宿を早朝に出て、事前にネットで調べたナイア……中村の自宅近くまでやってきた。
適当な空き地に車を停めて、途中のコンビニに寄って購入した菓子パンで朝食をとる。
この日は朝からかなり濃い霧が立ち込めていた。
海霧なのか、朝靄なのか、それとも普通の霧なのかは不明だが、数メートル先ですら見通せないほど視界が悪い。
途中の峠越えの道も視界が悪すぎて、車のヘッドライトを高照度LEDへの換装した上で後付フォグランプを取り付けていなければ、まともに走れなかっただろうという確信がある。
「ダメだな。霧が濃すぎて鳥の視界でも何も見通せない」
上空へ鳥を放ってみたが、200mほど上に飛ばしてみても状況は同じだった。
500m以上高く飛ばせば霧の範囲外に出られるかもしれないが、それは霧の外側から霧の塊を見るだけであって、地上の様子が分かるわけではない。
仕方なく鳥を手元に戻した。
「そうだ、2人には説明しておく。実は一昨日から使える技が1つ増えた」
周囲に人気が皆無なのことを確認した後に2人に説明を始める。
どうせこの霧では通行人がいたとしても何をやっているかはほとんど見えないだろうが、念の為だ。
「儀式で神様に何か力を貰ったとか、そんな感じですか?」
「あの虹色球体様はそこまでサービス良くないよ。帰還の時に周囲から魔力を集める魔法陣を描いただろ。あの魔法陣を普段から使えたら便利だろうなと思って描いたら出来た」
「出来るものなんですか、それ」
「とりあえず実演が分かりやすいと思う」
まずはスキルで出現させた光る鳥を3羽を手元に集めて、前方に等間隔になるよう旋回をさせる。
ここまでは
異なるのはここから与える命令。
「
3羽の光る鳥を高速回転させながら中央へ収束させるように命令を出すと、その光の軌跡がネクロノミコンに記載されていた魔法陣と同じ模様を宙に描く。
鳥達は光の粒子と化して10秒ほど魔法陣の図形を維持させる。
魔法陣の効果は周囲の魔力を渦巻の回転で中央へ集めて、そこで発動させた術式……スキルに収束させること。
「モリ君、この魔法陣の中心にプロテクションの壁を出せるか?」
「まあ、それは出来ますけど」
モリ君がスキルで青白く光る壁を魔法陣の中央に出現させると、壁がいつもよりも強い光を発した。
壁から発せられた光は霧に包まれた空き地をスポットライトのように明るく照らす。
「モリ君の体感からしてどんな感じだい?」
「さすがに目立つのでプロテクションは一度解除しますね」
モリ君が右手を突き出して拳を握ると、光る壁が細かい粒子になって霧散する。
それと同時に魔法陣も効果時間が終了したのか霧散消滅する。
「別に数字が出るわけじゃないので感覚ですけど、今の光り方からして、性能は確実に上がっていると思いました。倍くらいですね」
「数字がでる訳じゃないし、そんな感じのフワっとした感想になるよな。まあ性能が上がればOKということで」
お手軽に性能を向上出来るのならば、使っただけ得ではある。
ただ、魔法陣の持続時間が短いのと盾とのトレードオフなのが難点だ。
増幅を使ったせいで盾を使えなくてピンチという状況も発生するだろう。
これからは自分のスキル強化、他人のスキル強化、盾のために温存と更に戦略性を求められることになる。
「俺も一通り試してみたけど、鳥は自然石を簡単に破壊できるようになるし、極光は鉄板も切り裂くレーザーになったので強化はされてると思う。ただ、クッキーだけは苦くなるだけだった」
「苦くなる……」
「そうなんだよ。枚数やサイズが増えるとか甘くなるとかチョコチップになるとか期待してたのに、臭いし苦くては不味いしでもう悲惨。頑張って食べたんだけど……うん……」
「体調は大丈夫なんですか、そんなのを食べて?」
「落ち着くまで1時間ほどトイレに籠もることになって、もう死ぬかと思った。多分変な成分が配合されたんだと思う」
「ええ……」
モリ君とエリちゃんのどちらも絶句している。
あの地獄をもう二度と思い出したくはない。
頼まれても絶対にやりたくはない。
「それにしても霧が晴れないですね」
モリ君が話題を無理矢理変えようとスマホを開いた。
「天気予報だと今日は晴れなんですけど」
「晴れなんだと思うよ。霧ってのは温度差で水蒸気が飽和して発生するものだから。暖かいほど霧は出やすくなる」
「霧が晴れるまでここでじっと待ってるのも時間の無駄じゃない?」
エリちゃんの言うとおりだ。
時間は無限ではないのだから、そろそろ動き出したい。
「この霧が俺達の姿を隠している間に動くのが正解かもしれない。不審者がいると通報されても面倒だし」
「なら、行きましょうか」
武装の類は車に置いておき、そのまま手ぶらで歩いて向かうことにした。
さすがに現代日本でフル武装をしていたら怪しいにも程がある。
足元を覆い尽くす濃い霧を蹴るように歩みを進める。
波の音が微かに聞こえるものの、そこに広がる風景は全て霧の中に消え去っていた。
まるで世界そのものがその白いベールの向こう側に隠れてしまったかのようだ。
湿度のせいで足にまとわりついてくるスカートを定期的に手で引っ張って肌から引き離す。
道端には古い家が立ち並んでいる。
港には小さい木造の船が停泊しているが、あまり大きな漁船はない。
港内を少し移動するのが限度であろうボートに毛が生えた程度の釣り船が何隻かあるくらいだ。
かつては漁村だったらしいが、今では高齢化などもあり、民宿経営者や一部を残してもう船に乗る者はいなくなってしまったのだろう。
そんな港に一隻の場違いな近代的な豪華クルーザーが停泊していた。
外観に傷はほとんど入っておらず、買ったばかりの新品のように見える。
他の小さい漁船とは対象的で、とても地元の人間の所有物とは思えない。
「謎の金持ちでも住んでるのかな?」
「いるんじゃないか? 最近になってこの地元……故郷に戻ってきた謎の金持ちが」
「それって……」
「中村しかいないだろ」
スマホで地図を確認しながら進んで、中村の自宅と思われる場所にやって来た。
だが、どうも様子がおかしい。
ストリートビューで確認した時は、家の塀の周りには庭からはみ出した庭木の枝が伸びていたはずだが、それが一切見当たらない。
黒くくすんだブロック塀を片手に進んでいくと、玄関の戸の前には地元の不動産会社の名前が書かれた「売物件」の看板がかかっていた。
南京錠で施錠されている門の前から中を覗いてみるが表札も外されている。
庭に大量に置かれていた植木鉢もなくなっている。
玄関ポストには雑にガムテープが張られており、家の中にも人の気配は一切ない。
家を一周すると、カーテンのない窓からは荷物が全て運び出されて空っぽになったリビングの一部が見えた。
ここの住人はどこに行ってしまったのか?
「ここには推定40から50代になる中村の両親が住んでいるはずなんだが」
「ラビさん、その両親のSNSのアカウントを教えてもらってもいいですか?」
「これだ」
手帳を取り出してモリ君に手渡した。
中には事前に調査した情報を転記してあるので、不足はないはずだ。
「見つけましたよ。これは母親のIDでしょうか?」
モリ君がスマホの画面を俺とエリちゃんに見せてきた。
「最終更新は2ヶ月前に止まっています。最後の更新は『娘から連絡があった』ですね」
俺は改めて玄関の不動産会社の看板を見直す。
海沿いの町だというのに看板を固定している針金が全く錆びていない。
取り付けられたのはごく最近だと予想される。
おそらく2ヶ月前というのは中村がこの世界にあちらの世界から帰ってきたタイミングだ。
伊原が絡んでいるということは、おそらく中村にも認識阻害魔法はかけられていたはずだ。
だが、それでも帰宅した中村と両親との間で何かがあったに違いない。
「こちらの募集開始は1ヶ月前から。その間に何かがあったのはだいたい予想はつく」
「死んだ?」
「もしくは引っ越ししないといけない事情が出来たなどかな?」
俺は改めて鳥を喚び出した。
「壁にぶつけないよう慎重に鳥を偵察させるので、ちょっと時間がかかる。他の住民が来ないかどうか見張っていて欲しい」
「分かったよ。任せて」
家を周回させると、換気のために空いているであろう天井換気口から侵入できそうだったので、そこから屋内に鳥を侵入させる。
天井点検口から2F室内。
更に1Fへ。
1Fリビングも空……いや、荷物が撤去されているのは分かる。
だが、ただの引っ越しのために「床のフローリングを全て剥がす」必要はあるだろうか?
構造からして和室を洋室に改装したようなので、長押や欄間が残っているのは分かるが、ならばその長押が歪んでいる理由は?
何か重いものをぶら下げた痕跡なのでは?
しかも、二本垂れ下がったままのロープはどういう意味が?
部屋に張られた御札の意味は?
「ラビさん、能力を解除してください。何かが来ます」
モリ君に体を揺られたので、指を鳴らして使い魔を
「何があった?」
「恵理子が気配で察しました。霧で見えないけど何かが来るって」
エリちゃんがそう言うならば、少なくとも地元住民や警察ではないのは分かる。
熊かイノシシか……それともおおよそ日本に存在してはいけないファンタジーな敵か?
「ところで家の中はどうでしたか?」
「2人の人間が首を吊ったであろう痕跡を見つけた」
「やっぱり……」
「調査の話は後回し! 来るよ!」
エリちゃんが霧の向こう側にいる「何か」に対して身構えた。
それは近付いてくるにしたがって、俺にも視認することが出来た。
否――厳密には「視認出来て」はいない。
霧の中から現れたのは人形の黒い塊……人間の影としか形容しないものだった。
影としか認識できず、その正体は不明のままであるため、これは「見えた」うちには入らない。
「モリ君、スマホのライトを照らしてみて?」
「えっと、ライト……ライトの機能ってどれだ? これ?」
モリ君が手に持ったスマホから強い光が発せられてその人影を照らすが、黒い塊のままである。
正体が浮かび上がることはない。
その黒い影は腕らしき部位を振り上げて、俺達の方へ走って近付いてくる。
「えっと……これって倒しちゃっていいのかな?」
「一応撤退。叩きのめした後に、実は俺達が幻覚を見せられていただけで、倒したのは地元住人でしたとかだと洒落にならん」
「分かった!」
3人でその黒い影に背を向けて駆け出すが、やはりというか、運動能力の低い俺だけがどんどん遅れていく。
それを見たモリ君が振り返り、小走りで駆け寄ってきてくれた。
「ラビさんの足じゃ無理でしょう。掴まって」
「ああ!」
モリ君の首に跳びついてそのまま体の力を抜いて横に倒すと、太ももと肩に手をかけてお姫様抱っこの体勢で支えてくれた。
正直に言うとかなり恥ずかしい体勢だが、俺の足の速さでは間違いなく影に追いつかれるし、幻覚と考えると箒で飛ぶ姿を地元住人に見せるわけにもいかないので、この方法しかない。
俺をお姫様抱っこしたモリ君とエリちゃんの2人は一気に走る速度を上げて黒い影との距離を開いていく。
このまま撒くことが出来れば良いのだが、影人間も全く諦める様子がなく、徐々に速度を上げながらこちらを追跡してくる。
気付くと影人間の数も3人……いや、3体に増えていた。
「流石におかしくない? 今はバイク並のスピードで走ってるんだけど」
「俺達の足に追いついてくるって絶対に人間じゃないよな。ラビさんはどう思います?」
「この速度は流石に幻覚ではないと思う。広い場所に出たら、もう迎撃しても良いんじゃないかな。あの車を停めている空き地で良いと思う」
この集落に来る途中もずっと細い道が続いており、広いスペースは車を停めている空き地くらいしかなかったはずだ。
戦闘を行うならば、あの広場で戦う方が有利だろうと思ったが、モリ君が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……あの、車ってどこに停めましたっけ?」
「道は一本道だから間違えようがないだろう。さっきの家を抜けると例の豪華クルーザーが泊まっている港が有って、そこから何もない岸壁が少し続いて、空き地が……」
「ごめんなさい、走るのに夢中で通り過ぎました!」
「ええっ? それはマズい。いや、降ろして。ちょっと降ろして」
「はい」
「ふえっ」
モリ君が急に手を離したので、俺は着地に失敗して地面に尻餅をついた。
「すみません、ラビさん、そんなつもりじゃ」
「いや、いいんだけどね。それよりも、この先に広い場所なんて何キロも先だぞ。この狭い道で迎撃するしかない」
「1人1体でいいですか?」
「そうだな。日本で戦うのは初めてだから、ウォームアップも兼ねてやるか」
まだ接敵には時間があるので、まずは柔軟運動からだ。
背筋を伸ばして体を横捻り。
ラジオ体操の動きを取っていると、影達があと50mほどの距離に近付いてきた。
「どれを狙うか自己申告で」
「私は真ん中のやつ」
「じゃあ俺は右を。ラビさんは左のやつで」
分担は決まった。あとは謎の敵を倒すだけだ。
「全く……日本でモンスター相手に戦闘をすることになるなんて思わなかったよ」
「何なんでしょうねこの状況」
「こんな状況ってマンガであるよね」
全く平和な日本はどこへ行ったのか?
まだそこらにダンジョンがポコポコ生えていて謎モンスターが出現するファンタジーになっていないだけマシと思うべきか。
「異世界帰りの高校生は日本で無双するようです」
エリちゃんが謎のタイトルを上げた。
確かに間違っていないのだが何か違う気がする。
「まあ、無双できるかどうかは、相手の強さ次第なんだけどさ」
「というか俺は高校生じゃないんだけど」
「中学生ですもんね」
「23歳ですけど」
モリ君とエリちゃんが姿勢を低くして身構えた。
俺は半身になって立ち、弓を引くような姿勢で立つ。
2人が飛び出すと同時に俺は三体の鳥で増幅魔法陣を左手の先に展開させる。
右手には射出準備を整えた鳥。
「オーラソード!」
モリ君がプロテクションのスキルを発動。
青白く光る壁……いや、剣を右腕に直接展開して、黒い影を一刀で切り捨てた。
一撃で体を両断された黒い影は塵のような黒く細かい粒子になって消えていった。
これでまずは一体。
「私も久々にすごーいパーンチ!」
エリちゃんは久々にプロレスの関節技やキックではなく拳にスキルの青白い光をまとわせたストレートパンチで攻撃を仕掛ける。
シンプルではあるが、あくまでも強化したパンチを高いフィジカルを使って打ち込んでくるだけなので弱点も少ない優秀な攻撃だ。
黒い影はそれを避けられず、粉微塵になって砕け散った。
残り一体。
「俺はスキルの試射だな。こいつがどれくらいの威力になるか」
弓を放つようにして、右手の甲に留まらせていた鳥を飛ばして魔法陣に突入させた。
魔法陣を通り抜けたことで威力を増幅、強化された鳥はおそろしい速さで高速回転をしながら、黒い影へと突撃していき、何の抵抗もなくその胴体を貫いた。
鳥に貫かれた影は、粉々に霧散し、鳥と共に渦を巻きながら虚空へと消えていった。
「強すぎて最大火力がよく分からないが、パワーアップしてることは間違いないな。Act2……いや、Act4でいいのか?」
「何、名前の話? すごい鳥でいいんじゃない?」
「弓を射るみたいな姿勢で撃っていたし、
「それだ!」
技の名前は叫ぶ必要など一切ないのだが、気分の問題ではあるが、雰囲気の問題だ。
「それにしても、この敵は何だったんでしょう?」
「あの家を調べた途端に出現したから、まず間違いなく罠だな。この霧もそうだし、突然に謎の島に送りつけられるあたりも完全に罠」
「なら、どうするのこれから?」
「調査を継続だな。こんな敵を配置しているあたり、よっぽど知られたくない何かがこの集落にあるんだろう。それさえ見つければ、この件は片付いたも同然だ」