灼熱の太陽が照りつける砂漠の中、思いもよらない光景が広がった。
昨日までは生えている植物も葉が細く短い、乾燥に強い草やサボテンばかりだった。
それが、水辺にしか生えない葦のような草が多数見られるようになった。
やがて沼のようなものが現れ始めて、さらに進むと巨大な湖が姿を現した。
琵琶湖ほどではないが、湖の対岸が霞むくらいの広大な湖だ。
水分があるおかげか砂漠の暑さも少し和らいだ気がする。
湖面は風に揺られてさざ波を立て、その上を水鳥たちが優雅に滑るように泳いでいる。
時折、鳥の群れが舞い上がっては、陽光に輝く水しぶきを上げながら再び水面に降り立つ。
周囲を見回すと、それなりに高い山が見える。
標高300から500と言ったところか?
それらの山から流れ出した湧き水などが集まってきているのだろう。
ただ、湖畔にあるというサルナスの町とやらが全く見えてこない。
「サルナスってのは湖畔にある大きな町って聞いたよな」
もしかしたら小さい集落を町と呼んでいるだけではないかと思って目を凝らすが、人の営みの跡すら一切見当たらない。
周辺にいるのは水鳥くらいだ。
葦の群生場所からはガサガサと音がするので、ネズミなどの小動物は住んでいるかもしれないが、少なくとも人はいない。
「ここって別の湖なんじゃないですか? ラビさん、地球ではどうなんですか?」
「俺は全知全能じゃない。知らないことは知らんよ」
そうは言っても何かヒントになりそうな情報を過去に得ていないか記憶の奥底に沈んでいる知識を引っ張り出す。
チワワに入ってから北西にだいたい200キロだ。
脳内に地球儀を作り出して、それを動かす。
「確かラムサール条約で登録されている湿地帯か何かがあったはずだ。メキシコの国定公園になってた」
「なんて名前なんですか?」
「そこまでは覚えてない」
そもそもここがラムサール条約の湿地帯かどうかも不明なのだ。
異世界と地球の地理は、完全一致しているわけではないのが、混乱を加速させる。
そして、分かったところで別に目指していたサルナスの町がヌッと生えてくるわけではない。
「でも、風は気持ちいいよ。湖の近くだからか温度も安定してるし」
「確かにそうですね。サルナスがどこかはともかく、今日はここでキャンプをしませんか?」
モリ君とエリちゃんはここでキャンプをする気満々のようだ。
子供たちもお疲れなので、休憩には丁度良いタイミングではあるが。
「一応、明日以降のルートは確定させておきたい。それさえ済めばキャンプで良いと思う。少なくとも明日の展望なしでの休憩は避けたい」
「そんなに気を張っても辛いだけだろう。ちょっとは息抜きをしようぜ」
「お前は息抜きしかしてないだろ」
倒木に背を預けて座り込んでいるカーターだけには言われたくはなかった。
「ちょっと空から周りの状況を見てくる」
まずは鳥を召喚。
箒にまたがって真上へ空高く飛翔する。
さらにそこから使い魔モードへ切り替えた鳥を射程限界の2キロ真上に打ち上げるように飛ばす。
タウンティンからアカプルコまでの交易船に乗っている時は夜の散歩をよく楽しんだ。
その時に、目印がない太平洋上で、離れた位置に移動した船を探すためによく使った手段だ。
ちょっとした偵察衛星感覚で広い範囲を観測できる。
3千メートル級の山の山頂から見るようなものなので、数十キロ四方の地形がだいたい分かるのは大きい。
湖のサイズは意外と大きい。
南と西方面には特に何もなし。
東方面はテロスの町があった標高の高い岩山地帯が見えた。
見えたのだが……俺が思っていたよりも、位置がかなり北にある。
本来ならテロスの町がある岩山は東か南東に見えないとダメなはずだ。
どうやら、無人の村に迷い込んだ後に方角を見誤って、ルートが少し南にぶれたようだ。
北方面を集中して見ると、霞んでよく見えないが、彼方に別の湖らしきものがあるように見えた。
テロスの位置からして、あの北の湖がサルナスのある湖だろうか?
周辺には街道らしき整地された道も見えるので、町がある可能性は高い。
少なくとも街道には復帰しないとダメだろう。
そこより先は地平線の彼方。
地球が丸い以上はもうその先を見通すことはできないが、どうも川があるように見える。
この湖や北の湖を含めた半径50キロほどが巨大な湿原なのだろう。
これだけ広大な湿地帯ならば、ラムサール条約に登録されてもおかしくはない。
「北の湖が目的地だとすると、湖を右手に見るように山沿いの道を歩いていけば良いか。明日の夜か明後日の午前中には着けそうだな」
山中には何か所か池のような水たまりが見えた。
木もそれなりに茂っているので、果実などの食料調達ができるかもしれない。
ルート確認を済ませて地上へ降りてくると、早くもモリ君とエリちゃんが野営用の天幕を張り始めていた。
タルタロスさんが枯れ木などを集めてきて焚火の準備を始めている。
「みんな判断が早い!」
「でも、見つかったんでしょ、明日のルート。そういう点ではラビさんを信頼してます」
「まあ、見つかったんだけどさぁ」
信頼していると言われると、あまりこちらも文句を言いにくい。
簡単に空から見えたルートについて説明をする。
サルナスがあるのは北方向。山沿いの道を歩けば明後日には着く。
道が歩きやすければ、もう少し早く着けるかもしれない。
これだけ説明すれば十分だろう。
「でも仲間が3人増えたから、幌布も足りなくなってきたな」
「毛布も足りませんね」
子供たちとタルタロスさんは手ぶらで加入しているので、テント代わりに使っている幌布も毛布も当然持っていない。
今のところは砂漠地帯で温かいので地面に敷く2枚と夜露を凌ぐ屋根の2枚で何とか凌いでいるが、これを続けられるかと聞かれるとさすがに厳しい。
少々金がかかったとしても、次のサルナスで買い足さないといけないだろう。
「それはそれとして、すごいのが捕れたぞ」
レルム君を連れたカーターが両手いっぱいの大きさの魚を抱えて戻ってきた。
形はバス系のようだが、サイズはキングサーモンくらいの大きさがある。
「道具もなしでどうやって獲ったんだ?」
「そりゃレルムが電気をバチって」
「ここは異世界だから良いけど日本で違法だからやめろよ」
あまり生態系を乱す行為はやめるべきだ。
来た時よりは美しくという矜持は、無理強いはできないものの、守ってほしい。
「これって食えるのか?」
「淡水魚だから泥臭いかもな。まあ一応捌いてみるけど」
内臓は泥臭いので捨てる。
皮も臭いので剥いで捨てる。
骨も頭もヒレもゴミっぽそうなので捨てる。
塩で揉んだ後に湖の水ではなく、ドロシーちゃんにスキルで出してもらった水で身を洗う。
ドブ臭さはほぼ消えたので、駄目押しで、そこら辺に生えてるミント系の草で香り付けをする。
魚は食べやすくするのと寄生虫対策で細かく包丁を入れて、手頃なサイズにカットした後、酒に漬け込む。
野生のベリーがあったのですり潰し、アルコール分を飛ばした酒と少量の塩で味を整えると甘みと酸味のあるソースが完成。
クッキーを砕いて作った粉で魚の身をコーティング。
表面を焦がして外はカリカリ、中は余熱でふんわりと火が通るように焼く。
ソースを掛ければ、なんかわからん魚のソテーの完成。
付け合わせに、そこら辺の草を軽く湯通ししたものを添える。
お好みでトウモロコシ粉を焼いて作ったトルティーヤに巻いてタコスにして食べても美味しいだろう。
「キャンプ飯をどうぞ。完成BGMは個人で勝手に添えて」
「なんというかお前凄いな。単純に塩焼きにするのかと」
魚を釣ってきたカーターが料理を突きながら言った。
「この手の川魚はそのまま焼いたって泥臭いし、油もなくてパッサパサだから、一手間加えた方がいい。やらない理由がない」
食べてみると白身で意外と美味しい魚だ。
味付けもあり物の調味料で適当に作った割にはなかなか好みの味だ。
甘めのソースのおかげで子供たちも喜んで食べていた。
「今まで釣った魚は即リリースしてたが、食べるのも良いな。日本に帰ったら、オレも本格的にやってみるか」
カーターが釣り竿を持つような動きをした。
なかなか堂に入った動きだ。普段から釣りをたしなんでいるのだろう。
「カーターは釣りに興味があったのか?」
「オレが住んでるのは山梨の田舎だから穴場だらけなんだよ。富士五湖も近いし、海釣りも車なら日帰りで行ける距離だし」
「うちの近く……逗子や葉山にも良い海釣りの釣り場がありますよ。木島……学校の友人と電車で行ったことあります」
ここでモリ君も参加してきた。
関東だと房総あたりに釣り場は多そうだが、モリ君は横浜在住らしいので、例に出すのはやはり近場か。
「静岡とか伊豆の方ばっかり行ってたけどそっちもありだな。でも、葉山とか、途中の横浜や鎌倉は混んでないか?」
「車でも、観光地を避ければ大丈夫ですよ。俺の家の近所から逗子の山の中を抜けていけばすぐです」
「ならばありだな。そのうち案内してくれや」
こういう会話が出てくるのも日本へ帰れる望みが出てきたからだ。
少し安心できる。
ただ、気になったことが一つだけ。
「モリ君とエリちゃんは来年受験なんだからあんまり遊びに誘うなよ」
「それでもたまには息抜きは必要だぞ」
「そうですよ。今は少子化だから普通の私立大学なら入れますって。それくらいの成績は取ってますよ」
モリ君は気楽なものだ。
まあ、本人が言うならばそこそこの成績はあるのだろう。
「トチ狂って東大を受けるだの医学部受験だの言い出さなければまあ大丈夫ってくらいか?」
「医学に興味がないと言えば噓ですけど、うちの両親は普通のサラリーマンですよ。学費がかかる医学は無理です」
「興味があるなら頑張って欲しい……と言いたいところだけど、さすがに学費の問題はなぁ」
ここで俺が「医大の学費くらいくれてやらぁ!」とポンと金を渡せるとカッコいいのだが、こちとら入社2年目のサラリーマンだ。
さすがに医学部の学費は逆立ちしても出てこない。
若いうちだけの特権なので、興味があれば挑戦はして欲しいところだが、無理強いはでき来ない。
どこかにハンターライセンスでも落ちていないものか。
「エリちゃんはどうだい?」
「成績のことは聞かないで」
いつもの元気は全くなく、完全に虚無の表情で答えた。
これはかなり深刻そうだ。
「うん……まあ……Webでなら家庭教師をするよ。モリ君と同じ大学に入れるくらいまでは頑張ろう」
「はーい」
力が全くない返事だ。
これはこちらもやる気を出さないとダメそうだ。
「タルタロスさんはどうですか? 日本に戻ったらやりたいことは?」
何気なく尋ねたが、表情が妙に重い。
「どうされましたか?」
「ああ、いや……家族に会いたいとだけ」
「なるほど、それは大事なことですね」
これは深刻そうな問題だ。
タルタロスさんは最低でも30代。
家族がいるならば、長期間会えないというのはかなりのストレスだろう。
これは子供たちも同じはずだ。
小学生なので親が心配しているというのはありそうだし、学校にも友達は大勢いる……いるよな?
いや知らんけど、いるということにしよう。
なるべくそこらの問題を解決して親元へ帰してやりたいというのは本音だ。
本当になんとかならないものか。
「じゃあ明日も早いし寝るぞ」
毛布の枚数は全く足りない。
俺とエリちゃんがドロシーちゃんを挟み込んで1枚。
モリ君とレルム君で1枚。
カーターとタルタロスさんがそれぞれ1枚。
なんとか4枚で回してはいるが、さすがに無理があるのが現状だ。
そして夜中には、至近距離から寝ぼけたドロシーちゃんが繰り出した鋭いキックを腹に受ける。
毛布どころか地面に敷いている帆布シートから蹴り出され、地面の上に転がされるところまでがお約束。
泣きたい。
早く町に着いて、全員分の毛布を買いたい。
町まではあと2日。
◆ ◆ ◆
私……アデレイドは夜の闇に紛れて、町を飛び出した。
冬の澄み切った夜空は、数え切れないほどの星が溢れている。
この世界の薄暗い町の灯では、星の輝きをかき消すことはできない。
その美しい星の明かりがあれば、他の照明なんて必要ない。
エヴァニアとジュウベイは連れてきてはいない。
一人で抜け出したのは、町で悪さをしているというトカゲ人間について、少し気になったからだ。
話だと、城壁の外側、湖畔沿いに生えている葦の中に潜んでいるという話だった。
普通は夜の闇の中では探すことはできないだろう。
だけど、私の能力があれば、それは可能だ。
「スキル3……アクティブレーダー」
スキル発動と共に、頭の中に白黒の世界の映像が浮かんだ。
黒い背景に、いくつもの白い点が浮かび上がった。
今は、半径10メートル以内にいる、全ての生物の位置が白い点として表示されている。
この範囲を半径500メートルまでに拡大する。
ズキンと頭痛が走るも、耐えられないほどじゃない。
範囲を広げたことで、表示される生物の数が爆発的に増える。
草むらに潜む虫、水辺の葦に隠れて眠る水鳥たち。そして人間。
……この静かな電波だけの世界に、汚い人間なんていらない。除外だ。
虫もいらない。
見たいのはそれ以外の生き物だ。
それでも、まだトカゲは見つからない。
半径を1キロまで拡大。
さすがに頭痛が激しくなるけど、継続だ。
頭を抑えながら、壁沿いに湖畔を歩いていく。
スキル3の効果時間は3分。
効果が切れる度に、何度でもかけ直して歩き続ける。
そうしているうちに、レーダーの隅に目当てのトカゲ人間が引っかかった。
数は3。
大きいのが2に小さいのが1つ。
背負ったガトリングガンがずり落ちないように、改めて背負い直し、ベルトを掴んだ。
全力で、湖畔の湿った土を蹴って走り出した。
日本にいたころの私ではできなかった芸当だ。
100メートルを数秒……金メダリストも超えるほどの速度で駆け出す。
湿った土を踏みしめる度に、都会では感じられなかった豊かな自然の臭いと、爽やかな湖畔の風が吹いてくる。
この世界には、私が求めてやまなかったものが全てある。
澄んだ空気、色鮮やかな緑、どこまでも広がる広い空。
そして……あの親はここにはいない。
余計なことを考えすぎた。
再度アクティブレーダーを使って、トカゲ人間の位置を拾い上げる。
そこにいたのは、二足歩行するトカゲだ。
粘膜に覆われた柔らかそうな皮膚が全身を覆い、手足には吸盤がついている。
そいつは、錆びだらけの鉄の槍を両手で構えて、私ににらみつけるような視線を送っている。
「トカゲというよりヤモリだね。本当にブサイクだ」
目の前にいるのはトカゲが1匹。
他の2匹は葦の陰に隠れている。私のレーダーがそれを検知している。
「悪いんだけど、私には戦闘経験が足りない。少し模擬戦闘に付き合ってもらうよ!」
背負っていたガトリングガンを投げ捨てた。
大きな音を立てて、地面に転がる。
武器として使うのは、アサルトナイフだ。
片方は刃物、反対側はギザギザでのこぎりのようになっているけど、使い道はよくわからない。
そのナイフで、トカゲが振り回してきた槍を受け流した。
空いた左手で槍を掴み取り、そのまま槍ごと力任せに投げ飛ばす。
トカゲは放物線を描いて、地面に強く叩きつけられた。
「1匹じゃ相手にならない。もう1匹も出てきなよ!」
足元にあった小石を葦に向かって蹴り飛ばすと、別のトカゲ人間が現れた。
体は一回り小さくて、武器も持っていない。
そのトカゲ人間に庇われるように、小刻みに震える、とても小さいトカゲ人間がいた。
顔が幼い……どう見ても子供だ。
私が投げ飛ばしたばかりのトカゲ人間が、葦に隠れていた2匹と私の間に割り込んできた。
両手を広げて、先に行かせないとばかりに不気味な声で鳴き始めた。
「親のくせに子供をかばうの?」
槍を構えたトカゲが、私の質問に答えるかのように鳴いた。
必死な鳴き声だった。
「……やめた。興がそがれた」
地面に投げ出したガトリングガンを拾い上げて走り出した。
私の足にトカゲは追ってこられないようだ。
トカゲ3匹は、いつの間にかレーダーから消えていた。
宿に戻ると、エヴァニアがお茶を飲んで待っていた。
「アディちゃん、お帰り。夜の散歩はどうだった?」
いつもの茶化すような雰囲気じゃなかった。
今の私を心から心配してくれているような……優しい声だった。
「つまらない。すべてがつまらない」
「そんなので、本当に戦えるの? 明後日にはラヴィとかいうのが来るんだよ」
「……もう、何もわからない」
イブ千年祭まで、あと2日。