八千代なる霊能力者の拠点は、宮崎の市街地へ抜ける県道の途中から分岐を入った場所だった。
左手は切り立った崖。
右手は急な斜面で、道を少しでも外れると崖下へ真っ逆さまのなかなか厳しい道だ。
転落を防ぐためのガードレールも先の様子を見るためのカーブミラーもない。
コンクリ舗装の路面は全く整備されておらずデコボコしている。
道路が陥没している箇所にタイヤがはまり込み、車体が大きく振れる。
一時期、ログアウト出来ないMMOでデスゲームが行われるという話が流行ったが、それを連想する。
今の状況でのログアウトならぬコースアウトは即死につながる状況である。
まさにデスゲーム。
なるべく避けて進みたいのだが、落ち葉が絨毯のように敷き詰められているために穴の位置が分かりにくい。
車体が小さくて軽いビートルなので今のところは走れてはいるが、あまりにも路面状態が悪化すれば、車を停めて歩いていくことも視野に入れる必要があるだろう。
「道に轍が付いてるから車が全く通っていないってことはないとは思う。鹿島さん夫妻も一度はここへ来ているはずなんだし」
「よっぽど、この道を通る人が少ないのかな?」
「おそらくは。1日1往復とかそんなレベルだろ」
不安に思いながらも速度を落として慎重に車を30分ほど走らせると、広い集落のような場所に出た。
両側には獣除けの柵の向こうに広い畑と稲刈りが終わった後の田んぼが広がっていた。
田んぼの稲は刈り取り済みで、藁は束にまとめられて干されている。
畑にはネギや白菜、大根などの冬の野菜が植えられているのが見える。
人の手が入っているので、完全な廃村ではなさそうだ。
道の先の方には何軒もの家が軒を連ねており、集落から道は更に先へと延びていた。
「畑は手入れされているし、人はいるみたいだな」
「人が多い割には道が荒れてたけど」
「もしかして、今通った道は旧道か裏道で、別方向からだともっと簡単に来られるのかもな」
別の道がないか調べようとカーナビに目をやると、表示は真っ白だ。地図には何も表示されていない。
後付けの安いナビは、地方に行くと詳細地図が省略されて真っ白になることが多々あるので、判断に困る。
集落はかなり小規模なようだ。
せいぜい10軒程度。
霊能力者の八千代なる人物を捜す際に、総当たりで聞き込みしてもそれ程時間はかからなさそうだ。
そう思いながら車を進めるとどうも様子がおかしい。
それぞれの家屋は雪の対策なのか道路から少し高い場所に建っており、そこへ至るために車道から登り坂があるのだが、そのどれも
庭も真冬だというのに枯れた雑草が生え放題になっており、ろくに管理もされず長期間放置されていたことがわかる。
そして――廃屋の庭先には色とりどりの着物が打ち捨てられていた。
長期間風雨に晒されていたからなのか、色褪せている上に、すすけて朽ちかけている。
それでもまだそれなりの鮮やかさは残っていることが、不気味さを加速させていた。
「怪談のマウンテンバイクの話と状況が酷似しすぎているんだが」
「着物が散らばっている以外は田舎の集落ではよくある光景じゃないかな」
エリちゃんが淡々と言った。
「着物が散らばっている時点で普通じゃないんだけど。完全に廃村になっていたところに不審者や野生動物が侵入して荒らした後ならばギリギリ分かるくらいか」
さすがにこれはおかしい。
故意に都市伝説を再現しているとしか思えない。
問題は、そんな無駄なデティールに凝る理由と、俺たちに対して攻撃の意思があるかどうかだ。
「視力が良いエリちゃんなら見通せないか? ここは既に正常な空間じゃないのかもしれない」
「車の窓越しじゃ分からないよ。出雲に行った時、変な空間に誘い込まれたけどあれと同じなのかな?」
「可能性は高いと思う」
状況確認のため、適当な空き地に車を停車させ、サイドブレーキを引いて車から降りようとした時にそれは起こった。
周囲にはたちまち濃い霧がたちこめ、視界が一気に利かなくなった。
まだ外は昼前だというのに、空は薄暗く太陽の光もほとんど届かない。
霧に包んで外界から遮断する攻撃には覚えがある。
中村の自宅周辺もそうだったし、思えばマインガルで空を雲が覆ったのも、結界へ隔離する前兆だったのだろう。
「封絶や領域展開みたいな空間攻撃って本当にあるんだな」
窓から空を見ている優紀が二次元知識で感心しているが、残念ながらアニメじゃない。
自分たちに直接危害があるかもしれない本当のことだ。
「どうするの、ラビちゃん?」
「車ごと攻撃をされたらシャレにならないから降りて反撃する。絶版車の部品はもう出ないんだぞ」
車内で鳥を喚び出して、まずはその1羽を肩に乗せた。
車の窓を開けて残り4羽を外に放つが、すぐに攻撃される気配はない。
見える範囲内に敵は居ないようだが、確実にどこかに存在していてこちらの様子を窺っていることは気配でなんとなく分かる。
「優紀は後部座席に乗せている鞄の中から装備一式を取ってくれ。短剣と外套、それに帽子だ」
後部座席に座っている優紀に頼む。
後部座席にはトランクに入らなかった俺の荷物……装備品を積んでいる。
戦闘が発生した際に備えて、せめて防具だけでも装備しておきたい。
「私は出なくていいのか?」
「お前は何の戦闘能力も持ってない一般人なんだから、車の後部座席に隠れてろ」
「ということは、リアル『異世界帰りのチート能力者が現実世界で無双する』を見られるわけだな」
「いいから隠れてろって。お前が車内にいると気付かれたら車ごと攻撃される可能性があるんだから」
優紀は指示通り、荷物を俺に渡した後は座席に丸まるように座った。
そして、身を隠すために、ひざ掛け代わりに使っていたブランケットを頭から被った。
俺は短剣が入ったホルダー付きのベルトを腰に巻き、白い外套と三角帽を身に付けながら車外へと飛び出した。
外套や帽子は限界超越で生えてきた防具だけあって、見た目はただのコスプレだが防御力は極めて高い。
ナイアルラトホテップの攻撃を何発か受けたはずだが、掠れもほつれもない。
下手をするとライフル銃の弾丸やトラックの直撃にも耐える防御力がある……かもしれない。
防具の性能への過信は禁物だが、回復役不在の現状だと少しでも防御力は高めておきたい。
助手席に乗っていたエリちゃんも俺に続いて車から飛び出した。
車から出た途端に、半透明の白い影のようなものが俺とエリちゃんに向けてそれぞれ襲い掛かってきた。
数は5体。
見た目からしてホテルマンの親戚だろう。
四方八方から襲ってきているので、まとめて処理するのは難しそうだ。
「後ろは任せた」
「任された!」
最低限の言葉を交わした上で、お互いに背を預けて立つ。
信頼関係が確立しているので、このやり取りだけでも十分に立ち回れる。
俺の担当分は3体。エリちゃんは2体。
ホテル内で戦った感触からすると、触れられさえしなければ、特に問題ないはずだ。
「
まずは盾を形成。
盾をスライド移動させて、初手の体当たりを弾き返す。
敵の攻撃力は不明だが、食らわないに越したことはない。
初撃を回避したので、今度は俺たちのターンだ。
「散開!」
盾を一度解除して、自由になった3羽の鳥たちをそれぞれ白い影に向かって放つ。
3羽同時コントロールだと深い霧で視界不良の中では精度を維持できず、1体には避けられた。
だが、他の2体は中心にあるヒトガタの紙片を正確に貫き、倒すことが出来た。
エリちゃんの方を見ると、敵の攻撃を避け、カウンターで回し蹴りを叩き込み1体を倒していた。
防御力はそれほど高くないようだ。
「残るは2体か」
「でも、近付いてこないね」
一瞬で3体がやられたからなのか、残った2体の白い影は俺たちから距離を取り、近付いて来ようとしない。
「石でも投げて落としてみる?」
「止めておこう。それよりも、襲ってこない今が状況確認を行うチャンスだ」
まずは鳥を1羽、打ち上げるように上空へ飛行させた。
高い位置から、周囲の地形も含めて確認するためだ。
だが、10メートルほど飛ばしたところでそこから全く先へ進めなくなった。
まるで見えない壁でもあるように、いくら飛行命令を出しても、鳥が先に進まない。
「結界的な物で通常の空間と隔離されているのか?」
いくら頑張っても鳥をそこから移動できないので、仕方なく手元に戻した。
「どうだった?」
「全然ダメだ。やっぱり俺たちはこの謎空間に隔離されているみたいだ」
この攻撃を仕掛けた奴は俺たちにかなり悪意を持っているようだ。
何としてもここで絶対に仕留める。
もし倒せなくとも、この結界内から出さなければ実質勝ち。
そのような邪悪な意思が伝わってくる。
こっちには交戦の意志などないというのに、血の気の多さには困ったものだ。
「そんなに八千代さんに俺たちを会わせたくないのか、それとも別の意図があるのか」
「影を全滅させてみる? 出雲の時みたいに」
「先に結界を破ってみたい。敵さんはこの結界の維持に自信があるみたいだから、内側から壊してやるとどんなリアクションが返るかは気になる」
まずは鳥を追加召喚。
増幅魔法陣を形成して、バルザイの偃月刀を咥えさせた鳥を強化する。
ドリルのように高速で回転させることで、力技で結界の破壊にかかる。
結界も魔法陣の一部ならば、綻びを作ってやれば崩壊させることができるはずだ。
ダメならば他の手順を試す。
魔術の知識がない俺たちにできるのは、やれることを全部試すだけだ。
鳥を不可視の壁へと突撃させると、空にガラスがひび割れたような亀裂が走った。
どうやら、この手順で正解のようだ。
亀裂は、ドリルと化した鳥が突き進むと共にどんどん広がっていき、ついには不可視の壁ごと粉々になって完全に崩壊した。
周囲に立ち込めていた霧が瞬く間に水滴となり、10秒ほど冷たい霧雨となって降り注ぐ。
ひんやりとした冬の雨が顔にかかるが、目は閉じない。
今の状況を少しでも多く目に焼き付けて、情報を得るためだ。
景色が晴れると……寒村などどこにもなかった。
かつて集落があったかもしれない開けた場所には、太陽光発電のソーラーパネルが何枚も並べられていた。
僅かに空いたスペースは、俺たちが乗ってきた車が停車しているくらいだ。
先程まであった民家も畑は完全に幻だったようで、どこにも見当たらない。
空を漂っていた謎の敵も、結界が破壊されたと同時に消滅していた。
「キツネに化かされたかな?」
「夢でも幻覚でもなく本当に異空間……結界に隔離されていたんだと思う。たまたま俺たちは結界の破壊能力を持っていたけど、なければどうなっていたことか」
車のドアを開けてエンジンキーを差し込み、カーナビを起動させると地図が表示された。
ナビに地図が表示されなかったのは性能不足ではなく、変な空間に誘い込まれていたことが原因のようだ。
電子機器に異常を与える異変だったのかもしれない。
ナビに現在表示されている画面には現在位置には住所が番地まで出ており、集落が存在していることになっている。
ナビに登録されている地図は5年以上昔のものなので、その頃にはまだ、先程見たような集落が残っていたのかもしれない。
寒村は過去の
もしかすると例の都市伝説……マウンテンバイクの話も、俺たちと同じものを見た証言だったのかもしれない。
「これからどうするの?」
「このまま鳥を八千代さんのところに先行させて、空から誘導させることにする。それならば、また結界に飲まれてたとしてもすぐに検知と破壊ができる」
幸いにもここは人里離れた山奥だ。
使い魔の鳥を飛ばしても、一般人に見られる可能性は限りなく低いだろう。
鳥を上空に放ち、俯瞰で周辺の状況を確認する。
直線距離で1キロほど。道なりだと5キロほどの距離に、屋根の上にソーラーパネルとBSアンテナを載せた、ポツンと一軒家を見つけた。
光回線の提供範囲外だからなのか光ファイバーケーブルは接続されていないようだが、代わりに衛星携帯電話のアンテナが立っている。
屋敷手前には粗末なトタン屋根の建物が2棟あるが、そちらはおそらく農具小屋とガレージだ。
位置関係からして、八千代さんの家で間違いないだろう。
「ここからは意外と近い。謎の敵が攻撃を再開する前に急ごう」
「この攻撃をしてきているのが八千代さんだったら?」
「その時もまずは話し合いだな。現代日本で敵対してもお互い良いことなんてないんだし」
少なくとも俺たちは正当防衛しかやっていない。
まだ話し合いで解決出来る余地はあるはずだ。
◆ ◆ ◆
幸いにも新たな攻撃が来ることはなく、八千代さんの自宅らしい家屋の前に来ることが出来た。
空きスペースに車を駐車させて玄関の前に歩いていく。
インターホンはないようなので、冷たい冬の山の空気を肺いっぱいに吸い込み、なるべく大きな声で呼び掛ける。
「メールで連絡した者です。八千代さんにお話があります!」
何度か同じ内容で呼び掛けた時、民家玄関の横開き扉がガラガラと開かれる音が聞こえてきた。
ザッザと土を蹴る音を立てながら、白い髪を後ろでまとめた老婆がゆっくりと姿を現した。
上半身は
下は袴。
それに、ぼんぼりのような紐の付いた
カーターが、影を操っていた術者は陰陽道か修験道と予想していたが、八千代もその術者の候補というわけだ。
俺たちを睨みつけるような鋭い眼光からは、隙あらばこちらの喉笛をかみ切ってやろうという敵意が伝わってくる。
何を勘違いされているのかは分からないが随分と嫌われたものだ。
まずは両手を挙げて降伏のポーズを取る。
「私たちは異世界へ召喚された後に日本へ帰ってきた帰還者です。話を聞かせてください。こちらに交戦の意志はありません!」
「異世界? 交戦?」
老婆は「異世界」という言葉を聞いて怪訝な顔をした。
言葉の持つイメージが異なるのかもしれない。
「あなたが以前に託宣した人物の口から異世界のことを知らないと出ない固有名詞が出ました。そのことから、私たちの仲間、もしくは関係者の可能性があると考えました」
「託宣なら色々な人間に伝えてるからどの件かわからないね。何の話なんだい?」
「タウンティン・スウユにある地母神の遺跡」
ここで駆け引きをしても仕方がないので正直に告げた。
「根の国の話か。異世界なんて言い回しをされると、まるでマンガの話かと勘違いするじゃないか」
「まあマンガみたいな話ですけどね」
マンガどころかこちとらゲームでソシャゲのキャラ、しかも季節限定イベントの配布キャラである。
俺についてはゲーム内通貨を使用してショップで購入することで入手が可能なのだが、その価格はなんとガチャ1回分。日本円換算だと300円だ。
安い女である。
それにしても「根の国」とは穏やかではない。
「根の国」というのは「常世」などと同じく日本神話に登場する別の世界を表す言葉だ。
「常世」というのは海の向こうの国や神の住む国という意味も内包しているが、「根の国」と呼ぶ場合はほぼ「あの世」の意味である。
俺たちは別に死んだわけでもないのだが。
「根の国帰りだから、そんなとんでもない邪悪なものを連れているのかい? そいつらは地獄の獄卒かい?」
そう言われて思わず振り返るが後ろには優紀とエリちゃん以外は誰もいない。
連れ回していると聞いて思い当たる節と言えば
何か霊的なものに憑かれているのだろうか?
「そんなのに取り憑かれているのに本人に自覚なしのタイプとかさすがにない……」
老婆はそこで一度言葉を切って俺たちを改めてなめるように上から下まで見始めた。
「本当にないのか。常人ならとっくに狂ってるだろうしね。あたしもなるべくなら見たくないくらいだ」
「何が見えるんです?」
純粋な好奇心から尋ねてみた。
自分がどういう状態になってるのかは気になる。
「無数の不気味な鳥、巨石が並ぶ祭壇、それに黒い……いや黒いのに極彩色に輝く太陽。この世の光景と思えないんだが」
説明されてようやく合点がいった。
それはセンティネル丘陵の祭壇とうちの神さん、そして使い魔の鳥たちだ。
魔力などない俺には全く自覚出来ていないが、うちの神さんの加護だかなんだかが異質すぎて「見える」人間にとっては驚異と感じられるのだろう。
「それなら大丈夫です。ただちに影響はありません。鳥も臭い以外は可愛い奴らです」
「常人なら狂うって言ってるんだよ。その臭いって言ってるのも死臭じゃないのか?」
「どちらかと言うと鶏小屋ですね」
「鶏……小屋……?」
確かに鳥たちは死ぬかと思うほどの臭いを発するが、それは洗ってない犬や鶏小屋に近いものであって死臭とはまた違う……と思う。
それはともかくとして、今のやり取りを交わしてからようやく老婆から敵意が消えた。
威圧や攻撃のためにうちの神さんを見せているだけではないと理解してもらえたようだ。
「なら、さっきドンパチやっていたのは何だったんだい?」
「分かりません。ここへ来る途中に正体不明の敵に襲われ、結界内に閉じ込められました」
「閉じ込められた? 一体どんな空間なんだい?」
「
それを聞いた老婆は何かを黙考しているようだった。
「もしかして庭先には古い着物が散らばっていたかい?」
「はい、その通りです」
単にマウンテンバイクの話を知っていただけかもしれないが、あの空間について何か知っているのだろうか?
「そうだね……こんな寒々しい庭先で立話も何だ。中に入りな」
老婆はそう言うと屋敷の方を指差した。
「次の予約は13時から入っている。どこぞの偉い政治家さんらしい。なので、それに支障がない範囲でならば話してやる」
どうやら話を聞かせていただけるようだ。