俺とカーターの2人は霧に包まれた町を歩き始めた。
住民は相変わらず窓からコソコソと俺たちの方を監視するのみ。
向こうから接触はしてこない。
民家の近くを歩けば、何かしら調理をしている匂いや音くらい漂ってきてもおかしくはないはずだが、それもなし。
生活臭が皆無なのが異様だ。
商店は薄暗くて開いているのか閉まっているのかよく分からない。
そもそも、町にはそれなりの人口がいるだろうに、誰も買い物や仕事のために通りを歩いていないのは不思議だ。
「石畳も全然整備されてないな。歩きにくい」
「靴を買えばいいだろ」
「しっくり来るのがないんだよ。あと、これはランクアップで生えてきただけあって、意外と丈夫だ」
ローブの裾を持ち上げ、右足を上げてカーターに見せる。
ピンク色のミュールは泥で汚れているが、底は一切擦り減っていない。
都会の町を歩くための靴は、砂地や遺跡などを歩けば、普通ならばもう少しすり減っていてもおかしくないはずだ。
「見た目はこんなだけど、普通に足防具扱いだと思うんだ」
「そういやエリスのブーツもあの破壊力で蹴りまくってるのに全然破れる気配がないしな」
「ファンタジー防具なんだよ。騙されてる感がすごいけど」
「なんでもいいけど、あんまり素足や太ももを他人に見せんなよ」
「ただの足じゃないか」
それでも、召喚されてすぐの頃から比べるとかなり慣れてきたとはいえ、相変わらず石畳が苦手なのも変わらない。
ミュールの踵が石畳が割れてできた隙間へ挟まったようになって危うく転倒しかけた。
石畳は一部割れたり完全に剥がれて土が露出していたりする。
これらが放置されているということは、この町を支配している「何か」はインフラの整備など行う気はないのだろう。
「文明レベルが低いだけって可能性は?」
「汚物が垂れ流されているわけでもないし、見えるところにゴミなども転がっていない」
「死体は転がっているけどな」
「そこだよ。この町は死は余るくらいあるのに『生』の気配が感じられない」
建物も、東洋と西洋。それに時代が無茶苦茶に混じり合っている、まるで何かのテーマパークに来たようだ。
放置されている無人の廃屋などはないので、誰かしら人が住んで管理されている証拠だ。
なのに、誰も生活はしていない。
本当に家の中に人がいるだけだ。住んではいない。
生の気配すらない生物は、果たして人間と呼べるのだろうか?
しばらく歩いていると、広場のような場所に共用の井戸があった。
釣瓶を上げて井戸の中の水を汲み上げた。
桶の中に水はあったが、泥を含んで濁っているだけではなく、水面には得体の知れない油分が浮いていた。
しかもドブのような腐った水の臭いがする。
さすがに味見をする気もせず、汲んだ水は全て井戸に戻した。
「ダメだな。水の補給をしたかったけど、油が浮いてるのは許容範囲外だ。こんなのを入れたら水筒自体がダメになりそうだ」
「なら、ここの住人はこの井戸で何をやってるって言うんだ?」
「濾すなりして飲んでるんだろ。他に水がないんだから」
水の補給がダメとなると、どうやればドロシーが動けるようになるまで籠城を続けるかが課題になってくる。
そんな話をしていると、視界の隅を何かが横切ったように見えた。
小さい影だった。
背丈は小学生くらい。霧の向こう側だったので、正体までは判明しない。
「今のを見たか?」
「チラっとなら。小学生くらいか。顔や服装は霧が濃くて見えなかった」
「2人で同じものを見たということは、幻覚の類ではないと思うが……念のために確認しとくか」
先ほどの影が本物の人間ならば、町を歩いている初の人間だ。
第16チームには、ドロシー以外に子供がもう1人いたという。
その子供がドロシーを探して町を歩いている可能性はゼロではない。
群鳥……第1スキルを使って鳥を喚びだし、1羽を霧の先、人影が見えた方向へ飛ばした。
まさしく五里霧中。霧に邪魔されて何も見通せない状況ではあるが、少なくとも人間の目で見るよりも様々なものが見える。
「追跡はいいとして、この霧の中で追えるのか?」
「人影自体を追うのは無理だ。だけど、
そう言って指差したのは足元の石畳だ。
この霧の水分が、砂漠の砂と混ざって泥になっている。
俺の履いているミュールもすっかり泥だらけだ。
「文字通り、この霧のおかげで視覚化された
地面には小さい子供用の靴と思しき足跡が残っていた。
それを追跡していけば、確実にどこへ行ったのかはわかる。
「罠の可能性もあるし、第16チームの子供が迷っているだけの可能性もある」
「そこまで考えるならば、第16チーム自体が運営か誰かの罠の可能性も――」
「――当然考慮に入れている。その上での話だ。情報を得られるチャンスだというのに、ここで追跡しない理由はない」
鳥には地面を歩かせて、足跡を探させる。
俺たちはその鳥を追うようにして進む。
鳥を先行させているので、もし何かの罠だったとしても奇襲は避けられる。
見知らぬ町をそうやって歩いていると、どこからかジャラジャラという鎖がこすれる音が響いてきた。
霧の奥から2つの人影が肩を並べて浮かび上がった。
シルエットだけは人間のように見えるが、深い霧に隠されて全貌は分からない。
鎖の音が鳴り響くと同時に、こちらの様子を窺っていた住民たちが次々に窓をバタンと大きな音を立てて勢い良く閉じ始めた。
窓だけではなく、入り口の
明らかに鎖の音を恐れている。
「こんなに過剰に住民が恐れるものって何だと思う?」
「まあ、まともな相手じゃないよな」
話には聞いていた「ラティ」か? それとも「
鳥を喚びだし、箒を構えて臨戦態勢を取る。
カーターも背負っていたライフル銃の安全装置を外して、いつでも射撃できるよう両手で構えている。
深い霧の中から現れたのは青白いヒトガタ。
そうとしか形容のしようがない存在だった。
シルエットこそは人間に似ているが、全身は不気味なまでに青白い肌で着衣のようなものは付けていない。
頭部には昆虫のように大きな複眼と四方向に開く顎。
腕や足には逞しく盛り上がった筋肉。
生まれつき備えている外骨格が変形したものなのか? それとも後付けなのか?
皮膚と同じ色の装甲板のようなものが各部に配置されている。
見た感じは性別を示す造形物はなし。
各々が先端に首輪が付いた鎖のようなものを手にぶら下げており、それらが揺らめく度に金属が擦れる不快な鎖の音が鳴り響いている。
否、あえてこちらに恐怖や不快の感情を与えるためにわざと鳴らしているのか?
そのヒトガタは、俺たちの方に顔を向けると、大きく咆哮した後に、鎖を振り回しながらゆっくりと近づいてきた。
表情こそ分からないが、明らかな敵意がある。
「まともな人間でもなく、怪物でもなく」
「俺には特撮の怪人に見える。一番こいつらを表現している言葉はそれだ」
「怪人……なるほど、言い得て妙だな」
怪人がぶら下げている首輪は、誰かを拘束してどこかに連れていくためのものだろう。
控えめに言っても敵と断定しても良いはずだ。
「鎖というのが気になるな。誰を連れて行くつもりなのやら」
「オレはハードなSMプレイに興味はないんだけどお前は?」
「あると思うか?」
「まあ、おっかなびっくりソロプレイが精一杯の処女だもんな」
ダメだ。
こいつと話してるとペースが無茶苦茶になる。
「ラヴィさん、じゃあ、あのビームでさっさとやっちまってください」
「町中で使えるわけないだろ! そこらの民家の住人を全部霧散消滅させたら俺が怪人扱いされるわ!」
周辺の生命体を霧化して吸収する「収穫」も凶悪だし、それに加えて、数キロほどを焼き尽くす熱線も使いようがない。
どれだけの被害が出るのか……考えただけでも頭が痛い。
普通の極光もダメだ。
町の中は霧が薄いとはいえ、ないわけではない。
よほど至近距離で放たないと、拡散して効果がなくなる。
接近戦は専門外なのだが、周辺の被害を考えるならば仕方がない。
箒を紐で背中に引っ掛けて、腰にベルトでぶら下げている儀式用短剣を抜いて構えた。
「あの怪人に
「分からん。一応やってみれば?」
カーターから無責任な回答が飛んできた。
本当にこいつは肝心なところで役に立たない。
どの道、やれることは何でもやってみるつもりだったのだが、やる気をそぐのはやめて欲しい。
「さすがに片方を任せてもいいか? 2体まとめては自信がない」
「考え方を変えよう。2人で1体を潰せば、残りも2対1で戦える」
「なるほど、完璧な考え方だな。実現できるかどうかは全く別として」
「ああ、世の中そんなに都合よくないもんな!」
カーターが文句を言いながらもライフル銃を肩の高さで構えた。
不満を抱えながらも、支援はしてくれるようだ。
銃の末端である銃床を肩に当てて固定。
左頬で挟み込み、左脇を締めて指はトリガーに。右手で銃を支えて……そして撃つ。
カーターのスタイルは、次弾装填をやりやすくするためのタウンティンの軍人の構えとは異なる。
いかにブレずに撃つかを重視した近代的なライフルの射撃方法だ。
弾丸が自動装填されるセミオートマチック銃だからこそ、射撃に集中できる。
白い怪人は手に持った鎖を構えて防御しようとしたが、ライフルの銃弾はそれを容易に引きちぎった。
だが、それで銃弾の軌道が外れたらしい。
銃弾は怪人の肩をかすめるに留まったが、これで戦いの火蓋が切られた。
硝煙がまだ立ち上る中で、カーターの2射目。
これは怪人が大きく動いたために外れる。
怪人も黙って見ているわけもなく、弾丸を避けるためにジグザグに動きながらカーターに迫る。
一気に距離を詰めながら、手にした鎖を頭の後ろへ回した。
短くなったとはいえ、鎖はまだ30センチほどの長さがある。
高速で振り回された金属の塊は、十分脅威となりうる。
そして、鎖を振り下ろす――
「――
盾を白い怪人の目の前に展開して、振り回してきた鎖を弾き返した。
あまりに至近距離で跳ね返ったことで、鎖の先端が白い怪人の二の腕に直撃した。
まさか攻撃が自分に戻ってくると思っていなかったのか、白い怪人はあからさまに狼狽えている。
そこにカーターが3射目を撃ち込むと、一瞬で怪人の胴体に大きな穴が開いた。
そして4射目で頭が粉々に吹き飛ばされる。
一瞬で1体が破壊されたことで、もう1体が怯んだ。
その隙にバルザイの偃月刀で横一文字、さらに斜め下から振り上げる。
白い怪人の胸には「ナ」の形に傷が刻み込まれた。
銅の短剣でしかないバルザイの偃月刀は、魔法陣を描く……刻み込むという用途のみ、凄まじい切れ味を発揮する。
白い怪人の表皮もかなりの強度があると予想されるが、実際に攻撃するとこの通りだ。
もちろん、単体では猫に引っかかれたような傷でしかない。これだけでは敵を倒すことができない。
魔法陣を完成させて、初めて効果が発揮される。
白い怪人は俺を拘束することを諦めたのか、手に持っていた鎖を投げ捨てて直接素手で殴りかかってきた。
よほど腕力に自信があるのか、ひ弱そうな少女など軽く殴ればすぐに動かなくなると見越したのか?
その見立ては概ね正確だ。
貧弱な少女である俺は怪人に殴られればただでは済まない。
なので、当然まともに正面から攻撃を受けてなどいられない。
白い怪人が大地を蹴り上げた瞬間を狙って、軸足に鳥を2羽当てる。
これだけで足を破壊できたのならば楽なのだが、バランスを崩してくれるだけでも十分だ。
白い怪人は転倒しようとしたのを無理に抵抗したのだろう。
身体を不自然な方向に傾け、足を大股開きにして耐えようと変なポーズのままで、歩みを止めて固まっている。
「隙だらけだ!」
すかさず胸元に十文字の切り傷を乗せる。
「これで4画!」
ここで、先ほどカーターを守った盾に命令して、横っ面に攻撃反射のための斥力を発生させた。
突然に横方向から不可視の圧力を受けた怪人が大きくのけぞった。
「5画!」
そこへ素早く傷を入れることで五芒星は完成。
あとはとどめに持っていきたい。
「6画!」
勢いよく怪人へ跳びかかって五芒星の中心に偃月刀を突き立てることで、
もちろん、これは能力を封じるためのものであって、これだけでは倒せない。
使うのは3番目のスキル、極光だ。
普通に撃てば霧で弱体化するし、後ろにある民家などを巻き込む。
なので、怪人に突き立てた短剣の先から熱と圧力を持つ虹色の閃光……極光を放つ。
通常ならば広範囲、長距離へ破壊をもたらすのだが、剣先から密着状態で放つと、光線は怪人の体が全て受け止めてくれる。
虹色の閃光を受けた旧神の印は極光の光に負けないほどの眩い白い光を放っていた。
極光のエネルギーを全て吸収して、白い怪人に注ぎ込んでいるようにも見える。
極光の衝撃の直撃を受けたことで、白い怪人は足を踏ん張って抵抗するも、どんどん後ろへ吹き飛ばされていった。
30秒照射された虹色の閃光が止まると、両手を振り上げたポーズのまま動かなくなった。
そして、そのままゆっくりと倒れ込み……
なぜか炎を上げて爆発した。
「いや、なんで最後爆発した!? いくら怪人だからって、そこまで様式美は守らなくていいぞ」
◆ ◆ ◆
「さっきの怪人は鎖と首輪を持っていた。あれは、おそらくは誰かを拘束して連れて行くためのものだ」
「それが、この足跡を付けたやつだと?」
「状況はそうとしか考えられない」
足跡は、商店らしき建物の中へと続いていた。
もちろん罠の可能性は捨てきれない。
今まで追跡をさせていた鳥は制限時間が来て解除されたので、鳥を5羽追加召喚する。
カーターもライフルの安全装置を外して、いつでも引き金を引ける状態で中に入る。
商店の中は誰もいなかった。
おそらく元は雑貨屋だったであろう店内は荒らされてボロボロになっていた。
陳列棚はひっくり返り、何かの陶器の壺は落下して粉々に砕けている。
中身は何もない。
カウンターの奥は自宅だったのだろうか?
テーブルや椅子、食器棚などが置かれており、かつては人が住んでいたであろうことが察せられる。
だが、子供の姿はどこにもない。
「おかしいな、確かにここに子供が入っていったと思ったのに」
「当たりで間違いない。ここのカウンターの下だ」
カーターが靴で蹴飛ばした床には、四角い切り目が入っていた。
子供が付けたであろう砂粒は、その周囲で消えていた。
「床下収納?」
「地下室の入り口だろう。地下倉庫とかワインセラーか、そういう類のものだ」
俺が箒で埃や砂などを払うと、地下室への扉を開ける取っ手らしきものが見つかった。
「意外と重そうだな」
「実際重いぞ、この類の扉は。開けてみるから警戒を頼む」
カーターが両手で踏ん張るのに邪魔になるからか、ライフルをカウンターの上に置いた。
そして、扉が開く向きとは反対側に立って、取っ手を掴んだ。
そのまま後ろへ体重をかけるようにして扉を開く。
扉の入り口には鳥たちを待機させているが、扉を開いても、中から何かが飛び出してくる気配はなかった。
カウンターの上に使い魔モードに切り替えた鳥を乗せて、玄関方面を監視させておく。
「中に入ってみるか」
「オレが前に出るか?」
「いや、いざという時に
まずは鳥たちを先行させて、俺がその後ろに続く。
暗い地下へ向かう階段を、青白く光る鳥たちがほんのり明るく照らす。
カーターは入り口の扉が勝手に閉まらないように、近くに転がっていた椅子を引っ掻けた。
カウンターに置いてあったライフルを掴み、いつでも発射できる姿勢でついてくる。
2メートルほど降りると、そこはひんやりとした暗くて狭い倉庫のようになっていた。
その隅には中年の男女……おそらく夫婦と子供が1人、こちらを見ながらガタガタと小刻みに震えていた。
商店や家の中は、埃や入り込んだ砂漠の砂の積もり方からして、かなり長期間放置されていた様子だった。
俺たちや先ほどの怪人を恐れて、慌てて地下倉庫に避難したとは思えない。
急な避難ではなく、以前からこの地下に身を隠していたようにしか見えない。
何らかの訳ありなのだろう。
「……あなたたちは何者なんですか?」
中年の男が掠れた声で言った。
「私たちは通りすがりの旅の者です。少し話をうかがわせていただけないでしょうか?」