遺跡を道なりにしばらく歩くと、壁や天井のない開けた場所に出た。
床に石畳は敷かれておらず、土と草に覆われた地面が見える。
天井や壁が存在していないのは、遺跡が劣化などで崩れたわけではなく、元から広場のような役割の場所だったのだろう。
その名残なのか、端の方には赤や黄色の鮮やかな花も咲いている。
かなり高い標高に咲く高山植物だからなのか、花屋に並ぶような立派な花ではないが、長い間、殺風景な景色が続いていたので気が休まる。
「綺麗だね」
「それもあるけど、花が咲くということは、近くに水源がある可能性が高い」
しゃがみこんで、地面を手で掘ってみた。
表面だけは乾燥しているが、少し掘るだけで湿っぽい黒い土が現れる。
「食べ物は最悪クッキーで乗り切れるけど、水はそうはいかない。飲み水が手に入るポイントを探して、そこで今日は野営をしたい」
そして、視界が開けたことで、太陽が山の向こうに沈みかけて、空が紅く染まってきているのが確認できた。
日没が迫ってきているのが分かる。
懐中電灯のような灯りになるものを誰も持っていないので、なるべく日没までに安全地帯に移動したいところではある。
この広場が安全地帯ならば、水源が見つかり次第、ここをキャンプ地としても良かったのだが、それには大きな問題があった。
「あれ……ワイバーンですよね」
それが最大の問題だ。
エリちゃんが指差す方向に3体のワイバーンの姿が見えた。
また戦闘になるのかと警戒したのだが、俺たちが近付いても微動だにしない。
よく見ると全身が傷だらけだ。
「あれってもう死んでる?」
「確認した方が良いんじゃないかな。急に動き出されたら困るし」
俺とエリちゃんが交互に物陰から顔を出して様子を見るも、やはり動かない。
「防御スキルを使える俺が見に行く。2人は後ろから来てくれ」
「危険があったらすぐに逃げるんだぞ」
「分かってます。そっちの通路に入れば、この大きな体だと入ってこれないと思うので」
モリ君はそういうと1人でワイバーンの方に駆けていく。
「大丈夫です。死んでいます」
モリ君の合図で俺たちも近付く。
ワイバーンは完全に事切れていた。
全身には無数の切り傷が刻まれており、周囲にはあちこちに血の飛び散った痕跡が残されていた。
この広場で、ワイバーンと何者かとの間で激しい戦闘が行われたようだ。
血は既に黒く変色しているので、戦闘終了から最低でも半日は経過しているだろう。
1体は脳天を叩き割られ、1体は首を切断され、もう1体は胸に折れた日本刀が突き刺さった状態で、立ったまま絶命していた。
そして、それら3体の死骸の前には銅色のメダルが3枚転がっていた。
「せっかくモンスターを倒したのにメダルを回収していない?」
モンスター撃破時はかなり眩しく光を放つのでメダルが発生したことに気付かないということはないはずだ。
だが、ワイバーンを討伐した「誰か」は、このメダルを回収せずに放置したまま。
そんなことがあるだろうか?
俺はメダルを拾い上げるためにしゃがみこんだ。
その時、近くの柱の陰に隠れるように人影らしいものがあることに気付いた。
人影は柱に背を預けるように座り込み、ピクリとも動かなかった。
「誰かいるぞ」
「他のパーティーの人?」
「大丈夫なんですか?」
モリ君とエリちゃんが人影に近づく。俺もそれに続く。
柱の陰には虚ろな表情をした金髪の少女がいた。
時代劇に出てきそうな白色の紋付き羽織を着ており、見た目から一目で侍だと分かる。
右手近くには折れた刀が転がっている。
左手は失われており、左足はありえない方向に曲がっている。
そして肩から胸にかけて、抉られたような深い傷跡が走っており、白い着物を赤く染めあげていた。
この傷が致命傷だったのだろう。
日本では決して見ることのない惨殺死体。
いつの間にか膝から下がガタガタと震えていた。
喉の奥から何か酸っぱい物がこみ上げてくる。
もしこの場に俺1人しかいなければ、間違いなく恐怖で喚き散らしていただろう。
だが、今の俺はモリ君とエリちゃんの2人の保護者の立場だ。
俺が取り乱せば2人まで取り乱すことになる。
頬を一度叩いた後に太腿と尻を軽く叩くと足の震えは収まった。
こみ上げてきたものは気合いで飲み込む。
もう一度両手で頬を叩いて少女に近付き、首筋に手を当てる。
血は既に乾燥しており、手には乾いた血のざらっとした粉が付くだけだった。
脈はなく、呼吸も既にしていない。
体は体温を失っており死後硬直している。
半日どころか1日以上は経っているだろう。
ワイバーン3体と相打ちになったと見るべきか。
メダルは拾わなかったのではない。拾えなかったのだ。
足元に落ちている銅色のメダルを拾い上げた。
ワイバーンが死ぬとメダルが現れるのは確認したばかりだが、やはり人間が死んでもメダルは現れるのか?
人間とモンスターで現れるメダルの違いはあるのか見比べてみたが、色も模様も同じだ。
「失礼」
胸元や着物の袂をまさぐって1枚のカードを探し当てた。
[オウカ R]
カードのフォーマットは同じ。
俺たちと同じ、このデスゲームの参加者の1人だ。
「ここで戦闘になってワイバーンと相打ちになったのか……だけど他のメンバーはどこにいるんだろうか、まさかこのオウカという娘を見捨てたのか?」
「どいて! 俺がヒールをかける!」
モリ君にローブの襟もと強引に掴まれてグイと乱暴に後ろに引き倒された。
無理矢理引き倒されたのでバランスを維持できず、そのまま尻餅をついて後ろに転んだ。
「ふえっ」
間抜けな声が出た。
変な体勢で転倒したので、そのはずみで脱げた帽子を拾い上げて被りなおして体を起こす。
文句の1つも言ってやろうとモリ君に近づいたところ、あまりに必死の形相に言葉が止まった。
「助けるんだ……絶対助けるんだ……」
モリ君は何やらぶつぶつと呟きながら、
手のひらから発せられた青白いスキルによる光は侍少女の傷跡だけではなく、全身を優しく包み込んでいる。
「まさか、モリ君の能力は死者蘇生ができるのか? ここまで遺体が損壊してるのに?」
だが、やはり少女の傷が癒されることはなかった。
青白い光を放っただけで、スキルは何の効果も発揮せず、光も消えた。
「まだだ!」
「う、うそ……」
後ろからエリちゃんの声が聞こえてきた。
手を口にあててしばらく固まっていたが、突然、遺跡の奥の方へと走り出した。
ややあって、物陰から嘔吐の声が聞こえてきた。
「起きて……頼む起きてくれ!」
モリ君は殺気立った顔で、またも回復能力による治癒に再挑戦している。
もちろん先程と状況は全く同じだ。
傷を癒すのが精一杯のスキルでは蘇生はできないのだ。
俺は別の意味で絶望に襲われた。
2人とも同年代少女の損壊した遺体というショッキングなものを目撃してしまったことで、精神的に相当ダメージを受けているようだ。
かく言う俺も人間の死体というものを間近で見せられて様々な感情が湧き上がってくる。
一度は落ち着いたはずの足の震えや吐き気も再開しようとしているし、何かのはずみで失禁してしまうかもしれない。
だが、2人の取り乱す様を見て、ここで俺まで取り乱したらダメだろうという理性が勝ち、平常心が戻ってきた。
2人がパニックを起こしている今の状況で、ワイバーンや巨大蜘蛛が現れて襲ってきたら間違いなく全滅コースだ。
俺だけならば、なんとか逃げ切れるかもしれない。
だが、平静を失った2人はまともに抗戦することができず、大怪我を負うか、最悪死に至るかもしれない。
そんなことになれば良心の呵責にさいなまれて一生悔やむことになるだろう。
それだけは絶対に避けなければならない。
俺はこの未成年の2人を護ると……保護者になると決めたのだから。
拳を握りしめて力を入れて太もものあたりを力任せに何度か殴りつけると震えは完全に止まった。
「こういうメンタルケアは苦手なんだよ。俺はリーダー気質じゃないのに」
何度も毒づきながら、俺はモリ君へと寄って背中にそっと手を置いた。
「もういい、もういいんだ」
「良くない! 昔と違って今の俺には助けられる力があるんだ!」
「彼女はもう死んでる。もう助けられない」
「なんでそんなことが分かるんですか! だってほらヒールが」
モリ君の目には無力感からか涙が溢れていた。
「もういいんだ」
そう言うとモリ君は俺の胸に飛び込んできた。
ラヴィの体力では耐え切れずそのまま押し倒されそうになったが、何とかここは気合で耐えきった。
――いやこれはヒロインポジションがやることであって、俺の役目ではないのでは?
大変遺憾ではあるが、ここはさすがに空気を読もう。
そのまま手を伸ばしてモリ君の背中に回して落ち着けとばかりに優しくポンポンと叩いてやると、モリ君は声を出して泣き始めた。
触ってもありがたみなどない薄い胸だが、落ち着くまでの短い間なら貸してやる。
今くらいはたっぷり泣きなさい。
「
ユイ?
先程のエリちゃんの話にも出てきたが、ユイというのは誰のことなのだろうか?
このオウカという少女が実はそのユイという少女だった――ということはないだろう。
何か過去のトラウマか何かがフラッシュバックでもしたのだろうか?
それとも、今までギリギリだった精神がついに限界を越えて溢れ出してしまったのだろうか?
ただ、その悲痛な叫びからはモリ君の過去に何か辛いことがあったことは分かる。
モリ君の泣き顔を見ていると、俺まで何か大切なものを失った喪失感のような感情がこみ上げてきた。
俺自身も忘れているような過去の似たような記憶と結びついたのかもしれない。
とても大切な何かを永久に失ったような……そんな記憶。
モリ君はまだ未成年。
つい3日前まで、日本で普通の暮らしをしていた高校生なのだから、弱さを見せるのは仕方ない。
こういうメンタルケアもしないといけないとは、大人というのは本当に辛いものだ。
ただ、さすがに男と抱き合うのは辛いので誰か代わって欲しいところである。
例えばそう、すぐそこで落ち込んでいるエリスさんです。
ヒロインポジションはエリスさんのお仕事です。早く交代してください。
俺は男と抱き合う趣味はないんです。
◆ ◆ ◆
というわけで、キラーパスで受け取ってしまったヒロインポジションの座をエリちゃんへ返還する。
急にボールを渡されてもゴールには蹴り込めないのだ。
エリちゃんは物陰で三角座りをして顔を埋めていた。
「帰してよ……家に帰して」
「俺もできれば帰りたいよ。俺が面倒をみないと餓死しそうな友人も日本に残しているし」
「なんでなの!」
エリちゃんが顔を起こした。
モリ君と同じで今にも泣き出しそうな顔だった。
見ているこちらも辛い。
「だって異世界転生はチートとセットだって。誰も怪我したり死んだりなんてしないって」
「そんな能力はアニメの中だけだよ」
俺もどうせよくわからない異世界に呼ばれるなら、チート能力をもらって無双したかった。
ハーレムは面倒そうなのでノーサンキューだが、それくらいの特典はあっても良いだろう。
だが、現実問題としてそのようなものは存在しない。
人間はどんなに理不尽だろうと手元に配られたカードだけで勝負しなければいけないのだ。
そして俺に配られたカードは「ハロウィンなので、クッキーを配る」だ。
……なんなんだよクッキーって。訳が分からねえよ。
ハロウィンの魔女にされたのは仕方ないとしても、魔女の特技なら他に何かあるだろう。
まともに飛べない箒とかそんなのじゃなくて。
「その子には悪いんだけど、別に面識があるわけじゃないから、全然悲しくないの……頭では悲しまなきゃって思うのに」
その気持ちは分かる。
正直に言うと、全く面識がない人物なので、憐憫よりも気持ち悪さが勝つ。
侍少女のオウカちゃんには悪いのだが、自分も同じように死ぬのではという恐怖のほうが大きい。
重傷でギリギリ助けられるというならば、何とかしようとあがいてはみただろう。
だが、自分たちの関知しないところで亡くなり、しかもそこから半日以上は経っているとなると、俺たちにはもう何もできることはない。
せめて安らかに眠れるように祈ることだけだ。
「怖くないの? 次に死ぬのは自分だとか思わないの?」
「さあな。俺は魔女だからかな」
俺も平静を装ってはいるが、残念なことに、恐怖の感情ならば売るほど余っている。
訳も分からず謎の異世界に喚ばれたというのに能力は一切不明。
人があっさり死ぬ難易度の冒険を強制されて、あまつさえメンタルが弱い高校生のケアまでやらなければならないとか何の罰ゲームというのか?
俺は元来ものぐさで、他人がどうなろうと知ったことではない身勝手な人間だというのに。
だが、だからこそ言える。
この子達を守ってやりたいと。
一緒に日本へ帰ろうと。
「大人にはカッコくらいつけさせてくれよ。子供を守るのが大人の役割だ」
「子供の胸を触って喜んでるロリコンのくせに」
エリちゃんは軽口を言えるくらいには調子が戻ってきてくれたようだ。
だがこれだけは訂正しないといけないだろう。
「俺はロリコンではないのでそこは訂正して欲しい」
「ロリコンでしょ。だからロリコンが喜ぶことをさせてあげる」
この子は急になんてことを言い出すんだろう?
思春期の少女の言うことは訳が分からない。
「あいつみたいに私もぎゅっと抱きしめて欲しい。そうすればまた頑張れるから」
先程のモリ君へのハグを見られてたのかと思うと、やけに恥ずかしい。
「いいのか? それをやれば俺は未成年に手を出すロリコンのオッサンだぞ」
「……いいよ」
これは本人の同意があるから仕方ない。
セクハラタッチではございません!
とにかく自分に言い訳をする。
あれ? 今は同性だからセーフなのか?
『ダメです。未成年絶対ダメ! 不純異性交遊はんたーい! NTRはんたーい!』
脳内友人くんの声が聞こえたが、ここは空気を読んで大人しくしてほしい。
あと、寝てから言え。
モリ君にそうしたように、今度はエリちゃんを抱きしめる。
はいはいハグハグフリーハグ。
俺の薄い胸の上で泣いてよいのよ。
だが、エリちゃんが無言でグイっと腕を突き出したせいで、押し出されて距離を開けられる。
「あの、ごめん。悪気はないと思うんだけど……ラビちゃんから洗ってない犬とか鶏小屋とか、そんな臭いがする」
「えっ!?」
「無理」
エリちゃんは真顔で言った。
悲しみも、恥ずかしそうな照れた表情も全て消えていた。
完全に真顔だった。
「臭い」
結婚して生まれた娘が育って反抗期になった時の父親の気持ちが理解できた。
確かに、この世界に喚ばれてからずっと、鶏小屋のような臭いがどこからともなく漂ってくることには気付いていた。
適当に言い訳を考えて、自分には関係ないと思い込んでいた。
だが、ここまでハッキリと若い娘に臭いの原因は自分だと事実を指摘されるのはつらい。すごくつらい。
あと、臭いは俺の責任ではありません。ラヴィの設定だから勘弁してください。
◆ ◆ ◆
広場の隅にある開けた場所に3番目のスキル、極光を使用して地面に穴を開ける。
3分待って2回目の極光を放つ。
まだ浅い。
さらに3分待ち、3回目の極光を放ったことで、ようやく侍少女を埋葬できるくらいの穴が開いた。
侍少女、オウカの遺体を抱きかかえて穴に運ぶ。
オウカの遺体はかなり重く感じた……いやラヴィの体に筋力がないのか。
ただ、精神的にショックを受けて落ち込んでるモリ君やエリちゃんにこの作業をさせるのは酷というものだろう。
俺がやるしかない。
俺のスキルが火葬向きなら良かったのだが、残念ながら群鳥や極光は物理打撃系で、物を燃やすには全く向いていない。
――『物』か。
さすがに割り切りすぎだろう。
箒を浮かせて反対側を持ってもらい(引っかけているだけだが)、なんとか移動させる。
足元をふらつかせヒィヒィと情けない声をあげながらも、少女の遺体を穴に納めた。
千切れて別の場所に落ちていた腕も拾ってきて服の袖に納めた。
まぶたを閉じて腕を胸の前で組ませる。
すると、エリちゃんがどこから調達してきたのか、何本かの花を持ってきた。
「そこに綺麗な花が咲いてたから」
エリちゃんは摘んできた花を束ねて侍少女に持たせた。
「花くらいないと誰もいない暗い土の中だなんて可哀想でしょ」
それから俺とエリちゃんの2人で土を被せていく。
「この子、天国に行けると思う?」
「それは分からないけど、意外とこれがきっかけで元の世界に帰って元の幸せな生活に戻ったりしてるかもな。トラックに轢かれなくても異世界転生しても別にいいだろう」
そこからは2人とも無言で土をかけ続けた。
侍少女の顔が完全に見えなくなったあたりでモリ君が戻ってきた。
「ごめん。俺はもう大丈夫だから。俺にも手伝わせてほしい」
「おかえり」
「ただいま」