端島、合田、梨本の3人は下宿の管理人室に集まっていた。
込み入った話になる以上、そこらの喫茶店を選ぶわけにはいかない。人目も耳も多すぎる。
しかし、割り当てられた下宿の部屋は1ルームだ。3人が入り、腰を据えて話をするにはやや手狭だった。
したがって、下宿の管理人室を借りることにした。
普段まかないの食事を用意していただいているダイニングならば4人が席についても余裕がある。
管理人のおばちゃんには事情を伏せ、1時間ほど買い物に出てもらっている。
「ハーブティーとか出せたら気が利いて良かったんだと思いますけど、いつものほうじ茶です」
合田がポットの湯を手際よく注ぎ、3人分の湯呑みにほうじ茶を入れた。
こうばしい香りが室内に広がり、張り詰めた空気がわずかだが緩んだ。
そんな仲、梨本は俯いたまま、無言で湯呑みに立つ湯気だけを見て無言で座っている。
今のところ梨本に逃走や暴力の兆候はないため、拘束はしていなかった。
もし暴れたとしても、2人がかりなら取り押さえることはできる。
梨本もそれが分かっているのか、もう抵抗しようとはしていない。
「まあお茶でも飲めよ」
「ここでお茶をすすめるなんて、端島クンってやっぱり変だよ」
梨本は小さく笑い、すぐにその笑いを引っ込めた。
端島は一度息を吐いて、椅子の前にしゃがみ込む。
目線を合わせるためだ。取り調べのように上から見下ろしたくなかったというのもある。
「まず言っておく。俺はお前の仲間だ」
「いきなり何の話?」
「状況の整理からだ。別に俺たちは梨本と敵対したいってわけじゃない。仲間だろ」
端島は少しでも気をほぐすために、テーブルの上に置いてあったお菓子の袋を開けた。
自分では買わないが、親戚の家に行くと何故か常備されている、あられや豆などが入った詰め合わせである。
小袋の中から乾燥豆をひと粒摘んで口の中に入れる。
「美味いぞ、梨本も食え」
「……ねえ、どういう空気でそれを食べてるの?」
梨本が困惑した調子で答えた。合田は何も言わない。
「別に取り調べじゃないんだし、いつもみたいにもっと軽い感じで話してくれよ。ただ、俺たちは真実を知りたいだけなんだから」
「でも……」
「話したら死ぬってわけでもないんだろ。別に怒らないから知っていることを教えて欲しい。あの機械はどこで手に入れた?」
端島は梨本が持っていた円筒形の謎の機械について尋ねた。
合田が「通信機」と呼んだものだが、実際のところ、詳しい機能などについては何も分かっていない。
そのまま梨本に返すわけにもいかず、だからといって「ドラゴン」に延々と抱えて飛び回らせるわけにもいかない。
なので、今は近くにある街路樹の枝の上に置いている。
下宿の部屋とはかなり距離があるので、もし本当に通信機だったとしても、この会話を傍受され、密かにどこかへ送信される危険は極めて低いだろう。
梨本は少しだけ目を逸らしたが、観念したのか大きく深呼吸をした。
「最初から持ってた……多分わたしだけじゃない。何人かに同じものが渡されてたんだと思う」
「最初って? ……もしかして、俺たちが召喚されて能力を与えられた時から?」
「そうだよ。端島クンたちが言うところの『黒幕』からの贈り物。そもそも、全員これを持ってるもんだと思ってたよ。そうじゃないと分かったから今まで隠していたんだ」
「黒幕」……普通に暮らしていた端島たちの姿を変えて別の世界に召喚。
そこでそれぞれに殺し合いをさせる……デスゲームへの参加を強制させた謎の存在。
「ここから定期的にゲームの攻略に必要な情報が送られてきたんだ。最初は能力のヒントだけだったんだけど、だんだん具体的な話が流れるようになった。わたしはそれを聞いて動いていた。スパイみたいなものだよ」
「スパイではないと思います。それだと行動が行き当たりばったりすぎます」
「スパイ」という言葉を否定したのは梨本ではなく、横で聞いていた合田だった。
「端島さんが梨本さんを誘ったのはたまたまですし、言っては悪いですが、端島さんは突出した能力があるとか、実は物語の主役とかそういうのではないです。なので、スパイをつける理由が見当たりません」
「待ってくれ、俺はSSRで、能力者の中でも選りすぐりなんだぞ」
「今はそういう話はしていないので、少し黙っていてください」
合田にピシャリと言われ、端島は反射的に口を開いたまま固まった。
「でも」
「後にしてもらえませんか?」
端島は言い返そうとしても言葉が見つからず、視線だけが宙を彷徨う。
無意味に左右をキョロキョロと、助けを求めるように見回したが、他に誰も味方などいないことに気づいて口を噤んだ。
「これは和泉さんや上戸さんから聞いた情報や、今の梨本さんの話を私なりにまとめて出した推論です。多分、通信機はおそらく
「俺は貰っていないぞ」
「ですから数人です。端島さんは対象外ですよ」
「何のために? 俺を除外するのも分からない」
「突然に魔法みたいな能力を与えられて変な世界に投げ込まれたとしても、それだけで普通の倫理観の現代人が殺し合いなんてするわけないでしょ。だから、ゲームをスムーズに進行させるためのサクラ役が何人か選ばれて通信機が渡された」
合田の口調は淡々としていた。
推論というより、既に形になった結論を順に並べているようだった。
逢坂は黒幕から何かの情報を受けて動いていた節があるという話は前に和泉が言っていたので、それがヒントだったのかもしれない。
梨本はその指摘を受け、言い返すでもなく無言で頷いた。
「なら当然、その通信機から吐き出される内容は全部デマ。私たちを扇動するために加工された情報だと考えるべきです。無視して良いと思います。むしろ信じるべきじゃない」
「無視なんてできないよ!」
今まで無言か小声で呟くだけだった梨本が急にテーブルを強く叩きながら立ち上がり、声を荒げた。
「無視して良いんですよ。裏東京……あちらの世界の情報を聞いたのは最近の話ですよね」
「なんでわかるの」
「私たちがニュータウンにいた時と、ここの下宿にお世話になってからの梨本さんの態度が違いすぎるからです。内容としては、私たちの世界は実は滅んでいて、この世界にテクスチャとして重ねられた。そんな感じの内容だと思います」
「そんなことない! まだ崩壊してないこの世界に私たちの世界の情報を上書きすれば、全部元に戻るって!」
梨本の必死な表情が、いかに彼女が精神的に追い込まれているかを証明していた。
そんな魂からの叫びだった。
しかし、それを受けても合田は眉一つ動かさなかった。
長い説明をして乾いた喉を潤すために湯呑みに手を伸ばす。
反応としてはそれだけだ。
「戻りません」
「でも戻るって! なんでそんなことを合田チャンが言い切れるの?」
「冷静に考えてください。まず時系列からしておかしいです。私たちがこちらの世界に召喚されてから、せいぜい2週間です。その間に地震が起きて富士山が噴火して町によく分からない怪生物が湧いて……そもそも、あれだけの大地震があったとして、余震が収束するまで何年かかると思うんですか?」
「――それは、空間を越えた時に時間もおかしくなって……」
「時間軸がおかしくなったというのはあり得るかもしれません。既に不思議なことが起こっているんですから、そこは認めましょう」
「ほら、やっぱりおかしいんだよ」
梨本はなんとか言い返したつもりのようだが、その表情に全く余裕はない。
「ですが、あの裏東京の町は全部壊れていました。だから、その情報を上書きしても、この世界の町が壊れるだけだと思うんです。それに、もし形だけが私たちの世界と同じになったとしても、それは私たちの帰るべき故郷じゃないです。似てるだけの別物です」
「それは……」
梨本の声が小さくなっていく。
合田に指摘されて通信機から流れてきた情報と現状に矛盾があることに気付いたのだろう。
端島も特にこの世界を書き換えたところで、自分たちの故郷ではないという点には同意しかなかった。
ただよく似ているだけの別の町があったところで、何一つ問題は解決しない。
「それに、あの裏東京に重ねられた世界の住民が何万人も死んだとは思っていません。根拠の一つとしては車の数ですね。普段の東京の渋滞状況を考えると、あの世界に残っていた車の残骸は数が少なすぎるんです」
「それは俺も思っていた。東京の車が全部残っていたら、あの広い幹線道路を歩けるわけないんだ」
端島は和泉への報告のために写真を撮影していたので、そこは覚えていた。
裏東京の車の残骸は、普段の東京の幹線道路の渋滞を考えると明らかに少なすぎた。
災害から長期間放置されて朽ちたとしても、もう少し残骸は残っているはずだ。
破損した車の数はそれほど多くない。
そう考えた方が理屈は通る。
「そういや駅の周りも歩いたけど電車の残骸もなかったよな」
「多分、ほとんどの人たちは、車か電車に乗ってどこか別の無事な地域へ避難した後なんでしょう。現地に残されたのは、みんな避難して人がいなくなったので放置された事故車と故障車だけ」
「事故ったから、道の脇とか変なところばっかりに残ってたのか」
「もう一つの根拠としては、梨本さんの実家の店のレジとショーケースです。あのレジは荒らされた痕跡もなかったのにお金が入っていませんでした。ショーケースも片付けられていたことから、避難にはかなり余裕があったことを証明しています。少なくとも突然の災害に何も出来ずに消えたという印象はありませんでした」
梨本はもう返事をしなかった。
理解が追いついたのか、追いついたからこそ言葉が出ないのか。
実際に3人で歩いたあの裏東京には誰かが死んだ痕跡はまるで見当たらなかった。
死体はあの異形の怪生物が処理したとしても、血などの痕跡が残っていないとは思えない。
東京だけで1千万近い人間が住んでいるはずなのに、何も残っていないのは逆に不自然だ。
それこそ、人間だけが塵にでもなって空気に溶けない限りは不可能だ。
「どうして私たちに相談してくれなかったんですか? 一人で悩まず相談してくれたら、梨本さんや……逢坂に乗せられて何かをやらかしている人たちをかく乱するための嘘だとすぐに分かったのに」
「でも、わたしたちは、ただの打算で集まったチームだし。わたしのことも信じてないんでしょ」
「最初はそうだったかもしれないけど、俺たちはもうチームだ。信じてくれよ」
「まあ端島クンは単純だから信じても良いかもしれないけど」
「オイ!」
端島は形の上だけでは怒ってみせたが、梨本の軽口が返ってきたので、少しだけ安心できた。
「繰り返すけど、俺たちはチームなんだ。他の連中がどう言おうと、俺は梨本も合田も信じている。大切な仲間だと」
「私のことも信じてください。嘘がなければ見破ったりしませんよ」
「ごめん、合田チャンのことは信じられない」
「ならそれでいいです。お互い信じられない関係ですけど、打算で仲良くしましょう」
合田が握手のために手を出した。
梨本がその手を取り、更に端島がその上に手を重ねた。
「打算でもなんでもいい。だから元の世界に帰るまでは仲良くしてくれ」
「まだ打算なんだ」
「私たちは出会ってまだ一月も経っていないんですよ。ゲームの攻略以外のプライベートのことなんてろくに話したこともないし」
「じゃあ、今日の夕飯の時に暴露会でもするか」
「なにそれ?」
ようやく梨本が笑顔を見せた。
これで元通りだと端島は胸の中で呟いた。
少なくとも、今はそう思いたかった。
「あのバーテンダーもそうだったけど、多分、逢坂の仲間たちも梨本と同じように騙されているんだと思う。だから、そいつらも止めないといけない。力を貸してくれるか?」
「でも、わたしはスパイをやったようなものだよ」
「あの探偵連中に気付かれなけりゃ何も問題ない。通信機も潰してしまって、そんなものはなかったと言い張ればいい」
「でも、あの通信機はちゃんと分析してもらった方が、逢坂を追い詰めるためにも良いと思うんですけど」
合田の指摘を聞いた端島が眉をひそめた。
梨本を守るには通信機を壊して全部なかったことにしてしまうのが手っ取り早いとも思ってしまう。
全部説明するとなると、色々と厄介だ。
「そのためには一連の話を探偵……和泉さんに伝えるって話になるんだが」
「報告は必要だと思います。その上で説得するんです。私たちが見張っているからもう大丈夫だって」
「……まあ、後で隠していたことがバレて、怒られるよりはマシか」
端島と合田の中で、これからの方針は固まった。
まず、和泉には今聞いた話の報告を行う。
その上で、梨本を含めた3人で調査を継続させてもらうように頼む。
今まで探偵たちに協力する理由は中途半端なものだったが、これからは違う。
自分たちの仲間が騙されているのならば、それを正したい。
もし、調査の継続を拒否されたら、そのまま3人で調査活動から離脱して、帰還の日まで何もせずにひたすら待つ。
ただ、そうはならないだろう。
和泉は手が足りないと言っていたし、まるで話が通じないタイプでもない。
きちんと流れを理知的に話せば理解してもらえるはずだ。
「……2人ともそれでいいの?」
「何度も言わせるなよ。俺たちは仲間だ」
そのタイミングで管理人室の玄関ドアが突然勢いよく開いた。
ドアの前には荷物を大量に抱えた下宿の管理人のおばちゃんが両手に大量に荷物を持って立っていた。
派手にドアが音を立てて開いたのは、足で開けたからのようだ。
「ちょっと手伝っておくれ。買い物袋がいっぱいなんだよ」
それを聞いた端島が玄関まで出て行って袋を受け取った。
合田と梨本もそれに続く。
「その顔だと、打ち合わせってのはうまくまとまったのかい?」
「はい、明日からは梨本も復帰します」
端島は迷うことなくはっきりと管理人に伝えた。
「それは良かった。じゃあ今日はごちそうしなきゃね。まあ、いつもの賄いなんだけど。野菜を炊いたのに味噌汁とシャケとご飯。あと漬物」
「あの……わたしも手伝っていいですか?」
照れくさいのか梨本がおずおずと管理人に申し出た。
さっきまでの必死さが嘘のように、声が少しだけ丸くなっている。
「それなら助かるよ。とりあえず野菜を洗って皮を剥くところからね。そっちのあんたは飯を炊く」
「私もですか?」
自分は関係ないという顔をしていた合田がわずかに目を見開いて声をあげた。
「当然だよ。自分たちの食事は自分たちで作るんだよ。別に飯を炊くくらいどうってことないだろ」
「まあそうですけど」
「合田チャンは家事は苦手だもんね」
「仕方ないでしょ。今までやったことなかったんですから」
◆ ◆ ◆
週末前の木曜日。
週末に向けて職場で大量の書類と格闘中の俺――上戸佑に和泉さんから連絡が入った。
他の会社の同僚に会話を聞かれるとゲームの話をしてサボっていると思われるかもしれないので「はいお世話になっております」とさも取引先からの通話のふりをしながら無人のミーティングルームに移動した。
なんでも、裏東京を調査中の3人が、表の東京なら東京タワーがある筈の位置に、全く別の巨大な鉄塔が立っているのを発見したようだ。
一時期梨本さんが体調不良で抜けていたようだが、無事に復帰できたようで喜ばしい限りだ。
発見された鉄塔の内側には円筒形の細い塔があり、はるか上まで階段で登っていける構造になっていたという。
塔の外側から見ると、20メートルから30メートルごとに展望台のようなスペースがあるのが見えたらしい。
他の建物は現実世界にも存在する廃墟ばかりなのに、その塔だけが明らかに異質だったので、端島たちが自主的に調べようとしたが、内部にはどんな罠が仕掛けられているか不明なため、和泉さんがストップをかけたという話だった。
『東京タワーの代わりにそんな塔が立っていることについてどうお考えですか?』
そうは言われても現状は情報不足すぎる。
前置きした上で自分の考えを伝えることにする。
「仮説は2つ。1つは実在の東京タワーと同じく、電波塔……何かの命令送信施設として使用しているパターン」
『保土ヶ谷の公園に作られているという施設と関連しますかね?』
「情報が今の話だけですので断定は出来ませんが、その可能性も視野に入れたいところです」
カレンダーを見ると、週末からは勤労感謝の日を含めた3連休だ。
初日には柿原さんたちが保土ヶ谷の公園でボランティアの清掃活動ついでに、運営が何かを企んでいるであろう工事現場の調査を予定している。
その調査と合わせれば、もう少し何か分かるだろう。
「続いてもう1つの可能性。『運営』がやっていることは、基本的にエンタメです。だから、自分たちが参加者に倒されることもゲームの一部であると考えている節があります」
これは俺たちが参加させられた異世界での戦いもそうだった。
わざと現代の地球で軍事基地になっている場所に拠点を設けて、参加者がそこを攻めてゲームマスターを倒すことも含めてゲームの演出として考えているということだ。
裏東京が同じ方針で作られているとすれば、そのような建物を用意しているというのは十分考えられる。
「ですので、自分たちの拠点であると分かりやすくアピールするという意図が考えられます。エンタメとして参加者に攻略させるためのラストダンジョンみたいなものですから、強力な敵が配置されている、凶悪な罠が仕掛けられているなどは考えられるでしょう」
『あの3人だけに任せるのは危険である可能性が高そうですね』
「内部の構造さえわかっていれば、外から塔ごと破壊するのが手っ取り早そうですが、そこは現地で情報収集してからで良いでしょう。3人には手を出さないよう連絡をお願いします」
『既にそう伝えており、今は他の地域の探索をしてもらっています。具体的には逢坂の潜伏先の情報が他にないかなどですね』
それならば良かった。
内部にどのような仕掛けがあるか不明な以上は、こちらもなるべく戦力と準備を整えてから攻め入りたいところだ。
さすがにその塔を攻略したところで裏東京がなくなるという性質のものではないだろうが、調査だけはしておきたい。
『それで今回片倉さんは?』
「一応呼んではいますけど、結婚前で全てがフラグになりそうなので、あまり前面には立たせたくないんですよ。裏方でお願いします」
『うちの麻沼も同じですね。さすがに無理はさせたくないので、裏方を任せようと思っています』
和泉さんも同じ考えのようだった。
さすがに人生の大きなイベントを控えている今の時期に無理はさせたくない。
これは高校生組も同じだ。
みんな受験で大変なのだろうから、無理はさせたくない。
本当に力を借りるべき事態にならなければ、連絡もしない方が良いだろう。
「では明後日は案内をお願いします」
それで和泉さんとの通話を切って自分の席に戻った。
改めてカレンダーを見直す。
既に現時点から年末に向けて、カレンダーには大量の書き込みが埋まっている。
本業の方も仕事がどんどん雪崩込んできて忙しくなる。
オマケに年末は3泊4日の贅沢旅行も計画しているのだ。
これらの問題を全部解決しないと、安心して旅行に行くことが出来ない。
それまでになるべく早く事件を解決したいところだ。