南の湖から歩き続けて2日。
そろそろ野営を考えるかというタイミングでようやく街道……そして大きな湖が見えてきた。
一度間違えた湖よりも更に大きいし、水草の種類や数も多い。
何よりも決定的な違いは、湖畔にはかなり大きな城壁に囲まれた都市が見えることだ。
これが街道の終点にあるというサルナスの町だろう。
「久しぶりの町だね」
エリちゃんは久々の町で浮かれ気味だ。
だが、その気持ちは俺も分かる。
「ここなら水も豊富だろうし、臭い服を洗濯したいし風呂にも入りたい」
飲み水はドロシーちゃんのスキルでなんとかなっているが、身体も服も長期間洗えていない。
なかなか臭いが酷くなってきたので、そろそろなんとかしたいところだ。
「オレは酒!」
「みんな忘れないでください! まずはサンディエゴへのルートを調べることですよ!」
浮かれる俺たちの中で、モリ君だけが冷静にこの先のことを考えていた。
本当にモリ君は真面目だなと思う。
俺の頭の中は風呂と洗濯でいっぱいだというのに、私情を殺してリーダーとしての役割を務めてくれている。
とてもぼくにはできない。
モリ君は年下だというのに、頼りきりで本当に申し訳ない。
《でもカズ君はそういう頼れるところが昔からあるから頼もしいんだ》
……いや、カズ君って誰だよ。モリ君だろ。
「そうは言っても、もうすぐ夕方だ。まずは宿の確保と食事を確保してからにしよう」
「……まあ、それもそうですね。明日の朝から調べましょう」
モリ君もしぶしぶ納得してくれたようだ。
その時、背後からガラガラと車輪の音が鳴り響いてきた。
慌てて振り返ると、数台の馬車が街道を進んできているのが見えた。
邪魔にならないように道の脇に避ける。
馬車は俺たちに気を留めることもなく、そのまま先へと進んでいった。
「馬車だ……馬が車を引いてる……」
車を引いているのはトリケラトプスでも牛でも蒸気エンジンでもない。
馬が引いている本物の馬車だ。
俺たちは馬車が通り過ぎるのをポカンと口を開けた間抜けな姿勢のまま見送っていた。
「この世界って馬が実在したのか……」
「多分、馬がいない世界の方が珍しいんじゃないでしょうか」
「こんなヘンテコな世界もあるくらいだし、ウマが人間の姿をしてレースをしている世界だって多分あるだろ」
俺たちが馬の定義について話していると、今度はラクダに荷物を載せた隊商、徒歩の旅人など、様々な人々が次々に歩いてきた。
先ほどの馬はヨーロッパ風だが、今度のラクダはアラブ風だ。
まだ町の外の街道だというのに、ふと気がつくと、大きな町の商店街かと錯覚するほどの大勢の群衆が周りを歩いていた。
欧州、アラブ、西アジア風。
様々な地域に似た風体の人々が、みんな同じ方向を目指して歩いている。
テロスの町を出てからは街道でほぼ人に会うことはなかったというのに、これほどの人間はどこにいたのだろうか?
疑問に思い、そのうちの1人に声をかけた。
「すみません、どちらから来られました? 私たちは南……じゃない、東の方から来たのですが、全然人がいなかったので」
「東に町なんてあったの?」
予想外の答えが返ってきた。
テロスの町と交流はないのだろうか?
「私たちは北からだよ。アイ川沿いに南に下ってきたの。今日は千年祭なんだから」
「千年祭?」
おうむ返しに問い返すと、「そんなことも知らなかったのかい?」と笑われた。
「毎年やってるイブ討伐祭だけど、今年はついに千年目だよ。最近は異常気象続きで祭りはどうするんだろうと思ってたけど、千年目なんだから、やっぱりやるみたいで」
「千年目ねぇ……」
礼を言うと通行人は、俺たちを変人の集まりでも見るように去っていった。
どうやらこの行列の大半は、祭り目当ての観光客のようだ。
試しに空に鳥を飛ばして周辺の地形を確認すると、湖の北に向かって意外と大きな川が延びている。
川には手漕ぎの船も数隻確認できた。
この川を使って湖畔の町へ荷物を運んでいるのだろう。
「この町から別の方向に街道が伸びてるみたいだな。少なくとも北方向に伸びていることだけはわかった」
「いい話を聞きましたね」
「ベストは北西方向、できれば海岸に出る西ルートだけど、砂漠を歩くより川がある街道沿いを進む方が楽だから、アイ川沿いルートとやらも調べてみよう」
周辺の地理について聞いた後に、どこをどう進めば良いか検討したいところだ。
◆ ◆ ◆
サルナスの城壁は磨き上げられた大理石で作られているようで、それ自体が夕日を受けて、赤く輝いているように見えた。
城壁の上にはアラブ風の寺院の上部が城壁越しにのぞいている。
そして、祭りが行われているからだろう。
城壁の前にも屋台が並んでおり、あちこちから食べ物の良い匂いが漂ってくる。
町の中からは笑い声と陽気な音楽が響いていた。
こういうところは日本の祭りと同じだ。
もちろん、祭りで発生する問題まで日本と変わらないらしい。
町への唯一の出入り口であろう、城壁に取り付けられた城門は、誰でもウェルカムとばかりに全開したままで固定されていた。
普段ならばそれで事足りたのだろう。
だが、今は祭りを観ようと詰め掛けた観光客が、門の前で大渋滞を起こしている。
鎧兜に槍という姿の町の兵士が行列を整理しようと頑張ってはいるのだが、観光客の人数に対して明らかに人手が足りていない。
そのために行列の後ろの方は大混乱で酷いことになっている。
想定以上の観光客が押し寄せて、町のキャパを超えてしまったのだろう。
既に町に入るのを諦めて、城門の前でテントを広げて野営を始めようとしている観光客までいる。
もちろん、治安の問題で兵士に追い払われるのだが、追い散らされてもすぐに別の場所でまたテントを広げ始める。
せっかく大きな町に来たというのに、祭りの日にかち合うとは、かなり間が悪かった。
はぐれないようにモリ君とエリちゃんはドロシーちゃんと。
俺はレルム君と手を繋いで、身長が高くて目立つタルタロスさんを目印に歩いていく。
入場までどれくらいかかるのか、つま先立ちで先の様子を見ている時に、ふと気づいた。
城門の少し上に金属板がはめ込まれて、そこへ何やら文字が彫り込まれている。
タラリオンの時と同じだ。
別にイタリア語を読めるわけではないが、ゲームによく登場するので、文字の形と並びだけは覚えていた。
「la citta dolente」
その下にも色々と文は続いているものの、俺に読めるのはその箇所だけだ。
だが、その頭の部分だけでも情報としては十分だ。
「憂いの町……地獄シリーズはまだ続いていたみたいだな」
「ラビさん、それだけだと意味が分かりません。説明を」
「あそこの城門のところに書いてあるのは、やっぱりダンテの神曲に登場する地獄のネタだよ」
「タラリオンが1でテロスが3でしたっけ?」
「そうだよ。そしてこの町は地獄の第五圏ディーテ。中には罪人と堕天使が閉じ込められているという憤怒者の町」
またも分からないことだらけで頭が痛い。
ダンテの神曲を知っている人間が故意に手を入れないと、自然発生するものではない。
カーターの話だと運営ではないということだが、それならば誰がこんな手の込んだ仕込みをしているのだろうか?
「地獄の第五圏ってどんなモンスターがいるんですか?」
「入り口に悪魔軍団。町を入ってすぐのところに復讐の3女神がいたとされるけど、ここから見る限りは、そんなのはいないよな。もしいたら祭りどころじゃないし」
今のところモンスターが暴れたりしている様子もなし。
それどころか寂れている気配すら皆無で、祭りで浮かれている陽気な町という印象しかない。
「罪人と堕天使というのは?」
「罪人は何かのメタファーなのかもしれない。この町の住民は何かの罪を背負った罪人ですみたいな」
「もしかして、また運営が何か仕込んでいる可能性も?」
「今までの流れだとありうる話だ。何か仕込んだ場所に、敵のヒントとして銘板を付けているのかもしれない」
悩みどころだ。
もし、町の中に何か地獄になぞらえた罠が仕掛けられているのならば、入ること自体に危険があるかもしれない。
それ以前の問題として、この大行列だ。
町の中に入るには、あと何時間並ぶ必要があるのだろうか?
「なのは完売! なのは完売です!」
少し待ってみたが、行列が全く動く気配がなかったので一度引き返すことにした。
この分だと、1時間以上待っても、町には入れないだろう。
門のところで観光客がほぼ止まっているのは、町の中に入っても大行列が続いているということだ。
状況が好転する要素がない。
「これだけの人数がいると宿は絶望的だな。入り口ですらこれなのに、宿のキャパが全く足りている気がしない」
「その人たちとの宿の部屋取り競争が始まる……いや、もう始まっているんでしょうね」
「それはマズいな。宿がなくなる前に早く行こうぜ」
「いやちょっと待て、お金……」
俺の話も聞かず、カーターは1人で大混雑している門の方へ走っていった。
所持金の管理はモリ君がしているので、カーターは金を持っていないはずだ。
それ以前の問題として、行列が動かないのだ。
ここで焦っても仕方ないと、すぐに気づいて戻ってくるだろう。
「でもお祭りかぁ」
「暦の上ではもうすぐクリスマスだし、それに合わせてるのかなと」
「えっ? もうそんな時季だっけ」
「暑いのと旅をしてるから感覚が狂うし仕方ないけど、そろそろ12月末だよ」
日本……地球とこの世界のカレンダーが一致しているのかは不明だが、時期的にはそろそろクリスマスのはずだ。
「イブ」というのは、さすがにクリスマスイブとは無関係だと思うのだが、冬至などを兼ねての祭りというのはあり得る。
「これはまた野宿かな。もし町に入れて、宿に空き部屋があったとしても、お祭り価格で宿の値段が跳ね上がって予算オーバーの可能性だってある」
「せっかくの町なのに……まあ仕方ないか」
酸っぱい葡萄ではないが、これでは町に入れそうにない。
宿に未練を残すよりは、きっぱりと諦めた方が良いだろう。
「俺たちも、近くで野営しましょうか? さすがに門の前はダメですけど」
「そりゃそうだ。門の前で勝手にキャンプは無法すぎる。せめて少しは離れないと」
門の前には人が殺到しているが、祭りに便乗して城壁の周りに出している屋台ならば、それほど並ばなくとも食べ物は買える。
宿については諦めるしかなさそうだが、食べ物だけはまともなものが手に入りそうだ。
子供たちも行列待ちで疲れ切った様子だ。
それに加えて何か罠が仕掛けられているかもしれないとなれば、もはや町の中に入る意味はない。
城門の前に出ている出店を見て回るだけでも、祭りの雰囲気を楽しむには十分だ。
俺たちは一度行列を離れて、人が少なそうな湖畔の丘へと移動した。
他の野営組を見ていると、景色が綺麗な湖のほとりにテントを立てるのが人気なようではある。
だが、俺の経験上、水辺に近い場所でテントを張ると湿気が強すぎてテントや毛布が湿気る上に虫が多すぎて面倒が多い。
景色くらい、テントから歩いて見に行けばよいのだ。
それならば、人が少ない丘の上の方が快適だろう。
湖からのひんやりとした風が吹き抜けてきて、気温もちょうどいい。
「食事はそれぞれバラバラで取るということでいいですね。お金だけは渡しておきます」
お金の管理をしていたモリ君が、この町で使うための小遣いをくれた。
夕食分にしては若干多めだ。
これで祭りを楽しめということだろう。
「モリ君とエリちゃんも2人で楽しんできて。子供たちの面倒はこっちで見るから」
俺はモリ君とエリちゃんの2人に声をかけた。
「ラビちゃんだけで大丈夫?」
「こっちは大丈夫だから、たまにはゆっくり楽しんできていいよ」
「うちはママと一緒がいい」
「いや、ドロシーちゃんは俺と一緒だ。わかるよね」
ドロシーちゃんの目を見ながら強い口調で言うと、俺の意図を察してくれたようだ。
そうしてモリ君とエリちゃんの2人を半ば強引に追い出した。
2人は何度かはこちらを振り返っていたが、俺たちが動かないことを察すると、2人で城門に並んだ出店街の方へと歩いていった。
「パパとママはデート?」
「うん、クリスマスだからね。俺たちは邪魔にならないようにしないと」
「クリスマスなら仕方ないか」
ドロシーちゃんも納得してくれたようだ。
こういう気の使い方をできるのが大人の余裕というものだ。多分。知らんけど。
「タルタロスさんは大丈夫ですか?」
「ワシは子供たちの面倒を見ている方が安心するんでな」
「そういうことでしたら一緒に行きましょう。2人が祭りで食べたいものは?」
「たこ焼き!」
「ベビーカステラ!」
「……あるのかな、この世界に」
色々と不安要素は山ほどあったが、さすがに祭りの日くらいは何も起きないだろう。
少しくらいはゆっくりしたいところだ。
◆ ◆ ◆
「ゆっくりしたいと言っただろ!」
子供たちを連れて出店を冷やかしている最中に、町の中からいくつもの絶叫が聞こえてきた。
最初に悲鳴が聞こえた時は、祭りで何かイベントでも始まったくらいの認識だった。
だが、どうも様子を見ている限り、何か事件が起こったようではある。
城門から次々と人々が、我先にとばかりに悲鳴を上げながら飛び出してくる。
中から飛び出してきた人々は、入場待ちの観光客とぶつかって、更に混乱を加速させていた。
どうやら、何かが出現し、町の中にいた人が、それから逃げようとしてパニックになっているようだ。
ただ、城門付近で揉み合いになっている人々の声がうるさすぎて、具体的に中で何が起こっているのかまでは把握できない。
「全然見えないな。中で何が起こっているんだ」
「呪いだよ」
出店の親父が俺の独り言に妙に冷静な反応を示した。
「イブの呪いだよ。あいつらは滅ぼされた恨みを千年かけて呪うって。それを鎮めるための儀式を、こんなお祭りにしちゃうから」
呪いという言葉は少し気になる。
出店の親父に詳しく話を聞くことにした。
出店の親父に金を払って、ホットドッグらしき料理を7個注文する。
買い物をしてやれば、口も滑らかになると判断してのことだ。
パンが焦げる香ばしい匂いに見事釣られたという理由もある。
「嬢ちゃん、気前がいいね」
「仲間の分もあるので。それより何かご存じなのですか?」
「知ってるよ。まあ、祭りに便乗させてもらってる俺らが言えることじゃないのも分かっちゃいるが」
出店の親父は手慣れた動きで焼けた鉄板の上でソーセージとパンを転がしながら話し始めた。
「昔、この湖にはイブって町があって、そこには知能のあるボクラグと呼ばれるトカゲ人間が住んでいたんだ」
「トカゲですか」
トカゲ人間が町で暴れているという話は道中の村で聞いていた。
どうやら、トカゲ人間は突然出てきた存在ではなく、昔から伝承に登場する存在だったようだ。
「そんな町に人間がやってきた。当然、トカゲとの間に戦争が起こり、結果、トカゲは絶滅した。それがサルナスの町の始まりだ」
「絶滅って……まだ残っているんですよね」
「昔話だから誇張もあるんだろう。まあ、トカゲどもに、かなり酷いことをしたんだろうな」
そりゃ恨まれても仕方ないと思った。
「トカゲの王が最後に言い残した言葉は『千年恨むぞ』だ」
「それが千年祭の今日に爆発したと」
「トカゲは期限を区切ったつもりじゃなく、永遠のつもりだったんだろうけど、人間の方は千年経ったので、もうトカゲの呪いはないと思っちゃったんだろうな」
「それで油断してこの有様だと」
「そういうことだ。人間は果たして頭が良いのか悪いのか」
イギリスが中国から香港を99年借用するという契約と同じだろう。
永遠のつもりで99年と適当な数字を付けたせいで、99年後にみんな大困りというやつだ。
城門の方を見てみるが、まだ混乱は収まりそうにない。
出入口で町から出たい人間と、事情が分からず、まだ中で祭りが開催されていると思って入場待ちをしている観光客がデッドロックを起こしている。
結果として、誰も町からは出られず、入れもしないという状況が続いている。
混乱を収めるには兵士の手が足りていない。
その様子を無言で見つめていた俺に、出店の親父はホットドッグを注文の数より多い10個を渡してきた。
湯気が立ち上っていて、パンが焼けた香ばしい匂いがたまらない。
「残念ながらこの騒ぎじゃ今年はもう店じまいだ。とばっちりが来る前に撤収するわ。中途半端に余った分は、捨てるのも勿体ないしオマケだ」
「ありがとうございます」
俺たちは出店の親父に礼を言うと、城門前で混乱している観光客たちが雪崩込んでくる前に、その場から退避した。
「美味しそう。早くちょうだい」
「はいはい、火傷しないようにね」
レルム君とドロシーちゃんに焼き立てのホットドッグを食べさせる。
「タルタロスさんも温かいうちにどうぞ。今のうちに食べておかないと持ちませんよ」
「ああ、いただこう」
まずは、野営準備をしている小高い丘へ戻ることにする。
移動中に焼き立てのホットドッグにかぶりつく。
パンはテロスで食べたものと同じくパッサパサの全粒粉パンだ。
だけど、一度鉄板で焼いたことで表面はカリカリ。中はふわっと柔らかくなっており、生地から、かなりの甘みを感じる。
それが、若干油と塩分が多めのソーセージと合わさると、なんともいえない美味しさになっている。
祭りの屋台メニューはハズレかそこそこというイメージだったが、このホットドッグは大当たりだ。
「師匠、町の人は助けなくて良いんですか?」
レルム君が未だ混乱している城門の方を見ながら言った。
「城門の前にいる大勢の人たちを押しのけて中へ入るのは無理だろう。それに、状況がまだよく分かっていない。まずは、別の場所から町に入るルートを探してからだ」
「なるほど」
そう話していると、モリ君とエリちゃんも「ひどい目にあった」と言いながら帰ってきた。
どう見ても祭りを楽しんだようには見えない。
なんてクリスマスだ!
「これで全員揃ったか」
「全員じゃないです。カーターさんがいません」
「そういえば……あのアホは何をやってるんだ」
あいつならうまく立ち回っているだろうから、今は気にしないことにする。
城門の渋滞が解消したあたりで、また戻ってくるだろう。
それはそれとして、町の混乱の原因は気になる。
「まずはここから鳥を飛ばして町の中の状況を確認する。そのついでに、城門以外に町に入れそうな場所を探してみる。具体的にどう動くかは、それからだ」