Chapter 1 「異国に来たらクッキー職人だった件」
俺たちは長い船旅を終えてメキシコの港町、アカプルコに降り立った。
まずは、恒例のラジオ体操で、狭い船内でじっとしていた身体をほぐしていく。
とにかく船の旅は虚無だった。
人間とは恐ろしいもので、リプリィさんがいなくなった悲しみは2日目の朝にはもう気にならなくなった。
それからはやることも雑談も尽きてしまったので、スキル修行と食べて寝るのを繰り返すだけの日々が続いた。
そんな長かった船旅もついにここで終わりだ。
タウンティン……インカ帝国の勢力圏を離れて、ここから先はメキシコ……いや、タラスカ王国という別の国になる。
そのタラスカ王国を抜けると、今度は人跡未踏、未開拓の北アメリカが待っている。
本来ならば新しい国に降り立ったという感動のようなものがあってもいいはずなのだが、俺たちの足取りは重い。
まず最初に物理的な重さの話。
今までは船室に荷物の大半を置いたまま動き回っていたので身軽だったが、これからは全ての荷物を背負って歩く必要がある。
箒を浮かべてそこに荷物を吊るすことは出来る。
だが、さすがに町中で空飛ぶ箒を見せると、ホンジュラスの酒場のようにククルカンの祟りがどうのと騒がれそうなので自重する。
次に精神的な話。
俺たちが乗ってきた交易船はこの町が終点だ。
ここから北に向かうには、別の船を探すか、船以外の交通手段を探す必要がある。
もし何も見つからなければ、サンディエゴまで約2500キロの歩き旅だ。
四国巡りのお遍路さんが1400キロ。その倍だ。
やはり別の交通機関を探して体力と時間を効率良く使いたいところだ。
しかし、ここで大きな問題が立ちはだかる。
金がない。
「北に向かう船か、他の交通手段がないかの聞き込みだな。ただ、交通費は高すぎると諦める必要が出てくるかもしれない」
「そんなに路銀は少ないのか?」
「手持ちの所持金は日本円換算で残り130万円。多いように感じるが、4人で割ると約33万だ」
モリ君が財布代わりの革袋をカーターに見せた。
「教授に30万くらい報酬をもらっただろ。それはどうした?」
「その24万を加えたのがその全財産だ」
カーターが目に手を当てた。
「しかも、ここはまだ熱帯エリアなので忘れてるかもしれないが、暦の上では12月なんだ」
「タウンティンは温かかったけど」
「あそこは南半球だから、夏と冬が逆転するんだ。ハロウィンスタートなので、向こうだと夏前だった」
そう思い返すと逆に良かったのかもしれない。
もし真冬にあの標高が高い山に投げ出されていたら、凍死の可能性すらあった。
「北上すると、アメリカに着いた頃は真冬になるはずだ。装備品はこの町で揃えておきたい」
「必要になってから買うのは?」
「この町はタウンティンの蒸気船が来る北限だ。そのおかげで町は賑やかだけど、ここから先の町は流通がスカスカだと考えていい」
タウンティンから乗ってきた交易船が着いた港を見たが、停泊しているのは古い型の帆船ばかりだった。
蒸気機関を搭載した船はゼロではないが、数は少ない。
「この町ならば、寒冷地や砂漠の装備どちらも買える。買い物をするならここが最後のチャンスだ」
手元にメモがあったので、購入リストを作成していく。
防寒用の上着、冬用の肌着、そしてメキシコ北部からアメリカ南部にあるはずの砂漠用の装備。
マントや帽子などもだ。
歩きにくいミュール以外の靴も欲しいのだが、こちらはあるかどうか微妙だ。
木靴はクッション性というものが考えられていないので、長距離を歩くにはさすがに厳しい。
最悪、箒で飛べばそこは解決できるので、我慢するしかない。
「1人4万以下で揃えたいところだけど……」
「残り28万くらいとなると、交通費で10万も使ってられないってことですね」
「そういうことだ。10万も使っちゃうと、到着した場所次第では、路銀が足りずにそこから身動きが取れなくなる。金を稼ぐ手段がなければ終わりだ」
「金がないのは厳しいねぇ。なんとか金を稼ぐ手段はないのか?」
「冒険者ギルドがあればなんとか……」
全員で顔を見合わせた後に「そんなものがあるわけない」と結論に至る。
冒険者という職業がないのに、冒険者ギルドなる組織があるわけない。
そもそもスペイン、イギリス、フランスと言った西洋の国家が来ていない南北アメリカ大陸には「ギルド」という概念自体が存在していない。
この世界に持ち込まれているのは200年以上前から召喚し続けられた日本人たちが持ち込んだ近代的なものばかりで、色々と偏っている。
「ホンジュラスでパタムンカさんともう少し一緒に遺跡探索をして小銭稼ぎをしておくべきだったか」
金さえ稼げば、極端な話、別の船に乗って出ても良かったし、最悪陸路でもメキシコまではたどり着けた。
クロウさんやハセベさんの船に便乗させてもらうという手もあったかもしれない。
今更ながら次々に案が浮かんでくるも、既に後の祭りだ。
旅の資金をどこかで調達する方法も含めて、頭の片隅で考えておいた方がいいだろう。
「なるべく節約して北に行ける手段を探すぞ!」
「おう!」
◆ ◆ ◆
「マサトランというところまで船が出ていることは確認できた。運賃は食事付きで1人あたり12万円。期間は一か月」
カーターが早速情報を仕入れてきてくれた。
だが、予算的に厳しい。
「貨物船なんだろうけど、移動速度は1日30キロは相当遅い上に、予算オーバーだ」
地図で確認すると、マサトランはアカプルコから北へ約1000キロほどの位置にある。
サンディエゴまでは約2500キロなので、中間地点とも言えなくもない。
そして、そこがタラスカ王国の最北端なのだろう。
その北にはソノラ砂漠やチワワ砂漠という砂漠地帯が広がっている。
1日20キロ歩くと仮定すると、1000キロ踏破には単純計算で50日だ。
もちろん、未開の砂漠地帯を1日20キロなんて安定して歩けるわけがない。
道中に断崖絶壁が現れたら迂回。
標高が高い山が現れても迂回。
酷い時には1日5キロや10キロくらいになるだろう。
なので、船の方が早く着けることは間違いないが、4人で48万払うのは、懐的に厳しい。
「それ以外だと200キロほど北に、シワタネホという小さい町と往復してトウモロコシ粉を運んでる貨物船がある。船長に交渉したら酒瓶6本と荷降ろしの手伝いを条件に船の隅っこに乗せてくれるらしい。飯は出ないが3日で着く」
3日で200キロ。
コストパフォーマンスは圧倒的に高い。
酒一瓶を5000円と仮定しても、3万円で200キロ縮められるならば、選択としてそう悪くない。
「問題はそのシワタネホから次の町へ繋がる便があるかだな。行った先で身動きが取れなければ結局歩き旅が始まる」
「それってローカル路線バス乗り継ぎ旅だよね。楽しそうで良いんじゃないかな」
エリちゃんの発言でそういうTV番組があったなと思いだした。
その番組は、地元の路線バスを細かく乗り継いで目的地を目指す番組だ。
番組内では、大手交通会社のバスが走っていない地域は、地元を走っているコミュニティバスなどを探して乗っていた。
今からやろうとしていることも同じかもしれない。
地元民しか知らない小型船に便乗させていただきながら、北方向へ向かう。
「あんまり時間をかけすぎると船が行っちまうぞ」
カーターはそのトウモロコシ粉の貨物船に乗りたいようで、結論を急かしてくる。
「俺は賛成。安いのは正義だし、どのみち、多少は歩かないといけないのは同じならば、少しでも距離を稼げる方が良い」
「ならば、全員賛成で良いですね。俺も予算は節約すべきだと思います」
モリ君が、全員賛成ということで話を閉めた。
大急ぎで近くの雑貨屋に駆け込み、機能最優先でオシャレの欠片もない防寒着を購入。
ついでに砂漠を歩く時には必須になるであろう日よけの帽子とマントを全員分揃える。
砂漠に入ると水の補給ポイントは限られると思い、水筒の予備も買った。
最後に、船長が所望する酒を6本を揃えて船に飛び乗った。
カーターが約束の酒を5本渡したことで、船長は快く俺たちを船に乗せてくれた。
酒瓶のうち1本がカーターの背負うバッグの中に消えたのは、あえて見なかったことにした。
必要経費とはこういうものだ。
町の滞在時間はわずか2時間程だった。
異国情緒を感じる暇もなし。
もう少し観光などをしたかったが、仕方がない。
俺たちはアカプルコの町を後にした。
◆ ◆ ◆
「いかがでしょう」
浅黒い肌の中年の男がクッキーを頬張る様を俺は見つめていた。
「美味いな。これなら良い値段で売れそうだ。約束通り町に運んでやろう」
「ありがとうございます」
貨物船がシワタネホの港に着いた時に、比較的大きめの帆船が港の隣に停泊していた。
なんでも、ドライフルーツなどの菓子を輸出入している商人らしい。
その船は、たまたまマサトランへ向かう途中、真水の補給のために一時停泊しているところだった。
「何か販売できるものを持っていれば船に乗せても良い」
船主である商人に交渉してみたら、そう返ってきたので、とりあえずクッキーを差し出したところ、OKが出たというのが今の状況である。
まさに渡りに船だ。
砂糖も小麦粉もないここでは、小麦粉、卵、バターと砂糖と希少食材がほどよく入って焼き上げられたクッキーの価値は意外と大きいようだ。
「では、これと同じものを2千枚ほど用意していただきたい」
「はい承知しまし……2千!?」
しれっと要求を出してきた商人の言葉に対して、思わず大きな声が出た。
「こっちも商売なんだ。珍しい菓子には違いないが、販売するとなれば、まとまった数が欲しい」
「あの、最低数は?」
「最低で2千、出来れば5千。なければこの話はなしだ」
あまりの数に気が遠くなる。
俺のスキルは1分30秒で1枚のクッキーを出せる。
理論最高値で1時間に40枚。
ただし、1時間に40枚というのは「100メートル走の金メダリストにフルマラソンを走らせれば1時間を切る」と同レベルの理論最高値だ。
人はそれを「机上の空論」と呼ぶ。
しかし、ここでこの船を見逃すのは大きな損失だ。
冷静に計算を行う。
船は15日かけてマサトランまでの航海をするらしい。
初日と最終日は当然作業はできない。
最終日前に納品が必要なので、13日目は足りなかった時の予備日だ。
それまでに作業を終えていないといけない。実質の作業時間は12日。
1日3時間……いや、5時間で150枚。
これを12日連続すれば、単純計算で1800枚だ。
どこかで8時間くらい頑張れば、2千枚ならば何とかなるかもしれない。
「ラビさん、俺たちも手伝うのでやりましょう、お菓子屋さん」
「手伝うって言われてもクッキーは俺しか出せないんだけど……」
「なら俺は……箱に詰める手伝いとか?」
「私は……肩でも揉んであげる」
モリ君とエリちゃんが何とも頼りにならない助力を申し出てくれた。
2人の申し出は気持ちだけ受け取っておく。
どう考えても邪魔なだけだ。
クッキーを出し続けるのは大変だが、それを乗り越えれば実質無料で船に乗れるのだ。こんなに美味しい話はない。
「俺は……洋菓子職人になる!」
◆ ◆ ◆
それからは黙々とクッキーを作る仕事が始まった。
三角巾とエプロンを付けて、まるで写経を書く如く、無心でクッキーを取り出しては、用意していただいた木箱に20枚ずつ詰めていく。
1枚出すと、そのあと1分30秒は何も出来ない待機時間だ。
その間の暇潰しと効率化を図る。
クッキーを出現させる。
箱の位置を整え、拝み、祈り、構えて、箱に入れる。
一連の無駄だらけの動作を1回こなすのに当初は20秒。
まだまだ無駄が足りない。
5時間ぶっ通しでクッキーを箱に詰められるだけ詰めたら、その日は船室に戻って倒れるように寝る。
起きて、またクッキーを出現させて、入れる作業を繰り返す。
1時間30個。感謝の軽作業。
3日が過ぎた頃に異変に気づく。
1日5時間がノルマだったはずなのに、昨日は8時間も詰めていた。
4日目には10時間を越えても、まだ仕事が出来る。
無駄な動作での時間稼ぎをするために――
――祈る時間が増えた。
当初の目標数、2千枚を大きく越える4千枚の納品を完了したとき、マサトランの町は目前に近付いていた。
「感謝するぜ。これまでの全てに」
「早くブラック企業体質から戻ってきて」