踏み出した先……世界の色がごっそり抜け落ちたような場所だった。
元の世界を参考にしたようで、微妙に似ていない。
普段通りなら聞こえるはずの生活音はもちろん、野鳥の声すら聞こえない。
臭いも何もない。
外にいるのか、それともどこか大きな建物の中を歩いているか定かではない。
空は墨を溶かしたように黒く、それなのに視界は確保されていた。
周囲には、巨大な黒い水晶の結晶のようなものが地面からいくつも突き出している。
表の世界だと何か建物がある場所に存在しているようだが、正体は全く不明だ。
確証を持てない。
「学校の旧校舎とずいぶん違うんだな」
端島は率直に言った。
「廃ビルみたいな景色じゃないんですね」
「このパターンは私たちも初めてかな。まあ、そんなに多くのパターンを知ってるわけじゃないけど」
合田と柿原がそれぞれ答えた。
矢上が地面をつま先で軽く蹴ると、音もなく白い粒子が舞い散った。
「裏の世界は、どこも同じじゃないみたいだな。公共施設の地下と、表の住宅街の裏では別物か」
和泉が冷静に言いながら、懐中電灯を点けた。
光は拡散せずに一直線で伸びる。
「この空間は何だと思う?」
「第三世界にあった裏世界は、元の世界にテクスチャみたいに重ねられた別の世界だと聞きました」
和泉の疑問に合田が答えた。
「そうなると、また世界を合成しようとしている、例の塔みたいなやつがいるってことだ」
話を聞いていた松葉が、右の拳を左手のひらに打ちつけた。
「あんた、まだ懲りてなかったの?」
「もちろんだ。今度こそそいつの制御を得る」
船木が呆れるが、松葉はまだ諦めていないようだった。
「その話は後だ。とりあえず、そいつを見つけ出さないことには先に進まないわけなんだから」
「そういうことだ。それまでは共闘だ」
端島も松葉を信用してはいない。
それでも、松葉も世界崩壊してしまっては困るという事情は同じだ。
第三世界の時と同じく、しばらくは共闘できるだろう。
「さて、と」
柿原が
ライフルの形をした雷の神が、音もなく柿原の手に収まる。
「セオリーは学校の旧校舎と同じでいいでしょ。迷わないように目印をつけながら進んでいくから」
銃口が地面に向いた。
轟音と共に稲妻のような光の筋が走り、白い地面に焦げた穴が穿たれる。
「私一人だと大変なので、交代で目印を付けていって」
「能力を使わなくても、あんたの剣でガリガリやればいいんじゃない?」
船木が端島の肩をつつきながら言った。
「駐車違反のチョークじゃないんだぞ」
「でも、これだけ人数がいるのに、物騒な武器を持ってるのってあんたと梨本だけでしょ」
「俺の剣は能力で出し入れ出来ないから仕方ないだろ」
「はいはーい、そこ。いきなり脱線しない。一応はここは敵が出てくる空間のはずだから、注意はしてね」
柿原が注意すると、端島と船木は口をつぐんだ。
「方角は分かるのか?」
「一応地元民だからね。山方向に上っていって頂上に着いたら、今度は海が見える方向に向かっていけば横須賀に着くと思う……多分」
「多分か……」
「この裏の世界が表と完全一致という保証はないからね。だから、通った道のルートを残すために、目印をつけていくってわけ」
場所は違うとはいえ、裏の世界の探索経験者の柿原がそう言うのならば信じるしかない。
一行は、出現するという敵に警戒しながら、縦に並んで歩き出した。
ペースを作ったのは柿原だった。
適度に進むごとに振り返って目印をつけることを促す。
能力を使わなくても武器で地面を抉ったり、黒い水晶に傷を入れられる端島と梨本が目印をつけていく。
律儀に道標を刻みながら歩く姿は、山道で赤テープを張り続けるベテランハイカーに見えた。
◆ ◆ ◆
上り坂を登り切ると、急に視界が開けた。
下り坂の向こう側……遠く、地平線のあたりが黒く滲んでいる。
色こそ違うが、海だ。
「見えた。あの方向だな」
「多分、あれは表だと八景島だから、もうちょっと南かな。あの黒くて四角い塊がいっぱいあるところが、カスエレの工場だと思う」
端島は目を細めた。
上り坂の山道がだいたい2キロほど。
元の世界の距離感で言えば、ここから香住エレクトロニクスまでは約6キロ。
裏の世界でその距離がそのまま通用するかは分からないが、方向は一致している。
その場所に、あちこちに突き出している黒い結晶とは明らかに異なる、四角い何かがあるのが見えた。
「意外と近いな」
「歩けば結構あると思うけどね。まあ、道は合ってるみたいだし、進みましょう」
下り坂を進んでいく途中で最初の敵が現れた。
木の幹のような輪郭をした影が、地面から生えてくるようにして立ち上がった。
表面は漆黒で素材も凹凸もはっきりせず、影としか言いようがない敵だ。
数は一体。二体。三体。
「初めてのパターンね」
「和泉さんが戦ったという敵はこれですか?」
「違いますね。以前のものは人型でした」
矢上の問いに和泉が答えた。
冷静にその影を観察している。
「形状は違うものの、性質は同じ。この裏の世界に棲む何かと見るべきでしょう」
「じゃあ俺たちが侵入者か」
端島と梨本は武器に青白い光をまとわせながら前に出た。
「案内は横浜組に任せている分、戦闘くらいは俺たちがやるぜ」
「じゃあ、一体ずつ?」
「じゃあ、横浜組からも一人出よう」
新坂が右手の木刀を構えながら、左手だけで器用にオイルライターに点火した。
その傍らに、隼の頭部をした筋肉隆々の怪人……ホルスが姿を現す。
「後方支援は?」
「敵に援軍が出たら頼む」
影は波のような動きで向かってきた。
だが、戦闘に慣れた端島たちの敵ではなかった。
端島が剣で切り裂き、梨本が拳を叩き込み、新坂が木刀で牽制したところに、ホルスが杖を振り回して叩き潰す。
戦闘は三十秒も掛からずに終わった。
「前衛がいると楽だな」
松葉が後ろで腕を組んだまま言った。
船木がじとりと目を細める。
「参加してないのに評論家になってる」
「オレはオレの仕事をする。手が要る時に動けばいい」
言い返す間もなく柿原がまた地面に目印を刻んだ。
一行は先へ進んだ。
◆ ◆ ◆
海らしき黒い平面の手前に、それは建っていた。
四角い。
継ぎ目のない、つるりとした黒い直方体。
窓もなく、扉の区別もない。
大きさだけは確かで、六階建てのビルほどはある。
「豆腐だ」
梨本が言った。
端島も同じことを考えていたので、否定しなかった。
ただ、その周囲には先ほどとは別の種類の影が揺れていた。
人の形に近い。輪郭がぼやけて、立っているのか浮いているのかも判然としない。
「前に現れたガードマンの仲間か」
「そのようですね」
既に交戦経験のある和泉と松葉が構えた。
「数は?」
「全部で七体です。こちらに気づいている様子はありません」
友瀬の背後には赤い孔雀、アルゴスが現れていた。
そして手前には半透明のコンソールが浮かび、敵の情報を示している。
「見張りか。正規ルートで乗り込めそうか?」
端島が建物を眺め回したが、扉らしいものはやはり見当たらない。
「正規ルートがどこかも不明です」
「合田、入り口はわかるか?
「この距離だとさすがに……もっと近くで調べないと分からないです」
合田が眼鏡を上げ下げしながら答えた。
「まずは目の前の敵を片付けましょう。調査をするにも、安全を確保してからです」
和泉が影たちを指さした。
影たちはほどなく気づいた。
黒い靄が波打ちながら一斉に向かってくる。
今度は全員が出た。
端島、梨本、矢上、新坂が前衛。
柿原が中衛から遠距離支援。
松葉が召喚したモンスターが側面を固め、船木の使役する獣が抜けてきた影を刈る。
和泉は歩法で影の背後を取り、一体ずつ丁寧に潰していった。
友瀬は援軍が来ないかの哨戒を続け、その間に合田は黒い豆腐に出入り口がないか調査を続けていた。
熟練した戦闘要員八名による蹂躙。
影を全て倒すのに、一分もかからなかった。
「出入り口は見つけましたが、鍵がかかっているみたいですね」
「ならば、強引に行こう。どうせこっちの世界じゃ苦情もこないだろ」
黒い壁に向けて、端島と梨本が攻撃を加えると、あっさりと砕けて、内部への穴が開いた。
◆ ◆ ◆
中は迷路になっていた。
通路が格子状に走り、どこも同じ見た目をしている。
「そこで、オレの調査結果が役に立つというわけだ」
松葉が勝ち誇ったように前に出た。
「表の世界で、この施設の中にカメラを潜入させて内部構造は把握している」
「なら、友瀬さん、ここのマップを作って出してみて」
「わかりました」
友瀬の目の前に浮かんだ半透明のコンソール上に、まるでRPGゲームのマップのような画像が浮かび上がる。
「なら、地下への最短ルートはこれだな」
松葉がそのルートを辿って、正解を導き出す。
「本当に信じて大丈夫なの?」
船木は松葉が示したルートを疑っているようだった。
「オレが実際に調査をした。間違いはない」
「私も動画は見ました。概ね合っていると思いますよ。ここ以外は」
和泉が一か所だけ松葉が示したルートを修正した。
「では行きましょう。敵には十分警戒するように」
「この人数がいれば、少々雑魚が出たくらいはどうってことないだろうけどね」
そこからは速やかだった。
迷うこともなく、敵が出てきたら全員で即座に仕留める。
地上にいた影よりは強いことは強い。
剣だけの勝負ならば、端島や新坂のホルスが競り負ける。
格闘特化の梨本が割って入り、戦況が五分になったところで、矢上が決める。
少人数での攻略ならば苦戦していただろう。
だが、それぞれがフォローするので、さほど時間はかからなかった。
三十分ほどで下向きの階段を見つけ出した。
「妙にサクサク進みすぎて怖いんだが」
「人数も能力も余ってますからね。こんなものですよ」
一行は地下へと降りて行った。
◆ ◆ ◆
地下には、上層とは打って変わって広大な空間が広がっていた。
天井が高く、空間全体が薄い光に満ちている。
壁の一面が、何か異質な質感をしていた。
表面がわずかに揺らいで見える。膜のようだ。
だが、そこには何もない。
地上のあちこちに生えていたような黒い水晶もなく、それらしい機械などはどこにもない。
敵すら出現しない状況だった。
「なんだこれ? 怪しいだけでハズレか?」
「裏の世界には何もないってことなんでしょ。ここから表の世界に戻るための出入り口を見つけないと」
柿原は合田の方を見た。
「頼める?」
「もちろんです」
合田の眼鏡がひときわ強く光った。
今度は合田を先頭にゾロゾロと歩いていく。
しばらく歩くと、合田が足を止めた。
一見すると何もなさそうな壁を叩く。
「分析不可の反応。それも強いです。ここから向こうは表の世界と繋がっています」
「繋がっているということは、向こうに出られるということですか?」
和泉の問いに合田は首を振った。
「出るのは簡単だと思います。入る時と同じで、ノブを回してドアを開ければいいだけですから。でも……」
「外の状況が分からないと」
「はい。外に出た途端に、巡回している警備員に鉢合わせというのも考えられます」
和泉は腕を組んだ。
ここまで来て、壁一枚隔てた向こうを素通りするわけにはいかない。
「向こうの様子を見る方法はある?」
誰にともなく尋ねると、友瀬が静かに一歩前に出た。
「やってみます」
使い魔のアルゴスを呼び出す。
出入り口に向かうと、小さな目玉のようなものがいくつも、赤い孔雀から飛び出した。
それらは、壁の向こう……表の世界へと潜り込んでいく。
そして、友瀬の前に半透明のコンソール板が浮かんだ。
そこに映像が現れる。
全員が息を呑んだ。
映し出されているのは、白い壁と銀色の設備で覆われた、どこかの施設内部だった。
樹脂コーティングされた床の上に、様々な機械が並ぶ光景は、工場のように見える。
香住エレクトロニクスの工場なのだから機械が並んでいるのは当然だ。
だが、普通の工場にはない不自然なものまで並んでいた。
壁際に、天井まで届くような透明なカプセルが等間隔に並んでいる。
カプセルの中には何かが入っていた。
人ではない。
人の形はしているが、そうではないものだ。
ただ、映像が暗くてはっきりしない。
「明るくできない?」
「こういう能力なので……」
友瀬が申しわけなさそうに言った。
映像はどんどんと施設の中を進んでいく。
カプセルの列の奥に、銀色の流線型の物体が置かれていた。
大型トラックほどの大きさ。
側面には四角い穴が開いており、そこからケーブルが何本も伸びて、壁面の機器に繋がれている。
機械音が漏れ聞こえるような配置だが、友瀬の能力では映像しか拾えない。
「これってもしかして宇宙船か?」
端島の脳裏に、上戸から聞いた話がよみがえった。
第三世界では宇宙船が横浜の東議員宅の上空に停止して、そこから関東圏に世界を改変するためのナノマシン的な黒い粒子をバラまいたということだった。
東京湾第三海堡という、昔の要塞の近くの海底に埋まる遺跡の中にあったという話だった。
「やはり、香住が引き揚げていたのか……」
和泉がスマホのカメラで撮ろうとしたが、友瀬のコンソールはうまく映らなかった。
「問題は、世界的な企業のカスエレが、宇宙船まで持ち出して何をしてるのかって話だ。さっきのカプセルといい、堅気の商売ってわけじゃないだろ」
松葉がコンソールの上を叩こうと指を当てるが、コンソールは実在しないためか、すり抜けて見づらくなるだけだった。
「あれは、何かデータを取ってるのか?」
端島は映像を指差した。
「接続されている端末の画面を見ると……そう見えます」
合田が分析の目で映像を精査している。
ここで友瀬が小さく声を上げた。
「誰か来ます」
映像の向こう、施設内のスライドドアが開いた。
最初に入ってきたのは先導するように後ろを振り返りながら、施設内の機械を指さす作業服の男たち。
その後ろから、黒いスーツの人間が複数入ってくる。
護衛の動きだ。
整列して脇に控え、周囲を警戒する。
その後ろから一人入ってきた。
映像の中心に立つ初老の男には、見覚えがあった。
いや、見覚えがあるというより、この国に住んでいれば誰でも知っている顔だ。
「あれって……」
矢上が呟く。
「周防総理大臣」
松葉がぽつりと言った。
珍しく、揶揄の色がなかった。
映像の中の男は護衛に何か話しかけている。
銀色の物体の前に進み、それを見上げながら口を動かしていた。
音声は届かない。
「総理と世界的な企業が宇宙船の研究をしていたって、何のマンガだよ」
端島は低い声で言った。
「だけど、尻尾は掴んだ。この豪華メンツが集まって、異世界の技術に手を出してるんだ。世界の崩壊と関係ないはずがない」
「これは一度作戦会議が必要ですね。真正面から挑んでも、政治的に潰されて終わりです」
和泉が静かに提案した。
「それしかないな。いったん引き上げて——」
そこで映像が揺れた。
「ごめんなさい。向こうから何か反応があって……」
友瀬が顔を上げた。
「気づかれましたか?」
合田の問いに、友瀬は小さく首を振った。
「機械が反応しただけだと思います。たぶん」
たぶん、という言葉が静かな地下空間に残った。
「引き上げよう」
端島は踵を返した。
「和泉さんの言うとおりだ。一度引き上げて、作戦会議だ。力業で叩きのめして解決することじゃなさそうだ」