特に襲撃のおかわりはなく朝を迎えることが出来た。
こういう時こそ「眠れる時には眠る。何か異常があればすぐに起きる」という生活を続けていた俺たちの経験が生きてくる。
何度夜中にドロシーちゃんから腹に蹴りを食らって布団から追い出されたと思っているんだ。
しっかり睡眠を取ったので体調は万全である。
着替えを済ませたところでチェックアウトの準備をしていると、食欲をそそられる焼き立てパンの香ばしい匂いが部屋まで上がってきた。
ホテルの料金は安いものの一応は朝食付きプランだ。
バターロールに簡単なサラダ、それにインスタントコーヒーが付いているのだと思う。
ただ、この芳しい香りからしてスーパーなどに並ぶ大手メーカー出来合いではない。
契約している地元のパン屋に焼きたてのパンを毎朝、直接ホテルまで運んでもらっているに違いない。
パンはやはり焼きたてが旨い。
まだ暖かさが残るバターロールは千切るとふわっとバターと焦げた小麦の香りがいっぱいに広がるのがたまらないし、甘さも強く感じられる。
この値段でこのサービスは間違いなく当たりのホテルだ。
次に熊本に来る機会があれば、またリピートさせてもらおう。
そのまま優雅なホテルの
昨晩に送ったメールの内容について、カーターからの見解を聞こうと思う。
さすがにAM7時ならばモーニングコールの意味も兼ねて文句は言われないだろうという算段だ。
『オイオイ、お前らはもう年末休みかもしれねえが、オレはまだ仕事なんだぞ』
電話をかけると、1コール目で出たカーターが開口一番文句を言ってきた。
「それはすまなかった。年末休みはいつからなんだ?」
『うちの課はカレンダー通り勤務なので年末に休みはない。31日まで何かしら仕事がある。正月休みは3日までで4日から出勤』
「ご苦労さまです」
俺は電話先のカーターへ頭を下げた。
「そういう事情は知らなかった。本当に悪い」
『まあいいよ。嫌がらせでやってきたんじゃないのは分かっているから』
これは迷惑をかけることになってしまった。
年末の土木課公務員なんてどうせ暇だろうと思って高を括ってしまいすまなかった。
『今から出勤なので時間がないし手短に話すぞ。まずお前たちの泊まったホテルについて口コミやSNSで調べてみたが、怪談の噂は皆無。だから偶然に幽霊やら妖怪やらに遭遇した可能性は除外する』
「疑いだしたらキリがないというやつか」
『ああ。それこそ考察する意味がない。なので、何かの魔術や呪いでの攻撃だったと仮定する』
「この世界に魔術師なんているのか? 異世界産じゃなくて」
当然の疑問を尋ねた。
この科学文明が支配する日本で魔術と言われてもにわかには信じがたい。
『前にオレの実家の話をしただろ』
記憶を掘り返す。
確かカーターの実家の本家筋は明治時代に海外との貿易で財を成したそれなりの名家だった。
ある日、本家の爺さんが亡くなって親戚筋が遺産相続で土地なり資産なりを分け合うことになり、分家筋のカーターも一応解体予定の邸宅に呼ばれた。
そこの倉庫だか蔵だかの中から、先祖が海外から仕入れた古書が出てきたが、資産価値がなくて廃棄されると聞いて、それを持ち帰った。
調べていたらその中に本物の魔術書が紛れ込んでおり……という話だったはずだ。
『本物の魔術書が存在する以上は、どこかにオレと同じような経験をした奴が確実にいるだろうし、もちろん学問として魔術を使っている奴も0ではない……はずだ』
「はずか」
『オレは偶然に本を手に入れただけの魔術師なので縦にも横にも繋がりが全然ないからな』
「邪神とは繋がりあるのにな」
カーターは本当に意味の分からないポジションだ。
人間の魔術師との繋がりはないのに、世界を滅ぼせるレベルの邪神とホットラインが繋がっているというのが何とも言えない。
『可能性2。天然物じゃなくオレたちの仲間の可能性』
「俺たちの知らない帰還者がいるのか、過去の世代の帰還者がいるのかだな」
以前に伊原さんが言っていたが、サンディエゴの遺跡には、日本人が異世界転移をした痕跡が残っていたらしい。
現地時間で200年以上前という、俺たちの大先輩にあたる人物だ。
伊原さんの話だと、サンディエゴの遺跡は、経年劣化のために、使われた術式などは残っていなかったという話だ。
だが、向こうの世界の100年はこちらの世界だと1年にすぎない。
200年だろうと300年だろうと、誤差みたいなものだ。
日本に帰還後は、普通の日常に戻っていても何もおかしくはない。
「だけど、帰還した日本人がいたとしても、俺たちへ攻撃を仕掛けてくる理由がわからない」
考えられる動機としては、俺たちを向こうの世界に連れ戻しに来た運営の仲間だと勘違いしている可能性くらいか。
ただ、現状だと情報不足のために何も分からないというのが事実だ。
『送ってもらった写真は見たが、陰陽道、もしくは修験道の
「陰陽師が使ってるあれか」
『可能性が高いってだけの話だぞ。もちろん、写真で判別できる範囲の回答なので、実物を見たら、また違った評価を出すだろう。参考程度に留めておけ』
「じゃあ、俺が近づいただけで勝手に消滅したのは?」
『情報を取られることを恐れて自爆の可能性もあるが、お前の力にやられた可能性がある。ラビ助って神の力を使う聖なる巫女だろ。悪霊にとっては天敵みたいなものだ』
そう言われても巫女らしいことなど全くしていないのだが。
スキル構成も見た目も巫女という言葉から浮かぶイメージとは程遠い。
それにうちの神さんは世間的には邪神のカテゴリだ。聖なるものという感じはしない。
困惑しているとカーターもそれを察してくれたのかフォローの言葉を続けてきた。
『オレたちに加護を与えてくれてるのは「神」であって、悪魔じゃない。X軸とY軸がプラスの場合を神、マイナスを悪魔と定義するなら、うちの神は右上の極地にいる最高神だ。左下じゃない』
「うちの神さんって2次元グラフの上にいそうにないんだけど。Z軸か、4次元5次元軸でズレていないか?」
『4次元軸を時間と仮定するならうちの神さんは、ひも理論で語られる9次元くらいにいるんだろうな』
「ヒモみたいなやつがひも理論の話をしてもな」
「今、ひもかわうどんの話してた?」
電話を横で聞いていたエリちゃんが突然に謎の話題を振ってきた。
「群馬のうどんの話はしてないよ。もちろん水沢うどんの話も」
「カーターさんは山梨だからほうとうだっけ?」
『そういやほうとうも随分とご無沙汰だな。一人暮らしだと作ることがないからな』
「そうなのか? じゃあそのうち作りに行くよ。何人かいればまとめて作っても大丈夫だろ」
『それは助かる。最近はスーパー市販のスープでも美味しいからそれでもいいぞ。ネックは調理じゃなくて、野菜をたくさん入れると1人じゃ食いきれない量になるってだけだからな』
それは鍋も同じだ。
野菜をたっぷり入れると、一人暮らしでは食べきれない量になってしまう。
うちは、俺と優紀の2人で食べているからなんとか回せるだけだ。
ただ、市販のスープで十分とはいえども、後でレシピを調べておかないといけないだろう。
野菜を入れすぎると味も薄まるだろうし、一度自宅で試してみた方が良さそうだ。
……あれ、今は何の話をしていたんだっけ?
『うちはかぼちゃで作るのが定番だった。甘いのが好きだったが、大人になってからゴボウの旨さに気付いた』
「味噌とゴボウの相性は良いもんな。じゃあ近いうちに山梨に行けるよう計画立てるから」
『分かった。事前に連絡をくれ。そろそろ出勤だから日中は電話をかけてこられても対応出来ないぞ。メールなら暇を見つけて返信しなくもない』
「ありがとう、助かる」
それで電話は切れた。
出勤前の忙しい時にわずらわしかっただろうに、よく対応してくれた。
「カーターさんは何を言っていた?」
「ゴボウが好きなんだってさ」
「何の話?」
◆ ◆ ◆
高千穂には9時前に到着した。
八千代なる霊能力者が住むのはそこから進んだ山だが、30分ほどで到着できる見込みだ。
時間合わせに少しくらいは観光しても罰は当たらないだろう。
まずはボートを借りて高千穂峡の渓谷巡りを楽しむことにする。
ボートは最大4人乗りなので、全員が乗れそうだ。
「よいしょ、よいしょ」
俺は必死でボートを漕ぐが、全く前に進む気がしない。
「おい佑、私が代わろうか?」
「いや、ここは男の意地ってものがある」
「もうお前、男じゃないだろ。全然腕力ないし」
「私が漕ぐよ」
それを言われると辛い。
あまりに辛い。
別に好きで男を辞めたわけだけではないので、本当に辛くて泣きたくなってくる。
なので、少しだけ裏技を使うことにする。
オールをボートの船尾に固定して一言小声で呟く。「
これでこのオールは俺の「箒」と化した。
あとは俺の意思に従ってオールを漕がなくても勝手に宙に浮いてボートを押してくれる。
ちょっとしたモーターボート状態だ。
早朝の人がいない今だけしかこれは出来ない。
他の観光客がいる状況でやれば、謎の動力で疾走するボートが現れたことでパニックが発生するだろう。
「箒以外にも応用が利くんだな」
「かなり応用が利くからな。実はもっとすごいことも出来る。目立ちまくるから町中じゃ絶対に使えないけど」
「BSで古いアメリカのドラマを視たけどあれだな。うちの奥様は魔女だったのです」
「奥様言うな」
ボートをしばらく漕いで(誇張)見て回ったが、高千穂の渓谷は有名なだけに絶景だった。
切り立った岩肌が視界いっぱいに広がり、幻想的な風景を醸し出している。
風景に圧圧倒されるのだが、それとは別の感情が湧き上がってきた。
不安とも異なる。
あえて似た感覚を当てはめるならば、既視感だ。
これと似たような風景を見た覚えがある。
《次元の境目だと思う》
聞いてもいないのに
《ダンウィッチや、出雲の黄泉比良坂と同じ雰囲気がある》
分かるのかと問いかけると、魔女は首を横に振った。
映像で見ているわけではないのだが、振ったのが分かった。
《昨日、調べたんだろう、この場所のことを》
魔女の言う通りだ。
あくまでも観光地情報ではあるが、高千穂のこの場所については調べ終えている。
「佑、どうした?」
「ボートはこんなもんでいいだろう。切り上げて戻ろう」
◆ ◆ ◆
一度、ボートの発着場に戻った。
真名井の滝とやらは、季節の関係なのかパンフレットで見るよりも水量が少なめだったので、夏にもう一度来るのはありかもしれない。
「他には芸能の神社とかあるみたいだけど参拝していく?」
「神社参拝くらいならそんなに時間がかからないから後で行こう。さすがに渓谷を歩き始めると2時間コースだからアウトだけど」
観光コースの地図が配布されていたので見ると、ある程度近くにまとまっているので、短時間で周回出来そうだ。
「それで高千穂は何の聖地なの?」
エリちゃんが今更の話を聞いてきた。
「推しの子だろ」
優紀がまた余計な話をしてきたが無視だ。
「今の佑って白い髪に赤い目だから素のままでも何かのコスプレみたいに見えるのでインスタに載せる」
「勝手にコスプレ扱いにするなよ」
文句を言ってみるが、旅の記念になるのは事実なので一応リクエストに応えて写真は撮ってもらう。
優紀がSNSに写真をアップロードすると、すぐに通知音が鳴った。
どうやら早くもお気に入りとコメントが付いたようだ。
「どこの物好きだよ」
「山梨県の片倉さんからコメントです『もっと笑顔が欲しいですね』」
「カーターさんは何なの?」
「やっぱり公務員って暇なんじゃないか?」
SNSを見るくらいの時間はあるようなので、3人揃ってポーズを取って写真を撮り「車で来た」とメッセージを付けてカーターにメール送信する。
さて、ボートで移動中に気づいた既視感と、この場所についての説明を合わせて推論を出そう。
「高千穂は天孫降臨……天から神様が降りてきた聖地とされてる。祀られているのはニニギというアマテラスの孫にあたる神だな。古事記にも書いてある」
「またミヤモト=マサシが書いた話?」
「宮本武蔵の晩年は熊本に住んでいたから微妙に関係あるのやめろ」
エリちゃんは相変わらず悪いいんたーねっとに毒されている。
何とかして欲しい。
「古代九州では今の福岡や佐賀の辺りにそれなりの勢力があって、遺跡もそれなりの数が発見されてる。なのでニニギも福岡に近いところで『クニ』を構えていた王だったという説もある。出雲のオオナムチと同じパターンだな。このあたりの話は日向神話が詳しい」
「なるほど」
「なるほど」
エリちゃんに続いて何故か優紀まで頷いた。
おい教師、それでいいのか?
「ただ、ニニギの拠点は福岡で、真の高千穂はそちらだったとすると、この岩山は何だって話になる。そこで出て来るのが奈良時代にいた役行者による山岳信仰説だ」
「修験道の開祖だっけ。山が神ってやつか」
「中国の神仙譚あたりが出所なんだろうけど、シンボルとして分かりやすい巨石群は
「パンフに書いてある
優紀がパンフレットの紹介文を慌てて読み始めた。
「そういう意味。
「よくそんな細かい豆知識を知ってるな。親戚にせんべい屋やってるなんとか堂とか、稗田や宗像とかいう民俗学者がいたりしない?」
「昨晩にスマホで仕入れたにわか知識だよ」
「昔からそういう小手先で点数を稼ぐテクニックだけはうまいのな」
俺のネタバレに優紀が呆れたように言った。
「じゃあ本当に聖地なんじゃないの? 異世界から何かが来たとか」
「では、今の神話に関係している話だ。さっきボートを漕いでいる時に、結依さんが反応したんだ。ダンウィッチや出雲に近いと言っていた」
「それって……」
「この2か所は、異世界との境目に近いのか、神を召喚することができた。多分、この高千穂にも、別の次元……異世界との境界が存在する可能性は極めて高い」
優紀とエリちゃんの2人が息を飲んだ。
「出雲も高千穂も、日本の神話では神が地上に降り立った地とされている。さすがに無関係だとは思えない」
「つまり、高千穂や近くに住んでいる八千代さんは異世界と何か関係があると?」
「その可能性を念頭に入れておきたいと思う」
古代に人間が理解できない強大な力を持った存在が異世界からやってきたとしたら……正体は何であれ、古代人はその存在を神として崇めるに違いない。
検証のために、近いうちに、他の天孫降臨の伝説が残っている、伊勢や熊野にも行ってみたいところだ。
そこで同じ感覚があったならば、別の事件が密かに起こっているかもしれない。
「そろそろ時間だ。出発しよう」
駐車場に戻って車に乗ろうとしたところ、カーターから電話がかかってきた。
「仕事が忙しいと言ってたのに……何かあったのか?」
「わざわざ電話をかけてくるくらいだから、襲撃者や八千代について、新しい事実に気付いたのかもしれない。出てみよう」
全員で話を聞けるようにスピーカーホンに切り替えて電話を取る。
「もしもし。上戸だけど何があった?」
『なんでオレに隠していたんだよ!』
突然カーターの大声が聴こえてきた。
「何の話だ? まず状況を説明してくれ」
雰囲気がいつもと違う。
これはよほどのことがあったのだろう。
もしやカーターの方にもあの謎の敵が現れたのだろうか?
もし俺たち帰還者全員が狙われているとなると面倒なことになる。
単騎でもある程度戦える小森くんはともかくとして、子供たちは無事だろうか?
『そこに友人さん……
「ええと……佑の友人の片倉さんですね。初めまして。春日優紀です」
よそ行きの丁寧な話し方でいつもより綺麗なテクスチャーを被った優紀がカーターに挨拶をした。
『私は
「いや待て、お前は何を言っているんだ」
カーターが今日は一日仕事と言っていたのは実は嘘で、朝から自宅で酒を飲んで酔っ払っているのではないだろうか?
そう疑いたくなってくる。
ふざけるのも大概にして欲しい。
『なんで言ってくれなかったんだ? お前の友人がこんな美人なんて聞いてないぞ』
「だから用件は何だよ!」
『さっきメールで自撮り写真を送ってきてくれただろ。あれを見てもう一目惚れよ』
「お前のところに敵が出たとか、何か恐ろしい事実に気付いたとかないのか?」
『敵って何だよ。現代日本にそんなの出るわけないだろ。深夜アニメの観すぎだ』
限りなくどうでも良かった。
やはり年末の公務員は暇なのでは?
そうとしか考えられない。
『年末年始のご用はいかがでしょうか? もしよろしければ山梨県まで足を運んでいただけたら地元を案内いたしますよ。富士山を眺めながら年越しなどを』
「年始の休みは3が日だけとか言ってなかったか?」
『気のせいだろ。お前はもういいから春日さんを出してくれよ』
「あれ、電波の状態が悪いな。まあ九州の山の中だから仕方がないかー」
これ以上の会話は時間の無駄にしかならないと悟ったので通話を切った後にスマホの飛行機マークをタッチした。
これでしばらく電話がかかってくることはない。
メールはタブレットの方でチェックするので問題ないし、社給携帯があるので電話も使える
それらの番号をあいつは知らない。
「片倉さんって面白い人だな。いつもあんな酔った感じなのか?」
「いつも酔拳状態だから困ってたんだよ。同じジャッキーなら、香港
俺はわざとらしく大きなため息を付いた。
「面白いじゃないか。私はあんな感じの男は好きだぞ。せっかく誘われたし今度遊びに行ってみよう。佑は横で『はんちもー』と唄う係な」
「おいやめろ。あいつは生活態度がだらしないダメ人間だぞ。絶対に行くな」
本当に何を考えているのか?
「嫉妬してくれる佑は可愛いなぁ」
優紀はそう言うと俺を抱き抱えてきた。
なんだよ、俺をからかっただけなのかよ!
心配して損した。
「面白そうな人なので一度会いたいってのは事実だよ。佑たちがどんな冒険をしていたのかは聞いてみたい」
「優紀さんは裕和ともまだ会ったことがないんでしたっけ?」
「私が会ったのは恵理ちゃんが最初だよ。弟子のレルム君とやらにも会ってみたい」
優紀がそう言うとエリちゃんは笑顔になって2人でハイタッチをした。
年齢差など感じさせず、すっかり仲良しさんになっている。
「じゃあ約束の時間も近いしそろそろ行こうか」
八千代と約束した時間まであと1時間。