた。
少し考えている間に固有名詞の読み方がようやく分かった。
ヨグ=ソトース。
クトゥルフ神話の邪神だ。
細かい設定については忘れた。
ただ、あらゆる空間に繋がる神とかそういう類の設定だった気がする。
今まで散々酷使していた虹色球体様はどうもこいつのことだったらしい。
知らずに使っていたというか、これを知らずに使えてしまうシステムとスキルについて説明をしない運営が悪い。
「目的は日本へ帰る? それだけか?」
「もちろん」
「相手は邪神だぞ」
中年の男が急に椅子から興奮した様子で立ち上がり、力強く書き殴った。
あまりの勢いに万年筆のインクが飛び散りまくる。
その後に「冒涜的」だの「神はお許しにならない」だの次々と書き込んでいく。
邪神絡みで余程嫌なことが有ったのだろうか?
邪神と言っても、周辺の生命体を分解して黒い霧にするとか、岩をも溶かして蒸発させる熱線が出るとかその程度で、制御出来るから無害だと言うのに。
……いや、全然無害ではなかった。
何なのあいつ?
邪悪すぎるだろ。邪神なの?
……邪神だったわ。
ただ、全く制御できないというわけでもないし、今まで散々ピンチを助けられてきたので感謝の気持ちはあるし、そこまで邪悪とも思えない。
要するに属性としてはニュートラルなのだろう。
人間に親しいわけでも憎んでいるわけでもなく、ただ喚ばれたらその通りに力を貸すというだけ。
歩いている最中に道の端を歩いている蟻に気を止めることがないのと同じだ。
何かフォローの言葉を書こうとして、一神教であるキリスト教徒の彼らと日本人では根本的に感じ方が違うことに気付いた。
唯一神を信じずに謎の存在を信仰していて、実際に奇跡に近い現象を起こすなど許せないというキリスト教圏の考え方と、邪神や祟り神でも祠を建てて線香を立てて季節の野菜を捧げればそれでお鎮まりくださって、後は村の守り神になるという日本とは根本の部分で考え方が異なっているのだろう。
ゴッドとYHVHとカミは全く別物なのだ。
ただ、俺達は別に宗教議論をしに来たのではない。
単にセンティネル丘陵の場所を聞きに来ただけだ。
俺達が変なことを企んでる邪神カルト教徒ではないと伝わればそれで良い。
「日本には八百万の神がいます。その中の一柱に力を借りるだけです。この世界には知り合いも大勢いるので、迷惑になることはしません」
やおよろずとエイトミリオンは全く別の意味だが、今回は説明は省く。
大学にいる人物ならある程度は知っているかもしれないし、今すぐ分からなくても自分で調べてくれるだろう。
「邪神がこの世界に来るのではないか?」
「力が強い神ならば、私達が何かしなくても勝手に来ると思います。来ないのは単に人間になんて興味がないだけかと」
中年男はそれを見てまだ何か書こうとしていたが、それを老人が制止した。
その後、2人で何やら高速で会話を始めたが、生憎と俺の英語力ではジャパン、アニミズム、文化が違うくらいしか内容は聞き取れなかった。
チラリとカーターの方を期待して見るが、あっさりと顔を逸らされた。
やはり英会話を聞き取れなかったようだ。
会話に出て来る単語からして「日本人は邪神も自然の一部で道具としか思ってないし、信仰してもいない。こちらとは常識が違う」だろうか?
だが、その短いやり取りで中年男はある程度納得したようだ。
渋い顔をしながら椅子に座り直す。
「ミスカトニック川を溯った上流の近くにダンウィッチという集落がある」
老人が簡単な地図を書いた。
川沿いの道をひたすら北西に進み、マサチューセッツ州とニューハンプシャー州の州境近くまで行けということのようだ。
川に沿って進むだけならば特に迷うことなく辿り着けるだろう。
「集落近くに古代遺跡が残る丘がある。そこがセンティネル丘陵。丘の頂上にある環状列石が目印だ」
「ありがとうございます」
これだけ分かれば十分だ。
あとは礼を言ってここを出よう。
そう思った時、老人がそそくさと部屋から出ていった。
勝手に帰るのも気まずいので紅茶を飲んで待つと、老人は一冊の古びた革張りの本を持って戻ってきた。
「中途半端な方法で儀式されたら事故するかもしれないから、これを読むべき」
老人が渡してきた本を受け取ると、分厚い革表紙のせいなのか、かなり重かった。
手で持つのは無理とテーブルの上に置いてページをめくると、中にはよく分からない文字で何やら記されていた。
線がグネグネとしているだけにしか見えないあたり、アラビア語だろうか?
「この本は何?」
「Necronomicon」
また固有名詞が出てきたが、流石にこれはメジャーワードなので理解できた。
様々なマンガやゲームに登場する魔導書、ネクロノミコンだ。
老人はそのページをパラパラとめくり、中心あたりで止めた。
「Wilberが読んでいたのはここ」
ウィルバーが何者かのかは分からないが、そのページ周辺を読めということらしい。
だが、文章や解釈以前にアラビア語らしい文字は文章の内容以前にどこか文字の区切りなのかすら分からない。
これでは何の参考にもならない。
「カーター、これってどうする?」
「単語の意味が分からんからな。斜め読みくらいなら出来るが、それだと解釈違いが発生するし……どうせ呪文も儀式も必要ないんだから必要ないだろ。スキルで喚び出すんだから」
「それもそうか。となると、必要なのは」
パラパラとページをめくり、魔法陣が記載されているページを開く。
これならば文字は関係ない。
見たままの視覚情報なので間違えようがない。
「これを描き写せばいいのか」
「そうだな。この魔法陣をそのままバルザイの偃月刀で描いてやれば召喚陣の完成だ」
複雑に円が絡み合った図形。
だが、不思議と初見の気がしない。
特に苦労せず、あっさりとスケッチブックに描き写すことが出来た。
「でも、この図形ってどこかで見覚えあるんだよな」
「今までの旅でこんなの有ったか? オレも結構付き合い長いけど」
「いや、カーターが仲間になる前。どこかで見たんだけど、どこだったか……」
記憶を思い返しているうちに、突然どこでみたのか思い出した。
俺が召喚される直前に夢の中で見たガチャの演出で
「そうすると、せっかく描き写したこの魔法陣だけど、一部間違ってることになるな。直すならこうか?」
複数の円が合わさって魔法陣が構成されているとなると、解釈がおかしな部分が有ると気付いた。
大胆に修正をかけていく。
「オイオイ、魔法陣の知識なんてないのに、勝手に修正して大丈夫か?」
「俺が見たガチャ演出が正しいならこうなんだよ」
「ガチャ演出?」
「俺がこの世界に喚ばれた時に見た映像なんだよ。うちの神様……ヨグ=ソトースがあえて見せてくれたんだと思う。正しい自分の召喚方法はこれだと」
「本人? 本神? が言ってるなら、それが一番正しいんだろうな」
カーターは今の説明で納得したようだ。
「それに、こうやってラインを繋げると、単純に幾何学模様の完成度も上がる。本に載っている図形だと線がズレるので綺麗な黄金比にはならない」
「黄金比?」
「人間が最も美しいと感じられる比率のこと。これを護りながら線を繋いでいくと、周囲から中央へ渦巻きのようなラインが走る」
おそらくのこのネクロノミコンは写本で、おそらくはオリジナルから手書きで書き写すときに、どこかでミスったのだろう。
以前に読んだというウィルバーなる人物も、単体だとおかしいと気付いて、別の写本を見るなりして差分を確認した後に修正を行ったはずだ。
「最初から全部答えは有ったってことか」
ネクロノミコンに記載されていた魔法陣と、夢で見たガチャの魔法陣が同じということで話は見えた。
邪神は願いと祈りによって俺達に力を貸すという。
おそらくその願いとは、最初の部屋に閉じ込められて3日が経過。絶望したモリ君とエリちゃんからのもの。
『最初の部屋から出たい』
『日本へ帰りたい』
その望みを聞き入れた虹色球体様……ヨグ=ソトースは、2人を助けるために俺をこの世界に招き入れた。
全ての時空間に繋がる能力というほぼ万能の力を持っていたので運営のコスト制限なんて無視してガチャを回せたし、その結果、本来はガチャから排出されないイベント限定キャラ……自分の関係者であるラヴィが登場した。
(ハロウィン)はまあ、ご愛嬌というところだろう。
「LESSON5はこのためだったのか」
「何だよLESSON5って?」
「答えは最初から有ったのに、それに気付くまで廻り道が必要だったってことだよ。本当に、本当になんて遠い廻り道……」
スケッチブックから紙を一枚千切り、そこへ短剣を使って魔法陣を描いていく。
夢の中のガチャ演出で最初に見せられた図形。
そして、彼方に見えていた謎の虹色の球体。
最初から全部答えは揃っていた。
ただ、それに気付かなかっただけだ。
最初に俺達が召喚された遺跡……「地母神の遺跡」はかつて神と交信できる場所と呼ばれていたらしい。
つまりセンティネル丘陵と同じ効果があった可能性がある。
もしかしたら、あそこでこの魔法陣を描いてスキルを発動すれば、それだけでうちの神さんが現れた可能性もある。
何と言ってもあの遺跡は地球で言うところのマチュピチュ。
太陽神インティの祭壇がある場所である。
インティの形状は太陽そのものなので丸い球体……俺が「魔女の呪い」を使用した時に現れる形状と同じである。
まあ今更の話ではあるが。
「この魔法陣の意図も分かった。周辺からエネルギーを集めて、中心点へと集約させるブースター」
紙に描いた魔法陣は何の仕掛けもないというのに強烈な光を放ち始めた。
その光は自然に渦巻きながら、どんどんと速度を上げていく。
やがて光は虹色の光へと変化しつつ、図形の中心へと収束して……魔法陣を描いた紙が中心から発火した。
おそらく中心に何の術式も設定されていなかったため、集めたエネルギーの逃げ場がなくて単純に熱へと変換されたのだろう。
周りに燃え移らないようにスケッチブックの表紙で叩いて消火する。
老人と中年男性2人。そしてカーターはその光景を無言で見つめていた。
「それは何なのだね?」
老人が書き込んだので、マジックブースターと書き込み、渦巻きの絵を添える。
更に渦巻きの中心にはPowerUp!と一言書き加える。
これで意図は伝わるだろう。
「悪用される可能性は?」
「この写本だけだと間違いがあるので発動出来ない。修正すべき個所の記録はたった今燃え尽きたので、どこにも証拠は残っていない」
おそらくネクロノミコン2冊以上を閲覧すると差異から記述ミスや抜けに気付いて修正が可能だろうが、単体で読んでいる分にはおそらくは安全だ。
そう考えると、魔法陣の件は記述ミスではなく、魔法陣を悪用されないために故意に
「おそらくセンティネル丘陵自体が巨大な増幅魔法陣になっているんだと思う。更にこの魔法陣が力を集めその中央で発動した術式の効果を何倍にも高める。今回の場合はスキルを使う俺だな」
必要な情報は全て手に入った。
後は現地に向かうだけだ。
ネクロノミコンを老人に手渡し、スケッチブックにありがとうと書いて深く感謝の礼をした後に部屋を出た。
◆ ◆ ◆
町を出て装甲車に戻ってきた。
地図でだいたいの位置を確認する。
ダンウィッチまでは車で半日と言ったところだ。
「ここで一泊して、明日朝に出発が良いかな。残金を残していても仕方ないし、この町で全部使ってしまおう」
「おっ、豪遊か」
「まあ、豪遊というほどの金額はないけどな」
全員で車を降りて町へ向かおうとした時、俺達は固まった。
先程までそこに有ったはずのアーカムの町は影も形もなくなり、ただミスカトニック川だけが残されるのみだった。
「えっ? いや、さっきまで俺達はあの町にいたんだぞ」
「ああ、確かにあの部屋で飲んだ紅茶の味も覚えてる」
手元にはスケッチブックは残っており、ネクロノミコンから書き写した魔法陣も、燃えた魔法陣を消火するために付いた焦げも残っている。
全てが幻覚とは思えない。
その後に装甲車でスキャンをかけたが、アーカムの形跡は何も検知されなかった。
「港の対岸のセイレムの集落はまだ残っているみたいだけどどうする?」
「いえ……不気味だし止めたいですね」
「もしかしたら、オレ達はあの謎の町に閉じこめられていた可能性も有ったのか?」
冷静に考えると、近くに発電所もないのに電気が使えるあの町が有ったのはおかしい。
住民が英語しか話せなかったのも、この世界の常識からして違和感がある。
一時的に別世界の町がこの世界に出現していた、もしくは俺達が別世界に迷い込んだ可能性はある。
「例の次元の壁の破損のせいでこの世界に出現しようとしていたとも考えられるけど……」
「誰かが俺達に情報を与えたくて、無理矢理短期間だけこの世界に喚び出したのかもしれない」
「誰って誰が?」
次元を歪めて別次元の町に接続させて俺達に情報を与える。
そんなことを出来そうなのは2人くらいしかない。
「伊原さんが何かやった。もしくはうちの神様が早く来いと急かしている。ただ、伊原さんがこんなアメリカの反対側までやってきて、こんな回りくどい方法をやるとは思えない」
「確かにあの人だと全部印刷した紙を渡してきて、はいこの通りに進め! 道草食うな! と怒るタイプですよね」
モリ君の言うとおり、伊原はそういうタイプだ。
こんな回りくどい方法を取るとは思えない。
「なら、可能性は1つ。時空の神……虹色球体様ことヨグ=ソトース。うちの神様が呼んでいるんだ。待っているから早く来いって」