新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ランシールの村①

 

 

 

 夜が明けると、メルエの起床を待って一行は再び西へ向かって歩き出す。

 

 昨夜、夜中に目を覚ましたカミュへリーシャが軽く出来事を説明していた。詳しい事はサラが話すと言っていたので、本当に軽い説明に過ぎなかったが、カミュは『そうか』と一つ頷いただけ。また、サラの起床後、詳しく内容を聞いても、カミュは『わかった』と一言呟いただけであった。カミュにも何か考えがあるのだろうとリーシャは強引に納得する事にする。

 起床した後も、何かにつけてサラの傍へ寄って来るメルエを無視するように物事を行うサラは、カミュのように表情に乏しく、そのサラを見て肩を落とすメルエの姿は、一行の空気を重くして行った。

 

 太陽が東の空から顔を出し、辺りを暖かな光で覆った頃には、森を出てから二度目の戦闘を一行は行う事となる。その間も、カミュやリーシャを前線に向け、後方から魔法での支援を行うサラの隣で、メルエは<魔道士の杖>を握りしめながら眉を下げていた。

 サラの隣に出ては俯きながら後ろへと戻るという行為を繰り返すメルエに、遂にリーシャはサラの耳元で囁くように言葉を紡いだ。

 

「サラ、メルエに罹けた<マホトーン>の効力を消す事は出来ないのか?」

 

 戦闘を終えた後、メルエはカミュのマントを握りながら、『とぼとぼ』と前を歩いている。リーシャとサラの会話はおそらく聞こえない。眉を下げて問いかけるリーシャの言葉に、サラは一つ溜息を吐き出した。

 

「<マホトーン>の効力はそれ程長くは続きません。夜明け頃には切れている筈です。それは、メルエも自分の魔法力の流れで理解しているでしょう」

 

「そ、そうなのか?」

 

 予想外の言葉に、リーシャは驚きを表した。魔法の効力云々の話であれば、リーシャはこれ程の驚きを見せたりはしない。しかし、サラは<マホトーン>の効力は既に切れており、その事をメルエも知っていると答えた。それはつまり、メルエは魔法の行使が出来るにも拘わらず、行っていないという事である。

 昨日、『サラには関係ない』とばかりに顔を背けたメルエであったが、サラの怒りが本物である事を悟り、その許しがなければ魔法を行使してはいけない事を理解しているのだろう。

 短いやり取りを終え、サラはそのまま歩き出した。いつまでも呆然としている訳にはいかないリーシャもその後ろに続いて歩き出す。カミュのマントの裾を握りながら前を歩いているメルエは度々サラの方へと視線を向けて来ていた。何かを期待するように振り向いては、落胆したように肩を落とす。今までにない何とも言えない空気を纏いながら、一行はランシールに向かって歩いて行った。

 

 太陽が西に傾き、周囲を赤く染め上げ始めた頃、カミュ達の前に小さな集落が見えてきた。周辺を高い山脈に囲まれた集落が<ランシールの村>なのだろう。高い山々の隙間から大きな建物が垣間見えるが、それが何なのかは解らない。

 ようやく辿り着いた集落を視界に入れた船員達は、安堵の息を吐き出し、身体の力を抜いて行った。

 

「陽も暮れたな……カミュ、今日は宿で一泊するのだろう?」

 

「……ああ……」

 

 集落の門に差し掛かった辺りでリーシャが口を開く。陽が暮れて来たとはいえ、夕暮れ時。買い物や情報収集であれば十分に行う事が出来る筈。だが、疲れ切った表情を見せる船員達を一瞥したカミュは、リーシャの提案に一つ頷いた。

 門番のような男に身分を話し、村の中へと入った一行は、早々に宿屋を探して歩き出す。先程まで疲れを表情に出していた船員達も、初めて見る村の内部に目を輝かせていた。もしかすると、自分が担いでいる物品を何処で売却し、代わりの特産を何処で仕入れるかを考えているのかもしれない。

 

「いらっしゃいませ。旅の宿屋へようこそ」

 

 宿屋は村から入って中央の広場の傍に佇んでいた。それ程大きな宿屋ではないが、店主がしっかりしているのか、綺麗に整頓され、心地良い雰囲気を醸し出している。小さく息を吐いた船員達は、その場で軽く腰を落としていた。

 船員の一人がカミュの傍まで歩み出て、財布のような革袋を取り出す。自分達の宿代ぐらいは出そうと考えているのだろう。

 

「四部屋頼みたい。一部屋は大部屋で。他は、一人部屋が二つと、二人部屋が一つ」

 

「はいはい。今時、お客さんなど珍しいですから、充分部屋は空いております。全部で120ゴールドになりますが、宜しいですか?」

 

「!!」

 

 カミュの依頼に、にこやかな笑みを浮かべて返答する店主の言葉は、船員達を驚かせる物だった。一晩の宿が120ゴールドとは結構な額なのだ。単純に一人頭で割ったとしても、一人一晩15ゴールドの計算となる。

 だが、驚く船員達とは異なり、カミュ達四人は平然としていた。旅を続けて来た彼等にしてみれば、その地域によって物価も異なり、宿代も異なる事は当然の事。時代が時代なだけに、武器や防具の相場は比較的守られているだけでも御の字であろう。

 腰に付けた革袋からゴールドを取り出したカミュは、鍵を受け取り各人へと渡して行く。大部屋の鍵を受け取った船員は、慌ててカミュへゴールドを支払おうとするが、『後で良い』というカミュの言葉に、軽く頭を下げ、部屋へと上がって行った。

 

「くそ! 神殿など、何処にもないではないか!」

 

 その時、宿屋の入り口から入って来た男の怒声が宿屋内に響き渡った。突然の大声にメルエは驚き、サラの手を握ってしまう。自分が握った手がサラの手であると気付いたメルエが、恐る恐る見上げると、サラは男へ視線を向けたまま、メルエを庇うように立っていた。

 しっかりと握られた手に、メルエの表情はようやく緩み、その後ろに隠れるように移動して男を窺う。だが、男はカミュ達を一瞥もせず、そのまま自分の借りている部屋へと入って行った。

 

「申し訳ございませんね。この村には神殿があり、昔はかなりの方が巡礼などにいらっしゃったのですが……」

 

「神殿ですか?」

 

 暫し固まっていた一行を見て、溜息を吐き出したのは宿屋の店主。その話の内容に興味を持ったサラが、思わず問いかけてしまう。

 『神殿』と呼ばれる物を、サラは<ダーマ神殿>しか知らない。それも、半ば伝説化していた物である。元『僧侶』であるサラが知りえない神殿となれば、それはサラが生まれる前に滅んだ神殿である可能性が高いのだ。

 

「ええ。私も行った事はないのですが、何でも『地球のへそ』と呼ばれる場所へ行く事が出来るそうです。それが修行の一つとして伝わっていたのですが……」

 

「何かあったのか?」

 

 言い難そうに話す店主の言葉を訝しげに聞いていたリーシャが問いかける。サラも興味深そうに店主を見つめ、何も理解出来ないメルエだけは、何か嬉しそうにサラの手を握っていた。サラの手を握っていた手を離し、今度はサラの腰にしがみ付く。メルエにとって、店主の話などよりも、サラが自分を受け入れてくれた事の方が、何倍も嬉しい出来事だったのだろう。

 

「まぁ……いつの間にか『地球のへそ』と呼ばれる洞窟には、何か秘宝があるという噂が流れましてね。この宿も随分潤ったのだが、その内、訪れる人間の数も多くなり過ぎて、神殿はその門を閉ざしてしまったという訳です」

 

「……門を閉ざす……」

 

 神殿と呼ばれるのならば、それは『精霊ルビス』に何らかの関連を持つ物なのだろう。それが門を閉ざすという行為をするというのは、相当な物なのであった。教会は、何時如何なる時にでも、その門は誰にでも開かれる。例え罪人にであろうと、奴隷であろうと、建前上は拒む事はない。あくまでも建前上ではあるが。

 

「もう、三十年近くになるでしょうか。それ以来、人の往来も疎らになってしまいましてね。ただ、時々いるのです。ああいう人間が……」

 

「……そうですか……」

 

 門を閉ざした神殿に押し入る事の出来る人間はいないのだろう。門を閉ざしたとしても、そこは神殿。どんな無法者でも、『精霊ルビス』という存在を否定する事は出来ない。盲信的に信じている訳ではないが、『エルフ』や『魔物』が存在する世界にいる以上、『精霊』という存在を否定する事は出来ず、その力に恐れを抱くのだ。だが、それでも神殿を目指す人間もいる。いや正確には神殿への巡礼ではなく、秘宝の噂のある洞窟へ行く事が目的なのかもしれない。

 

「お客様方は、そうではないのですね。神殿が目的でないとすれば、このような辺鄙な村にどのような目的が……あっ、申し訳ございません」

 

この宿屋の店主は、昔ながらの商人なのであろう。客の素姓や事情を詮索する事を恥じ、顔を赤らめながら深々と頭を下げた。その行為に他意はなく、心からの謝罪として受け取ったカミュは、店主を糾弾する事なく口を開く。

 

「いえ。我々は、船で商品を貿易している。先日、<ジパング>という国に立ち寄った際に色々と物品を仕入れたので、何処かで売却が出来ればと思い、立ち寄っただけ」

 

「なんと!この時代に船で旅するなど……この村には特産と呼べる物は少ないですが、昔から道具屋を営んでいる者がおります。そこにはこの土地でなければ手に入らない食物もありますので、立ち寄られてみるのも如何でしょう?」

 

神殿への巡礼が滞った理由はもう一つある。それは、船旅の危険性が増した事による、巡回船の廃止。貿易船や遊覧船などもない今、海を超えて他国に入る事が不可能に近いのだ。ましてや、このランシール大陸は、どこの国にも属さない土地。強いて言えば、その神殿がこの土地の管理者であるのだ。故に他国との交流も少なく、ごく稀に訪れる者は、<ルーラ>を行使出来る者と共に訪れた者が多いのだ。

 

<ルーラ>を行使出来る『魔法使い』には、宮廷に入る以外にも、このような移動に伴う仕事もある。自身が訪れた場所であれば、数人の人間を運ぶ事は出来る。その相場は、一定ではなく、行使する者次第で変わって行く。『魔王バラモス』の登場後、世界を移動する手段は限られ、<ルーラ>を行使出来る人間は重宝されるようになった。ただ、<ルーラ>では、余程の使い手でない限り、馬車や荷台などを共に運ぶ事は出来ない。それこそ、メルエのような才能の塊と呼べる程の魔法力を有しているならば別ではあるが、それ程の魔法力を有している『魔法使い』が移動屋のような下賤な仕事をしている筈がない。故に、商人が商品を持って移動する手段は、今の時代には皆無に等しいのだ。

 

「湯の用意などもさせて頂きます。食事は食堂でお願い致します」

 

店主の言葉に頷いたカミュは、傍にある階段を上り、部屋へと向かう。残されるのは、リーシャとサラ。そして、未だにサラの腰に纏わり付くメルエであった。サラは柔らかくメルエを引き剝がすが、引き剝されたメルエは哀しそうに眉を落とす。そして、リーシャの手を取って俯きながら歩き出そうとしていた。

 

「メルエ、今日は私とではなく、サラと二人部屋だぞ?」

 

「…………!!…………」

 

しかし、不意に告げられたリーシャの言葉は、メルエにとって最後通告のように残酷な物だった。瞬時に強張りを見せるメルエの表情。そして、眉を下げて、懇願するような瞳をリーシャへと向ける。それでもリーシャは静かに首を横に振った。今夜はサラとメルエで話さなければならない事があるのだ。それは、リーシャに入る事が出来ない話。理解出来る出来ないの話ではなく、サラがメルエに教えてあげなければならない事なのだ。

 

「メルエ、行きましょう。まずは湯浴みを済ませ、食事をとりましょう」

 

「…………ん…………」

 

俯いていたメルエの顔が跳ね上がる。先程まで涙で潤んでいた瞳は、驚きと喜びに満ちていた。昨日からここまでの間で、初めて自分に向けられたサラの声。それは怒りや呆れを含まないサラの言葉。メルエはそれが嬉しかった。カミュやリーシャがメルエという存在なくしては冷静でいられないのと同様に、メルエもまた、彼等三人がいなければ笑う事は出来ない。我儘で困らせる相手は、大抵の場合はサラが相手だ。それは、メルエにとってサラという存在が一番自分に近しい者である事の証明。故に、メルエはサラの顔色を窺う。いつも共にいる姉を気遣うように。また、いつもと同じような関係に戻れれば、我儘も言い、不貞腐れもするだろう。それでもメルエはサラと共にいるのだ。

 

 

 

湯浴みも食事も終えた一行は、それぞれの部屋へと戻って行く。村に辿り着いた頃よりも若干明るさの戻ったメルエは、サラの後ろに付いて部屋へと入って行った。食堂に残ったのはカミュとリーシャ。

 

部屋へと入ったサラは、メルエをベッドの上に座らせ、その隣に自分も腰掛ける。『また叱られるかもしれない』という恐怖と、『また手を握ってくれるかもしれない』という期待が混ざり、メルエは微妙な瞳をサラへと向けていた。そんなメルエに向けられたサラの瞳は、メルエの期待を裏切るように厳しい瞳をしていた。それは昨日メルエへと向けられていた瞳と同じ物であると共に、昨晩リーシャと話をしていた時と同じ物。故に、メルエは怯え、顔を俯かせてしまう。それでもメルエは震える声で大好きな姉へと問いかける。

 

「…………サラ………メルエ………きらい…………?」

 

その言葉をサラは以前に聞いた事がある。それはもう一年近く前の話。<シャンパーニの塔>へと向かう途中でカミュと対立したサラが、メルエに向けて八つ当たりをぶつけてしまった時。あの時も、メルエは自身がサラに嫌われたのではないのかと心を痛め、怯えていた。今のメルエはあの時とは違うだろう。いや、正確にいえば、あの時よりも怯えが強いようにも見える。それ程に、メルエの中でのサラの存在が大きくなっている証拠でもあった。ならば、サラが最初に伝えなければならない事は唯一つ。あの時メルエに伝えた言葉をサラは再び口にした。

 

「私がメルエを嫌いになる事はありません。例えメルエが私を嫌ったとしても、私がメルエを嫌う事は絶対にあり得ません。私はメルエが大好きです」

 

サラの言葉には強い力が宿っていた。それは、人の心を動かす程の力。心を包み込み、暖め、そして勇気を与える力。奇しくも先日出立した<ジパング>で『言霊』とも呼ばれるその力が、今のサラの言葉には宿っていたのだ。故に、メルエの瞳は輝きを取り戻す。『好き』と『嫌い』しか知らないメルエにとって、サラの言葉は何物にも代え難い程の魅力を誇る物だった。

 

「だからこそ……メルエが大好きだからこそ……これから私が話す話を、メルエも真剣に聞いて下さい」

 

「…………ん…………」

 

嬉しそうに微笑んでいたメルエの顔が引き締まる。『これからサラの話す事は、自分を大事に想っているが故の物』という事を感じ取ったメルエがサラの瞳を真っ直ぐ見つめ、静かに首を縦に振った。それが二人の長い夜の始まりを告げる合図となる。まだ、陽が落ち切って間もない。二人の話は、メルエが眠気に耐え切れず、ベッドに倒れてしまうまで続くのだった。

 

 

 

サラとメルエが部屋に入って行った頃、残されたカミュとリーシャは、食後の茶を飲みながら話を始めていた。サラがメルエに伝える事がある以上、明日の行動を考えるのは、自然とこの二人となる。<最後のカギ>というどんな扉も開けてしまう道具を求めて、彼等はこの村へと辿り着いた。しかし、本日得た情報は、『神殿』という単語だけ。『神殿』がその門を閉じ、訪問者を拒んでいるという事実だけ。それは、<最後のカギ>という神秘の道具に結びつく情報ではない。故に、リーシャはカミュへ明日の指針を尋ねる為にここに残っていた。

 

「明日はどうする?」

 

「まずは船員達の持ってきた物を売る為に、宿屋の主人が言っていた道具屋に向かう。その後は、情報収集と共に武器屋にでも寄ろうと考えている」

 

単刀直入に聞いたリーシャの問いかけに、カミュは間髪入れず答えを返す。リーシャは何度か頷いた後、以前から疑問に思っていた事をカミュに向けて発した。それはカミュでも予想出来ない問いかけであり、おそらくサラが聞いていたとしても疑問に思った事であろう。

 

「カミュ……あの<テドン>に於いて、<最後のカギ>についての情報を口にした老人は本当に人間だったのだろうか?」

 

予想外の問いかけに、カミュは暫し呆然とリーシャを見つめてしまった。あの<テドン>という村が滅びし村である事は、リーシャも理解している筈。故に、カミュはリーシャの問いかけに驚いたのだ。『人間だったのか?』と問われれば、答えは否である事は決まっている。『何を言っているのだ?』とでも言うような表情を見せるカミュに、リーシャは弁解を始めた。

 

「い、いや……そういう意味で言っている訳ではない。あの老人が生者でない事ぐらいは私も理解している。ただ、あの者が生前に人間であるとは思えないのだ」

 

「……どういう事だ……?」

 

リーシャの言葉は、カミュには理解が出来ない。逆の立場であれば、この旅の中で何度もあった。だが、カミュがリーシャに問いかける事など、真剣な話であればある程、皆無に等しい。それが理解出来るからこそ、リーシャは少し戸惑い、どう伝えて良いのか解らないかのように口籠っていた。

 

「あの老人の登場の仕方も謎であったが、あの話はまるでカミュが何者であるかを知っているような口ぶりだった。その前に村の人間に『魔王討伐』に関して話してはいたが、どうにも不自然でな……」

 

「であれば、あれは何だというつもりだ?」

 

確かにリーシャの言うとおり、あの老人の登場は極めて不自然であった。カミュ達が辿り着いた日には老人は出て来ていない。一晩を明かし、<闇のランプ>という不可思議な道具によって再び闇に包まれた村で遭遇したのだ。『何故、最初の夜には出て来なかったのか』という疑問が湧いて来ても不思議ではない。カミュ達はあの村を隈なく歩いた。しかし、あの老人を見かけはしなかったのだ。

 

「もしかするとだが、あの老人は<闇のランプ>の精霊なのではないか?」

 

「はあ?……アンタは本物の馬鹿なのか?」

 

突拍子もない事を言い出したリーシャに、カミュの表情は困惑を極めた。『精霊』という言葉は、この世界で神の次に位置する者への敬称。『精霊ルビス』は創造の神より世界を託された者として言い伝えられており、基本的にそれ以外の『精霊』は存在しない。ただ、不思議な存在に対し、畏怖の念を込めて『精霊』と呼ぶ事は稀にあった。しかし、『精霊』や『神』の存在を信じてはいないカミュにとっては、リーシャの口にした事は只の馬鹿げた話にしか聞こえなかったのだ。

 

「うるさい!……自分でもどうかと思うが、そのように考えるしかないだろう?……何故、あの老人が<ランシール>という名前を出したのか。何故、<最後のカギ>という道具についての知識を有していたのか。あの老人以外に<最後のカギ>という道具の有無を知っている者がこの世界に存在するのだろうか?」

 

「……いや……」

 

流石のカミュも言葉が出て来なかった。リーシャの言うとおり、あの老人の言葉に従って<ランシール>に来ては見たが、<最後のカギ>に纏わる言い伝えなど村人が知っているようには見えない。もしかすると、噂の『神殿』にいる人間が伝承を受け継いでいるのかもしれないが、門を閉ざしている以上、その者も既にこの土地にいるという確証はない。そして、そのような伝承を、何故あの滅びし村で暮らしていた一老人が知り得たのかが最も大きな謎であった。

 

「アンタの疑念は理解出来る。だが、俺達に選択肢がない事も事実だ。<最後のカギ>という物がない限り、この先に進めないのだとすれば、僅かな情報にでも縋るしかない」

 

「……そうだな……すまなかった」

 

軽く頭を下げるリーシャに、カミュは静かに首を横に振った。リーシャの疑念は不安に基いている。得体も知れない者の告げた言葉を信じて辿り着いた村に、その情報が何もなければ、彼等の旅は手詰まりとなるのだ。『魔王討伐』という大望を抱いて歩み続けている旅ではあるが、一向に『魔王バラモス』に近づいている実感はない。その想いが、リーシを焦らせ、疑念を抱かせていた。

 

「アンタも夜通し見張りをしていた筈。もう休め」

 

それでも、このパーティーの歩む道を最終的に決定するのは、目の前にいる年若い青年である。そして、その決断が出来るだけの頭脳をこの青年が持っている事も事実。リーシャは疑念に想った事を口にするが、それについて考えるのはこの青年であり、現在幼い『魔法使い』に何かを教えている女性の役目である。カミュの答えを聞いて、一度下げた頭を持ち上げたリーシャの顔は、先程のような不安に彩られた物ではなかった。『彼等と共に歩むだけ』。その想いは今も変わらない。

 

「わかった。ゆっくり休ませてもらう」

 

先に席を立ったリーシャの後姿を見送ったカミュは、一つ大きな溜息を吐き出した。リーシャの不安は理解出来る。だが、彼にはそれを明確に沈める方法がない。『魔王討伐』という命を厳守つもりは、アリアハンを出た頃のカミュには微塵もなかった。勝手について来たリーシャやサラと<レーベの村>辺りで別れた後、旅を続ける中で魔物に襲われ死ぬ事しか考えてはいなかったのだ。

 

それが、いつの間にか船までもを手に入れ、未だに『魔王討伐』の旅をしている。もし、カミュ一人で旅をしていたのであれば、<シャンパーニの塔>でカンダタに殺されていただろう。カミュが未だに生きている理由。それは、リーシャでありサラであり、そしてメルエの存在であるのだ。リーシャの感じている焦りや不安を理解する事は出来る。だが、カミュは別の感想を持ち合わせてもいた。カミュの中では、着実に『魔王討伐』の目的に近づいてはいるという実感がある。

 

リーシャやサラの中では、暗中模索の状態が続いているのかもしれない。細く頼りない糸を手繰るような旅は、目に見えない疲労を蓄積させているのだろう。カミュとは違い、明確に『魔王討伐』という目標を掲げて旅立った彼女達は、その目標が霧に包まれたように見え辛くなった状態では不安にもなるだろう。実際、メルエの能力に対する『恐れ』を感じたサラの感情の中にも『焦り』や『不安』が隠されていた事も事実である。それにサラ自身は気付いていないだろうが。

 

カミュも今の自分の心に巣食う物が何なのかを理解できてはいない。正直に言えば、未だに『魔王討伐』という命に重きを置く気持ちは微塵もなく、その為の旅だと意気込む気持もなかった。流されるようにここまで旅をしてしまっている事を、自分でも不思議に思い始めている。何度も何度もリーシャやサラと対立し、不快な想いも抱いた。それでもカミュは歩んで来たのだ。メルエという存在が大きい事は確かであろう。だが、それだけでない事もまた事実。

 

先程よりも大きな溜息を吐き出した後、カミュは席を立った。

 

 

 

翌朝、カミュ一行は宿屋を出て、村の中央広場に向かう。宿屋で聞いた道具屋を探して周囲を見渡していたカミュの視界に、一人の年若い女性が入って来た。その女性もカミュ達に気が付いたのか、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来る。突如として駆け寄って来る女性に、少し警戒感を持ったリーシャとサラであったが、カミュに近寄って来た女性の言葉にその警戒感を解く事となった。

 

「旅の方ですか?私は、この村の道具屋の娘です。この村の特産である<消え去り草>はもうお買いになられましたか?」

 

「……消え去り草……」

 

近寄って来た女性は、満面の笑みを浮かべてカミュへ言葉を繋ぐ。完璧な程の営業的な笑顔と言葉に、リーシャは呆然と女性が口にした名前を反芻した。それは、アリアハンという片田舎で生活していたカミュ達には初めての単語であり、それが何を指す物なのかも理解出来ない。故に、リーシャだけではなく、カミュやサラも呆然と女性を見つめ、そんなサラの手を握っているメルエは、小首を傾げながら一行を見上げていた。

 

「はい!<消え去り草>はこの村の特産で、とても美味なんですよ。火を通しても、茹でてもとても美味しく食べる事が出来ます。口の中でとろけるように消えて行く事から、<消え去り草>と呼ばれています」

 

「食べ物なのか?」

 

名前を聞く限り、草なのであろうが、それが口に入れるととろけるように消えて行くという感覚がカミュ達には理解出来ない。柔らかな肉を食した時に、そのような表現を用いる事はあっても、野菜などの草類にその表現を使う事はないのだ。故に、カミュは思わず問いかけてしまった。食物である事を聞いたリーシャは目を輝かせ、そんなリーシャを見てメルエが微笑む。

 

「そうですよ。希少価値のある物なのでお値段はしますが、一度道具屋を覗いてみてください」

 

最後まで可愛らしい笑顔を見せる女性にカミュは一つ頷くが、後ろで見ていた船員達は頬を赤く染めていた。元々、船員達の持っている物を売却する為に道具屋へ寄るつもりだったのだ。渡りに船ではないが、カミュが女性に案内を頼むと、女性は快諾し、先頭に立ってカミュ達を導き歩き出す。

 

「こちらが、私の父が経営する道具屋です。ゆっくり見て行って下さい」

 

「ありがとう」

 

営業的な笑顔を浮かべながら手を広げる女性にリーシャが頭を下げる。一度カミュ達全員に向けて頭を下げた女性は、そのまま再び広場へと戻って行った。女性に見とれるように背中を目で追う船員達にサラは苦笑し、店へと入って行ったカミュを追う。

 

「いらっしゃい」

 

カウンターには、先程の女性と似ても似つかない小太りの男性が、これまた営業的な笑顔を顔一杯に作ってカミュ達を迎えた。いつまでも先程の女性の後姿を追っている船員達に向かって咳払いをしたリーシャは、船員達から物品の入った袋を受け取り、カウンターの上に置く。

 

「……これらの内で、買い取れる物があったら買い取って貰いたい……それと、<消え去り草>という物を見せてくれるか?」

 

「はいはい……こりゃ珍しい!……これは、ジパング辺りの物ですかね……」

 

『なんだ、買取か』という感情を示しそうになった店主であったが、袋の中から取り出した反物や工芸品を見て、驚きの声を上げた。おそらく、ここは『魔王バラモス』の台頭以前から道具屋を営んでいるのだろう。以前に運ばれた事のあるジパングの特産を見た事があるような口ぶりだった。

 

「ふむふむ。状態も良さそうだね……ある程度の量もある……これぐらいでどうかね?」

 

商品を見るように鑑定を行っていた店主が指で金額を示すようにカミュへと向ける。だが、カミュにはそれが高いのか安いのかが解らない。それはリーシャやサラも同様で、カミュの反応を見るように後ろに控えていた。解らない以上、そのままの値段で頷くしかないカミュが、了承を伝えようと口を開きかけた時、後方から声が届いた。

 

「それは余りにも安いな。今の時代、ジパングの物を持って来る商人がいるのかい?あまりにも暴利を取ると、客を失くすぞ?」

 

「えっ!?い、いや……しかし、この時代ですからね……買い手もなかなか……」

 

突如掛けられた言葉に、店主は戸惑いを見せる。その反応を見る限り、かなり安く買い叩こうとしていたのだろう。カミュ達の姿を見れば、商人などいない事は明らかである。商品価値や相場なども知らないだろうと考え、少し欲を掻いたのだ。

 

しかし、そんな店主の些細な企みよりも、カミュ達はその言葉の発信源に驚きを覚えていた。リーシャに至っては口を半開きのまま、後方を振り返り、何かを口にしようと開閉を繰り返している。サラも同様で、この旅の道中で一度も口を開く事のなかった船員の一人を凝視し、その人物がサラ達の横を通り、カウンターの前まで移動するのを呆然と見送っていた。

 

「そりゃないだろう?この村は確かに小さな村みたいだが、村で暮らす人間を見ればある程度の余裕を持っているようにも見える。『神殿』の巡礼者等で結構儲けたんだろう?」

 

カウンターへ近付き、脂汗を流す店主に余裕の笑みを浮かべるその船員は、ポルトガ出港の際に新たに加わった七人の船員の一人。船員としては駆け出しであるその男は、ある地方では恐れられた巨大盗賊組織の幹部だった男。罪を償い、新たな人生を歩むために、『勇者』であるカミュと共に旅に出る事を決意した男達の一人だったのだ。

 

「そ、そんな事ありませんよ」

 

「それに、<消え去り草>という物は、アンタが育てて摘んで来るのか?……この地方の特産と言うからには、それを購入する得意先もある筈。結構、良い値段みたいだが?」

 

この道具屋の店主も長年商いを続けてきた百戦錬磨の商人の一人。だが、予想外の出来事に戸惑った僅かな隙を突かれ、その精神を立て直す暇を与えない矢継ぎ早の攻撃に後手に回ってしまっていた。何かを諦めたように俯いた店主は、再度計算を行い、金額を提示する。しかし、再び首を横に振られ、『他の店を当たってみる』と言われた事で、もう一度計算を始めた。他の店に行かれれば、もしかすると正規の値段を提示される可能性も捨てきれない。そうなれば、自身の店の評判は落ち、客足も遠のく。それ程、店の数が多い訳ではない以上、その悪評は命取りになりかねないのだ。ただ、それもこの主人の精神が落ち着いていたのなら、いくらでも対処の仕方があったであろうが。

 

「良いだろう。それで頼むよ……それと、<消え去り草>を所望らしい。見せてくれるか?」

 

「……ふぅ……解りましたよ。ただ、これは正規の値段ですよ……」

 

諦めの溜息を吐く店主の精神は、まだ立て直し切れていなかった。『ならば、先程のは正規の値段ではなかったのか!?』と怒鳴りそうなリーシャをサラが必死に抑え、それを面白そうに見ていたメルエもリーシャの腰元にしがみ付く。元盗賊の男が振り向くと同時に、カミュが一歩前に出て店主が出してくる<消え去り草>を手に取った。

 

「それは、このランシールでしか生息しない物で、非常に希少な植物です。口の中でとろけるような柔らかさ、まるで極上の肉の様。味は言葉では言い尽くせぬ程の物で、それは食した者だけが味わえる至上の幸福ですよ」

 

ようやく商人としての余裕を見せた店主は、<消え去り草>を手に取るカミュに営業的な笑顔を向ける。店主から買い取り分の代金を受け取った船員は、そのまま最後尾へと戻って行った。横を通り過ぎて行く男を眺めながら、サラは落ち着きを取り戻したリーシャから手を離す。

 

「……いくらだ……」

 

「はい、300ゴールドになります」

 

「「さ、300ゴールド!!」」

 

しかし、リーシャとサラは、カミュの問いかけに応えた店主の言葉に驚きを露にする。300ゴールドと言えば、この村の宿屋でカミュ達四人であれば五泊出来る。アリアハンで売っていた<銅の剣>や<革の鎧>であれば、三人分は購入できる。それ程の値段なのだ。それは、この<消え去り草>という食物が、以前バハラタの町で手に入れた<黒胡椒>と同様の高級な趣向品である事を示していた。

 

「こ、これは仕方がありません。数多く収穫できる物ではありませんし、このランシールでのみ生息する植物ですので、希少価値も高い。それに、このランシールを支える物でもありますから」

 

慌てて弁解する商人。それは、驚きと先程の怒りで背中の斧に手を掛けそうになっているリーシャを横目で見てしまったからだ。しかし、この商人の言う事も尤もである。この村の収入を支えているのも、この<消え去り草>という存在が大きいのだろう。おそらく、この村にあるどの店に行ったとしても、その値段は変わらないのかもしれない。

 

「300ゴールドとは、結構な値だな。しかし、それも仕方がないだろうな。私達はこの<消え去り草>を買おう。店主、纏まった数量を買うから、少し勉強してくれ」

 

そこまで来て、再び先程の元盗賊が前に出て来た。カミュもこの男に任せる事にしたのか、それ以上は口を開こうとしない。再び始まった店主との交渉を脇で眺めながら、カミュ達は成り行きを見守るしかなかった。暫くの交渉の後、契約が成立し、店主に保存方法などを尋ねた後、他の船員が先程の買い取り金額から代金を支払い、<消え去り草>の束の入った箱を受け取った。

 

「ありがとうございました」

 

どこか諦めたような口調の店主を置いて、一行は表へと出る。受け取った数箱の商品を担いだ船員達の最後尾にいる元盗賊の男に、カミュ達全員の視線が集まった。余程鈍感な人間でも気付くであろうその視線を受け、男は苦笑を浮かべながらカミュ達へと振り返った。

 

「私は、一味の中で財政を担当していました。盗賊とはいえ、食料や衣服全てを盗む事は出来ません。富豪の貴族などから盗んで来た宝飾品や金品をゴールドに替え、そして食料や衣類を購入するのが私の役目でしたので……」

 

男の言葉は、カンダタ一味の実情を物語っていた。確かに、カンダタ一味の始まりは、暴利を貪る商人や、民を蔑にする貴族から盗み、貧しい人間へと還元する義賊。しかし、義賊とはいえ生き物である以上、何かを食さなければならない。それは、常に町や村の食堂等ではないのだ。剣を振るうような強さが絶対的に必要であると共に、計算などが出来る頭脳も必要となる。彼は、そんなカンダタ一味の頭脳の一人だったのだろう。

 

「商人と渡り合うには、脅しなどは余り役には立ちません。商人と対等に交渉が出来る人間である事を相手に解らせる事が必要。まぁ、そうなるまでに何度も騙されましたけどね」

 

苦笑のような表情を見せる男を見て、カミュ達は言葉を発する事が出来なかった。サラではないが、彼等もこの時代を必死に生きて来たのだ。その為に行って来た行為は決して許される物ではない。だが、彼等の過去の一部を知っている以上、カミュ達は何とも言えない気持ちを胸に残さずにはいられなかった。

 

「アンタ達は、まだ何処かに寄るのだろう?俺達は、その広場辺りで待っているよ」

 

「……ああ……」

 

カミュに向かって告げた男は、他の船員達の許へと戻って行く。一つ頷いたカミュは、マントの裾を握るメルエを連れて、武器と防具の看板が下がっている店へと向かって歩き出した。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

実は今回の話は、この倍の文字数がありました。
描きたい事を描いている内に、いつの間にか30000文字に。
「これはいくらなんでも長すぎだ」と思い、二話に分けました。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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