デクスターことナイアルラトホテップが去った後に工場を調べてみたが、特にそれらしいものは見つからなかった。
奴の言葉を信じるならば、人間が悪用できそうなものは一通り回収した後なのだろう。
ただ、また原材料が揃えば再利用される可能性を考えて、制御基板は二度と使えないようにバラバラに破壊しておいた。
半導体部品などが多数使われていたので、この世界の技術では修復できないはずだ。
町には太陽の光が差し込むようになった。
散々工場が煙を吐き出しまくったせいで、まだ町の空気は綺麗になったとは言えない。
それでも、少しずつは浄化されていくだろう。
「じゃあ、ここらの植物は全部焼いてしまっていいんだな」
「ええ、お願いします」
アルフが放った炎で、公害によって怪しく変異した山の木や雑草などが焼かれていく。
火が必要以上燃え広がらないよう、ティナの風で制御してもらっている。
スキルを使うので、地道に松明などで焼いていくのとは比べ物にならないくらい早い。
この分だと、2日もあれば作業は終わるだろう。
森を焼いている最中に、やたら巨大化した昆虫や、異形なモンスターと化した野生動物などがいたが討伐しておいた。
モスマンは、このような形で赤い宝石を体内に取り込んで生まれたモンスターだったのだろう。
ただ、異形と化した植物を焼いてはいるものの、汚染された土壌は簡単に修復はされないようだ。
アルフが焼いた草木灰も、色が抜け落ちたような灰であり、臭いも強烈。
真っ当な土に還るとは思えない。
ある程度はドロシーちゃんの水で練って固めて地中深くに埋めておいた。
だが、これが重金属の公害のようなものだとすれば、全く別の除染作業が必要になるだろう。
「なんとかセーフだったのは、ここが岩山に囲まれた採掘の町なので、農業などは元々あまりやっていなかったことくらいか」
「最悪、農作物は余所から仕入れられるからな」
次に大きな問題としては、住民側が全く復興作業を始める気がないように見えることだ。
セレファイスの住民は、まだ自ら立ち直る意思が残っていた。
だが、このインガノクの場合は、運営による長い支配体制の直後にレン人の恐怖がそれを引き継いでいた。
そのせいか、完全に自力で生きる意志をなくしている。
町が解放されたというのに、外には出てこないで、ほとんど家に引きこもったままだ。
「まあ、食べるものがなくなって腹が減れば、働きだすとは思うんですが」
「ただ、今まで縞瑪瑙を売っていたセレファイスも酷い状況だ。船で運んでいったところで売れるかどうか」
放置されたままの採掘場を動かせば外貨は稼げるはずだ。
ただ、セレファイスに売りに行っても買ってもらえるかどうかは怪しい。
さらに南の方にある町まで行ってもらわないとダメかもしれない。
「そうなると、話は一つしかないと思います。フロリダのマイアミ経由でメキシコ湾沿岸にある町まで売りに行ってもらう」
同じように異世界から飛んできた町も、メキシコ湾沿いの場所は比較的経済状況が安定していた。
その中でもフラニスは、元からこの世界にあった町と早々と連絡を取り合い、交易を再開していた。
場所も悪くないので、この世界ではかなり大きな港湾都市として成長していけそうな雰囲気はある。
あそこまで交易路を伸ばせれば、運営が作った町々も、エーテルリアクターに頼らずに生活していけるようになりそうだ。
「マサムネさんの住んでる集落も、他の町と繋がると安定するんじゃないですかね? あそこも畑を広げるって話みたいでしたし」
「ただ、俺たちはただの旅人だ。そういう交渉は全然できそうにない」
俺とモリ君の視線は自然と坂下に向いた。
今のところ頼れそうなのはこの人しかない。
「私はやらんぞ。そういう町の運営だの経済だのには向いておらん」
それは分かっている。
何日か旅をしてきて分かったが、坂下は賢者と名乗るだけあって学者気質だ。
政治とか他人と交流とかそういうのには全く向いていない。
伊原さんもどちらかというとそっち側の人間だが、そこは長い経験で無理矢理に対応した形だ。
なので、そういう政治にかかわるようなことを任せようとは思っていない。
「いえ、帰宅ついでにメッセンジャーをお願いしたいのです。具体的には仲間が何人も住んでいるマイアミの町まで」
「同期の日本人がいると言っていた町だな」
「はい。そこには生活基盤を広げようと頑張ろうとしている人たちが何人かいます。そこに連絡を取ってもらえれば、後はうまくやってくれるかと」
坂下は腕組みをしてうんうんと唸り始めた。
ただ、それはポーズだろう。
答えはとっくに決まっているようだったから。
「そこの町はタウンティンとも交流があるのだったな」
「はい。今までは関係は薄かったようですが、私たちが関係した事件が切っ掛けで交流が生まれると思います」
「分かった。どのみち伊原たちと同窓会をするつもりだったし、ウルタールまで行くならば、マイアミまで足を延ばしても同じことだ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。仲間への手紙は書きます」
これで一安心だ。
この世界に残ったみんなには迷惑を掛けるかもしれないが、あとは何とかしてくれるだろう。
余計な仕事を押し付けやがってと怒られるかもしれない。
それでも、あえて頼りにしたいと思う。
「それで、無貌の神との約束はどうする?」
坂下が言っているのは日本にいる中村夕子を止めるという話だ。
ナイアルラトホテップと約束したのだから、これは履行しないといけない。
もちろん、俺たちが日本に帰ることが前提の話だ。
「ここからボストンまでは100キロ。坂下さんが言っていたセイレムまでも朝に出発すれば、その日のうちに到着できます」
「再度確認するが本当に日本へ帰るのだな」
「はい。もちろんです」
「そこに邪神の罠があるかもしれない。何かの陰謀が裏で動いているかもしれない。だとしてもか?」
「だとしてもです」
どちらも、何かの条件で言わない……言えないのは分かる。
実際、センティネル丘陵に行ったとして、何が起こるのかはまだ分かっていない。
最悪、その方法では日本に帰ることができないという可能性も残っている。
それでも、あえてだ。
「最後の確認です。私たちは日本へ帰りますが、アルフさんたちはどうされますか?」
「いや、帰るわけないだろ。俺たちの異世界ライフはまだ始まったばかりなんだぜ」
「そうそう、とっくにここに残ることは決めてるんだから、あんたたちだけで帰りな」
アルフとティナは同行を拒否するという方針は変わらないようだ。
「モリ君、今の財産ってどんなもんだっけ?」
「色々使ったし、残りは18万くらいですね」
モリ君が資金を入れた革袋を指でかき回しながら答えた。
「じゃあ、1万だけ残っていればいいか。残りは全部アルフさんとティナさんに」
「いいのか?」
「ここで生活していくんでしょう。ならば、金がなければ船にも乗れませんよ」
「いや、待てよ。お人好しすぎないか?」
「私たちに必要なのは、この世界の貨幣ではなくて日本円ですから」
今のところ必要なのは、モリ君が医大に通うための学費か。
エリちゃんはどうするのかは分からないが、それによってはプラスされるかもしれない。
子供たちやタルタロスさんのことも考えないといけない。
身元不明となれば、最悪、子供たちはうちで引き取るのがいいかもしれない。
さすがに俺が引き取るのは無理である。
なので、両親に土下座で拝み倒し、上戸家の養子に入れてもらうことも考えておきたい。
「そういうことなら貰っとくぞ。返さないぞ」
「いいですよ。食料はどうします?」
「かさばるのはいらないな」
「それならクッキーだけでも貰ってください」
別に作り溜めておいたクッキーが入った袋を渡す。
30枚くらい入っているので、まあそこそこは持つだろう。
「それでは、私たちはそろそろ出発したいと思います」
「もう出発するのか」
「あまりいると名残惜しくなるので」
坂下とアルフとティナ。
最後に3人に深く頭を下げた。
他のメンバーも全員で別れの挨拶をした。
「そういうことならば、伝言いいか?」
坂下はそう言うと、紙を一枚取り出し、折り目を付けた後に切り取った。
その表と裏に文面をさらさらと書きつけた。
サイズはちょうどはがきサイズだ。
表には埼玉県の住所。
裏には簡単な私信が書かれている。
「この年になってなんだが、自宅……親への伝言を頼みたい」
「はがきのようなので、切手を貼ってポストに投函でいいですか?」
「それで十分だ。会う必要もないし、それ以上の干渉も必要ない。ただポストに入れるだけでいい。これは私からのけじめだ」
文面はシンプルなものだった。
家に帰れなくなったが充実した人生を送れている。心配はしなくていい。
育ててくれてありがとう。
それだけだ。
住所も書かれているのでちゃんと届くだろう。
なにせ、こちらでは50年でも、日本ではまだ半年しか経っていないのだから。
「分かりました。必ず届けておきます」
「達者でな。日本へ無事に帰れることを祈っておく」
それが最後の挨拶だ。
別れる時は笑顔で。
ただ一つこの世界に残したのが、最後を涙で締めたことだ。
あの無念だけは、もう繰り返したくない。
進路は北東。
最終目的地ボストンに向けて装甲車が走り出す。
見送りに来ていた、坂下、アルフ、ティナ。最後の3人の仲間たちの姿はすぐに見えなくなった。
◆ ◆ ◆
その日は、夕方ごろから車は深い霧に包まれていた。
フォグランプを点灯して、川や崖への転落を避けるために慎重に速度を落として車を進行させる。
進行方向には海が見えている。
海岸線と、白地図を比較したことで、だいたいの位置は分かるのだが、少しおかしなことに気づいた。
「何かおかしいな」
「どうかしたんですか?」
「地図と地形が全然違う」
モニターに白地図を表示させる。
そこには円形の湾から山の方へと川が伸びている地形が表示されていた。
山の位置や形も全く異なる。
まるで装甲車が知らない間に転移したように錯覚するが、それだと海岸線の形が一致しているというのはおかしい。
「この地図に表示されている場所がボストン」
「現在地ですよね」
「いや違う。日が落ちるちょっと前に大きな川を渡ったと思うけど、それが、地図に表示されているチャールズ川。ボストンの位置には町なんてなかった」
「なら、先に見えるあの町は何なんですか?」
白地図を閉じて前面モニターを見る。
そこには電灯による明かりが灯っている町が映っている。
中世の町にあった松明や暖炉の灯りではない。
タウンティン以来、数ヶ月ぶりの人工……電灯の灯りだ。
モニター上には木造の古い家屋と石造りの建物、コンクリ造りの建物が混在して映っている。
いくつか大きな建物はあるものの、高層ビルなどは一つもない。
アメリカというよりも、ヨーロッパの古い小さな港町という印象を受ける。
「海岸線の形と、走行距離から推測するに、現在位置はボストンから北へ25キロ。位置的には川の向こう側にあるのはセイレムだろう。魔女裁判があったという町だ」
「セイレムって町……いや、集落もあるんですね」
川の南側には小さい木造の家が立ち並ぶ小さい集落が見える。
川の北側はそれなりに発展した町になっているのとは対照的である。
「でも、地図上には川なんてないですよ」
「それが謎。町は転移で来たとして、ならばこの川は何ってなる」
右モニター、そして後方モニターで確認すると、かなり川幅が広い。
それなりの長さの川でなければ、この川幅にはならない。
西方面は山岳地帯なので、そこから流れ出してきているとして、最低20キロだ。
小さい支流だと地図では省略されていることもあるが、川幅50メートルを超えた川が地図に載っていないのはおかしい。
「この運営が用意した地図もそんなにあてにならなかったし、実際に目に見えるものを信じた方が良いんじゃないですか」
「坂下さんの話が正しいならば、川の名前はミスカトニック川だ」
坂下は、この川を上流へ向かって進んだところに遺跡があるとは言っていた。
ただ、上流へどのくらい進めばいいのかがさっぱり分からない。
「考えられるのは、川の両岸どちらともセイレムである可能性。そしてもう一つは」
「アーカム? この世界にしては新しすぎますけど、異世界から来た町なんでしょうか?」
「分からん。何も情報がないし」
現在手元にある情報は運営の地下でカーターの異世界同位体、ランディに聞いたものだ。
ただ、その内容が「センティネル丘陵の祭壇に行け」と「先にアーカムという町に行け」の2つだけだ。
今まではがむしゃらにやってきたが、冷静になって考えると、実にふわっとしすぎている。
「アメリカを旅していた坂下さんも知らない町だ。今までのパターンからすると、異世界から転移して来た町なんだろうけど」
「また、変な異変が待っているんでしょうか? それとも中村さんが関係している?」
「いや、これはうちのスポンサーの差し金だな」
カーターだけは冷静に進路の先を見据えていた。
「また、例のやつか?」
「今回は言えるぞ。あの町がアーカムだ」
「相変わらず怪しいんだが、カーターがそう言うならばそうなんだろう」
カーターが怪しい言動をするのは今さらの話だ。
もはやどうということはない。
ここで、カーターが突然裏切ったらもうそれは笑うしかない。
「何にせよ、今は情報収集が先決でしょう。今日はそれも兼ねて、あの町に泊まるってことでいいでしょうか?」
「そうだな。正直残金は乏しいけど、一泊くらいならなんとかなるから、宿を探すか」
やはり町の中へ車は乗っていけそうにない。
俺たちは適当なところに停め、歩いて町に向かった。
◆ ◆ ◆
町は意外と古いという印象を受けた。
歩いている住民の服装からして19世紀末から20世紀初頭くらいだ。
昔の白黒映画に出てくる町並みに近いので、20世紀初頭と見る。
ここも1943年設定かと思ったが、もう少し時代は前のようだ。
根拠としては、町に入ってから全くと言っていいほど自動車を見かけていないからだ。
道路標識も信号もない。
街灯はまだガス灯が中心で、電気がほとんど使われていない。
深い霧で姿は見えないが、馬の蹄の音が聞こえてくるのも根拠に含めていいだろう。
それだけにファンタジーRPGに足を突っ込んでいる服装の俺たちは明らかに周囲から浮いている。
浮いていないのはスーツ姿のカーターくらいだ。
「まずはそこらの通行人に話を聞いてみるか」
「カーター頼めるか?」
「任せろ。宿と酒場の位置を確認してくる」
「残金はそんなにないんだから酒場で金を使うなよ」
「分かってるって」
カーターは軽い雰囲気で通行人に声をかけて……すぐにダッシュで戻ってきた。
「しまった、こいつらアメリカ人だ!」
カーターは興奮しているのか、やたら息を切らしていた。
そのくせ顔は妙に青ざめていた。
「アメリカ人ってなんだよ? もう何か月もずっとアメリカだから、会う人はみんなアメリカ人だよ」
「違う、英語だ。こいつらアメリカ人だから英語をしゃべるぞ。正直、何を喋ってるのか全然わからん」
「何を喋っているのか分からんのはお前だよ。今まで言語の壁なんて問題はなかっただろ。まあ見てろ」
俺はカーターに代わって通行人へ駆け寄り、簡単な会話を交わす。
そして、すぐに仲間のところへ走って戻ってきた。
「しまった、ここの住民みんなアメリカ人だ!」
「いやいや待って……待って待って待って!」
モリ君が両手を前に出しながら近寄ってきた。
「落ち着いて2人とも。アメリカ大陸に居るんだから、アメリカ人がいるのは当然ですよ」
「でもアメリカ人だぞ。英語を話すんだぞ。華氏やヤーポン法みたいな意味不明のローカル単位を押しつけてくるぞ」
「状況を整理しましょう。ここの住民が俺たちの知らない言葉を喋っているってのは間違いないですか?」
「知らない言語じゃないんだ。英語なのははっきり分かるんだ」
「じゃあ分かる言葉ですよね」
「分かるけど分からないんだ。ネイティブの発音と速度で喋られると、受験勉強の時から進歩していないどころか忘れている俺じゃ全く聞き取れないってだけで」
「えっと……今までずっと俺たちは普通に会話してきましたよね。ペルーからメキシコからサンディエゴに異世界の町。そしてフロリダ。ずっと言葉は通じたじゃないですか。あのイモリ人間ですら通じたんですよ」
どうやらモリ君は大きな勘違いをしているようだ。
「モリ君は、俺たちが今、何語で話していると思ってる?」
「そりゃ、異世界に来たんだから異世界語で、謎の力で翻訳されているんですよね」
やはり勘違いをしていたようだ。
俺はカードを取り出して見せ……ようとして、自分のカードは文字化けで何一つ読み取れなかったのを思い出した。
「モリ君、カードは持っているよね」
「もちろん肌身離さず」
モリ君が内ポケットからカードを取り出した。
「そこに書いてある文字は?」
「日本語ですよね」
「今喋っている言葉は?」
「異世界語?」
「日本語だよ!」
適当に通りにある商店の看板を指差す。
「あの看板の文字は?」
「英語ですね」
「読める?」
少し置いて返答が返ってきた。
「グロセリー屋」
「GROCERYは食料品店って意味だけど、それって何語だった? 異世界語?」
「英語……ですね」
「そこらの通行人の雑談に耳を傾けてみて。何語で喋ってる?」
今回は更に間を開けて答えが返ってきた。全く自信がなさそうだ。
「異世界語」
「大学入試にはリスニング試験もあるけど大丈夫そう?」
「理系と国語はまあまあ自信ありますけど、英語はまあ、その……」
「よし、モリ君も日本へ帰ったらエリちゃんと一緒に受験対策の勉強な。俺も勉強する」
「ラビさんもカーターさんも大卒ですよね。英語は分からないんですか?」
「リーディングとライティングはできるよ。アメリカ支社と英文メールで連絡もしている。できないのは聞くのと喋ることだ」
「なんでっ!?」
「なんでって、そりゃ日常生活で一切使わないからだよ」
俺たちに最大の危機が訪れていた。
何をどうすれば、この危機を乗り越えられるのかは分からない。
だが、一つだけは確実に言える。
かつてない程の強敵であり、最大のピンチだ。
「一度この町を出よう。車に戻って作戦会議だ」