夢を見ていた。
ただ真っ暗な世界の中心で篝火が焚かれている。
その火を囲むように無数の化け物達が行儀良く並んでいる。
怪物たちが律儀に炎の方を向いておとなしくしている様は、まるでテーマパークで行われているハロウィンイベントのようだった。
「さて少年。選択の時間だ」
昨日出会った神父の声が聴こえてきた。
ただその姿はどこにも見当たらない。
否、炎を取り囲む化け物たちの中に隠れているようだ。
「君の選択は2つ。兎のようにこの篝火に飛び込んで自ら供物となるか。それとも」
意味がわからない。
火の中に飛び込んで自殺など選ぶわけがない。
そもそもこれは夢だ。
あんな怪物くらい倒してしまえばいい。
イメージするのは昨日に上戸さんが見せてくれた使い魔。
こんな怪しげなハロウィンパーティーなど潰れてしまえ!
僕のイメージ通り、周囲に炎の珠が浮かび上がった。
それらは僕の目の前で大きな塊になり、やがて全身から炎を吹き出す人の形をした化け物となって、篝火の周りに集まる怪物たちをなぎ倒していく。
「なるほど、君の能力は現世にやってくる悪霊たちをあの世へ追い返す怪人か」
「意味がわからない。消えてくれ!」
「ああ、もちろんだ。夜明けの鶏が鳴く頃だし、今日のところはこれで立ち去るよ」
「何を言ってるんだ!」
神父の声に向かって手を伸ばしたところで目が覚めた。
自分の部屋の自分のベッドの中。
もちろん神父も篝火もその周りにいた怪物も何もない。
「なんだったんだ、今の夢は?」
普段ならば夢の内容などすぐに忘れてしまうが、先程の夢はまるで現実のようにしっかりと記憶に焼き付けられていた。
「昨日色々あったし、それが夢に出たのかな?」
まだ心の整理など付いておらず、部屋の寒さも相まって布団から抜け出す気力が湧いてこない。
今日は日曜日だしどうしようか?
一日寝ているのも悪くなさそうだと思いながら、布団に潜ったままベッド脇に置いてあったスマホに手を伸ばした。
すると、今まで見たことがないくらい未読メッセージが溜まっていた。
1人は上戸さんから。
色々と長文で書かれているが、要約すると「旧校舎には近寄らないこと」「私たちで何とかするので、この件を忘れてください」という警告だ。
確かに僕らは無力だ。
だけど、山を隔ててすぐの場所にある、通っている高校で何かおかしなことが起こっているのに気にするなというのは無理がある。
このアドバイスは受け入れられない。
2人目は小森君からの連絡。
「月曜日に部室へ行くからそこで色々と話をしたい。
品田結依さんとは多分、昔に僕たちと一緒に遊んでいた女の子「ユイちゃん」のことだ。
一体何がどうなったのかは詳しく聞きたいと本気で思っている。
ということは、ユイちゃんといつも一緒にいたカズくんが小森君ということになる。
もしカズくんが戻ってきたならば綾乃はどうするのか……いやそれはもう終わったことだ。
人の縁が奇妙すぎて、何とも複雑な気持ちだ。
3人目は幼馴染で腐れ縁の綾乃から。
「日曜日10時に部室にライトとカメラ持って集合。偽装のために制服で」
ライトとカメラ?
もしかして綾乃はまた旧校舎に行くつもりなのか?
時計を見ると既に時間は8時45分。時刻を二度見した後に慌ててベッドから飛び起きた。
押し入れを探し回ってゴムバンドで頭に巻くタイプのヘッドランプを引っ張り出した。中学の頃、林間学校で使ったものだ。
ビデオカメラのバッテリーをチャージ済みのものに交換。
全部をまとめてバッグに詰め込み、遅めの朝食をかきこんだ後、日曜日だというのに制服に着替えて家を飛び出した。
僕たちが住んでいるマンションは、直線距離だと本当に学校は近い。
普通は坂を下って坂を上って坂を下って坂を上り。
ともかく山を迂回するルートを通る必要があるのだが、自然公園を抜けるショートカットならば、すぐに学校へ行くことが出来る。
だから、もし旧校舎から何かが起これば真っ先に巻き込まれるのは僕たちだ。
なおさら他人事ではいられない。
そのまま学校へ向かおうとした時、道の真ん中に案内板が立っていることに気付いた。
何度も通っている道だが、それに目を留めたことなどなかった。
案内は市役所が立てたもので、学校建築時に、竪穴住居跡と製鉄炉の遺跡が見つかったと説明されていた。
「学校の地下に遺跡があるって本当の話だったんだ」
「ああ、知らなかったのか? 授業でやっただろ。縄文時代の打製
いつの間にか壮年の男性が僕の横に立っていた。
買ったばかりであろう新品のスポーツ用ジャージの上に安っぽいナイロンジャケットを着ている。
そして背中には、裂けそうなくらい物が山と詰め込まれたナップサック。
今にも山登りでも始めそうな服装なのですぐには分からなかったが、顔をよく見ると、歴史教師の
普段はヨレヨレのスーツを着ているのだが、今日に限ってこの活動的な服装は何事なのだろう?
僕が訝しげな顔をしていると折戸先生の方から先に言い訳するように喋り始めた。
「最近は寒くて出不精だろう。体重も増えてきたし、せっかく近所にハイキングルートがあるんだから、少し歩こうと思って」
「どこまでですか?」
「ああ、とりあえず展望台まで歩いてから、
「展望台まででも結構距離がありますよ」
「疲れたら途中で金沢の動物園のあたりで抜けて電車で帰るよ」
「動物園がお好きなんですか?」
「そこまでじゃないな。娘が小学生の頃は大阪の
「大阪?」
突然意外な地名が出てきて驚く。
そういえばこの折戸先生のことを僕はほとんど知らない。
「ああ、言ってなかったな。昔は奈良に住んでいたんだよ。こう見えても私は歴史学の教授として、大学で古代史を教えてたんだよ」
「でもなんで横浜で先生を?」
「まあ色々あったんだよ」
上戸さんが学校関係者は旧校舎の「学術調査」や遺跡の件について何か知っているはずだと予想していた。
折戸先生が古代史専門の元教授で、しかも今の高校の教師ということは旧校舎の調査について何か知っているかもしれない。
ただ、僕1人で聞き込みなどして大丈夫だろうか?
もし何かマンガのような大きな組織が関わっているのならば、僕が変な事実に気付いたということで狙われたりしないだろうか?
「んじゃあまた明後日に学校で。もしも授業を休んでいたら、筋肉痛でダウンして起きられなかったと察してくれ」
折戸先生が去っていこうとする。
さりげなく新聞部の活動ということで聞けば怪しくないはずだ。
そう思って折戸先生に声をかけた。
「先生は旧校舎の学術調査の件ってご存知ですか?」
「学術調査?」
それを聞いた折戸先生が急に引き返してきた。
「矢寺君」
「矢上です」
「ああ、そうだった、覚えてる覚えてる。八神くんだ」
音は同じだけど、まだ何か違う気がする。
「旧校舎で行われているのは『耐震補強工事』だ」
折戸先生は、工事という部分を強調して言った。
「でも神奈川県の資料だと……」
「『耐震補強工事』で危険なので生徒は立入禁止。そういうことになっている。新聞部の活動で気になったんだと思うが、学校の発表は受け入れなきゃ」
折戸先生が僕に言い聞かせるような口調で諭そうとしてきた。
「何かご存知なんですか?」
「私は、コネで雇ってもらった新人教師さ。深い事情なんて教えてもらえないよ。歴史教師なのに『学術調査』は部外者なんだと」
「やっぱりご存知なんですね」
今の話しぶりからして、おそらく折戸先生は事実に近い何かを知っている。
だけど、学校の関係者にそれを話すことを禁じられている。そんな雰囲気だ。
「5年ほど前の話だけどね。私を含む合同研究チームがとある場所でとある遺跡を発掘したんだ。恩師から引き継いだ長期プロジェクトの調査と研究がようやく花を咲かせたんだ」
折戸先生が突然によく分からない話をしてきた。
ただ、流れからして今回のことに関係ありそうだ。
黙って聞くことにする。
「それを発見した翌日に、突然『上の方』から合同研究チーム解散の命令が飛んできた。ひどい話だよね。大学もそれなりに予算を使っていたはずなのに」
折戸先生は、人差し指を立てて、すっと真上を指差した。
何とも言えない。
折戸先生は飄々と語っているが、当時は色々な思いがあったに違いない。
「私個人への罰則などはなかったが、急に全てがバカバカしくなった。大学に退職届を叩きつけて、妻のコネを辿って地方の高校教師になることにしたんだ。当時のゼミ生には悪いことをしたよ」
「それと同じことが起こると?」
「同じことは起こらないよ。今度は県の許可が下りてるんだから。ただ、旧校舎で行われていること、そしてここの遺跡はおそらく同じものだ」
「同じというのは?」
「耐震補強工事だよ。生徒は気にすることじゃない。じゃあ私はもう行くから。早く出ないと日暮れ前までに駅までたどり着けなくなるからね」
折戸先生は僕に手を振りながらハイキングコースの奥へと消えていった。
◆ ◆ ◆
「折戸先生は黒ね。関係者じゃないけど、何か知ってるポジションだわ」
新聞部の部室で待っていた綾乃に、ここに来るまでにあった折戸先生とのやり取りを伝えた。
「そして、その話は学校側が何かを知っていて、それを知られたくないので緘口令を敷いていると見た」
「上戸さんの推測通りのことが起こっているってことか」
綾乃は部室のPCを操作して検索サイトを表示させる。
調べるのは折戸先生の名前……
すぐに簡単な経歴と著書の情報が出てきた。
京都の大学卒業後は奈良で古代史の研究をしていたとある。歴史学では有名な教授だったらしい。
「元大学教授って話だから何か本を出してると思ったけど当たりだった。オークションサイトに登録があるみたい。これで何を研究していたか分かるはず」
本のタイトルは古代史概論。茶色の表紙に大きくタイトルと著者名が書いてあるだけの写真が付いている。
内容の説明は一切書かれていない。
「息子の部屋に置いたままだったので出品しますってあるね。大学の教科書かな?」
値段を見ると1100円+送料。
財布と相談するも、少し躊躇する値段だ。
綾乃も同じようで全く買う気はないようだ。
図書館にあれば良かったのだが、地元の図書館や、うちの学校の図書室のデータベースを検索しても在庫はなかった。
「見なかったことにしよう」
「そうだね」
さて、これであっさりと手詰まりになってしまった。
「じゃあ行きますか」
綾乃はそれだけ言うとスポーツバッグを肩に担いで椅子から立ち上がった。
「やっぱり旧校舎を調べるの?」
「このまま何も分からないままってのも気持ち悪くない? いざとなったらすぐに逃げれば良いんだし」
「でも、昨日みたいになったら」
「あの階段とその先をちょっと撮影するだけよ。他には一切手を出さない」
綾乃もやはり「何もするな」と言われたことに納得出来ないようだった。
せめて自分たちにも何か出来ると証明したいのだろう。
だけど、昨日のことを考えるとやはり危険は避けたい。
「念の為に小森君にメールを送っておこう。上戸さんや赤土さんは人となりが分からないけど、小森君なら同じ学校だし、話も聞いてくれそうだし」
「小森に? ……うん、まあいいけどね」
昨日、連絡を取り合って聞いたばかりの小森君のアドレスにメールを送った。
「じゃあ旧校舎を見に行こうか」
◆ ◆ ◆
旧校舎の中に入るとまたあの迷宮に迷い込んでしまう可能性がある。
綾乃の考えは、それを回避するために外から校舎の中を覗き込もうということだった。
旧校舎は基本的にカーテンなどはかかっていないので、外からは覗き放題だ。
もちろん旧校舎内に照明などないので、外からライトで照らしてやる必要がある。
「そういうことなら別のライトを持ってきたのに」
「まあそのヘッドランプでいいわ。それで照らしてみて」
「はいはい」
ライトとカメラを旧校舎の……階段がある位置へと向ける。
それでも光量が足りないのか、はっきりとは映らない。
「これどうしたら良いんだろう」
「ナイトモードは? 画質はガタガタになるけど、ちょっとは映るかもしれない」
「なるほど」
ビデオカメラの設定を、夜間撮影用のナイトモードに切り替えた。
映像は灰色になってしまう代わりに、暗いところでもはっきりと映せるようになる。
窓に密着するように貼り付けると……窓の内側にいた「それ」と目があった。
それは全身が真っ黒の毛に覆われたけむくじゃらの猿と熊を併せたような生物だった。
体長は2メートルほど。
目はまるでライトでも埋め込まれているかのように赤く光っており、口は頬のあたりまで裂けている。
腕にはまるでナイフのような鋭い爪が生えていた。
少しでも引っかかれたら大怪我を負うだろう。
「ク、クマ!?」
「何よこいつ!」
その熊らしき毛むくじゃらの謎の生物は……壁をすり抜けて僕たちがいる旧校舎の外側に出現した。
「なんで!? 旧校舎の外にいるし、迷路の中でもないのに!」
「綾乃、逃げるよ!」
慌ててカメラを投げ捨てて綾乃の手を取って走り始める。
だが、黒い熊は恐ろしい程の速度で僕達を追いかけてくる。
完全に昨日埴輪に追いかけられていたことの再放送だ。
「大丈夫、今日は学校の外に逃げられる! 外に逃げたら他の人もいるし警察だって!」
「でも、こいつの走るスピード……速い」
綾乃の言う通りだ。
埴輪は全速力で走ると距離を開けることが出来たが、こいつは一瞬で距離を詰めてきた。
これは学校の敷地の外に出るどころじゃない。
このままだとやられる……。
◆ ◆ ◆
突然に世界が反転した。
視界に入る全ての物がネガポジ反転したような色が抜け落ちた世界になっている。
走馬灯でも見ているのかと思ったが、どうも違うようだ。
僕の右手には綾乃の手。
すぐ背後には腕を振りかざした謎の熊。
それらがまるで時間が停まったかのようにピクリとも動かず、ただ僕の前に広がっている。
もちろん僕も全く身体を動かすことが出来ない。
その停まった世界の中。
視界……スクリーンの外側から褐色の肌、神父服を着た男が僕の前に歩いてきた。
そして昨日と同じように首からぶらさげた赤い宝石を掲げて祈りの姿勢を取る。
「さて少年。選択の時間だ」
神父が僕に問いかけた。
「君は既に力を獲得している。今の状況のような困難に抗うための力だ」
「力? それは夢で見た、あの使い魔のような炎?」
「その通り。君の望むまま自由に動かすことが出来る眷属だ」
「その力を使えばこの熊を倒せると?」
「もちろん。ただし――」
「――分かった。それで使い方は?」
僕は即決断した。
このまま何もしなければ熊にやられる。
僕はまだ死にたくないし、綾乃だけは絶対に護りたい。
そのための力が手に入るのならば、何だってやってみせる。
「よろしい。ならば心の中で叫べ。君は手にした存在の名前を既に理解しているはずだ」
「名前?」
「君が望んだのだろう。収穫祭に集まった悪霊たちをあの世へ追い返す呪われたランタン持ちの亡霊」
「カボチャ頭の死神――」
世界の色が突然元に戻った。
神父の姿はもうない。
その代わりに僕の眼前にいるのは両手を振り上げた熊。
だが、もう「この程度の敵」に恐れることはない。
上戸さんが使い魔を喚び出したのと同じように僕の周囲に5つの炎の珠が浮かび上がった。
「――ジャック・オー・ランタン!」
その名を叫ぶと、炎は収束して人の形を取った。
ハロウィンの祭りで使うような飾りカボチャを頭に乗せた、漆黒の
風に揺れる長いオレンジ色のマントはまるで炎のように揺らめいていた。
カボチャ怪人は、その細い身体には似つかわしくない程の剛力で熊の腕を容易く受け止めた。
その上で頭を僕の方へ向けた。
次の指示をくれと言わんばかりに。
「なに……これ……」
綾乃は事態を飲み込めないのか、手を口に当てたまま一切の動きを止めていた。
「ハロウィンなんて終わったところよ。何この季節外れの在庫処分品」
「今そこ!?」
僕も何が起こっているのか全く理解出来なかったが、そのカボチャ頭と目が合った途端、脳裏に突如として鮮明な映像が浮かんだ。
まるで誰かが直接意識に語りかけているかのように、彼の能力について明確な理解が流れ込んできた。
様々な神話に登場する異形の怪物たち。
それらを自在に異界から召喚し、操る力。
今、僕に与えられたのは、カボチャ頭のハロウィンの怪人。
こいつを自らの手足のように自由に動かして戦うことが出来るということだ。
脳内に浮かんだゲームのアイコンのようなものは3つ。
これがカボチャ頭の使える能力だ。
拳の連打。火の柱。そして草刈り鎌。
「迎撃しろ! ジャック・オー・ランタン!」
僕がその名を呼ぶと、カボチャ頭の怪人は「承知」と言わんばかりに大きく頷いた後、一気に熊の両腕をねじ切った。
「アサルトラッシュ! 反撃の隙を与えるな!」
右手を失った熊が怯んだ隙にカボチャ頭は目にあたる空洞部分から炎を吹き出した。
そして、鋭く速いパンチを五月雨のように浴びせていく。
ドラムロールのような連続した打撃音と共に、拳がヒットした箇所がクレーターのように大きく凹んでいった。
何十発かパンチを浴びせた後に腹を強く蹴り、熊の体を大きく吹き飛ばす。
「トドメだ! 焼き尽くせ!
カボチャ頭が手をかざすと、そこから高速で飛翔する野球ボールくらいの火の玉が放たれた。
その火の玉が熊に着弾すると、直後に高い火柱が一瞬にして立ち上がった。
橙色に燃える炎は周囲を夕日のようにオレンジ色に照らし上げる。
熱気が僕の肌にも伝わってきてチリチリと全身を焼かれるような感触がある。
火柱は10秒ほど燃え続けた後に段々とその火力を落としていって、やがて消えた。
後には熊の姿はなく、焼け焦げたグラウンドの砂以外は何もなかった。
役目を終えたカボチャ頭は溶けるように消えていく。
「何なの、今の季節外れのカボチャ」
「分からない。だけど、僕にもあのおかしな奴らと戦える能力が手に入ったみたいだ」