新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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レーベの村①

 

 

 

 瞼の外の明るい光に導かれるように、サラは目を覚ました。

 暖かい陽の光がサラを包む。

 

「あれ?……こ、ここは……」

 

 まだ覚醒しきれない頭で、サラは自分の置かれている現状を必死に理解しようとする。

 昨日からの記憶を辿り、昨夜のカミュとのやり取りにまで到達した所で、ようやく今、自分がここに一人で寝ていた事への異常さに気がついた。

 

『置いて行かれた』

 

 昨夜には、あれほど周囲を暖かな空気で包んでいた炎は、既に消えてから時間が経過しており、サラを寝かしつけてくれたリーシャの姿もない。

 カミュだけがいないのならば、何故か納得のできる部分もあったが、リーシャまでいないとなると話は変わってくる。

 

『見捨てられた』

 

 自分の身体が、恐怖と絶望に震えて行くのが解る。

 切望していた『魔王討伐』の旅への同行。

 しかし、長い間憧れていた『勇者』は、自分が考えている人物像とはかけ離れていた。

 ルビスの子である『人』と、その天敵である魔物を同類としている考え。

 それは、魔物擁護の発言と同意であり、そして、この世界を護る『精霊ルビス』を侮辱する発言と同意。

 

 それがサラには許せなかった。

 最後には自分でも何を話したのか記憶が曖昧なぐらい感情的になってしまっていた。

 最初は自分と同じようにカミュに対して敵対心を剥き出しにしていたリーシャが、途中から無言になっている事に気が付いてはいたが、感情的になっているサラには、その事を考慮に入れる余裕がなかったのだ。

 

『自分は、何かとんでもない事をしてしまったのかもしれない』

『自分一人を置いて、あの二人は旅立ったのだろう』

 

 気持ちが益々沈んで行くサラは、そこでようやく自分が手に持つ、先程まで包まっていた布に気が付く。

 それは、『勇者』と呼ばれる青年が身につけていたマントだった。

 火の傍で寝ていたとはいえ、夜の森の気温はとても低い。

 

『自分は、寝ている最中に寒さに震えていたのかもしれない』

『それを見て、マントを掛けてくれたのだろう』

 

 それが、カミュが自ら掛けたのか、リーシャが無理やり引き剥がして、サラに掛けたのかは分からない。おそらく後者だろう。

 

「マントがあるということは……」

 

 サラは素早く身を起こし、周りの状況を確認する。

 マントがあるという事は、先程までのサラの考えが杞憂である可能性が高いのだ。

 自分を置いて行ったのではなく、リーシャとカミュが、何かしらの理由で席を離れているのかもしれない。

 サラはマントを手に取り、立ち上がる。

 上を見上げると、背の高い木の葉の隙間から朝日が差し込んで来ていた。

 もう、陽が昇ってそれなりの時間が経っている証拠である。今日中にレーベの村に着くつもりであれば、そろそろ歩き出さなければならないだろう。

 周りを見てみても、二人がどこにいるのかの手がかりすら無い。今、無闇に動くよりも、ここで待っていたほうが無難ではあったが、先程感じた心の内の焦りがサラを森の奥へと進ませて行った。

 

 

 

 

 サラには、カミュのような森の知識もなければ、リーシャのような経験もない。

 当然のように、奥に入って暫く歩くと、前後左右の場所が分からなくなった。

 引き返そうにも、自分がどちらの方角から来たのかさえ分からない。ここで初めて、サラは自分がした愚かな行為に気が付く。

 このままでは、森の中を彷徨うだけ。

 リーシャ達が宿営地に戻り、自分がいないことに気が付けば、探しに来てくれるかもしれないという期待はあるが、逆に良い機会だと置いて行かれる可能性をサラは捨て切れなかった。

 森で迷いそれほど時間が経過していないにも拘わらず、サラは、自分の考えによって気力を根こそぎ奪われ、その場に座り込んだ。

 

『自分は何をやっているのだろう?』

 

 経験豊富なリーシャや、何故か旅慣れている様子のカミュに強引に付いては来たが、完全に足手纏いになっている。

 自分の為に休憩をとらせて目的地までの日数を遅らせ、果ては勝手に出歩き迷子になっている。

 

「……ルビス様……私は……」

 

 自分の状況を分析し、尚更沈んで行く気持ちから、溜息混じりの呟きを漏らした。

 ふと視線を感じ、そちらの方向に目を向けると、一羽のうさぎがサラを見ている。

 昨日のカミュの話を思い出し、顔を顰めたサラではあったが、何故かこちらに視線を向けたまま動かないうさぎを不思議に思い、歩み寄ろうとした。

 

「あっ……」

 

 しかし、サラが腰を上げたと同時に、うさぎは踵を返し逃げて行く。

 そのうさぎの姿がサラの気持ちを更に沈めて行くが、うさぎはサラからある程度の距離をとると、再び小首を傾げながらサラを見ていた。

 

「……何ですか?……付いて来なさいという事ですか?」

 

 そんな事がある訳がない。

 そのうさぎにとって、サラのような『人』を見るのが初めてだったのだろう。

 故に、好奇心からサラを見ているが、危害が加わる事がないように距離を取っているだけなのだ。

 勝手に良い方に解釈をしたサラは、恐る恐るうさぎの方に近寄る。

 うさぎが気付き、距離を空ける。

 サラが近づく。

 距離を空ける。

 そしてまた近付くを繰り返しながら、サラは森の奥へと進んで行った。

 

 

 

「行くぞ! カミュ!」

 

 本来魔物に向けるはずの剣を、味方であり、世界最後の希望であるアリアハンの勇者に向け、リーシャは構えを取っている。

 対するアリアハンの勇者は、溜息混じりに背中の剣の柄に手を掛けた。

 

「……わかった。昨日、相手をすると言ったのは俺だったな……」

 

 心底、面倒くさそうに背中の鞘から剣を抜くカミュ。

 なぜ、味方同士の争いになったのか……

 それは少し前に遡る。

 

 

 

 カミュが気温の変化に目を覚ました時には、すでに夜が明け、少しずつ森を明るい光が包み始めた頃だった。カミュが感じた寒さの原因はすぐに解った。

 火が消えかけているのだ。夜が明けた今となっては、朝食の準備でもしない限り必要はないのだが、見張り兼火の番をするはずの女戦士が、火の傍で丸くなっているのはどういう訳なのか、カミュには一瞬理解ができなかった。

 火の状況を見ると空が白み始めた頃に眠りに落ちたのであろう。

 森の入り口ではあり、木々がひしめき合っていて、日光の差し込みが分かり辛いが、もう火が消えてしまっても差支えはない。

 ある程度の余熱があれば、寒さに震えるような事はないだろう。

 カミュは火に残った薪をくべ、火を安定させると、その場を後にした。

 昨日剣を振っていた水の湧き場で水を汲み、顔を洗った後、カミュは身体をほぐし始めた。

 寝具の中で寝ていた訳ではない為、筋肉に変なストレスがかかり硬くなっている。

 首をほぐし、肩、腕、腰をほぐし終わり、足の筋肉に取りかかっている時に、後方に気配を感じた。

 

「……大人しく待っている事は出来ないのか?」

 

 後方の気配はカミュの予想通り、リーシャであった。

 憮然とした表情で立つリーシャの表情は、不満を言う為というよりも、何やら本当にカミュに用があるようである。

 

「お前が勝手に一人で出発する可能性があるからな。まぁ、マントをサラに掛けたままだったから、そんな事はないと思ったが、念の為だ」

 

 リーシャは、後ろから極力気配を消してきたのにも拘わらず、近寄る前に声をかけられ、多少動揺をしながら歩み寄って来る。

 

「見張りや火の番を放棄して眠りこけていた人間とは思えない言い草だな」

 

「うっ! そ、それは……」

 

 カミュの容赦のない言葉に、リーシャは言葉に詰まる。

 眠ってしまっていた事を自覚しているだけに、その言葉はリーシャの胸に突き刺さったのだ。

 魔物の巣窟である森の中で、全員が眠りに落ちている等、死を望む者以外は行わない事である。仲間の命を危機に晒したという事実を突き付けられたリーシャが目を伏せるのも仕方のない事なのだろう。

 

「それでなんだ?……あの僧侶も起きたのか?」

 

「い、いや。サラはまだ寝ている。そうではなくてだな……また剣を振るのか?」

 

 自分の失態をつつかれ、狼狽しながらもリーシャは、昨日のカミュの訓練の様子を思い浮かべて問いかけた。

 サラが起きるまで、まだ少しばかり時間があるだろう。

 ならば、自分もカミュと共に剣を振るおうと考えていたのだ。

 

「まだ寝ているのか……言い出した見張りを放り出して眠りこける『戦士』に、昨晩から何もせずひたすらに眠り続ける『僧侶』か……一つ聞きたいが、このまま俺はアンタ方が付いて来る事を黙認していても良いのだろうか?」

 

 しかし、そんなリーシャの前向きな考えも、カミュの言葉で霧散してしまう。

 口端を少し上げたカミュは、自問自答するような口ぶりで、リーシャへと容赦のない言葉を投げかけたのだ。

 

『どうしてこうも捻くれているんだ?』

『しかも、その厭らしい笑いはなんだ?』

 

 リーシャは自分の血液と共に頭に上ってくる疑問に、怒りが増幅されるのを感じていた。

 事実、リーシャの考えるように、カミュの口端は上がり、笑みを浮かべているように見える。

 

「くっ! 私達が役に立たないというのか!? いいだろう! 昨日、剣の相手をすると言ったな。私が稽古をつけてやる。実戦と思ってかかって来い!」

 

 売り言葉に買い言葉である。

 カミュの表情を確認したリーシャは、腰の剣を素早く抜き、その剣をカミュに向かって掲げながら挑発をし返した。

 そのリーシャの姿を見て、カミュの瞳は驚きで開かれ、大きな溜息を吐き出す。

 

「……本当に頭に血が昇り易いな……よくそれで、魔物討伐で命を落とさなかったものだ」

 

 対するカミュは、明らかに失敗したというような表情に変わり、肩を落とした。

 そして、先程の状況になった次第である。

 

 

 

『かかってこい!』と受けに回る事をほのめかしながら、先に仕掛けたのはリーシャであった。

 瞬時にカミュとの間合いを詰め、踏み込む足の動きに合わせ、右手に持った剣を横薙ぎに振るう。

 必殺の速度である。

 

『殺す気か!?』

 

 対するカミュは、右手に持っていた剣を両手に持ちかえ、リーシャの剣に合わせる。

 間一髪、リーシャの剣とカミュの身体の間に剣を滑り込ませ、その剣を受け止めた。

 しかし、女とはいえ、アリアハン屈指の戦士の剣である。

 カミュは勢いを殺し切る事が出来ず、たたらを踏んで後退した。

 その隙を見逃さず、リーシャは二撃目を繰り出す。

 刺突である。

 魔物と戦う時に剣を横薙ぎに振るう事は少ない。

 魔物の身体は大抵人間のそれよりも堅い皮や毛に覆われている。横薙ぎに切った場合、運が悪いと魔物の身体の途中で斬撃が止まってしまい、剣が抜けなくなってしまう事があるのだ。

 故に魔物と戦う場合、牽制以外では刺突を用いる事が多くなる。

 つまり、リーシャは本気でカミュを殺しにかかっている証拠であった。

 

「くっ!」

 

 初手の対応を間違えたカミュは、防戦一方になる。

 リーシャの刺突をギリギリのところでかわし、リーシャの肩口目掛け剣を振り下ろす態勢に入るが、その前にカミュの腹部に衝撃が走った。

 刺突を、態勢を崩しながらかわしたカミュの腹目掛け、リーシャの蹴りが入っていたのだ。

 

「ぐはっ!」

 

 腹部に蹴りを受けたカミュは、後方に下がり際に剣を横薙ぎに振るう。

 しかし、それはアリアハン屈指の騎士に対する攻撃としては、無意味に近い物だった。

 

「甘い!」

 

 横薙ぎに振るわれたカミュの剣を弾き返し、返す剣でカミュの首を狙い一閃。

 辛うじてカミュは剣を戻し、首を狩りに来る剣を受け止めるが、リーシャは手首を返し、その剣を巻き上げた。

 

「!!」

 

 剣はカミュの手を離れ、回転しながら後方の地面に突き刺さる。

 武器を無効化されたカミュに、リーシャと渡り合う方法はなくなったのだ。

 

「勝負ありだな!」

 

 カミュの首筋に剣を添えながら、どうだと言わんばかりに顔を綻ばせ、リーシャは高らかに勝利を宣言する。

 カミュは格闘家ではない。

 素手での戦いができない訳ではないが、剣を持った戦いに比べれば、数段劣る。

 何より、剣での戦いで遅れを取った相手に、素手で勝てると思う程カミュは愚か者ではなかった。

 

「……今の勝負は……負けで良い……」

 

「今の?……なんだ? いきなり仕掛けた事を卑怯だとでも言うのか? 私は『いくぞ!』と言った筈だぞ?」

 

 リーシャは、カミュが負け惜しみを言っているのだと思い、ここぞとばかりに意趣返しを図る。

 リーシャの剣が首筋から離れた事を確認し、カミュは後方に飛んで行った剣を拾い、再び構えを取った。

 

「??」

 

「もう一度だ。アンタの力を見縊っていた事は認める……実戦形式とはいえ、本気で殺しに来るとは思わなかった。ならば、俺も実戦と同じように、魔物相手と考え相手をしよう」

 

 構えを取ったカミュの瞳が、先程までとは異なる光を宿し始めていた。

 しかし、カミュに戦闘で勝利した事を喜ぶリーシャは、その変化にまだ気付いてはいない。

 

「あははは……なんだ? 今の戦いは、本気ではなかったとでも言うのか?」

 

「……ああ……」

 

 『子供だ』 

 どれほど捻くれていようと、どんな厭味な事を言おうと、やはり年相応の子供なのだとリーシャは思った。

 リーシャの見立てでは、カミュは人間相手の戦いには慣れていない。

 昨夜の話の内容通り、幼い頃から魔物を相手にしてばかりいたのであろう。

 基本的に、魔物は本能によって行動をする。人間の動きよりも素早く、予測はつかないが、そこに思考がある訳ではない。

 反面、人間の動きは魔物には劣るが、様々な事に対応できるように思考を巡らし、攻撃や防御を行う。 

 つまり、力量の差がそれ程ない人間相手には、その駆け引きが重要になるのだ。

 それは日々の訓練による経験からくるものが多い。カミュも騎士と訓練を共にした事はあるのだろうが、その経験が圧倒的に足りないのだ。

 そんなカミュが、自分の負けを認める事を拒み、子供がよく使う『今のは、本気でなかったのだから負けたのだ』というような負け惜しみを言うのを見て、リーシャは内心で笑いを堪えるのに必死だった。

 

 『次は本当に稽古をつけてやろう』

 そのように軽く考えていた。

 故に、カミュの瞳が宿す光の変化に気付かない。

 

「良いだろう。存分にかかってこい」

 

 カミュを見据えながら、リーシャも剣を構える。多少心に余裕を持ち、それが侮りに近い物になっているリーシャは、カミュの纏う空気の変化に意識を向ける事をしなかった。

 カミュのその瞳は、今までの魔物の戦闘ですら見せた事のない、冷たく突き刺すような瞳に変化している。

 つまり、それは正しく敵を見据える瞳。

 

「来ないのなら、こちらから行くぞ!」

 

 一向に動く気配のないカミュに、今度もリーシャが先に仕掛けた。

 間合いを詰めながら剣を突く。

 それをカミュは自分に届く前に横にいなし、突き返す。

 リーシャとカミュの剣が幾度となく交差する。

 リーシャの見立て通り、カミュの剣の腕前は、まだリーシャには及ばない。

 しかし、その実力の差は天と地ほど離れている訳でもなかった。

 少しの実力の差が勝敗を左右する世界である故のリーシャの勝利なのである。リーシャがカミュに剣を教えるつもりで剣を交えれば、その攻防を続ける事が可能であった。

 

「ほら、どうした? 本気で来るのではなかったのか? これでは先程と同じだぞ!?」

 

 カミュの足を狙った剣を弾き、カミュの肩口めがけ剣を振るいながらリーシャはカミュへの挑発を繰り返す。

 そんなリーシャの挑発に、カミュの瞳が一瞬揺らぎを見せた。

 しかし、それは『怒り』という感情ではなく、『憐れみ』に近い物。

 

「……頭に血が昇り冷静さを失くすだけに飽き足らず、慢心までとは……アンタ、本当にアリアハン屈指の戦士なのか?」

 

 リーシャの剣をかわし、一旦距離を取ったカミュが溜息交じりに呟いた言葉は、リーシャの心に火を着ける物であった。

 一度、剣を下げたリーシャが、再び剣を構える。 

 その構えは、敵を見据えるような構え。

 

「わかった。稽古をつけてやるつもりだったが、お前がそう望むのなら本気で行こう」

 

 リーシャの目も敵を見る目に変わる。

 一本目よりも本気の証拠に、再び合わせた二人の剣が発する音は今までになかったものであった。剣を振るい、弾き、また振るい、弾くの繰り返し。

 何度目かのカミュの剣を弾いた後に、リーシャの瞳に信じられない物が映り込む。

 

「メラ」

 

 抑揚のない口調での詠唱。

 それと同時に目の前に迫る火球。

 リーシャは間一髪でその火球を避けるが、完全に態勢を崩した。

 そしてそれに合わせるように、リーシャの横っ腹にカミュの蹴りが入り、たまらずリーシャは地面へと転がる。

 焦って態勢を立て直そうと起き上ったリーシャの喉元に剣先が突き付けられた。

 

「……勝負ありだな……」

 

 おそらく意図的なのであろう。

 先程のリーシャの口調そのままで、カミュが勝利宣言をする。

 その瞳は、先程のような冷たい視線ではなかったが、表情はなかった。

 

「ちょっ、ちょっと待て!」

 

「……なんだ? まさか、魔法を使ったから卑怯だとでも言うつもりか? 俺は『実戦と同じように』と言った筈だが……」

 

 完全なる意趣返しであった。

 その証拠に、先程まで表情のなかったカミュの口元が片方上がり、厭味たらしい笑みが浮かんでいた。そのカミュを見て、リーシャは言葉に詰まる。

 悔しげに歪んだ口元が、その無念さを物語っていた。

 確かにカミュは『魔物相手と同じように』と言っていた。

 それに対し、リーシャもそれを了承し、途中からは自分も本気でカミュに剣を向けていた。

 剣でのせめぎ合いは、リーシャに分があった筈。

 しかし、カミュはそのリーシャの剣を何とか凌ぎながらも、魔法を使う隙を窺っていたのだ。

 カミュの力の具合や剣の腕から、魔法は使えないと無意識に決めつけていた事がリーシャの敗因だった。

 考えれば、アリアハンの英雄と謳われたカミュの父親である『オルテガ』もまた、剣の腕は世界中で右に出る者はいないと云われ、魔法も行使する事が出来た。

 しかし、それは真の勇者しか契約する事の出来ない魔法だとも聞いた事がある。それ以外の、先程カミュが行使したような、魔法使いが最初に契約をする『メラ』と呼ばれる火球呪文を行使できたかは解らない。

 何れにせよ、カミュの言う通り、この勝負はリーシャの慢心から来た思い込みが敗因なのは確かだった。

 

「ぐっ…………もう一度だ!」

 

 再度剣を構えるリーシャを嘲笑うかの様に、カミュは剣を背中の鞘に納める。

 そして、自分達の戦いの影響で喧騒を失くした森へと視線を動かした。

 

「いや、時間切れだ……これ以上は、出発が遅れる。それに、迎えも来ているようだしな」

 

 先程までリーシャに向けていた笑みを消し、カミュが視線を動かした方向を見れば、こちらを見たまま放心しているサラの姿があった。

 サラの姿を見て、リーシャも軽い溜息を吐き出す。

 そして、身体に入った力を緩めた。

 

「……わかった。だが、また勝負だ、カミュ。この先、お互い剣の腕を磨いていかなければ、待っているのは『死』だけだ。相手が思考能力を持たない魔物だけとは限らない。その為にも人間との鍛練は必要な筈だ」

 

 リーシャにとっては、苦し紛れの言葉だったのかもしれない。

 こう言わなければ、カミュは自分と剣を合わせる事がないと思っていた。

 しかし、それに対してのカミュの対応はリーシャの想像の遥か上を行っていた。

 

「……そうだな……アンタと相対して、俺の腕がまだまだだという事を思い知らされた。これからも頼む」

 

「……は?」

 

 リーシャはカミュの意外な言葉に一瞬呆けてしまう。それもそうだろう。

 昨日の夜までは、レーベの村に着いたらアリアハンに帰れと言っていた男が、直接的ではないにしろリーシャの同道を認めたのだ。

 

「……早々にここを出発する……今日中には<レーベ>に着きたい」

 

 リーシャが呆けている間に、カミュは早くも移動してしまう。

 我に返ったリーシャは、先程のカミュの言葉を改めて振り返り、自然と顔を緩めながらその後を追った。

 

 

 

 サラは、木々に覆われた場所から、唐突に開けた空間に出た。

 ついて来いと促していると考えていたうさぎは、疾うの昔に逃げ去っていた。

 興味本位でサラを見ていたが、いくら距離を空けても、その距離を詰めてくる人間に恐怖を覚えたのであろう。サラを置き去りにして、森の奥の方に一目散に逃げて行ってしまった。

 サラはそのうさぎを走って追う程の間を与えて貰えず、再び森の奥深くで取り残される形となった。

 立ち止まる訳にもいかず、うろうろと彷徨っていると、頬に当たる風が湿り気を帯び始めた事に気付く。水場が近くにあるのか、その周りの空気に湿気が含まれ、それが風に乗って来たのであろう。

 サラは僅かな期待を胸に、その風元に足を向ける。近付くにつれ、その期待が確信に変わって行った。

 そして、不意に広がった光に目を覆う。そこは幻想的な世界だった。

 木々は周りを覆うように生い茂り、その中央から一本の川が森の下流に向け流れ、大地には芝が生え、とても自然が造り出したとは思えない程の光景であった。

 そして、その中央の池の近くに、サラの探し求めていた二人の姿を見つける。

 ようやく辿り着いたことに安堵と喜びを感じ、駆け寄ろうと近づくサラの瞳に、信じられない光景が映し出された。

 

 二人は互いの剣を抜き、対峙しているのだ。

 しかも、その二人を取り巻く空気は、サラにでも感じられる程の緊迫した物であった。

 二人を止める為に声を出そうとするが、その空気に飲まれ、言葉を発することが出来ない。

 そして、サラが右往左往している間に、リーシャが動いた。

 リーシャの突きを剣で防いだカミュは、その後も何とかリーシャの攻撃を凌いで行く。途中、二人が距離を空け何か話していたようだが、この距離からはその会話が聞き取れない。

 しかし、サラにはカミュがリーシャを挑発したように思えた。

 その証拠に、その後からのリーシャの攻撃が先程よりも苛烈になっている。それでも、なんとか凌いでいるカミュではあったが、勝敗が決するのは時間の問題だという事は、サラにも理解できた。

 そんな時、サラの目にカミュの左手の動きが入って来る。右手の剣をリーシャの頭部めがけ振り下ろすカミュの左手が握られ、人差し指一本を立てた状態になっていた。

 

『何をするつもりなのか?』

 

 それはリーシャが頭部を狙う剣を振り払った時に判明する事となる。 

 左手の人差し指をリーシャに向けると、その指から火球が飛び出したのだ。

 それは、『魔法使い』と呼ばれる職業の人間が使える魔法。

 生来、魔力が高い人間が、初めに契約する事のできる魔法で、教会に入らない魔力を持った人間の将来を左右する魔法である。

 

 サラは驚いた。

 剣だけではなく、魔法の才能も持ち合わせている勇者と呼ばれる少年の能力に。

 リーシャの剣の腕は、素人の自分でも理解できる程に優れている。

 このアリアハンの地に住む魔物達では相手にすらならないだろう。

 そのリーシャに劣るとはいえ、あれ程のせめぎ合いが出来る腕を持つカミュも、相当な腕を持っているという事になる。その上、魔法まで行使できるとなれば、『自分は、唯の足手まといにしかならないのではないか?』とサラは考えた。

 

 カミュが魔法を行使できると言っても、それは魔法使いの魔法であって、回復魔法まで使える訳ではないだろう。もし、回復魔法が使えるのであれば、それは文献などに載る存在、『賢者』ということになる。

 今の世界に『賢者』はいない。

 遠い昔、その存在がいたとされているが、魔との契約による魔法と、神との契約による魔法を同時に使える存在は今現在確認されてはいないのだ。

 回復魔法が行使できるという強みは、パーティーの中での存在感となると考えていたサラは、魔法も行使できるカミュに、その存在価値を否定されたような感覚を持ってしまう。

 更には、リーシャとカミュの剣の腕である。

 『僧侶』であるサラは、剣の才能など皆無に等しい。

 しかし、魔物との戦闘の際に、常に後ろに控えている訳にはいかない。

 ただ、魔物に傷つけられた仲間を回復するだけであれば、それこそ魔王討伐には必要ないだろう。ならば、攻撃にも使える魔法を覚えるか、剣の腕前を、あの二人とまではいかなくとも、魔物に傷を与えられる程度には上げていかなければならない。

 そんな事をサラが考えている間に、二人の勝負は終わっていた。

 どうやら、先程の魔法が鍵となりカミュが勝利を収めたようだ。

 リーシャが何か悔しそうに、言葉をぶつけているが、それを無視するように、カミュがこちらに向かって来る。固まっていた自分に気が付きサラは二人に歩み寄り、その時、カミュの後ろから歩き出したリーシャの表情が、少し柔らかくなっていたのをサラは不思議に思った。

 

 

 

 三人は宿営地に戻り、火が完全に消えている事を確認した後、念の為、そこに土をかけてから森を出る。

 再び街道に戻った頃には完全に日が昇り、明るい日差しが街道を照らしていた。

 昨日と同じようにカミュが先頭を歩き、その後ろをサラの歩調に合わせてリーシャが歩く。

 その間隔は、ある一定の距離が刻まれ、それ以上縮まる事もなければ、逆に広がる事もなかった。

 昨日は、頭に血が上る事も多く気が付かなかったが、旅慣れぬサラの歩調を気遣いながら、カミュは先頭を歩いていたのだとリーシャは感じていた。

 相変わらず、出て来た魔物との戦闘では、自分に牙を剥いてくる魔物以外には全く興味を示さず、倒れた魔物の部位を切り取っていたし、別段サラや自分に向かってくる魔物を、代わりに倒したりすることもないが、彼は彼なりに自分達に気を使っているのかもしれない。

 昨日あれほど考えが対立していた相手を、何故このように思うのかは解らないが、何となく自分の考えが間違っていないという確信がリーシャにはあった。

 昨日と同じように、街道沿いでは<大ガラス>や<一角うさぎ>、そして<スライム>との戦闘はあったが、それらの魔物は、カミュやリーシャの敵ではない。

 サラが回復呪文を使う場面はないが、手に持つ一振りのナイフで、何体かの魔物に止めを刺して行った。

 昨日、サラが初めて魔物をその手の凶器で殺害した時には、その手に残る感触に暫し呆然としていたが、それを見るカミュの冷ややかな視線に気づき、カミュと睨み合う場面もあった。

 この先、その時に呟いたカミュの一言が、その後魔物をその手で倒す度に、サラの胸の奥に出来たしこりを大きくして行く事を実感するのであった。

 

「どうだ……魔物をその手で殺す気分は?……爽快か?」

 

 その言葉をカミュが発した時のリーシャは、完全に我を忘れるくらいに激昂していた。

 そのリーシャに呟いた一言も、サラの心の奥に張り付いて離れない。

 

「相手が魔物であろうと、命をその手で奪った事には変わりはない筈だ」

 

 昨日のカミュとの対立は必然であったと言えよう。

 未だにカミュの考えは解らないし、解ろうとも思わない。

 だが、カミュのその言葉は確実にサラの心に定着してしまっていた。

 

 

 

 後ろを歩く二人が全く違う想いを胸に、前を行く自分を見ているとは全く知らず、カミュはレーベへ向かい歩を進めていた。

 二度の休憩を挟み、何度かの戦闘を行い、日が沈み始めた頃、カミュ達一行はようやくレーベの村へと辿り着いた。

 

 木で出来た柵で、簡易の防壁を作って魔物の侵入を阻み、その囲われた小さな場所で、人々は集落を営む。

 『魔王バラモス』の出現による影響で魔物が凶暴化した事により、アリアハンから交代制で兵士が常駐し、監督を続けている。村の入口には、兵士達の番所があり、ここで兵士たちは寝泊りをしていた。

 基本的に、ここに派遣される兵士達は、アリアハンから募集した平民の兵士が多く、出世欲などはそれ程ない者が多い為か、兵士と村人の衝突などは一切起きてはいない。周りの魔物も強い魔物ではない為、世界で一番平和な村なのかもしれない。

 村の入り口でカミュ達三人は兵士たちに身分を伝え、村の中へと入る。

 

「レーベの村にようこそ」

 

 村に入ってすぐに、若い女性に声をかけられた。

 三人の服装なども見て、旅人と見たのだろう。にこやかな笑顔に偽りはなく、この時代に<レーベ>へと立ち寄る旅人を歓迎している様子であった。

 

「ああ、ありがとう」

 

 いつものように全く関心を示さないカミュの代わりにリーシャが村娘に答えるが、サラはというと、休憩を挟んではいたが、慣れない旅の疲れからか、リーシャの後ろを黙々と歩いていた。

 村の入り口から少し進むと、左手に道具屋の看板が見えて来る。

 陽が沈みかけているためか、店仕舞いをと考えているようであった。

 カミュは、魔物から切り取った部位の入った袋を持ちかえ、リーシャに『これを売ってくる』と告げて道具屋へと入って行った。

 その後ろ姿に、『先に宿屋を探しておく』と返したリーシャの言葉が、カミュに届いたかどうかは分からないが、とりあえず早めにサラを休ませようと、リーシャは宿屋を探す事とする

 

 宿屋は案外あっさりと見つかった。

 道具屋の向かいにある大きな建物が宿屋であったようで、入口が反対側だったため看板が見えていなかっただけであった。

 カミュを待つかどうか考えたが、サラを一刻も早く休ませたい事もあり、とりあえず宿屋の入口を潜る事にする。

 

「いらっしゃいませ」

 

 入り口付近で入るか入るまいかを悩んでいたリーシャの姿を見ていたのだろう。リーシャが店に入り切る前にカウンター越しから中年の男性に声を掛けられた。

 恰幅の良い男で、顔には優しげな笑みを浮かべている

 

「こんにちは。旅人の宿屋にようこそ。二名様ですか?」

 

 中年の男は営業的な笑顔でありきたりな文句を言い、こちらの人数を尋ねて来る。

 それに対し、サラの手を引きながらカウンター前にまで歩き、リーシャは口を開いた。

 

「いや、三人だ。できれば、二部屋用意してもらいたい。一つは一人部屋で、もう一つは二人部屋が良いのだが?」

 

「ああ、大丈夫だよ。このご時世、なかなか宿屋を利用する旅人も少なくなってきているからな。うちもガラガラさ」

 

 先程までの営業口調をいつの間にか取り払い、宿屋の親父は気さくにリーシャの要望に応える。

 先程までの営業的な笑顔とは違い、柔らかな笑みを浮かべているのを見ると、人柄の良さが窺えた。

 

「一緒の部屋なら、三人で6ゴールドなんだが、二部屋となると8ゴールドになるよ? それでも良いかい?」

 

「ああ、それで良い。金は、後から来るもう一人の連れが持っているから、そいつが来るまでそこに座らせてもらっても良いか?」

 

 ふらつくサラを支えながら、カウンターの前にあるソファーを指差したリーシャに、店主は笑みを濃くする。

 

「ああ、どうぞ。そちらのお連れさんは相当疲れているようだな……ちょっと待っていな。今、茶でも入れてやるから」

 

 もはや、丁寧な口調でもなくなっている宿屋の親父だが、その人柄はとても好印象が持てるものであり、リーシャの気持ちも自然と柔らかいものに変わって行った。

 奥からお盆に冷たいお茶を載せ戻って来た親父は、それをサラに渡すと、再びカウンターの中へと戻って行く。

 

「ああ、そうだ。ひとつ言い忘れた事がある。今夜の夕食と、明日の朝食は出せないが、それでも良いかい?」

 

「夕食も朝食も出せないのか?」

 

 なんでもないような事かのように口を開く宿屋の親父の発した言葉は、リーシャにとっては疑問が浮かぶ事柄だった。

 通常、深夜の到着でもない限り、宿屋の料金には、夕食と朝食が込みとなっている。

 それがないという事は、外の酒場などで夕食を取らなければならないという事だ。

 

「ああ、材料は多少あるんだが、生憎、私の家内が風邪をひいてしまって、昨日から寝込んでいてね。私も料理は出来るが、とてもお客様に出せる物ではないから……申し訳ないが、食事は無しでお願いしているんだよ。もしそれで良ければ、先程言った8ゴールドを、二部屋で通常通りの6ゴールドにしても良いよ」

 

「そうか……それでは仕方ないな……ん? そうだ! 6ゴールドにしてもらうお礼に、料理は私が作ろう。材料はあるのだろう?……ついでに親父さんの分と、奥さんの分も作ろう。風邪であるならば、消化の良い物が良いだろうな。台所を貸してくれ」

 

「は?」

 

 宿屋の親父の謝罪に対して発したリーシャの言葉は、その場を凍りつかせるのに十分な威力を持っていた。

 先程までぐったりと頭を下げていたサラでさえ、その頭を勢い良く上げ、疑問の言葉を発している。

 昨夜、串に刺さった、焼き上がっていない肉を頬張ろうとするリーシャを見ていたサラだけでなく、初対面の宿屋にとっても、リーシャと料理が全く結びつかなかったのだ。

 

「……な、なんだその顔は! 私が料理も出来ないとでも思っているのか!? サラまで何だ!?」

 

 リーシャはそんな二人の態度に戸惑いながらも、怒りを露わにした。

 リーシャの怒りを受けても、サラや店主の疑問は晴れない。腰に剣を差している『戦士』が料理を作るなど、彼女達には想像すら出来ないのだ。

 そんな宿屋のカウンター越しの微妙な状況の中、『勇者』が現れる。

 

「……ん? 何を騒いでいる? 魔物の部位は、思っていたよりも高く売れたから、ある程度の宿代は払える筈だ」

 

 登場したカミュは、その異様な雰囲気を不思議に思いながらも、見当違いな発言をする。

 そんな、いまいち状況を読めていないカミュに、サラが事の顛末を告げる為、リーシャの下を離れ、覚束ない足取りでカミュへと近付いて行った。

 

「宿屋の奥様が風邪をひかれたらしく、食事は出ないそうなのです」

 

「……は? そんな事で騒いでいるのか? 別段、外で食べれば良い。食い意地まで張っているとは、たいした戦士様だ。さすが脳まで筋肉で出来ているだけはある……」

 

「なんだと!」

 

 カミュの発言に、それまで微妙な空気を作っていた張本人がその身体に怒りを纏い、カミュを睨みつける。

 まさに一触即発の緊迫感に、宿屋の親父の顔も引きつるが、サラはカミュの間違いを正す為、もう一度口を開いた。

 

「あ、あ、違います。それは良いのですけれど、『材料があるのだったら私が作る』とリーシャさんが言いまして……」

 

「………………は?」

 

 サラは自分が伝えた言葉に対するカミュの反応に、心底驚いた。

 あのカミュが呆けているのだ。

 サラの発言の意味が全く理解できないといったような、完全な無防備な表情。

 無表情という訳でもなく、冷たいと感じる訳でもない、本当に人間らしい表情であった。

 

「~~~~!! 何なんだ、お前たちの反応は!! 私が料理を作るのが、そんなにいけない事なのか!?」

 

 先の二人の反応に続き、無表情と口端を釣り上げた厭味な笑いの顔しか見た事のないカミュに、人間らしい表情を出させた事への喜びなど感じる事もなく、リーシャは爆発した。

 

「い、いや、流石に俺も、アリアハンを旅立った二日後に、魔物との戦闘ではなく、食中毒で死ぬ事は、できるならば願い下げたいのだが……」

 

 初めて人間らしい感情を表に出したカミュが、そのままの状態でリーシャの言葉に返答を返すが、それは唯、火に油を注いでいるだけの行為であった。

 

「カミュ様……その言い方はちょっと……」

 

 <レーベ>までの道程で、カミュから『勇者様』と呼ぶ事を禁止され、お互いの落とし所であった『カミュ様』という呼び方でカミュに呼びかけるサラであったが、それは直接的ではないが、サラも気持ちは同じである事を明確に表していた。

 

「~~~~~~!! ああ、そうか、わかった。お前達が私をどう見ていたのか、良く解った。まさか、サラにまでそのように見られていたとはな。こうなれば意地だ。誰が何と言おうと、食事は私が作る。良いな! 親父、材料を見せてくれ。献立を考える。足りない物があったら、私が買いに行く!」

 

「あ、は、はい……わかりました。わ、わたしは頂きます……ですから、家内だけは……どうぞご容赦を……」

 

 旅の同道者である、サラとカミュの反応を見て、不安が尚一層深まった宿屋の主人は、何とか自分の妻だけは護ろうと、先程までの気さくな口調を正し、リーシャに懇願するように頼み込む。

 しかし、その主人の態度が、リーシャの怒りに益々火をつける結果になった。

 

「~~~~~~~~!! もういい!! 私は勝手に作業を開始する! お前達は出来上がるまで部屋で休んでいろ!!」

 

「は、はい!」

 

「……はぁ……」

 

 雷鳴の如く鳴り響くリーシャの怒声に、宿屋の主人とサラは同時に声を上げ、その横で心底疲れ切ったと云わんばかりに溜息を洩らすカミュがいた。

 そのまま台所へと消えて行ったリーシャの背中を暫し見ていたサラであったが、横にいる店主の心配そうな顔を見て、苦笑を浮かべる。

 カミュは、早々と自分の部屋へと向かって行った。

 

 

 

 リーシャが料理をしている間に、諦めきった表情で、宿屋の主人はお客の為に湯を沸かし、帳簿をつける。

 湯が沸いた事を確認し、二階の部屋で休んでいる二人のお客に、それを告げ、階下に戻って行った。

 宿屋の主人の声がした時、サラは疲れから睡魔に襲われていたが、二日間の身体の汚れを清める為、一応、カミュに先に入ることの了承を貰い、階下にある浴場へと足を運ぶ。

 これから起こるであろう惨劇を思うと気が重くなっていくが、まずは身体の汗を流す事にしたのだ。

 

 一人部屋に入ったカミュは、道具屋に売った魔物の部位の分のゴールドを袋に入れ、明日に道具屋などで揃える物を考えていた。

 これから先、アリアハン大陸から出る事になれば、この大陸の魔物とは比べ物にならない強敵が出てくるだろう。自分やリーシャが身につけていた、魔物の皮で出来た<革の鎧>では身を守る事が難しくなってくる筈だ。

 その為にも、少しでも良い物を買わなければならない。

 サラと呼ばれる『僧侶』は、戦闘に慣れるまでは危険が多いので、法衣の下にでも何か身を護る物を着せた方が良いだろう。そこまで考えて、自分が他の二人の装備品の事まで考えている事に驚き、カミュは苦笑を洩らした。

 

 サラが湯から上がり、カミュも軽く身体を清めた頃、台所からリーシャの声が響いて来る。

 その声は、サラにとって地獄からの呼び声のように聞こえた。

 もはや、先程の人間らしい表情を消し去ったカミュが、一番乗りで食堂に入る。その後から、ゆっくりと一歩一歩を確かめながらサラが食堂に入って来て、最後に宿屋の主人が食堂に姿を現した。

 それぞれが席に着き、サラと宿屋の主人がお互いの顔を見合せて愛想笑いをしていると、台所の方から両手に皿を二つ持ち、リーシャが現れる。

 

「おっ、揃っているな。さあ、これが、お前達が散々馬鹿にした私の料理だ。全部持ってくるまで手をつけるなよ」

 

 手に持った皿をテーブルの上に並べながら、リーシャは得意げに胸を張る。

 外にいたような鎧をつけている姿ではなく、鎧の下に着ている服の上からエプロンを纏い、先程まで台所の炎に当っていた為か、顔が上気していた。

 サラはその姿がとても美しく、とても羨ましく見え、眩しく見上げる。戦闘中では考えられないリーシャの女らしさに驚いたのだ。

 鎧を外し、エプロンをつければ、身体は引き締まっているが、女性らしさを損なわない丸みを帯びた美しいプロポーションだった。

 女性の仕事の一つである、子への授乳の為の胸は、一般的に見てもそれなりに大きい部類に入るだろう。髪は戦闘中に邪魔にならないよう短く切り揃えてはあるが、独特の癖のあるカールがかった金色の髪が、リーシャに良く似合う。

 

 サラがリーシャに見惚れている間に次々と料理がテーブルに並んでいった。

 暖かそうなコンソメのスープ。

 鶏肉を炙り、その上に気持程度にソースが掛けられたソテー。

 野菜と共に炒められ、疲れ切った身体でも食欲が溢れ出しそうな香りを出している。

 これはうさぎの肉であろうか?

 更には、野菜のサラダに、軽く焼き色のついたパン。

 

 どれも、湯気と共に食欲をそそられる香りを発している。ふと、サラが隣を見ると、食堂に入ってくるまで無表情を貫いていたカミュの表情が、先程宿屋の入り口で表した人間味のある唖然とした表情になり、料理とそれを運んでくるリーシャの顔とを見比べていた。

 その様子がとても可笑しく、カミュとは反対側に顔を背けて笑いを堪えていると、その方向にいた宿屋の主人も同じ事を思ったのであろう、必死に笑いを堪えていた。

 お互いの状況を確認した二人に笑いを堪える事は、もはや無理な話であった。

 

「あははははははははははっっ!!」

 

 突如、爆笑する二人に驚き、カミュの表情がいつものような無表情に戻るが、料理を運んで来たリーシャは、それが自分の料理を笑われたと思い、苦い顔をする。

 

「なんだ!? 失礼な奴らだな……人の料理を見て笑うなんて。良いから食べてみろ」

 

「ち、違うのです、申し訳ありません。リーシャさんの料理を笑った訳でないのです。ぷぷぷっ……」

 

 必死に弁解しようとするサラだが、一度落ちた笑いの渦から脱出する事は叶わなかった。

 顔を背けて笑うサラの様子に、先程まで強気の瞳を向けていたリーシャの意気も消沈して行く。

 

「……そんなにこの料理は変か?」

 

 先程までの剣幕はどこへやら、気落ちしたように顔を落とし、リーシャの表情は沈んで行った。

 そんなリーシャの様子に一気に笑いが引いて行ったサラと宿屋の主人は、何とか弁解をと必死に考えを巡らせ始める。

 しかし、そんな三人の様子を余所に、カミュが料理を食べ始めていた。

 スープをスプーンで掬い、一口啜ると、それからは怒涛のように他の料理に手をつけていく。

 

「あ、あの……カミュ様?」

 

「……ん? 料理は揃ったんだ。食べ始めて良いのだろう?」

 

 カミュの姿に驚き、恐る恐る声をかけたサラに、まるで当然の事のように答えたカミュの様子を見る限り、この料理の味は惨劇を生み出す物ではないようだ。

 

「……ど、どうだ?」

 

 今まで沈んだ様子だったリーシャは、自信のあった料理を笑われたと感じていた為、カミュが黙々と食べ続けるのを見て、感想を聞く。

 その声は、気のせいか若干震えているようだった。

 

「……旨い。凄いな……アンタの料理を馬鹿にするような発言をした事を謝罪する。ああ、それも食べて良いか?」

 

「そ、そうか! そうだろう!? 仕方がない。その謝罪を受け、先程の事は不問にしてやる! こ、これか? ああ、いいぞ! まだあるからどんどん食え!」

 

 凡そあのカミュとも思えないような素直な感想に、喜びを隠しきれない様子で、リーシャはカミュの前に野菜と肉の炒め物の皿を置いた。

 サラはそんな二人の様子を見ながら、カミュの態度に驚きながらもどこか得心の行く部分を感じる。

 カミュ達と出会い、まだ二日しか経ってはいないが、カミュは自分に非がある時には、その相手に対して謝罪する事や、感謝の意を表す言葉を言う事を厭わない。そんな気がしてならなかった。

 ならば、散々対立している自分に対して謝罪がないのは、カミュが全くその事に対して、自分には非が無いと考えているという事ではないだろうか。

 自分が考えた事もない考えをカミュは持っている。

 その考えを改めさせ、自分が受けてきた教えを、カミュに理解させる事ができる日が来るのだろうか。

 サラはそんな考えに没頭していた。

 

「……サラには口に合わなかったか?……やはり、ソースの酸味がきつ過ぎたか?」

 

 そんなサラの様子を心配し、リーシャが声をかけてくれている。

 旅の道中では、あまり表面には出て来ないが、このリーシャという女性は、本当にアリアハンの貴族らしからぬ人間だった。

 平民を虐げ、貴族である事がアリアハンで生きる為のステータスとでも言うような貴族が多い中、貴族であるという誇りは持っていても、それを驕るのではなく、平民であるサラに対しても気さくに接してくれる。

 リーシャは、そういう優しい女性であった。

 

「いやいや、このソースは絶品だ。凄いな、これは。俺も先程の態度を謝るよ。いやぁ、旨い。こりゃ、うちの家内にも食わせてやりたかったな」

 

 リーシャの味に気を良くした宿屋の主人は、最初の頃のような気さくな口調に戻っていた。

 そんな主人の態度の変化に苦笑を浮かべながら、リーシャは台所の方を指差し、口を開く。

 

「ああ、アンタの奥さん用に、台所に別にスープを作っておいたよ。消化に良い物で、体が温まるように作っておいたから、飲ませてあげると良い」

 

「そりゃ、本当かい? ありがとう。早速家内に持って行ってやることにするよ。ああ、本当に美味しかったよ。ご馳走様」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせながら、リーシャに頭を下げ、宿屋の主人は台所の方へと消えて行った。

 主人の背中を見送ったリーシャは、テーブルに顔を戻し、目の前にある料理が少ししか減っていないサラへと声をかける。

 

「サラも食べろ。早く食べないと、昨日と違ってサラの分も無くなってしまうぞ」

 

「は、はい! このスープ、本当に美味しいです。リーシャさんは、お料理がお上手なんですね」

 

 スープを飲み、その味の良さに感激を覚えるサラであったが、隣のカミュの食の勢いを見ていると、リーシャの言う事も、満更嘘ではない気がして、急いで他の料理も取り分けて行く。

 

「ああ、ありがとう。料理は、うちに昔から仕えている婆やに教わったんだ。剣の鍛錬ばかりしていた頃に壁にぶつかってな。その事を婆やに話したら、『女には、女の強さがあるのですよ』と言って、料理を教えてくれたんだ」

 

「そうだったの……」

 

「それを食べないのなら、貰っても良いか?」

 

 リーシャの話に相槌を打とうとしたサラの言葉を遮り、リーシャの前にある料理にカミュが手を伸ばしてきた。

 

「ん、これか? ああ、いいぞ。食べたかったら、食べれば良い……ほら」

 

 自分の分の料理まで欲しがるカミュに、リーシャは嬉しそうに笑顔を向け、カミュの前に皿を持って行く。

 カミュの食の勢いに圧倒されていたサラが、リーシャの前に、何も料理が残っていない事に気付き、慌てて言葉を掛けた。

 

「良いのですか? リーシャさんは、食べていないのではないですか?」

 

「ああ、料理は作る時に、味見とかで少しずつ口に入れるからな。意外に腹が膨れるものなんだ」

 

 自分を心配してくれるサラに柔らかな笑顔を向けたリーシャは、テーブルにあるお茶を一口啜る。

 その姿は、無理をしているようには見えない。満腹ではないが、空腹でもないのであろう。

 

「は、はあ……」

 

「まあ、サラも料理を作るようになれば解るさ」

 

 それでも納得が出来ないサラの様子に苦笑するリーシャは、サラの肩を軽く叩く。

 それは、サラ程の年齢の女性からしてみれば、少しばかり不服を申し立てたい程の発言であったが、異議を申し立てようと開いたサラの口からは、聞き取れぬ程の声量しか出ては来なかった。

 

「わ、わたしだって、料理は……でき……ません……けれど……」

 

「ふふふっ。いや、良いさ。私も小さな頃から出来た訳じゃない。その内、嫌でも覚えるようになるさ」

 

 サラの必死な様子を、リーシャは暖かい目で微笑を浮かべたまま見ている。

 サラは、そんなリーシャの視線に、恥ずかしそうに身を縮ませていた。

 

「ご馳走様」

 

 リーシャとサラが和やかな会話を続けていると、それまで黙々と食事を続けていたカミュが一言呟き、席を立った。

 カミュの前にあった皿は、全て空になっている為、先程の言葉はお世辞ではないのであろう。

 まず、カミュがお世辞などを言う事ができるとは、サラにはどうしても思えなかったが。

 

「ああ、明日はどうする?」

 

 席を立ったカミュに、リーシャは明日の予定を問いかけるが、カミュは食堂の入り口に立ったまま少し考えた後、振り返りもせず、またもや火の種を投じた。

 

「明日は物資を少し買いたい。店が開いた頃に出る……アンタはこの町に残って店でもやったらどうだ?……その料理であれば、客は来るだろう」

 

 火の種を投じたまま、リーシャの反応も待たず、カミュは二階の部屋に上がって行ってしまう。

 カミュが発した言動を、ゆっくりと噛み砕き理解し始めているリーシャが爆発するまで時間は、それ程残されてはいなかった。

 

 その夜、爆発したリーシャを宥め、共に洗い物などをしてから部屋に戻ったが、尚も収まりきらないリーシャの怒りの捌け口になったのはサラであった。

 サラはリーシャの愚痴を聞きながら、頭の中でカミュに対して怨み言を言い続けた。

 

 

 

 

 

 


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