四季折々の姿がキヴォトスの中でも特に鮮やかな百鬼夜行自治区。まだ夏の装い真っ盛りですが、中央広場の巨大な万年桜は、春の彩を一年中たたえています。
どういう装いで行くべきか迷った挙句、私は自宅のクローゼットを引っ掻き回して、私服の中でもそれなりに見られる格好で待ち合わせ場所に向かいました。慣れた服装だからか、不思議とあまり緊張していません。
「先生、あれ、眼鏡は……?」
「あ……うん。つい買いに行くのを忘れたままで……」
合流した先生は、裸眼のままでした。シャーレのお仕事は、眼鏡が壊れたままでも一応何とかなっていたようです。
先生のことだから、すぐには新しい眼鏡を用意しないだろうと思っていた私の予想は大当たりでした。すかさず、鞄からケースを取り出し、思い切って、先生の胸元目掛けて突き出しました。
「よ、よかったら、こちらをどうぞ! 先生のために、作ってきましたっ!」
眼鏡型カメラのデータを流用して作った、先生用の新しい眼鏡です。映像データから先生の輪郭の3Dデータを取得していたので、今の先生にもぴったりです。カメラ機能はさすがに外しましたが。試作品のデータがこうしてきちんとした形で人の役に立つのです。エンジニアとしてこんなに誇らしいことがありましょうか。
「ありがとう。ピントを自分で調整できるなんて凄いね。ズレてくるのを直さずに済むし」
しばらくぶりに見たレンズ越しの先生の目は、少し照れ臭そうに見えました。実は、弦の内側に私のイニシャルが掘ってあります。肌身離さず身に着けるものをプレゼントするなんて、女の子としては重いかも――と思いましたが、行動を起こしてみて正解でした。
「さて、コトリ。さっそくだけど……まず、肝心なことを話しておこうか」
「は……はい……」
先生の体が、観光用ケーブルカーに向きました。肝心なこと、と言われて、肌が粟立ちました。
尋ねるまでもなく分かり切っています。先生のお返事です。話の途中でどこかへ逃げたりできないように、空中で密室に閉じ込めて――ということです。トドメを差されてしまうような気がして、急に不安になってきました。
先生は優しい人です。きっと最大限、私が傷つかないように言葉を選んでくれると思います。でも、フられる心の準備なんてできているわけがありません。私はすっかり弱気になって、判決を待つ罪人の気分でした。
扉を閉じると、ヒグラシの鳴き声が聞こえなくなりました。扉の上部にファンがあって、中と外の空気が循環します。ケーブルカーが動き出したら、ガタン、ゴトンと揺れる音と振動が、私の心臓の音と重なって聞こえます。
「コトリ」
「はっ、はいっ!」
「隣に座ってもいい?」
執務室で課題をやった時よりも近くに、先生が座りました。先日のデートでこの距離感は体験済なのに、布地越しに伝わる体温が、何だか恐ろしいです。
「……先生は、生徒には平等でなければならない。誰か一人に肩入れしてしまうのは、不平等だ。えこひいきだ。大人としてあってはならないんだ」
先生は、自分に言い聞かせるようにそう言いました。
私は、言葉の続きを待ちました。息遣いすら聞き逃せません。
「本当は、コトリのことも遠ざけなければならない。一時の気の迷いだ。年上への憧れを勘違いしているだけだ。そんな風に言い聞かせて諦めさせるのが、大人としてあるべき姿なんだ」
次に続く言葉は「だから」でしょうか。「でも」でしょうか。
吐き出す言葉の一文字一文字に先生の苦悩が乗っていて、胸が締め付けられます。私は、先生の葛藤を知ることができただけでも、もう十分なんじゃないか、と思っていました。
ケーブルカーは、ゆっくりと山を登っていきます。木漏れ日はキラキラしていますが、目に刺さるようでもありました。先生は眩しさに目を細めながら、話を続けました。
「私が誰か一人を好きになれば、それは先生としての不誠実だ。でも――私は、逃げたくない。大人の理屈で、自分の気持ちから目を背けたくない。自分に正直になりたい――そう願ってしまった」
「……っ」
先生の指先が、私の手に重なってきました。許しを乞うように震えています。すぐ隣に座る先生が、初めて小さく見えました。
「コトリが好きだ。一度意識したら、あっという間に夢中になってしまった。もしも気が変わっていなければ、私の一番近い所にいてほしい。……恋人として」
「わ、えっ、うぇ、うぃっ……正気――ああいやっ、い、い、いいんですかっ!?」
いいんですか、と訊きながら、私はもう力いっぱい先生の手を握り締めています。そうしていないと、あまりの衝撃にケーブルカーのドアを突き破って転落してしまいそうでした。
「あっ、あのっ……わわ、私の気持ちは変わってません……といいますか、先生のことが、す……好きなままで……でも、ほほ、本当にいいんですかっ!?」
「それはこっちが訊きたいよ」
どもりまくる私に、とうとう先生は頬を緩めてしまいます。
「で、でもっ、何で……いえ、好きになってくれたら嬉しい、とは当然思っていましたが、その……私の、どどっ、どこを……?」
耳の穴から蒸気が噴き出ています。顔が熱くて、汗が止まりません。余裕をすっかりなくしてアタフタする私に、先生は語り掛けてきます。
「じゃあ、今からたっぷりとコトリに説明してあげよう。ちゃんと最後まで聞いててくれるよね?」
「へっ……ひえっ……!」
ここは宙吊りのケーブルカー。眼下の谷底には川が流れています。終着駅まではまだまだ先のようです。
――はわわ、に……逃げられません……!
先生は、こういう恥ずかしい時に私が逃げ出そうとするのを知っていて、この状況に私を追い込んだのに違いありません。
先生の左手に肩を抱かれた瞬間、私はきっと、肉食獣を前にしたウサギのようになっていたことでしょう。
* * * * *
「……っぶはあっ! はぁ~~~~~~っ!」
往路のケーブルカーが停車した瞬間、私は酸素を求めて転がり出ました。まともに立っていられず、膝をついたまま、生まれたての小鹿みたいに震えるばかり。
「し……死んでしまう所でした……!」
先生の説明は甘い拷問でした。「あばたもえくぼ」とはよく言ったものですが、私が欠点だとばかり思っていたところも含め、見た目から内面まで、余す所なくたくさん褒めてもらって、危うく爆発四散してしまうところでした。
好意的な感情はずっと前から微かに持っていたそうですが、どれだけ好きになったかを熱く語られました。先生が、あんな情熱的な人だなんて。
それに――
「うぅ、まだ、唇が温かい……」
キスの感触を思い出して、つい口元に手を当ててしまいます。ぬいぐるみのように抱き締められて逃げられなかったのに、恥ずかしすぎてじたばたと暴れてしまい、ロマンチックな雰囲気を損なってしまったかもしれません。
「コトリ、大丈夫?」
待合室のウォータークーラーから冷水を汲んでガブ飲みしていると、先生が――私の恋人が――やってきました。さっきまでの熱烈な言葉がすぐ蘇って、冷たい水で冷やした傍から頭がカッカと火を噴きそうになります。
先生は、吸い寄せられるように私の隣に腰を下ろし、手を伸ばしてきます。
「……っ……」
一歩踏み込んだ距離感に進展したからか、私たち以外たまたま誰もいないのをいいことに、先生のタッチには遠慮がありません。
私の頭を撫でて……
編み込みやミニお下げを弄び……
頬を掌で包み、プニプニつついて……
猫を撫でるように顎をくすぐってくるのです。
じっと座ってなんていられるはずがありません。
「あぅ……せ、先生、あふ、ふふふっ……」
照れ臭くてムズムズするのですが、やめて下さいと口にすることもできず、私は骨抜きになっています。
想いが通じあったばかりなのです。ずっとこうして可愛がられていたいぐらいでしたが、ここは人の出入りのある場所であり、あまりイチャイチャしているわけにもいきません。先生は私の反応を楽しんでいるのか、なかなか止めてくれなかったのですが、私は意を決して先生の手を掴みました。
「先生っ、そろそろ移動しましょう!」
先生はちょっぴり不満そうでしたが、このまま弄ばれていたら私の心臓が持ちません。この先に続く神木展望台は、映画やドラマだけでなく、アニメでも度々モデルになっている聖地。場所を聞いて下調べはバッチリしてきてあるのです。
それに――私も決心がつきました。やはり、自ら動いてなんぼのものです。
「帰りのケーブルカーで、その、私からも、先生にお話ししたいことが……」
「何を話してくれるの?」
「えと……あ、愛の告白……と言いますか。自分のことを話すのは苦手ですが、先生に、私の想いを、き、き、聞いてもらいたくて……」
先生の耳が、じんわりと赤くなっていきます。少しだけ、仕返しができたでしょうか。指を絡めて、恋人繋ぎにして、私達は歩き出しました。
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