After La+ ジュピトリス・コンフリクト   作:放置アフロ

33 / 33
虹へ至る道標

 

 虹の向こうに男は渡っていった。

 

 何もない白い世界。

 

 いや、天地だけはあるらしい。膝を抱えて座り込む。

 

(ここが天国・・・・・・、いや地獄か)

 

 男は人生の労苦を全て吐き出してしまうかのように、深く長くいつまでも嘆息した。

 

(疲れた。もう何もしたくない。ひどく眠い)

 

 うつむいた男の隣に何かの気配が湧き起こる。鼻腔をくすぐる太陽の匂い。よく外で遊んで、日に干された金髪の匂い。

 

(アーンして、パパ)

 

 小さなスプーン。

 

 顔の前に差し出されるままそれを口にすると、とろっとした食感とトマトの酸味、バジルの香りが口中に広がった。

 

 懐かしいダブリンの朝食。スクランブルエッグだった。

 

 男の目に光るものがあった。

 

 目線を上げると、蒼い瞳の娘の向こうには、美しい妻も佇んでいた。こちらへあの頃と変わらぬ微笑を投げかける。

 

(ずっと、パパのこと待ってたんだよ。これからはまた一緒でしょ? もうどこにも行かないでしょ?)

(あぁ、・・・・・・一緒だ。二度と離れないよ)

 

 ようやく、空虚だったカールの胸は温かいものに満たされていくのを感じた。

 

(すまなかった)

 

 その懺悔に妻は首を振った。

 

(あなた、おかえりなさい)

(・・・・・・ただいま)

 

 

 

 

(目を覚まして、マリア。

 君を待っていた。君を、ずっと待っていた。さあ、起きて。

 僕の妹。大切な妹、マリア)

 

 名前を呼ぶ声が聞こえる。

 新しくもらった名前。

 そして、私を人間として認めてもらった名前。

 その声に呼応するかのように、目をおおっていた白い霧がはれていき、視界がひらけた。

 まぶしい。ここはどこだろう?

 柔らかい風が肌をなでながら、駆け抜けている。身を起こすと、私は黄金色に輝く野原に倒れていたらしい。

 遠くから甲高い歓声が聞こえてくる。向こうの丘の上で何人かの少女が戯れているようだ。

 お互い飛びついてじゃれあったり、まるで飛行機のように腕を広げて走り回ったり。

 

(マリア・・・・・・)

 

 聞き覚えのある声に振り向くと、金髪の青年が立っていた。

 

(グレミー・・・・・・)

 

 彼は今まで見たことがない、穏やかで安らぎに満ちた表情をしていた。

 

(僕のことを、許してくれるだろうか?)

 

 グレミーの優しさが私の心に流れ込んでくる。

 昔、瀕死の私を看護してくれたあの人、セイラさんの言葉を思い出す。

 

『強くなりなさい。他人に優しくできるように。

 そして、他人の優しさが受け入れられるように』

 

 そうか。セイラさん、私は馬鹿だね。やっと、大人になれたような気がする。

 今まで背伸びばっかりして、外面だけ、強く見せようとしていた。 

 

「許すも許さないもないよ。だって、グレミーがいなかったら、きっと今の私はいないんだから。

 グレミーは私にとって、・・・・・・家族、でしょ?」

 

 彼の瞳が何か光っているように見えた。

 

(ありがとう)

 

 短い礼を言うと、グレミーは背を向けた。

 気が付くと、彼の視線の先に虹がかかっていた。

 

(さあ、もう時間だよ。みんな行こう)

(えー、もう行くのー? やだよぅ、グレミー)

(私、久しぶりにあったツー姉さんと、おしゃべりしたい)

(あっ、あたしも、あたしもー)

 

 丘で遊んでいた姉妹たちがこちらへやってきて、思い思いに好きなことを言う。

 そっか。グレミーはもう独りじゃないんだ。でも、きっと私のことも、きっとどこかで心配してくれて・・・・・・。

 そう、今まで見ていたのは、彼の幻影。私の罪悪感が生み出した虚無に過ぎなかった。

 誰かが私の袖を優しく引っ張っている。

 

(ねえ、ツー姉さんも、一緒に、来てくれる、かな?)

 

 栗毛の少女が少し俯きながら、こちらを窺うように蒼い瞳を向けている。

 そっか。この子たちと一緒に、虹の向こうへ行ってみるのも、悪くないかもしれない。

 でも。

 

「ごめんね。私も行きたいけど、私のことを待ってくれてる人たちがいるんだ」

 

 その言葉に少女は、さらに顔を俯け、栗毛の中に表情を隠した。

 

(でも、わたしも、ツー姉さんのこと待ってたよ。ずっと)

 

 泣いているのかもしれない。それを見せまいとしているのかもしれない。

 その時、その子の肩を優しく抱いてあげる人がいた。

 長い栗毛。同じ瞳の色はしているけれど、それは深い母性に満ちている。

 

(スリー。姉さんを困らせないで)

(でも、でも、マリーダ、やっと会えたのに・・・・・・)

 

 見上げた少女はやはり泣いていた。

 そっか。この子が私のすぐ下の子なんだ。私は目線を合わせてしゃがみ、ぽろぽろ、と涙をこぼれ落とす少女を見た。

 みんな同じ姿、声だけれど、よく見れば、みんな違う【色】をしてる。みんな、違う魂を持っている。

 だからこそ、家族なんだ。

 今の私には、スリーを精一杯抱きしめてあげることしかできない。でも、いつか、きっと。

 

 

 グレミーと姉妹たちは、虹の向こうへ消えていった。

 マリーダが最後まで残って見送った。

 その彼女が私に笑いかける。

 

(いつか人は、肉体を持ったまま、虹の向こうへ行ける日が来るかもしれない)

「ロマンチストだな」

 

 マリーダの気持ちに、私も微笑んだ。

 

「そんなあなたのことを、私は素敵だと思う」

(ありがとう、姉さん)

「礼を言うのはこっちだよ。虹の向こうに気付かせてくれた。

 でも、マリーダ、私は・・・・・・」

 

 不思議そうな顔をしてマリーダがこちらを見る。

 

「たとえ、解脱してそっちに行けるとしても、機械の力を借りて行けるとしても、私はもう逃げない。この生の苦しみを受け尽くして、肉体が限界を迎えてから行くことにするよ」

 

 マリーダもにっこりと微笑んでいた。

 

(スリーはきっと、ずっと待ってくれますよ。他のみんなも、私も。

 それに姉さん。生は苦しみだけではないことを、もう知っているでしょう?)

 

 そして、マリーダは自身の下腹部に手をやる。

 

(喜びと共に。人生に幸多からんことを)

 

 黄金の野を強い風が吹き抜け、それに乗ってマリーダは家族の元へと帰っていった。

 

 

 

 

 《ダイニ・ガランシェール》ブリッジにて。ノーマルスーツのフラストとアレクは別の意味で戦っていた。

 

『こっちはもう弾がねぇ! 斧一丁だけだ』

『俺はその斧もねぇ。AMBACも50%を切った』

 

 ―なんてこった! ほとんど丸腰じゃねえか!?

 

 アイバンとクワニからの無線を聞いた、フラストがレーザー通信で怒声を送る。

 

「そんなんじゃ敵のいい的になる。補給に戻れ!」

『大丈夫だ、まだ! それにベイリー少尉の《ゲルググ》が。キャノンもあるし』

『すまん。ジェネレーターが不安定だ。発射不能だ。ポンコツめっ!』

 

 アイバンのセリフをベイリーが遮った。

 

「いいから、さっさと戻れ! お前らまでやられるぞ!」

『「まで」ってどういう意味だ、こらっ!? マリアはやられてねぇ! 爆発の前に脱出するとこを見た。ちんたらして、今頃来やがって。このMっ禿げがっ!!』

「なんだと、この野郎! テメー、上官に向かって」

『こんな時だけ、上官面してんじゃねーぞ、ボケっ!』

 

 アイバンもフラストも普段の様子からは考えられない喧嘩腰、というよりほとんど怒鳴り合いであった。何かに怒っていなければ、二人とも精神を保っていられないような焦りを感じていた。

 

「うるさいぞっ! 《ジュピトリス》はどうなった?」

 

 キャプテン・シートを一喝したアレクが短く無線に問う。

 

『この宙域を離脱するようだ。モビルスーツは、もう出てこな・・・・・・

 いやっ!』

 

 ベイリーの鋭い声に、ブリッジの雰囲気が張り詰めたものに変わる。

 《ゲルググキャノン》の全天周モニター下方。《ジュピトリスⅡ》から、3機のMSが、夜空に上がる花火のように、スラスター光を見せる。放射状にMSは展開していった。

 

『ジム系、3!』

 

 ―3機も! おっとり刀で今頃出してきやがって!

 フラストは歯噛みする。

 

(最初から数に頼んで囲んでいれば、《ZZ》だって圧倒できたかもしれないのに。まして、敵を墜としてから、出てくるとは)

 

 《ジュピトリスⅡ》の無能な指揮官に、恨み言のひとつも言いたいフラストである。

 

(あいつは何のために、あの船に戻ったっていうんだ!

 畜生、こんなんじゃ、お前が死んじまったら、俺は何のために、・・・・・・)

 

 何のために、火星に送り届けたのか?

 何のために、点心を食わしてやったのか?

 何のために、仲間として認めてやったのか?

 

「おいっ、フラスト!」

 

 自問の堂々巡りは、アレクの短い呼びかけに打ち砕かれ、フラストは現実に戻る。

 

「クワニは帰還させる。少尉が連中と交渉に行く」

 

 ブリッジ正面上部のモニターを見れば、《ゲルググキャノン》のシルエットが最大望遠でも豆粒のようになっていた。遠ざかるそれは、両マニピュレータを上に挙げ、攻撃の意思がないように示しているようだった。

 

「アイバンは少尉を補佐しながら、もう、捜索をしている」

 

 続くアレクの言葉。キャプテン・シートを振り返らず、航空士席のモニターをにらみながらのそれは、わずかにフラストを非難しているような響きを含んでいた。

 

(そうだ。俺だって、こんなとこで呆けていられねぇ。やれることをやらなきゃならねぇ)

 

 思い出したかのように、フラストはヘルメットの無線を艦内に切り替えた。

 

「俺だ。フラストだ。全員に伝える。

 360度全天捜索。マリアの脱出ポッドを探せ! クソをしている間もねぇぞ!」

 

 

 

 

 脱出直後に起きた反応炉の暴走とハイメガキャノンの誘爆は、激しい衝撃波を引き起こし、脱出ポッドは大洋の荒波に揉まれる一葉となった。

 そして、気を失っていた私の肩を誰かがゆすっている。なんとなく、小さい手のような気がする。しゃくり上げる嗚咽も聞こえる。

 私は瞳を開けた。

 でも、そこはまだ黒い幕がかかっているかのように、何も見えなかった。

 

(やっぱり、そうか)

 

 肉体の喪失感に私は、わずかに奥歯を噛み締めた。

 しかし、

 

「お姉ちゃ・・・・・・、しっかりし・・・・・・。起き・・・・・・」

 

 泣きべそのエイダがむしろ、私に勇気を、力を与えてくれているようだった。

 手探りでその感触を見つけると、引き寄せ抱きしめてやった。

 

「大丈夫。生きてるよ」

 

 目は見えずとも、少女の喜ぶ様子がノーマルスーツを通して分かった。

 しかし、その頃には苦痛が知覚されていった。他の器官にも大分、悪影響が出ているようだ。

 鼻の奥の出血はいよいよ酷く、まったく役に立たない。

 苦しく口呼吸するが、感触が変だ。歯茎からも大量に出血していた。

 エイダの言葉がよく聞き取れないのは、彼女がベソをかいているからだけではあるまい。

 

「エイダ、よく聞いて」

 

 私は彼女のヘルメットを探り当てると、自分のそれに直接接触させて回線感度を上げる。

 

「コクピットにエアがちゃんと入ってて、漏れてないか確かめて。

 それができたら、救急キットを探して」

 

 やがて、確認を済ませサバイバルキットを探し当てたエイダが、「平気だよ。あったよ」と声をかける。

 あれだけの衝撃波と撒き散らされたMSの装甲片の中で、ポッドに深刻な空気漏れを起こさせるほどのダメージが無かったことは、よほどの幸運か、神の気まぐれとしか言いようが無い。

 私は大きく深呼吸し、その胸が膨らむのを感じた。意を決して、バイザーを上げる。

 エイダが私の顔を見たのだろう。

 

「あ、ぁぁ。お姉ちゃん、ごめ、んなさい。ひっ」

 

 やがて、それは息を吸うような子供らしい嗚咽に変わる。

 私は幾度となく、声をかけ安心させようするが、まだ上手く感情をコントロールできない少女はいつまでも泣き続けた。

 半ば諦め、右手で少女を抱き、左手で受け取ったウェットティッシュで私は顔を拭った。

 

(きっと、血でとんでもなく汚れてるだろうな。でも拭けば綺麗にすることができる。

 消せない汚れは、アンジェロと一緒に支えあっていくことができる。希望の光と一緒に)

 

 私は手をそこへやろうとして、・・・・・・

 

 

『お前の光を奪ってやった!』

 

 

 最後の黒い思惟を思い出し、鳥肌が立った。

 背中に氷の塊を突っ込まれたかのような感覚。

 

(そうだ。あの時、撃たれた)

 

 胃の上辺りまで降りていた手が震えて止まる。

 

 私は意識を下腹部へ向けた。目では見えない。

 しかし、そこにある小さな光は、確実に、少しずつ、

 

 しぼんでいった。

 

(ああ、また)

 

 哀しみというよりは、もう落胆だった。

 

(マリーダ、アンジェロ、ごめん。ダメだったよ。また、盗られちゃったよ)

 

 諦めかもしれない。

 

(ごめんね。こんな私の体に宿ったばっかりに……)

 

 私は名を与えられる前に消えようとするその命をせめて、慰めてやろうと手をやった。

 果たして、そこには銃創のどろりとした血の感触が、

 しなかった。痛みもない。

 

(ど、どうして?)

 

 私は慌てて、光の周辺をまさぐる。そこには腰に巻いたポーチがあるだけで、他には何も感じられない。

 そうしている内にも、その光はどんどんと、小さくなっていった。

 柔らかい金色の光。それは湖面に反射する太陽のようにきらめいていた。

 そして、私は唐突に思い出す。

 

「エ、エイダっ! 私のポーチを開けて。早くっ」

 

 声が上ずる。

 驚いた様子の少女が素早くポーチを開け、中の品物を取り出し私に手渡す。

 

「これ、分かるよ。わたしにも」

 

 エイダにも見えている、感じているらしい。

 

 それは、私の13歳の誕生日プレゼント。

 壊れたペンダントウォッチ。

 ちょうど真ん中の五芒星に弾着し、マッシュルーム化した銃弾がめり込み、蓋が開かなくなっていた。

 そして、ひしゃげた隙間、一筋の金色の輝きから、彼女のもっとも強い想いが心に入ってきた。

 

(ああ、キアーラ・・・・・・)

 

 

 

 頬をバラ色に染め、うつむき加減に少し恥ずかしそうに。

 

 しかし、大切な人に想いを伝える少女。

 

(そこに私の髪の毛が入っているの。あなたのことをずっと守るように息を吹きかけておいたから・・・・・・)

 

 そう、彼女はずっと守っていた。

 死してなお現世に残る彼女の思惟が、マリアとエイダ、そしてこれから生まれいずる小さな命を守ったのだった。

 

 

 

 こらえようとしても私の口からは嗚咽がこぼれ、蒼い瞳から涙は止めどなくあふれる。

 きっとあなたはもう虹の向こう側へ行ってしまった。

 私には震える手で壊れたペンダントウォッチを握り締め、胸に抱くことしかできない。

 

(ごめんね、キア。私、あなたのこと全然知らなかった。知ろうとしてなかった。

 私のこと、こんなにも大切に想って。最後まで守ってくれたんだね。

 あなたのこと、忘れない。ありがとう。

 だから今はもう、・・・・・・おやすみ)

 

 私はそっと瞳を閉じた。

 

 

 

 いく百、いく万、いく億の星たち。

 そのやさしい光が虚空に漂う脱出ポッドをただ照らしていた。

 

 

 

 After La+ ジュピトリス・コンフリクト ~完~

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(必須:50文字~500文字)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。