予想外の事態だ。
何をどうしたら、言語の壁という状況を打破出来るのか見当すら付かない。
やはり俺たちは日本人だ。
この世界と付き合っていける気がまるでしない。
俺たちはこの世界から排除されるべき存在なのだ。
全員の表情に絶望の色が浮かび始めた。
ここに来て完全に詰んだと確信した。
「タルタロスさんは英語は?」
「すまん。ワシにはさっぱり分からん」
もはや最後の望みとしてレルム君とドロシーちゃんに声をかけようとして、カーターに制止された。
「止めろ。子供に頼ったら精神が死ぬぞ。もし、ちびっ子たちが英語を話せるとなれば、お前はもう立ち直れない」
「それでも、もうこれしか手はないんだ」
子供たちが英会話を出来なければ、俺たちは住民から何も聞き出せずに終わってしまう。
意を決して子供たちに英語が話せるかどうかを確認する。
「師匠が分からないのに僕には無理ですよ」
「うちは勉強嫌い!」
良かった良くない。
事態は何も解決していない。
こうなれば頼れるのはもう1人だけだ。
俺は脳内で魔女に呼びかける。
ここが最後の綱だ。
魔女がダメならもう俺たちに出来ることはない。
《きゃんとすぴーくいんぐりっしゅ》
ものすごくベタベタな日本語発音で返事があった。
この時点でダメだと分かる。
終わりだ……。
今度こそ完全に詰んだ。
せっかく長い旅を続けてきたというのに、俺たちの旅は「英語を話せない」というだけで終わってしまうというのか。
「オレ、日本へ帰ったら英会話教室に通うよ。駅前留学するんだ。だからラビ助も一緒に通おうぜ」
「落ち着け、日本へ帰るために英語が必要なんだから因果が逆転してる上になんだか死亡フラグっぽい」
ここからどうしたら良いのかと悩んでいたところ、エリちゃんが俺に一冊のスケッチブックと鉛筆を手渡してきた。
スケッチブックは何も書かれていない新品だ。
こんなものをどこで入手したのだろう。
「これは?」
「そこの店で買ってきたよ。普通に買えたので」
エリちゃんは近くにある雑貨屋を指差した。
商店の中からおばちゃんがエリちゃんに手を振っている。
「えっ、でも言葉の壁は?」
「強引に日本語でゴリ押した」
「貨幣の壁は?」
「銀貨を渡してゴリ押した」
エリちゃんの力強い発言がとても頼りになる。
俺たちに必要だったのはフレンドリーさではなく、勢い任せのゴリ押しだったのかもしれない。
「ラビちゃんは英語は話せないけど書けるって話だったので、これで何とかなるかなって」
これこそコロンブスの卵というやつだ。
会話がダメならば筆談すればいいのだ。
あまりに単純かつシンプルな帰結だった。
「ありがとう。確かにこれで何とかなると思う」
◆ ◆ ◆
町の外に戻ってキャンプで1泊。
翌朝は、あまり大人数で聞き込みするのも怪しいということで、俺とカーターの2人で町へ再潜入することになった。
カーターは非武装。
俺もローブを脱いでブラウスとスカートという、ごく普通の町娘スタイルに着替えることにした。
これならば普通に入り込める……はず?
念のためバルザイの偃月刀だけはスカートの下に隠していく。
「ラビちゃん、ずっとその格好でいいのに」
「断固拒否する」
「そうですよ。師匠はずっとそれで良いと思います」
一部からはこの普通の町娘スタイルは好評なようだが、個人的には不満しかない。
もう1人、別の意味で俺の服装に不満な人物がいたようだ。
ドロシーちゃんが小走りでやってきて、俺を見つめているレルム君に向けて強烈なローキックを入れて逃げていった。
それを物凄い勢いで追いかけるレルム君。
仲睦まじくて、実に微笑ましい光景だ。
「暴力ヒロインは今の時代だともう流行らないぞ」
ドロシーちゃんに声をかけるが、聞いていないようだった。
というわけで、筆談を使った聞き込みを開始した。
道行く人に「|WHERE IS SENTINEL HILL《センティネルヒルはどこにありますか》?」と書いたスケッチブックを見せまくるだけ。
ヒッチハイクと大差がない、簡単なようで難しい仕事だ。
商店街らしい人通りの多い場所から聞き込みを始めるも、ほとんど無視か、手を振るだけで、無言のまま立ち去っていく。
やはり言葉を話せない怪しげな旅人というのが怪しまれているのだろうか?
そんな中、1人の商人らしい男がペンで何か書きこんでくれた。
何かヒントになる情報かと思って見ると、そこには一行のみ文字が書かれているだけだった。
「ミスカトニック大学に行け?」
これは単に、大学に行けば色々と詳しい人間がいるからそこで聞けというアドバイスなのかもしれない。
「これって、住民が不親切なわけじゃなくて、単にセンティネル丘陵とかいうマイナーな地名を知らないだけなのか?」
「あり得るな。だから、物知りが多くいる大学に行けということならば分かる」
キョロキョロと見回すと、川の南側に煉瓦造りの大きな建物が見えた。
そこがミスカトニック大学なのだろうか?
「大学の中って部外者が勝手に入っていって良いものなんだろうか?」
「分からないが、今のところ手掛かりはそれだけだし、行かないという選択肢はない」
◆ ◆ ◆
俺たちが大学構内に入っても特に警戒はされなかった。
むしろ、カーターが通りすがる人々に次々と挨拶をされている。
カーターも笑顔で手を振りかえして応えているが、特に知り合いというようには見えない。
「あの人たちってお前の知り合い?」
「いや、知られているのは異世界の別人だろ。そもそもオレは英語が分からねぇし、顔見知りになりようがない」
「それもそうだ」
カーターは通りすがる人の大半から何かしらの挨拶をされている。
別世界のカーターは、この大学内では有名人だったのだろうか?
「フレンドリーな感じを活かして、さり気なく聞き込みを出来ないか?」
「英語を話せないと分かった時点で偽物扱いされるだろ。そっちの方がヤバいと思うので止めておく。それよりもお前1人で行った方が良いだろ」
「俺1人で?」
「ああ、そこを歩いている若そうな学生に聞いてこい。ただし見た目相応の子供のフリでな」
「ああ、そういう……」
カーターの言いたいことは分かる。
たまたま迷い込んだ子供という設定で相手の警戒心を下げて、さり気なく聞き込みをしろということだろう。
俺たちの世代のヒーロー。見た目は子供、頭脳は大人作戦だ。
身長160センチの女児がいるかどうかは別に置いておく。
なるべく相手に媚びるような笑顔で「ねえねえお兄さん」とスケッチブックを見せる。
相手も警戒心を下げたのか、フレンドリーに接してくれた。
少し応対した後にグッバイと別れを告げて、カーターのところに戻ってくる。
「飴をもらった」
「おい、お前いくら何でも子供に成りきりすぎだろ。ただの迷子の子供への対応をされてるぞ」
「俺もそう思った」
どうやら何かやり方を失敗したようだ。
演技のレベルを変えることを意識して、ターゲットを変更する。
今度は、白髪の老人……仕立ての良いツイードのスーツを着た、教師らしい人物に対して再チャレンジをする。
なるべくフレンドリーな笑顔を作って「はろー」と声をかけながらスケッチブックを片手に駆け寄る。
最初は老人も笑顔だった。
だが、俺の顔を見た老人は、何故か目をむいて後ろに後ずさりを始めた。
何がそこまで警戒させたのだろう。
特に怪しい行動はなかったはずだが。
疑問に思いながらも、なるべく笑顔を作るが、老人は怯えた表情で一歩。また一歩と後ずさりを止めない。
老人の視線が向いた先は、俺の白い髪と赤い目だ。
仕方ないので、単刀直入に切り込む。
スケッチブックに書かれた「
何がなんだか分からない。
だが、いくらなんでも過剰反応すぎる。
「追跡するぞ、カーター! あの老人は何かを知っているっぽい」
カーターに声をかけた後に全力で老人を追い掛ける。
「何かあるのか、あの老人?」
「分からん。だけど、俺の姿を見た瞬間に、何かを思い出した風だったし、センティネル丘陵の文字を見た途端に逃げ出した」
「なら、ちゃんと走れよ! 逃げられるぞ」
「全力なんですけど!」
走っている途中に横を向いてしまったことで、バランスを崩して転倒した。
スカートに慣れていないのもあるが、自分の運動能力の低さに泣きたい。
「ここは俺に任せて先へ行け!」
「何を任せるのか知らんが分かった!」
カーターが走り去っていく背中を見送った後に涙を拭って立ち上がる。
「もう女の子の身体はこりごりだ!」
◆ ◆ ◆
老人が隠れ潜んでいたのは、人がほぼ歩いていない大学の隅にある古びた建物の一角だった。
まるで影に溶け込むようにして、壁の陰に身を潜めてぜいぜいと荒い息を吐いていた。
近くにカーターの姿はない。
地の利を生かされて、どこかで撒かれてしまったのだろうか。
それだけこの建物の角は見つけにくい場所なのだろうか?
「あいきゃんのっとすぴーく、いんぐりっしゅ!」
老人が何か言うより先に、英語を話せない旨を伝えながら近づく。
ネイティブには程遠い日本語発音からして、俺が英語を話せないというのは伝わったと思う。
老人が文字通り飛び上がって驚いた。
まだ警戒心は解けていないようだ。
無抵抗であることを示すために両手を広げて、スケッチブックに「少し話せませんか?」「私は英語を話せませんが読み書きは出来ます」と鉛筆でさらさらと書き込んで見せた。
「私は日本人です……じゃない。あいあむじゃぱにーず。まいねーむいず、うえとたすく」
再度繰り返す。
そこまでやると、老人は観念したのかようやく俺が差し出したスケッチブックを受け取った。
老人は、自らの胸ポケットに入っていた万年筆で「部屋で話そう」と書き込んだ。
どうやら了承はいただけたようだ。
老人は続けて何やら書き込んだのでそれを読む。
「どうやってここが? 大学生もここを知る者はいないはず……かな?」
分かりやすく説明するために、空へ放って偵察をさせていた使い魔を喚んだ後に肩の上へ乗せる。
「まい、ふぁみりあ、すぴりっと。うぃっぷあーうぃるヨタカ……えー、ヨタカって何だ? ナイトホーク?」
青白く光る粒子で構成された鳥を見た老人は、何度か口をパクパクと開閉させた後に何かを呟いた。
さすがに英語力のない俺でも分かる。
ダークマジック、闇の魔法だ。
ここでマイナスイメージを与えるのは良くない。
少しでもプラスになる要素を伝えたい。
そう考えて、胸の前で両手を合わせて印を組む。
「のー、でぃすいず、じゃぱにーずNINJAすきる、にんじゅつ!」
「NINJA?」
「いえす、あいあむあNINJA」
ウソをつきました。
私は忍者ではありません。