「この黒いワークキャップは使えそうだな。被っていこう」
白い髪と赤い目は何をどうしても目立つ。
少しでも目立たないようにするべく、箱の中から出てきた黒いワークキャップを深く被る。
似たようなデザインの帽子はつい最近まで被っていたので実に馴染む。
姿を隠せるコートなども入手したいが、それは後々考えよう。
「エクセルさん、早く行きましょう」
「はいはい。そんなに急いでも学校は逃げませんよ」
準備を済ませたので、アイリスと共に魔法学校へと出発した。
初めて歩く町なのだが、さすがにこの状況で道に迷うと気まずい。
しっかりと道を指差し確認しながら先導して歩く。
上空から町並みはチェック済みだが、先ほどはアイリスに魔法学校に通っていたと告げている。
こういうところで齟齬が出るのも良くないので、慎重に歩いていきたいところだ。
「そちらの裏通りは学校までのショートカットですが、人通りが少ないので、なるべく独り歩きは避けるように。表通りを歩くようにしなさい」
「なるほど、参考になります。エクセルさんはこの町に来て長いんですか?」
0秒です。完全に初見です。
そのために適当に歩いて道案内をしています。
――などとは言えるわけもない。
適当に笑顔で返しておく。
部屋の窓からは、町の中心に魔法学校が建っているのが見えた。
この町が、魔法学校とその関係者を中心に成り立っている学園都市だと仮定すると、そこへ至る道は、必ず大通りになるはずだという読みもある。
全ての道はローマに通じるというが、この町の場合は魔法学校へと通じているようだ。
空を見上げると、鳩が数羽飛んでいるのが見えた。
山は近いというのに、カラスや他の野鳥の姿を見かけないのは少しだけ気になる。
他の鳥は、はるか上空を高速で移動している青い鳥くらいだ。
鳥が少ないのは、理由があるのだろうか?
寮から学校までは徒歩20分ほどで到着できた。
これは、寮から学校までが微妙な上り坂だったせいも理由なので、距離は意外と短いはずだ。
学校の前には大きな門があった。
そこには守衛の姿があり、こちらに視線を向けている。
中に入るには、この守衛に話しかければ良いのだろうか?
「すみません、本日編入予定の生徒を連れてきたのですが、どちらに連絡すればよろしいでしょうか?」
「名前は?」
「アイリスです。アイリス・フジノ」
アイリスが自ら守衛に名乗った。
妙に日本人らしい名前だが、まさかこの子も召喚者なのだろうか?
一瞬だけそう考えたが、例の退学通知書にカタカナで書かれていた「テスト」の文字を読めなかったのでそれはないだろう。
「転入生の話ならば聞いている。今日は一時許可証を渡すから、それに記名して入ってくれ。中で正式な学生証をもらえるはずなので、明日からはそれを見せれば出入りできる。一時許可証は出る時に返してもらえればいい」
「なるほど、ありがとうございます」
何度も同じ手続きをして慣れているのか、守衛はカンニングペーパーでも読み上げているかのように、淀みなくスラスラと説明した。
アイリスは出された一時許可証にサインをする。
「校内はあんたが案内してくれるのか?」
守衛に尋ねられたが首を横に振る。
そもそもこの学校の中に入るための許可証を持っていないのだ。
手元にあるのは退学通知書だけだ。
「いえ、私はただの付き添いです。あとはこの子が1人で行きます。大丈夫ですね、アイリス」
「はい。ありがとうございました。エクセルさん。それではまた寮の部屋で会いましょう」
アイリスはそう言って学内へと入っていった。
見送った後に、門の前に貼られていた張り紙の内容を確認する。
「食堂と清掃係の従業員募集か」
校内に堂々と入る手段としては、偽生徒に成り済ますよりも、職員として入り込む方が色々と楽だろう。
ただ、完全に職員になってしまうと自由時間が削られて調査の時間がなくなってしまう。
それはアウトだ。
ならば、立場だけ利用させてもらうか……とりあえず保留はしておく。
ただ、求人の張り紙がかなりボロボロなのは気になる。
この規模の魔法学校ならば待遇もそれなりに良いと考えられる。
なにしろ、町の中心に学校があるくらいなのだ。
その学校の中で働けるということは、かなり安定した身分が手に入るはずだ。
なのに、何故求人が埋まらないのか?
予算が少なくて給金が悪い、もしくは待遇が悪い?
もちろん、既に定員に達して募集は終わっているが、単に張り紙を剥がすのを忘れているだけという可能性もある。
まだ結論を出すには性急だ。
求人の張り紙の存在だけは覚えておくことにする。
「さて、こちらも校内に入る方法を探すか」
魔法学校の構造については概ね把握できた。
全周は約3キロメートルだ。
学園はアーチ型の尖塔が6つ組み合わさってできており、それぞれの塔の中に教室などがあるようだ。
校舎部分以外にも講堂や倉庫らしき建物も複数確認できる。
中庭や裏庭には多くの木が植わっており、意外と広い。
学校の周囲には壁があり、正門、裏門、通用門以外からの出入りはできないようになっている。
そして、これは特筆しておくべきだろう。
地上から100メートル程の高さには時速30キロほどでドローンのような円盤状の人工物が飛び回っている。
どういう原理なのか、プロペラも翼もないのに、空中を浮遊するその光景は、まさに未確認飛行物体、UFOだ。
このドローンが地上の様子を確認して、厳重な監視体制を敷いているようである。
さらに警戒を厳重にしているのが、壁から上方向に展開されている、不可視の壁だ。
壁があることを知らずに低速でぶつかった鳥の使い魔が弾き飛ばされるなどしている。
鳩などの動物は普通に通過するのが謎だ。
生物は通すが無生物は通さないフィルターでもあるのだろうか?
見える壁と見えない壁、二重の壁で外部からの侵入を拒んているということだ。
つまるところ、壁を乗り越えたりして校内へ侵入するのはほぼ不可能ということだ。
正門以外の出入り口として、通用門と裏門が存在している。
そのうち、正門と通用門には守衛が常駐している。
裏門には守衛はいないものの、学校の裏手にあるグラウンドと直結しており、グラウンドは周囲が金網で覆われている。
グラウンドから校舎までは開けていて視界が良好だ。
なので、部外者がノコノコと歩いて校内に侵入したところで、すぐに見つかってお縄になるだろう。
壁に沿って歩くと、大きな排水口が開いているのを見つけた。
人が通れる幅と高さがあるので、排水口から辿っていけば学内に入れなくはなさそうだ。
横浜の高校には旧校舎裏と繋がっていた古い排水路があったが、それと同系統のものだろうか?
覗き込んでみると、排水路に得体のしれない赤やら青の毒々しい色の液体が流れてきていた。
化学薬品でも垂れ流されているのか、変な臭いもするので、頼まれても入りたくはない。
実際、液体にはよほど地球にきびしい成分が含まれているようで、排水路の周りには、雑草の一本すら生えていないし、何の生物の姿も見られない。
「しかし、すごい環境汚染をやってるな。そのうち、この学校は何か事件をやらかすぞ」
排水路は学校の敷地を抜けたところで地下へと潜っていった。
どうやら町の地下には下水道が広がっており、そこと合流していそうだ。
学校の裏手に回ってくると、人通りもほとんどなくなってきた。
学校の裏は木々が生い茂る丘になっており、民家などもない無人のエリアのようだ。
「こんなところまで知っている場所に似通ってるのは笑えてくるな。いつからここは横浜市になったんだよ」
通用門の近くはゴミ捨て場になっていた。
そこには、生ゴミや用途の分からない機械類などが山積みにされている。
その中にはまだ使えそうなものもある。
中世社会だとさすがに、生ゴミ以外のゴミを大量には出さないだろうし、たいていのものは地球にきびしい焼却炉で燃やしてしまうはずだ。
これだけゴミが出るということは、ある程度工業化が進み、物の大量生産が行われて物が余っているからだと考えられる。
意外と文明が進んだ社会なのだろうか?
それに、学校というのはある程度社会体制が発展していないと作られない。
こういうところから、ある程度ここの世界観が見えてくる。
一見すると中世風だが、意外と現代に近い。
通用門は丈夫な鉄の柵で閉ざされており、守衛が1人立っていた。
ただし、正門よりも警備は明らかに緩そうだ。
人通りも少ないので、少々不審な行動をとっても怪しまれる可能性は低い。
潜入するならばここからが良さそうだ。
「まずは観察からだな。情報は何よりも大事だと昔のえらい人も言っている」
少し離れた場所から通用門の様子を確認していると、重そうな鉄柵が少しだけ開いた。
中から学校の制服を着た2人の少年が両手で何かの機材を抱えて学校の外に出てきた。
見た目は軽そうだが、2人がかりで、決して落としてたまるものかとばかりにガッシリと抱え込んでいる。
落としたら割れるとかそういう類のものだろうか?
耳を澄ますと少年たちの愚痴が聞こえてきた。
「これって全部捨てていいのか?」
「ダウマン教授が要らないって言うんだから要らないんだろ」
「でも、魔力が残っていたりしたら大騒ぎになるぞ。最悪大爆発をするかも」
「大丈夫だって。ダウマン教授は全部の魔力を抜き取ったって言ってたから」
「お前、そんなの分かるの?」
「分かるわけないだろ。教授がそう言って捨ててこいって言ったからそうなんだよ!」
「本当にいい加減だな」
2人の少年は教授への愚痴を繰り返しながら、ゴミ捨て場までやってきた。
そして、今まで慎重に抱えてきたのはなんだったのかと思うくらい適当に投げ捨てた。
ズシンと重々しい音がして、謎の機材が横倒しになってゴミ捨て場に転がった。
かなり丈夫なようで、今のような雑なやり方でも、いきなり割れたりはしないようだ。
用事を済ませた少年たちは通用門から敷地内へと戻って行った。
「なるほどね、通用門側は学生証の確認がなくて、守衛による目視確認だけなのか。こちらなら付け入る隙はある」
ゴミ捨て場を漁ると、縁がボロボロになった黒いケープが捨てられていた。
生ゴミとは若干距離が開いて置かれていたからか、臭いなどはしない。
あちこちが傷んできて捨てたのだろうが、見た感じ、十分に使えそうだ。
若干サイズは大きいが、コートのように上から羽織る分には十分どころか、身を隠すにはより向いているだろう。
ケープを羽織り、白い髪を隠すように帽子を深く被り直す。
そして、先程、少年が捨てた何かの装置を両腕で抱え込んだ。
「重いな……確かにこれは2人がかりでないと無理か」
息を切らし、ふらつきながらもなんとか通用門に向かうと、生真面目そうな守衛が、何事かとばかりに近付いてきた。
ここからが腕の見せ所だ。
「大変だ! この装置は魔力が残ってると大変なことになる! これが外で作動したら大爆発するからとんでもない事件が起きる! 早く対処しないと!」
「えっ?」
先程少年が廃棄したゴミを両手で持ち上げて守衛の顔近くへ突きつけた。
「ダウマン教授の話は聞いてない? これと同じ装置は魔力を抜かずに廃棄すると、とんでもないことが起きるんだ。だから私が慌てて来たんだけど、学校の運営からちゃんと話は伝わってる? 教授からの連絡はあった?」
「い、いや話は聞いていない。確かにさっき学生がそのゴミを捨てるからと通したところだが」
「それだよ! その学生たちが捨てたのってこれだよね?」
「た、確かに」
「もし危険物が学外に流出したら大事件なのに、それを門で止められずに外へ出しちゃったことがバレたら、学校の運営側から大目玉だよ!」
とにかく守衛が冷静な思考をする前に勢いで押し切る。
そうすれば細かい矛盾に相手が気付くことはない。
ハッタリとはこう使うのだ。
・この装置に魔力が残っていると爆発してとんでもない事件が発生する。
・危険物が外部に流出すると大変なことが起こる。
・その装置を回収した。
装置に魔力が残っているかどうかなんて知らないし、もし危険な装置が爆発したら大変なことになるのは間違いない。
嘘は一言も言っていないと心の中で再確認する。
人を騙すのは正しくないことだ。
「まずい。減給にでもなったら大変なことになる」
「減給どころか事故が起こったら解雇ですよ、解雇!」
解雇という言葉を強調して繰り返すと、守衛の顔色が真っ青になった。
まあ事故は起こらないのだが。
「どうすればいい?」
ただの通りすがりにそんな相談をしてもどうにもならないだろうに、こちらがまくしたてたせいで、守衛は冷静な判断力を失っているようだ。
「私が目立たないよう、通用門から入ってこっそり元の場所に戻しておくので、門を開けてください」
「分かった。このことは学校の運営には内密に頼む」
「それはもちろん。内密に処理しておきます」
「すまない、恩に着る」
「そういうことなので、この件はなかったことに。私はここから入ってもいないし、出てもいない。いいね」
「ああ、私は誰も出してもいないし通してもいない」
「そう、私もここには近づきもしていない」
「私は何も知らない」
「ヨシッ」
守衛と合意が取れて通用門を開けてくれたので、そこから学校の中に入った。
手に持ったゴミは、しばらく歩いたところにあった茂みの中へ投げ捨てておいた。
「さて、いよいよ潜入調査開始だ」
◆ ◆ ◆
「まずはどこから調査を始めるか」
校舎間を繋ぐ渡り廊下を歩いていくと、中庭の方から喧噪のような叫び声とヤジる声が聞こえてきた。
何があったのかと覗いてみると、何やら学生同士が対峙して、お互いに魔法を放つという決闘紛いの喧嘩が行われていた。
いかにもな展開だ。
おそらくこれも学校生活で起こるイベントの一つなのだろう。
だが、5日という時間制限があるというのに、こんな生徒同士のお祭りイベントなどに構っている余裕などない。
人間関係のイベントは全て無視だ。
「生徒はあくまで生徒間の情報のみ、学校の運営情報なんて持っていないから無視でいいな」
このまま無視して通り過ぎようとも思ったのだが、野良猫の喧嘩とは別のことが気になった。
中庭は草刈りなどは行われず、雑草だらけのまま放置されている。
さらに、廊下から見える校舎の壁に亀裂が入っており、たまにポロポロと崩れてきている。
生徒の服装からして、それなりに裕福な生徒が通っていそうなのに、どちらも整備する費用がないとは思えない。
決闘している連中へヤジを飛ばしている生徒の1人の肩を叩いて聞いてみることにする。
「ちょっと聞いて良いです? そこの壁っていつから壊れてるんですか?」
「何だよ! 今良いところなんだぞ」
尋ねるや否や、にべもなく断られてしまった。
やはりこの小競り合いが落ち着くまで待つしかないかと、決闘の方を眺めて待つことにする。
指揮棒のような杖を持った2人の少年が何やら長い魔術詠唱を行う。
まず片方が掲げた杖からショボい火の玉が飛びだして相手に向かってヘロヘロと飛んでいく。
撃たれた方はというと、目の前の空間に光る魔法陣が出現させて、その火の玉を防ぐ。
ここで攻守交代。
防御していた生徒が同じように火の玉を放ち、先程の攻撃側が同じように魔法陣で防ぐ。
ひたすらその繰り返し。
見所も迫力も皆無の地味な戦いだった。
「これはどっちが優勢なんですか?」
「互角だな……お互い強力な対魔術の盾を展開しているので、並の攻撃では貫通できない。だが、強力な攻撃を行うには詠唱に時間がかかる。それを理解した上で比較的詠唱時間が短い攻撃を繰り返して相手がミスをするのを待っている。高度な戦いだ」
「……なるほど」
先程はまともに答えてくれなかった相手だが、今度はこちらの聞いていないことまで勝手に早口で語りだしてくれた。
自分の興味のある話はいくらでも他人に聞いてもらいたいが、それ以外はどうでも良いというのは、日本でもよくある話だ。
もしかして、これは高度すぎて一般人目線で見ると地味にしか見えないというものなのだろうか?
お互い至近距離で殴り合いでもしてくれる方が分かりやすく派手でエンターテイメントとしては盛り上がると思う。
だが、何故か
わからない。文化が違う。
この対決への興味は完全になくなった。
中庭の調査をしたいので早く決着がついて帰って欲しいな。
そんなことを考えながら、冷めた目で眺めていると、突然に金髪碧眼の少年を先頭に、3人の少年少女が何やら書類を掲げながら小走りで近づいてきた。
「生徒会だ! 学内で許可のない戦闘行為は禁止されている。すぐにこの決闘を中止しろ!」
彼らは生徒会を名乗った。
そのメンバーのうち、制服の袖をまくった元気そうな黒髪の少年が前に出て、腕を振り回しながら決闘している2人に近寄っていく。
「うるさい、部外者が割り込むな!」
「何を! 俺は生徒会庶務だぞ!」
庶務を名乗った黒髪の少年は、やたら強気だ。
「庶務が偉そうにすんな雑用係!」
「誰が雑用係だ! 庶務だ庶務」
「やっぱり雑用係じゃねぇか!」
庶務の半ば喧嘩腰な態度は逆効果だったようだ。
あれでは、喧嘩の仲裁に来たのか、自分も喧嘩の加勢に来たのか分からない。
こんな粗暴な男が生徒会メンバーで大丈夫なのだろうか?
「3人とも少し落ち着こう。まずは私に何があったのか聞かせてもらえないか?」
次にやってきた金髪少年は優しい、それでいて凛とした声で決闘をしていた2人と庶務に呼びかけた。
庶務よ、お前も仲裁される側なのかよ。
「それは、こいつが……」
「まずは決闘していた2人の言い分をじっくりと聞かせて欲しい。その上で、何をどうしたら平和裏に解決できるかを一緒に考えよう」
金髪少年の呼びかけに、今までいがみ合っていた2人と庶務が急に大人しくなった。
一体何が起こったのか?
「みんなも、この2人の処遇については私に任せて欲しい。決して悪いようにはしない。それよりも午後の授業が始まる。教室に戻るんだ」
それを聞いた観客たちは、
「会長が言うなら」
「確かに午後の授業も始まる」
「遅刻したら怒られるぞ」
と次々とその場から去っていく。
決して大きな声ではなかったが、それは観客席となっていた渡り廊下まで届き、観客たちを大人しくさせていく。
「魔術……とかじゃないな、人を惹きつけるカリスマみたいなものがあるのか?」
部外者である自分は全く何も感じない。
おそらく、この会長と呼ばれている金髪少年は、成果や過去の実績などが大勢の生徒に認知されており、それらの積み重ねによって大きな信頼を得られているのだろう。
だから、こんな何気ない言葉でも人を動かせる。
観客の中にはまだ残るものもいたが、
「ほら、観客席も解散だ。早く教室に戻れ。午後の授業が始まるぞ!」
と、先程の黒髪の庶務や金髪の少女が追い出すようにして廊下から退去させていく。
最後には金髪少年の言葉はもちろん、庶務や金髪の少女の誘導を意にも介さない自分だけが残った。
「おい、あんたも早く教室に戻れ」
「すみません、その前に少し話を聞かせていただいてよろしいでしょうか?」
庶務が近付いてきたのを機に、先制を取ってこちらから質問を投げかける。
ようやく話ができそうな相手が出てきた。
「あそこの壁のところですが、ずっと壊れたままなのが気になっています。いつ頃に修復されるのか、生徒会の皆さんは御存知ですか?」
壁の亀裂を指差すと、庶務は嫌そうな顔を見せながら、金髪少年の方へ話しかけた。
「会長、あの壁ってまだ修復終わってなかったんですか? 俺は先々週、必死で報告書をまとめたんですよ」
「会長は先々週も先週もきちんと定例会で報告はされている。動かないのは学校の問題だ」
決闘をしていた2人から事情を聞いている会長に代わり、金髪の少女が答えた。
「もう一度言った方が良いですよ。完全に生徒会がナメられてます」
「明日は学校運営側との定例会がある。再度報告を上げてみる」
こちらが聞きたいのはそういうことではないのだが、まあいい。
今は何らかの理由で学校側が修理を後回しにしているという事実だけ分かれば十分だ。
「そういうわけだ。別に動いてないわけではない。なのでもう少しだけ待っていて欲しい」
「よろしくお願いします。今のままだと中庭を通る度に危ないと思っていますので。あともう一つよろしいでしょうか?」
今度は中庭全体に伸び放題の雑草畑を指差した。
「雑草は本来なら定期的に刈るものでは? 少し放置されすぎてはないですか? これだと虫が大量発生して教育環境によろしくないですよ」
「言われてみりゃそうだな……そんなに予算を殿下の浪費に取られているのか?」
庶務が端の方に生えている草を引き抜きながらぼやくのが聞こえた。
「殿下の浪費?」
また気になるワードが出てきた。
殿下と呼ばれる人物が金を使い込みしている?
「おい、滅多なことを口にするな!」
疑問に思っていると、金髪少女が庶務を突き飛ばすように腕を伸ばした。
庶務は、それを大げさに飛び退いて避ける。
「はいはい。すみません副会長」
「『はい』は一回! それに、あまり人前で殿下の悪口を言うな。不敬だぞ」
「でもみんな言ってますよ」
「それでもだ!」
今の会話から推測するに、金髪少女が副会長ということか。
ここで気になるワードは「殿下の浪費」だ。
副会長も庶務も壁を修繕したり草を刈ったりする予算がないのは「殿下の浪費」が原因だと理解はしている。
だが、副会長の立場ではそれを認めることはできないということか。
生徒会の役員たちは情報源として有用なようだ。顔は覚えておこう。
あまり長居して顔を覚えられても面倒しかないので、立ち去ろうとした時に、今度は会長に呼び止められた。
「授業へ戻るところ申し訳ない。他に気付いたことはないか? 私たちだけだと見逃しがちな部分があるかもしれないので、他に懸念事項があれば教えていただけないだろうか?」
「そうですね……色々とありますが、差し当たってはそこの鐘楼の雨樋ですね」
鐘楼の高いところに付いている雨樋を指差すと、生徒会の面々が一斉にそちらを向いた。
「樋が外れかけてるので、雨が降るとうまく排水溝に流れず、変なところから水滴が落ちてるんです。実際そこの壁のところです。雨垂れが黒い染みができていますよね」
そこから、壁面沿いに伸びる雨樋を指差していく。
元々短い雨樋を、いくつもの金具で継ぎ合わせて、長い距離をカバーしているようだが、その金具の1つが外れているせいで、雨樋がズレて大きな隙間ができている。
雨が降ったときにはその隙間があるせいで、雨水は排水溝まで流れず、途中で溢れ落ちてしまう。
「水が垂れるから壁は苔だらけだし、水が土を溶かして泥に変えて跳ね上げ、廊下まで流れ込んできているようです。今まで誰も苦情をあげてませんでした?」
「廊下を通る度に泥で靴が汚れると聞いて定期的に掃除はさせていたが、原因については初耳だ」
「あんな高いところも壊れていたなんて、よく気付いたな。空からでも見ないと気付かないだろ」
庶務が雨樋を見ながら気さくに声を掛けてきた。
先程まで帰れと言っていた人物とは思えないフレンドリーさだ。
距離感がバグっているだけなのかもしれないが。
「まあ確かに。普通は空から見つけたと思いますね」
上空を見上げると学校が放ったドローン的な監視メカと、その更に上空を青い鳥が飛んでいるのが見えた。
ドローン的な監視メカが雨樋の破損に気付かないということは、あれがチェックしているのはあくまで侵入者への監視のみなのだろう。
与えられた単純な命令しかこなせないと考えるのが自然か。
「あんた実は飛行魔術とか使えるんじゃないのか? かなり上級魔法だけど、別に生徒の中に使えるのが居てもおかしくはない」
「そんなのじゃないですよ。この廊下からでも見える、壁に生えた苔や染みから推理しただけです。お役にたてたならば何よりです」
今度こそ会釈してその場を立ち去る。
「待ってくれ、せめて名前を教えて欲しい」
またしても会長だ。
何度、人を呼び止めるつもりだと思ったが、無視するのも何なので首だけを回して答えた。
「エクセルです。エクセル・ワード・パワーポイント」
「なるほど、エクセルか。覚えておこう」
エクセルの何を覚えるのだろう? マクロとかVBAか?
行挿入とセル結合のショートカットは覚えておくと楽だぞと思いながら、今度こそその場を立ち去る。
実に無駄な時間を使った。
早く調査に戻らないと。