俺とカーターは共に薄暗い部屋に招かれた。
部屋の入り口に貼ってあったプレートにある名前は「アーミテッジ」。
椅子に座って待っていると、老人は中年男性2人を連れて部屋に戻ってきた。
中年男性はカップとティーポットを乗せたトレイを持っていた。
老人が持っていたのは一冊のノートと万年筆数本だ。
椅子から立ち上がって、頭を下げて挨拶をする。
「Japanese Style?」と聞かれたので「あいあむじゃぱにーず」と答えておいた。
中年男性2人はこちらを警戒している様子が見られるが、今すぐに暴力的な手段に訴えるという雰囲気はない。
老人と中年男性2人が着席するのを待って、俺たちも席に着く。
老人はノートをテーブルの上へ広げて、白紙のページを開いた。
筆談しろということだろう。
中年の男が手慣れた手付きでカップに紅茶を注いでくれた。
紅茶の銘柄にはあまり詳しくないが、良い香りがした。
それなりに良い茶葉なのかもしれない。
ボストン
あいつらいつも海の色を染めようとしてんな。
老人がノートに文字を書き込み始めた。
固有名詞を書かれると少し怪しいが、それ以外ならばだいたいは読めそうだ。
「君たちは何者だ? ウェイトリィ一族と関係はないのか?」
なんとか一族が分からない。
老人が俺の顔を見ただけで逃げ出したことと関係があるのだろうが、不明なことを答えられない。
「私たちは異世界人です。元の世界に帰るためにここまで旅をしてきました。一族が何なのかはわかりません」
それを読んだ老人たちが動きを止めて信じられないという顔で、俺と肩に乗せている青白く光る鳥を見た。
ダメ押しでクッキーを取り出して、老人の前に置く。
「ハロウィンです、クッキーをどうぞ」
老人はそれを持ち上げてしばらく右往左往していたが、意を決したのかクッキーを口に頬張り、咀嚼した後に紅茶で流し込んだ。
「先程は日本人だと名乗っていたが?」
「21世紀の日本です」
異世界云々の説明は不要だろう。
事態をややこしくするだけだ。
謎の能力を使える未来の日本人はどうなってんのと聞かれたら、ニンジャのカラテとチャドーを極めて身についた力とでも答えておけば良い。
古事記にもそう書いてある。
筆談にも慣れてきた。
インクが乾くより先に万年筆とノートを奪い合って書き殴っていくのでインクが擦れて大変なことになっている。
しかし、これは書き残すことが目的ではなく、会話が目的なのでこれで良いだろう。
「
「時間と空間の神の祭壇があるらしいので、そこで神と交信して、日本へ帰してもらいます」
これも正直に書いた。
時間と空間の神とは何なんだと聞かれたら、なんと答えるべきか。
説明を考えていると、先に老人が謎のワードを書き込んだ。
「Yog-Sothoth?」
突然に固有名詞が書き込まれた。
固有名詞は事前知識がないとイマイチ読み方が分からない。
どう答えたら良いか悩んでいると、カーターが迷いなく書き込んだ。
「Yes」
老人達に動揺が走ったのが見えた。
固有名詞の読み方がようやく分かった。
ヨグ=ソトース。
クトゥルフ神話の邪神だ。
細かい設定については忘れた。
ただ、あらゆる空間に繋がる神とかそういう類の設定だった気がする。
今まで散々酷使していた虹色球体様はどうもこいつのことだったらしい。
知らずに使っていたというか、知らずに使えてしまうシステムとスキルが悪い。
「目的は日本へ帰る? それだけか?」
「もちろん」
「相手は邪神だぞ」
中年の男が急に興奮した様子で立ち上がり、力強く書き殴った。
あまりの勢いに万年筆のインクが周囲に飛び散る。
その後に「冒涜的」だの「神はお許しにならない」だの次々と書き込んでいく。
邪神絡みでよほど嫌な事件でもあったのだろうか?
邪神と言っても、周辺の生命体を分解して黒い霧にするとか、岩をも溶かして蒸発させる熱線が出るとかその程度で、制御できるから無害だと言うのに。
いや、全然無害ではなかった。
何なのあいつ?
邪悪すぎるだろ。邪神なの?
……邪神だったわ。
しかし、全く制御できないというわけでもないし、今まで散々ピンチを助けられてきたので当然、感謝の気持ちはある。
要するに属性としてはニュートラルなのだろう。
人間に親しいわけでも、憎んでいるわけでもない。
喚ばれたら、その通りに力を貸すというだけ。
人間が、わざわざ道の端を歩いている蟻に気を留めることがないのと同じだ。
俺たちは別に宗教議論をしに来たのではない。
センティネル丘陵の場所を聞きに来ただけだ。
変なことを企んでる邪神カルト教徒ではないと伝わればそれで良い。
「日本には八百万の神がいます。その中の一柱に力を借りるだけです。この世界には知り合いも大勢いるので、迷惑になることはしません」
やおよろずとエイトミリオンは全く別の意味だが、説明は省く。
要は、祟り神でも祠を作って線香を立てれば、あとは村の守り神という日本の考え方が伝わればいい。
「日本だと、自然や災害は全てが神として扱われます。そんな荒ぶる神の怒りを鎮めるために儀式をするのです。私はその儀式を執り行う巫女です」
「邪神がこの世界に来るのではないか?」
「力が強い神ならば、私たちが何かしなくても自力で勝手に来ると思います。そうしないのは人間に興味がないだけかと」
中年男はそれを見てまだ何か書こうとしていたが、それを老人が制止した。
その後、2人で何やら議論を始めたが、早口すぎて、俺の英語力では「文化が違う」「実際力がある」「神も道具」くらいしか聞き取れなかった。
チラリとカーターの方を期待して見るが、俺と同じくらいの英語力のようで、あっさりと顔を逸らされた。
しかし、その短いやり取りで中年男はある程度納得したようだ。
渋い顔をしながら椅子に座り直す。
「ミスカトニック川をさかのぼった上流近くに、ダンウィッチという集落がある」
老人がノートにボストン近郊の簡単な地図を書いた。
アーカムとミスカトニック川、そしてダンウィッチとセンティネル丘陵の位置関係だ。
川沿いの道をひたすら北西に進み、マサチューセッツ州とニューハンプシャー州の境近くまで行けということのようだ。
これならば特に迷うことなく辿り着けるだろう。
「集落近くに古代遺跡のある丘がある。頂上にある環状列石が目印だ」
「ありがとうございます」
それだけ分かれば十分だ。
速やかにスケッチブックに転記する。
あとは礼を言ってここを出るだけだ。
そう思った時、老人がそそくさと部屋から出ていった。
勝手に帰るのも気まずいので紅茶を飲んで待つと、老人は一冊の古びた革張りの本を持って戻ってきた。
分厚い革表紙とページが茶色く焼けていることからして、相当年季が入っていることが一目で分かる。
「中途半端な方法で儀式をされたら事故するかもしれない。これを読むべき」
老人が渡してきた本のページをめくると、中はよく分からない文字がびっしりと書かれていた。
「この本は何?」
「Necronomicon」
また固有名詞が出てきたが、これはメジャーワードなので理解できた。
様々なマンガやゲームに登場する魔導書、ネクロノミコンだ。
オリジナルではなく写本のようだが、それでも、分厚いページと長い年月を経て伝えられてきたことから推測するに、相当古いものであることはわかる。
老人はそのページをパラパラとめくり、中心あたりで止めた。
「Wilburが読んでいたのはここ」
ウィルバーが何者なのかは分からないが、そのページ周辺を読めということらしい。
《読めません》
知ってた。
英語ではない。
文字のデザインはアルファベット風だが、並びが全く異なる。おそらくラテン語だ。
地獄の入り口やら、歌詞やらの決まったフレーズならば読めるが、ラテン語は俺の知識の外側にある。
ここから情報を入手するのは不可能だ。
「カーター、これってどうする?」
「どうせ呪文も儀式も必要ないんだから読み飛ばせ。スキルで喚び出すんだから」
「それもそうか。となると、必要なのは――」
パラパラとページをめくり、魔法陣が記載されているページを開く。
これならば文字は関係ない。
見たままなので、間違えようがない。
「これをスケッチブックに描き写せばいいのか」
「それを、バルザイの偃月刀でセンティネル丘陵の遺跡に描いてやれば、邪神の召喚陣の完成というわけだ」
複雑に円が絡み合い、螺旋を描きながら中央へ収束していく図形。
だが、不思議と初見の気がしない。
魔術の理論など分からないはずなのに、この魔法陣が何を意図しているのか理解できる。
特に苦労せず、あっさりとスケッチブックに描き写すことができた。
「この図形ってどこかで見覚えあるんだよな」
「今までの旅でこんなのあったか? オレも結構付き合い長いけど」
「いや、カーターが仲間になる前。どこかで見たんだけど、どこだったか……」
記憶を思い返しているうちに、突然どこで見たのかを思い出した。
俺が召喚される直前に見た夢の中での話だ。
ソシャゲのガチャの演出で
「せっかく描き写したこの魔法陣だけど、結構間違ってるな。直すならば、こうか?」
そう考えると、解釈がおかしな部分があると気付いた。
上から線を書き直して、大胆に修正をかけていく。
「オイオイ、魔法陣の知識なんてないのに、勝手に修正して大丈夫か?」
「俺が見たガチャ演出が正しいならこうなんだよ」
「ガチャ演出?」
「俺がこの世界に喚ばれた時に見た映像なんだよ。多分、うちの神さん……ヨグ=ソトースがあえて見せてくれたんだと思う。正しい自分の召喚方法はこれだと」
カーターは今の説明で納得したようだ。
このネクロノミコンは写本だ。
オリジナルから手書きで書き写すときに、どこかでミスって違う図形にしてしまったのだろう。
ウィルバーなる人物も、この魔法陣単体だとおかしいと気付いて、別の写本を見るなりして差分を確認したのだと思う。
修正の方向も分かる。
図形は複数の円が渦巻きを描きながら中央へ収束していくような図形になっている。
その円が収束するカーブのラインは、黄金の螺旋に沿っている。
人間が最も美しいと感じる曲線を描きながら、周囲のものを巻き込んで中央の一点へ収束させる。
「最初から全部答えはあったってことか」
ネクロノミコンに記載されていた魔法陣と、夢で見たガチャ演出が同じということで話は見えた。
邪神は願いと祈りによって俺たちに力を貸すという。
願いの内容もだいたい分かる。
最初の部屋に閉じ込められてから3日が経過。
脱出できないと絶望したモリ君とエリちゃんからのもの。
『部屋から出たい』
『日本へ帰りたい』
その望みを聞き入れたうちの神さん、虹色球体様ことヨグ=ソトースが、2人を助けるために俺をこの世界に招き入れた。
「答えは最初からあったのに、それに気付くまで廻り道が必要だったってことか。本当に遠い廻り道……」
スケッチブックから紙を一枚千切り、そこへバルザイの偃月刀を使って正しい魔法陣を描いていく。
夢の中のガチャ演出で最初に見せられた図形。
そして、彼方に見えていた謎の虹色の球体。
最初にポケットに入っていた紙切れに殴り書きされていた謎の文字……
答えは最初からすべて揃っていた。
ただ、とっくに持っているもの、身近にある答えに気付かなかっただけだ。
俺たちが召喚された場所……「地母神の遺跡」はかつて神と交信できる場所と呼ばれていたらしい。
つまりセンティネル丘陵と同じ効果があった可能性がある。
もしかしたら、あそこでこの魔法陣を描いてスキルを発動すれば、それだけでうちの神さんが現れた可能性もある。
まあ今さらの話ではあるが。
「魔法陣の意図も分かった。これは邪神を召喚するための魔法陣ではなくて、周辺からエネルギーを集めて強化するためのブースター。坂下さんが使っていた術の強化版だ」
俺が修正した魔法陣を完成させると、何の仕掛けもないというのに強烈な光を放ち始めた。
坂下が言っていた通りだ。
魔法陣は形だけを真似ても意味がない。
正しく意味を認識して描くことで効果を発揮する。
逆説的に、法則を知り、理解することで自然と形ができる。
さきほどは最初にすべて与えられていたと言ったが、間違いかもしれない。
これが描けたのは、法則を理解できたのは今までの冒険で積み重ねた知識と経験が繋がったおかげだ。
形だけ教えられても、発動はしなかっただろう。
まず、一番外側に描いた円に光が灯った。
薄暗い室内を明るく照らす。
外側の光は渦を巻くようにして、速度を上げながら中央へと向かっていく。
やがて光は虹色の光へと変化し、図形の中心へと収束して……発火した。
中心に何の術式も設定されていなかったため、集めたエネルギーの逃げ場がなくて単純に熱エネルギーへと変換されたのだろう。
周りに燃え移らないようにスケッチブックの表紙で叩いて消火する。
老人と中年男性2人。そしてカーターはその光景を無言で見つめていた。
「今のは何なのだね?」
マジックブースターと書き込み、渦巻きの絵を添える。
意図は伝わるだろう。
「悪用される可能性は?」
「この写本単体では誤記に気づけない。スケッチブックにあるのは修正前のものだ。正しく発動するものは、たった今燃え尽きた。証拠はもう残っていない」
そう書き込んだ後に、人差し指でこめかみのあたりを何度か叩いた。
この頭の中以外にはどこにも残っていないという意味だ。
ネクロノミコンの写本を2冊以上閲覧すると、差異から記述ミスや抜けに気付いて修正が可能だろう。
だが、単体で読んでいる分にはおそらくは安全だ。
そう考えると、この写本は、悪用されることを防ぐために、故意に
「中央に力を収束させる。この意味が分かるか?」
「周りから魔力を集めるってことだろう」
「いや、多分それだけじゃない。坂下さんの話だと、センティネル丘陵は環状列石の遺跡だという話だった。つまり、円形なんだ」
俺が遺跡の中心に増幅魔法陣を描いたとする。
その外側には既に環状列石という、さらに大きな円が存在している。
センティネル丘陵は、岩山に囲まれた丘らしいが、それさえも、遺跡を取り囲む「円」の一部だと考えられる。
そうやって、自然の地形も利用した何重にも重ねられた円が、遺跡の中心に収束し、そしてそこで発動された術の効果を最大限に引き出す。
単体発動だけでは為しえない奇跡。
この世界の全ての力を借りて、より強い術を発動させる。
「目に見える環状列石だけじゃなく、山全体が巨大な増幅魔法陣になっているんだと思う。その中央で発動した術は、人間が単体で使うよりも何倍も強化される」
「ならば、そこで使うスキルは……」
「当然、魔女の呪い……いや、正しいスキルの名称はヨグ=ソトースの召喚」
必要な情報は全て手に入った。
後は現地に向かうだけだ。
ネクロノミコンを老人に返し、スケッチブックに「ありがとう」と書いた。
感謝の意を込めて深く頭を下げた後に部屋を出た。
◆ ◆ ◆
町を出て装甲車に戻ってきた。
地図でだいたいの位置を確認する。
ダンウィッチまでは車で半日といったところだ。
「今日は町で1泊して、明日朝に出発がいいかな。残金を残していても仕方ないし、この町で全部使ってしまおう」
「おっ、豪遊か」
「まあ、豪遊というほどの金額はないけどな」
なにしろ残金は日本円で1万円にも満たない。
ただ、最後の晩餐くらいはできるだろう。
車を降りて町へ向かおうとした時、俺たちは固まった。
先程までそこにあったはずのアーカムの町は影も形もなくなっている。
ただミスカトニック川が残されるだけだった。
「えっ? いや、さっきまで俺たちはあの町にいたんだぞ」
「ああ、確かにあの部屋で飲んだ紅茶の味も覚えてる」
手元にはスケッチブックが残っている。
アーミテッジに書いてもらい、転記した周辺の地図も、燃えた紙を消火するために付けた焦げもある。
幻覚だとは思えない。
装甲車で各種スキャンをかけたが、アーカムの形跡は何も検知されなかった。
「川の対岸にあるセイレムの集落はまだ残っているみたいだけどどうする?」
「今更だろう。立ち寄る意味はない」
冷静に考えると、近くに発電所もないのに電気が使えるあの町があったのはおかしい。
住民が英語しか話せなかったのも、この世界の常識からして違和感がある。
一時的に別世界の町がこの世界に出現していたというよりも、俺たちが別世界に迷い込んでいただけの可能性がある。
「次元の壁の破損の影響というより、誰かが俺たちに情報を与えたくて、無理矢理こんな変なことをしたのかもしれない」
「誰って誰が?」
次元を歪めて別次元の町に接続させて俺たちに情報を与える。
そんなことをできそうなのは、3人……というか3体だけだ。
「伊原さんが何かやった。ニャル子の仕業、そして、うちの神様が早く来いと急かしている」
「伊原さんは、こんなアメリカの反対側までやってきて、回りくどい方法をやるとは思えない」
「あの人だと全部印刷した紙を渡してきて、この通りに進め! 道草食うな! と怒るタイプですよね」
カーターやモリ君の言うとおりだ。
伊原さんはもっとストレートなタイプだ。
ニャル子はこんな形で俺たちのサポートなどするわけがない。
つまり答えは1つだ。
「時空の神……虹色球体様ことヨグ=ソトース。うちの神さんが呼んでいるんだ。待っているから早く来いって」
おそらく見せたかったのはネクロノミコンの魔法陣だ。
それがあれば、儀式に失敗することはない。
「行こう、ダンウィッチの環状列石遺跡に」