荒川の土手沿いもあちこち崩れており、歩きづらいので、代わりにかつて川だった場所を進む。
川もすっかり乾いていてぬかるんでいるということもない。
一部コンクリ舗装された部分もあり、他の場所よりも歩きやすかった。
問題は、川沿いを歩き始めてからすぐに出現した四足歩行する黒い皮膚を持つ犬型の異形だ。
町中に出現した猿のような異形と同じように、頭部の位置にはやはり人間のような歯を持つ巨大な口のみがあり、表皮には体毛の代わりに緑色の苔のようなものが付着している。
町中に出現した猿もどきは警戒心が高く、遠巻きに見守るばかりでなかなか仕掛けてこなかったが、今度の犬型異形は敵意を隠すことなく、堂々と姿を現して襲い掛かってくる。
数も群れで攻めてくるのでかなり多い。
「合田チャン、エンチャント頂戴。足に!」
「爪じゃなくていいんですか?」
「両手だけじゃ手数が足りない!」
「そういうことなら!」
合田が杖をかざして、攻撃力を強化するスキルを発動させると、梨本の靴が青白い光を放った。
「待ってました!」
梨本は飛びかかってきた犬型の異形一体の脳天へ回し蹴りを叩き込んだ。
強化スキルの効果もあり、犬型の頭部はその一撃で粉砕される。
その蹴りの反動で2体目の攻撃を飛び退いて回避。
腕の手甲に付いた金属製の爪をカウンター気味に当て、大きく切り裂く。
流れはそれだけでは終わらない。
華麗なステップで敵陣に飛び込み、まるで中国の舞のような回転を生かした攻撃で次々と犬型の異形を屠っていく。
たまに打撃が浅く、一撃で倒せない場合もあるが、その場合は合田の攻撃スキル、杖の先から出るレーザー光線でトドメを刺していく。
「俺も負けてられるか!」
「端島さんは私のガードをお願いしますよ」
端島も剣を肩に担いで飛び出そうとしたところ、合田に止められて一歩下がった。
護衛が必要である理由を証明するようなタイミングで、梨本の撃ち漏らしが近寄ってきた。
端島は剣を振るって一刀の下に切り捨てる。
「でも、1人であの数は不利だろ。怪我したらどうするんだ」
「梨本さんだけなら自己回復があるでしょ」
的確に攻撃を当て続けている梨本ではあるが、さすがに多対一では分が悪い。
たまに迎撃が間に合わず、犬型の異形が振るう爪の攻撃で傷付いてはいる。
だが、その度に傷は瞬時に癒える。
自己回復という、一定時間自分の傷を癒し続けるスキルが発動しているからだ。
「でも、敵の攻撃に毒があったら」
「毒も治せるんだって」
「なんで、そんなスキルの詳細まで分かるんだよ」
「私が
端島にも、今のように敵が集団で襲ってきた場合の最適解は分かっていた。
遠距離ならば「ドラゴン」で一気になぎ倒せるが、味方が近くにいると同士討ちになり兼ねない端島のスキルは役にたたない。
今回のような状況ならば、梨本が1人で前に立ち、端島と合田がサポートの形が正解ではある。
「端島さんは私を最初に誘ったんですから、責任を取ってちゃんと守ってくださいよ」
「合田さんは強いだろう。梨本さんは弱いから」
「強いでしょ」
「弱いんだよ、合田さんと違って」
そんなこんなで犬型の異形は、10体ほど倒れたところでようやく勝ち目がないと判断したのか、生き残りは足早に逃走していった。
もしかしたら逃げたように見せかけてどこかに潜んでいる可能性も考えて、しばらく警戒態勢を崩さずにいたが、3分経ち、5分経ち。
周囲から完全に気配が消えたことで、戦闘は完全に終了したと判断した。
倒した敵の死骸はゲームのように消えることはなかったので、合田がスキルで焼き払った。
「さすがに疲れたよ。少し休憩ね」
「ああ、ゆっくり休んでくれ」
梨本が近くにあった大き目の岩の上に座り、鞄からペットボトルの水を取り出して飲み始めた。
余裕があるように見せかけてはいるが、相当疲労がたまっているように見えた。
肩で息をしており、張り詰めていた気が抜けた反動からか、手足からは完全に力が抜けきっている。
無理もない。
四方八方から襲い掛かってくる敵の攻撃を避けて反撃という激しい運動を続けていたのだ。
それで疲れないわけがない。
かなりの体力と精神力を消費しているようで、かなり心配だ。
周囲に敵はもういないはずだが、念のために端島だけは剣を鞘に納めず、警戒態勢を続けることにする
「猿と違ってこっちは様子見なしでいきなり襲ってきたな。性質の違いか?」
「それだけじゃないと思います。多分、ここらの敵は戦闘能力を持った相手と戦ったことがなかったのでは?」
「どういう意味だ?」
「探偵事務所を襲撃した犯人たちは、こちらの世界を移動して表の世界に出ていました。逆に言うと、こちらの世界で何度か敵と戦ったことがあると思うんです」
合田の説明で端島にも理解出来た。
襲撃犯やその仲間は町中を移動していたことは確実だ。
その際に戦闘が発生し、猿たちが痛手を被ったことで、迂闊に戦闘を仕掛けたら負けると学習していてもおかしくはない。
逆にこの荒川周辺の犬型の異形は能力者との戦闘経験がなかったため、数でゴリ押せるだろうと強襲をかけてきたということだ。
「となると、今の連中を全滅させずに逃がしたのは正解だったのか? 次からはもう襲ってこない?」
「今の予想が合っていたらの話ですけどね。痛い目に遭ったから注意しようと攻めてこないのか、それとも痛い目に遭わされたから仲間を増やして報復しようとなるか、どちらになるかは分からないので」
「手負いの獣は手ごわいって話か」
スマホで時計を確認するとまだ11時。
適当なところで切り上げたいところだ。
だが、さすがに調査を始めてからまだ2時間で戻ると、文句を言われそうでもあるし、本来の目的地である赤羽に結局たどり着けてもいない。
どの道、表の世界に戻るためには出入り口を見つけないといけないのだ。
再襲撃の可能性も考えると、少なくともこの場所からは移動しないといけない。
スマホの画面を確認すると、埼玉側と東京側、どちらの方向を向いてもアンテナの本数が増える。
ならば、当初の予定通り赤羽を目指すべきだ。
「疲れているだろうが、今日は赤羽まで行って終わりにしたい。まだ頑張れるか?」
「もう少し、ここで休んでからがいいかな? 後で追いつくし、2人だけで先に行ってきて」
「こんな危険な場所に一人で置いてはいけるわけないだろ。歩くペースは落としていいから、出入り口まではもう少し頑張ってくれ」
端島はなんとかなだめて梨本を立たせた。
体力の消耗に繋がる爪付き手甲を外させておく。
再戦闘が発生すると面倒にはなるが、その場合は端島が梨本の分まで頑張るしかない。
「あと少しだ。歩こう」
◆ ◆ ◆
目印になりそうな崩壊した東北本線の橋脚が見えてきた。
そこから、荒川と同じく、すっかり水がなくなっている新河岸川跡を越えて廃墟街……赤羽の街並みへと足を踏み入れる。
水はなくなっても川の形自体は変わっていないので、現在位置を見誤ることはないはずだ。
地図を参考に、環状八号線を東に。
大きな交差点に出たところで南西方向……JR赤羽駅方面へ進んでいく。
広い道を進んでいくという方針は変わらない。
端島はスマホを取り出してアンテナの数を確認する。
電波は半ば崩壊した駅舎周辺で強くなっている。つまり、出入り口は駅の中、もしくは近くの商店街にあるのだろう。
「梨本の実家はどっちの方なんだ?」
「ここ、本当に赤羽かな? なんか全然知らない場所みたい」
梨本の声は明るい。だが、空元気なのが透けて見えた。
疲労だけではない。精神的なゆとりがないようだ。
まるで、周囲の看板や建物の残骸から意図的に目を逸らしているように感じた。
渋谷や練馬のあたりよりも赤羽周辺はそれほど建物は破壊されておらず、意外と原型を留めている。
商店の入り口のショーウインドウのガラスが割れずに残っているくらいだ。
住んでもいないし、ろくに街を歩いたことのない端島や合田には分からない。
だが、地元民である梨本には微妙な違いが分かるはずだ。
果たしてここは元の世界のコピーなのか、それとも似ているだけで違う世界なのか。
端島は改めて白地図を確認する。
「位置関係は合っている。川の形は変わらないからな」
「そっかー。まあでも、ここは裏東京だしね。パラレルワールドみたいなもんだし、私の知ってる実家とは別物すぎて関係ないよね」
梨本は独り言のように繰り返した。
そのまま受け取ると、まるで見覚えがない町。つまり全くの別物ということになる。
だが、どうも様子がおかしい。
道の脇に原型を留めたまま残っている看板をまるで見ようともしていない。
「大丈夫ですか、梨本さん」
「わたしは大丈夫。うん、大丈夫」
「大丈夫そうじゃないぞ」
端島は、梨本の顔色の悪さなどは最初は先ほどの戦闘で体力を使いすぎたのだと思った。
だが、どうやら違うようだ。
明らかに何かに怯えている。
「ごめんなさい、念のため確認させてください」
合田が梨本の顔を見ながら言った。
「同じなんですね、私たちがいた世界の赤羽と」
「それは……」
「土地勘がない私や端島さんには分かりません。だからあえて聞きます。同じなんですね」
合田の質問に対して、梨本は無言のまま足を止めた。
「さすがに別物だとは分かってるよ。召喚されるまでは普通の暮らしをしてたんだから、それが数日でこんな風になるわけないって」
梨本はそれだけ言うと駅前の看板を指さした。
「でも、そこの店……わたしのバイト先がそっくりそのまま残ってるんだよ」
雑居ビルの1階。ケーキ屋の看板が、煤けも欠けもせずに残っていた。
ガラス越しに覗く店内は荒らされた形跡がない。
椅子も、カウンターも、配置さえも。
入口のガラスの扉だけは破損していたが、他は無事だ。
端島は念のために、建物が突然崩落したりしないかどうか、天井などの様子に注意しながら店中に入った。
さすがに大きな地震があったからだろう。
内の床には額縁や割れた花瓶、乾いた造花の茎まで、様々なものが散乱していた。
その上には外と同じく火山灰が入り混じった黒い砂が深く積もっていた。
だが、壁や天井、テーブルや椅子。
おそらくケーキが入っていたであろうショーケースも含めて大きな損壊はない。
何かヒントになればと、端島は散らばった額縁の一つを拾い上げた。
指先で黒い灰を払うと、ガラスの向こうに色あせた写真が現れる。集合写真だ。
写真に写っているのは店長らしき中年男性と、店員たち。
それに小学生くらいの女の子と男の子がそれぞれ1人ずつ。
SNSで若者に大人気という店とはまた異なる、一家で切り盛りする小さな個人経営の店という感じだ。
「この写真だけど」
端島は確認のため、梨本に写真を差し出す。
「やめてよ! ここは全部偽物の世界だよ!」
梨本は突然大声をあげて、端島が差し出した写真を払い落とした。
額縁が床に落ち、床に積もった灰を跳ね上げる。
合田はそれを横目に同じように店の奥の方へ入っていった。
やがて、端島が拾い上げた写真と同じ形状の額縁を拾い上げる。
裏板の留め具を外し、中から紙片を引き抜いた。
眼鏡を上げ下げしながら、その書類を確認した後に端島と梨本2人が見えるように差し出した。
「これは飲食店の営業許可証です。登録者の名前がありますが、その名前は梨本となっています」
「だから、それもコピーでしょ!」
「私たちは真実を確認したいだけです。ここは梨本さんの両親が経営されていた店ですよね」
「だから違うって!」
「ということは……」
写真に写っている小学生くらいの子供は、数年前の梨本本人である可能性が高い。
「なんなの? わたしたちの世界がこんなになったって言うの?」
「そんなわけない。ここは似ているだけで別の世界ってことで間違いないと思う」
町の破壊状況からして、富士山の噴火と大地震で東京が壊滅したことは間違いない。
ただ、川の干上がり方、風化しつつある瓦礫、液状化で地面から地上に突き出したのに乾燥しきっている水道管……
たった数日でここまでにはならないはずだ。
「私の見立てだと、おそらく地震が起こってから10年以上経っていると思います。人の姿が全くないのも、不思議な力で瞬時に消されたとかではなく、どこかに避難したんじゃないかと」
「10年の根拠は?」
「町の状況なんかもありますが」
端島が尋ねると、合田は今度は床に落ちていたボロボロになった紙の束……カレンダーを拾い上げた。
「このカレンダーは月めくり式ですが、10年前の4月の状態で落ちていました。さすがに赤羽の駅に近い店が何年も放置されてるとは考えにくいです」
「カレンダーをここまでめくった後に何かがあったと」
写真に写っている少女が梨本本人だと仮定する。
梨本の今の年齢は17歳。逆算すると5年から8年ほど前の写真だ。
だが、カレンダーの日付は10年前。
地震でこの裏東京から誰もいなくなってから、この写真を撮って店に飾った計算になる。
何一つ噛み合わない。
目の前にいる梨本とは別の誰かが存在しているとしか考えられない。
つまり、この裏東京は自分たちの世界と極めて似ているが、全く別の世界だということだ。
「続いてショーケースの中ですが——」
合田が顎で示す。
ショーケースの中は灰の層が薄い。
乱れた形跡も少なく、空のまま整っている。
「――ケーキとかプリンとか入っていたと思うんですけど、中には何も腐った痕跡もなく綺麗なままなんです。これは、店の人がある程度店内を片付けて、その後に最低限の物を持ち出して逃げたという証明です」
「じゃあ、一応確認してみよう。ここは無人の町で、10年以上前に放棄されている。俺たちのいた世界とはよく似ている世界だが違う世界だ。だから、俺は咎められることなど何もしてない」
端島は前置きした上でレジに向かった。
無人の廃虚とはいえ火事場泥棒をしているようで若干の抵抗があったが、割り切った。
トレイの鍵の部分に剣を当てて破壊。力づくでこじ開ける。
端島が予想した通り、レジのトレイの中には何も入っていなかった。
「金も残っていないし、誰か他人が鍵をこじ開けて持ち去った形跡もない。ここの店の人は戸締りした上でどこかに避難したんだ」
「なんなの……何がなんだかわからないよ」
「今はわからなくていい。俺たちにできるのはこの内容を伝えて、この世界のどこかにいるであろう
時間は13時。
確認したいことは一通り終えた。
完全にパニックを起こしている梨本のこともあり、端島たちは赤羽駅近くの路地にあった出入り口から表の世界に帰還した。
調査の証拠の品は、梨本の店から持ち帰ったカレンダーと営業許可証。
そして異形の写真。
1日の成果としては十分なはずだ。
◆ ◆ ◆
JR京都駅から地下鉄で北山駅まで。
そこから
俺——
紅葉が始まり、多くの観光客で溢れかえる秋の京都は人が多いにもほどがある。
本日の目的は京都を拠点とする魔術組織との接触。
そのために、京都の山の中にある彼らの拠点に向かうことだ。
平安時代から様々な活動を続けてきたその組織ならば、東京の異変を解明するための知識を持っている可能性が高いということで、まずは挨拶のために京都にやってきたのだ——
——やってきたのだが、本拠地の場所というのが、京都市左京区の山の中。
旧
画像検索すると、オフロードバイクやジムニーが泥をまきあげている画像ばかりが出てきたり、途中の道に脱皮に失敗した自動車のガワが転がっている光景が出てきたりと、なかなか治安が悪そうな場所だ。
何故そんなところに魔術組織があるのかというと、要するにそこは牛若丸が育った京の鞍馬の山の中である。
京都の魔術組織というのは鞍馬天狗の末裔なわけだ。
そんな京都の魔術組織の拠点近くまではバスで行けるという話だった。
なので、バス停から少し歩いて人がいなくなる山地部まで移動すれば、あとは箒に乗ってひとっ飛びという感覚でここまでやってきたのだが、残念なことにここは秋の京都だ。
町の中だけではなく、今から向かおうとしている山地部にも人が溢れている。
実際、バス停の前には何人もの外国人観光客がいる。
半分以上は途中の貴船神社か鞍馬寺で降りてくれると思うのだが、スポーツウェアに登山杖、バックパック装備の登山ルートを歩くつもり満々の外国人観光客も多い。
こんな観光客だらけの状況でうかつに空を飛べば目立ちまくるだろう。
否、観光客の中に一人だけスーツ姿で大きな竹箒を背負った現状、既に目立ちまくっている。
「アニメ? コスプレ? マホーショージョ?」
スマホを構えた外国人観光客が話しかけてながら写真を撮ってくるのがつらい。
「ノーコスプレ。アイアム、ウィッチ」
「何のアニメ? アニメは今期も10本見てます」
「日本語上手ですね」
「留学生です。日本に3年います。何のアニメ? それともソシャゲ?」
「ふぇいとぐらんどおーだー」
嘘をつきました。
アビゲイルさんとは面識ありません。
ダメだ。もう諦めて帰りたくなってきた。
「失礼のないようにスーツで来たのは失敗か? ハイキング用のウェアか何かの方が良かったか?」
誰か京都の魔術協会の人がたまたま車で通りかかって乗せてくれないだろうか?
何なら
たまたま通りすがって、不思議な力で京都の山の中まで連れていってくれないだろうか?
そう願うも、世の中そんなに甘くない。
無情にも紅葉シーズンの京都ではありがちの満員バスが到着し、立ち乗りを強要された。
俺の背負った箒が先ほどの観光客の顔に当たり、お返しとばかりに登山杖が腹に当たる。
貴船神社と鞍馬寺で大半の客が降りるまでこの地獄は続いた。
バス停花瀬峠までは残り30分。