歩く足には棒当たる   作:夜の機動戦士

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第1パートです


暴かれたこころ

「歩く足には棒当たる」――。

 

 動いて努力していれば、善いことにも悪い事ことにも出会うが、黙って家の中に引っ込んでいたのでは、無事な代わりに何の生き甲斐も生まれてこない、という意味のことわざです。

 

 別の辞典では、「どんなことでも物事を行えば、わずらわしいことが起き、面倒な関わりを持たなければならなくなる」ともあります。類義語としては「犬も歩けば棒に当たる」があり、こちらの方がずっと広く知られていますが――。

 

 ことわざや慣用句は、遥か昔から伝承されてきた訓戒や風刺。世代を超えて普遍的に通じる名句であるからこそ、今のキヴォトスにも根付いているのです。

 

「歩く足には棒当たる」は、行動を起こせば幸運に巡り合えるかもしれない、と捉えることもできますが、行動を起こしたばかりに不幸に遭ってしまう、と捉えることもできてしまいます。だから、遺されてきた言葉を受け止めてどのように自らの訓戒とするかは、私たち自身の心の持ちよう次第なのかもしれません。

 

 結果を求めるならば行動を起こせという教訓。

 私はそう受け止めました。

 

「……ふぅ、有意義な時間が過ごせました」

 

 朝のモノレールが、速度を落としていきます。通学中のひと時は、学習と思索にふけっているとあっという間です。図書館から借りてきた「ことわざ由来事典」を、私は鞄にしまいました。

 

 自然科学の本を好むのは、ミレニアム生としてある種の必然。ですが、私たちが普段用いる「言葉」についてもっと知見を深めたいと願うのも、言葉で学問する私たちにまた必然と言えましょう。

 

 現代にも残る言い回しの多くは、百鬼夜行やトリニティ、あるいは山海経といった歴史ある土地にその源流があると言われています。いずれはそれらの地区の図書館も訪れなければなりませんね。

 

 改札を抜けて校舎に向かう途中、ウタハ先輩からモモトークが届きました。「新発明」が形になったそうです。

 

 新発明。何とロマンにあふれる響きでしょうか。

 

 

 今日はもう、授業が終わったら大急ぎで部室棟に直行です。とはいえ、お外はすっかり夏模様。あくまでも、程よい早歩きで向かうことにしました。

 

 

 * * * * *

 

 

 エンジニア部の部室に行くと、ウタハ先輩が優しい笑顔で出迎えてくれました。マグカップからは、煎れたてのエスプレッソのほろ苦い香りが漂ってきます。

 工学書の積み重なったテーブルに腰かけると、先輩は作業着のジャケットを脱いで、椅子の背もたれに引っかけました。紫色の小さなケースが差し出されます。

 

「おぉっ……私の眼鏡と同じデザインですね」

「試作品だからね。コトリにつけてもらってデータを取るからと思って、トレードマークもデザインに反映したよ」

「ありがとうございます! では、さっそく……!」

 

 ケースを開くと、マットな銀縁のフレームに、傷一つないツルツルした美しい曲面のレンズ。私が着けているものと同じ、片側だけ涙滴を模した出っ張りが施されています。早速着けかえてみると、視界が途端にぼやけました。

 

「あ、左の弦で、レンズの度は調整できるよ」

 

 右の方から、ヒビキが割って入ってきました。言われたとおりに弦を撫でてみると、みるみるうちに視界がクリアになっていきます。

 

「なるほど。度の調整がこんなに簡単になるとは、ユニバーサルですね!」

「おっ、カメラがオンになった。ほら、コトリの視界がこっちに映ってるよ」

 

 設計どおり、カメラの中心は、レンズの中心に固定されているわけではなく、着用者の視線に追従します。私がヒビキの犬耳がはためくところを注視すれば、それがモニターの中心に映し出されます(私はそれを確認できませんが)。

 

 瞳孔の収縮に対応して映像のピントも変わります。まさに、人の目をそのままカメラにする眼鏡です。

 

「ところでウタハ先輩。自爆装置を内蔵したりは――してませんよね?」

「やっぱり入れたほうが良かったかい? 悪用すれば人様のプライバシーを覗き見し放題だし、リバースエンジニアリングを防ぐためにも、正式版には組み込もうか」

「ひえっ……! め、目元で爆発が起こるのは、さすがに着用者の身に危険が及ぶと思いますっ!」

 

 エンジニア部の発明品は、主にウタハ先輩の強いロマン志向で、大半に自爆装置が搭載されています。私もヒビキも入部当初は戸惑っていたのですが、いやはや、人の慣れというのは恐ろしいものです。とはいえ、エンジニア部のそんな日常がアイウェアにまで及んではいなかったことに、私は胸を撫でおろしました。

 

「カメラの映像はここのモニターに出力されるようにしてあるから、後は……オンにしたまま持ち運んだ時の、バッテリーの持ち具合を見ておきたいね。これ、ワイヤレス充電のクレードル」

 

 ヒビキが周辺機器を渡してきました。埃が付着しないコーティングがレンズには施されていますが、一応、眼鏡拭きも。

 

 ふと、壁の時計が午後三時を告げました。

 

 午後三時。

 午後三時――

 

「わわわっ! 今日は当番の日なんでした! すみません、ししっ失礼します!」

 

 ミレニアム自治区からシャーレのあるD.U.までは、乗り換えが最低一回は必要になるのです。私は大慌てで部室を飛び出しました。

 

 * * * * *

 

 幸い、モノレールから地下鉄への接続がうまくいって、シャーレ地下鉄駅には十五分遅れで到着できました。スクールバッグを肩に担ぎ、愛用のミニガンはキャスターに乗せ、旅行者がキャリーケースを引きずるみたいに走って、冷房の効いたビルに飛び込みます。

 

 大きさの割に人の少ないシャーレのビルは、大抵エレベーターはガラガラ。運搬されている間は急ぎようもありません。あぁ、エンジェル24でエナジードリンクでも買っておけばよかった、と思ったころには、もう地上一階は遥か彼方です。

 

「先生、すみませんっ! 豊見コトリ、遅れましたっ!」

 

 我ながらよく通る声を張ると、自分のデスクで猫背になっていた先生が、のっそりと顔を上げました。そして、微笑が出迎えてくれます。

 

「お疲れ様、コトリ。今日も元気がいいね」

 

 中指をブリッジにトントン当てて、先生はズレてくる眼鏡を直していました。

 

「あれ、先生、なんだか眠そうですね」

「うん……ちょっと居眠りしちゃってた。いい目覚ましがかかってよかったよ」

 

 寝てたのは、他の子に内緒だよ。

 

 照れ笑い混じりにそう言うと、先生は両手を突き上げて伸びをして、レーザープリンターに溜まった書類を取りに行きました。

 

「先生、何かお手伝いできることはありますか?」

「ちょっと、サーキュレーターの調子が悪くてね……業者さんを呼ぼうと思ったんだけど、見てもらえたりするかな?」

「ハードウェアのことならお任せ下さい――けほっ……」

 

 ドンと胸を叩きましたが、少々力み過ぎたようでした。むせた所をクスッと笑われて、顔が熱くなります。私はそそくさと、部屋の隅へ置かれたサーキュレーターへ向かいました。

 

「うーん……」

 

 ソケットに繋いで動かしてみると、バリッと硬い音がして、羽が異音を立てました。カタカタ、キュルキュル。不穏な音です。

 

 エンジニア部が持ち込んだ予備の工具箱を出し、新聞紙を敷いてサーキュレーターをバラしたら、ホッと一安心。それほど複雑な事態ではありません。

 

「先生、不調の原因が分かりましたよ!」

「そうなんだ。どうなってたのか、説明してもらってもいい?」

 

 ――きたっ……!

 

 私の生きがいを、先生が引き出してくれました。

 

「では、説明しましょう! まず、サーキュレーターの羽が動かなくなった原因ですが、主にホコリ! 羽だけでなく、モーターの本体や内部の見えない所に意外と溜まりやすいんです」

「あぁ、たしかに、掃除してなかったからね」

「それにこのサーキュレーター! 電源コードが本体に巻き付く形にクセがついています。グルグル巻きはいけませんよ!」

「そうなんだ。どうして?」

「電源コードを本体に巻き付けることで、電源コードと本体の付け根に大きな応力が加わるんです。応力が繰り返し加わることで、内部の銅線が断線してしまいます。何度も折り曲げた金属が疲労で折れてしまうのと同じ原理ですね」

「ふむふむ……」

 

 ――あっ、目が合いました……!

 

 先生は、自分のお仕事をしながら、時々こちらに視線を送ってくれます。まるで、話の続きを促してくれるように。先生の相槌のおかげで、私は安心して説明を続けられます。

 

「内部で銅線が断線すると、電気が流れにくくなり、発熱することで周囲の被覆樹脂が溶けてしまいます。電路が接触不良を起こした時に、銅線同士で短絡すると、スパークを起こし、溶けた樹脂の部分から発火してしまうんです」

「……なるほど、それは怖いね……」

 

 ちらっ。

 

 ――やった。また……!

 

 先生は、視線を感じ取るセンサーを体のどこかに装着しているのでしょうか。もしかして、ウタハ先輩かヒビキか、はたまたヴェリタスのハレ先輩が、私の知らない間にそういう新発明を作ったのでしょうか。

 

「……ということで、コードはゆったり円形に束ねるのが吉です。使っていない時はソケットから抜いておくのも大事ですよ。ご安全に!」

「うん、よく分かったよ。ありがとう、コトリ」

「えへへ、お安い御用ですっ」

 

 先生は最後まで私の長話を聞き届け、お礼まで言ってくれました。ささやかで、幸せなひと時です。通気のためにあちこち開けている制服の内側が、ぽっぽと火照ってきます。

 

 軸に油を差し終えた所で、サーキュレーターを元の位置に戻しました。息を吹き返したそれは、景気よく風を吐き出して、部屋の空気を循環させ始めます。

 

「先生、お隣いいですか? 一仕事終えたところで、課題を進めておきたくて」

 

 先生と生徒は隣同士ではなくて、正面同士で向き合うもの。

 

 本当は、向かいのデスクだって空いているんです。

 それでも私が、先生の隣に座りたいと思うのはなぜか――

 隣に座りたいと思うのはなぜか……

 

 ――それは……

 

 俯いた拍子にずり落ちる先生の眼鏡に、心臓が、ドキン――

 

「え、えっと、先生! ちょっとお手洗いに行ってきます!」

 

 上がっていく心拍数を悟られたくなくて、私はバタバタとその場を離れました。

 

 

 * * * * *

 

 

「……はぁ~……」

 

 トイレの個室。それは究極のプライベート空間。閉じこもるのが目的ですから、便座の蓋は閉じておきます。何度か深呼吸していると、何とか動悸は落ち着いてきました。

 

 目を閉じると、先生の横顔が脳裏に浮かびます。

 

 出会った当初の頬。私が親近感を覚えたあのふっくらした頬は、激務の影響ですっかり痩せています。眼鏡がすぐズリ落ちてしまうのはそのせいです。

 

 俯くたびにちらりちらりと見える裸眼の目。睫毛が長くて、二重の目蓋がくっきりしています。重い疲れから淀んだ目をしていることが非常に多い先生ですが、たまに、シャキッと虹彩が輝いている時があります。あの輝きが見たくて、私は先生の目を覗かずにいられません。

 

 シャツの襟もかなり緩くなってしまったみたいです。細くなった首や、ノーネクタイの時にちらりと見える鎖骨を見ると、たまらなくドキドキしてしまいます。

 

 血管がうっすら浮き出た腕が艶めかしくて、シャツの袖を捲っている時は何秒かに一回見てしまうほど。大人の色気、というヤツでしょうか……!

 

 でも、何より私の心にさざ波を立てるのは、私の説明を聞き届けようとしてくれる優しさ、言葉のキャッチボールが的確で聞き上手なところ、困った時は必ず何とかしてくれる頼もしさ――

 

 ――ああっ……先生っ、もう堪らないですっ!

 

 放っておいたら口から溢れ出そうになる熱を、私はスマートフォンのメモ帳に打ち込んでやり過ごします。冷静な気持ちで見直すと黙って削除することも珍しくない、オーバーヒートした叫びをスクリーンに吐き出さないと、ただでさえ知識を詰め込んで窮屈な頭が、それこそパーンと破裂してしまいそうなのです。

 

 私の151センチの体は、先生の前では本当にちっぽけです。並んで立つと、いつも先生の顔を見上げるばかり。頑張って存在感を発揮していないと、たちまち先生の視界から外れてしまうかもしれません。

 

 先生にとって私は、数ある生徒の一人。私の長話を聞き届けてくれるのも、子どもの話を聞いてあげる大人だからなんです。きっとそうです。そうに違いありませんとも。

 

 私は、先生とちょっと一緒にいられれば、それで満足できなきゃダメなんです。

 

 それが分かっているのに――

 

 もっと近くに行きたい。

 もっと深く知りたい。

 叶うならば、手を伸ばして触れたい。

 あの大きな掌に、手や頬を、包まれてみたい。

 

 でも、そうする勇気なんて……。

 

 そんな、ちくちくする好奇心を、私は先生に抱いています。

 

 執務室に戻ると、先生から「大丈夫?」と心配されてしまいました。いささか長居してしまったかもしれません。あれだけ頭の中が温まってしまったので、先生のお顔を直視するのに抵抗があります。

 

 とにかく、ラップトップを取り出して、課題に集中、です。

 

 だけど……隣のデスクで紙がかさりと擦れる音に、先生がペンを走らせる音に、キィ、と微かに椅子がきしむ音に――私の耳は勝手に反応してしまいます。

 

 先生と目が合っても、慌てて逸らしてしまいます。でもそうやって見ないようにしていても、首がすぐに傾いて、先生を盗み見てしまいます。

 

「今日は、何の課題をやっているの?」

「へっ? は、はいっ、自然科学のレポート作成です。紙面に展開する説明や解説ですから、こういうのは朝飯前ですよっ!」

 

 ですが、ふと目を落とすと、レポートの文章は途中から誤変換だらけになっていました。それどころか、全く関係ない文脈の中に「先生」の文字列が混じっている始末です。

 

「何だかシーンと静かだと落ち着かないし、こういう時はコトリの説明が聞きたいな。課題をやりながらでも話せる?」

「ええ、もちろんです。では本日は、自然科学の一分野である化学について説明しましょう。化学の始まりは人類が火を扱い始めたころから始まっているとも言われており、卑金属から主に金のような貴金属を創り出そうと編み出された錬金術が、その発展に大きく関わってきました――」

 

 私の話を最後まで聞いてくれる人は極めて少ないです。途中で逃げ出してしまうか、上の空になってしまうか。先生はそれをご存じなんです。だから、私に話す機会を与えてくれるのです。話させてあげたほうが、私が喜ぶと知っているから。

 

 ああ、やっぱり先生は、先生です。生徒のことをよく理解してくれています。

 

 でもそれはやっぱり、大人から子どもへの気遣いであって、決して、私個人に興味があるわけでは……ないのでしょうね。

 

 私の話し声ばかりが響く執務室で、やがて先生の退勤時刻が近づいてきました。私がお仕事を手伝うのもここまでです。荷物をまとめてお辞儀をして、もう少しここにいたい気持ちを鞄の中にしまいこみます。

 

「そういえば、コトリ……眼鏡を新しくしたんだね」

「……えっ……!?」

「銀縁眼鏡も、よく似合ってるよ」

「はえっ、は、はいっ! あ、あ、ありがとう、ございます?」

 

 脊髄に液体窒素でも流し込まれたみたいに、全身が急速冷凍されていきます。

 

 ――眼鏡型カメラ、つけっぱなしだった……!

 

 ――もしかして、あの二人に全部見られて……!

 

「お、おっ、お先に失礼しますっ!」

 

 私は執務室から転げるように飛び出しました。すぐにウタハ先輩に電話をかけようとすると、それを見計らったかのように、ヒビキから電話がかかってきました。

 




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