歩く足には棒当たる   作:夜の機動戦士

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3パート目です


キヴォトスの「当たり前」

 

 勝負の日はあっという間にやってきました。

 

 待ち合わせ場所はどうするか迷った挙句、Tラインの東シラトリ駅前。復興の進んだシラトリ地区を見て回りたいという思いは、先生と一致していました。お昼時の駅前は人通りも多く、工事が始まったばかりの埃っぽさはもう感じられません。

 

 ショーウィンドーに映った自分を、今一度見直します。ヒビキの指導を受けて、自分でやってみたメイク。何だか、目元がいつもよりちょっと派手で慣れません。思い切ってコンタクトにしようとも思ったのですが、眼鏡を外してしまうとどうにも落ち着きませんでした。やっぱりこのほうが「自分の顔」って感じがします。

 

 水色のノースリーブに、向日葵をあしらったスカート。裾の前が開いていて、足首が覗くデザインがいい感じです。ふわっと広がるのが嬉しくて、裾をちょこんと摘まんでみたり、くるんと回ってみたり――可愛くなった自分が嬉しくて、「もしかして、私ってイケてる……?」なんて、自惚れたくなってしまいます。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 意外と……

 磨いてみたら、割といい線いったんじゃないですか……?

 

 ――ひょっとして、先生が見惚れてくれたり、するんでしょうか。

 

『何だか大人っぽくて、とびっきり可愛いね』

『困ったな。景色よりコトリばかりを目で追ってしまう』

『このまま、私の家まで持って帰りたいな。今夜は寝かさないよ』

 

 ――ああ、だから服の中までオシャレする必要があったんですね~~!

 

「……コトリ?」

「え……っ?」

 

 聞き慣れた声がして、私は我に返りました。いつの間にか、ショーウィンドーに先生が映っているではありませんか!

 

 アワアワしながら私が振り向くと、先生はにこやかに右手を挙げました。

 

「せせせっせ、先生ェッ! いつからそちらに!」

「前髪チェックしてた辺りから?」

「ほ、ほぎ~! ほぼ初めからじゃないですか! お、お恥ずかしい所を……!」

 

 ――と言いつつ、指の隙間から、ちらっ。

 

 先生はシャーレにいる時のようなジャケパンスタイルでした。でも、ボトムスはインディゴブルーのジーンズで、ジャケットも夏用の、生地の薄いグレー。見ているだけで夏日の暑さが和らぐ色合いです。先生がラフな格好をしている、というだけで、爪先が緊張します。

 

「コトリの服装って、アクティブなイメージがあったけど……」

「……っ……!」

 

 ズリ落ちる眼鏡を直しながら、先生が私を眺めました。

 

 どうでしょうか。

 可愛いって言ってくれるでしょうか。

 

 レンズ越しの視線が、体の表面を撫でるように優しく滑っていき、私は思わず、内股に力を入れてしまいました。

 

「フェミニンな感じも似合うね。とっても可愛い」

「……!」

 

 ヒビキのアシストもあったのです。気合を入れたところを褒めてもらえると、照れや謙遜よりも、自慢したい喜びが先に来ます。背伸びしたコーディネートの私に先生の視線が注がれていて、とっても気持ちいいです。あぁ、もっと見てください……!

 

「えへへ……ありがとうございますっ」

 

 よっしゃ~! と飛び上がってガッツポーズの一つでも決めたいところだったのですが、そこは我慢して、できるだけ上品に喜んでみせました。今日の私は、「ちょっと清楚なお嬢様」成分を注入してあるのですから。

 

 ずっと留まっているには暑く、人通りも激しめです。立ち話も何だからということで、すぐ移動することになりました。

 

 先生は左手を空けてくれているように見えたのですが、その手を握る勇気はありませんでした。代わりに、ジャケットの裾をちょんと摘まんで、金魚みたいに先生へ着いていきます。

 

 ヤドバシカメラの玩具コーナーで、二人とも足が止まりました。先生の顔に動揺が走りました。「君も、オタクかい?」と、レンズの向こうの目が語り掛けてきます。薄々その気配は感じていましたが、先生もロボアニメ愛好家でした。それも、かなりディープな。

 

 残念ながら、ちょっと清楚なお嬢様作戦は、早々に失敗です。先生が同族だったと知って、冷静でいられるはずがありませんでした。

 

 エンジニア部にロボットアニメで育たなかった子はいません。カップル専用イヤホンとかいう怪しさ満点の新製品を見に行くのも忘れて、私たちはプラモやフィギュアの売り場で、オタトークを炸裂させました。好きな作画回の話やら、声優交代の是非やら、先生はシャーレで見せるのと違う無邪気な顔で、目をキラキラさせながら話してくれます。頼れる大人が「我が同胞」であったことが分かり、先生との距離が急速に近付いた気がしていました。

 

 

 ラミニタウンのレストランで遅めのランチを食べる頃には、肩の触れ合う距離でシートに座るのも、不自然に感じなくなっていました。

 

 やや強めにエアコンが効いている室内では、ほのかに伝わる温もりが有難くて、私は状況に甘えて身を寄せてみます。太枝みたいな腕に思い切って胸を「むぎゅっ」と押し付けたりしてみましたが、先生の反応は淡泊でした。トホホ、です。

 

 思い描いていたドキドキな雰囲気とはちょっと違う展開でした。ですが、「先生のプライベートを知る」という目的は十分に達成されたように思います。知らなかった一面を知ることで時に人は失望を覚えてしまうものですが、先生の解像度がグッと上がって私は大満足です。

 

 友達と遊ぶのともちょっと違う甘美な時間は、飛ぶように過ぎていきます。時計を見るたびに時間が進んでいるのがただただ惜しくて、このまま世界が止まればいいのに、なんて非科学的でセンチメンタルな願望すら脳裏に浮かびました。

 

 長居していたレストランを後にすると、晴れ渡る夏空に少しずつ雲が濃くなっていき、太陽の姿が隠れていきます。

 

 どよんと空気が重くなりだすにつれて、私たちの背後でざわめきが大きくなりだしました。ざわめきからは悲鳴も飛び出し、ガラスの割れる音まで聞こえてきます。「危ない!」と誰かが叫び、遠くからの爆発音が空気を切り裂きました。

 

「あっ……!」

 

 生温い空気が顔の横を吹き抜けました。その後を追うように、食堂街を歩いていた人々が一斉にこっちに向かって走ってきます。

 

「あっちで何かあったみたいだね」

 

 先生は、逃げ出そうとしません。数え切れないぐらい、こういう事態に遭遇し、大抵は解決に向けて動いてきたからでしょう。カバンからタブレットPCを取り出して何かを確かめると、歩道の端に寄って、慎重に前進していきます。

 

「せ、先生! 前に出るのは私が先にっ!」

 

 作戦行動時の私のポジションは後衛ですが、四の五の言っていられません。何かあったら先生を守らないと。

 

 使うことはないだろうと踏んでいたサブマシンガンの安全装置を外し、射撃体勢を取ります。使い慣れたミニガンが無い心細さも、気にしていられません。

 

 数十メートル前進して、交差点に出ました。銃声が聞こえてきます。何かを割るような音も。

 

「っ……!」

 

 人が途切れて見晴らしが良くなった刹那、足元に円筒が転がってきました。

 

 ──爆発物!

 

 威力は未知数。

 穴はこっち向き。

 指向性?

 蹴るには遠い。

 

 間に合えっ!

 

 懐から小型カプセルを取り出し、すぐに投げつけました。磁気シールドを展開し、既に伏せていた先生に飛びついて覆い被さります。直後に、背後からの炸裂音。

 

「…………」

 

 頭の中に火花が散りましたが、聴覚が恢復するにつれて、体には異状ないことを悟りました。

 

「先生、先生っ! ご無事ですか?」

「ん……大丈夫。怪我はないよ。庇ってくれてありがとう。コトリこそ平気?」

「……はい、私は特に……あっ」

 

 先生の顔に眼鏡がかかっていません。どこだろうと探してみると、先生の足元に落ちていました。正確に言うならば、かつて眼鏡だったもの、ということになってしまいますが。レンズはヒビだらけで、フレームが真ん中から折れて、真っ二つになっています。

 

「こらー、待てっ、コソ泥集団ッ!」

 

 爆発のあった通りに、遠くから女の子の怒声がしました。私達の目の前を、カラフルな全身タイツの一団が逃げていきます。

 

「カイテンジャー……!」

 

 先生が呟きました。正義のためと謳いつつ犯罪行為を繰り返すお尋ね者集団です。共闘したこともあったのですが、性懲りもなく騒ぎを起こしているようです。

 

 先生は迷いなく立ち上がりました。カイテンジャーを追う女の子の一人が彼に気づき、駆け寄ってきます。見覚えのある猫耳です。

 

「先生! ちょうどいいところに! ちょっと手伝ってくれる?」

 

『柴関』とプリントの入った黒Tシャツの彼女──黒見セリカさん──は、大慌てでした。私たちのいたお店の近くでフードフェスが開催されており、そこの売上金を根こそぎカイテンジャーに盗まれてしまったんだそうです。セリカさんのアルバイト先のラーメン店も出張販売中で、被害に遭っていました。

 

「分かった。指揮を執るよ」

 

 さっきまでオタク談義に盛り上がっていた先生の横顔に精気が漲り、先生は指揮官の真剣な顔になりました。

 

 私の知っている先生ならば、こういう状況では必ずそうします。でも、ちょっぴりだけ。胸の内側が切なく痛みました。

 

「先生、私も──っ!?」

 

 立ち上がって歩み寄ろうとしたら、視界が途中でグラつきました。泥に取られたような感覚がして右足を見下ろすと、パンプスの踵が折れています。

 

「コトリ……」

 

 先生と目が合ってしまいました。先生の眼鏡が外れているせいで、彼の顔が曇っていくのが、皮肉なぐらいによく分かってしまいます。後悔が押し寄せてきましたが、先生を困らせられません。

 

「……私は大丈夫です! 戦闘に巻き添えが出ないように、市民を誘導します!」

 

 きっぱり言い切った後に、ズキズキと足首が痛み出します。強がっている自覚はありましたが、この場で成されるべきことは明白です。変な感情に縛られて判断が遅れれば、被害はさらに拡大するかもしれないのです。

 

「……分かった。じゃあ、ここを頼むね」

 

 ギリ、と先生が歯を食い縛るのが見えました。インカムを取り出して装着しながら、先生は駆け出します。先生の背中に続いてセリカさんも走り出しましたが、急に踵を返して私の所まで寄ってきます。

 

「お楽しみの日に水差してごめん! とっととやっつけて、すぐ先生を返すから!」

 

 私の肩をポンと叩くと、セリカさんはアサルトライフルを両手に構え、戦闘態勢を保ったまま、風のように走り去っていきました。

 

 一人になった途端、周囲の喧騒が耳に入ってきます。ラミニタウンの外へ繋がる道路の向こう側では、もう戦闘が始まっているようです。

 

 私たちがいた食堂街から、遅れて避難してきた人たちが押し寄せてきます。その合間を縫うようにして、ヴァルキューレの警察官が何人かやってきました。

 

「向こうで市街地戦が起こっています。この道は塞がないとまずいですよ!」

 

 私がそう訴えるのとほぼ同時に、規制線が張られ始めました。

 

 作戦行動を共にしたこともあるから分かります。アビドスの五人組はキヴォトス有数の超精鋭部隊です。個々人の能力の高さもさることながら、チームワークも優れています。それに先生の指揮が加わるのですから、鬼に金棒というものです。

 

 壊れた靴で走れず、肌に馴染むほど使い慣れていないサブマシンガンの私では、加勢しても足手まといになるだけ。だからこうして、戦線から外れた所にいるのがこの場では最良の選択なんです。頭の中では分かっているんです。でも――

 

 ――こんな時にお役に立てないなんて……。

 

 青空が鼠色に染まっていきます。

 

 雷の鳴る音が、低く地面を揺らしました。

 

「……ここは危険です。あなたも避難してください」

「いえ、大丈夫です。ここで待つのが、先生との約束なので」

 

 できることもないのに、ここから離れたらそのまま置いて行かれてしまいそうで、私は規制線の前に突っ立っていました。

 

 いつもの鞄を持ってきていれば、戦闘の補助になるツールが入っているのに。

 

 丈夫なスニーカーを履いてきていれば、多少足を痛めていても走り回れるのに。

 

 デートにそぐわないミニガンを持ってきていれば、キャスターを延伸して即席の砲台を組み上げられるのに。

 

 今日のための準備のことごとくが、裏目に出てしまいました。先生が大切に使っていた生活必需品も、今日のデート同様台無しです。割れてしまったレンズの穴が、私の選択を責めているようでした。

 

 ――こんなはずじゃなかったのに……。

 

「歩く足には棒当たる」という言葉の教訓はネガティブなものだったのでしょうか。もしも、先生が戦闘の中で流れ弾に当たっていたら――それすらも、私が行動を起こしてしまったがゆえの因果かもしれません。

 

 過去に対する後出しじゃんけんほど無意味なものはありませんが、ああしなければよかった、こうするべきだったんだ、と、脳内で糾弾会が始まり、関連しないはずの事象同士が勝手に結び付けられていきます。

 

 冷たい雨粒が、ぽたり、ぽたりと頬を叩きました。

 

 ――今だったら、泣いちゃっても分からないかもしれませんね。

 

 足首もズキズキ痛み始めたので、私は道の端に寄り、バス停そばの東屋で腰を下ろしました。先ほどの騒動でバスは臨時運休です。そのせいか、私以外は誰もいません。募る寂しさは、唇を噛んでやり過ごしました。

 

 三十分ほど経ったでしょうか。規制線の向こう側で続いていた市街地戦にはどうやら決着がついたようです。

 

 食堂街の騒ぎも落ち着き、避難していた人たちは思い思いに離れていきます。またお店に戻る人たちもいれば、街を離れていく人たちもいます。

 

 先生は小走りで戻ってきました。ジャケットの左肩に煤がついていましたが、負傷している様子はなさそうです。

 

「あ、先生、お疲れ様です」

「コトリ、一人にしてごめんね」

 

 先生がやってきた途端、雨脚が急激に強まりました。バケツを引っ繰り返したような雨が、東屋の中と外を遮断してしまいます。夏の雨特有の埃っぽい匂いが漂ってきました。

 

「……いきなり凄い雨ですね」

「ゲリラ豪雨かな。きっと、すぐに止むよ」

 

 先生の素顔を見て、私は割れた眼鏡のことを思い出しました。

 

「一応……回収してあります。ぐしゃぐしゃですけど……」

「いい加減交換すべきだと思ってたから、ちょうどよかったよ」

 

 先生はニコッと笑いましたが、その優しい笑顔が、余計に私の心へ突き刺さります。雨は激しさを増す一方で、小さな呟きは雨音に掻き消されてしまいそうなほどです。

 

 このまま雨が止まなかったら。先生と二人きりでいられるかもしれませんが、私はこの場から逃げ出したくなっていました。

 

「先生、すみませんでした。こんなことになってしまって。服装とか、装備とか、いつもどおりにしていたら、もっとお役に立てたのに」

 

 先生は、踵の折れたパンプスに視線を落としました。目立って腫れてはいませんが、湿気が染みるように、右足首が痛みます。

 

「思い切って準備してきたんですが、余計なことだったかもしれないですね……」

「コトリ。自分が成した選択を、自分で責めてはいけないよ」

 

 私の大好きな、優しい声色でした。

 

 優しすぎて、堰き止めていた感情が、溢れてしまいます。

 

「で……でもっ……悔しいんです! 好きな人とのデートだからって、一生懸命背伸びして、気合入れてきたのに、先生の足を引っ張って、大事な眼鏡も壊しちゃって、結局全部ぐちゃぐちゃじゃないですかっ……!」

 

 滲む視界の中で、喉から言葉が押し出されていきます。隠しておかなければいけなかった秘密も、情けない本音も。全部、勝手に出て行ってしまいます。

 

 ――ああ、最悪です……。

 

 感情に負けて泣いてしまうなんて、まさしくお子様のすること。泣き顔を見られるのも嫌なのに、雨脚が弱まって、すすり泣く声が目立ち始める始末です。

 

 いっそのこと雨の中に飛び出して濡れてしまえば、流した涙も見えなくなるかと思ったのですが、この足ではそんなこともできません。

 

 先生は、何も言わずに待っていてくれました。取り乱すこともなく、落ち着いて、時間の過ぎるのを待つ。人生経験の差を感じました。

 

 私が泣き止んだのを確かめると、先生は黙ってハンカチを差し出し、まだ冷たいミネラルウォーターのボトルもくれました。

 

 散々醜態を晒し、私はもう先生の顔を見るのが怖くて仕方ありませんでした。お喋りを自負する私でも、さすがに言葉が出てきません。私たちの間を満たす沈黙をどうにか誤魔化すみたいに、雨が降り続きます。

 

「……先生って、生徒が泣いちゃった時の対応も、慣れてるんですか?」

 

 しゃくりあげていた喉が落ち着いて、ようやく私は言葉を紡ぎました。

 

「こういう時は雨と同じだと思ってるんだ。まずは、止むまで待つことにしてるだけだよ。落ち着いてからじゃないと、話もできないからね」

 

 雨はいつか上がるもの。晴れ間が差せば、虹も出てくれます。私たちの目の前に降る雨はまだ止む気配もありませんが、少なくとも私の泣きべそは止みました。

 

「顔……変なことになってませんか?」

「さっきより可愛いかも」

 

 私は思わず苦笑してしまいました。水滴を拭う程度にハンカチを当てても、マスカラは取れていません。

 

 今になって気が付きましたが、借りた化粧品はウォータープルーフで、作ってもらった衣装は、アスファルトに擦れたのに穴一つ空いていません。こうなることまで織り込み済みで、ヒビキは準備してくれたのでしょうか。

 

 情けないところをひとしきり見せてしまったことで、少し――スッキリしたかもしれません。私が落ち着きを取り戻した所で、先生が口を開きました。

 

「ねぇコトリ。デートって、やっぱりそういう意図だったの?」

「あはは……そ、そうです。バレちゃってましたか……」

 

 日時や場所を決めて会う。そこに、恋愛的な展開への期待がある。それが、デートという言葉の定義の一つです。先生は御存知でした。

 

「もう言っちゃいましたけど……私、先生が好きなんです。もっと距離を近づけて、いずれはお付き合いがしたいなって、先生とお出かけしたくて誘いました。もっと計画的に進めるつもりだったんですが……失敗しちゃいましたね。あはは……」

 

 グダグダの末の意図しない告白。わざとらしい乾き笑いをくっつけて、もうやけっぱちでした。

 

 せっかく、メモ帳の中身を整理して、言葉選びもバッチリ決めてあったのに、吹きこぼれる鍋みたいに、私は本音を漏らしてしまいました。初デートで告白はダメだって、ウタハ先輩からも言われていたのに。

 

 もうこの後の展開は分かり切っています。「先生と生徒だから」って、お断りされちゃうんです。

 

 心の中で、私はウタハ先輩とヒビキに謝りました。今日が終わったら、反省会です。ピザのやけ食いでもするとしましょう。その前に、今日はこのまま雨の中に飛び出して、びしょ濡れになって帰ろうと思いました。

 

「失敗かどうか、決めつけちゃうのは早いよ」

「……へ?」

 

 私は自分の耳を疑いました。

 

「先生と生徒だからね。きちんとその距離感は保たなきゃいけない。でも、服装とかお化粧とか、コトリの気合の入りようを見てると、もっと真摯に向き合わないと失礼なんじゃないか、と思って。……意思表示までハッキリされたのは、キヴォトスに来て初めてなんだ」

 

 雨音が遠ざかっていきます。遠く東の空から、雲間に光が差し込みだしました。先生は「他の子には内緒だよ」と付け足して、前のめりになりました。先生の匂いがして、思わず私は生唾を飲み込みました。

 

「お返事は、次回まで保留にしてもいい?」

「お、お返事? 次回……?」

 

 先生の言っている意味がよく分からなくて、私はオウム返しするばかり。先生は私の反応を楽しむように目を細めて、くすりと笑いましたが、その眼差しには迷いが見られるように見えました。

 

「……揺らいでるんだ」

 

 先生の声色は真剣でした。

 

「私はみんなの先生だし、今日ここに来る前は意思を固めていたつもりだったんだけど――コトリと過ごすプライベートがこれっきりになってしまうなんて嫌だ。次もまた……なんて、考えている自分もいる」

「せ……先生……」

 

 雲間から差し込んだ光が、水溜まりに反射しています。煌めきが瞳孔を貫いて、私は思わず手を翳してしまいました。

 

 私は、先生の言葉をどう受け止めればいいのでしょう。頭の配線がぐちゃぐちゃで、よく分かりません。

 

「だから、コトリ。返事は必ずするから、私に考える時間を与えてほしい」

「えっ、ええっ、それはも、もちろん……!」

「締め切りを設定しよう。この中で、コトリの予定が空いている日はどこ?」

「えっ……ええっ? あ、んと。ええ、っと……!」

 

 ――嘘っ……? 嘘、嘘、嘘っ……?

 

 誘われています、先生に。

 

 先生は直接口にしてはいませんが、この文脈はデートのお誘いです。行きたい所とか、食べたいものとか、リクエストを聞かれはしたのですが、頭が全く回らなくて、私は「先生のお勧めでお願いします」と口にするのがやっとでした。

 

「……じゃあ、やきもきさせちゃうかもしれないけど、その日にお返事ができるように、準備しておくね」

「は……は、はは、はいっ! よろしくお願いしますっ!」

 

 イエスかノーか。多分私はノーの返事をされると考えているはずなのですが、指先まで燃えるように熱くなっていて、とても落ち着いていられません。目を合わせるのが恥ずかしくてふと東屋の外を見てみると、もう雨はすっかり上がって、うっすらと虹が見えていました。

 

「じゃあ、コトリ。解散する前に、行く所があるよね」

「えっ? あ……」

 

 先生は、私の壊れたパンプスを指さしていました。

 

「靴を修理してもらうついでに、夕飯も一緒にどう?」

「い……いいんですか……?」

 

 もう、私の気持ちは先生に伝わってしまったのに。

 それでも先生は、今日のデートの続きをさせてくれるようです。

 

「ところでコトリ。私は女の人の履物に詳しくないんだけど……」

「もしかして、説明ですかっ? 履物の成り立ちとか、そういう所からのスタートになるかもしれませんが、説明をお求めですかっ?」

「うん。今日はまだ、コトリの説明を聞いていなかった気がして」

 

 先生が手を差し伸べています。歩き辛いから、という事実を口実にして、私はその大きくて分厚い手を、ぎゅっと握らせてもらいました。

 

 この温かさを独り占めできるのは、きっと今日この時だけ。

 嬉しさと切なさが一緒に押し寄せて、涙腺がズキズキしました。

 

 

 * * * * *

 

 

 翌日、授業後に部室に顔を出したところで、さっそく私はガレージの奥へ連れ込まれました。諦め混じりな私の表情に二人はギョッとしていました。

 

 昨日の顛末を私は正直に話しました。できるだけ脚色はせず、事実の報告に徹して。

 

「先生陥落作戦」が成功か失敗かで言えば、私は失敗したと考えていました。最も秘密にしなければならないことを、暴露してしまったのですから。その点については二人も同意だったようです。

 

「先生は、どう出るかな」

「どっちに転んでもおかしくないと思う。本当に駄目だったら、昨日の時点でお断りされて終わりだよ」

 

 ウタハ先輩の言うとおりでした。まだ昨日の余韻が残っていますが、問題はそこなのです。もしかしたら、死刑宣告の先延ばしにすぎないかもしれません。でも、断られてあくまでも生徒の一人なのだと言い切られても、それが先生の本心であれば私は失恋を受け入れられる気がしていました。

 

 でも、もしダメだったとしても。

 

 先生へのプレゼントを用意すべく、私は3Dプリンタを立ち上げました。

 




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