約束していた時間……22時が近付いてきた。
両親に気付かれないようにこっそり自宅を抜け出して、綾乃と一緒に学校の裏手の空き地で待つ。
うちの学校は半分山にめりこんだような形で立っているので街の灯りはほぼ入ってくることはなく、光といえば街灯と月明かりだけだ。
正月も過ぎた今の時期だと、虫も飛んでいない。
ひんやりとした冷気が足元から上がってくる。
しばらく待っていると、自転車に乗った友瀬さんと小森君がやってきた。
5分前行動を徹底しているあたり、2人も真面目だ。
友瀬さんは事前に動きやすい服装で集合と説明したからか学校の体育の授業で使うジャージの上にウインドブレーカーを着ていた。
小森君の方はというと、茶色のポンチョに無地のシャツとロングパンツ。
見た目は地味だけど、丈夫そうではある。
何かのアウトドアブランドだろうか?
手には例の槍を持っていた。
今は金属製のバトンくらいの長さだが、戦闘時には謎の原理で伸び縮みするのは前に見た。
僕と綾乃はアウトドア用のジャケットとジャージだ。
これらは新聞部の活動で屋外に出ることもあり、近くの店で安く買ったものだ。
ただ、所詮は安物なのだ。
ダンジョン探索にどこまで使えるかは未知数なところがあるが、まあ、ぶっつけ本番でやってみよう。
「動きやすい服装って条件は全員クリアね。ライトの方は?」
「私は自転車に付けてるやつを使います」
友瀬さんは取り外し式の自転車ライトを使うようだ。
ペンライトなのであまり明るくはないが、ないよりはマシだろう。
自転車はさすがに学校の敷地内にある駐輪場に停めるわけにはいかないので、ここに停めていくようだ。
夜間で人通りもないので駐車違反で撤去されたりはしないだろう。
「俺は夜釣り用に買ったのを持って来た」
小森君が持ってきたのは頭に巻くタイプのヘッドライトとLEDの懐中電灯。
それにキャンプ用のランタンだ。
ランタンは神父が持っていたオイル式と違って、LEDなので、軽いしコンパクトだ。しかも明るい。
「異世界だとオイルトーチや松明を使ってたんだけど、暗いしすぐ燃え尽きるしで、明るい照明を使える現代は助かるよ」
「小森は夜釣りなんてするの?」
「週末に会う予定の片倉さんがいるだろ。あの人に連れて行ってもらったことがあるんだ。矢上君も一緒に行かないか?」
「釣りの用具って高かったりしない?」
「入門用の980円の竿と100均の道具でも十分楽しめるよ。5センチくらいの豆アジがたくさん釣れる」
「5センチの魚ってそうとう小さくない?」
横で聞いていた綾乃が親指と人差し指でCの字を作って見せた。
「頭と腹を取って天ぷらにするんだ。美味いぞ」
「もっと大物は狙わないの?」
「980円じゃあな……やっぱり高性能の竿とリールが欲しい」
「買えばいいじゃない」
それを聞いた小森君は、無言で親指と人差し指をくっ付けて0の字を作って首を振った。
綾乃への意趣返しだろう。
要するにお金など持っていないと言っている。
「こんなに庶民的な異世界帰りって初めて見た」
「まるで異世界帰りを頻繁に見ているような」
「深夜にアニメをやってるでしょ。学校新聞の編集をしている時にBGM代わりに流してるから何となく知ってる。強くなる度にアゴが尖っていくやつとか」
そんな雑談をしている間にスマホの時計を見ると22時……決行の時間になった。
「じゃあ私はダンジョン攻略には参加しないけど、旧校舎までの道案内はさせてもらうから」
戦闘能力がない綾乃は旧校舎入口までの案内となっている。
無茶はさせられない。
これについては綾乃も納得済みだ。
「柿原、危ないと思ったら途中で帰ってもいいぞ。途中まで案内してくれたらそれで大丈夫だから」
「大丈夫。旧校舎の入口までならちゃんと送り届けるわよ」
「本当に無理しないでね、綾乃」
念には念を入れておく。
もちろん変な敵が攻めてきたならば全力で護るつもりだ。
それは小森君も同じだろう。
「じゃあ、まずは学校へ侵入するわ。私についてきて」
綾乃は学校とは反対側の道の脇にあるフェンスで囲まれた空き地を指差した。
フェンスには「キケン」「関係者以外立入禁止」と赤字で警告が書かれたプレートが貼り付けられている。
一部が扉のように開く構造になっている。
そこも鎖と南京錠でしっかりと施錠されていた。
中には何枚かのトタン板を組み合わせて作ったような簡易的な小屋が見える。
「そんなところに何が?」
「用水路。そこの道路や学校の地下は
綾乃が4桁のダイヤル式の南京錠を手際よく回すと、カチリと小気味よい音を立てて錠が外れ、扉が開いた。
ダイヤル番号をどこで知ったのかは聞かない。先輩から伝わっている新聞部秘伝の書だろうか?
小屋のトタン板をずらすと、中には地下へと下っていく小さい階段が隠されていた。
階段を降りきったところにはコンクリートで固められた中を水が流れており、学校側から、反対側の沢がある方向へと流れている。
おそらく
狭いものの、メンテナンス用らしき通路もあるので、濡れずに歩いて進めそうだ。
閉め切られていた上に水が流れているというのに、特に変な臭いもせず、空気も淀んでいない。
思っているよりも水が綺麗だ。
「なんでこんなものが学校に……これも何かの陰謀だったりする?」
「単純に湧き水の放水路なんじゃないかな。うちの高校って山を切り崩して建てているから……」
「普段から湧き出した水がある上に、雨がたくさん降ったら水を逃がすための放水路がないと、校庭とかに溢れ出して大変なことになるからってこと?」
「多分そう。山と比べると、学校は低い場所にあるので、水が全部溜まるからだと思う」
分かってしまえば単純な話だ。秘密でもなんでもなかった。
水が綺麗なのも、山の湧き水が流れているからだろう。下水じゃないので臭くなくて当然だ。
「閉所恐怖症とか暗所恐怖症の人はいない? いないわね。じゃあ、ついてきて!」
誰の返事を待つこともなく、綾乃は当然のように先頭に立ち、学校側へ続く放水路へと足を踏み入れた。
「おい柿原。1人じゃ危ないぞ」
「大丈夫。何度か通っているし平気平気」
「学校内に変な虫やヘドロみたいな奴が溢れてたって忘れてるだろ。先頭は俺に任せておけ」
「私が先頭だってば!」
「俺が先頭の方がいいって言ってるだろ」
小森君が慌てて綾乃を追いかけていった。
暗くて分からないが、どうやら放水路の中で2人が言い合いをしながら先頭を取り合って進んでいるようだった。
「もう仕方ないな、綾乃は」
僕も小森君に続いて放水路へ向かおうとしたところ、服の裾を友瀬さんに掴まれた。
「せ、先輩……置いていかないでください」
「置いていかないけど、友瀬さん、暗いところはダメなの?」
「一人だと怖いに決まってるじゃないですか」
友瀬さんは本当に泣きそうな顔になっていた。
もちろん1人で置いてはいけない。
僕は意を決して友瀬さんの手を取って学校の方へ向かって歩き始めた。
◆ ◆ ◆
水路を抜けると綾乃が言う通り、そこは体育館の裏側だった。
前からフェンスに囲まれた謎の場所があるのは知っていたが、この放水路の存在は知らなかった。
よくもまあこんな通路が隠されていたものだ。
更衣室、部室棟、植木の陰に隠れるようにして旧校舎横へと移動する。
「やっぱり真正面からは行かないほうが良いんだよね」
「当然。旧校舎の正面玄関は本校舎からも丸見えだし警備員の巡回ルートにも入ってる。だから、旧校舎横の非常階段から3階まで上る。鉄の階段だから無茶苦茶足音が響くので気を付けて」
綾乃は言ったばかりの発言をもう忘れたのか、カンカンとタップを踏むように足音を響かせながら階段を駆け上がっていった。
静かにした方が良いのか、それとも音は気にしなくて良いのか少し悩む。
「柿原はなんというか凄いな。矢上君はこんな感じで面倒を見ていたのか」
「大変だったよ。昔からずっとこんな感じで暴走するから」
「それは分かる。ラビさんもだいたいこんな感じだよ。手のかかる妹って感じで、すぐに一人で暴走するんだ」
「ラビさんって?」
「上戸さんのことだよ。異世界だとずっとその名前で呼んでいたから、つい未だに言っちゃうんだ」
僕と小森君はなるべく音を立てないように慎重に上がることにした。
しばらく上がると、3階の踊り場で綾乃が腕組みして仁王立ちで待っていた。
「もっと大胆でいいのに」
「柿原が大雑把なだけだろ」
2人がまた睨み合い始めたので間に入って止める。
「それで、この非常口も鍵がかかっているんだろう。どうやって中に入るんだ?」
「実は鍵なんてかかっていない。初めて会った時、私たちがどこから入ったと思ってんの?」
「正面玄関からじゃなかったのか……」
綾乃がノブを回して体重を込め、後ろへ引っ張ると、外開きのドアが軋みながらゆっくりと開いた。
「何年も前からドアノブが壊れていて鍵はかからないみたい。ドアが歪んでるのか錆びてるのか。動きが悪いので、みんな鍵がかかっていると思い込むみたいなんだけど」
「俺が開けるよ。柿原よりは力があるし」
綾乃に代わって小森君がドアを開け始めた。
完全に開いたところで、小森君、僕、友瀬さんの順番で入っていく。
「じゃあ私の案内はここまでね。ここからは危険なんでしょ」
綾乃が旧校舎内に入った僕たちに手を振りながら言った。
「助かったよ綾乃」
「後のことは任せろ。柿原も気を付けて帰れよ。学校の敷地内はまだ変な虫がウロウロしてるみたいだから」
「分かってるって。じゃあドアを閉めるね。帰る時は戸締まりを忘れないで」
綾乃がドアを閉めようと入り口に近づいた刹那……何か黒い影が視界の隅に映った。
直感で判断した。
何かが非常口の前に出現して、扉を閉めようとしている綾乃に攻撃を加えようとしていると。
すぐに対処しなければ綾乃が危ない。
僕とほぼ同時に小森君も動き始めた。
「矢上君!」
小森君が綾乃の方へ走りながら、僕の方へオイルライターを投げて寄越した。
僕はそれを空中でキャッチして左腕にフリントダイヤルを擦りつけて回し、勢い良く点火する。
ライターから噴き出した炎の筋は右手の動きに合わせて横一文字に走り、その炎が収束し、そこからカボチャ頭の怪人が現れた。
自分でも分かる。過去最高タイムでの高速召喚だ。
「ジャック・オー・ランタン!」
カボチャ頭の怪人は僕の命令を受けて前方へ跳躍。
黒い影が綾乃に向けて放った攻撃を両手で受け止めて防いだ。
攻撃を仕掛けてきたのは尖った鼻と頭頂部に立った耳を持った、全身が灰色の毛で覆われた犬頭の怪人だった。
首元には「古代エジプト」と聞けばすぐに連想されるようなビーズの首飾り……ウセクが飾られている。
両手首には金色の腕輪。細かい刺繍が施された腰布など、エジプトの壁画に登場する神の姿にそっくりだ。
右手には先に突起の付いた長い棒を持っていた。
カボチャ頭が咄嗟にカバーに入らなければ、その棒による一撃は綾乃の後頭部に直撃していただろう。
今はその棒をカボチャ頭が両手で掴み、何とか押し返そうとしているところだ。
「柿原はこっちだ!」
カボチャ頭が攻撃を止めている間に小森君が綾乃の手を取って校舎内へ引き寄せた。
そのまま腕を回して抱きとめるようにして綾乃の前に立った。
「無事か?」
「あ……わ……私は大丈夫だけど……」
さすがの綾乃も一瞬の間に次々に起こったことに思考が追いつかないようだ。
それでも怪我なく救出出来たことが何よりだ。
「先輩、こっちにもライターを! 私もサポートします」
僕は友瀬さんに点火したままのライターを投げて渡した。
「やっぱりライターが1つじゃ足りないよ。1人1つ買おう!」
友瀬さんはライターをキャッチしつつ蓋を閉じて一度消火。更に再点火。
元々特殊能力などない既製品のライターなので当然だが、これはただの心のスイッチだ。
点火と消火は人が変われば別カウントらしい。
僕が喚び出したカボチャ頭の使い魔が消えることはなかった。
「アルゴス!」
友瀬さんの召喚に応じて赤い孔雀が出現した。
普段の文鳥サイズではなく2メートルほどのサイズで友瀬さんのすぐ背後に尾羽を広げた状態で浮遊している。
同時に友瀬さんの頭の上にパラボラアンテナのような物体とコンソールが複数出現。
コンソール上には高速で様々な情報が表示された。
「分析完了。名前はウプウアウト。使い魔。能力はハンマーと弓矢みたいです」
「ウプウアウトって……何? アヌビスなら知ってるけど」
「エジプト神話の犬頭の神だ。なんかのゲームで見た」
小森君の知識はゲーム頼りのようだが、それでも何も分からないよりはマシだろう。
「ようするに、こいつは番犬代わりってわけだ!」
カボチャ頭に追加で命令を出して何とか握った棒を押し返そうとするが、明らかにパワー負けしている。
押し返すどころか、カボチャ頭がジリジリと後ろへ押されてきている。
速度はこちらの方が上だが、単純なパワー勝負だと、細身のカボチャ頭は分が悪いようだ。
「矢上君、一瞬相手と距離を開けられるか?」
「なんとかやってみる。ジャッコ! ローキックだ!」
足の踏ん張りを一時捨てることになるが仕方ない。
カボチャ頭は軽く飛び上がりながら身体を大きく捻り、遠心力を生かして相手の脛目掛けて鋭い蹴りを放った。
両手に神経を集中していた犬頭にとっては予想外の一撃だったのだろう。
大したダメージではなかったようだが、それでも犬頭は怯み、後方へ飛び退いた。
「プロテクション!」
その直後、突如として青白く光る粒子で構成された壁がカボチャ頭と犬頭の間に出現した。
壁によって犬頭の反撃は阻止された。
「綾乃は今のうちに奥へ!」
「その前にこれを羽織るんだ」
小森君が着ていたポンチョを脱いで綾乃に手渡した。
「これは何? 防具なの?」
「限界超越……俺がパワーアップしてきた時に出てきた装備品だ。ライフル銃の直撃くらいなら余裕で弾き返す」
「こんな普通の布がそんなに!?」
「いいから早く!」
綾乃はとまどいながらもポンチョを羽織り、友瀬さんと一緒に後方へ下がった。
犬頭の方は、小森君が出現させた光る壁を破ろうと手に持った鈍器で殴打を続けているが、壁は全く壊れる気配もない。
「今から壁を解除する。そのタイミングで反撃をしてほしい。任せていいか?」
「もちろん」
「1、2、3で合わせるぞ。ジャストタイミングで攻撃を頼む」
僕は頷いて小森君と一緒にカウントを開始した。
「1、2、3!」
犬頭が勢い良く鈍器を振り回した直後に壁が解除された。
当てるはずの目標が突如としてなくなったことで大振りの攻撃は空振りし、犬頭は大きくバランスを崩した。
この隙を逃す手はない。
「アサルトラッシュ!」
僕が犬頭を指差すと同時に、カボチャ頭が勢いよく飛び掛った。
ダッシュの勢いを生かした渾身の力を込めて放ったストレートパンチが犬頭の顎に直撃した。
大きくのけぞったところへドラムロールのような超高速のパンチの連打を浴びせていく。
後はとどめを刺すだけだ!
「ここは異空間じゃないから、周囲の被害だけは気をつけて!」
「分かってる!」
身動きが止まったところで火炎弾を放った。
熊を倒した時と同じ
ただし、これは着弾地点から真上へ炎の柱を立てる技なので、狭い旧校舎内で使うと天井を焼いてしまう。
なので「横」に放った。
火炎弾が直撃した場所から、火柱は火炎放射器のように非常扉を開けたままの外へと勢いよく噴き出した。
それにもろに巻き込まれた犬頭の怪人は炎に包まれて霧散、消滅。
旧校舎内に静寂が戻ってきた。
「倒せたのか? 随分あっさりだけど」
「使い魔ということだから、どこかにこいつを操っていた本体がいるんだろうけど、構っていられないしな」
そう言うと小森君が突然片手を上げた。
「矢上君、ハイタッチだ」
「ハイタッチ?」
わけもわからず同じように片手を上げると、小森君が僕の手のひらに手を当てて音を鳴らした。
「俺たちは敵に勝ったら仲間内でよくこれをやっていたんだ」
「なるほど、チームで勝ったって感じだもんね」
「チームで勝ったというなら、私たちも参加しても良いよね」
今度は綾乃が手を叩きつけてきた。
最後に控えめに友瀬さんがハイタッチ。
「まだ旧校舎に入ったばかりで先は長いけど、このチームで頑張っていこう」
「それで、私はどうすればいい? なんか今更戻るのも危険が大きそうなんだけど」
綾乃が困った様子で僕たちの顔を見てきた。
僕と小森君は顔を見合わせる。
この状況で帰れとは言えない。
たった今、一人になった瞬間に襲われた直後だ。
「また今の犬頭みたいなやつに襲われる可能性があるしね……」
「仕方ない。柿原は俺たちと一緒に付いてきてくれ。ただし、戦闘が始まったら必ず俺か矢上君のカバー範囲内にいること」
小森君がまとめてくれた。
ここで綾乃を一人で帰すわけにもいかないし、誰かが送り届けるのも時間と警備員に発見されるリスクが大きい。
ガードできる範囲内にいてもらった方がありがたい。
「うん、私も命は惜しいしそうするようにする。ちゃんと護ってね」
「ああ、君は俺が何があっても守り抜くさ」
「小森、そういうセリフは彼女に取っておきなさい」