「こちら
跨るバイクはオーストリアのメーカー、KTM製スーパーモタード、690SMC R。
レーシングマシンに近い高回転高トルクの690ccのエンジンは爆音を上げながら一気に加速し、落ち葉を巻き上げながら目標の車との距離を詰める。
麻沼が普段の移動にバイクを選択した理由は一つ。
日本国内で逃走する相手を追い回すならば、小回りが利いて狭い場所に入れるバイクの方が車よりも有利だからだ。
16歳になるとすぐに免許を取得して、今年で10年目。
オフロードバイクの女性ライダー限定ミニレースならば、入賞経験もある。
警察にいた頃には、白バイ隊員と同じ訓練も受けている。
運転技術で、並みの相手に劣るつもりはない。
現在位置は宮崎県内の林道だ。
静まり返った山中に麻沼のバイクと標的の乗った車の排気音。
そして、上空に浮かんだドローンが鳴らすプロペラのモーター音が響き渡る。
道幅は狭く、路面状態も悪いので、定期的に車体を突き上げる振動がやってくるが、高性能サスペンションがそれを優しく受け止める。
それでも相殺しきれない衝撃は膝を曲げてクッションにすることで振動を殺す。
車の方はエンジンをふかして走ってはいるものの、無理のある走行のために、減速は免れない。
悪路に入ってからは距離がさらに詰まった。
狭い道からの脱輪や転落を恐れて、なお加速しきれないのもあるのだろう。
『こちら
返事は同僚の須磨からのものだ。
ドローンで空から標的の位置を確認して、最適な作戦位置へ誘導をしてくれている。
今も、少し離れた空の上に円形のドローンが飛行している。
標的の位置を追うだけではなく、麻沼と須磨との無線通信を中継する役目も担っている。
「相手が破れかぶれで車で突っ込んできたらどうしたらいいですか? 私、バイクなんですけど」
『手当は出る』
「お金の問題じゃないんですけど」
麻沼は、金銭的な報酬は嫌いではなかったが、自分の怪我や、買ったばかりの新車バイクの破損と引き換えにはしたくないというのが本音だ。
標的の車が行き止まりに迫った時点で、ライダージャケットの下に隠していた拳銃を左手で抜いた。
バイクを操縦しながら、ハンドルグリップに引っ掛けて拳銃の開放レバーを動かした。
シリンダーをスイングアウトして、シリンダー内の弾丸を確認する。
そして復唱。
「通常弾丸2発、特殊弾1発を装填済み。ヨシ!」
手首を回転させてシリンダーを戻し、やはり左手のみで狙いを付けた。
狙う先は前方車両のリアタイヤ。
集中のために、幼い頃から何度も唱え続けていた真言を口ずさむ。
「オン、ギャクギャク……エンノウバソク、アランキャ、ソワカ!」
これ単体を唱えたところで術が発動することはない。
だが、麻沼にとっては幼少の頃から毎日の鍛錬で唱え続けてきた真言だ。
その積み重ねが、平常心と冷静な判断力を取り戻してくれる。
たとえ、バイクで敵を追跡中で、片手で銃を構えているような状況だとしてもだ。
リボルバーから放たれた銃弾は、2発とも正確に標的のリアタイヤを射抜いた。
開いた穴は車が悪路を走るせいでどんどん広がっていき、ついにはタイヤを分断し、ただのゴムの板へと変えた。
車はそれでまともに走行できなくなり、スリップしながら蛇行運転を始める。
完全に横を向いても勢いは止まらず、道の行き止まりにある杉の木にぶつかってようやく止まった。
ぶつかった衝撃でどこか故障したのか、静かな山中にクラクション音が響き渡る。
排気管からは、もくもくとガソリン臭い白煙が上がっている。
故障は電装系だけではなく、エンジン回りにも発生しているようだ。
麻沼は拳銃を一度ジャケット下にあるホルダーに戻し、車の手前でブレーキをかけてバイクを停車させた。
サイドスタンドを立てて、バイクを降りる。
ただしエンジンは停止させない。アイドリング状態で待機させている。
エンジンと排気音を背負って、車に近づいていく。
「日本国内で銃を使うとかどういう神経をしてるんだ」
車のドアを開けて姿を現したのは、青年だった。
霊能力者の八千代のところに住み込みで働いている「弟子」だという。
乗車しているのはその一人だけ。
麻沼はそれでも警戒は怠らない。
相手は「魔術師」だ。
麻沼が拳銃を再び抜くと同時に、青年の背後に半透明の人の型をした影が姿を現す。
青年が使用したのは、魔術と呼ばれる異能の技術だ。
世界中に様々な種類の術が存在している。
魔術は、かつては神にも等しい超常現象を起こす能力として恐れられた時代が長く続いていた。
だが、現在は何百年もの研究が進んだ結果、事前に術者が何の術を使うのかさえ分かっていれば、脆弱性をついて、すぐに崩壊させることができる。
だからこそ「魔術師」と呼ばれている人間は、必ず自分の術の系統を隠す。
必然的に「魔術師」は単独行動になる場合が多い。
自分の術を知られることがリスクに繋がるからだ。
麻沼のような雇われの魔術師……「探偵」の方が少ないのだ。
「狙いは
「答える必要はない」
「供述は事務所についてからお願いします。私、ボイスレコーダーとか持ってないんですよ。魔術師なんで」
麻沼は半透明の怪物が襲ってきていることにも動じず、銃の開放レバーを引いてシリンダー内を確認した。
1発目に特殊弾がセッティングされている。問題なし。復唱はしない。
シリンダーを戻す。
怪物の腕が麻沼に触れる直前に、冷静に発砲した。
特殊弾は正確に核を射抜き、怪物は木っ端微塵になって消えた。
「ただの銃弾で、式神を……」
「タダじゃないんですよ! これは1発で15万かかるんです。しかも、薬莢はもちろん、溶けた弾丸も、可能な限り回収しないといけないので大変なんですから」
「そうか。昼間の連中もお前たちと同じ組織の人間か。道理で結界もすぐに破られたはずだ」
麻沼は首を傾げた。
今回の作戦で動いているのは、麻沼の他にはバックアップ要員の須磨だけだ。
他のメンバーは九州に来てもいない。
だが、それを口には出さない。
余計な情報を敵に伝えることは損でしかないからだ。
確認は後回しだ。
青年を先に拘束しなければならない。頼みの綱の特殊弾はもうない。
麻沼は左手で拳銃を構えたまま、右手の指を素早く動かして複雑な印を切る。
唱える真言は
他者に神変……魔術を見せびらかしてはならないという戒め。
それを破る存在には、神の罰が下る。
青年が自らの首を抑えて苦しみ始めた。
のたうち回りながら地面を転がり続けて、そして痙攣して動かなくなった。
死んではいないが、意識はしばらく取り戻さないだろうと麻沼は確信していた。
相手が強ければ強いほど、このダメージは大きくなる。
「ネタバレですが、あなたが修験道由来の術を使うことは知っていました。だから、あなたが術を使用すると、ダメージが入るようにしました」
相手が使う術の正体さえ分かっていれば、こうして術の効果を狂わせて自滅に追い込むことができる。
これが現代の魔術師の戦い方だ。
麻沼はヘルメットを脱いで、頭を何度か振った。
その後に、ヘルメットに付いているインカムに向けて直接話しかける。
「こちら麻沼。術者を確保しました。事故車も含めて、あとの処分をお願いします」
『委細承知した』
「それと一つ確認です。どうも、私以外の誰かが動いていたみたいなんですが、ご存じないですか?」
麻沼の今回の任務は、議員の市ヶ谷が「魔術師」に狙われているというタレコミ情報があり、極秘裏に護衛することだった。
市ヶ谷は、有名な霊能力者である八千代に会うために秘書だけを伴って、この宮崎の山中に訪れるという話だった。
人里離れた山奥に、あちこちから恨まれている議員が孤立する。
誰から依頼されたのかは不明だが、仕事のためならばなんでもやる魔術師にとっては、このシチュエーションは絶好の機会だったのだろう。
「途中のホテルで、私が泊まった部屋の近くで魔術師同士の戦闘の痕跡がありました。深夜のうちに誰かが交戦したんです」
「こちらは確認できていない」
「他にも、八千代さんの家の近くですね。結界を破壊したようです。しかも内部から」
宿泊した熊本のホテルに、この犯人が式神を送り込んできたことは麻沼も気付いていた。
だが、麻沼が状況を報告している間の数分で、何者かの手によって、先に倒されていた。
ただものだとは思えない。
さらに酷いのは、八千代の家の近くで破られた結界だ。
どんな術を使えば、結界を「内側」から破れるのかが分からない。
しかも、魔力の痕跡がまるで残っていない。
よほど隠形に長けているか。
それとも魔術の系統が異なっているか。
「もしかして、
『和泉は横須賀で発生した連続殺人事件にかかりっきりだ。関東から動けない』
「そうですよね。じゃあ誰なんでしょうか?」
八千代の自宅を監視していた須磨から、市ヶ谷議員の前に何者かが訪れていたことは判明している。
眼鏡をかけた成人女性のほかに2人いたようなのだが、正体不明の偽装魔術が使用されていた。
あまりの出力で、ドローンに搭載した特製の魔力センサーが故障するほどだ。
結局、どのような人物がそこにいたのか分かっていない。
「もしかして、京都の組織でしょうか」
『他に動いているとしたらそこだろうな。我々と同様のタレコミが入っていたのかもしれない』
「西日本は、うちよりも京都の管轄ですしね。私たちが動いている方がおかしいんですから」
『だが、魔術師の派閥同士で争いがないとは断言できない。調査は別途進めていこう』
「分かりました。とりあえず私は撤収の準備をします」
麻沼はバイクのリアボックスに積んでいた手錠で眠っている青年を拘束する。
あとの諸々の手続きは須磨がやってくれるはずだ。
使用した弾丸の薬莢と、溶けた銃弾の破片を可能な限り回収する。
一般人に魔術の痕跡を知られてはいけないからだ。
余計な混乱を与えないという理由もあるが、最大の理由は、情報が漏れるほどに脆弱性を突かれる可能性が高まるからだ。
ただでさえ科学に押されて絶滅寸前の魔術の有利な部分がなくなってしまうことは問題だ。
「それで市ヶ谷議員はどうなりました?」
『30分ほどで八千代の家から出てきた。ちゃんと話を聞けたか、それとも聞けなかったのか』
「聞けるといいんですけどね。娘さんが突然いなくなったんでしょう」
『聞けるものなのか? 似非霊能力者ではないのか?』
「八千代さんは、私や和泉さんと同じく何百年と続く魔術師の家系ですよ。薩摩の維新志士ですら頼りにした本物なんですから」
現代における魔術師、それが麻沼だ。
八千代は組織にこそ所属していないが、それは同じ。
そんな彼女が嘘などつくはずない。
麻沼はそう確信していた。
◆ ◆ ◆
「帰るぞ、車を出せ」
市ヶ谷は運転手を務める秘書にそう声を掛けて、車に乗り込む。
この車は、現地での足がないので、地元の同じ党の議員に無理に借りたものだ。
埋め合わせは、何か考えないといけない。
「義父に紹介されて来てはみたが、とんだ詐欺師だ。デタラメしか言わなかった」
「そんなに酷い内容だったんですか?」
「娘はペルーに住んでいて、結婚して子供もいるだとさ。周りには友人も多く幸せに暮らしているとかどういうことなんだ」
荒唐無稽な与太話すぎた。
2か月前に行方不明になった娘の
それが何をどうしたら、2か月で子供が生まれて、しかも友人と楽しく暮らすことになるのか、意味が分からない。
時間の流れというものをまるで理解していない。
「それはさすがに嘘ですよね」
「だが、ペルーにいるというのは本当かもしれない。世の中には常識では計れない『何か』が存在している。この八千代とかいう老婆もそうだ」
市ヶ谷は知っている。
義父の
他の議員や財界の大物も通うというので、能力は本物なのだろう。
ただ、占いとは当たるも八卦当たらぬも八卦だ。
今回は、その結果が外れただけだ。
「警察はあてにならん。ろくに行方不明事件の尻尾すら追えていない。興信所に依頼しろ。ペルー国内で娘の噂がないかを徹底的にだ」
「興信所もどうなんでしょう? 豊富な資金と人数の多さでより正確な調査を行えるのは警察ですよ」
「そんなことは分かっている!」
市ヶ谷は警察を信用していない。
娘が失踪したというのに、まともに取り合ってくれない。
気になって独自で動いてみた結果、判明したのは日本全国で何百人も行方不明者が出ているという事実だ。
「何か組織的な犯罪が動いているとしか思えない。しかも、そこには政治家や官僚、企業も関係している」
「大先生も言っていましたよね。この件に関わるなと」
「知ったことじゃない。信念を失ったら、政治家としては終わりだ。大先生だかなんだか知らないが、逆に私が終わらせてやる」
秘書は車を動かした。
後部座席に座る市ヶ谷は黙ったが、心の中ではまだ何か考えているようだった。
普段から感情を露にすることが多い市ヶ谷だが、逆に物静かになる時がある。
八千代の家を出る前に、老婆に言われた一言を思い出した。
娘の情報がないと分かり、引き上げる途中に、思い出したように付け加えてきた話だ。
「一つだけ有用なお告げとやらがあったよ。私が犯人を吊るし上げることができるらしい」
お告げに従うわけではないが、どのみちこの仕事は最後までやり切るつもりだ。
犯人の正体を突き止めて、逃げられない国会の議場で吊るし上げる。
市ヶ谷はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
通話相手は義父の東啓一郎。
啓一郎は既に引退しているが、未だに関東の政治家の多くに顔が利く。
市ヶ谷が集めた勉強会の参加メンバーも、啓一郎に恩を受けた者が多い。
啓一郎は金についての黒い噂が絶えない人物であるため、市ヶ谷もあまり関わりたくはないのだが、それでも使えるものはなんでも使う主義だ。
「私です。少し調べて欲しいことがありますのでお願いできないでしょうか?」
啓一郎に直接会って話もする必要があるだろう。
話が動くとすれば、啓一郎の自宅がある横浜だ。