移動にレンタカーを借りたものの、やはり都内を車移動すると渋滞でなかなか先に進めない。
これに付き合っていては無駄に時間が溶けていくだけだし、助手席にいる伊原さんがいつ爆発するか分からない。
表通りを避けて一本奥の路地に移動させた。
「すまない、ちょっと聞いていいかな?」
「はいどうぞ」
運転中に狭い後部座席に3人寿司詰めになっていたラバン……端島が話しかけてきたので、振り返らずに答える。
「ここって本当に東京なんだよな」
「ここらは渋谷ですね。もうすぐ世田谷ですよ」
「なんかおかしくないか? いや、俺たちの知ってる東京とは別の東京ってのはわかってる」
おかしいと言われても、こちらは兵庫生まれ兵庫育ちだ。
仕事で何度か東京に来たことはあるが、基本的に駅とホテルと会社の往復ルート以外に行ったことはないので、土地勘はない。
あまり突っ込んだ話をされても対応できない。
「わかる範囲内でなら答えますよ」
「町の至る所から変な気配がする。実際に目に見えるわけじゃないが、肌がピリピリするというか」
「端島クンも気付いていたかー」
パインこと梨本が端島に続いた。
「なんだろうね? あの黒いのと同じ魔物の気配があっちこっちからするんだけど、あの時討ち漏らした敵が残ってここまで来たとは思えないし」
「見た目は同じですけど……私たちの知ってる東京と違うんですね」
合田も眼鏡を上げ下げしながら怪訝な顔で窓の外をにらみつけ始めた。
ただ、俺には何も見えないし感じない。
ごくごく普通の東京の町並みが広がっているだけ。
ごく普通の土曜日の午後でしかない。
「春先にあった事件で、今の東京……関東圏には瘴気の元みたいなのが大量にバラ撒かれている」
伊原さんが全然何も感じない俺に代わって説明をしてくれた。
バラ撒かれているというのは、春先に宇宙船からバラ撒かれた黒い「何か」の話だろう。
「いにしえのもの」は伊原さんが
汚染物質を回収する手段がないので、放置して自然に拡散、無力化するレベルまで薄まるのを待つしかないということだったが……
伊原さんも助手席の窓から誰も歩いていない歩道に視線を向けた。
ガードレール沿いに何かがそこを歩いているのを追うかのように瞳が動いていく。
「見えない『何か』がいるんですね」
「瘴気の元は関東全域にばら撒かれたはずなんだが、人が多い場所に集まりやすいんだろうな。霞が関のあたりは薄かったが、渋谷に入ってからは酷い」
「霞が関のあたりは薄いってどういうカラクリなんでしょうかね」
「千代田区周辺には強烈な結界が張られているから、それに守られているんだろう。江戸城の上空なんて、それはもう綺麗な日本晴れ」
なんとなくわかった。
確かにそこはこの日本の中で対魔術的に最も堅牢な作りになっていてもおかしくない。
「念を押しておくけど破るなよ」
「破りませんよ。それよりも、その結界を強化して範囲を広げたら、東京全体を浄化できるんじゃ?」
「できるよ」
伊原さんがあっさりと言ってのけた。
「できるならお願いしますよ」
「やらないよ。それはこの世界の人間が解決する話だ。別の世界の住人である私がどうこうする話じゃない」
「次元の壁は手伝ってくれるのにこちらはダメなんですか?」
「私は運営が痛い目に遭うのを特等席で見たいから協力しているだけだ。それに、邪神が他の次元に干渉してもろくなことにはならないってことは分かっているだろう。人間の問題は人間が解決すべきだ」
伊原さんはそれだけ言うとまたも窓の外をぼんやりと眺め始めた。
中村のことを思い出しているのだろうか?
ただ、無貌の神はもちろんのこと、他の邪神も迷惑だったことは確かだ。
トナカイも存在しているだけで周囲に瘴気を撒き散らすというちょっとした公害だった。
しかも、人間の望みを(歪んだ形で)叶えるというはた迷惑なこともしていた。
善意の協力者を気取っていた
今もこうやって協力してくれている伊原さんも、九州の先輩たちが異世界から持って帰ってきた財宝を雑に換金したせいで、手に入った収入3億のうち、半分以上を税金で持っていかれるというやらかしをしている。
9月に成立した新法で、税務署に申請書を出せば贈与税は全額返金されると総務省の棚橋さんが言っていたが、手続き方法がイマイチよく分かっていない。
先輩たちのためにも、もう少し詳細を聞かないといけない。
しばらく車を走らせると、道路脇に色褪せたテントが付いた個人経営らしき飲食店が見えてきた。
地元看板屋が手書きで書いたであろう洋風料理のロゴが渋い。
軒先にあるショーウィンドウには、やはり色褪せたサンプルが展示されている。
それでいて蜘蛛の巣やホコリなどは見当たらない。
街路樹からの落ち葉も玄関前については綺麗に掃除されているし、暖簾は定期的に交換しているのか真新しく綺麗だ。
この手の店にハズレはあんまりない。
「ここの店で良いですよね?」
「こういう店は地元住民がたむろしていて、よそ者お断りのイメージがある」
「地元民以外お断りの店は入口のところにクレジットカードと電子マネー対応のステッカーが貼られていない。設備投資しているのは、新規客を入れようとしている証拠ですよ」
「そういうものなのか」
そういうものだ。
地元の人間のたむろ場になっている店は設備投資をしないことが多いから、手数料が必要な電子マネーを敬遠気味なところがある。こういう点でチェックするしかない。
あとは、まあ経験と勘だ。
たまに地雷を踏む時もあるが、まあそれはそれだ。
少し離れた場所にコインパーキングがあったので車を停めた。
都内だけあって一時駐車の料金も割高だが、そこは仕方ない。
「やっと着いたか。ずいぶん待たされたものだ」
伊原さんは俺たちのことを気にすることなく、ドアを開けてそそくさと店の方へ向かっていった。
早くも「5人ね、5人!」という声が聞こえてくる。
「皆さんもまずは食事に行きましょう」
狭い後部座席に3人、寿司詰めになっていた端島たちに声をかけた。
「俺たちは金を持ってないんだけど。生活費も一人10万なんだろ。ここで無駄遣いしていいのか?」
「おごりですよ。もしかしたらファミレスの方が好みだったかもしれないですけど、ここは先輩を立ててください」
「先輩?」
「私があなた達の先輩。あそこにいる落ち着きのない女性は、更に1つ上の先輩です」
「聞こえてるぞー!」
伊原さんが地獄耳で察知して即座に反応してきたが、そういうとこだぞ。
「あのニュータウンにいる時も、待機中もたいしたものは食べていなかったでしょう。せっかくだから、おいしいご飯を食べてください」
◆ ◆ ◆
適当に入った洋食店だが、勘は見事に的中。
当たりの店だった。
俺と伊原さんが注文したのは昔ながらの固く焼いた卵焼きが乗ったオムライス。
半熟オムレツをほぐしたものとはまた別の味わいがある。
玉ねぎが効いていて甘いチキンライスは、卵の上からかかったドミグラスソースのコクと合わさってまたなんとも言えない美味さだった。
なぜか付いてくる場違いな味噌汁もいかにも日本の洋食屋らしく良い。
不思議なことに、それほど違和感なく溶け込む。
端島たち3人全員が注文したのは緑が鮮やかなグリーンピースが目立つハヤシライス。
最初こそ緊張して箸……いや、スプーンが進まなかったようだが、いつの間にか綺麗に完食しているあたり、満足度は高かったようだ。
食事を終えた後に車に乗り込んだ。
次に向かう先は3人の下宿先だ。
「最初に聞いていた店とは違って適当に入った店の割には美味かったな」
「長年続いている店にそこまで大きなハズレはないですよ。次はどうします?」
「変則球が二連発だったから、次こそはストレートな日本料理を頼む。寿司と懐石はジジイたちが銀座に連れて行ってくれたから、それ以外の何かを」
そう言われても東京近郊は出張の時に何度か来たくらいでそれほど詳しいわけではない。
一応知っている店でジャブを打ってみることにする。
「山形から東京に出てきた料理人が芋煮を出す店なら知ってますけど、そういうのはいかがですか?」
「芋煮と里芋の煮っころがしの違いがわからん」
「山形の芋煮はたっぷりのゴロゴロ野菜が入った魚介出汁に醤油ベースの野菜スープですよ。里芋を炊いたのとは違います」
「それは美味そうだな。次回までにセッティングしとくように」
気に入っていただけだようだ。
あとで店の営業日、営業時間などを調べておこう。
「待った、芋煮は味噌ベースだろ。肉は豚肉」
ここで端島から異議申し立てがやってきた。
「それは豚汁ではなくて?」
「うちの芋煮はずっとそれだよ。豚汁はまた別にある」
最近に似たような話を聞いたことがある気がする。
本当に日本全国あちこちにあるな、豚汁亜種。
「ということは宮城か岩手か」
「宮城だよ。仙台」
ここにきてようやく端島が初めて、能力とか戦闘とかじゃない話をしてくれた。
「端島クンは仙台生まれかー」
「住んでるのは東京だよ。親の出身地ってだけ」
「なるほどなー」
「私は生まれも育ちも東京だから田舎ってないので羨ましいです」
ずっと無口だった他の2人もようやく話し始めた。
一緒に食事をしたことで少しだけ緊張がほぐれたのか。
そんな感じの雑談をしているうちに、下宿先の住所に到着した。
建物自体は安っぽいプレハブ2階建てのマンション。
外装の傷み具合からして、築30年といったところだ。
入口の銘板部分は乱暴に剥がされた跡が残っている。
だが、表の電柱から光ファイバーケーブルは伸びているし、都市ガスも使えるようなので、そこまで底辺という感じはしない。
住所をスマホで検索すると、どうやら元は企業の社宅だったようだ。
その企業が何らかの理由で社宅を廃止して、それが回りまわって端島たちのような訳ありを泊めるための宿泊施設になったようだ。
駐車場はなかったが、代わりに自転車の駐輪スペースがガラガラだったので、そこに車を停車させてもらう。
「ここって廃墟なんじゃ?」
「雑草は刈られてるし、落書きなどもない。現役の賃貸物件ですよ」
和泉さんから預かった鍵を端島、合田、梨本の3人に渡す。
「まずは部屋を見てきてください。全員2階の部屋が割り当てられているはずです」
「マンションか……ホテル暮らしとかは無理だったのか」
「ホテルも結構高いですからね。それに急に20人以上が1か月泊まれる部屋を調達するのは難しかったんじゃないかと思います」
「まあ万博やってるし、ホテルが足りないって言うもんな」
「万博はもう終わったでしょう」
「何を言ってるんだ? 今もやってるだろう、つくば万博」
「ゆるキャラのポールくんは人気ですよね」
お互いに話が通じなくて首を傾げた。
基本的には地球と端島たちの隣の世界は同じだと思っていたが、こういう細かい違いが無数にあるのだろう。
地球の関西万博はもう終わったと説明すると、3人は低いテンションのままノロノロと車を降りた。
俺と伊原さんも続いて降りる。
そのタイミングで1階の部屋のドアが開いて、中年女性が1人、場違いなほど元気よくバタバタとスリッパの足音を立てながら庭に出てきた。
「上戸さんかい? 和泉さんから話は聞いてるよ」
「はい、上戸佑と申します。こちらは——」
「——ああ、訳あり3人を預かってくれって話だね。ついてきな」
俺の話を待たずに、端島たち3人に合図した。
おばちゃんを先頭に鉄板を溶接しただけの階段をカンカン音を立てながら2階部へ上がっていく。
テンションが低いままの端島が鍵を開けて中を確認すると、外観の薄汚れた印象とは裏腹に、予想外に綺麗な部屋が広がっていた。
ワンルームではあるが、床のフローリングはワックスで綺麗に磨かれて埃ひとつない。
古いながらも整えられた冷蔵庫やベッド、洗濯機などの生活用品が一通り揃っている。
IHヒーターと電子レンジもあるので自炊も十分可能だろう。
机の上にはデスクトップパソコンが一台置いてある。
ちょっとした用事ならばこれで足りるだろう。
トイレと風呂は別室。
そこらのビジネスホテルよりも設備は豪華だ。
「意外とありだな、これ。秘密基地って感じがしていい」
「もしかして私たちの部屋も」
「チェックしてください」
合田、梨本が同じようにカギを開けて部屋の中のチェックを始める。
部屋の構造や備品などは基本的に同じようだ。
「シーツは週一で一階のカゴの中に投げ込んでくれりゃこっちで洗う。それ以外の洗濯物は自分で洗うこと。燃えるゴミは月曜金曜。プラは週1回で火曜」
おばちゃんが手際良く施設の利用案内をしていく。
「1階に黒板があるから、夕飯に
「タオルやトイレットペーパーは?」
「それは自分で用意」
「近くにスーパーは?」
「表通りにあるのはタワマンの客向けだから色々と高いよ。少し歩くと大学があるけど、その近くのスーパーやドラッグストアなら安いのが揃ってる」
「メモ帳ってあります?」
「それなら私が」
3人にメモ用紙とペンを渡すと、それぞれ「あれが必要」とメモを取り始めた。
「私はもう何もしなくて良さそうだな。そろそろ帰るぞ」
伊原さんはそれだけ言うと階段を下りていく。
「もしかして、食事の後にすぐに帰らなかったのって……」
「1人10万で家具家電まで揃えるのは無理だろうし、何か足りないものがあるなら出そうと思ってたんだよ。これだけ揃っているなら必要なさそうだが」
それだけ言うと階段を下りきっていき、そこに突如として出現したドアを開いた。
「また来月」
「ありがとうございました」
伊原さんは片手をあげて、そのままドアと共にいずこかへと消えていった。
◆ ◆ ◆
下着やタオル、ティッシュペーパーなどの日用品は意外と安価で買い揃えられた。
普段に着る服は予算の関係があるので、古着を中心に安く買い揃えた。
少し探せばそれなりの値段で若者向けの服を一式揃えられるあたり、さすが渋谷と言わざるを得ない。
そして、端島たちは、これから寒くなる11月に対応できる厚手の服でかつ、それなりのオサレなものを予算内で揃えた。
俺ならば性能重視でオサレ感など投げ捨ててモコモコの服を選びそうなところ、3人ともうまく機能とファッション性を両立させ、かつ予算内で良いものを見つけ出した。
なんて恐ろしい子たちなんだ。
カップ麺とペットボトルのお茶1ケースは俺からのプレゼント。
下宿のまかないもあるし、予算も1人当たり6万円ほど残っている。
滞在期間は最大で1か月。
30日なら1日2千円ほど使える計算だ。
贅沢はできないが、飢えることはないだろう。
「それで俺たちはどうやって他の能力者を探せばいいんだ?」
古着に着替えてすっかり地味な感じになった端島が尋ねてきた。
「後で和泉さんから連絡があると思いますが、基本的には政府が拠点に使おうとしている場所や要人護衛ですね。能力者はそこに近づいてきて、テロ的な活動を起こす可能性が高いです」
「それ以外の時間は?」
「基本的に自由です。予算内でどこに行くも良し。何を食べるも良し。ただ、皆さんを元の世界に返すゲートができた時に、あまりに東京から離れていると帰せなくなるかもしれないから注意してください」
「それは東京から離れていいと?」
「政府のえらい人たちはあなたたちをこき使うつもりのようですが、私も和泉さんも、そこを縛るつもりはありません」
これだけははっきりさせておく。
事件解決に協力してくれるのはありがたいが、基本的に端島たちは被害者だ。
もちろん命令したり、行動制限をあまりかけたくない。
「逃げるつもりはないぞ。せっかく力を手に入れたんだ。それを無駄に使いたくはない」
「そうは言っても、24時間戦い続けるのは無理でしょう。依頼がない時は適度に休んで体調管理に努めてくださいね」
「でもなぁ」
ここでスマホに着信があることに気付いた。
電話の先は和泉さんだ。
端島たちに断わりを入れた後に通話に出る。
『和泉です。合田さんたちの買い物は終わっていますか?』
「一通り終わったところですが、何かありましたか?」
『ならすぐに探偵事務所の方に来ていただけませんか? どうやら我々が不在の間にやられたようです』
「やられた」という表現から嫌な予感しかしない。
和泉さんが端島たち3人の世話を俺に任せてどこかに行ったのはそれが理由か。
「まさか襲撃でもされましたか?」
『そのまさかです。地下の保管庫が連中……能力者たちに襲撃されました』