収穫祭の魔女   作:れいてんし

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閑話
閑話 1 「もうすぐ夏が来る」


「今日は水着を買いに行きます」

 

 友人の優紀(ゆき)がまた突然にわけのわからない話題を振ってきた。

 まあ話が唐突なのはいつものことである。

 

「どこまで? ニッケ?」

「神戸」

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 顔も向けずにモニターに向かってキーボードを叩く。

 

 今はただでさえ忙しいのだ。

 

 まず、俺が異世界から持ち帰った情報は伊原さんが細かく分析中だ。

 

 なんでも三角測量の要領で、複数の次元の位置から運営の世界や、次元間の距離などを割り出すらしい。

 

 市ヶ谷議員が進めている新法案も順調に進んでいる。

 

 運営からの攻撃に対する防衛策、異世界に拉致された邦人の救出プラン……これから政府と異世界関係の仕事も舞い込んでくるだろう。面倒な話だ。

 

 なにより友人達の受験も近い。

 

 受験対策資料を作って、夏前には仕上げておかないともう間に合わない。

 

 小森くんはようやく全国模試で上位を取ることが出来たようだ。

 

 予備校が出した合否予想判定もA。

 更に上位の大学を目指しましょうと慶応などの授業料もお高い私立大学医学部の名前を薦められていた。

 

 さすがに行けないとは本人談だ。

 必要なのは権威ではなくて資格とスキルでは手に入らない知識なのでそれで良いと思う。

 

 おそらく地元大学医学部への入学は大丈夫だろうが、試験は水物。

 何が起こるかはわからないので油断はしないで欲しい。

 

 最大の懸念事項だったエリちゃんもなんと看護学科B判定。

 

「サイコロ運が良かった」という発言にはかなり疑問も残るが、地力は確実に付いてきている。

 油断しなければ大丈夫だろう。

 

 矢上君も安全牌で無難な成績。

 

 ただ、警察志望ならば座学だけではなく体力は欲しいところなので、そちらのトレーニングにも注力して欲しい。

 

 木島君の神奈川地区予選会は昨年度の記録を越えてなんとベスト4。

 

 結局キャプテン1人のワンマンチームでは強豪校の壁は崩せず、インターハイ行きは夢に終わったが、下馬評を覆し、優勝候補を次々と下してのベスト4は有終の美を飾るに相応しい結果と言えるだろう。

 

 チームとしては残念だったが、スカウトマンから個人への評価はなかなか良い判定をもらえたらしい。

 

「今年の新入生は粒ぞろいだから来年が楽しみだ」とは木島君の弁。

 

 東北の大学へのスポーツ推薦は順調に進んでいるようだが、最悪ダメだった場合にどこかの大学に滑り込めるようなフォローだけはしておきたい。

 

 友瀬さんは優秀。

 まだ2年なので時間的余裕もあるので安心して見ていられる。

 

 よし、これで全員だな。問題児は誰もいない。

 

「さてと、みんなの弱点克服だけど」

 

 椅子にもたれかかろうとしたところ、優紀に勢いよく服の首筋をグイッと強く引っ張られた。

 

 ぐええっと、間抜けな声が喉から飛び出す。

 さすがの不意打ちに思わずむせこむ。

 

「いきなり何するんだよ!」

「買いに行くのは(たすく)の水着に決まってるだろ! 私の水着を買ってどうする」

「俺の水着なんてどうでもいいだろ!」

「ダメだ。この夏はまた友達みんなで遊びに行くんだろう。その時に着ていく水着はあるのか?」

 

 そう言われるとない。

 

 そもそも俺が女子用水着を持っているわけなど……優紀にコスプレ撮影会で無理に着せられたスク水はあるが、厳密には、ない。

 

 所詮は経歴1年に満たないにわか女子だ。

 

 女子用水着を以前から持っていないのは当然である。

 というか、以前から持っていたら、それはただの変態である。

 

「俺は泳がない方向で運転手に徹しよう。どうせカーターがビールを飲んで代わりに運転しなきゃいけないだろうし」

「ダメだ。女子はオシャレさんになって輝くんだよ。今のお前はドロシーちゃんにも負けているダメ人間だ」

「なん……だと……」

 

 俺が小学生に服のセンスで負けている!?

 流石にそれは聞き捨てならない発言である。

 

「そこで私が佑の水着を見繕ってやろうという判断だ。ありがたく思え」

「うわ、善意を押し売りされた挙句、偉そうな態度を取られたよ」

「お前がみんなの前でスク水姿を披露して恥をかかないための措置だ。だけど、地元の店だと所詮は限界がある。流行を取り入れたオシャレなハイブランドを買うなら神戸に出ざるを得ない」

 

 確かに俺が「春日」と書かれたゼッケン付きスクール水着で登場すれば間違いなくおもちゃにされる。

 

 デリカシーのないカーターと柿原さんが無遠慮に笑い転げるのは見えている。

 写真を撮られて、延々とネタにされ続けるだろう。

 

「女子歴半年のお前が数多の水着の中から最適なものを選ぶことが本当に出来ると思うか?」

「残念ながら出来ない。俺だとゲームで見たような白い水着を買ってしまうかもしれない」

「麦わら帽子も買ったり?」

「それも買う。大きさが合ってないサングラスも買う。ビーチパラソルも持つ」

「それはファッションではない。お前なら分かるだろう。アニメ雑誌に載っている、主人公達が絶対にそんなの着るわけないだろうという奇妙奇天烈な服を着ている解釈違いの絵を」

「それと俺に何の関係が?」

「お前のセンスはそれだ」

 

 不服はなかった。

 大方その通りであると認識していた。

 

「買い物は電車で?」

「車を出してもらおう。行き先は三宮(さんのみや)。買い物の後はこの店でランチ。予約は済ませている」

 

 優紀が掲げたスマホには季節の料理を出すフランス料理店が表示されていた。

 

 ランチメニューとはいえコース料理。

 そこそこの金額の有名店に予約を入れているとは準備万端すぎる。

 

「その後は映画にでも行きますか?」

「もちろんだ。映画の入場特典でフィルムをもらえる。2人で見ると当たりフィルムが手に入る確率は2倍。狙うは主役のアップだ」

「なるほど、これはデートなのだな」

「今更気付いたのか。さあ行こう!」

 

 ここで気付いた。

 

 優紀の服や化粧もいつもより気合が入っている。

 これは間違いなくお買い物デートだ。

 

 だが、プラン内容がおかしい。

 

 いつもならば映画に行く時は食事はファーストフードで予算を抑えるか、俺がおごることに期待して主導権を俺に委ねるはずだ。

 

 神戸の百貨店に買い物というのも解せない。

 

 いつも金欠でヒィヒィ言っている優紀にしては羽振りが良すぎる。

 これはもしや……。

 

「夏の賞与……しかもその額が意外と多かったな」

 

 優紀は無言で口角を上げた。

 どうやら的中だったようだ。

 

「今の私は無敵だ」

 

 多分無敵ではない。

 

 今の残高を過信しすぎて過剰に買い物をするだろうが、それは来月にはクレジットカードの請求額を見て「先月の私に不正利用された」と嘆くフラグでしかない。

 

「自分の買い物や食事代くらい俺が出すぞ」

「もちろん。食事代も出してくれることを期待している」

 

 予想よりも酷い回答が返ってきた。

 ダメだこれ。

 

   ◆ ◆ ◆

 

「ダメだ。これは明らかに角度がエグすぎる」

「女子だと普通だ」

「普通じゃない。こちらのビキニタイプも下がローライズすぎる」

 

 優紀が提示した水着に次々とダメ出しをしていく。

 

 無駄に露出度が高い水着シリーズはなんなのか?

 俺に痴女スレスレの服を着せようとしているのは何が目的なのか?

 

「小森君を大人の魅力で誘惑するんだろう?」

「俺の隣にはエリちゃんがいるわけだが」

「大変申し訳ございません」

 

 わかればよろしい。

 戦力の分析は基本だぞ。

  

「持ち味を生かそう。このオフショルダーはどうだ。胸元も隠せる。パレオをつければヒップサイズも誤魔化せる。佑は細身だからスタイルを強調するタイプは違うだろう」

 

 優紀が提示してきのは腕から胸元、腰あたりを覆うヒラヒラが付いた水着だ。

 

 肩紐がないビスチェ型なので肩は露出するが、胸元やウエストを隠すので露出度は低め。

 体型を誤魔化せるのは大きい。

 

 下半身の切り込み角度もそれほどエグくない。

 デザインとしてはありだろう。

 

「ふむ……それで手を打とう」

「あとは色。佑は黒や紫が好きそうだが、あえて黃緑を選んでみたい」

「根拠は?」

「黒を含む濃色は体型を細く見せる効果があるが、元々細い佑が着ると頭だけが大きく強調されてバランスがイマイチ。なので逆に膨張色の白を選びたいところだが、髪の色も白なのでメリハリがない。そこで別の明るめの色を合わせたい」

「それで黄緑?」

「うむ」

 

 理屈は分かる。

 デザインもそれほど悪くないように感じる。

 

「一度試着して見せてくれ」

「そうだな。まずは合わせないとな」

 

 試着室に入った。

 

 試着の使い捨てインナーを付けた後に水着を着てみる。

 デザインは悪くない。

 

 黃緑色の服もスッキリとしていて恥ずかしさもそこまでではない。

 悪くない選択だ……そう思いかけたが、客観的に見えるとダメなことに気付いた。

 

「……これ、レタスだろ」

 

 フリルがカラーリングのせいでレタスが張り付いているようにしか見えない。

 濡れると色が濃くなるかもしれないが、今度は海藻に見えそうだ。

 

 海から上がった日には、なんで海中でワカメを巻き付けてきたの? とバカにされるだろう。

 

「佑どうだ?」

 

 優紀が試着室のカーテンを開けて……動きを止めた。

 

「なにその白菜。ふざけてるの?」

「お前が選んだんだろ!」

 

 ファッションは本当に難しい。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 映画の特典はスタッフロールの一部らしく、ど真ん中に監督の名前がでかでかと写っていたフィルムだった。

 

 そんな自己主張の激しい監督の名前なんてありがたいのか分からないが、優紀に渡したところ、レア物と喜んでいたのでまあ良しとしよう。

 

 買い物も済んだ。

 食事も摂った。

 映画も見た。

 用事は全て済ませたので、あとは自宅に帰るだけだ。

 

 ただ、料金の安さに釣られて中心街からかなり離れた安い駐車場を選んでしまったせいで、少し歩かないといけない。

 

「えっと、駐車場はどこだっけかな」

「こんなに歩いたっけ?」

「近隣で一番安い駐車場を探したからだ。そもそも三宮は車で来る場所じゃないんだよ。加古川からなら電車で一本なのに」

 

 スマホの検索履歴から駐車場の場所を調べて経路を表示させると「徒歩15分」と表示された。

 

 さすがに遠すぎたが、駐車料金は他所と比較して半日停車で500円の差額があったのだから仕方ない。

 

「でも三宮にこんな場所があったんだな」

 

 歩いているのは、建物が妙に古びた裏路地だ。

 

 ビルのコンクリは完全に茶色く変色し、雨樋も曲がって付いている。

 

 空は細いビルの隙間からわずかにしか見えず、路地には湿った土とカビが混ざったような匂いが漂っていた。

 

 普段なら聞こえるはずの車の走行音や人々の話し声がこの路地には届いていない。

 

「阪神大震災の後にここらも大幅に建て替わったらしいから、古い昭和の街並は残ってないはずだけど」

 

 この通りは、数十年前の神戸から切り取られてきたかのようだ。

 周りのビル街とは明らかに時代の流れが違う。

 

 記憶では三宮にこんな通りなどないし、今まで通った記憶もなかった。

 

 だが、スマホのGPSは間違いなく三宮を示している。

 

 古いビルの向こう側には鉄道の高架や煌々と輝くビル街も見えるし、たまに神戸空港に降りていく飛行機も見える。

 変な異空間に迷い込んだということもなさそうだ。

 

 阪神大震災からは数十年経っているので、当時に建てられたビルが老朽化しただけという可能性もある。

 

 だが、この違和感はいったいなんだろう。

 

「あれじゃないのか? 関東で頻発してるっていう怪現象」

 

 正しくは首都圏……横浜の東議員の旧住居を中心とした半径40Kmの範囲だ。

 

 その圏内では最近、幽霊だか妖怪だか悪魔だかの目撃談が相次いでいるらしいが、この関西ではそういう話はほとんど聞かない。

 

 ここで注目すべきは「ほとんど聞かない」だ。

 

「いにしえのもの」が黒い何かをバラ撒いてから、日本全体でよく分からない怪現象が増えていることは間違いない。

 

 流石に魔法やダンジョンが突然出現して社会崩壊などということはないが、よろしくない雰囲気だ。

 政府の異世界対策法案はこの秋には可決予定ではあるが、現状はまだ準備段階で何も動けていない。

 

 この古い路地が、それらの怪現象と関係あるかどうかというと……不明だ。

 

「心配は必要なさそうだぞ。もうすぐメインの通りだろう。バンバン車が走っているのが見えるぞ」

 

 200メートルほど先に車が行き交う道が見えた。

 車の騒音が、建物の隙間から漏れ聞こえてくる。

 

 やはりここは異空間などではない。

 怪現象でもない。

 

 スマホのナビがよく分からない道を通るルートを案内するのはままある話だ。

 

 今回も騙されて、たまたま古い裏路地に迷い込んでしまっただけだろう。

 

「こんな暗いところは早く抜けてしまおう。変態が出てきても困る」

「そうだな。ナビの言う通りに歩くとどこに連れて行かれるかわからん」

 

 少しだけ歩みを早めて裏路地から一気に抜け出――そうとしたその時、メイン通りに出る直前に一軒の古本屋があることに気付いた。

 

 間口は狭いが奥には長い。

 建物の間のスペースを有効活用するための店舗。

 

 入口には分厚いビニールが簾のようにかけられている。

 冷房の冷気が逃げないようにするための工夫だ。

 

 手前には雑誌が積まれているが、店舗の奥にはかなりの蔵書が蓄えられているようだ。

 

 普段ならばそこまで気にすることはなかっただろう。

 

 だが、その店の前にある張り紙が妙に気になった。

 

「あなたの求める本が必ず見つかります」

 

 個人経営の店にはありがちな手書きのポップ。

 だが、それに妙に気を引かれる。

 

「どうしたんだ?」

「この本屋が妙に気になって」

「佑は古本屋が好きだからな」

「それはあるんだけど、独特の雰囲気に興味を引かれるものがあるというか」

 

 時計を見ると、ちょうど渋滞で道路が混みまくる時間帯だ。

 

 帰りに大渋滞に巻き込まれることを考えれば、時間をずらして渋滞を回避した方が無駄な時間をなくせる。

 それでいて帰宅時間はさほど変わらない。

 

 道路のど真ん中で止まるか、この雰囲気のある古本屋で時間を潰すか。

 どちらかを問われれば断然後者だ。

 

「少し寄っていってもいいか?」

「いいよ。私もこういう雰囲気の店は好きだ」

 

 優紀の承認も得られたので縦に細長い店内に入る。

 

 入口近くこそ、書架は出版が21世紀になってからの本が占めていたが、奥に行けば行くほど時間の堆積を感じさせる古い本が並んでいる。

 

 正確な出版年度までは分からないが、背表紙の日焼けや傷み、本のタイトルに使われている用語でなんとなく年代は分かる。

 

 普段見る古本屋でもあまり見かけないタイトルばかりで心が躍る。

 

 違和感は、手前の本ほど陽の光で色褪せて古く見えるのに、奥にある本ほど保存環境が良いのか新しく見えることだ。

 

 古いものほど新しい。時間の逆転が起こっている。

 

 棚の奥に進むにつれて、本の時間が巻き戻っていくかのようだ。平成、昭和60、50、40……どこまでこの古びた時間は遡っていくのか。店舗の奥はまだまだ先だ。

 

「おや、お客さんかい……若いお嬢さん達とは珍しいねえ」

 

 その店の一番奥から店主らしき老婆が声をかけてきた。

 

「はい、ここに古本屋があるとは露知らず。面白そうなので寄らせていただきました」

「いいよ、ゆっくり見ていっておくれ」

 

 軽く頭を下げてから改めて書架を見る。

 

「折戸教授の書いた本はここにもあるな」

「異端研究してたっていう人か?」

「国の歴史をひっくり返すし、魔術を大々的に世に知らしめかねない内容だからな。今度立ち上げる政府の新組織に協力してもらえると色々助かるかもしれない」

 

 折戸教授の著書を探して東京の神保町まで行ったが、どうやら地元でも探せば手に入ったようだ。

 

 灯台下暗しとも言うが、世の中そんなものだろう。

 

「佑、すごいものをみつけたぞ。手塚治虫の漫画のかきかただって」

 

 棚を眺めていた時に優紀が書架の奥の方から古びた本をみつけてきた。

 

「手塚治虫の研究本? そんなのいくらでもあるだろ」

「これはちょっと違うぞ。著者が手塚先生本人。しかも出版が昭和20年台」

「よくそんな古い本があったな。希少本すぎて高いんじゃないか?」

「なんと値段は1300円」

「近年発行された復刻本とかじゃなくて?」

 

 本を開いて奥付を見ると本当に昭和20年刊だ。

 元の定価は130円だが、今とは物価が違う。

 

 当時はきつねうどん150円の時代なのだから、今だと800円相当。

 希少価値を考えると、1300円は暴利ではない。

 むしろ安いくらいだ。

 

 そして、白いページにサインペンで何やらサインらしきものが書かれていることに気付いた。

 

「オイちょっと待て、これってまさか本人のサインか?」

「手塚先生のサインがどんなものかなんて私も知らないが、さすがに本物なら、こんなところにこんな値段で転がっているわけがない。たぶん、この本を持っていたキッズの落書きだと思う」

「そうだな……そうだよな」

 

 サインの真偽はともかく、本自体は希少本だ。

 傷つけないよう慎重かつ丁寧にページをめくる。

 

 内容は当時の少年少女向けにわかりやすく漫画の描き方について書いているものだ。

 当時のマンガ文化もわかってなかなか興味深い。

 

 手塚治虫の著作ならおそらく復刻本が出ているか、全集に収録されているだろうが、優紀はこういうオリジナル本にこだわりを持っている。

 

 普段からオタク文化を極めるなどと豪語している優紀だ。

 

 漫画の神様によるオリジナル書籍に興味を持たないわけがない。

 

 そして一度手に入れたならば、もう手放す気はないと分かる。

 

 自分が手に入れたものは何があっても決して手放そうとせず執着するのが優紀の良いところであり、悪いところだ。

 

「サインの真偽は分からないが、本自体は本物だ。当時の文化が分かる資料としてもそうだし、内容も面白そうだぞ。金なら出すから買っちまえ」

「いや、これは私が自腹で出す。こういうものは自分の金で買うから尊いんだ。絆が深まるんだ」

 

 優紀が本を俺に預けてバッグから財布を取り出した。

 こういうことを繰り返すことで夏のボーナスは溶けていくのだなとしみじみ感じた。

 

 優紀には負けていられないと俺も何かめぼしい本がないか書架に並ぶタイトルに目を走らせる。

 

 ざっと目に付いただけでも興味深いタイトルはいくつかある。

 

 料理本、地元の歴史本……そうか、蘆屋道満(あしやどうまん)は地元加古川出身か。

 

 あちらの世界とは関係ないと分かっているが「インカ、タウンティン・スウユの歴史」なんて興味を惹かれるに決まっている。

 

 自分の生まれる前に売られていた本が山ほど並んでいるのは見ていて楽しいが、流石に全てを買えないし、買っても自宅に置くスペースがない。

 

 そんな中、書架に違和感のあるタイトル……異物を見つけた。

 

 なんてことはない大学の過去問題集……通称赤本。

 古本屋にバックナンバーがあることなど何もおかしくはない。

 

 それが小森くんの志望校でかつ医学部のものだとしても、あっても、別におかしいところはない。

 すぐに認識の外に放り出していただろう。

 

 だが、その赤本に付いている年度は「来年」のものだ。

 

 書架から取り出して発行年度を見ると、やはり来年のもの。

 

 高校生組全員の志望校の赤本は模試作成のために一度通しで読んでいるのでだいたい内容は頭に入っているが、この試験問題集はおかしい。

 

 全く俺が見覚えのない問題ばかりが掲載されている。

 

 店主らしい老婆へ視線を向ける。

 

 座ったまま微動だにしない老婆から圧力……ドドドドと空気の震えるような音が聞こえてくる気がした。

 

 優紀が見つけた手塚治虫の著書は「あってもおかしくない」本だ。

 手塚治虫の実家は神戸の隣の宝塚。

 当時のキッズで元老人がコレクションを放出したことで、たまたま場末の古本屋に流れても何もおかしくはない。

 

 だが、この「未来の過去問題集」はこの世界に存在してはいけないものだ。

 

 それだけではない。

 

 老婆の背後には得体のしれない本が山ほど積まれている。

 

 革張りの本、紐で綴じられた和紙の本、地球のものとは思えない謎の言語で書かれた本、木簡(もっかん)竹簡(ちくかん)、パピルスや石板は何百……何千年前のものだ?

 

 そもそもこの古本屋は全てがおかしかった。

 

 三宮にこんな古い路地が残っているわけがないし、ましてやそこに古本屋があるなど聞いたことがない。

 

 明らかに何か……魔法か異世界関係の事件に巻き込まれている。

 

「この本屋はなんだ?」

 

 声のトーンを落として老婆に近寄っていく。

 優紀が何か話しかけようとしたが、手で制した。

 

 攻撃を仕掛ける気ならば全力で仕留める。

 

「明らかに時空が歪められている。ただの本屋の主にそんなことが出来るわけない。何者だ? 何の目的でこんな攻撃を仕掛けてきた?」

「ここはただの古書店。訪れた方が気に入る本が見つかるだけの、ただの評判の良い古書店。それ以上でもそれ以下でもございません」

 

 老婆は俺が詰め寄っているにもかかわらず、にこやかに返してきた。

 

「ですが欲張ってはいけません。無限の知識はあなたの脳では耐え切れません。ここで買える本は一冊だけ。欲張りは逆に知識を失うことになる」

 

 だいたいわかった。

 これはそういう攻撃だ。

 

 昔話によくある、正直者は報われるが、強欲に駆られたごうつくばりは破滅する。

 

 そして、この本屋内には人の欲望を駆り立てる書籍の在庫が無限に存在する。

 無限図書館……とも言うべきか。

 

「手に入るのは一冊だけ?」

「そう。なので選ばれなかった本はもうこの店では手に入らない。後悔などされぬよう」

 

 原理は分からないが、老婆の言うとおりの事象がこの古書店で起こっている。

 

 俺達が心の底で欲している情報が書かれた本が並ぶ仕組みなのだろう。

 

 優紀が希少本を見つけ出したのもそういうことだろう。

 

 俺が以前に探していた折戸教授の著書が置かれていたこと、タウンティンというタイトルが付いた本が並んだのもそれと関係するのだと思う。

 そして――

 

「――あなたが最も望む本はその問題集なのではないですか?」

「ナメないでいただきたい」

 

 ドスを利かせて老婆に詰め寄る。

 

「確かに小森くんが大学に合格することを心から望んでいる。だが、こんな不正(チート)は求めていない」

「ですが、そこにあるというのは、あなたが望んでいるからです」

「それは認めよう。未来の問題集……未来の情報が分かればもっと生きるのは楽になるかもしれない。だが、結果は努力の……人間の力の先に結果がなければならない」

「なら、その本を買わなければ済む話ではないですか。他にあなたが必要とする本はあるのでしょう」

「もちろんだ」

 

 最新刊が出ないマンガ、打ち切りマンガの単行本未収録分……改めて見るとこの世に存在しない本を含めて無数の本が並んでいる。

 

 間違いなく存在した過去からこれから起こりうる未来の可能性までも内包したここはもはや小さな宇宙だ。

 

 その無限の蔵書の中で俺は書架の中から一冊の本を取り出した。

 

「今の俺に一番必要なのはこのローティーン向けファッション雑誌の今年のバックナンバーだ。最新のファッショントレンドが載っている。紹介されている店は東京ばかりだが、系列店は神戸にもある」

「200円」

「買った」

 

 本当に必要なものとはこういうものだ。

 そして、どうしても欲しいものはこんなところでインスタントに手に入るものではない。

 

 先程優紀が言ったとおりだ。

 自分の金で……自分が金銭なり努力なりを払った代価で手に入れるから尊いのだ。絆が生まれるのだ。

 

「そちらのお嬢さんと同じ袋に入れますかね?」

「お願いします」

 

 小銭入れの中から100円玉を2枚取り出して老婆に渡し、優紀が購入した本と一緒にわら半紙の紙袋に入れてもらう。

 

 おまけなのか、棒が付いたキャンディを2つくれた。

 色は赤と黄色。

 

 令和の時代にもまだ生き残っていたのか、このキャンディ。

 

「ではまたのお越しをお待ちしております」

「ありがとうございます。それでは」

 

 二人で古本屋を出る。

 

 数歩歩いて振り返ると、古本屋などどこにもなかった。

 裏路地とはいえ、三宮はやはり人通りが多い。

 

 何人かの通行人が歩いているのが見えた。

 

 今の古本屋は何だったのだろう?

 

 幻ではないことは、購入した本が手元にあることがそれを否定している。

 

 ただ、時空を渡ることが出来る「何か」だったことは分かる。

 平和だったこの世界が少しずつ何かがおかしくなってきている。

 

「佑、書った本はそれで良かったのか?」

「ああ、今の俺に必要なのは未来の情報じゃない」

「そうじゃなくて、その雑誌は春物特集だぞ。夏物はまだ載っていない。当然水着もだ」

「なん……だと……!?」

 

 振り返って古本屋があった場所に手を伸ばし……無駄だと気づいて手を下ろした。

 

 あの老婆の言っていることが正しいのならば、あの本屋には無意識に俺が必要だと感じていた本が並んでいたはずだ。

 

 だが、実はそれは俺には必要なものではなかった。

 

 本屋の能力の限界ではないだろう。

 俺に知識がなさすぎて、本当に必要な知識とは何かすら分かっていなかったのだ。

 

 だからあの古本屋も読み違えた。

 まさか本人が自分の欲しいものが何かを理解していない、価値が分からないくらい浅い人間が来ると思わなかった。

 

「どうすればいい?」

「そこのコンビニで最新号を買おう。多分秋物特集になっているから、まだ間に合う」

「なんで秋? まだ夏だし、どうせ10月くらいまで暑くて、その後はすぐに冬だぞ」

「そういうものなんだよ。本に載っているのは秋物特集だし、真夏の最中にショップに並ぶのも秋物。夏物は先月号に載っていた」

「手遅れということか」

「違う。これから未来に備えるんだ。だから佑が選んだ春物特集も無駄ではない。来年に動くための準備ができる」

 

 知識とはそういうものなのだろう。

 自分が知らなかったことを知ることで、少しだけ世界が広がる。

 

 世界が広がれば、今まで縁のなかった人達と知り合えたり、新しい楽しみを見つけられて、人生が少し豊かになる。

 それでいいじゃないか。

 

「でも10月までは夏物でいいと思う。私も夏物を買おうと持ったら合うサイズが店から消えていて困る」

「それはそう。今の日本は夏物と冬物だけあればいい」

「ままならないね」

 

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