新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ランシールの村②

 

 

 

「いらっしゃい」

 

 カミュが入って行った武器屋は、ここまでの道中の武器屋とは少し様相が異なっていた。

 建物とは言え、中に入るのではなく、外での買い物となる。カウンター越しに店主と話すのは変わらないが、カウンター自体が外にあり、カウンターの上には雨よけの屋根がある程度。武器や防具は奥の倉庫にしまってあるのか、言うなれば屋台のような武器屋だった。

 

「この村での武器で何か魅力ある物はあるか?」

 

「武器かい?……そうだな、結構良い武器を持っているように見えるが……これなんかはどうだい? <大鉄鎚(おおかなづち)>っていう武器だ」

 

 カミュの問いかけに対して店主が奥から持って来た物は、とても巨大なハンマーだった。

 『ごとり』という重い音を響かせてカウンターに置かれた物を一行は興味深く見つめる。長さはリーシャの持つ<鉄の斧>とそう変わりはしない。しかし、先端に付いている物は、鋭い刃ではなく、大きな鉄鎚。相手を切り裂くというよりも、叩き潰す事が目的のような武器にサラは息を飲んだ。

 

「……かなりの重量があるな……アンタ向けの武器だ」

 

「な、なに!?」

 

 カウンターに置かれた武器を軽く持ったカミュは、かなりの重みのあるその武器にリーシャへと声をかける。突然話題を向けられたリーシャは素っ頓狂な声を上げるが、手渡された鉄鎚を軽々と振い、感触を確かめるように何度か握り直した。

 その様子に驚いたのは店主だった。目の前に立っている青年も、筋肉隆々という男ではない。引き締まった体つきをしてはいるが、鎧越しに見れば、華奢な体つきと言っても過言ではないだろう。その青年が片手で<大鉄鎚>を持ち、手渡した相手は女性だったのだ。

 この女性も鎧を着込んでいる事から見れば、おそらく『戦士』という職業なのだろう。それでも女性は女性。屈強な男でも、選りすぐりの者にしか扱えない筈のこの鉄鎚を軽々と振う女性に戦慄を覚えていた。

 

「ふむ。確かに悪くないが……店主、これは魔物を叩き潰す武器なのか?」

 

「へっ!?……あ、ああ……それ以外の戦い方はおそらく無いと思うが……」

 

 呆然とリーシャを眺めていた店主は、咄嗟に反応が出来なかった。故に、リーシャの問いかけを復唱するだけ。間抜けな反応に苦笑を浮かべたリーシャは、もう一度<大鉄鎚>を振り、それをカウンターへ戻した。

 その時、サラはリーシャの振るう<大鉄鎚>の巻き起こす風を受け、何故か足が小刻みに震え始める。故に、彼女の手を握っていた小さな少女の変化に気が付かなかった。

 

「いや、止めておこう。確かにこの鉄鎚は威力がありそうだが、叩き潰す事しか出来ないというのなら、戦い方に制限が出来てしまう」

 

「……そうか……だが、アンタのその斧も限界が近い筈だ。アッサラームで購入してからここまで、酷使し過ぎと言っても過言ではない」

 

 リーシャにはリーシャの武器の選び方がある。だが、カミュの言い分には一理も二理もあった。カミュの持っていた<鋼鉄の剣>は、リーシャの斧よりも前に購入した物。その間に数々の敵を斬り捨て、強硬な魔物の身体を斬り裂いて来た。

 だが、その剣も<ヤマタノオロチ>との戦いの最中にその役目を終えたのだ。リーシャの斧は、最後まで『龍種』と呼ばれる世界最強種族の鱗を斬り裂き、その牙をも折った。何時、その限界が訪れても不思議ではない筈。

 

「確かに、そろそろこの斧とも別れを告げる時が来ているのかもしれない。だが、それは今ではない。カミュやサラの想いが籠ったこの斧は、これまで私だけではなく、何度も皆を護ってくれた。なかなか手放し辛くてな……」

 

「い、いえ……リーシャさん、それは……」

 

 感傷に浸るように呟かれたリーシャの言葉は、サラを大いに慌てさせる。リーシャはおそらく<アッサラーム>での出来事を言っているのだろう。あの町で購入した<鉄の斧>は2500ゴールド。しかし、その翌日に入ったぼったくりの武器屋で最後に告げられた値段は5000ゴールドだったのだ。

 5000ゴールドの武器となれば、今パーティーが装備している防具を含めても、一番の装備品となる。故に、リーシャはそれ程の物を自分に贈ってくれたカミュやサラに感謝し、その期待に応えようとしているのかもしれない。

 だが、事実は異なる。

 

「……!!……メルエはどうした?」

 

 リーシャの勘違いを正す事無く、溜息を吐き出したカミュは、店のカウンターで話し始めた頃にサラの許へ移動していたメルエの姿が見えない事に気が付き、問いかける。しかし、その問いかけに辺りを見回すリーシャとサラを見て、誰もメルエが傍を離れる時を見ていなかった事を悟った。

 慌てて店の軒先を飛び出すカミュとリーシャ。その後に続いてサラも周囲を確認し始める。

 

「カミュ、あれはメルエじゃないのか!?」

 

「追うぞ!」

 

 リーシャが指し示した方角に顔を向けたカミュが見た物は、建物の影に入って行くメルエの姿。それは、何かを追っているような姿に見え、『誰かに連れ去られたのではないか?』という恐怖を感じていた三人の胸に小さな安堵を生んだ。

 しかし、すぐに我に返ったカミュの言葉に返事を返す事無く、三人はメルエが消えて行った建物の方へ駆け出した。

 

 

 

 

 メルエは、武器屋の軒先でつまらなそうにリーシャを見上げていた。昨晩遅くまでサラの話を聞いていた事もあり、眠気が強い。何度も瞼が落ちそうになっているメルエはサラの手をしがみ付くように掴んでいた。

 この武器屋は、ここまで見て来た店とは違い、背の低いメルエには売り物が見えない。『何かを買って貰えるかもしれない』という想いが浮かぶ程、品物が見えないのだ。故に、退屈であり、眠くなる。

 そんな時だった。舟を漕ぎそうになり、慌てて顔を上げたメルエの視界の端に青い物体が横切ったのだ。それは、武器屋から少し離れた場所にある民家の周辺。飛び跳ねるような、それでいて這うような動きを見せる青い物体を、メルエは初めて目にした。

 明らかに『人』ではない。かと言って、メルエが今まで見て来た『魔物』でもなければ『エルフ』でもない。不思議な物を見つけたメルエの瞳は眠気を吹き飛ばし、輝き出す。握っていたサラの手を離すが、何かに怯えている様子のサラはその事に気付きそうにもなかった。

 メルエは、未だに見える青い小さな物体に向かって歩み出した。その物体の周囲に『人』の姿はない。何も気にする事などないように跳ねている青い物体を見て、その輝きを増したメルエの瞳は真っ直ぐ青い物体を射抜き、その口元は嬉しそうに緩んで行く。

 そろそろと近付くメルエは、ようやく青い物体との距離を当初の半分にまで縮める事に成功した。だが、そこまで近付いて、ようやくその青い物体はメルエの存在に気が付く。驚きを表した青い物体は、戸惑うように周囲を確認した後、近くの民家の塀沿いにある小さな細道に入って行った。

 好奇心に駆られたメルエに自制心は利かない。昨晩あれ程サラと話し合った筈であるが、『それはそれ、これはこれ』とでも言うように、青い物体を追ってその民家の隙間に入って行った。

 

 

 

「メルエはどこだ?」

 

 民家の傍まで駆けて来たリーシャはメルエを完全に見失った。メルエが消えた民家の脇には道などない。細い隙間はあるが、道ではない以上、探索の範疇ではなかったのだ。

 だが、メルエとの付き合いも長くなって来ている一行は、その隙間を凝視し、何かに思い至る。

 

「カミュ様?」

 

「ああ。行くぞ」

 

 サラの問いかけに頷いたカミュは、その細い隙間に身体を滑り込ませ、中を歩いて行く。細いとはいえども、人一人が通れる程の隙間である。肥満体の人間でなければ、屈強な男でも楽に通れる程の隙間。一人ずつではあるが、カミュ、サラ、リーシャの順にその隙間を通って行く。

 細い隙間を通り抜けた先は、芝生の広がる心地よい広場だった。周囲に木々が立ち並び、長閑な小鳥の囀りが聞こえる。まだ真上まで昇っていない太陽の光が、優しく降り注ぎ、芝生を青々と輝かせていた。

 それはまさに楽園。『魔王バラモス』の登場により世界を覆い始めていた瘴気すらも届かぬ地上の楽園を思わせるような光景だった。

 

「こ、ここは……?」

 

 その余りにも神秘に近しい光景にサラは息を飲む。それはカミュやリーシャも同様で、突然広がった美しい芝生の広場に暫し呆然と佇んでいた。

 だが、周囲の美しく広がる芝生の中にもメルエの姿はない。我に返った三人が周囲を見渡すが、彼等の視界に入って来たのは、追っていた幼い少女ではなく、屈強な一人の男性。その男は、カミュ達の存在に気が付くと、カミュ達の方へとゆっくりと近づいて来た。

 

「珍しいな……神殿の扉は固く閉じられているぞ?」

 

 カミュ達の近くまで歩いて来た男は、カミュ達三人を一通り確認した後、どこか困った表情をしながら口を開いた。

 リーシャとサラは立ち止まり、男の様子を見るように窺う、カミュは男に全く関心を示さず、周囲に目を向けている。

 

「昔は、この神殿から<地球のへそ>の洞窟に行けたんだがな……」

 

 一つ息を吐き出した男は、上空に輝く太陽を見上げながら呟いた。その呟きは何かを懐かしむようでいて、何かを悔やむような物。それを不思議に思ったサラは、全く関心を示さず男の脇をすり抜けて行ったカミュを視線で追った後、宿屋でも聞いたその名前について問いかけてみた。

 

「<地球のへそ>とは何ですか?」

 

「ん?……ああ、あれは所謂試練だな。<地球のへそ>へは一人でしか行く事は出来ない。あの中では己との戦いだけが続く」

 

 苦笑を浮かべるように話す男の言葉にリーシャとサラは耳を傾ける。もはやカミュの背中は小さくなっていた。

 リーシャはカミュを追いかけるかどうかを迷うが、サラはそんなリーシャに『メルエは大丈夫です』と一言声をかけた後、もう一度男の方へと視線を向けた。

 

「まぁ、偉そうな事を言ったが、俺は逃げ出した口でね。一人きりで<地球のへそ>に入ったが、入口を入ってすぐで怖くなって引き返しちまった。そんな未練があるからなのか、時々この神殿を見に来てしまうんだ」

 

「神殿が与える試練……」

 

 サラの呟きに男は苦い表情を浮かべる。それがサラの呟きを否定している事を示していた。サラは何かを考えるように俯いていた為、男のその表情を見逃してはいたが、リーシャははっきりとその表情の変化を認識する。ただ、その理由まではリーシャにも解らない。故に、男が言葉を紡ぐのを待っていた。

 

「いや、あれはアンタが考えるような『ルビス教』に属する神殿が与える試練ではない。何と表現すれば良いか……生物としての試練と言うか、『精霊ルビス』様直々の試練と言うか……まぁ、行った事のある人間にしか理解出来ないだろうな」

 

 溜息を吐き出しながら呟く男の声に、リーシャは何かを感じ、口を閉じた。サラは男が言いたい事を理解出来ず、その言葉の中に含まれていた『精霊ルビス』という名に反応し、何かを話したいように口を何度も開閉している。

 

「それよりも、アンタ方は誰かを探しているのか?……そう言えば、アンタ方が来る少し前に小さな女の子が神殿の方へ駆けて行ったが……」

 

「なに!? サラ、先に行くぞ!」

 

「えっ!? あっ、待って下さい!」

 

 何かを言いたそうにしているサラであったが、男の続く言葉に素早く反応したリーシャは男が来た方角へ向かって駆け出した。

 驚いたのはサラ。リーシャが駆けて行くの見て、慌てて男に頭を一つ下げた後、その後を追う。一人残された男は、小さく苦笑を洩らし、村の方角へと歩いて行った。

 

 

 

 青い生物のような物を追っていたメルエは、不思議な場所に辿り着いていた。そこにあったのは、とても巨大な建物。その大きさは、メルエがこれまで見て来た建物の中でもひときわ大きな物であり、以前訪れた<ダーマ神殿>よりも大きく見える。周囲を見回すように眺めていたメルエは、改めて大きな建物を見上げ、感嘆の溜息を吐き出した。

 そんなメルエの視界に再び姿を現す青色の影。それは、建物と建物の隙間に入り込んで行った。

 

「…………むぅ…………」

 

 逃げるように消えて行く青い影に少し頬を膨らませたメルエが、その影を追って建物の間にある小道を入って行く。陽の光が差し込む小道にも芝生が生い茂り、暖かな草の匂いに満ちていた。

 暫し小道を行くと、青い影の姿が見えて来る。どうやらこの先は行き止まりらしく、青い影はこちらに視線を向けたまま怯えたようにその身体を震わせていた。

 

「…………なに…………?」

 

「ぴきゅ!」

 

 その青い影の全貌が見え、メルエはその影の前でしゃがみ込む。その青い物体は、メルエの膝程の大きさしかなく、メルエがしゃがみ込んでようやく目が合う程の大きさだった。

 その物体は、世界広しといえども、アリアハン大陸にしか生息しない世界最古の魔物。青くゼリー状の身体を震わせ、体当たり等で『人』を襲い、『人』を溶かす事で食す魔物。その名を<スライム>という。

 初めて見る生物に興味を向けたメルエは、『貴方は何?』とでも言うように言葉を発するが、メルエが傍に来た事に驚いた<スライム>は、奇妙な叫び声を上げて飛び上った。しかし、メルエを襲う様子はなく、只々怯えるように『ぷるぷる』と身体を震わせている。その様子を見たメルエの好奇心は更に増して行った。『ぷるぷる』と震える青い身体に恐る恐る指を伸ばしたメルエは、<スライム>を突き出す。

 

「ぴきゅ!」

 

「…………ふふ…………」

 

 初めての感触にメルエの頬は緩み、笑みを浮かべる。しかし、突かれる側にとっては堪った物ではない。徐々に突く間隔が短くなるメルエの指を受け、悲鳴に近い声を上げた<スライム>は逃げ出そうと身体を動かすが、目の前にはメルエがおり、後ろは行き止まり。どうあっても逃げる事が出来ず、その身体を更に震わせる事しか出来なかった。

 

「メルエ!」

 

「ぴきゅ!」

 

 そんな泣きたくなるような状況で、自分を突く少女の後方から掛った別の人間の声に、<スライム>は絶望した。

 『何故、今日は村の方まで出てしまったのか』と。

 

 

 

 天気が良く、気持ち良い日光が降り注ぐ中、神殿の周りにある芝生でうたた寝をしていた<スライム>は、気分の良さのついでに村の方まで足を伸ばした。

 以前、この場所を訪れた『賢者』と名乗る男の言葉通り、『人』に見つからないように村へと出た<スライム>は、喧騒賑わう村を微笑みながら眺めていたのだ。その時、何やら懐かしい視線を感じ、その方角へ目を向けると、一人の少女と目が合ってしまう。

 目が合ったと感じたのは<スライム>だけなのかもしれない。だが、通常の『人』等よりも、何倍も視力が強い魔物である<スライム>は、何故かその少女と目が合ってしまったように感じたのだ。

 そして、<スライム>は逃げ出した。

 

 何故、自分のような<スライム>族がこのランシールにいるのかは、もう覚えてはいない。だが、昔訪れた『賢者』と名乗る男が語った言葉を思い出したのだ。

 『お前のような魔物は、ある程度の力量がある人間ならば殺す事は出来る。だから見つからないように神殿の傍にいろ』という言葉。その忠告を護り、何十年もこの神殿の傍で暮らしていた<スライム>が初めて遭遇した危機。

 そして、彼の生涯はここで潰えたかに思われた。

 

 

 

「カミュ! メルエは大丈夫か!?」

 

「リ、リーシャさん、待って下さい」

 

 続々と増える人間。何故か、先程まで笑顔で自分を突いていた少女の身体も微かに震えているように見えるが、<スライム>にはそれを気にする余裕はなかった。

 刻一刻と迫る命の刻限。迫り来る『死』への恐怖に、その青く半透明の身体は大きく震え始めた。

 

「メルエ! 勝手に行っては駄目だとあれ程言っただろう!……なんだ……?」

 

 一番最初に到着した男の後ろから凄まじい速さで近付いて来る女性を見た少女の身体が跳ね上がる。だが、その女性の視線は、少女へ向けられた直後、その後ろにいる青い生物へと注がれた。

 そして、一瞬の内に眉が上がり、背中へと手が伸ばされる。

 

「スライムか! メルエ、そこをどけ!」

 

「待て!」

 

 背中の<鉄の斧>を手にした女性が構えを取る前に、その行動は最初に辿り着いた青年によって制止された。その後ろから歩み寄る別の女性の目も驚きに見開かれ、まじまじと<スライム>に視線を向けている。<スライム>にとって生きた心地のしない時間が経過して行った。

 

「……邪気を感じませんね……襲いかかって来る様子もありませんし……この神殿の影響なのでしょうか?」

 

「…………ぷるぷる…………」

 

 傍に近づいて来るサラの言葉を聞いて、一つ頷いたメルエが、<スライム>の触り心地を伝えるようにサラへと言葉を向ける。一度微笑んだサラであったが、何かを思い出したかのように、瞳を細め、メルエの頭に軽く拳骨を落とした。

 『リーシャさんの言うとおり、駄目ではないですか』という言葉を受けたメルエは、三人に謝罪の言葉を伝え、再び<スライム>へと視線を向ける。

 

「お、おい。危ないから下がれ」

 

「……大丈夫だろう……」

 

 近付くサラと、再び<スライム>に触れようと手を伸ばすメルエを見て、リーシャは大いに慌てた。最古の魔物であると共に、最弱の魔物と言われる<スライム>であったとしても、魔物は魔物。危険が無い訳がない。故にリーシャはサラとメルエに声をかけるが、その言葉もカミュによって柔らかく否定された。

 カミュの方へ視線を動かしたリーシャは、穏やかなカミュの表情を見て驚き、そして再びサラとメルエに視線を向けて胸の奥から湧き上がる感情を抑えきれなくなった。

 

「不思議ですね……魔物も邪気がなければ、害はないのでしょうか?」

 

「…………ぷるぷる…………」

 

「あはっ……あはははははっ!」

 

 不思議そうに<スライム>を見るサラと、楽しそうに<スライム>を突くメルエ。その姿を見たリーシャは、堪らず笑い出してしまった。突然笑い出したリーシャの声に驚いたサラとメルエは振り返り、<スライム>は怯えたように縮こまる。

 

「あははは……す、すまない……そ、そうだな。サラがそうであれば、大丈夫だな。あはははは!」

 

 魔物を『憎しみ』の対象と考えていた未熟な『僧侶』は、様々な困難に立ち向かい『賢者』となった。その女性は今、以前『憎しみ』を抱いていた相手を不思議そうに眺め考えている。問答無用で全ての魔物を滅ぼそうと考えていた『僧侶』が、邪気のない魔物を見て、害がないと判断している。これが笑わずにいられようか。笑いながらカミュを見ると、彼も小さな苦笑を洩らしていた。それがリーシャの収まりかけた笑いを戻してしまう。暫しの間、その小道にリーシャの笑い声が響き渡った。

 

 

 

「しかし、何故このような場所に<スライム>がいるんだ?」

 

「わかりませんね……何故でしょう?」

 

 笑いが収まったリーシャの疑問には、サラも答える事が出来ない。アリアハンにしか生息しないと云われる<スライム>が他の大陸にいる事自体が不思議な事なのだ。

 邪気がある云々ではなく、その場所で生きている事自体が謎であった。

 

「頭目に聞いたが、このランシール大陸の東にアリアハン大陸がある。遥か昔は、このランシールにも<スライム>が生息していたとしても何も不思議ではないだろう」

 

「ここからアリアハンは近いのか!?」

 

 初めて知った情報に、リーシャの顔が輝き出す。既にアリアハンを出てから二年近く経っている。生まれてから二年前まで過ごして来たアリアハンという故郷を懐かしまない訳はない。それはサラも同様で、カミュの言葉を聞いて、表情を緩めた。しかし、そんな二人の感情を無視するように繋がれたカミュの言葉は、二人を落胆させる。

 

「先に行っておくが、アリアハンに戻る気はない。アンタも『魔王討伐』という使命を果たしていないにも拘らず、アリアハン城へ戻る事は出来るのか?」

 

「うっ……」

 

 確かにカミュの言うとおり、カミュ達は『魔王討伐』どころか、『魔王』への足がかりすら掴めてはいない。このような状況でアリアハンに戻ったとしても、故郷に錦を飾る事は出来ず、最悪の場合は勅命を果たせずに逃げ帰って来た者としての烙印を押されかねなだろう。それは、アリアハン大陸を出る時に見たアリアハン国の対応から容易に想像できる物だった。

 そんなカミュ達の会話を余所に、メルエは未だに『ぷるぷる』と震える<スライム>に夢中だった。目の前にしゃがみこみ、その独特の感触を楽しんでいる。何度も指を突き出しては<スライム>の身体に触れ、揺れる<スライム>を見て微笑む。しかし、それも何度目かも数え切れないメルエの突き出した指で終わりを告げた。

 

「いじめないで!……僕は悪いスライムじゃないんだ!」

 

「…………!!…………」

 

「ふぇ!?」

 

 突然発せられた言葉に、出しかけたメルエの指が止まり、サラは驚きで目を見開く。リーシャは再び斧に手をかけ、カミュでさえも驚きで呆然とした表情を見せていた。

 最古であり最弱の魔物。つまり最も知能が低いと考えられている<スライム>が人語を話したのだ。しかも、その言葉は、同じように人語を話していた<ヤマタノオロチ>よりも流暢な物。四人は驚きで完全に固まってしまった。

 

「良い事を教えてあげるから、いじめないでよ」

 

「…………なに…………?」

 

 そんな中、真っ先に立ち直ったのは、やはりメルエであった。

 懇願するような瞳を向ける<スライム>と視線を合わせて問いかける。実際、問いかけた所で幼いメルエに理解出来るとは到底思えない。だが、メルエが理解出来る言葉を不思議な生き物が話した事で、その好奇心が再び湧き上がったのだろう。

 

「<消え去り草>は持っている?」

 

「……ああ……」

 

 次に立ち直ったのはカミュ。しかし、流暢に人語を話す<スライム>に戸惑いながら、返事を返す。そんなカミュの返事を聞き、満足そうに震えた<スライム>は、更に一行を驚かせる言葉を紡いで行った。

 それは、カミュ達だけではなく、この<ランシール>の村で暮らす全ての人間を驚かせる程の内容だった。

 

「その<消え去り草>はね、人間の間では食べ物となっているけど、実際は違うんだ。<消え去り草>を乾燥させてから粉にして身体に振りかけると、暫くの間は身体を透明にする事が出来るんだよ」

 

「え!? ど、どういう事ですか?」

 

 先程とは異なる驚きを受けた一行は、戸惑い慌てる。そんな中、リーシャだけは立て続けの驚きの連続によって、未だに言葉を失っていた。それでもサラはこの最弱の魔物に問いかける。その言葉は、いつの間にか『人』に対する物と変わりがない物へと変化している事にサラは気が付いていない。

 <スライム>は話を聞いてくれる態勢になっているカミュ達を見て安堵するが、話に興味を示さないメルエの動きを警戒していた。

 

「う~ん。僕にもよく解らない。でも、<消え去り草>を乾燥させた粉を振りかければ、身体が透明になって、姿が見えなくなるのは本当だよ。それと……<消え去り草>を持っているんだったら、<エジンベア>に行ってみると良いよ」

 

「……エジンベア……」

 

 そして<スライム>が続けて口にした言葉の中にあった国名。再び、カミュ達の前に新たな行き先が示された。まるで何かに導かれているように繋がって行く道筋。それは、まるで決められた道を辿るように現れる。カミュが『勇者』であるが故なのか、それともそれが彼等四人の宿命なのか。

 

「よく解らないけど、『賢者』っていう人が言っていたんだ。<最後のカギ>っていう物を手に入れるには『壺』が必要なんだって。何で壺なんだろうね?……壺の中にあるのかな?……でも、その為にも<エジンベア>に行く必要があるんだって」

 

「……」

 

 もはやカミュ達に言葉はない。いや、正確には言葉を発する事が出来ないのだ。何故『賢者』という言葉が<スライム>から出て来たのか解らない。そもそも、この<スライム>が言う『賢者』とは誰なのか。サラではない事だけは確かであろう。

 そして、次々と明かされる情報。誰もが口にする事のなかった<最後のカギ>という単語が、よりにもよって魔物から発せられる。それがどれ程に驚くべき事か。そして、その神秘の道具を手に入れる為に必要な物までが明らかとなる。

 

「…………ぷるぷる………も………いく…………」

 

「ぴきゅ!? ぼ、僕は行かないよ。ここから離れちゃ駄目だって言われてるし」

 

 驚きと困惑で呆然としている三人を余所に、メルエは満面の笑みで<スライム>を勧誘し始める。メルエにとって初めて出会った生物である<スライム>に邪気はなかった。まるで友を勧誘するように語りかける。戸惑ったのは魔物である<スライム>だった。

 目の前で笑顔を向ける少女の姿に困惑しながらも、なんとかそれに断りを入れる。だが、『むぅ』と頬を膨らませる少女に、<スライム>の困惑は度合いを増して行った。

 

「メ、メルエ……駄目ですよ。<スライム>さんはこの神殿の傍から離れられないのです。もし、離れてしまえば……おそらく死んでしまいます……」

 

「…………だめ…………」

 

 ようやく『死』という意味を理解し始めたメルエは、サラの発する言葉に首を横に振る。ただ、メルエが考える『死』の理由と、サラが語る『死』の理由には多少の食い違いがあった。

 メルエは、神殿を離れるとすぐに<スライム>が自然に死んでしまうと考えている。それに対し、サラは、現在は邪気を発していなくとも、神殿を離れれば『魔王』の瘴気に当てられ邪気を取り戻すであろう<スライム>を自分達が殺さなければならなくなる事を語っていたのだ。故に、メルエの考えている物とは異なっているのだが、それをサラは明確に伝える事はしなかった。

 

「カミュ、そろそろ村へ戻ろう。この分だと、宿屋にもう一泊しなければならなくなるぞ」

 

「……ああ……」

 

 サラの想いを察したリーシャは、場を離れる事をカミュに提案し、その提案をカミュも受け入れた。名残惜しそうに<スライム>に手を振るメルエの手を握り、サラはカミュ達の後ろをついて歩き出す。いつまでも手を振るメルエを見つめながら、<スライム>は遠い昔の出来事を思い返していた。

 

 

 

 『魔王バラモス』が世界に登場するまでは、この神殿の周辺に数匹の<スライム>が生活をしていた。

 だが、『魔王』の誕生による影響が世界を包み始めると、一匹また一匹と<スライム>達が村の外へと出て行き始める。元々<スライム>の中でも臆病であった彼は、どうしても神殿から離れる事が出来ず、他の<スライム>達の帰りを只々待つ事しか出来なかった。

 しかし、何年たっても、誰もこの神殿へ帰って来る者はいなかった。その内、神殿へ多数の人間達が訪れるようになり、彼は神殿の片隅で隠れるように過ごす事が多くなる。

 そんなある日、一人の男が彼の許へと訪れた。その男は杖のような物を持っており、<スライム>である彼を見て、何やら困ったような表情を作り出す。『人』を恐れていた彼は、身体を震わせながら何とか逃げ出そうとするが、そんな彼の行動は男によって遮られた。

 

「そっちに行っては駄目だ。邪気は感じないが、君が<スライム>である事に変わりはない。出来る限り『人』に見つからないようにしなさい。この神殿に『人』が訪れないようにしてみよう。君はこの神殿の傍から離れてはいけないよ」

 

 そう言った男は、暫くの間この神殿に居座った。初めは怯えていたが、毎日のように顔を出す男に、彼の心は次第に溶け始める。初めて出会った時には何を言っているのか理解出来なかった男の言葉も、少しずつ理解出来るようになって行く。意思の疎通の為に言葉を使う事が出来るようになる程、彼は男の言葉を聞いていた。

 どれ程の時間が経っただろう。その内、神殿を訪れる『人』の数は減り、いつしか誰も神殿に近寄らなくなる。神殿の周辺で『人』の声が全く聞こえなくなった頃、彼の前に現れた男は、彼に別れを告げた。手に小さな何かを持ち、それを彼に見せるように腰を落とした後、彼に最後の言葉を残す。

 

「この神殿は、この鍵で鍵を掛けた。もう誰も神殿に入る事は出来ない。『人』もここへ来る事はなくなるだろうね。もし、この神殿に来て、君と話をする事の出来る『人』がいたとしたら、この鍵を手にする者かもしれない」

 

 なんの事を言っているのか解らない彼は、男を見上げ、不思議そうな瞳を向ける。そんな視線を感じた男は苦笑し、彼の青く透き通った身体を撫で、優しげに微笑んだ。そして一度上空に視線を向けた後、彼はもう一度口を開く。

 

「この鍵は、私が『賢者』の名に懸けて封印しようと思う。隠し場所は秘密だ。そうだな……あそこにしよう。あそこであれば、誰であろうと手に入れる事は出来ない。あの壺を手に入れなければ、無理だろうね」

 

 まるで、彼に聞かせるように語る男の言葉を不思議に思いながらも、彼はその言葉を忘れてしまわないように刻みつける。何故だか解らないが、彼はもう二度とこの男に会えないような気がしたのだ。

 只の<スライム>であった彼に、知識と心を与えてくれたこの男の最後の言葉を彼は真剣に聞いていた。呟くように話す男の話の中に出て来た<消え去り草>という名前や<エジンベア>という名前。その一つ一つを心に刻みつける。

 

「じゃあ、私はもう行くよ。忘れないでくれ。君はこの神殿の傍を離れてはいけない。退屈かもしれないが、それが君にとって一番良い事だから」

 

 最後にそう言った男は、もう一度優しげな笑顔を浮かべると、何やら呪文のような物を唱えた後、上空へと浮かび上がり、北の空へと消えて行った。

 何やら不思議な感覚に襲われた彼は、それから暫くの間、神殿の傍にある木の根下で身動き一つせず過ごして行く。

 

 あれからどれくらいの月日が流れた事だろう。

 再び彼の前に現れた『人』は四人。怯える彼を目にして、笑顔を向けてくれた。故に、彼は男が残した言葉を彼等四人に伝えたのだ。この神殿の扉をもう一度開く事の出来る者達として。

 

 

 

「カミュ、あの<スライム>の言う事は信じても良いのか?」

 

 民家の脇道を抜け、村へと戻って来た時、ようやく口を開いたのはリーシャだった。立ち止まったリーシャは、民家の脇道を振り返る。残念な事であるが、怒涛のように押し寄せた情報の嵐を治め、それを処理する能力をリーシャは持ち合わせてはいない。

 只々翻弄され、戸惑い、迷う。その情報が、国家の王や教皇などから与えられた物であれば、彼女はここまで迷わなかっただろう。しかし、その情報源はリーシャ達が討伐する相手でもある魔物だったのだ。

 

「私は信じるべきだと思います。あの<スライム>が嘘を話しているとは思えません。それに……私はそれを確かめたい」

 

 そんなリーシャの迷いを払ったのはサラだった。<スライム>が語った過去の存在ではなく、現代に生きる『賢者』であるサラ。『古の賢者が示した道を歩み、その先にある光景を見てみたい』という想いがサラの胸に去来している。

 <スライム>が語った人間が本当に『賢者』であったのかは解らない。だが、<最後のカギ>という名が出て来ている以上、その者が只者ではない事だけは確かである。故に彼女は歩き出す。まだ見ぬ果ての世界へと。

 

「どちらにせよ、俺達に選択肢などない。罠であろうが何であろうが、数少ない情報で行動するだけだ。アンタの目的は『魔王討伐』。誰一人として『魔王』の城へ辿り着いた者がいない以上、細い糸でも手繰って行くしかない」

 

「……そうだな……」

 

 最終的に道を決める者が口を開いた事で、リーシャは頷きを返した。カミュの言うとおり、『魔王バラモス』の許に辿り着いた者は未だにいない。

 あのアリアハンの英雄であるオルテガでさえも志半ばで力尽いたと云われている。ならば、前人未到の場所へ向かう彼等にとって情報を選り好みする事など出来はしないのだ。

 

「…………ぷるぷる…………」

 

「さぁ、行きましょう。メルエ、ほら」

 

 名残惜しそうに神殿の方角を眺めながら、<スライム>に想いを馳せるメルエに手を伸ばしたサラは、そのまま村の中央広場へと移動する。残念そうに肩を落としたメルエもサラの手を握り、歩き出した。

 残るはカミュとリーシャ。一つ溜息を吐き出したカミュは、リーシャに視線を送ると、足を前へと踏み出す。

 

 彼等の旅は、また一歩前へと踏み出した。

 それは、何かに導かれるように。

 そして、何かに誘われるかのように。

 古の賢者の導きなのか。

 それとも『精霊ルビス』の誘いなのか。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

今回の事で自分自身の事が良く解りました。
何処かで抑えなければ、止め処なく描き続けるという事。
本当に気付いたら二話分になってました(苦笑)

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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