ハロウィン
「あいたっ」
床に身体を打ちつけた衝撃で目を覚ました。
よりにもよってベッドから顔面から落ちたようで、鼻のあたりがヒリヒリと痛む。
「くそ。今は何時なんだ? 明日朝も六時起きだぞ……」
鼻と額を右手で抑えながら、左手でベッドの縁を掴もうとして、空ぶった時に違和感を覚えた。
当初は寝返りを打ってしまい、ベッドから床に転がり落ちたのだと思っていた。
なので、ベッドへ戻るために手を伸ばしたのだが、本来有るべき場所にベッドがない。
それだけではなく、枕元に置いてあったはずの目覚まし時計もスマホもない。
右手の指の隙間から床に目をやると、カーターのマンションの部屋ではなく、石畳のようなものが敷かれていた。
三度目かよ! 他にそんなやついる?
慌てて周囲を見渡す。
どうやら俺は岩盤を削って作られた、巨大な部屋の中にいるようだ。
手掘りで切り出されたのか、壁面は整えられず、ゴツゴツとしたままの岩肌がむき出しになっていた。
小学校の遠足で行った炭坑跡に作られた資料館もこのような壁面だった。
それにしても、炭坑跡にしては随分と明るい。
遠足で行った時は薄暗い電球の灯りでほんのりと足元が照らされている程度でもっと暗かった記憶がある。
何か照明が点いているのだろうか?
疑問を解消すべく天井を見ようとするが、帽子の縁が邪魔で真上を見ることは出来なかった。
邪魔だとばかりに無造作に帽子を掴んで脱ぐと、今度は前髪が目に垂れてきて視界を邪魔する。
伸びた前髪の手入れが面倒で、帽子の中へ雑に押し込んでいたのだろう。
手で長い前髪を横に除けて耳にかける。
壁面と同じく岩肌がむき出しの天井には四角い穴がいくつも開けられていた。
そこにはガラスだかアクリル板だかの透明の板がはめ込まれて天窓として陽光を取り入れているようだ。
――帽子?
先程まで眠っていたというのに帽子を被っているのはおかしいという事実に今更ながら気付いた。
思考が追いつかない。
状況を整理するために、昨日夜からの行動を再度振り返ってみよう。
昨日は疲れていてカーターの家で爆睡したところまでは覚えている。
翌日は新幹線に乗るために六時起床であり、億劫なのでそのままベッドに飛び込んだ。
うとうとしている時にカーターが俺のシャツの裾をまくってパンツチェックをしてきたのは朧気ながら覚えている。
宿泊費みたいなものだし別にいいだろう。
変なところを触ってきたら至近距離からぶちかまそう。期待して次のアクションを待っていたが、何故か何もしないどころか、小森くんに電話をかけ始めた後に毛布を持っていってソファーで寝始めたのは覚えている。
ヘタレめ。もう少し頑張れよ。
何か今の状況が分かるものはないだろうか?
特にスマホがあれば現在位置が確認出来るはずだと、身体のあちこちをまさぐると、腰にはバルザイの偃月刀がぶら下がっていた。
ランクアップ時に生えてきたこの武装が初期状態にあるのはおかしいのではないだろうか?
ローブの腰部分に付いているポケットから中身を取り出す。
汚れたハンカチ。ドングリ。落ち葉。くしゃくしゃに丸められたメモ用紙と短いえんぴつ。曲がった銀色のスプーン。
そしてカード。
サイズは名刺よりは一周り大きく、トランプやカードゲームのカードくらいのサイズがある。
「久々に見たな、このカード。[ラヴィ(ハロウィン) SR]……全てが懐かしい」
カードにはキャラの名前らしき文章の下に箒を持った少女のイラストが描かれていた。
「そういや、このメモって結局何が書いてあったんだ?」
メモを広げて読む。
アルファベットでも漢字でもない不思議な字が書かれていた。当時は意味不明だったが、今ならば読める。
ネクロノミコンの増幅魔方陣の横に書かれていたヘブライ文字だからだ。
意味は分かっている。
魔法陣の形状はその前に夢で伝えられている。
全ては最初に用意されていたのだ。
なので、増幅魔方陣を形成してうちの神さんを喚び出せばそこで日本帰還RTA完了だった。
もちろん、当時の俺達にはそれに気付く術はなかった。
カーターだけは知っていたが、スポンサー……ウムルさんから俺達が成長して祭壇に辿り着くまで言うことを禁じられていた。
「だいたいわかった。これは夢なのだな」
俺達が日本に帰還してからだいたい1年。
異世界に召喚された時のことを思い出すこともあるだろう。
夢なので願望が反映されているかもしれないと、念のために胸のサイズを確認してみるが、今日は調子が悪いようだ。
仕方ない。今は夢の続きを楽しむことにしよう。
あの時は部屋の隅で俯いてじっとしていた小森くんとエリちゃんをなんと呼んで気づかせたんだっけ?
「誰か! 誰でもいいから出てきて今の状況を説明してくれ!」
そうそう、これを言うと部屋の隅の方から小森くんとエリちゃんが助けが来たと勘違いして走ってくるのだ。
もしかして、1年前ならば、二人とも今よりも少し幼かったりするのだろうか?
小森くんとエリちゃん。二人とも精神的に成長する前で少しやさぐれていた時期。
現在と当時を比較して成長の具合が分かるのは面白くある。
じっと待っていると、奥から男女二人組が走ってきた。
男性の方は軽装で細身の剣士。
顔は爽やか系のイケメン。
背中には、それどうやって抜くの?という大剣が背負われているあたり、実にファンタジーな住人だ。
そしてもう一人は……魔術師らしいローブを着た少女。
髪は綺麗な銀髪で少しあどけないところがある。
ただ、その顔は……。
「リプリィさん……?」
異世界で別れた俺の……俺達の大切な友達。
タウンティンのリプリィさんに生き写しだった。
だけど、冷静に見ると違う。
日系三世のリプリィさんの肌は浅黒かったが、目の前の少女は白い。
それによく見ると顔つきも少し違う。
当然だ。リプリィさんがこんなところに出てくるわけがない。
「あの、大丈夫ですか?」
「もちろん大丈夫です。ハロウィンですよ。クッキーをどうぞ」
慣れた動きでクッキーを取り出して少女に渡す。
少女は「ありがとうございます」と怪訝な顔をしながらクッキーを受け取った。
「いえ、涙が出ていますけど、大丈夫ですか?」
「涙?」
そう言われて顔に手を当てると涙がいつの間にか流れていた。
どうやら感傷的になりすぎたようだ。
目の前の少女はリプリィさんとは他人の空似で無関係だというのに。
ポケットのハンカチで涙を拭おうとしたが、汚いハンカチだったことを思い出して、ローブの裾で拭った。
「今の状況は分かりますか? 説明は必要ですか?」
「多分これは全部夢だと思うので不要です。今は日本からタウンティンにあるトナカイの遺跡に召喚されたところですね。ああ、トナカイってのは私が勝手に名付けた名前です。なんでしたっけ? シュブ=ニグラス? とにかく、そいつ。どうせ夢なので、ここを脱出して町に向かおうと思います」
一気にまくしたてると、少年も少女も唖然とした顔をしていた。
「知り合いは来てないですか? モーリスとエリス……
そう尋ねると、少年と少女は顔を見合わせて小声てひそひそ話を始めた。
「俺達の仲間にはいない。そもそも君は何者だ?」
確かにテンションが上がって大切なこと……自己紹介を忘れていた。
「
握手を求めて手を差し出すと、少年が返してくれた。
「見た目が幼くなったパターンか。俺は
「度会? 瑞穂?」
嫌な予感がした。
改めて少女の顔を見る。
確かにリプリィさんに似ているが、それ以上にあの州知事……度会知事に似ている。
「あの、もしかして仲間の方に中村さんとか伊原さんとかおられませんか?」
「ユーコシューコを知ってるのか?」
「そんなお笑い芸人コンビのような愉快な言い回しは初耳ですが、中村夕子さんと伊原周子さんのことですよね」
「もしかしてシューコの知り合いなのか? 同じ魔女っぽいし」
「なるほど、シューコは何か変な能力持ってるもんな。また不思議な力を使って知り合いを呼んだのか」
間違いない。
この少女は若い頃の知事で、横の少年は知事と結婚する前の旦那さんだ。
つまり、ここは俺達が召喚されるよりも50年ほど前のタウンティン。
その時代をベースにした夢なのだろう。
どうやら強くてニューゲームが出来るというわけではなさそうだ。
何しろ、俺は50年前に何が起こったかなど一切何も知らないのだから、この先に何が起こるのかを全く知らない。
どうせ夢なのだ。中途半端なところで適当に目覚めるだろうが、それまでは色々とこの過去の世界を楽しみたい。
「同じ日本人だろ。ついて来いよ、歓迎するよ」
「ユーコシューコの友達なら私とも友達みたいなもんだね。おいでよ、町を案内するよ」
「町というのはパタリ=カンプですか?」
「そこは遺跡近くの宿場町。私たちが拠点にしてるのはアヤクチョの町だよ」
◆ ◆ ◆
さすが夢だ。
遺跡から町まで一瞬のうちにワープした。
余計な描写など不要ということだろう。
若干都合が良すぎるが、便利なことに間違いはない。
アヤクチョの町は良い意味で素朴な感じだった。
俺達の知っているタウンティンはもっと近代的な街並みが広がっていたが、まだこの時代はそこまで科学技術が発達していなかったのだろう。
それでも市場は賑わい、商店には色鮮やかなアルパカの毛糸を編んだであろう服や、カラフルなジャガイモ、豆などが所狭しと並べられている。
懐かしのキヌアや、キウィチャパンなどの食材も見える。
「変わってるでしょ。日本ではこんなの絶対見られないと思う」
「本当ですよ。万博ペルー館のムチョで食べたきりです。そこの露天で売ってるピカローネスは美味しいですよね。コンビニで常時販売してほしいところです」
「日本語で」
そこは夢の中なのだから通じて欲しかった。
「ピカローネスはカモテで作ったドーナツですよ」
「日本語で」
「せっかくなので、本場のあれを食べたいですね。カラブルクラ・コン・チャンチョ・アル・シリンドロ。隣のヨルダン館の入場待ちの時間潰しで食べていたんですけど、あれは本当に美味しかったです」
「日本語で」
「ははぁ、さてはここはペルーじゃないな」
「インカですけど」
おかしい。一生懸命勉強した俺のペルー知識がまるで通じていない。
「それなに? イタリア語? スペイン語?」
「イタリア館には四時間並びました。スペイン館は空いていたんですけど、全体的にオレンジだったなと」
「何言ってんの、この人? 全然分からないんだけど」
「だってシューコの友達だろ」
「そうか、シューコの友達かぁ」
よく分からないが、伊原さんが二人から酷い扱いを受けていることだけは分かった。
「見えて来たぞ。あそこが俺達の拠点にしている場所だ」
度会少年が指し示す先には石造りの塔が建っていた。
サンディエゴに建っていた塔だ。そしてそこの下にあばら家を建てて事務所にしていたのは伊原さんだ。
さすが夢だ。全く別の場所の建物が入り交じっている。
「シューコ、お前の友達を連れてきたぞ」
「おう、入れ!」
建物の窓からにゅっと手が飛び出してきて手招きを始めた。
まず度会少年、若い頃の知事が入り、最後に俺が入る。
そこで待っていたのはスーツ姿で髪を分けた俺もよく知っている、伊原さんの姿があった。
「昔から老けていたんですね」
「誰が老けているものか。これはただの夢にしか過ぎない。夢の魔女である私が他人の夢の影響を受けるものか」
「そうですね、夢ですね」
「それにしてもまあ、懐かしい面子が出てきたものだ」
伊原さんが目を細めて室内に入ってきた度会少年と若い知事を慈しむような目で見た。
少年少女は俺達などまるでいないものとして、何もない空間に会話をしたり、笑ったりしている。
ただ、その声はまるで聞こえない。
まるでテレビ越しに映像を見ているような現実感のなさだ。
二人だけではない。
周りには何十人もの少年少女が集まってゲームをしたり、食事をしたり、談笑したり……そんな映像がうっすらと見えた。
「もう戻らない、過ぎ去った日々」
「これが伊原さんの昔の仲間たち」
「昔の幻影だ。魂も何もなく、ただ過去の光景が記録として流れているだけに過ぎない」
「この中に中村さんはいないんですね」
「邪神に乗っ取られた者の末路だ。潜伏して闇で活動するために、あいつは自らの過去の痕跡を消した。だから、何も残っていない……こんな他愛もない過去の映像からも消える」
伊原さんの言うとおりだとしたら、あまりに悲しい末路だ。
選択を誤ったせいで、中村は何一つ後の時代に残すことが出来なかった。
中村がやらかしたことは決して許されない。
だが、邪神に唆されて暴走したことは同情の余地はある。
場所が突然変わる。
そこは以前にビデオレターで見た場所。
伊原さんの仲間達の墓が立ち並ぶ、海の見える丘陵地。
そこに並ぶ墓の数が増えていた。
比較的新しい墓石が何十も増えている。
墓碑銘は見なくともいい。
見る必要はなかった。
日本に帰った俺達が1年過ごす間に、こちらの世界では100年近い年月が流れていることから分かる。
伊原さんが気を利かせて、俺達の仲間……元日本人の墓を同じ場所に集めてくれたのだ。
この世界に残ったみんなの選択が間違いだとは思えない。
この世界で精いっぱい、それぞれの人生を生きた。
それを他人がとやかく言うのは違うだろうと。
ビデオレターの返事を返せなくてごめん。
夢の中でしか墓参りに来られなくてごめん。
言いたいこと、謝りたいことはいくつも湧いてくるが、それはあえて伝えない。
所詮、これは夢だからだ。
「そういえば、あいつの墓を最近建てたよ。関係者がみんなくたばっちまったから、誰も反対するものはいなかった。まあ、この墓場は忘れ去られつつあるんだが」
伊原さんの言う通り、新しい墓の周りは綺麗だが、古い墓の周りは雑草に覆われていた。
墓石も経年劣化でボロボロに崩れてきている。
「補修しないんですか?」
「しない。自然に還っていくことも必要なんだと思う。私と違ってこいつらは人間なんだから。永遠なんて必要ない」
「それでいいんですか?」
「大切なのは形じゃないと思う。なんにせよ、全てが朽ちて土に還るまでは、この場所は私が守っていく」
爽やかな風が吹き抜けた。
それと共に何人もの懐かしい声が聞こえた気がした。
「じゃあ、そろそろ目覚める時間だな。朝も早いんだろう」
「そうですね。では、また次の定例会で会いましょう」
「ああ」
伊原さんは握りこぶしを作り、右手を頭上に掲げた。
そのポーズには見覚えがある。
かつて知事がタウンティンの港から出航する俺達を見送るために取ったポーズだ。
その後ろに、何十人もが同じポーズを取っているのが見えた……ような気がした。
無言で同じポーズで返す。
ハロウィンの起源と言われている昔のケルトの祭りは、日本の盆と同じく死者が返ってくると信じられており、それを迎えるための祭りでもあったと聞く。
これはただの夢ではなく、もしかしたら、遠いところに行ったみんなが俺を懐かしんで集まってくれたのかもしれない。
真実なんてどうだっていい。
世の中、なんでもプラスに考えた方がお得だ。
「みんな、ありがとう。ハッピーハロウィン!」
視界にある伊原さん以外の全てが虚ろになって消えていく。
どうやら夢ももう終わりらしい。
「友人が風邪を引かないように注意してやれよ!」
伊原さんは最後に意味不明なことを言って消えた。
◆ ◆ ◆
目を覚ますと知らない天井が見えた。
昨晩はうつ伏せにベッドに倒れこんだが、いつの間にか仰向けに綺麗に寝かされて、毛布までかけられていた。
ベッドルームを出ると、カーターがソファーの上でバスタオルだけを腹にかけて寝ていた。風邪を引くとはこのことか。
どうやら俺がベッドを占領してしまったために、そのままソファーで寝ることになったようだ。
しかも、俺の体調に気を使って毛布までかけてくれた。
「本当にこいつはいいやつだな」
バスタオルをはがして毛布をかけなおしてやる。
時計を見ると朝4時30分。
せっかくなので食事の準備を始めよう。
一人暮らしだとろくなものも食べていないだろう。
美味しい朝ごはんで一宿一飯の恩義に応えたい。
「まあ、飯の前に着替えるか。一人暮らしの男の部屋をパンツ一丁ノーブラシャツ一枚でウロウロするのも問題だろう」
とりあえずカーターから借りたシャツを脱いで、カバンを開けて着替えの服を探していたところ、目を覚ましたカーターと目があった。
「オレの部屋にパンツ一丁の痴女がいる?……なんだ、夢か」
「うわぁぁあ! 見るな! 見るな!」
前言撤回だ。
こいつはやっぱり信用できないやつだ。