収穫祭の魔女   作:れいてんし

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Chapter 7 「掃除のおばちゃん」

 異世界2日目の朝が始まった。

 

 まずは寮の朝食問題を解決したかったので日が昇る少し前に起床。

 

 着替えを済ませて町の近くにある川でニジマスに似た魚を5尾獲ってきた。

 

 寮の食事は流石にショボすぎて1日頑張る体力も気力も湧かなさそうなので、せめてもという親心だ。

 

 予算問題が解決するまでは自分がなんとかするしかないだろう。

 

 下処理を済ませて調理をしていると、寮の食事を作成しているおばちゃんが出勤してきた。

 

「おはようございます」

「あら良い匂い。これは一体何かしら?」

「朝食の食材がないようなので、魚を獲ってきました。この女子寮の朝食は20人分あれば良いでしょうか?」

「え……ええ」

 

 寮のおばちゃんは若干驚いていたが、それ以上は何も言わなかった。

 OKということだろう。

 

 魚はまず半身に。

 それを前後で2つに分ければ5尾が20人前になる。

 

 魚の皮や内臓を綺麗に取り除いて香草を刷り込むことで臭みを消す。

 その後に小麦粉と塩コショウで下味を付けてフライにして揚げていく。

 

 そのままだと朝からは若干重いので、刻んだバジルとビネガーで爽やかな南蛮風ソースで味付けをする。

 

 川で魚のついでに採ってきたクレソンは一度塩揉みして汚れを洗い流した後にさっと軽く湯通しをしてサラダに。

 

 魚のアラは一度炊いて臭みを取った後に再度煮込んで夕飯用のだし汁にする。

 具のない塩スープも魚の出汁が入れば、少しはマシにはなるだろう。

 

 そうしているうちに近所のパン屋から朝食のパンが届いた。

 

 この世界の基本であろう全粒粉パンは朝食には若干重いので、切り込みを入れて軽くトーストする。

 少しだけふんわりとして、香ばしい臭いが漂ってきた。

 

 その臭いに誘われるようにアイリスを含む寮生達が食堂に集まってきたので、どんどん料理の入った皿を並べていく。

 

「エクセルさんおはようございます」

「アイリスさんおはようございます。今日の朝食は魚のフライと野草のサラダとパンですよ」

「わあ、美味しそうですね」

 

 全員が席に着いたところで両手を組んで神への祈りを捧げて食事だ。

 

 八百万の神様と食材に感謝。

 

「昨日の夜と違って今日の朝食はしっかりしていますね」

「美味しいですか、アイリスさん」

「はい。今日は初めて学食を食べるんですけど、そっちも楽しみです」

 

 美味しくいただけたようで何よりだ。

 

 他の寮生からも「予算が戻ってきたのかな?」などの好評の声が聞こえてくる。

 

 早起きして頑張った甲斐があるが、完全に個人の努力に依存したコスト度外視なので本日限定だ。

 

 早急に事件を解決する必要がある。

 

 朝食が済んだら、今度は食器の片付け。

 

 皿洗いなどを一通り済ませると良い時間になったので、生徒達から遅れて重役出勤をする。

 

 校門を作業員用パスで堂々と通過して、本日の作業開始だ。

 

 真っ先に食堂と行きたいところだが、まずは作業員の待機室に向かった。

 

 作業員の待機室に入ると、作業着を着たおじさんとおばさんが椅子に座って目を瞑っていた。

 

「おはようございます」

「おはよう。こんなところに生徒が何の用事なんだい?」

 

 用事は決まっている。

 

 教授の部屋に工作を仕掛けることだ。

 そのため、部屋の隅に置いてある虫取り網を指差す。

 

「虫が教室内に出たので追い出す必要があるんですけど、道具がなくて……そちらの虫取り網を少し貸していただいてよろしいでしょうか?」

「網を? 虫くらい素手で取れば良いだろう」

「それが……みんな怖がっていて」

「若い娘さんはそうなんだろうね。いいよ、持っていって。後で返してくれたらいいので」

 

 おじさんはそう言って虫取り網と、捕まえた虫を入れるための瓶を貸してくれた。

 礼を告げて作業員の待機室を後にする。

 

「さて、作業開始するか」

 

 向かった先は研究棟。

 視界の先には壁いっぱいに張り付いたカメムシがいる。

 

「さすがにこれを素手で触るのは無理ですよ」

 

 工作活動の始まりとして、壁いっぱいに張り付いたカメムシに向けて虫取り網を振り回し始めた。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 ダウマン教授への仕込みは済ませたので、食堂で昼食の準備を始める。

 

 疑似肉のコストダウンは人的コストをガン無視しての数字だ。

 

 豆を粉にしてそれを加工という手間と時間については一切勘定に入っていない。

 

 実際の調理は全て豆おばちゃんと芋おばちゃんの2人に任せて、ただひたすらに疑似肉を作る作業に徹する。

 

 昼になって腹を空かせた生徒達が食堂に詰めかけてくる頃には今日の昼食、ミートソーススパゲティはなんとか完成した。

 

 腕の筋肉は張ってパンパンで、かなりの疲労感が有った。

 

「エクセルちゃんお疲れ。後はこっちでこなすから休んでな」

「いえ、そう言うわけにはいかないでしょう」

 

 食堂内を見ると、昨日は昼食を摂る時間がなかったという会長、カトレア、庶務の姿があった。

 

 アイリスも隅の方に1人で座っているのが見える。

 

「ゲストの応対をしてきます」

「ああ、配膳は任せときな」

 

 カトレア達も気になるが、まずはアイリスのところへ行くことにする。

 

「アイリスさん」

「ひゃあ、エクセルさん! どうしたんですかって食堂で働いているんでしたよね」

「1人だけでお食事?」

「はい。クラスの皆さんはなかなか都合が合わないみたいで……その……」

 

 また面倒くさいことになってるようだ。

 

 せめて同級生になったのならば、何とか出来るのだが、こちらは所詮は部外者だ。

 誰か学校内に味方を作ってやることくらいしか出来ない。

 

「付いてきなさい」

「あっ、はい」

 

 アイリスの前に置かれている料理が盛られた皿を掴んで今度はそのまま会長のところへ移動する。

 

「皆さんお食事中ですか? 実は私のお友達を紹介しようと思いまして。同席させていただいてよろしいでしょうか」

 

 返答を待たずに半ば強引に料理が乗った皿を置いてアイリスを座らせる。

 

「こちら、私のルームメイトのアイリスさんです」

「ア、アイリスです。どうもよろしくお願いします」

「どうもよろしく!」

 

 庶務が大きな声で親しげにアイリスへ話しかけると、アイリスは椅子を移動させて庶務との距離を取った。

 

「うっ傷つくな」

 

 あからさまな拒否の姿勢を取られた庶務が悲しそうな顔をしている。

 気持ちは分かる。

 

「すみません。私って同年代の男の人とあまり会ったことなくて……」

「この男は粗野で特殊事例だから気にしなくて良いですよ」

 

 カトレアがアイリスに優しく声をかけてくれた。

 

「特殊事例はないだろ。これでも立派な紳士になるべく頑張っているんだぜ」

「ならば、その言葉遣いから何とかしなさい」

「そうは言ってもよ。方言みたいでなかなか直らないもんなんだわ」

「方言なんですか?」

 

 アイリスが少しだけ庶務の方を見た。

 

「そうそう方言。アイリスさんも地元ならではの言葉って有るだろ」

「有りますね。しょつなべーとか」

「なんだそりゃ」

「地元ならではの食べ物もありますよね」

「あるある。うちの地方だと木の根っこにしか見えない植物があってそれをよく食べるんだけどさ」

 

 アイリスが動かした椅子を元に戻した。

 

 まだ庶務と触れるまではいかないが、少しだけ打ち解けられたようだ。

 それはともかく「しょつなべー」とはどういう意味なのか自分にも教えて欲しい。

 

 まあ、それは置いておいて本題に入ろう。

 

「昨日、弁当を作っても届ける人員がいないという話をしていたのですが、その役目をこの子に任せても良いでしょうか?」

「この子に?」

 

 カトレアが会長とアイリスの顔を交互に見た。

 

「君がエクセルの友人なのかね」

「はい、アイリスと申します。エクセルさんとは同室でよくしてもらっています」

「昨日から入った編入生か。故郷では大変優秀な魔法の使い手だったそうだね。この学校に編入することになった経緯については少しだけだが聞いている」

「いえ、それほどでも……」

 

 口ではそう言っているが、アイリスはかなり嬉しそうな顔をしている。

 自分の能力が正当評価されたことが誇らしいのだろう。

 

「昼時に弁当を届けてもらって、その時に学内の様子や生徒の噂話などについて確認させていただく程度なので、それ程、手を煩わせることもない。だが、君の貴重な時間を奪ってしまうことには変わりないので、無理強いはしたくないのだが」

「いえ、私でよろしければ喜んで!」

「ありがとう。出来れば明日からでも生徒会室に来て貰えると助かる」

 

 これでアイリスと生徒会を繋ぐ仕事については成功した。

 後はアイリスに頑張ってもらおう。

 

「それでエクセルさん、あの件は?」

「大丈夫です。放課後にお願いします」

 

 カトレアとダウマン教授の部屋の調査について軽くやり取りをしておく。

 今は仕込みは完了したことだけを伝えればOKだ。

 

「ところでエクセル、昨日から他に変わった話などないかね?」

「裏の山から大量にカメムシが飛んできているみたいですね。教室内にも入ってきているようなので駆除や侵入を防ぐための対策が必要です。学校側へ報告していただけるとありがたいです」

「そういえば確かに最近は虫が多いな。カメムシに限らず羽虫もやたら湧いている」

「去年はこれほどじゃなかったよな。今年は何があるってんだ?」

 

 カトレアや庶務も虫の多さについては気になっていたようだ。

 いや、ここでまた新たなキーワードが出た。去年は虫の発生はこれほどではなかった?

 

 関係しているのかどうかは不明だが気にはなる。

 

 虫の増殖の原因で考えられるのは、天敵がいなくなるなどの生態系の乱れや、薬物、気温などによる環境の変化が考えられる。

 

 下水に流されていた原色の液体や、街に野鳥がいないことの関連かもしれない。

 

 無関係だと思ってノーチェックである山の方も調べておく必要があるかもしれない。

 

 やることが……やることが多い。

 

「ああ言うのってどうやって駆除するんでしょうね?」

「本当は鳥が食って回るらしいが」

「都合良く鳥の数は増えないだろう。虫駆除専用の魔法はなさそうだから薬剤の噴霧に頼るしかないが予算が……」

「また予算ですか」

「直接生徒に影響が有る施設の補修や学食の予算を優先させるとなると、虫への対策は後回しにせざるをえないだろう」

 

 何にしろ予算の問題からは逃げられないようだ。

 あと4日間でどうにかするかない。頑張ろう。

 

「午後の授業が終わった後に学校側との定例会があるので話してはみるが……カメムシの件はさっき述べた理由もあるし、あまり期待しないでくれ」

 

 その後、食事は和やかな雰囲気で進み、生徒達はみんな学食から出て午後の授業に戻っていった。

 

「さて、この後は片付けと明日の仕込みだ」

 

   ◆ ◆ ◆

 

 食器を洗い終えた後は翌日の料理についてだ。

 

「ついに予算が尽きたわけだがどうするかね?」

 

 芋おばちゃんがリストを見せてくれた。

 

「リストのここから上ならば買える。あと、パンについては月単位で契約していて料金は学校が直接払ってくれるので、頼めば配送してくれる」

 

 リストを見るがさすがに厳しい。

 

 ついに豆すら買えなくなった。

 ニンニクや生姜あたりを優先すべきかもしれない。

 

 対策を思いつかなければ人はパンのみで生きてもらう。

 神様のありがたい言葉だ。

 

「食材を買う前に、まずはこちらを見てください。大豆油の絞り滓で作った疑似肉試作一号です」

 

 昨日、寮の調理場で作った疑似肉の試作品と、現在料である豆の絞り滓をおばちゃんに見せて、実際に疑似肉を実際に食べてもらう。

 

「完全に油を切った方はオートミールみたいで何か使えそうだね。逆に油が残った方はさすがに厳しい。もっと油を切らなきゃクドすぎて食えたもんじゃない」

 

 流石に評価は厳しい。

 これに手を加えないとどうしようもないだろう。

 

「とはいえこいつを何とかしないと明日の昼飯はパンだけになっちまうよ」

「この油が多すぎるやつと油を切ったのを混ぜりゃ良いんじゃないか」

「それだ!」

 

 解決方法はシンプルな話だった。

 

 豆おばちゃんの思いつきどおりに徹底的に油を切ってパサパサになったものに、油と旨味が残ったものを混ぜればそれなりのタンパク質の塊が出来上がる。

 

「絞り滓に大量に油が含まれているので、これをそのまま炒めれば完成」

 

 食べてみると、鶏そぼろに近い食感になった。

 味の薄さは調味料で調整できるだろう。

 

「でもこれじゃあメインにはなりえない。固めて焼くにしてもいくらなんでも見た目が地味過ぎる」

 

 試しに更の上に完成したつみれ団子のようなものを置いてみたが、食事と言うよりエサ感がすごい。

 

「パンは手に入るんですよね。それならばハンバーガーにしてみましょうか?」

「ハンバーガー?」

 

 おばちゃん達が聞き返してきた。

 

「ハンバーガーというのはハンバーグをパンで挟んで」

「待ちな、ハンバーグというのは何なんだい?」

「ハンバーグとは肉と玉ねぎのつみれ焼きのことです」

「なんだつみれか」

「薄く切ったパンでハンバーグと他に野菜や調味料などを挟み込んでいただくのがハンバーガーです」

「ホットドッグの変形みたいなものか」

 

 つみれもホットドッグもあるようなので話は早い。

 知られている料理ならば、生徒達に受け入れてもらえそうだ。

 

「それなら残った予算で大豆の絞り滓と一緒に葉物野菜を注文しよう。それで色合いは少しはマシになる」

「今日の残りのトマトソースをパンに挟みましょう。それで赤と緑も入ります」

「ホットドッグと同じならば、ピクルスも細かく刻んで入れてみよう。酸味が増した方がきっと美味い」

 

 一応明日の料理に関しては完成した。

 

 明後日のことは明日の自分達が考えてくれるということで食堂を施錠して解散になった。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 寮の部屋から持ってきた無地のシャツ、ロングパンツに着替えてワーカーキャップを被って待ち合わせの場所――ダウマン教授の部屋の真下に行くと、カトレアが既に待っていた。

 

 貧乏揺すりか、無駄に歩き回るかしていたようで、足元の地面がかなり踏み固められている。

 相当待たせてしまったようだ。

 

「遅いぞ。行動はもっと早く!」

「すみません、食堂の用事が立て込んでおりまして」

「言い訳はいい! それよりもこれからどうやって教授の部屋を調べるつもりなんだ? というか、なんだその服装は?」

「仕込みを実行するための方法ですよ。それでは作業員の待機室へ行きましょうか」

「えっ? そんなところに行って何になるんだ?」

「午前中に準備した仕込みを活かすんですよ」

 

 作業員の待機室に行くと、予定通り作業員達は全員出払っていた。

 

 倉庫から噴霧器と虫取り網と虫を入れる瓶を捜してきて、噴霧器の中に適当に水を入れて待っていると、1人の生徒が飛び込んできた。

 

「おい、急いで来てくれ。ダウマン教授の部屋だ!」

 

 午前中の仕込みが発動したようだ。

 作戦は大成功だ。

 

「何が有ったんですか? 落ち着いて話を聞かせてください」

「虫だよ! 教授の部屋の中に大量のカメムシが入り込んで這い回っているんだ!」

「ああ……この時期は窓を開けっ放しにしているとそうなりますね」

「御託はいいから早く来てくれ!」

「はいはい分かりました」

 

 布巾を巻いて顔を隠す。更には手袋もはめる。

 

 これで顔も体型も一切分からず、正体が何者なのか分からなくなった。

 虫取り網と噴霧器を持って待機室を出る。

 

「おい、ちょっと待て」

 

 カトレアに呼び止められた。

 

「午前中の仕込みというのはこのことか?」

「さあ? でも、あんな山に近いところで窓を全開にしていたら部屋が虫だらけになってもおかしくはないですよね」

 

 そう言ってカトレアに予備の虫取り網を渡す。

 

「私1人でカメムシの相手は大変なのでカトレアさんもどうぞ」

「わ、私は遠慮しておこう」

 

 カトレアがあからさまに嫌な顔をして断った。

 やはりカメムシの相手は嫌か。

 

「虫駆除がダメならば、せめて付き添いをお願いします」

 

 作業員部屋に飛び込んできた生徒に連れられて研究棟の中に入る。

 

 三階の角部屋の前へ行くと、神経質そうに眉の間にシワを作った細身の老人が仁王立ちしていた。

 

 今も小刻みにつま先で床をトントンと叩き続けている。

 

 この老人がダウマン教授なのだろうか?

 

 腰を極端に曲げて、なるべく顔を見せないようにして、老人のようにしわがれた声で喋る。

 こういう時は白い髪がありがたい。

 

「なんだ、いつものオヤジじゃないのか?」

「あたしゃ臨時で呼ばれた手伝いじゃよ。何しろ人がいなくて仕事が回らないらしくてねぇ」

 

 声はなるべく低く。老人らしくだ。

 

「そんなことよりカメムシだ! 早くなんとかしてくれ!」

「カメムシかえ? まあそんなもの、この噴霧器で殺虫剤をだーっと巻けば、あっという間にいなくなるよ」

 

 そう言いながら噴霧器を部屋の中に向けると、ダウマンが急に焦った表情をし始めた。

 

「おいやめろ! 室内は大切な書類と機材が山ほどあるんだ。湿気は厳禁だ!」

「ならどうしたら良いかねぇ」

「その手に持っている虫取り網でなんとかするんだよ!」

「虫取り網? というとこれのことかえ?」

「それだよ! いいから早くカメムシを何とかしてくれ!」

「なら、この部屋の扉を開けてくれんか?」

「開ける! 開けるから早く!」

 

 ダウマンが何やら手を複雑に動かしたあとに何やら呟くと、魔法による仕掛けでもしてあったのか、扉が独りでに開いた。

 

 それと同時に大量のカメムシが室内から飛び出してくる。

 

「ぎやああああ!」

 

 ダウマンは情けない叫び声を上げると、壁に張り付いてへたり込んだ。

 

 その顔に付いたカメムシを摘んで、持ってきた瓶の中に入れた。

 

「さてカトレアさん。お手伝いをお願いしますよ」

「なんというか、お前すごいな」

「それほどでもない」

 

 室内に入ると、机の上には山のように書類が積み上げられていた。

 

 窓際にはよく分からない機材がてんこ盛り。

 

 壁にある書架には本が隙間もないほど詰め込まれており、更にそこに入り切らない本が雑に積み上げられている。

 

 机の上にも書類が高層ビル街のように積みあがっている。

 

「書類には触るなよ! 機材にもだ! 特に機材は下手に触ると燃えたり爆発するから絶対に触るな!」

「そうは言っても、書類の上にもカメムシが入り込んでおるで。こんな風に」

 

 書類の上を張っていたカメムシを掴んでダウマンの顔の近くに持って行く。

 

「こいつらは潰すと変な汁を出して書類が汚れるので……」

「分かった。片付けるから待て!」

 

 ダウマンは飛んでいるカメムシを手で払い「クソっ、こいつ臭いぞ!」と言いながら書類の束を机の端に移動させていく。

 

「私らは手伝わなくて良いかね?」

「これは貴重な書類だ。貴様らなんぞに……うわっ」

 

 またもカメムシが飛んで、それを手で振り払った時にうかつに潰してしまったらしい。

 

 周囲に悪臭が立ち込める。

 

 更に、その汁が書類のどこかに付いてしまったのだろう。

 

 ダウマンは拳を握り締めて言葉にならないうめき声をあげた。

 他人に部屋を触られたくはないが、カメムシに触るのは嫌だという葛藤があったのだろう。

 

 ぎりぎりと油が切れた機械のような動きで首だけを動かしてこちらを見た。

 

「……書類を運ぶのを手伝ってくれ」

 

 無理矢理絞り出したような酷い声。

 

「はいはい。カトレアさんも、そこの生徒さんもお手伝いお願いしますえ。わたしゃその間にカメムシを取りますんで」

 

 カメムシを網や手で掴んでどんどんと瓶の中に入れていく。

 

 その間に、よほど小さく折り畳んでいたであろう、やたら折り目が付いている手紙が机の上にあるのをみつけた。

 

 ダウマンが他所を向いている間に文面も確認せずにポケットの中に入れた。

 

「だから噴霧をした方が早かったじゃろ」

 

 虫取り網を適当に振り回すが、カメムシの移動速度は思ったより早く、なかなか網に入ってくれない。

 

 その間もカメムシは室内を飛び回り続けており、減る気配がない。

 

「もう噴霧でいい。大事な書類と機材は外に運び込むから、その間に噴霧で全滅させてくれ!」

 

 OK、許可をいただきました。

 

「これって大事な書類なんじゃ? こんな扱いをするとなくなっても責任は取れませんで?」

「いいからやれ! この研究棟に書類を盗むやつなんていない!」

「ということです、カトレアさん」

 

 カトレアに目配せを送った後に、書類の山をバケツリレーの要領でどんどんと部屋の外に出して、廊下へと並べていく。

 

 書類と機材が廊下にずらりと並び始めたころで、他の部屋からも何事とばかりに人が次々と出てきた。

 

「すんません、こちらの部屋に大量にカメムシが出たらしいっちゅう話なんで、今から駆除を行いますえ。他の部屋に逃げ込むかもしれないんで、皆さん窓やドアを閉めて、決して外に出ないように」

 

 そう呼びかけると、野次馬たちは状況が理解出来なかったのか、ポカンと大口を開けた。

 

「ドアを閉じないとカメムシがそちらの部屋に行きますよ」

 

 分かりやすく説明すると、ようやく自分の部屋もカメムシに侵略(バイオハザード)されるかもしれないということに気付いたのだろう。 

 

 周りの部屋の野次馬たちは次々と自分達の部屋に戻り、ドアを閉めた。

 

 更に次々と周囲の部屋から窓を閉める音が聞こえてきた。

 効果てきめんだ。

 

「一応、中に入って噴霧にやられたらまずいものがないか確認してくれんかの?」

「ああ、分かってるよ」

 

 ダウマンが部屋の中に入ったのをきっかけに、カトレアが書類の山から次々に書類を抜き出し始めた。

 

 カトレアの行為を咎めるものどころか、もはや廊下には誰もいない。

 みんなカメムシを恐れて自分の部屋に引きこもったからだ。

 

 ダウマンが室内から戻ってくるまでにカトレアが書類を5枚ほどを抜き出したのは確認できた。

 

「じゃあわしはこの中で噴霧してカメムシを駆除してくるんで。100ほど数えたら扉を開けてください」

 

 そう言って1人で室内に入る。

 

「さて、まあカメムシの駆除は鳥さん達におまかせしましょうか」

 

   ◆ ◆ ◆

 

 100秒経ったあたりで扉が開いた。

 

 室内のカメムシは一通り駆除したので、もう一匹も残っていない……はずだ。

 

 カメムシの代わりに今度は鳥の臭いがするが、それは仕方がないだろう。

 

「はい片付きましたよ。なんか鳥の臭いがしていますけど、ここには頻繁に鳥が出入りしているのですかね? 鳩とか?」

「それはあんたには関係ないだろう!」

「もし、野生の鳩が巣を作っているのなら連絡くだされ。鳩を追い払いますんで」

「余計なことはしなくていい。さあ帰った帰った!」

 

 そう言うとダウマンは自ら廊下に積み上げられた書類の山を室内へ運び始めた。

 

「手伝いましょうか?」

「貴重な書類だ。お前らは触るな!」

 

 これは、自分達はもう帰って良いということのようだ。

 

 カトレアの方を見ると、こちらに親指を立てていた。

 首尾は上々のようだ。

 

「それでは引き上げますかね、カトレアさん」

「はい、お婆様」

「誰がお婆様ですか。24歳ですけど!」

 

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