新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【ランシール周辺】

 

 

 

 周囲を闇が支配し、木々を揺らす風の音だけが響く中、枯れ木を燃やした焚き火を囲むように座った一行は、リーシャの取って来た野うさぎを捌いた物を食していた。カミュは未だに意識を取り戻していない。いや、意識を取り戻していないのではなく、只単純に眠っているのだろう。

 

「カミュは、船の上や降りた後も眠っていないからな。今はゆっくり休ませてやろう」

 

 カミュの寝顔を見て軽く笑うリーシャにサラも頷きを返した。その様子を見て、船員達も表情を崩す。仲間の身を案じた優しさを感じ、自らも優しい気持ちになったのだろう。

 ただ、その中で一人だけは異なっていた。

 

「…………」

 

 食事も碌に取らず、ちらちらとサラの方へ視線を動かしては俯く者。小動物のように怯えたその姿は、船員達の庇護欲を煽るような物だった。だが、サラは何故かその少女の方へ視線を向ける事はない。リーシャでさえ、何かを言いたくてうずうずしているのにも拘わらず、サラはメルエに対して何の反応も示さなかった。

 手に取った果物を半分も食べずに置いてしまったメルエは、俯きながら涙を堪えている。潤んだ瞳は、焚火の炎に照らされ光を放っていた。船員達も何かを言いたそうにサラの方へ視線を送るが、サラはその視線に気付いていないように関心を示さない。焚き火に薪をくべながら、炎だけを見つめているのだ。

 それは、メルエの心に更なる不安と哀しみを運んで来る。何かを言いたげに顔を上げては、再び俯くの繰り返し。メルエは、自分から相手に何かを伝えるという行為をして来た事がない。常にリーシャやサラが何かに気付き、問いかけられた事に答えて来ただけなのだ。

 メルエは常に受け身であった。故に、今も誰かがサラに何かを言ってくれるのを待っている。リーシャが『どうした?』と聞いてくれる事を待っている。

 だが、そのメルエの小さな期待に応えてくれる者は誰もいなかった。

 

「夜も更けて来たな。もう休め。ランシールの村まではもう少しだとは思うが、明日も朝から歩くだろうからな」

 

 リーシャは、緊迫した空気を振り払うように船員達へと声をかける。船着場から二日間歩き続けた彼らの疲労はかなりの物だろう。屈強な海の男達とは言え、歩いて旅をする事に慣れている訳ではない。その事を示すように、リーシャの言葉に頷いた彼等はすぐに寝息を立て始めた。

 

「…………」

 

 皆が眠りにつき、起きているのはリーシャとサラとメルエの三人となった。暫し俯いていたメルエは不意に立ち上がり、カミュから取り外してあったマントを両手に抱えてサラの隣へと歩いて来る。何かを言いたそうに少しサラへ視線を向けるが、サラと視線が合わない事に肩を落とし、その傍でカミュのマントを被って横になった。

 

「…………ぐずっ…………」

 

 頭まで被ったマントの中で鼻を啜る音を響かせているメルエにリーシャは眉を顰める。メルエがサラに何を言いたいか等、リーシャに解らない訳がない。故に、リーシャはサラへと訴えるような視線を送った。それでも、サラと視線が合う事はない。

 リーシャでもメルエの気持ちに気付いているのだ。サラが『何故、メルエが態々サラの傍で眠ろうとしているのか』という答えに気が付いていない訳がない。

 

 

 

 暫しの間、沈黙が続いた。焚き火の中の薪が燃え、『パチパチ』という音が響く中、リーシャとサラは眠りもせずにその炎を見つめている。先程まで何度か鼻を啜る音を立てていたメルエは静かな寝息を立て始めていた。

 ようやくサラが傍で眠るメルエの頭を持ち上げ、その下に革袋を敷く。メルエの目元に残る涙の跡を手で拭ったサラは、小さな溜息を吐き出した。

 

「サラ……今日はどうしたんだ? 確かにあれはメルエの落ち度だ。だが、あそこまでする必要はあったのか?」

 

 サラの行為を見て、メルエを想う気持ちに変化はないのだと確信したリーシャは、思い切って今日の事を切り出した。

 メルエの行動に非がある事は明らかである。だが、それは今に始まった事ではない。故に、リーシャにはサラが激昂した理由が思いつかないのだ。

 

「それに、カミュは傷を負ったが命に別条はない。メルエが不憫でな……」

 

「……それでは駄目なのです」

 

 ようやく口を開いたサラは、上空に輝く星々を見上げる。その言葉にリーシャはサラを見つめた。カミュはまだ起きる様子はない。ここは、サラの考えを聞くべきだろうと、リーシャは先を促すように目で訴えた。

 

「メルエは『恐れ』を知りません。他者を傷つける可能性への『恐れ』も、他者から向けられる感情への『恐れ』も」

 

 皆から可愛がられ、甘えや我儘を知ったメルエにとって、この三人に対しては怖い物知らずと言っても過言ではないだろう。悪い事をすれば叱られる。それが子供の成長には不可欠であるのだ。そうでなければ、善悪の境界線も理解出来ず、他者の痛みも理解出来ない。

 だが、サラが言っている事はどこか違う物を意味しているようにもリーシャは感じていた。

 

「私がメルエであったのなら、私は自分自身の力を恐れます。自分の力によって生じる様々な事への『恐怖』……リーシャさんは、自分自身の力を正確に認識していますか? どれ程の力が自分に宿っているのかを把握できていますか?」

 

「ど、どういう事だ?」

 

 リーシャはサラの問いかけの真意が解らない。メルエの話であった筈が、矛先がいつの間にか自分へ向けられていたのだ。自分自身の能力はリーシャも把握しているつもりだ。だが、どれ程の潜在能力を有しているかとなれば、明確な返答は出来ない。

 

「私は、『賢者』となった自分の中にどれ程の力が宿っているのか解りません。その点に関しては、メルエと同じでしょう。私もメルエも未知の力を持っていると思います。それは、おそらくリーシャさんもカミュ様も同じではないかと思うのです」

 

 『賢者』となったサラの魔法力の質は変化している。そして、凡人である者が『賢者』になる事はあり得ない筈。それならば、サラの中に『賢者』となるだけの資質が眠っているという事にもなる筈だ。

 そのような未知の力は、サラだけでなくリーシャやカミュにも宿っているとサラは言う。だが、リーシャにはそれがメルエの話にどう繋がるのかという事が理解出来ない。

 

「サラ、すまない。もう少し解り易く話してくれないか?」

 

「自分の力が正確に分からない以上、私達は何処かでその力を恐れます。『恐れ』は周囲への配慮を生み、視野をも広げます。自分の力を制御する方法を模索し、その場所場所で的確な力を発揮するように動くでしょう。ですが、メルエは違います」

 

 確かに、リーシャは鍛錬の中で自身の力を把握して行った。故に、子供の頃に自分を馬鹿にした者と対峙した時、相手を殺してしまう程の力を持っていてもそれを行使する事はなかったのだ。

 

「だ、だが、この旅は力を抑制して進める程、簡単な旅ではないぞ」

 

 リーシャの言う事も尤もである。魔物は行く土地ごとに強くなっているようにすら感じる。その魔物達を倒す為には、持てる力の全てを出さなければならない。その上に立つ『魔王バラモス』と戦うのならば尚更である。

 

「だからこそ、私達は自身を鍛えているのではないのですか?」

 

「なに?」

 

 リーシャの顔が呆けたような表情を生み出す。サラの言葉の整合性が見えなかった。力を鍛えれば、その力は次第に強くなって行く。それではサラの言っている事が矛盾しているようにリーシャには感じたのだ。

 

「私がアリアハンにいた頃に今のメルエの力を見たとしたら、その魔法の威力に驚き、恐れたと思います。そんな私がする事は、おそらく教会への報告でしょう。報告を受けた教会は事実確認をし、その力が教会で守護出来る範囲ではない事が解れば、国家に報告されます。後は、リーシャさんの方が詳しいかと……」

 

 リーシャはそこまで聞いた後、思考の中へと入り込んだ。もし、メルエのように強大な力を有した『魔法使い』の少女が城下にいたらと。

 サラの言うとおり、教会では手に余る存在であろう。もし、国家にその事実が知れれば、国家への反逆を企てていると疑われても弁解は難しい。ならば、速やかに報告がなされる筈であり、その報告を聞いた国家の魔法省などは、国王に判断を仰ぎながら巡視を派遣する筈。

 そこで、いくら規格外とは言え、メルエの力が『人』の範疇であれば問題は小さい。メルエを国家に取り込み、国家の戦力とすれば良いのだ。しかし、もしそれが『人』という枠を大きくはみ出していた物であったら。

 それは、国家にとっても脅威となり、解剖も含めての研究対象となる可能性は大きい。幼い内にと薬や魔法で自我を奪い、命令を聞く人形として造り変えるかもしれない。

 どちらにしても幸福とは程遠い結末を迎えるだろう。

 

「その為の鍛錬だと思うのです。鍛錬や修練を行う事で、私達は自身の力の幅を知り、その力の使い所や制御を覚えます」

 

「……そうだな……」

 

 確かにサラの言う通りだ。修練とは、己の力を高める目的の他に、己の力を知るという目的もある。己の力を知り、相手の力を探れば、勝敗を決する程の結果を生み出す。己の力を知らず過信する者や、逆に自身の力を過小評価する者は、戦いの中で命を落とす確率は跳ね上がるのだ。

 

「自分の力を制御出来るようになれば、余計な場所で余計な力を使う事もなくなります。ですが……今のメルエにはそれが出来ません。メルエが新しい魔法を覚える度に褒め続けていた私達にも責任はあると思いますが……」

 

「……そうかもしれないな」

 

 続くサラの言葉にリーシャは言葉を詰まらせた。メルエは新しい魔法を覚え、それを唱えて皆を驚かせる事に喜びを感じている節がある。『メルエは凄い』と褒められ、頭を撫でられる事を目的としているように。

 それはカミュやリーシャにも責任があるのだろう。だが、その弊害として、メルエは魔法を行使する時の制御を余り考えている様子は見られないのだ。いつでも、自身の持っている強い魔法を行使する。<ヒャド>で倒す事の出来る相手に<ヒャダイン>を行使するような行為は、メルエの魔法力の無駄遣いであると共に、周囲にも要らぬ被害を与える可能性があるのだ。

 常にではないのが救いではあるが、その事をメルエが深く考えていない事は事実であろう。

 

「新たな力、強い力を手に入れる事だけが魔法の練習ではない事をメルエに教える事を失念していました。メルエの想いを理解しているからと、その力を甘く見ていたのかもしれません」

 

「サラ……」

 

 メルエの『想い』。

 それを、リーシャやサラは知っている。

 『自分を護ってくれる者達を護りたい』。

 メルエはその『想い』だけで動いていると言っても過言ではない。

 

 故に、その護りたい対象を自分の力で傷つける訳はないと考えていたのだ。だが、メルエの強大な力は、リーシャやサラの考えを大きく超える程の力だった。

 メルエが何も考えず、魔法を行使した場合、周辺への被害は無視できない物となって来る。勿論、サラは的確に指示を出す事を怠るつもりはない。だが、例えサラが指示したとしても、メルエが何の制御もせずに行使すれば、同じ事なのである。

 

「それに……」

 

「な、なんだ? まだあるのか?」

 

 眉間に皺を寄せながら表情を歪めているリーシャに、サラはまだ言葉を続けようとする。しかし、その言葉は途中で飲み込まれてしまう。言い難そうにリーシャを見つめるサラの瞳は、今までとは異なる物だった。

 自信の無い、以前のサラが常に浮かべていた瞳。

 怯えるように、そして悩むような瞳。

 それを見たリーシャは、問いかけても良いかどうかを悩んだが、意を決して言葉を紡いだ。

 

「……はい……もし……もしもの話ですが、メルエの力が漏洩し、その力が脅威に値する物として認識される事となれば、国家が動き出すでしょう。その時……その時、リーシャさんはどうしますか?……いえ、申し訳ありません。カミュ様がどうすると思いますか?」

 

「!!」

 

 そこまで聞いて、リーシャはようやくサラの懸念の元を理解した。リーシャは国家に属する『騎士』である。『魔王討伐』という使命を受けて祖国を離れているとはいえ、宮廷騎士という職を辞した訳ではない。

 故に、考えたくはないが、そのような事が起これば国家側に立たざるを得ないかもしれないのだ。

 しかし、カミュは違う。

 リーシャはカミュの心の変化をここまで見て来たと自負している。故に、その時のカミュの対応が容易に想像できるのだ。

 カミュは十中八九の確率で、メルエを護る為に『人』の敵となるだろう。元から『人』に対して、『憎しみ』とは言えずとも、良い感情を持ってはいないのだ。メルエに害を成す可能性があると判断すれば、カミュの持つ牙は、確実にその対象を変更するだろう。

 そして、そうなった時、カミュを止められる者は誰一人としていない。

 

「先に言っておきますが、私にはメルエに対抗出来る程の力はありません。メルエが相手となれば、私に勝てる要素は何一つありませんよ。リーシャさんには申し訳ありませんが、正直言えば、国家の騎士の方達が軍を率いても、メルエの魔法で簡単に飲まれてしまうと思います」

 

「……否定は出来ない……」

 

 メルエが人類の敵になってしまったとしたら、誰が相手を出来るというのだろうか。サラの言うとおり、国家が軍隊を率いて来たとしても、メルエ一人に勝てるかどうか解らない。

 勝てるとすれば、先程サラがメルエへ唱えた魔封じの呪文が効いた場合に限るだろう。だが、この世界でサラ以外の誰が、今のメルエの魔法を封じる事が出来るというのだろうか。

 もはや、世界最高の『魔法使い』という地位を確立したメルエの魔法を封じる力を有する『人』はいないと言っても過言ではないのだ。

 

「私は、最近になって、ようやくリーシャさんの話して下さった事が理解出来ました。カミュ様ならば、きっと『魔王バラモス』を倒す力を有する事になるでしょう。そんな人物が『人』の敵となってしまえば、人類は間違いなく滅びます」

 

「……」

 

 サラがカミュを信じ始めている事を喜ぶ余裕など、今のリーシャにはない。カミュが人類の敵となったとしても、彼ならば率先して人類を滅ぼそうとはしないだろう。だが、国家がそれを許さない。次々とカミュの許へと軍隊や暗殺部隊を派遣する可能性は高いのだ。

 行き着く先は、その国家の滅亡だろう。そうなれば、『人』の敵となったカミュに『魔王討伐』の義務はなくなる。

 それこそ、『魔王バラモス』の狙いがメルエでない限りは。

 

「カミュ様やメルエだけではなく、私やリーシャさんも、既にそれ程までの力を有している事を自覚すべきなのかもしれません」

 

 顔を伏せたサラの中にある想いがどんな物なのかは、リーシャには想像する事さえ出来ない。『人』の未来を護る為に旅立った者達は、この先の旅で護るべき対象である『人』を滅ぼす程の力を有するようになるというのだ。

 そして、それは絵空事ではなく、必然的な程に現実に近い物。生きとし生ける物の頂点に立つ『賢者』となったサラの苦悩は、深く哀しい物であろう。

 

「だからこそ、私はメルエに自分の力の恐ろしさを知って欲しい。メルエは聡い子です。己の力を知り、その力を制御する事など容易く出来る筈。それが、メルエ自身と、そして彼女が大切に想っている人達を護る事になる事を知って欲しいのです」

 

「サラ……」

 

 サラの顔を見つめたリーシャの瞳から、一筋の滴が流れ落ちた。

 メルエに対して激昂したサラを見た時、リーシャは『そこまでしなくとも』という想いを持ってしまっている。それは間違いであった。サラが考えていた事は、リーシャだけではなく、おそらくカミュが考えていた事よりもずっと先の事であったのだ。

 それをリーシャは大いに恥じる。自分の浅はかさと、サラの抱く大きな慈愛を感じ、無意識に視界が歪んで行くのを感じた。

 

「私達の目指す敵は『魔王バラモス』である事は変わりません。ですが、<ヤマタノオロチ>と対峙した時のメルエを見て、私はそう感じました。不用意に周囲に誇る力ではないと……」

 

「だが、今のままではメルエも気付きはしないぞ?」

 

 瞳から零れる涙を拭ったリーシャの問いかけに、サラは苦痛な表情を浮かべる。確かに、今のメルエは、その事に気付かない。サラの隣で眠るメルエは、サラに怒られた事を気にしているに過ぎないからだ。

 何故怒られたのかを正確に理解はせず、只々サラの機嫌を伺っているだけ。故に、サラはメルエの行動を無視していた。

 

「メルエには善悪を教えてくれる者はいなかった。いや、正確にいえば、メルエの行動全てが悪として教え込まれて来た節がある。サラ……メルエには、しっかりと言葉で伝えなければ伝わらないぞ?」

 

「……わかっています……ランシールに着いたら、私にメルエと話し合う時間を下さい」

 

 サラの苦痛な表情が、メルエに伝える事の困難さを明確に示していた。メルエには常識という物が足りないのだ。基礎となる物がない故に、その上に乗せる事が出来ない。何かを伝えようとしても、根底にある善悪が曖昧なため、伝えようとしている物への理解が薄いのだ。

 サラはここまでの旅でメルエに自分の考えを押し付けるような教え方はしなかった。それこそ、挨拶のような些細な物は世界の常識を教えていたのだが、教会の『教え』自体に疑問を持ち始めていたサラにとって、自身が信じ切れていない物を他者に押し付ける事が出来なくなっていたからだ。

 

「カミュが起きたら、私から話しておこう」

 

「えっ!? い、いえ、私が話しておきます」

 

 サラの答えに満足そうに頷いたリーシャの提案は、サラにとって歓迎出来ない物だった。リーシャの事を疑っている訳ではない。ただ、リーシャでは、サラの伝えたい事の半分もカミュに伝わらないのではないかという懸念が湧き上がったからだ。

 

「ん、そうか? ならば、サラの方からカミュへ話しておいてくれ」

 

「はい」

 

 安堵したように息を吐き出すサラを不思議そうに見つめていたリーシャであったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、サラの隣で眠るメルエの髪を優しく梳き始めた。

 その顔はサラにも負けない慈愛に満ちている。これ程皆に愛されているメルエを若干羨ましく思いながらも、サラは優しく微笑んでいた。

 

「……サラ……一つだけ聞いて良いか?」

 

「え?……は、はい」

 

 メルエへ視線を向けたまま呟かれたリーシャの言葉を聞いたサラは、その後に続く問いかけが何かを予想していた。故に、一度俯きかけた顔を上げたサラの表情は真剣そのもの。リーシャの問いかけを真っ向から受け止め、真剣に答える準備を整えた事を意味していたのだ。それを見たリーシャも何かを決めたように口を開く。

 

「もし……もしもの話だが、サラの考えが現実となり、メルエが『人』の敵と看做されたとしたら、サラはどうするんだ?」

 

「わかりません」

 

 決意を決めた表情をしていた筈のサラの答えを聞いたリーシャは呆けた顔を浮かべる。まさか、そのような答えが返って来るとは思わなかったのだ。

 間髪入れずに返って来た言葉は、リーシャの希望とは異なり、とても曖昧な言葉だった。

 

「わかりません……メルエは大事な大事な人です。ですが、私は『賢者』となりました。カミュ様の言うとおり、私は己の感情だけで動いて良い者ではありません……」

 

 何かを諦めてしまったような答えを吐くサラを見て、リーシャの表情は徐々に変化を見える。それが『怒り』であるのか『失望』であるのかは解らない。ただ、先程までのサラとは違う何かを見たリーシャは、その言葉を飲み込む事は出来なかった。

 

「私は、メルエと共に行く。例え……それが国家に刃向う事になってもだ」

 

 サラの顔が上がる。サラは、リーシャも自分と同じように悩むだろうと考えていた。

 しかし、リーシャは即答したのだ。『メルエと共に行く』と。それは、『人』に仇する者となるという事と同意。

 

「まぁ、そのような可能性はないと思うがな。ただ、これだけは覚えておいてくれ」

 

「リーシャさん?」

 

 一度伏せた顔を上げたリーシャの顔は笑顔だった。そのとても優しい笑みにサラは問いかける。この後に続く言葉はサラも予想が出来ない。リーシャの笑みが優しければ優しい程、サラの身体は凍る程に固くなって行く。

 

「サラがメルエを大事に想っているように、私もサラとメルエを大事に想っている。そして、私は誰よりもサラを信じている」

 

「……うっ……」

 

 サラの双眸から滴が零れ落ちる。実は、サラはかなり前からメルエの事で悩んではいたのだ。それこそ、メルエが初めて魔法を使ったあの日から。

 サラもメルエの歳と同じ頃に<ホイミ>の契約を済ませてはいた。いや、正確には契約だけは済ませていたと言った方が良いだろう。孤児として教会に入ったその時から、サラは『僧侶』としての道を歩み始めていたのだ。

 そして、サラの養父である神父は、『僧侶』となる為の儀式に近い<ホイミ>の契約を半ば強制的にサラに行わせた。

 しかし、サラは契約をしても行使は出来ない。その事を神父は責める事はなかった。何故なら、それが至極当然の事であったからだ。

 基本的に、幼い頃に魔法の契約を済ませ、その子供の体内にある魔法力の色を確定する。『魔法使い』を望むのならば<メラ>を、『僧侶』を目指すのならば<ホイミ>を。

 魔法力の有無は、契約が出来るかどうかで判別が出来る。<メラ>や<ホイミ>の初期魔法の二つに限り、魔法力の才があれば契約だけは可能であるのだ。そして、魔法力の色が確定した者は、その色に身体が馴染むまではその魔法を行使する事は出来ない。故に、サラが契約だけで行使が出来ない事は当然であったのだ。

 ならば、メルエはどうか。メルエはカミュの契約の場に立ち会い、カミュの軽率な行動によって魔法の契約を済ませてしまった。そして、その場でその魔法を行使したのだ。故に、あの時カミュは表情を崩す程に驚いた。つまり、メルエの身体の中にある魔法力は既に確定し、出来上がっていた事になる。

 サラは初めてメルエの魔法を見た時に、『メルエは魔法が使えたのですね?』と問いかけた。それは、以前から既に魔法を行使して来たのならば、魔法の才能が飛び抜けた存在として理解する事も可能であるからだ。

 だが、実際はそれとは異なっていた。メルエは魔法という存在も知らず、魔法力の放出の仕方も知らない。何も理解せずに、才能だけで魔法を行使するメルエを、サラは畏怖の念すらも持って見ていた。

 次々と新たな魔法との契約を済ませて行くメルエ。その速度は、尋常ではなかった。宮廷等で国家専属の『魔法使い』であっても、十数年かけて済ませる魔法の契約を、メルエは僅か一年やそこらで終え、今や世界中の『魔法使い』でも行使する事の出来ない魔法の契約までも済ませてしまっている。 

 そして、その魔法の威力は、『賢者』と呼ばれる人類の頂点に立ったサラでも足下に及ばない。魔物が唱える魔法と拮抗する程の力を持ち、仲間すらも飲み込む程の範囲を誇った。

 『メルエを護る』とアッサラームの町でサラは月夜に誓っている。しかし、それは何からの守護なのか。その問いかけが最近のサラの胸の中で渦巻き始めていた。

 その答えは未だに出ては来ない。メルエがサラにとって大事な妹のような存在である事に変わりはない。それが変化する事など、生涯あり得ないだろう。

 だが、サラは『賢者』。

 『精霊ルビス』と『人』を結びつける掛け橋のような存在。

 この世の生きとし生ける物全ての幸福を願い、その為に考え、悩み、進む道を示す者。

 故に、苦しんでいたのだ。

 

「船員達がメルエを恐れる事はなさそうだが、やはりこの先の旅では色々と考えて行かねばな」

 

「はい」

 

 サラの悩みは未だ解決はされていない。もしサラの考え通り、最悪な事態がカミュ達を襲ったとすれば、サラがどのように行動するか、サラ自身にも答えは出ていなかった。

 だが、悩み、苦しみ、涙しながらも前へ進もうとするサラの答えをリーシャは信じている。それは必ずしもメルエと共に行く答えとは限らない。それでも、サラの導き出す答えが、必ずメルエを含め、皆が幸せになる答えだと信じていた。

 

「明日はランシールの村だな。明日の夜はメルエと話すのだろう? 今の内にゆっくりと休んで置け」

 

「……頑張ります……」

 

 緊張した面持ちで神妙に頷くサラを見て、リーシャは軽く微笑んだ。メルエの事に関しては、何もかもをサラに任せてしまっている事をリーシャは心苦しく感じてしまっていたが、現実的に考えても、カミュやリーシャではメルエに対してどうしても甘さが残ってしまう事も事実。

 リーシャは何度かメルエを叱った事もある。ピラミッドの中やムオルの村では、メルエの考えを改める為に怒鳴りもした。だが、今回に限ってはメルエの内に宿る魔法力とその力の使い方についてである事がリーシャに二の足を踏ませていたのだ。

 リーシャに魔法力は無い。いや、無いのではなく、その微かな魔法力を表に出す才能が皆無に近いのだ。故に、魔法に関しては何も知らない事となる。

 メルエの宿す力が強大であり、その力があらゆる意味で危険である事は理解してはいるが、それをどのように伝えれば良いのか、そしてそれをどのように変えさせなければならないのかが全く解らない。それは、ある意味でメルエと同じように、己の才能だけで魔法を行使している節があるカミュも同様であろう。

 以前、メルエが媒体を通して魔法を使用する練習をしていた時は、サラも教える事は出来なかったが、今はあの時のサラとは違う。己の魔法力の変化を通じて、様々な事を考えて来ているのだ。

 おそらく、今のメルエに己の能力への『恐れ』を教える事が出来るは、このパーティーの中でサラだけであろう。

 

「……サラ……メルエを頼むぞ……」

 

 既にメルエを包み込むように眠りに付いたサラの寝顔を見つめながらリーシャは小さな呟きを洩らした。カミュはこの後も起きる様子はない。それが自分達への信頼による物であると感じているリーシャは、もう一度小さな笑みを浮かべて、夜空に浮かぶ月を見上げた。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

まさか、三話経過してもランシールに到着できないとは思いませんでした。
今回は、リーシャ&サラのツーショットのみとなってしまいました。
旅の中には色々な事があるとご理解頂けると嬉しいです。
次話は間違いなく、ランシールです。

ご意見ご感想をお待ちしています。

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