老婆に案内された部屋は古めかしい田舎の古民家の中とは思えない空間が広がっていた。
無垢の木のフローリングは来客用スリッパの底越しに温かさが伝わってくる。
床暖房が効いているのだろう。
元は茅葺きの吹き抜け構造だったであろう天井には綺麗な天井板と壁紙が貼られている。
白い漆喰の壁には絵画が数点飾られていた。
部屋の中央には北欧デザインの有機的な曲線を描くソファセットとテーブルが置かれている。
先程囚われていた都市伝説の中のような空間とは別の意味で、場違いな異空間へ迷い込んだような錯覚を覚える。
玄関から都会のデザイナーズマンションの一室へ一瞬のうちに転移したと説明されても信じられそうだ。
「そこに座りな」
老婆はぶっきらぼうに言うと、キッチンへと消えていった。
そっと高級ソファに腰掛けると、予想以上の座り心地の良さに思わず声が漏れた。
使われているクッションやひじ掛けの木材も良いものが使われていて、すべすべだ。
「お高いやつだ」
「最初に値段の話が出るあたり実に庶民」
「そうは言っても庶民なのは事実なので仕方がない」
少子化で人不足ということもあり、うちの会社はそこそこの給料を出してくれてはいる。
だが、所詮は役職なしの新人サラリーマンだ。
かく言う優紀もお高いソファーの表面を手で撫でまわして恍惚としているあたり、実に庶民である。
高級家具を買えるかと聞かれたら、金銭的にも、部屋の占有面積的にもノーである。
IKEAで自分で組み立てるアウトレットの半端物を買うのが精一杯だ。
ちなみに1人暮らしのうちには必要ないソファーをわざわざ買ったのは、優紀が定期的に泊まりに来るため、代わりに俺の寝床が必要だからだ。
「うちにもソファーはあったんだけど、わんちゃんが一晩でクッションの中身を全部バラしちゃって」
エリちゃんの話はいつも怖いから困る。
地獄の番犬にも勝てそうなゴツい土佐犬をこの室内に放てば、高級ソファも一瞬でバラバラにされるだろう。
脳内で高そうな部屋(庶民感覚)の中で傍若無人に暴れ回るわんちゃん(名前)の妄想をしていると老婆が戻ってきた。
その後ろから20代くらいの細身の青年がカラフルなティーセットをプレートに乗せて運んできた。
フランスのお高いやつっぽい。
「コーヒーや紅茶はないよ。あるのは麦茶だけ。カフェインを取り過ぎないよう医者に止められているんでね。最近は緑茶も飲めやしない」
老婆はプレートの上に乗せられた高級そうなティーポットから直接カップにお茶を入れ始めた。
伊原さんの時といい、麦茶とは余程縁があるようだ。
麦は煎りたてのものを使用しているのか、パック入りの麦茶よりも芳ばしい香りがより伝わってくる。
お茶がカップに注がれた後、青年がティーカップと茶菓子の乗った小皿を配膳し始めた。
オシャレな小皿の上には金色に光る丸い果実の砂糖漬けが1つ乗せられている。
「銀杏の蜂蜜漬けです」
果実の正体が何なのか不思議そうに見ている俺たちに青年が説明してくれた。
何も触れていないのに、自身の重量だけで半ば崩れ始めている。
よほど柔らかく煮込まれているのだろう。
口の中に入れた途端に溶けてなくなりそうだ。
それでいて茶色くならずに綺麗な黄金色を保ったままとはなかなかの逸品だ。
土産で売っているなら、値段次第で買って帰りたいところだ。
青年は配膳を終えると、一礼して退室していった。
それでは本題だ。
まずは自己紹介をした後にここへ来た目的……同じ異世界からの帰還者ならば同期か先輩かを確認したかったこと。
異世界帰りで困っていることがあれば助け合いたいと考えてここを訪れたことを伝えた。
「あたしの一族は昔からこの辺りに住んでるんだが、そのおかげなのか、人には視えない
「見えないものですか」
俺の使い魔の目は、ある程度ならば人間の目には映らないものを見通すことはできる。
それでも見えない物は多数ある。
例えばこの目の前の八千代さんが言うところの俺の背後に見えるうちの神さんなどだ。
これは人並み外れた視力の持ち主であるエリちゃんでも見えない。
魔力やら霊的なものを見るには、別の素養が必要なのだろう。
もちろん俺たちにそんなものはない。
「普段なら家のそこらに隠れて、常にこちらの様子を窺ってるんだが、今日はあんたらに怯えてか出て来やしない。とんだ営業妨害だよ」
「すみません」
「謝られたって仕方ない。黒いのがいないのは良いことなんだが」
「黒いの?」
意味が分からず思わずオウム返しをした。
「山の奥から湧き出すのは、白いのと黒いのがいるんだ。白いやつは宙を漂っていて、聞きたいことに答えてくれる。黒いのは余計な嘘を囁いてくる
八千代さんはそう言うと懐から大の字に切った紙を取り出して机の上に置いた。
紙人形自体は例のホテルマンの本体と同じものに見える。
「あいつらは実体がないからこの形代に宿らせる。ただしどちらが宿るかは分からない。黒いのが宿ったら穢れとして水……川に流すと浄化される」
「白いのだったら?」
「聞きたいことに分かる範囲で教えてくれる。その後に力を失って白い形代に戻るので、お焚き上げすると天に昇っていく。それで終わりだ」
なるほど、わからん。
何か宗教的だか魔術的だかそういう類の儀式だとは思うが、原理がさっぱり分からない。
白いのは、八千代さんが言うところの根の国……異世界も含めた情報を教えてくれる。
黒いのはハズレなので追い返す。
今の話を聞くだけだと白が善で黒は悪というシンプルな話に聞こえるが、俺たちを結界に閉じ込めて襲撃してきたのは白い影だった。
単に八千代さんが利用できる力が白いやつというだけの話で、善悪で分けられるものではないのだろう。
「最初はあんたらが黒いのを招いているように思ったんだが、そっちも逃げ出すし、どうも違うみたいだね」
話は分からないが、どうやら誤解は解けたようだ。
ただ、判明した事実は一つだけある。
「ということは、私たちが探している異世界の関係者では――」
「――違うね。あたしゃ、先祖代々ここに住んでるだけの霊能力者さ。依頼を受けたら、それについて客に教えてやるだけさ」
老婆は温かい麦茶をすすり、銀杏を器用にフォークで串刺しにして一口で頬張った。
ということは異世界の仲間を捜すという点では空振りか。
残念なような、ほっとしたような微妙な気持ちだ。
「では、さっき襲ってきた奴らは何なんでしょう」
「それだよ、おかしいのは」
エリちゃんの出した質問に今度は八千代さんが首を捻りながら答えた。
「黒いやつはナメクジみたいにそこらを這いまわるのがせいぜいだ。白いのもあたしに情報を教えてくれるだけの無害なやつのはずだ。人を襲うほどの力はとてもないんだよ」
「私たちを結界内に閉じ込めるような能力もありました。あの空間は何なんですか?」
「場所の見当はつく。この場所がまだ集落だった頃の光景だ」
「集落……ですか?」
「ここに来る途中にソーラーパネルが並んでいた開けた場所があっただろう。あれは20年以上前、かつて集落……家が立ち並んでいた場所だよ」
「どういうことなんです? お話の通りですと過去の光景が再現されているとしか」
「昔からあるみたいなんだよ。この世界と似ているけど微妙に違う光景が見えるって。それがあんたたちの言うところの異世界じゃないのかね」
確かにあの世界は何かが少しずつ違う南米とアメリカだった。
同じように何かが少しずつ違う日本があってもおかしくはない。
ただ、誰が、どうやって、何の目的でその世界を結界内に再現したのかだ。
単に白が善、黒が悪というわけではなく、もっと複雑な分類があるように感じる。
これは八千代さんも把握出来ていない事態が発生しているということではないだろうか?
少なくとも、メールを受け取ったその日に襲撃があったくらいだ。
何者かの関与がある可能性は高い。
「教えてください、黒いやつが憑いた時にどうやって処理しているのかを。思っているよりもややこしい事態になっているかもしれません」
◆ ◆ ◆
八千代さんに案内された先は集落裏を流れる清流だった。
スマホで航空写真を確認すると、水源は山の奥にあり、川は集落を抜けて麓で別の川に合流。
最終的に宮崎の海岸まで流れていくようだ。
「黒くなった形代はここから流して浄化する」
「
エリちゃんが川を流れる水を見ながら言った。
用瀬は、鳥取自動車道にある案内板で名前だけは見たことがある。
中国山地もここと同じように山が深いので、似たような風習が育ったのだろう。
「流し雛とは根っこの部分は似てるね。これも水で流す
「海まで流さなくて穢れは払えるんですか?」
「水で洗い清めるのは穢れであって紙そのものじゃないから十分だよ」
八千代さんはそう答えると川近くの山道を歩いていくので、黙って付いていく。
たまに振り返るのは、山道が意外と険しいために、俺たちが置き去りになっていないかの確認だろう。
優紀はさすがに遅れ気味だが、俺とエリちゃんは呼吸の乱れすらない。
これとは比較にならない南北アメリカ大陸の秘境を長期間旅してきたのだから、山歩き程度は何も問題ない。
「モノにも魂が宿るのさ。粗末に扱えば、必ずしっぺ返しがある。だから、こうして清めてやらなきゃならない」
それは知っている。
この旅の始まりは、刀に宿った魂を自宅へ帰すための旅だったのだから。
険しい山道からさらに獣道に入ると、岩だらけの沢が現れた。
そこには金網が仕掛けられており、上流から流された形代……紙人形が引っかかって止まっていた。
川の水の中へ手を突っ込んで紙人形をつまみ上げる。
紙人形の色は白。
黒く染まっていた気配はない。
「今朝に流したのが5体。ここにあるのも5体。数は合っている」
八千代さんが俺から紙人形を受け取りながら言った。
「毎日、日が暮れる前に回収しているから漏れはないはずなんだがね」
「回収した人形はどうされていますか?」
「水を切って乾燥させた後に白いやつと一緒に庭で焼いて浄化してるよ」
「数は合っているんですよね」
「そんなヘマはしない」
そうなるとこの紙人形が勝手に動き回ったということはなさそうだ。
誰かが回収した様子もないので、ただの思い過ごしか?
何にせよ、魔術知識のない俺たちには判断が出来ない。
気は進まないが、ここはカーターを解禁しよう。
形代の紙人形を優紀に持たせて写真を撮影。
今の状況を簡単にまとめてメールでカーターに送るとすぐに返信があった。
初っ端の返信が「電波繋がるじゃねえか!」なあたりが実にあいつらしい。
早速電話がかかってきたので受ける。
「はいはいどうも春日です」
『嘘をつくな。声でラビ助だって分かるんだよ』
開幕一声からこれである。
声だけで誰が電話に出たのか判断がつくとか怖いな。ストーカーなのか?
「お前って俺のこと好きすぎない?」
『半年くらい一緒に旅してたんだから声くらい覚える』
それもそうだ。
なんだかんだでカーターとは最初の遺跡を抜けてからはずっと一緒に旅をしていたのだから付き合いは長い。
スピーカーに切り替えて全員で会話を共有できるようにする。
「形代は正しく処分されていた。なのにそいつらの野良みたいなやつが溢れているとなると、どんな理由が考えられる?」
『逆に考えるんだ。形代を核に「何か」を降ろすならば、逆に言うと降ろすための「何か」が、そこらに漂っているということだ。ぶっちゃけると核なんて紙ならなんでもいいんだろ』
「なんでもいいとは酷い物言いだが、極論を言うとその通りだ」
八千代さんはそう言いながら山の奥へ視線を向けていた。
「さっき、形代を下流に流すのは良くないと説明しただろう。粗末に扱われたモノは穢れを集める」
「何か心当たりが?」
「明治の時に政府が出した決まりのせいで山に入るものがいなくなり、長い間、神域は放置されている。そこに遺されて朽ちた……かつて神聖だったものが反転していてもおかしくない」
「そんな昔からですか」
「廃仏毀釈の一環で神仏分離令って法律が出たんだよ。それまで二人三脚でやってきた神道と仏教を分離ってことになり、山岳信仰は一気に廃れた」
エリちゃんへ簡単に説明しておく。
江戸時代までは神も仏も全部ごちゃごちゃに祀っていたが、天皇を中心とする神道にまとめるため、神社と寺や民間信仰は別に分けるべきという法律を作ったのだ。
そのせいで貴重な寺や遺産が多数壊され、いくつもの風習が廃れたという。
「廃仏毀釈ってあれだろう。安慈和尚のやつ」
優紀が補足してくれた。
マンガが情報ソースなのはともかくだいたい合ってる。
「安慈和尚って、棘付き鉄球と手斧が付いた鎖を振り回す?」
「それは違うマンガの岩柱だ。イメージはなんか被るけど、それじゃなくてキワミの人」
「キワミ」
「それで八千代さん、かつて神聖だったものとは何のことでしょう?」
いつまでも脱線していられないので、強引に話題を変えた。
「お札や
要するに、定期的にメンテナンスが必要なものが、長期間放置された結果、朽ちてゴミと化したどころか、穢れを蓄え始めた。
それらを黒いやつが核として再利用したのだろう。
俺が黒いやつを消せる理由も分かった。
穢れが巫女の力によって浄化されて、核が失われる。
そのため、黒いやつは体を維持出来なくなり、消えるしかなくなるのだろう。
実際には巫女ではなくただのコスプレ魔女なのだが、そんな奴に
『八千代さん、最近になって術の出力が上がったとか心当たりはありませんか?』
「この2週間ほどか。急に形代に集まってくる黒いやつの数が増えたんだ。昔から白と黒の数は同じくらいだったのに、この2週間ほどはずっと黒いやつが白いやつよりずっと多い」
『ラビ助、次はお前に聞きたい。この2週間ほどで何か次元に関して大きな変化があったか思い当たるフシはあるか?』
「ある。伊原さんが次元の壁の修復に成功した」
クリスマスに伊原さんがやってきたのは俺たちへのクリスマスプレゼントを届けるという意味もあった。
だが、それだけではなく、次元の壁が修復完了して、こちらの世界と向こうの世界が分断されたことの報告の意味もあった。
例外はあるが、基本的には往来は不可能のはずなのだ。
自然に向こうに繋がったりはしないし、運営もあの世界にはもう干渉できないようになっている。
俺が知っている情報の中で関係しそうなことはそれくらいだ。
『タイミング的には無関係だとは思えないな。でも、次元の壁を閉じることで逆に力が増すってなんだ? 逆なら分かるんだが』
カーターの言う通りだ。
白やら黒やらが向こうの世界から流れ込んできたものならば、次元の壁が閉じたことで弱まりこそすれ、黒だけが増えるのは意味が分からない。
「逆に白黒がこちらの世界から向こうの世界へ移動していたけど、その行く先がなくなって溢れ出した?」
『向こうの世界から定期的に日本へやってきていた大飯食らいがそいつらを食っていたのかもしれない。そいつがいなくなった』
理由について考察してみるも情報不足は否めない。
ここで仮定を積み上げたところで結論は出そうにない。
答えを出すにはあまりにも情報が不足している。
もちろん放置するという選択肢はない。
今のところ襲われたのは俺たちだけ……だと思う、多分。
俺たちだから襲われたところで何の問題もなく切り抜けているが、襲われたのが何も知らない一般人ならばどんな事態が起こるか分からない。
放置しておけば被害が拡大する可能性だってある。
早めに対処した方が良いだろう。
「八千代さん、どうやらあまりよろしくない事態が発生しているようです。神域を調査させていただいてもよろしいでしょうか?」
「調査とか言われてもあたしには止める権限なんてないよ。警察ごっこなら勝手にやりな」
「ありがとうございます。では、早速調査させていただきます」
フェリーの時間があるのであまり時間はかけたくないが、無視は出来ない。
本日中に解決できないのならば、一度優紀とエリちゃんの2人は先に自宅へ帰ってもらう方が良さそうだ。
『じゃあオレは一度電話を切るぞ。まだ仕事があるからな』
「ありがとう。本当に助かった」
まずは八千代さんの屋敷へ戻ることにする。