《ティンダロスの猟犬。名前の由来は捉えた獲物を追い続けることから付いたもので犬ではない》
《時空を越えて出現する。移動距離に制限はない》
《その正しい姿は人間には認識できない。
次々と
SIRENで視界ジャックした時だけ実体が見えるラスボスみたいなものか。
瞼を閉じた後に1羽の鳥を肩に乗せて、使い魔の視点で「視る」
すると、肉眼ではハッキリしなかった「ティンダロスの猟犬」の外観がハッキリと浮かび上がった。
小学校の算数の時間で使うような巨大な三角定規が複数絡み合って空中に浮かんでいる。
生物かどうかすら怪しい。
人間は別次元……四次元や五次元と言った高位次元を理解できないという話をSFではたまに見るが、こいつもそういうことなのだろう。
相手が異質すぎて人間の目や脳では理解できない。
肉眼だと、人間の脳では完全に理解できないせいなのか若干ずれた場所に居るように見える。
モリ君が攻撃を避け損なった理由はこれだろう。
単純なスピードよりも認識の外側からの攻撃が来るので、避けきれないのだ。
「モリ君、肩に掴まれ。一度撤退して治療に専念しよう」
「俺は大丈夫です」
「全然大丈夫そうじゃないぞ」
モリ君の負荷を少しでも減らすために槍を奪い取って床に置く。
「
「かけたんですけど、効かないんです。あいつに攻撃を受けた傷口に泥みたいなのが付いたので、これを洗い流さないと効果がないのかも」
痛々しい傷跡を見ると、確かに傷口には青い泥のようなものが付いていた。
だが、水を出せるドロシーちゃんを前に出すわけにはいかない。
また被害者が増えるだけだ。
負傷しているモリ君とカーターを守るように、俺とエリちゃんで背中合わせになるようにガードをする。
その上で、カバーできない範囲は
視界の隅でまた猟犬が高速移動するのが一瞬だけ見えた。
床に落ちていた紙の資料が風圧で舞い上がるが、すぐに襲ってくることはない。
エリちゃんの蹴りをもろにくらった上に、俺にバルザイの偃月刀でバッサリ切られたことを警戒しているようだ。
部屋の四隅や書架などの家具の角の間を目にも止まらぬ超速度で動き回り、位置を特定されないようにしている。
俺たちの足で走り回っても、こいつの速度は圧倒的なので、何をどうしても追い付けない。
なので、こうやって一か所に留まってカウンターを狙うしかないのだが、それを読まれている。
ただ力任せに突っ込んでくる獣ではなく、こちらの能力を理解した上で、攻め方を考えてくるあたり、かなり知能は高い。
厄介な相手だ。
「レルム君、電気を使ってレーダー的なことはできるかい?」
「レーダーですか?」
「そう。空気中の静電気を検知して動きを読むとか……」
自分でも無茶苦茶を言っているのは分かる。
だが、電気使いなら、もしかしたらそういうことができるのではと期待してしまう。
「ごめんなさい、わかりません」
「いや、無理を言ったこちらが悪かった」
「いえ、師匠、わかりましたよ」
レルム君が手から電気を放ちながらゆっくりと室内に入ってきた。
「やめろ! 狙われるぞ!」
「いえ、大丈夫です。レーダーをどうやればできるのかは分からないけど、こういうことならできそうです」
床に敷かれた湿気を含んだ絨毯の表面にバチバチと電気が広がっていくのが見える。
ただ、相当微弱な電気のようだ。
床に座り込んでいるモリ君が感電している様子はないからだ。
「絨毯の上に薄く電気を走らせました。この上を何か電気が流れやすい物が通れば、そこへ電気が自動で流れて、居場所が分かる仕組みです」
「つまり静電気式のタッチパネル……接触センサーか」
さらにレルム君は頭上にバチバチと放電を繰り返すテニスボールくらいの光る玉を頭上へ浮かべた。
普段は第3のスキル、エレクトロビームの方にエレキボールの誘導能力を合成して誘導ビームにしているが、今回はその逆だ。
自由に動かせる球状の電気の塊に、エレクトロビームの高エネルギーを付加している。
「センサーが検知したら、自動的にこのエレキボールが攻撃を仕掛けるよう仕込みました。こうすれば、相手がどんなに素早くても、僕が直接攻撃するより早く反撃できます」
「完璧じゃないか。いつの間にこんな技を?」
「レーダーと聞いて何かできそうな戦法を考えたら、この方法が浮かびました。多分、昔にマンガで電気使いのキャラが似たような技を使っていたのを読んだんだと思います」
「昔? マンガ?」
レルム君の発言は気になるが、今は猟犬の対策に集中しよう。
鳥を喚び出して数を集めつつ、相手の反応を待つ。
まだ動きはない。
その時、モリ君が俺に体重を預けてきた。
苦しそうな呻き声を上げている。
さきほど猟犬に受けた傷が痛むのだろうか。
「モリ君大丈夫か?」
「すみません、大丈夫です。少しよろけただけです」
モリ君の方を向いた直後に、視界の隅に何かの影が横切るのが見えた。
慌てずに鳥を追加で召喚していく。
影は俺たちの周りを3周ほど凄まじい速度で横切り――
――レルム君の仕掛けた電撃の罠に引っかかり、この世のものとは思えない不快な高音のノイズ音をかき鳴らした。
猟犬は完全に動きを止めて、苦しんでいるようだ。
全身からバチバチと火花が散っている。
「捕まえました!」
「よくやった!」
ここで隙を見せれば、また超スピードで逃げられてしまう。
そうなる前に、速攻で決める必要がある。
俺は腰から抜いた白木の柄の短刀を猟犬の腹……三角定規が重なったポイントへ全身の力を込めて突き立てた。
「ぐうう……」
高圧電流が流れ続けている猟犬に刃を突き立てたことで、当然、俺の方にも電気が流れてくる。
短刀を持った右手が痙攣して、皮膚がチリチリと焼かれる痛みが伝わってくる。
だが、この機を逃しては次にいつ攻撃のチャンスがやってくるか分からない。
「極光!」
刃で突き立てた傷から猟犬の体内目掛けて手元で20秒溜めた熱と圧力を持った閃光を流し込んだ。
この三角定規を組み合わせた形状のどこにエネルギーが流れているのかは不明だ。
だが、猟犬から放たれる高音のノイズ音が更に大きくなった。
ダメージは受けていると考えていいだろう。
だが、これだけでは奴への致命傷にはならないのも理解できる。
「エリちゃん、追撃を!」
「分かってる!」
エリちゃんが全身からスキルの青白い光を放つ。
その光を右腕一点に集中させて大きく体を捻った。
「すごいパーンチ!」
短刀を引き抜いている暇はない。
短刀を奴の体に突き刺したまま手を放したのと、エリちゃんの鋭いパンチが猟犬を撃ち抜いたのは同時だった。
落雷のような大きな音と衝撃が鳴り響き、俺の体は後方へ弾き飛ばされる。
だが、まだ戦闘は終わっていない。
小学生の体操の授業レベルの下手な後ろ転がりから無理矢理体を引き起こした。
やや感電しているのか、体のあちこちがビクビクと痙攣している。
右手の感覚も全くないが、なんとか気力で体を動かす。
「まだ足りない。追撃が来る!」
猟犬はレルム君の電撃とエリちゃんのパンチを食らっても、なお体勢を立て直し、反撃を試みようとしていた。
エリちゃんの攻撃が直撃すれば、さすがにこいつも戦闘不能になったはずだ。
なのに、今もなお生きている。
それは、エリちゃんがこいつの実態を捉えきれず、攻撃を直撃できなかったことにある。
人間の目には、猟犬の位置は実際の場所よりも少しズレて見えるからだ。
今のところ、猟犬の正確な位置を把握できているのは、鳥の目で見ている俺だけだ。
「こいつは強い。なら、俺の方も覚悟を決める必要がある」
鳥を追加で喚び出す。
これで残弾は15発。
レルム君は全てのスキルを使用しており、再使用までの間は何もできない。
モリ君も負傷でダウン。
エリちゃんはなおも攻撃が可能だが、猟犬の正確な位置を認識できないために致命傷を与えるのは難しい。
使い魔の目で視ると、三角定規の一部にヒビが入って綻んでいるのが見えた。
狙うならばそこ……猟犬の腹の部分だ。
猟犬の方も、こちらへの攻撃の意思を固めたようだ。
レルム君の電撃により、まだ全身から火花が飛ぶ感電状態が続いているというのに、そのダメージを無視して俺への攻撃を再開するために近づいてきた。
猟犬の攻撃を完全に回避するのは難しいだろう。
ならば、一発程度の被弾は覚悟するしかない。
奴の爪が俺の肩口を目掛けて振り下ろされるのが見えた。
これを避ける運動能力は俺にはない。
一撃では死なないと信じて、あえて受けた上でカウンターを入れる。
痛みを覚悟の上で突き進んだ時に、猟犬の爪が俺の体を少し掠めたところで止まった。
若干は切られたようで、肩口から血が吹き出したが、致命傷にはほど遠い。
猟犬の攻撃を止めたのは、小さい青白く光る壁……モリ君のプロテクションだった。
「サンキューモリ君」
「今の俺にできる精一杯のサポートです……勝利を」
「ああ!」
まずはカウンター気味に三角定規のヒビに向けて鳥を1撃。
さらにプロテクションとの壁で挟み込むようにして奴の腕? を粉砕するために2撃。
俺へ向かってきた舌の迎撃に1撃。
更にヒビへ向けて3撃叩き込むと、三角定規を結合させていた接合部が崩壊し、奴の胴体がグラリと崩れた。
「残り7羽で完全に決める!」
猟犬を指差しながら前進し、残り7羽を奴の弱そうな部分……三角定規が重なり合った接合部目掛けて叩き込んでいく。
他の接合部はエリちゃんとレルム君の電撃でかなりダメージが入っていたのか、鳥を直撃させる度に次々猟犬の体は崩壊していく。
「残り7羽だと言ったな。あれは嘘だ」
肩に乗せていた使い魔を解除した後に、最後の残弾として突撃させて猟犬の頭部を吹き飛ばした。
全身ボロボロになった猟犬は粉々になり、死体も残さずに宙に溶けて消えていった。
◆ ◆ ◆
「
「俺は大丈夫だ。それよりもモリ君が重傷だから、早く手当を」
「ラビちゃんも全然大丈夫じゃないでしょ。早く戻って手当てしよう」
「いや待て。2人ともまずはこれを」
カーターがどこからかバケツを掴んで走ってきた。
「ドロシーに水を出してもらった。これで傷口を洗い流せ。奴に受けた傷口をそのままにしていると、奴の膿に汚染されて精神を壊されるぞ」
「それなら、先にモリ君を。俺よりも受けた傷が酷いし時間も経っている」
「ああ、分かった」
カーターは水の入ったバケツをモリ君の方へと持って走っていった。
俺が猟犬から受けたのは肩からの傷くらいだ。
腕の傷は主にレルム君が出した電撃の罠で受けた傷だ。これはモリ君の
「ドロシー、こっちに来い。お前も一応回復スキルは使えるだろう。オレが傷口を水で洗い流したら、その後に回復だ」
「うん、分かった」
カーターは手早くモリ君の鎧を外して服を脱がせた後に傷口を水で洗い流していく。
水をかけると、泥だか膿だか分からないものが溶け出して流れていく。
「汚水はそこらに流しても大丈夫なのか?」
「知らん。だけど、どうせこのボロボロの建物ならば、誰も来ないし影響はないだろう」
「それもそうか」
まずはモリ君を回復させる。
そうすればヒールが使えるモリ君が俺を治すことができる。
順番としては何も間違っていない。
他のティンダロスの猟犬が
事態は一通り収拾がついたと考えて良いだろう。
短刀を拾い上げて回収すると、こちらにも青い泥だか膿だかがベッタリと付着していた。
無理矢理に突き立てたからか、刀身の先の方にヒビが入って欠けてしまったが、さすがにこれは仕方がない。
折れなかっただけでもセーフだ。
「レルム君は怪我はない?」
「まあなんとか僕は。それよりも大丈夫ですか? なんか血が滲んできているような」
「レルム君が無事なら安心だ。俺は慣れているから大丈夫」
俺もローブを脱ぎ捨てて傷の状態を見ると、相変わらず酷い。
傷口の状態を確認するために下に着ていた服も脱ぎ捨てた。
服は縫い目からバッサリと千切られたようにズタズタになっていた。
さすがに縫い合わせるのはもう無理そうだ。
傷口はというと、肩口から胸の中ほどまでバッサリと傷が入っており、血が今も滲み出している。
しかも、青い泥のようなものが詰まっており、それが血と混じり合ってグジュグジュと音を立てている。
この世界に来てから何度も酷い傷は受けているが、今回はなかなかのものだ。
「あの、師匠……服は着てください」
「そうは言っても、まずはこの泥を洗い流さなくちゃいけないし」
レルム君が俺の裸身を見てやたら恥ずかしがっているので、こちらまで恥ずかしくなってくる。
「そろそろこっちにも綺麗な水をくれ。泥のダメージが出てきてるから、早めに流しておきたい」
「はいはい……ってお前、なんて格好してるんだよ」
「だってもろにダメージを受けたんだから仕方ないだろ。早く水をかけて洗い流してくれ」
「……いや、オレには無理だから、自分で水をかけてくれ」
カーターはそれだけ言うと、水が入ったバケツを置いてモリ君の方へ向かっていった。
全く無責任なやつだ。
仕方ないので自分で傷口に詰まった泥を洗い流す。
泥さえ流してしまえば、あとは見た目ほど酷くはない。
その後は床に零れた水を箒でなるべく端に寄せている時、水音くらいしかしない静まり返った市庁舎内に、異質な音が混じった。
最初は水が跳ねるような音。
その後に、硬い何かを定期的に打ち付けているような音だ。
俺が流した水が階下に落ちて鳴っている音ではなさそうだ。
「誰か来るよ。足音で間違いない」
聴覚に優れるエリちゃんが音の正体に感づいた。
俺たちの仲間は全員市長室の前にいる。
逃げ腰だったアルフとティナですら、近くで所在なさげにしつつも、待機している。
足音の主は何者なのか?
敵か、それとも味方か……。
「ここはワシがなんとかしよう」
タルタロスさんが階段の前に立ちはだかる。
完調なのは今のところタルタロスさんくらいだ。
タルタロスさんが身構えながら階段の方に視線を送る。
仕方ないので治療は後回しだ。
とりあえずローブを上から羽織る。
足音は階段を上り切った。
市長室の前の廊下の先に現れたのは、ボロボロのマントを身にまとった老人だった。
頭にはダイラス=リーンの商人たちと同じようなターバンが巻かれている。
顔は日に焼けて浅黒くて人種はよく分からない。
服装だけならば敵寄りではある。
果たして、この人物は現地人か、異世界人か。
俺たちが身構えていると、先の老人の方が口を開いた。
「驚いた。もしかして、お前たちは日本人か?」
「そういうあなたは何者ですか?」
俺たちの姿を見ていきなり「日本人」と言ったことからして、運営かその関係者である可能性は高い。
油断はできない。
「あんた、もしかして猫の町にいた親切な年寄りか?」
最初に反応したのは意外にもアルフだった。
老人の姿を見て、知己のように語った。
「お知り合いですか?」
「フロリダの北にあった猫の町で知り合った爺さんだよ。船の乗り方と行先なんかの情報を教えてくれた。確か名前は……」
「賢者を名乗っていたけど、現地人なのかな?」
ティナの方も知り合いのようだ。
猫の町に住んでいたということは、現地人だろうか?
ただ、運営の関係者の可能性も捨てきれない。
警戒は崩さずに待っていると、老人は無抵抗とばかりに両手を上に上げた。
「私も元日本人だ。君たちには50年前の召喚者だと言った方がいいか?」
「50年前!?」
つまりは、度会州知事や伊原さんと同期ということになる。
だが、そんな日本人が、タウンティンとは無関係のこの場所にいる理由が分からない。
いや、一人だけ該当者がいることに気づいた。
度会州知事は、タウンティンから3人が日本に帰るために旅立ったと言っていた。
1人は伊原さん。
もう1人は実際に日本へ帰還した中村夕子。
そして、もう1人は行方不明。
州知事も伊原さんも行方は知らないと言っていたが、その人物ならば話は分かる。
「もしかして、
「タウンティンからか……
「旧姓は知りませんが、他にも伊原周子という人物も知り合いです」
「ユーコシューコの片割れが噛んでいるのか。それなら納得だ」
老人は合点がいったのか、ポンと手を打った。
つまるところ、この老人は日本へ帰るために旅立った3人のうちの1人である可能性は高い。
「