フィラデルフィアを出て海沿いに街道を北上していく。
最初のうちこそ何もない荒野が広がっていたが、ニューヨークまであと5Kmという地点から突然に道に舗装が現れた。
近代的なアスファルト舗装ではない。
基本的には古代ローマからあるコンクリート舗装だ。
ただし、そこには綺麗な石……
耐久性を上げるだけではなく、見た目の美しさも伴っているようだ。
「とりあえず、この道沿いに走るぞ。どこかに橋があるかもしれない」
「そんなことより、あれって自由の女神!」
エリちゃんがモニターの一点を指差した。
右側方向、海の向こうには台座に乗った巨大なブロンズ像が視認できた。
松明を持った右手を頭上へ掲げ、左手には銘板を持った巨大な女性の銅像……自由の女神だ。
全員が思わずモニターに表示された映像に釘付けになった。
モニター越し、しかも異世界製とはいえ、まさか自由の女神の実物を拝めるとは思わなかった。
自由の女神像の背後にはロングアイランド島が広がっている。
そして、ニューヨークの摩天楼があるはずの場所には真っ白い大理石の壁に覆われた町があった。
壁の内側には石造り、白亜の建物が立ち並び、民家と思しき建物の合間には何百もの尖塔が連なるように立ち並んでいる。
町の中心は小高い丘のようになっており、その上にはアラビアンナイトにでも登場しそうな中東の宮殿風の建物が建っていた。
塔には水晶でも埋め込まれているのか、沈みかけた太陽の陽を反射しており、それがガラス張りの近代的な高層ビルを連想させた。
近代建築とは全く異なるものの、その発展した町を見ると「ニューヨークの摩天楼」という言葉が自然と脳裏に浮かんでくる。
町の白い壁と建物はそうやって尖塔が受けた陽光を受けて、町全体がまるで燃えるように紅色に染め上げていた。
名前だけは聞いていた町、セレファイスだ。
「さて、ここからどうやって町に渡る?」
ふと浮かんだ疑問をカーターにぶつけてみた。
「とりあえず車で行けるところまで突っ込むつもりだが」
今は自由の女神を右手にして、回り込むように進路を東に変えた。
パセーイク川、ハッケンサック川にかかっていたコンクリ作りの頑丈そうな橋を越えて、ひたすら道なりに直進する。
「いや、それは分かるけどハドソン川はどうやって渡るんだ? 坂下さんからの情報で橋はないはずだが」
「今も橋を越えたばかりだろう。この道はこれだけ舗装されているんだぞ。きっとこの先も橋があるだろう」
「いや、橋なんてどこにも見えないが」
俺は道の先にある、かなりの川幅があるハドソン川を指差した。
舗装路面は続いているというのにそこには橋がかかっていない。
川の対岸には舗装路面が続いているというのに、橋がなく、道は川で分断されている。
ハドソン川はかなり川幅が広い上に海が近いマンハッタン周辺はそれなりに深さも有る。
そのまま突っ込めば、装甲車は川底に沈んだまま浮かび上がることは出来ないだろう。
果たして一体どうやって渡るつもりなのか?
「えっ?」
カーターの答えは、明らかに橋があることを前提とした最悪のものだった。
「どうやって渡るんだ? ジャンプか? ナイトライダーばりにジャンプするつもりなのか? ターボブーストか?」
「いや、こいつの図体でジャンプなんて無理だろ」
ダメだった。
こいつ、何も考えていなかった。
ようやく事態の深刻さに気付いたのか、カーターは急ブレーキをかけた。
「うわっ」
高性能サスペンション付きの装甲車と言えども、さすがに時速60キロ以上で走行中の急ブレーキの慣性は殺しきれない。
車体が激しく揺れる。
ブレーキが高性能だったのと、カーターが強引にハンドルを切ったおかげで、なんとかハドソン川への転落は寸前で避けることができた。
ただ、車重が川べりにかかったことで、川岸の石と砂が少し崩れていく。
後部座席の面々は無事かと確認する。
子供2人は咄嗟にタルタロスさんが抱き抱えたので無事。
俺も近くにいたエリちゃんに支えてもらったので何とか無傷だ。
エリちゃんもタルタロスさんも体幹が強いからか、あれだけ振動が有ったというのにビクともしていない。
モリ君は負傷のためにシートに深く腰掛けていたので無事。
アルフとティナもなんとか堪えていた。
そんな中、坂下老人だけがシートから投げ出されて床の上に転がっていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。バスに乗るのは何年ぶりだと思ってるんだ」
坂下がよろけながらもなんとか立ち上がり、服をパンパンとはたいた。
見る限りは怪我はないようだ。
「ヤバい、死ぬところだった」
「気を付けろよな。下手すりゃハドソン川の藻屑になるところだったぞ」
「だから川ポチャの前に止まっただろ」
「急ブレーキに頼るなって話だよ」
一応車は急停車して川へ落ちることは避けられたが、いつまでも地盤の弱そうな川岸には居られない。
「まさか、道は続いているのに橋だけないとは」
「だから橋はないと言っただろう」
「橋は全くなかったわけじゃなさそうだぞ」
川の途中には水の中から橋脚がいくつも突き出ており、すぐ近くには巨大なコンクリ塊が転がっている。
道の端を見ると、何か焼け焦げて強い衝撃でえぐられたような跡が付いている。
おそらく元々は橋があったのだろう。
それを、比較的最近、なんらかの理由で爆破解体したようだ。
町に誰も入れたくなかったのか、それとも出したくなかったのか。
「橋はあったみたいですが」
「いや、こんな橋は知らないが」
坂下は以前から調査はしていたと言っていた。
なのに知らないというのだから、何か仕掛けがあるのかもしれない。
「とりあえず南の方に行ってみるか。どこかに別の橋があるかもしれない」
「行くなら北だろう」
「でも、近くで見たいだろ。自由の女神」
反論する者は誰もいなかった。
カーターは車を海沿いに走らせて、自由の女神が近くで見られる場所まで移動させた。
現代だとリバティー州立公園と呼ばれている場所辺りで車を停めた。
全員が必要最低限の荷物を持って車を降りた。
改めて自由の女神の方を見る。
どういうわけなのか地球の自由の女神と全く同じデザインだ。
異世界用のアレンジがされていると思ったが、それもない。
「おかしいな。町は全然ニューヨークじゃないのに自由の女神だけはそのままなんだ」
そう思っていると、突然にカーターが荷物を投げ出して跪き、自由の女神を見上げた。
「どうした、何があった?」
「なんてことだ! ここは地球だったのか!」
カーターは俺の問いかけを完全に無視して、自由の女神に向かって慟哭の叫び声を上げた。
しまった、先を越されたか。
俺も同じように膝をついて土下座のポーズを取る。
「なんてことだ! ここは地球だった。帰っていたんだ、故郷に!」
周りは荒野が続いており、そこから見える自由の女神。
ならば、このセリフを言うしかないだろう。
「なんだっけ、続きのセリフは『みんな星になってしまえー!』だったっけ?」
「ニュアンスはそんな感じだったと思うけど『人類やっちまったな。ゴーツーヘル!』みたいな内容じゃなかったか?」
「もしかしてTV放映版とレンタルDVD版で吹き替えのセリフが違うのか? 俺が見たのは吹き替えが昔の銭形だったけど」
「オレが見たのも銭形だったけど……」
「2人とも何をやってるんですか?」
猿の惑星ごっこをやっている俺とカーターにモリ君が不思議そうな顔をして尋ねてきた。
同じく横にいるエリちゃんも意味が分からないのかキョトンとしている。
そうか、今のシーンを知らないのか。
子供たちはもちろん、記憶がないタルタロスも分からないのは仕方ないが、2人は知っていると思っていたのだが。
「坂下さんは知っていますよね」
「知らん」
そこは知っておけよ賢者。
そう思ったが、50年前にこの世界に来た当時は十代の若者だ。
この世界に来た後は、現代の文化に触れていないのだから、知らなくとも仕方がない。
「昔の名作映画で荒廃した世界に残された自由の女神を見て慟哭するシーンがあってさ。一度機会があればやってみたいと」
「そうそう。オレも自由の女神の前で一度はこれをやらなけりゃと思っていた」
「なんだかんだでラビさんも楽しんでいますね」
モリ君に改めて言われると恥ずかしくなってくる。
「全然関係ない話なんだけど、そこの近くにある島はエリスアイランドって名前らしい」
「本当に関係ないんだけど」
「だけど、どうやってマンハッタンやロングアイランド島に渡るかだな」
「一応さっきの橋があった場所まで戻るか」
◆ ◆ ◆
さきほど転落し掛けた場所まで戻ってきた。
川幅はかなり広い。
目算でも1キロ近くありそうだ。
途中にいくつか残っている橋脚をアスレチックのようにピョンピョンと飛び乗って移動するにしても距離がありすぎる。
たとえモリ君とエリちゃんでも、フィジカルだけでの突破は難しいだろう。
「昔、アメリカ旅行に行った時は、バスでトンネルを通った記憶がある。空港からマンハッタンまで行って、メトロポリタン美術館を見に行ったんだ」
カーターが目を閉じて額をトントンと指で叩いていた。
どうやらアメリカ旅行の経験があり、その記憶を思い返しているようだ。
「その時に自由の女神は見なかった?」
「観光客がいっぱいいたからな。オレだって恥という概念はある」
俺たちならばいいのかという話は棚に上げておく。
「ここが運営が作った町なら、トンネルも含めて再現しているかもしれない。何しろ、用途不明の自由の女神すら立ってるくらいなんだから」
「そう言われると説得力があるな。探してみる価値はありそうだ」
ここで船を調達するよりは現実的だろう。
なければないで、他の方法を探すだけだ。
「まあ、それはそれとしてだ。町に行くのは少し後になりそうだな」
「そう……みたいだね」
エリちゃんが身構えながら川の対岸を見た。
そこには、一人の人間が立っているのが見えた。
すかさず鳥を喚び出して、その視点で確認する。
俺の視力よりも鳥の目の方が遠くのものが見えるからだ。
男は何やら奇妙な紋様が付いた仮面を被っており、近代的なレザーコートを身にまとっていた。
この時代のものではなさそうなので、日本人か、それとも運営の関係者か。
今のところは何をするでもなく、無言で俺たちと……すぐ後ろに停まっている装甲車の方を見ている。
「モリ君はまだ傷が完治していないから子供たちと一緒に下がって。代わりにタルタロスさん、前衛をお願いします」
「ああ、分かった」
エリちゃんとタルタロスさんが前に出た。
さすがにこの距離で何か仕掛けてくるとは思わないが、俺は少し後ろから
まだ負傷箇所がズキズキと痛むので、可能な限り戦闘は避けたいところだが、それは相手の出方次第。
どうなるかは分からない。
「待って、みんな静かにして。あの人が何か喋っているみたい」
エリちゃんが構えを解いて手を耳に当てた。
これは聴覚に優れたエリちゃんだから聞き取れたのだろう。
俺には川から聞こえてくる水の流れる音にかき消されて何も聞き取れない。
「ごめん、聞こえない!」
エリちゃんが対岸に居る男へ向かって大声で叫んだ。
少しの間。
「やっぱり聞こえない! その仮面を被っているからかも。それを取って!」
やはり大声でエリちゃんが返すが、やはり男の反応は何もない。
いや、もしかすると仮面の下で何かボソボソと喋っているのかもしれないが、こちらにはまるで聞こえないので意味がない。
そうしているうちに男は一度後方へと下がった。
そして、勢いを付けてダッシュ。
川岸ギリギリの場所から高く跳躍した。
まさか、この広い川を一足飛びで飛び越えるつもりなのか?
それが可能だとすると恐ろしい脚力の持ち主だということになる。
男は川を一気に飛び越え――
――ることはできず、足を踏み切った場所から10メートルほど離れた場所に着水。
意外と速い川に流されて、どんどんと下流へ運ばれていく。
ジャンプ力は確かに常人を超えた相当なものではあった。
それでも、この川を越えるほどの超人的な能力ではなかった。
「何をやりたいんだよ、あいつは!」
さすがにそのまま溺れて流されていくのを黙って見ているわけにはいかない。
慌てて箒にまたがった。
俺の今の筋力では男を持ち上げることはできない。
ましてや負傷して、平常時の数分の一というどうしようもない状況なのだが、それでも見殺しという訳にはいかないだろう。
「ラヴィさん、これを!」
その時、タルタロスさんがロープの端を俺に渡してきた。
長さは約50メートル。
それだけで、対岸まで引っ張り上げるのは無理だが、川のあちこちから飛び出している橋の残骸に引っ掛ければ、少なくとも海まで流されるのは防げる
「この端をあの男に持たせてきてくれ。ワシが引っ張り上げる」
「それなら助けられそうですね。助かります」
ロープを掴んで溺れている男の手前に落とした。
「これを体に絡めるんだ」
男がロープの端を手で掴んで体に巻き付け始めた。
固定されたのが確認できたので、反対側を橋脚の残骸から飛び出している鉄骨に引っ掛ける。
男は必死にロープを手繰り寄せて、なんとか大きめの橋脚の残骸の上に這い上がった。
ただ、必死に息をしようとしているようだが、仮面が邪魔でまともに呼吸をできていない。
ぜいぜいという呼吸音の合間に、仮面の隙間から吐き出したであろう川の水が零れ落ちている。
「いいからその仮面を取れ。死ぬぞ」
呼吸の邪魔になっている仮面を掴んでなんとか脱がそうとするが、両腕でガッシリと仮面を掴んで離そうとしない。
なんてやつだ。
それでも無理矢理に仮面をはぎ取ると、顔全体にぶつぶつと発疹が浮き出た痛々しい顔が現れた。
男は慌てて仮面を奪い返して、またも被り直した。
何かの病気なのだろうか?
「このままだと町は全滅する。早く治してくれ!」
男は怒気をはらんだ声で叫ぶように言った。
「すみません、状況が分かりません。まずは順序立てて1から説明をお願いします」
いきなり治してくれと言われても意味が分からない。
おそらく男の方にも何か事情はあるのだろうし、町で何かが起こっているのも間違いなさそうだが、これでは何も出来ない。
まずは状況の確認が不可欠だ。
◆ ◆ ◆
ロープと瓦礫を駆使して、男をなんとか対岸まで引き上げた。
興奮気味の男……ハンザラが落ち着くまで10分ほど待った。
ようやく気分が落ち着いたのか、ハンザラさんは仮面でくぐもった声でボソボソと話し始めた。
「ここから見える町はセレファイス。かつて永遠の都と呼ばれていた」
「町で一体何があったんですか?」
「2ヶ月ほど前に、この町を支配していたクラネス王が突然姿を消した」
それは、運営がこの世界から撤退を決めた時期だ。
タイミング的には無関係ということはないだろう。
「その頃から入れ替わりにおかしな連中が町に現れ始めた。王の仲間だという話だが、別に何もしてくれないし、建物は自動修復の不具合も解消されない」
町が自動修復?
話には意味の分からない部分が多い。
まだ混乱しているのだろうか?
「住民もみんな狂い始めた。暴力衝動を抑えきれずに突然に喧嘩を始めたり、建物を破壊し始めたりと酷い荒れようだ。しかも怪物化するものまで現れた」
「あなたは無事なんですか?」
「今はこの仮面に込めた魔術で症状を抑え込んでいる。ただ副作用が酷い。使うだけで全身がボロボロになっていく」
ハンザラさんの話を信用するならば、顔の発疹は病気などではなく、魔術の副作用ということか。
「その車を見てすぐに分かった。あんた達はクラネス王の仲間なんだろう? 早く町を元通りにしてくれ」
ハンザラさんは全身を震わせながら装甲車を指差した。
今の言葉でなんとなく察せられた。
この装甲車は元々運営のものだ。
それを見て、関係者だと思ったということは、クラネス王とやらは運営の関係者で間違いなさそうだ。
運営はこの町を管理していたが、それが消えたせいで町の管理システムは停止。
住民たちや町は正常に動作しなくなっているということか。
だが、怪物化というのが分からない。
以前に見つけた偽物の町で見たマニュアルにあったのは、エネルギー切れで暴走するという内容だけで肉体が変化するまでは書かれていなかった。
説明が足りていないのか、それとも別の現象が起こっているのか。
「町に現れた商人が、紅玉を売りさばいているはずだが」
「それも同じ時期だ。いつごろからかガレー船が食料以外に赤い宝石を運んでくるようになった。安いのでみんな買ってなおも余っている」
問題はダイラス=リーンの時と同じだ。
例の商人はどこからか持ち込んだ紅玉を、この町でもばら撒いている。
怪物はもしかするとアルフとティナが遭遇したカエルに似た魔物なのかもしれない。
このまま放置はできないが、問題はどうするべきかだ。
「この川を渡る方法を知りませんか?」
「分かれば、こんな無理な渡河はしない」
それはそうである。
俺たちの装甲車を見つけたので、是が非でも接触する必要があると思い、必死で川を渡ろうとしたのだろう。
「まずは川を渡る方向を探しましょう。他に橋がないか探すのか、それともトンネルを探すのか」
なにしろ川幅が広い上に深い。
そこらの木を伐採して即席の橋をかけるのは難しそうだ。
それならば、即席でいかだのようなものを作って渡河する方が堅実だろう。
「トンネルを探してみよう。この装甲車が運営のものならば、搭載されている機能で分かるかもしれない」