目を開けていられないような眩い光に全身が包まれたところまでの記憶はある。
次元の狭間を越える瞬間に、虹色球体様ことヨグ=ソトースの姿を一瞬だけだが垣間見た。
俺たちがあの世界から飛び出した直後に、律儀にも次元の壁を閉じて修復するところまでは見えた。
この世の真理が俺の脳内に流れ込んでくる。
刹那、全てを理解した。
時間と空間と俺の関係。
宇宙の全てとは、進化とは、ゲッターとは。
様々な情報が流れ込んできたような気がするが、途中でハロウィンのことを考えると急にどうでもよくなった。
全ての情報が脳から抜け落ちたことは覚えている。
宇宙のことを知りすぎると、今度はハロウィンのことしか考えられなくなるという話は、このことだろう。
ハロウィン!
・
・・
・・・
……
ゆっくりと目を開けると、そこは社会人生活1年と半年にして、ようやく第2の実家としての愛着が湧いてきたマンションの一室だった。
まずは現状を確認する。
飾り気の全く無いローブ。
タウンティンで買ったリボンを巻き付けた三角帽。
帽子を脱いで髪の色を確認すると、白いままだ。
右手にはやはりタウンティンで購入した鐙を付けた箒。
腰のベルトにはバルザイの偃月刀。
ローブのポケットの中にはカードとメダルと坂下から預かったはがき。
なんかオイルライターが入ったままなんだけど、これどこで手に入れたやつだっけ?
オウカちゃんが所持していた小刀と装甲車から出てきたプレート。
肩からかけた小さい鞄には下着一式が詰め込まれている。
そしてカーターがポケットにねじ込んできた……銀の鍵。
「
《前にも言ったとおり、僕は最期まで君と一緒だよ》
間髪入れずに声が返ってきたので胸を撫で下ろす。
なお、異世界転移のドサクサで体が成長していることは一切なかった。悲しい。
神様、神様。ついでに少しくらいサービスしてくれても良かったのではないでしょうか?
返事はない。神は死んだ。
俺もデクスターみたいにニーチェの本を買って読もう。
センティネル丘陵で転移した状態のままで日本へ帰ってきたようだ。
ベッド脇の時計を確認すると、10月31日のAM5時だった。
カーテンを開けて外の様子を見るが、さすがに10月末となると日の出にはまだ早い。
「それにしてもなんなんだこの部屋の男臭さは。普段から体臭には気を使っていたはずなんだけど……」
男だった時の自分の体臭のはずなのだが、今のこの体には全く知らない男の臭いとしか感じられない。
それどころか、知らない男の部屋に投げ込まれたことによる不安しか感じることが出来ないのが悲しい。
俺の……自分の臭いだぞ……。
窓を開けて換気をすると、冬が近いことを示す寒風が室内へ一気に吹き込んできた。さむい。
ここでミュールを履いたままだったことに気付いたので脱いで靴箱に入れた。
同じく臭い靴下も脱ぎ捨てて洗濯かごへ。
服も下着も全部臭いのだが、洗濯と風呂は後回しだ。
ベッド脇には体感6ヶ月、実時間では数時間放置していたスマホがある。
通知欄には友人からの未読メールが3件届いていた。
「明日はハロウィンだからカボチャ料理を作れ」
「食べに行くから早く帰ってくれ」
「今晩泊まる」
相変わらず無茶な要求メールだ。
「ハロウィンのカボチャ料理は冷蔵庫の中に入れておく。勝手に食え」
「3日ほど家には帰らない」
「帰ったら重要な話がある」
ショートメールを返信すると、秒で「どこに行く気だ?」と返信が返ってきた。
なんなの早朝にこの超反応は?
あいつは俺のストーカーなの?
少し悩んだ後に
「異世界」
「邪神と戦いに行ってくる」
と返しておいた。
この文面ならば、新作ゲームのための巣ごもりとでも勘違いしてくれるだろう。
続いて会社に体調不良で11月5日まで休みますとメールを送信する。
体がおかしいというのは事実だ。
この状態で本当に会社に出社して良いのだろうか?
伊原の認識阻害魔法なんて一切なくて「誰だよお前」となったらどうしよう?
色々と悩みは尽きないが、困っていても誰も助けてはくれない。
まずはできることから始めたい。
PCの電源ボタンを押すと、無駄に高性能のグラボを搭載したゲーミングPCが虹色の光を放ち、爆音の冷却ファンを回転させ始めた。
……俺はこのPCとお揃いだったのか。
最後に「この時間はまだ寝ているかな?」と思いつつも、モリ君のSNSに「この番号に電話をくれ」とDMを送信した。
起床してスマホを見たタイミングで連絡してくれるだろう。
PCが起動するまでの間、冷蔵庫を開けると、ペットボトルのコーラが目に入った。
椅子に腰掛けながら味わって飲む。
数カ月ぶりに飲むコーラは全く印象が違う。
まるで初めて飲むような気がする……
「げっぷっ」
ゲップまで可愛かった。つらい。
《もっとコーラを》
「ダメです。コーラは1日1本まで」
《ちぇっ》
PCが起動してデスクトップ画面が表示されたら早速、調査開始だ。
俺たちの元になったゲームの攻略サイトにも興味があったが、まずはこちらだ。
「島根県出雲市 行方不明 中村夕子」
検索をすると、中村の母親らしき人物が「17歳の娘がいなくなったので捜して欲しい」という内容のSNSが見つかった。
案の定「17歳ならただの家出だろう」と煽るようなクソレスのみで追加情報はない。
場所の詳細は記載されていないが、その母親のものと思われるSNSアカウントが過去にアップロードした画像をダウンロード。
適当に画像検索をかけると、庭の植木、塀、屋根の組み合わせがストリートビューの一部と一致した。
同様に別の画像や近所のスーパーの名前などで範囲を絞り込む。
自宅の位置はだいたい分かった。
続いて「行方不明」を外して検索すると、地元中学校に通う中村夕子が郷土史研究で市長から表彰されたという話が出てきた。
約3年前のニュースだ。
研究発表には黄泉比良坂がどうの、常世の国がどうのと書いているとこだけが気になる。
イザナミが死んだ時にイザナギが探しに行った死者の国の話を中心に出雲に残る民話、神話を掘り下げている。
この頃は異世界召喚も関係ない時期の話のはずだが、なぜ死者の国について調べようと思ったのかは引っかかる。
そのような形で、中村夕子に関する記録をどんどん調べていき、片っ端から印刷。クリアファイルに挟んでいく。
何が役に立って、立たないのかは気にしない。
関連する情報をまとめておけば、後でブレインストーミングに使える。
続いて「行方不明」をキーに調べると、日本全国で行方不明事件が相次いでいるというニュースが次々と出てきた。
学生から会社員まで無差別に数十名が一斉に失踪したというものだ。
理由もわからず突然に失踪する若者たちというセンセーショナルな見出しで、あることないことが書かれている。
もちろん、見当違いの話ばかりで、真実に迫る様な内容は一切なしだ。
当然だ。
行方不明者は異世界に召喚されていましたなどという結論が出せるわけもない。
未成年者が多いためか、名前はほとんど出ていないものの、その中で
繁の名前は以前に聞いたことがあるし、度会は州知事の名字だ。
つまり、この人と州知事が結婚したのだ。
州知事と伊原と中村。この3人は友人関係にあった。
おそらく度会繁氏も同様だ。
男1人に女3人……何もないわけはなく。
いや、実際何かあったので、結婚した度会夫妻はペルーに残って国を発展させる方向に進んだ。
あぶれた負けヒロインの2人は「おのれ運営め」「もういい日本へ帰る」とあてのない旅に出て、それぞれ喪女をこじらせた。
ちょっと男女が揃っただけで、くっつく、くっつかないの恋愛話になってしまうあたり、やはり陽属性はダメだ。
俺たちは男2人女2人でずっと旅していても、一切何もなかったというのに。
いや、モリ君とエリちゃんはもう少し何かあっても良かったんじゃないかな?
喪女をこじらせて、やっかみで異世界でテロを繰り返した67歳のババアを倒しに行くだけと考えると、一気に気が楽になった。
そんなこんなをしていると、いつの間にか夜は明けてAM7時になっていた。
「9時になったら近くの店へ適当に安い服でも買うか。さすがにこの魔女のコスプレのままでウロウロしてるとどこかで通報されるだろ」
時間もあるし、風呂と洗濯を済ませて、少し仮眠でもするか。
そう思ったタイミングでモリ君から電話がかかってきた。
「もしもし、モリ君か?」
『ラビさんですか? あっ、やっぱり女の子のままなんですね』
「まあ、そうだな。こればっかりは仕方ない」
相槌を打ちながら椅子に腰掛けた。
足をばたばたと動かしながら、ゲーミングチェアを回転させる。
すらりと伸びた細い足を見て、これからずっと女子として生きていかないといけないのかと思うと少しだけ憂鬱になる。
下着や服や靴なども全て買い揃えないといけないし、他にも必要な品は山ほどあるはずだ。
覚えないといけない作法、生活スタイル……問題はこれから色々と出てくるだろう。
やることが……やるべきことがあまりに多い。
「それで他のみんなはどう? 連絡は取れた?」
『はい。ラビさん以外は全員。タルタロスさん、レルム君、ドロシーはみんな日本の記憶がなくて大変そうですが、報告の範囲だと何とかうまくやっているようです』
「それは良かった。それだけが気になっていた」
記憶がない3人はうまく日本に馴染めるか不明だったが、何とかやれているようだ。
そのうち暇を見つけて会いに行こう。
『カーターさんは月末は仕事がクソ忙しいから当分は電話してくんなと言ってました』
「あいつらしいな」
みんな元気そうで何よりだ。
「明日には出雲に出発したいと思うけどどうかな? 土日祝を挟むからちょうど良いと思う。距離があるから、多分2泊3日くらいの旅行になる」
『大丈夫ですよ。行きましょう。
「なら、後で口座番号を送ってくれ。横浜から合流場所までの交通費を振り込むので」
『助かります。調べたら自宅から姫路まで3万くらいかかるみたいなので、さすがに高校生には辛くて』
意外とかかるなと思うが、伊勢までの特急でも5千円くらいかかった記憶がある。
東京? 品川? 新横浜?
モリ君の最寄りの新幹線の駅が分からないが、地元の駅から移動なら、それくらいかかるかもしれない。
「どうせ途中もバスや電車に乗ったりもするんだろう。足りないといけないから余裕を持って8万ほど振り込んでおく。差額は弁当代にでもして」
モリ君は今から通学。昼休みになったらまた電話を掛けるということなので一度通話を切った。
そのタイミングで突然に部屋のドアが勢いよく開かれて、1人の女性が飛び込んできた。
「
叫ぶような大声と共に現れたのは、俺の高校以来の友人……
伊原さんの認識阻害魔法が効いていれば、特に何の反応もなく対応してくれるはずだが。
「よう、久しぶり」
「えっ? お前、佑か? いや違う。お前は誰だ?」
明らかに魔法が効いているとは思えないおかしな反応が返ってきた。
やっぱり効いてねえ! 何やってんだ伊原ぁ!
と、心の中で絶叫するが、まずはこの場を取り繕う方法を考える必要がある。
「俺は佑だけど、急に何言ってるんだ?」
「確かに佑だ……何もおかしくないはずなのに……何かがおかしい……」
優紀が突然に頭を抱えて座り込んだ。
「優紀!」
思わず優紀に駆け寄った。
何故、優紀はこれほど苦しんでいるのか?
伊原さんは一体俺に何の魔法を掛けたのか?
頭を抱えて苦しんでいる優紀のためにコップに水を汲んできて飲ませた。
「大丈夫か? まだ痛むか?」
「もう大丈夫……多分、私が混乱しているだけだ」
「いいから、いつもみたいにソファに寝ていろ」
酔い潰れた時と同じようにソファへ運ぼうとするが、今の体だと優紀の体を支えるだけの体力がない。
それでも何とか引きずって寝かせることには成功した。
「やっぱりな。中身は佑だけど佑じゃない。お前は何者なんだ?」
「それは……」
旅に出た後でゆっくり説明と思ったが、これは今すぐに説明する必要があるだろう。
「俺は6か月間、異世界を旅して、たった今日本へ帰ってきたんだ。だけど、異世界に飛ばされた時に強制的に少女の体に変えられた」
「それって何のゲームの設定?」
「残念ながら現実だ」
俺は群鳥……スキルを使って、5羽の青白い
「この力を使って異世界で戦い抜いて、たった今帰ってきた」
「その嘘を言えない性格はやっぱり佑だな」
優紀が目を開けそうになったので、手を添える。
「今の俺には認識阻害の魔法がかかっていて、前の通りの姿に見えるようになっているはずだが」
「えっ? 全然違うぞ。私はなんで佑の部屋に女の子がいるんだと思ったら、頭の中からこいつは佑だって声が聞こえてきて、そんなことはないと否定したらこうなった」
雑すぎて、こちらの方が頭が痛くなってきた。
伊原は一体どんな認識阻害魔法をかけてくれたのか?
邪神か?
……邪神だったわ。
「そういうことなら、俺の言葉を信じてくれ。外見は……身体は14歳の少女に変えられたが、俺は俺のままだ。中身は同じだ」
「中身は……同じ?」
「ああ、高校以来お前とはずっと長い付き合いで、あちこち旅行にも行った上戸佑だ」
「そうか、少し整理させてくれ……」
優紀はそう言うと無言になった。
頭痛が辛くてそのまま眠るのかと思い、来客用の毛布を引っ張り出してかけようとしたところ、突然に腕を掴まれた。
「あさおんキタアアアアア!」
優紀が突然、奇声を上げながら勢い良く立ち上がった。
その生き生きとした表情からは、今まで頭痛で苦しんでいた様子は一切うかがえない。
「お、おいお前、頭痛は?」
「いやいやいやいや、知り合いがTSしたんだぞ。しかもこんな可愛い美少女だ。こんなレア体験を楽しまないと損だろ」
突然に知的女性の外観に見合わないキモイ言動を始めた。
そうだった、こいつは前からそういう奴だった。
こんなのだから、俺以外に嫁の貰い手もないんだぞ。
「お前の話を信じて少女の佑を受け入れたら、なんか頭もスッキリした。すごいな認識阻害魔法? どういう原理? やっぱり魔法少女が使ってるのと同じ奴? 変身できる? それで異世界に行っていたらしいけど、どんな世界だった? 勇者とかエルフとかいた? やっぱり冒険者ギルドに入って冒険――」
何やら早口で語り始めたが、途中から聞き流した。
またも頭が痛くなってきた。
何故俺の周りはこんな変人ばかりがいるのか。
「結論は?」
「とりあえず可愛いキャラなら全て愛でることにしている」
「俺は可愛いキャラではない。以上だ」
「そういうところは佑だ」
優紀はそう言うと、突然俺に抱き着いてきた。
「何があったのか教えて欲しい。助けになれると思う」
「別に助けは求めてないが、事情は話そうと思っていた。まあ聞いてくれ。この半年間の冒険の話を――」
何から説明しようかと考えた時に、今日はハロウィンであることを思い出した。
ならば、まずはここから始めないといけないだろう。
虚空からクッキーを取り出して、優紀に手渡す。
何度も繰り返したので何の淀みもなくスムーズに行えた。
「ハロウィンです。クッキーをどうぞ」