カリフォルニア湾に差し掛かったあたりで、ようやく乾燥した砂と短い草とサボテンばかりの殺風景な地形が姿を消した。
熱く乾燥した強風、サンタ・アナ風も吹き付ける中、ひたすら馬車を進める。
「サンタナはメキシコに吹く強風じゃなかったのか」
「どこの知識だ?」
「シュトロハイムだよ」
箒で馬車と並走しながら、御者席にいるカーターに話しかける。
暑さも少し和らいだからか、馬たちも調子がいい。
むしろ本来の冬の寒さがやってきたのか、今までの砂漠装備だと少し寒いくらいだ。
小高い丘を登りきったところで、ようやくアメリカ西海岸……太平洋が見えた。
そして、その海沿いに、数え切れないほど多くの黄色い屋根を持つ建物が立ち並ぶ光景が見えた。
民家の間から、時折巨大な塔が伸びており、遠目にはまるで現代の高層ビルが立ち並ぶ大都市のようにも見える。
オズの魔法使いでは、緑や黄色い服を着たウィンキー族という民族が暮らす国。
ヴィンカスにある町のはずだったが、今のところ、黄色の要素は屋根の色くらいだろうか。
「いや、あれは屋根だけじゃないな。建物全体が黄色いのか」
鳥の使い魔を喚び出して、その眼で遠くにある町の様子を見る。
どうやら黄色っぽいレンガを積み上げて町を作っているようだ。
さらによく見ると、明らかに古い建物が並んでいる場所がある。
石材は一部が風化して、表面がボロボロに崩れてきている。
石材に付いている白い粉のようなものは、海風に含まれている海水が蒸発して塩だけが残ったのだろう。
海沿いの町にはたまにあることだ。
海沿いには防風林が植えられているが、数が少なくて若いので、町全体をカバーできる規模ではない。
建物が潮風で劣化すると気づいて、最近になって植えたのだろう。
何より目立つのは、町の中心部にある尖塔だ。
周囲の建物と比べてもひときわ高い。
大理石でも使われているのか、色は真っ白で、それが太陽の光を受けて輝いて見える。
その頂上部分にはお椀のような形をしたパラボラアンテナのようなものが複数付いている。
電波を使ってどこかと通信しているのかもしれない。
話に聞いていた地球で言うところのサンディエゴ……ウィンキーの町だ。
まず、指で尺を作って1、2、3と町の中心にある白亜の塔の高さを計っていく。
「500メートルはあるか? 東京タワーよりも高いだろう」
「そんな高い塔を建てて何をするつもりなんでしょう?」
俺と同じように指でだいたいの高さを見ていたモリ君が聞いてきた。
「タラリオンでもやたら高い塔の上に……なんだっけ、名前は忘れたけど、ボス的なやつがいただろ。あれと同じかもしれない」
「つまり、今から会いに行く魔女はその塔の頂上にいる?」
「上るのが面倒そうだな。直通エレベーターがあれば楽なんだろうけど」
ここがタウンティンを出発してから、ようやくたどり着いた俺たちの旅の終着点。
そして、俺たちが日本へ帰るための希望の地でもある。
「町に住んでいる人たちも普通だね」
エリちゃんが額に手を当てて目を凝らして町の様子を見ていた。
「オズの魔法使いの悪い方って要はあれでしょ、ウィキッド」
「ミュージカルや映画のあれはオズのスピンオフ作品だから、どこまで設定が反映されているのか」
そもそも今から会いに行く人物はウィキッドの主役のエルファバではない。
元日本人の
ハルクみたいな緑の肌の魔女が出てくるとは思えない。
普通のおばあちゃんが「よく来たねーどうぞゆっくりしてってねー」とお茶を出してくれるイメージの方が強かった。
「ラビさん、地球のサンディエゴってどんな町なんですか?」
「別に俺は人間辞書じゃないから、元メキシコ領でアメリカ西海岸の大きな町というくらいしか知らないよ」
「特に何があるってわけじゃないんですね」
「ロス、サンフランシスコ、ラスベガスみたいな分かりやすい町の方が観光にも向いてるしな」
「ええ……」
そうは言っても興味がない場所についてはそこまで調べていないので、知らないのは仕方がない。
今回も日本へ帰還するための情報を持っている人物が住んでいなければ、来ることはなかっただろう。
「まあ、地球のサンディエゴと位置は同じでも全然違う町みたいだし、いいんじゃないかな」
なだらかな丘陵地帯から続く街道を下って、町へ向かう。
ウィンキーの町に城門はない。
街道から直接町の中心部へ繋がっている。
ただし、道幅はかなり狭い。
馬車では、町の奥の方まで入っていけそうにない。
見回すと、広い空き地があったので、そこへ一時馬車を停めた。
駐車違反の取り締まりは来そうにないので安心だ。
「馬車はここに置いておくとして、誰か見張りは残しておきたいところだな。馬車をここに停めるのはダメだと言われたら、すぐに動かさなくちゃならないし」
「じゃあ、オレはここで馬車の見張りをしとくよ」
カーターが挙手して言った。
誰かがやらなくてはいけないことなので、申し出はありがたい。
だけど、カーターが来ないのはそれはそれで問題だ。
「でも、お前の知識が役に立つかもしれないし……」
「オレの立場を忘れたのか? さすがにオレが直接行くと話がこじれそうだし、ここで待ってるよ」
カーターは超越者Bに雇われているはずの人間だ。
超越者Bと今から会う西の魔女との関係は不明ではある。
同一人物ならば問題はない。
だが、別人であり、敵対関係……までいかなくとも、あまり仲が良くない関係ならばどうなるか?
カーターがいることで、俺たちが日本へ帰るための話に支障が出るかもしれないという疑念はある。
「じゃあ悪いけど頼むわ」
「ああ。しっかり話をしてこい。話がこじれるようならばオレを呼べばいい」
カーターに礼を言い、俺たちは町の中心部にある尖塔を目指した。
◆ ◆ ◆
尖塔の前には小さい守衛室らしい建物があった。
そこにいた受付の男に
「ここにおられる伊原周子という方に会いたいのですが」
「少々お待ちください」
紹介状を受け取った男は、塔の下にある小さい小屋へ手紙を持って走っていった。
待つこと5分。
男が建物から小走りで戻ってきた。
「魔女がお会いになるとのことです。ただし、会うのは紹介状に記載されている3名だけだと」
「3名?」
「上戸、小森、赤土の3人とあります」
それは仕方ない。
後から加入したレルム君、タルタロスさん、ドロシーちゃんの名前が書かれていたら驚きだ。
立場が怪しいカーターの名前が漏れているのも当然といえば当然である。
「空白の部分にあぶり出しで名前が浮かび上がってくるとかもなし?」
エリちゃんがわけの分からないことを言い出した。
「あったらびっくりするな。そんなことをやる意味が分からなくて」
さすがに、あの捻くれ者の知事でもそんな愉快なことはやらないだろう。
「それで、塔の上に行くにはエレベーター的なものが?」
「いえ、魔女は1階の執務室におられます」
受け付けの男が指差した先には、先ほどから見えていた簡素な木造の小屋があった。
暑いからか、小屋の窓は全開になっており、たまにチラチラと女性らしき影が室内を動いているのが見える。
どうやら来客のために書類を片付けるなどの部屋の掃除をしているようだ。
あれが魔女なのだろうか?
塔の一番上に住んでいるというイメージがあっただけに、何か拍子抜けするものがある。
ひどいネタバレを見せられた気分だ。
「うん……まあ……上の方まで移動するの面倒だもんな」
塔の高さは数百メートルだ。
エレベーターもなしにどうやって上がるのか疑問だったし、最悪階段を頑張って上るとなると大変だと思っていた。
その解決方法は、上まで行かなければいいというあまりにシンプルなものだった。
「タワマンのエレベーターが止まって、高層階に住んでる人が必死で階段を昇り降りしてるニュースを見ましたけど、危機回避という点ではありなのでは?」
モリ君が言っているニュースは俺も見た覚えがある。
水害などでエレベーターが動かず、高層階から非常階段を必死に降りている光景だった。
「偉い人がそれでいいのかな?」
質実剛健にした結果こうなったのだろうが、何か騙されている気がする。
「ちょっと時間は分からないので、子供たちと適当に食事でもとって待っていてください。終わったら合流します」
モリ君がタルタロスさんに銀貨を渡した。
「じゃあレルム、ドロシー、行こうか」
「それじゃあね」
「師匠、何かあれば連絡ください」
タルタロスさんが子供たちを連れて塔の前から去っていった。
残ったのは最初の遺跡にあった扉を抜けた、俺たち初期メンバー3人だけだ。
「ペルーを旅立ってから3か月ちょっと。ようやく長かった旅の終着点だ」
「終着点ってわりにはあっさりしていますけどね」
「見た目は終着点というか、田舎の電車の終着駅というか」
エリちゃんの言うとおり、終着点の見た目はただのプレハブ小屋。
日本へ帰るための旅のゴールに到着したという達成感は皆無なのだが、現実はこんなものなのだろう。
俺は帽子を脱いでローブの汚れを払った後に事務所の扉をノックした。
◆ ◆ ◆
事務所の奥には書類の山を持って立っている若い女性がいた。
黒いレディースのフォーマルスーツに眼鏡。
黒髪をアシンメトリーに分けている。
仕事ができる会社員といった風体であり、魔女のイメージは皆無だ。
知事と同じ年齢なら60代後半から70代のはずだが、目の前にいるのはどう見ても20代。
多めに見積もったとしても、せいぜい30代前半。
本人ではなく、魔女の娘か孫なのだろうか?
俺たちがどう反応していいのか困っていると、女性から声をかけてきた。
「お前たちだな、
「はい、失礼いたします」
「いや、余計なビジネスマナーとかいいから適当に座ってくれ。ここは日本じゃないんだ」
女性はそう言うと部屋の隅に置かれていた粗末な木の椅子を並べて俺たちの前に置いた。
「はい、ここに座る!」
「は、はい」
俺たちは女性の指示通りに椅子へ腰かけた。
「高校生が2人に中学生が1人。よくまあこんな地の果てまで来たな。タウンティンでじっとしている方が楽だっただろうに」
「日本へ帰るためでしたので、そこは頑張りますよ」
「そうか、若いのに偉いな。連絡してくれりゃ迎えに行ったんだけどな。まあ5年か10年後くらいだが。瑞穂に会ったのもそのくらい前か?」
「5年は流石に……」
「そうか、まあゆっくりしてくれ。ただ、この事務所に来客用のお茶は用意してないから、いつまで経っても出てこないのでそのつもりで。飲み物が欲しいなら、ここを出てちょっと行ったところにコーヒー店があるからそこで買ってきてくれ」
女性は早口でそう言うと机の上に置いていたタンブラーを手にとって見せた。
デザインは日本にもある有名コーヒーチェーン店のものにそっくりだ。
「私のお勧めはキャラメルラテだ。甘みと香ばしさのバランスが良い」
「そんなメニューを出す店があるんですかこの世界に?」
「チェーンではなくこの町のオリジナルコーヒー店。地球の味を再現させようと思ったけど、こういうのは
女性はまたも早口でまくし立てた後にハハハと豪快に笑い始めた。
コーヒーのような麦茶ということは、イタリアのオルヅォに近いものなのだろうか?
「もしかしてオルヅォ?」
「なんだよオルヅォって? 麦茶だよ麦茶! 大麦を炒って水で煮だしたやつ。わずか半年で日本のトレンドって変わった? 日本の学生は、もうお婆ちゃんが大量生産した麦茶を飲まないのか?」
女性はそう言うとタンブラーに口を付けて中のコーヒー(?)を飲むも、すぐに眉をしかめた。
「ぬるいな。出てこい、氷」
女性がそう言うと、何もない空中からタンブラーへと氷が降り注いで中を満たした。
満たすだけではなく氷はタンブラーから盛大に溢れ出して床へゴロゴロと転がっていく。
だが、女性はそのことを気にも留めない様子だった。
「量の調整は何度やってもうまくいかんな」
あらゆる意味でおかしい。
この女性は何者なのか?
そして「わずか半年で日本のトレンドが変わった」とはどういう意味なのか?
「そうそう、申し遅れたな。私は
「いえ、それは曖昧な情報なので大丈夫です」
「まあ、西の魔女うんぬんはただの噂だもんな。そちらは
「はい。私が上戸で、こちらが小森と赤土です」
「よろしい。メンバーに過不足なし。それでは本題に入ろう」
伊原は急に真面目な表情になった。
「まず私が何者かについてだ。私は過去に5回のランクアップを行っている。人間を辞めたのは3回目。その度に召喚時の年齢に巻き戻るので、見た目は若いが実年齢は67歳。子供でも孫でもなく本人であることを伝えておく」
「ランクアップは1回だけでは?」
「誰がそんなことを決めた? ランクアップは既定のメダリオンさえ集めれば何回でも行える。もしかしたら回数の上限はあるかもしれないが、もったいないので確認はできていない」
もしその話が本当ならば、伊原が知事の旧友ということで間違いはないのだろう。
ただ、そのランクアップシステムだとおかしいことになる。
「もしランクアップを何回もできて、その都度強化されるのならば、高レアリティよりランクアップしやすい低レアリティの方が強い……強くなるということになりませんか?」
「そうだよ。おそらく運営は私たち同士の殺し合いをうながすために、わざと穴だらけの設定にしている。モンスターを狩るよりも、人間同士で殺し合った方が強くなれるシステムだ」
伊原は露骨に顔をしかめた。
俺が以前に予想していた通りだ。
わざと人間同士を殺し合わせるために、あえてメダルシステムはいびつにしていると。
俺も運営の露悪的なところには怒りを隠せない。
モンスターを倒した時のドロップがショボいことや、人間同士で殺し合った方がメダルが入手しやすいこと、ランクアップ時の能力向上が流石に高すぎるという点には以前から気付いていた。
さすがに複数回ランクアップができることには気付かなかったが。
伊原の話が全て真実ならば、本当にモンスターなど無視して人間を狩りまくった方が効率は良くなる。
特にSRのメダルはランクアップに必須なのに人数が少ないので、必然的に奪い合いになるだろう。
「続いて、私が召喚された年代についてだ。私がこの世界にやって来てから50年が経つが、日本に居た頃の元号は令和だ」
「えっ?」
「君たちと、おそらく同じ年。もしくは半年前になるのか? 君達は何月に召喚された?」
「私は10月31日。こちらの2人は10月28日です」
召喚されたのはハロウィンの日。それは間違いない。
何しろ俺の存在、ラヴィ(ハロウィン)そのものがハロウィンであると証明している。
「え? 何故、召喚日が違う? 一斉に喚ばれるはずじゃないのか?」
「それは説明すると長くなりますが……」
「いやいい。それは後でじっくり聞こう。私たちは4月。新学期が始まってすぐなので、同じ年のほぼ半年前に召喚されている」
違和感は州知事と話していた時にもあったので、予感はあった。
バイオエタノールやら、LEDやら、50年前の人間にしては現代の技術に詳しすぎるとは思っていた。
俺達の元になっているキャラがソシャゲなことについても説明できた。
召喚されたのが50年前ではなく半年前ならば、ソシャゲのキャラを再現することもできるだろう。
「このことに気付いたのは、300年間の召喚者について調べていた時だ。残っている記録のほぼ全ての召喚者が、生まれは平成と語っていた。まあ、平成が300年くらい続いているパラレルワールドの日本が存在していれば、この推論は崩壊するのだが」
さすがにそんなオーマジオウが支配していそうなデコボコした平成世界など実在しないだろう。多分。
「ここまでは全て前提の話だ。それでは本題、日本へ戻るための話をしよう」
ついに来た。
俺たちはこの話を聞くために3か月かけてここまでやって来たのだ。
伊原が口を開いたその時、耳を貫くような轟音が事務所の壁を粉砕した。
「
「プロテクション!」
反射的に放った俺とモリ君の防御系スキルが、正面から突っ込んできた凄まじい質量の水流を受け止める。
足元の床板が凄まじい振動と共に跳ね上がった。
飛散した水飛沫が顔を叩き、視界を白く染め上げる。
水流?
ここに来て水流!?
嫌な予感しかしない。
決して起こってほしくない現実が、ここにきてやってきたのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「無論」
伊原はこんな状況でも全く動じずに、タンブラーに入ったコーヒーを飲んでいた。
その後に伊原は無造作に腕を払う。
すると、プロテクションの壁がまだ防ぎ続けていた水流が、一瞬で消滅した。
伊原は面倒そうに椅子から立ち上がり、破壊された壁の先を見て、わざとらしい大きなため息をついた。
「
「あいつらというのは?」
「クソ運営がよくやる手だよ。ゲーム途中で死んだ参加者のクローンを作って、ぶつけてくるんだ。主に嫌がらせの意味でな」
「途中で死んだ……」
ドロシーちゃん、レルム君、タルタロスさん……
思えばおかしなところは多数あった。
最初の遺跡で低予算モンスター……ドクロの顔をしたロボットに連れ去られて以降意識がなく、気がついたらタラリオンの町にいたこと。
2か月以上の記憶がなかったこと。
旅をしてきたとは到底思えない、綺麗な衣服を着て現れたこと。
濃霧のような水蒸気の彼方、数人の人影が見えた。
大きな影はおそらくタルタロスさん。
その横に立つ2つの影は子供たち……ドロシーちゃんとレルム君。
他にも5人以上の影が見える。
「知り合いが混じっているかもしれないが、容赦はするな。所詮はただの複製人間だ。人格はない」
「人格はないって……」
それはさすがに嘘だ。
あの3人にははっきりとした人格があった。
……あったように見えた。
「言っておくが、私が対応すれば、全員を塵に変えて消滅させる。それは君たちの望みか?」
「もちろん違う!」
モリ君が鞄から武器の槍を抜き取って構えた。
「恵理子、行くぞ! 俺たちで仲間を止めるんだ」
「でも……それはドロシーちゃんたちと戦うってことでしょ」
だが、エリちゃんは動こうとしない。
目の前の光景を信じられないとばかりに、ただ立ち尽くしている。
「戦わなきゃ止められない……ならば、力づくでも止めて、正気に戻すんだ」
「それでも……」
「やらなきゃいけない……今はそれしか選択肢はない」
俺も箒を構えた。
何が正しいのかは分からない。
だけど、今やるべきことは、立ちはだかってきた仲間を無力化して拘束することだ。