俺たちはダンウィッチ集落を目指して、ミスカトニック川沿いに北上していた。
道なき道が続くが、それでも州境までは約150キロ。
その手前らしいので、100キロを見込んでいる。
まあ、昼頃には到着する見込みだ。
「ラビさん見てください、川沿いに桜が咲いていますよ」
「アメリカに桜? しかもまだ3月だぞ」
右モニターを見ると薄いピンク色の花を付けた木々が一面に広がっていた。
運転をしている俺以外は全員が風に揺れるその花を見ているようだった。
「ああ、それは桜じゃない。アーモンドだ」
「アーモンドってこんな桜みたいな花が咲くんですか?」
「日本でも見られるけど、桜に似て綺麗だぞ。高槻にある明治のお菓子工場とか」
「なるほど。高槻ってなんですか?」
まずはそこからか。
「ちょっとくらい寄り道したって、それで何が変わるわけでもない。花見でもしていくか。賛成の人は挙手」
全員が手を挙げたので、一度バックして、アーモンドの木の群生地に引き返した。
適当に広い場所へ車を停め、後部ハッチを開けた。
「食材を余らせても仕方ないし、ここで在庫処分をしていこう」
保存食材の中から、残っていたドライフルーツやらオレンジなど、甘いものを中心にどんどん取り出す。
「せっかくの花見なんだしビールも開けて良いよな」
「ああ、どんどん飲め。残しても仕方がないぞ。ワインも全部開けろ!」
「ママの許可が出たぞ。タロさん、一緒に飲み切ろうぜ」
「ああ、もう飲みきってしまおう」
カーターとタルタロスさんが残っていた缶ビールや酒類を次々と運び出していく。
「空き缶はあとで車と一緒に自爆に巻き込ませるので全部回収してくださいね」
「ああ、分かってる」
大人組はこれで良いだろう。
未成年組に何か飲み物が欲しいので簡単に作ることにした。
まず、子供たちが持っていた飴類を湯煎で全て溶かす。
そして、すり潰した野菜と味が薄いオレンジを混ぜてミックスジュースを作る。
そのままだと甘すぎてくどいので、隠し味に香辛料を少し入れ、水で割って味を調整した。
子供たちが隠し持っていたお菓子類もそのまま渡す。
「はいはい甘いものはいくらでも……というほどじゃないけど、それなりの量はあるよ」
「まあそれなりですね」
「残していてもどうせ処分しないといけないんだし、なるべくここで食べてしまって欲しい。レルム君とドロシーちゃんも、ここでお菓子は食べきる感じで」
「まだ取っておきたいんだけど」
「ダメだよ。『まだ』なんてもうないんだから」
ドロシーちゃんをなだめながらお菓子を渡すと、それを齧りながら花を見に行った。
ここまで来たらもう「まだ」も「また」もないのだ。
俺も自作オレンジジュースを片手に花を見て回る。
自生している花なので栄養も足りておらず、綺麗に咲き誇るというには程遠い。
それでも、雰囲気を楽しむだけなら十分だ。
アーモンド以外にも、種類が分からない謎の花は色々と咲いており、気分を和ませてくれる。
冬の寒さも終わり、これからやってくる春の訪れを感じる風も心地良い。
俺たちの門出……この世界からの卒業には丁度良いかもしれない。
「でも、まさか異世界で花見を出来るなんて思いもしなかったよ」
「日本に帰ったら、本物の桜は見られるのかな?」
モリ君とエリちゃんが桜を見ながら日本に帰ってからの話をしていた。
「伊原さんの話だと、こちらの50年は日本では6ヶ月だから、そこから計算すると俺たちが日本に帰るのは出発から2日後。11月2日になるはずだよ」
「11月!?」
「雑に計算するとそんな感じ」
「まあギリギリ無断欠勤でも通る日数だな」
カーターがビールを飲みながら近寄ってきた。
「会社への説明は面倒そうだけどな。メールも溜まっていそうだ」
「そこは仕方ない。我慢しようぜ」
まあ、言っても2日だ。
最初の説明こそ大変だろうが、何とかなるだろう。
「僕たちはどうなるんでしょう?」
レルム君が心配そうに聞いてきた。
「日本に行った先で大丈夫なんでしょうか? そもそも、僕たちはどこに行けば」
「当面は俺の実家だな。ドロシーちゃんもそれでいいかな」
「いいよ」
「師匠のご迷惑でなければ」
「それならばOKだ。あとは、モリ君やエリちゃんとの連絡手段だな。リモート接続か何かで連絡を取れる手段は確保しておきたいけど」
「電話番号を教え合うのは?」
「それなら、俺の名前で検索してもらうのはどうでしょう? SNSはやっているので、それが引っかかるはずです。DMをください」
モリ君が挙手して提案した。
ネット上には一切連絡先を公開していない俺にはない発想だった。
確かにそれならば、確実に連絡を取ることができる。
「横浜市栄区の高校生の
「なら、掲示板とチャットとWeb会議の方は俺がなんとかするよ。準備が出来たらモリ君のSNSにURLをアップしておくから、適当にログインしてくれ」
これで日本に帰った後の連絡方法も何とかなりそうだ。
あとはもう日本へ帰るだけである。
◆ ◆ ◆
ダンウィッチ周辺に人が住む集落は発見出来なかったが、頂上に環状列石の遺跡がある丘は発見できた。
周りは岩山に囲まれており、周辺には鬱蒼とした木々が茂っている。
なのに、丘は麓から頂上まで、一本の木どころか雑草すら生えていないという不思議な場所だった。
モニターには環状に配置された石柱が表示されている。
石柱は独特の形をしており、その一部は「内側からの衝撃」を受けたように放射状に倒れている。
石柱に囲まれた内側の空間は黒く焼け焦げており、一部はよほどの高熱を受けたのかガラス化していた。
黒く焦げた地面には一切の草は生えておらず、明らかに異様な雰囲気が漂っている。
すぐに連想されたのは「魔女の呪い」での熱線を放って目標を焼き払った後の地面だ。
超高熱に晒されることで砂がガラス化したり焼け焦げたりするのだが、今の祭壇の環境はそれと似通っている。
かつて、ここでヨグ=ソトースが召喚された可能性は高い。
「場所は間違いないみたいだけど、どうする?」
「でも、この倒れた柱は起こさないとダメだよね」
「ああ、柱についてはワシが立て直そう」
タルタロスさんが石柱の立て直しに名乗り出た。
「わかりました。タルタロスさんに任せます。あとは俺が魔法陣を描くわけだけど、意外に広いな。結構時間がかかりそうだ」
これは他人に代わってもらうわけにはいかない。
誰にもできないことだ。
俺がやり遂げるしかない。
「ラビちゃん、私に手伝えることは?」
「じゃあ、その儀式の前にやるべきことだが……みんなに言っておきたいことがある」
カーターが突然に口を開いた。
「つまらない冗談なら本気で蹴飛ばすぞ」
「そうじゃない。オレの雇い主に会って欲しい。そのためにオレはここまで旅してきたんだ」
「前から言っていた条件とやらが満たされたのか」
「そういうことだ。今まで話せなかった……隠していた全てを話す時が来た」
カーターはそう言うとスーツのポケットから銀色の鍵を取り出した。
「今からオレがそのスポンサーがいる異空間への門を開ける。みんなは、そこに居る人物に話を聞いて欲しい。これは重要な話だ」
「門を開けるって、車から降りなくていいのか?」
「その必要はない」
カーターの持つ銀色の鍵が強い光を放ち始めた。
あまりのまぶしさに目を開けていられない。
それは全員同じようだった。
中心に立つカーターが持つ銀の鍵から放たれる光から目を覆う。
「一体何をするって言うんだ?」
「役目だよ。ゴール地点まで仲間たちを導くこと……それがオレの存在理由」
「説明になってないぞ! どういうことか説明を――」
◆ ◆ ◆
ふと気づくと真っ白い空間に全員が立っていた。
どこが地面でどこが空なのかすら定かではない。
立っているのか宙に浮いているのか。
暑いのか寒いのかも分からない奇妙な空間だ。
先ほどまでは装甲車の車内にいたというのに、今は車はどこにもない。
「全員いるか?」
人数を数える。
モリ君、エリちゃん、カーター、ドロシーちゃん、レルム君、タルタロスさん。
そして俺の7人。
あと、1人というか、1体というか……六角形の巨大な台座の上に衣服を纏った「何か」が載っていた。
形状は人間のようにも見えるが、違うようにも見える。
そもそも大きさは一般的な人間と比較しても半分程度しかない。
「連れてまいりました。〈案内者〉様」
カーターが畏まった姿勢でそれに挨拶をしていた。
普段はぞんざいなカーターがそのような態度を取るくらいなのでよほどの相手なのだろう。
俺たちも失礼がないように、カーターに続いて深くお辞儀をする。
「彼らが転移を希望する者たちです」
「3人と聞いていたが……人でない者も混じっている」
「彼らも選ばれし者です。人間と認めてください」
「鍵を持っている汝が認めるならば些事にすぎぬ。歓迎しよう」
人でない者というのはレルム君たちのことだろうか?
ただ些事ということは別にレルム君たちを日本へ送ることは不可能でもなく、拒否をするということでもないのだろう。
この〈案内者〉とやらが何者なのかは分からないが、器が大きいことは分かる。
「だが、余計な者も紛れ込んでいるようだ」
〈案内者〉が俺たちの後ろの何もない空間を指差すと、突然に、白い空間に木製のドアが出現した。
その扉がひとりでに開かれる……というよりも、外側から開いたようだ。
「余計な者とは大きなお世話だ。ウムル・アト=タウィル……〈
「
「当たり。一度ここには来たいと思っていたが丁度良かった。これからもちょくちょく寄らせてもらう」
急に現れた扉を勢い良く開けて入ってきたのは、ビジネススーツ姿の1人の女性。
サンディエゴに居るはずの伊原さんだった。
伊原さんは、眼鏡を人差し指でくいっと上げた後に、俺たちと〈案内者〉の姿を交互に見た。
「前に言っただろう。私はこの世界の次元のゆらぎについては常にチェックしていると。だから、異常な次元の歪みを感知して飛んできた」
伊原さんは図々しく〈案内者〉へ近付いていった。
そして、その後ろにある空間へ視線を向けた。
「少し時間を貰うぞ。まずは私から、こいつらに説明する」
「好きにせよ」
「じゃあ好きにさせてもらう」
おい、そこは頑張れよ〈案内者〉!
伊原さんの好きにさせたら何が起こるか分からないだろう。
そう思うも口には出さない。それが礼儀というものだ。
「君、何か失礼なことを考えていたな?」
「私はいつも公明正大です。曇りなき私の目を見て言ってください」
「それが嘘だよ」
どうして人が必死でついた嘘をすぐに見破るんだ。
「ここは第一の門戸……要するに次元の狭間だ」
「次元の狭間?」
「簡単に説明すると、空港直結のターミナル駅みたいなものだ。空港から飛行機で海外にも行けるし、電車に乗り換えて国内旅行も出来る」
勿体ぶった〈案内者〉と違い、伊原さんの説明は実に分かりやすくてありがたい。
「でも、ここに来る必要があるんですか?」
「前に私が次元の壁の説明をしただろう。この世界は複数の次元と繋がっているせいで、適当に次元の門を開くと、どこの世界に繋がるか分からないと」
サンディエゴで伊原さんに同じ話を聞いた。
そのために今は日本に帰れないと説明されたので、俺たちはこのアメリカ東海岸まで旅をしてきたのだ。
「その無数にある行先の中から、お望みの場所を完全にマッチングできる旅行代理店が、このウムル・アト=タウィル。〈案内者〉だ」
「分かりやすい」
モリ君たちもみんな伊原さんの説明で納得できたようだ。本当に分かりやすくて助かる。
俺たちが勝手にヨグ=ソトースを喚んでも、どこの次元に飛ばされるのか分からなかったという話か。
危ないところだった。
まさに〈案内者〉というわけだ。
「それで、君がこいつのパシリと」
伊原さんがカーターを指差して言った。
「パシリは否定しないけどな」
「パシリって、どういう経緯でそうなったんだよ」
「前に一度話したことがあっただろ。実家で魔導書を見付けた件。あれでついうっかり魔術的な負債を背負わされてだな。命かパシリかの二択になって、パシリ……労働で返させられてる」
カーターはやれやれとばかりに肩をすくめてみせた。
今の話が本当ならば、こいつもかなり犠牲者に近い。
今まで運営のスパイだのなんだの、酷いことを言ってすまなかった。
なお、生活態度の悪さを指導した件については、非はなかったので謝らない。
「今回の任務は、危なっかしいこいつらをゴールまで導くこと。全てを明かしていいのは、ゴールの手前。それがオレの役目。まあ、これでお役御免だが」
「どこかの誰かと常時通信しているのは分かっていたので、もしや運営とつるんでると思い泳がせていたが、その相手が時空の神の化身とはね」
伊原さんが怖いことを言い始めた。
別れてからも俺たちのことを、密かに監視し続けていたということか。
以前に伊原さんが謎の手段で会話を聞いているんじゃないかと冗談で言ったことがあったが、まさかそれが本当だったとは……。
「だから運営じゃないっての」
「邪神の命令を受けて人間をかどわかすやつを信用できるか」
カーターが信用されないのは仕方ない。
今は「導く」と言っていたが、あまり導かれた記憶が思い浮かばない。
あちこちで酒を飲んでは酔い潰れていたイメージばかり思い浮かぶ。
それとも、俺たちの見えないところで密かに色々と何か後始末をやってくれていたのだろうか?
「それでどうする? 汝らは銀の鍵を所持している。このまま
「いえ、私たちは元の世界……日本への帰還を希望します。他の仲間も同様です」
「委細承知した」
詳しい話までは分からないが、上位世界とやらに用はない。
俺たちは日本に帰ることができたらそれでいいのだ。
「この世界に召喚された時の同じ場所、同じ時間への送喚で良いか」
「時間も移動できるんですか?」
「時間と空間は同じものだ。できない理由がない」
どうやらアインシュタインの相対性理論は正しかったらしい。
それが神的な存在によって証明されるというのはもやもやするものがあるが。
同じ時間に帰してくれるとはかなり良いサービスだ。
俺が不在の2日間をどう説明すべきか頭を悩ましていたが、仕事云々について悩む必要はなくなるので助かる。
「あの、待ってください。俺たちの体はどうなるんですか?」
モリ君が〈案内者〉に尋ねた。
そう言われて思い出した。
言われるまで忘れているあたり、自分でもかなりダメになっているという自覚はある。
だが、これは重大な話だ。
いつまでも少女の身体のままでは生活に支障が発生する。
――否、既に生活のあらゆる点で支障が発生している。
運動能力と体力の低下、月に一度のもの、精神的な変化……ETC。
いつか元に戻れると信じて色々と我慢をしてきたのだが、さすがに限界だ。
この状態を、早くなんとかして解決したい。
期待の目で見る俺に〈案内者〉は告げた。
「肉体の変化についてはここでは関知しない。他で解決してもらいたい」
「えっ?」
「ここはただの門。時空を移動する以外はできない」
激しい衝撃を感じた。
日本へ帰ることが出来るのに、元の体には戻れない。
それでは、元の世界に戻る意味が半減ではないか……。
俺の生活、俺の人生が戻ってくるとは言えない。
「それについては私から代案を用意できる」
伊原さんが人差し指を立てて俺たちに言った。
「ただし、これは契約だ。君たちに頼みたい仕事が1件ある。この仕事を受けるのならば、私が元の生活に戻るための対策を用意しよう」
急に伊原さんが神に見えてきた。
だが、冷静に考える。
伊原さんは最初に「契約」と言った。
ただの助け舟ではなく、俺たちが何かをやることを要求している。
そういう時は、だいたいろくでもないというのは理解できる。
「まず説明してください。何も聞かずに『はいそうです』とは言えません」
モリ君が伊原さんに尋ねた。
こういう場面ではっきりとノーを突き付けられるところは本当に成長したと思う。
「日本に戻ったら、人を1人殺して欲しい」
伊原さんはそう言うと1枚の写真を取り出した。
以前にも見せられた、仲が良さそうな少女が3人肩を組み合って笑っている写真だ。
1人は伊原さんの若い頃。
もう1人は
そしてもう1人は……。
「
伊原さんは何の感情も込めずにそう説明した。
「あいつはやらかした行為に対しての報いを受けてもらわなければならない。だが、私は、この世界を守るために離れることはできない」
「だから、私たちに殺害しろと」
「そういうことだ」
伊原さんの声のトーンにいつもの自信に溢れた感じがない。
本音としては殺したくない。
もしくは自らの手で決着を付けたいのだろう。
俺たちの答えは……もう決まっている。