新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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大変遅くなりました


無名の土地③

 

 

 

 ポルトガで一泊をした一行は、大勢の人間に見送られながらポルトガ港を後にする。魔物の脅威が増して行く中、唯一と言っても過言ではない貿易船の船出。それは、港町ポルトガの民にとって希望の光となっていた。

 船の最後尾で手を振り返すメルエの笑顔は、船員達の表情にも明るさをもたらせている。

 

「メルエ、次はトルドのところだ」

 

「…………ん…………」

 

 そんなメルエの肩に手を置いたリーシャの言葉に、メルエは花咲くような笑顔を向ける。トルドがメルエを引き取ろうと口にした時、それを拒絶したのはメルエ本人である。だが、再び会ったトルドから感じた物は、決して娘であったアンの代替として物ではなかった。

 最愛の娘の唯一の友人に対しての愛情。それを感じ取ったメルエは、彼を慕うのだろう。

 

「ここからなら二、三日で着けるだろう。天候も荒れそうにはないから、ゆっくりしていてくれ」

 

 カミュ達を見た頭目から出た言葉に、カミュは一つ頷いた。リーシャはそんなカミュを見て苦笑を洩らす。

 彼が、船の上でゆっくりと休める訳がない。ほとんど眠る事もせず、いつ何が起きても良いように身構えているに違いないのだ。他人に理解され難い『優しさ』を持つカミュを見て、リーシャは一人頬を緩めていた。

 

「メルエ、この木の枝だけを凍らせてみてください」

 

「…………うぅぅ…………」

 

 この日もメルエの鍛錬は続いていた。太い枯れ木の枝を紐で結び、その糸を手に持ったサラがメルエに指示を出す。しかし、それを見たメルエの眉が目に見えて大きく下がった。

 自信なさげに杖を胸に抱くメルエは、何かを懇願するようにサラの方向へ視線を送るが、それを無視するようにサラはメルエの方へ紐にぶら下がった木の枝を押し出す。

 

「大丈夫です。今のメルエならば出来る筈ですよ。自信を持って」

 

 サラの姿を見て、逃れられないと理解したメルエは恐る恐る杖を掲げた。受けるサラは自分の胸の中にある不安を隠すように、毅然と立ち、メルエを見据える。カミュやリーシャもその二人を緊張した面持ちで眺め、船員達も仕事の手を休めてサラに注目していた。

 緊迫した空気が流れる中、メルエの杖が振り下ろされる。

 

「…………ヒャド…………」

 

「ふぇ!?」

 

 メルエが紡ぎ出す詠唱と共に、杖から冷気が迸る。船上の大気中にある水分が凍り付き、そのままサラの持っていた糸の先にある木の枝に襲いかかる。

 瞬時に木の枝は氷に包まれ、それを結んでいた糸をも凍り付かせて行く。その威力は『魔法使い』としては異質な程の物。糸をも凍り付かせた冷気は収まりきらず、それを持つサラの腕までも凍らせて行った。

 指先の感覚がなくなったと感じた時には、肘の上までも凍りついてしまったサラは素っ頓狂な声を上げる。

 

「桶か何かに水を汲んで来い!」

 

「わ、わかった!!」

 

 状況を把握したカミュがリーシャへと指示を出す。いまいち状況を把握出来ないリーシャであるが、カミュの声を聞き、状況が芳しくはない事を知った。そのまま船室の方へと急ぎ、巨大な甕を抱えて戻って来る。その素早さと、尋常ではない甕の大きさにカミュは目を丸くした。

 

「サラ! この中に手を突っ込め!」

 

「待て! それは飲み水の筈だ!」

 

 大きな甕をサラの前に置き、その手を掴んで入れようとするリーシャをカミュが辛うじて押し止めた。

 船員を呼び、甕の中から桶で水を掬い、その中にサラの腕を入れる。凍りついた腕の氷は、徐々に溶け出し、肌に血が通い始める。迅速な対応により、サラの腕は壊死する事はなく、元通りに動かせるようになるまでに回復したが、その間メルエは泣きそうに顔を歪め、サラの傍で俯いていた。

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

 手の指が動く事を確認するサラの横で、メルエがぼそりと呟く。その声を小ささは、まるで消え去りそうな程であり、リーシャやカミュの耳にも物悲しく聞こえて来た。

 一度メルエの言葉に驚いた表情を見せたサラが、優しい笑みを浮かべながらメルエに向き直る。俯くメルエはサラと目を合わせる事が出来ない。そんなメルエにサラは小さな溜息を吐き出し、もう一度笑みを浮かべた。

 

「私は大丈夫ですよ。今回は失敗してしまいましたが、少し前のメルエが唱える<ヒャド>であれば、私は完全に凍りついていたかもしれません。少しずつメルエも魔法力の制御が出来ている証です。メルエなら、きっと出来ますよ。何と言っても、メルエは世界最高の『魔法使い』なのですから」

 

 『世界最高の魔法使い』という言葉は、決して大げさな物ではない。船員達には失敗したメルエを慰める姿に見えたのかもしれない。しかし、サラだけではなくリーシャやカミュも知っているのだ。この幼い少女が、全世界の『魔法使い』の中で頂点に立っている存在だという事を。

 サラが言うように、以前のメルエが全力で<ヒャド>を唱えれば、一般的に小柄なサラ等は、全身が凍りついてしまったかもしれない。それ程にメルエの魔法の威力は凄まじいのだ。

 ただ、自身の思い通りに調節が出来ない。だが、今のメルエは、数週間前のメルエとは違う。その証拠に、サラが魔法の行使を指示した際に、それを拒むような仕草を見せた。それまでは、自身の行使する魔法を誇り、それを見せつける事を喜びとしていた節のあるメルエとは根本的に異なっていたのだ。

 そのメルエの変化は、自身の唱える魔法が及ぼす脅威を理解し始めた事を示している。それがサラには嬉しかった。

 

「…………メルエ………できる…………?」

 

「はい! 私がメルエに嘘を言った事はありませんよ」

 

 不安げに瞳を向けるメルエにサラは苦笑した。自分がこの小さな『魔法使い』の自信を根こそぎ奪ってしまっているのだ。それを理解しているからこそ、未だに水桶の中に腕を浸しながらも、サラは満面の笑みをメルエへと向けた。

 俯き加減であったメルエの顔が少しずつ上がり、その瞳に向けてサラはもう一度笑顔で頷きを返す。カミュやリーシャの出番はない。メルエはカミュやリーシャの顔に視線を向ける事はなく、サラの瞳だけを見つめ、そしてようやく頬を緩めた。

 

「しかし、次からは方法を変える事だな。<ヒャド>であったから良いものの、あれが<メラミ>や<イオ>であれば、アンタはこの世にいない筈だ」

 

「……」

 

 和やかな空気が流れる中、カミュが口にした言葉で凍りついた。

 サラとリーシャの背中に冷たい汗が流れる。

 先程まで笑顔を浮かべていた船員達の表情が固まる。

 

 確かに、<ヒャド>であったからこそ、腕が凍りついたが手早い処置で難を逃れたが、<メラミ>等では、火傷どころではない。

 <スカイドラゴン>の吐き出した炎に搔き消されたとはいえ、世界最強種である『龍種』の吐き出す炎と相対する事の出来る程のメルエの<メラミ>であれば、かすっただけでもサラの腕は跡形もなく消え失せていただろう。

 特に、メルエは火炎系や灼熱系よりも氷結系を得意としている。魔法力の制御も<ヒャド>等の氷結系の方が上の筈だ。制御の効かない<イオ>を受けたとしたら、サラの身体は弾け飛んでいたに違いない。

 そう考えた時、サラやリーシャの肝は冷え切っていた。

 

「…………メルエ………だめ…………?」

 

「そ、そんなことありませんよ……ただ、少し鍛錬の内容を変えましょう……」

 

 只ならぬ雰囲気を察したメルエの眉が再び下がる。それに対してのサラの言葉は、先程のような力強い物ではなかった。サラの言葉を聞いたメルエの瞳に涙が溜まる。ここで慌てたのはサラではなく、カミュだった。

 自分の言葉がメルエの気持ちを落とさせたという事によってカミュは視線をリーシャへと向けてしまう。視線を移されたリーシャは激しく動揺を示し、メルエに向かって口を開いた。

 

「メ、メルエ……た、鍛錬は一先ず終了だ。一緒に海を見に行こう」

 

 しかし、その言葉は全く慰めにはなっていない。とりあえず蓋をしただけ。メルエもそれを理解しているのだろう。哀しそうに目を伏せた後、小さく頷き、リーシャの手を取った。

 物悲しい空気が船の上に流れ、船員達は見て見ぬふりをする事を決めたのだろう。何も言わず、それぞれの仕事へと戻って行った。

 

「メルエ、もう少しでトルドのいる場所だ。楽しみだな?」

 

 海を眺めながら語りかけるリーシャの言葉にもメルエは薄い反応を返すのみだった。サラの教えを理解しようと必死になっているメルエにとって、それが出来ない事は心の傷となり得る物だったのだ。

 今までであれば、全力で魔法を唱えるだけで良かった。唱えるメルエではなく、周囲にいるカミュ達がそれを配慮していれば良い。メルエの魔法の余波で傷つかないように配慮出来るだけの余裕があったのだ。

 しかし、この先、<ヤマタノオロチ>のような強敵と再び相対した時、その余裕がカミュ達にあるかと問われれば、カミュやリーシャであっても即答は出来ない。それ程、<ヤマタノオロチ>との戦いは苛烈を極めていたのだ。

 

「メルエ、そう落ち込むな。前にも言ったろ?……私もカミュも、初めは何も出来なかったと。それこそ、メルエの歳の頃の私は、魔物と戦う力などありはしなかった。メルエのように自分の力を制御する必要もなく、そんな事を考える余裕もなかった」

 

「…………」

 

 メルエの正確な歳は解らない。だが、カミュであっても、魔物との戦闘を経験したのは、二桁の歳になってからと語っていた。カミュやリーシャという人類の頂点に立とうとする戦士達と共にいるとはいえ、魔物と戦うだけの力をメルエが有している事だけでも異常なのだ。

 リーシャはそれを純粋に褒め称えた。

 『メルエが自身の力を制御しようと考えるだけでも凄い事なのだ』と。

 

「焦らなくても良い。私はいつまでもメルエと一緒だ。メルエが自分の力を上手く使えるまでは私がメルエを護るし、メルエの力で傷つきそうになる者も護る。だが、上手く使えるようになったら、メルエは私達だけではなく、たくさんの人達を護ってくれ」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャを見上げるメルエの眉は未だに下がったまま。それでもリーシャの言葉にメルエはしっかりと頷いた。

 リーシャの手はメルエの手を握り締めている。その手はこれから先も離れる事はないだろう。メルエの身に何があっても、メルエという存在がどのような立場になったとしても、この大きな手は、震える小さな手を離す事はない。

 

「リーシャさんには敵いませんね……」

 

 そんな二人を見つめる二つの視線。その内の一つであるサラは、その背中に向かって呟きを洩らした。

 幼く、物事を知らないメルエを導く事は自分の仕事だとサラは考えている。ただ、メルエの心を癒し、そして再び前へと踏み出させる事が出来るとは考えていなかった。

 それが出来るのは、このパーティーの中で唯一人。

 今や『賢者』となったサラではあるが、ここまでの道程の中で何度も挫折し、苦汁を舐めて来た。そんな中、彼女を何度も叱咤激励し、立ち上がらせたのはアリアハンが誇る女性騎士だったのだ。

 リーシャという存在がいなければ、サラは旅の序盤で心を折られ、前後不覚に陥った挙句に旅を放棄していたかもしれない。時に厳しく、時に暖かく、そして優しく包み込むように支えてくれていたのは、何時でも姉のように慕う『戦士』だった。

 

「……あれがなければ、只の重荷なだけだ……」

 

「え!? そ、それはいくらなんでも……」

 

 感慨に浸っていたサラの横で呟かれた言葉にサラは言葉を濁す。『その言い方は余りに酷い』と伝えようと視線を動かすと、そこには柔らかな笑みを浮かべたカミュが立っていた。

 言葉とは裏腹な態度を示すカミュを見たサラは、苦笑を洩らしながらもう一度視線をメルエ達へと向ける。

 

 彼等四人は確かに前へと進んでいる。

 小さくとも、一歩一歩踏み出して。

 その変化は他人には解らないかもしれない。

 いや、他人だからこそ解らない程の変化。

 それを繰り返し、彼等は進んでいるのだ。

 

 

 

 

 

「陸地が見えたぞ!」

 

 ポルトガを出て三日目の夕暮れ時、一行を乗せた船はようやく名も無き大陸を視界に納めた。既に三度目となる上陸。船の錨は降ろされ、小舟を使ってカミュ達は大地へと足を下ろした。

 慣れて来たとはいえ、全く船酔いをしない訳ではないサラを気遣い、カミュ達は浜辺で野営を行う事にする。その際に、火を熾す為に集めた薪に向けてメルエの<メラ>を使用する事となり、調節をしながら唱えたメルエの<メラ>の勢いで薪が吹き飛んでしまったのは、また別のお話。

 

 一泊した後に歩き出したカミュ達は、太陽が沈む頃にあの場所へと辿り着いた。

 そこはある老人の願いによって開拓が始まり、カミュ達の助力によって町への第一歩を歩み始めた場所。

 カミュが最も信頼する『商人』が移住し、その『商人』が描く未来へと進み始めた場所。

 

「す、凄いですね……」

 

「短時間でこれ程変わる物なのか?」

 

 その場所に辿り着いた時、サラはその変貌を素直に驚き、リーシャは驚愕が疑問へと変わった。

 以前はただ木を切り倒し更地にしただけの場所であった筈のその場所は、周囲を木の柵で覆い、村としての容貌へと変化している。門も立派ではないが、しっかりとした木の大手門を作っており、魔物等の侵入を拒むように閉じられていた。

 外から見ただけでは完全に一つの村のような姿をしている事に、カミュでさえ驚きを隠せなかった。

 暫し呆然と門を見上げていたカミュは、マントの裾を引くメルエに気付き、門に掛けられている金具を叩く。門の場所からして、以前訪れた際に見た老人の家の近くに門を作ったのだろう。人が移住して来ていない場所である為、門番をする人間もいないのかもしれない。

 

「……おお……よく…きた……」

 

 門の横にある通用口のような場所から出て来た老人は、カミュ達へ視線を上げ、その顔を綻ばせた。カミュ達を誘うように門の中へと入れた老人は、微笑んだまま、誇らしげに村の様相を見せ始める内部に手を翳す。だが、その内部はカミュ達の想像とは違い、未だ町とは程遠い物であった。

 

「……店……ひとつ…できた……」

 

 立ち止まったカミュ達へ誇らしげな笑みを向ける老人に、カミュ達は微妙な表情を返す事しか出来なかった。

 外から見れば、そこは村の様相を呈していた。しかし、一度中へ入れば、そこはまだまだ開発途中の場所。老人が喜んでいる物も、たった一軒の店。店を建てたとしても、そこに来る買い物客は見たところ一人もいない。店があっても起動していないのが現状なのである。

 

「店にはトルドがいるのか?」

 

「……トルド…いる……」

 

 訛りが酷く聞き取れない中、トルドの名前を確認したメルエの顔に久方ぶりの笑顔が浮かぶ。リーシャの手を引っ張るように歩き出したメルエに苦笑を浮かべながら、更地に『ぽつん』と佇む一軒の建物へと向かってカミュ達は歩き出した。

 

「お! いらっしゃい。メルエちゃんも元気そうだね」

 

「…………ん…………」

 

 小さな扉を開け、中に入った一行は、見かけよりもしっかりとした造りの店構えに少しの驚きを表す。未だに商品自体は少ないが、これから先を見据えているのだろう。商品を陳列するべき棚は、一級の店から見ても見劣りしない物であった。

 カウンターの奥で何やら作業をしていたトルドは、届かないカウンターの前で何度か飛び跳ねる茶色の髪を見て、ようやく店の中にカミュ達が入って来た事に気が付く。苦笑を浮かべるリーシャに抱き抱えられたメルエを見て、トルドの顔にも笑顔が浮かび、その笑顔を受けてメルエも微笑んだ。

 

「進行具合はどうだ?」

 

 口を開いたのは、メルエを抱いたリーシャ。経済や商売に疎いリーシャから見ても、順風満帆には見えない町の発展具合ではあるが、トルドの顔が悲観に暮れていない事を悟り、その問いかけを発したのだ。

 それを察したのか、トルドは軽く笑みを浮かべる。そこに自嘲的な物はなく、純粋に面白がっているようにも見えた。

 

「まずまずだな。この場所の特産は、今の所は木材しかないからな。それを売却する為の伝手を手繰っている最中なんだが……少し、人を集める方法も考える必要がありそうだ」

 

 辺境の村の出身であるトルドではあるが、彼の商才は疑う余地もない。彼ほどの『商人』であれば、それなりの結びつきはあるのだろう。だが、伝手を手繰ると言っても、この時代で船は滅多に通らない。また、カミュ達が<ルーラ>で辿り着く事が出来ない以上、この世界の『魔法使い』が辿り着ける訳もない。

 故に、その伝手を手繰る方法がないのも事実なのだ。

 

「その辺りは、ポルトガ国王にお願いして来ました。ここからポルトガの距離は二日程です。海が荒れさえしなければ、強力な魔物も出ませんし、航路も比較的安全です」

 

「本当かい!? それは、助かる。ありがとう」

 

 カミュ達が一度ポルトガへ立ち寄った理由の一つがこれであった。トルドの許へ向かう事を決めた時に、サラがカミュへと相談を持ち掛けていたのだ。

 村や町は、所詮は『人』の集合体。『人』がいない事には何も出来ないのが事実である。故に、航路の比較的な安全性とこの場所へ来る事の利益を伝える為に、献上品を携えてポルトガ王へと謁見したのだった。

 ポルトガ王は、サラの進言を快く受け入れた。カミュ達の旅立ちの後、世界平和の希望を持ったポルトガの商人達は、挙って自身の商船を造船し始めていたのだ。

 今までは只々怯えるばかりであった海が、希望に満ちた光を放ち始める。魔物という脅威に対し、なにも出来ずに震えていた者達が、希望という光を受けて前を向き始めていたのだった。

 航路が比較的安全とはいえ、それはカミュ達だからこそという部分も多々ある。しかし、『魔王』登場後、数十年の間止まってしまった時は、文化の衰退と共に、物流の衰退も加速させていた。造船に使う為の木材もポルトガ国内だけで産出し続ければ、木材の価格も跳ね上がる。更に言えば、閉じられていたロマリア大陸へと続く扉が開かれた今は、移住者達が家屋を建てる為にも木材の需要自体が跳ね上がっていたのだ。

 そのような商売の種を見落とす『商人』ならば、既に『商人』としての職を投げ捨てているだろう。そして、その『商人』達の心を後押しするだけの活気が、今のポルトガには存在していた。

 

「商売の方は、色々とやって行くとして……人を集め、滞在して貰い、最終的には移住して貰う為には何かが必要だな……」

 

 サラへ感謝を示した後、トルドは再び考え込む。『商人』が来訪するのであれば、トルドなりの商売の仕方があるのだろう。

 だが、商売は商売。結局、『人』が暮らす場所になる訳ではない。トルドの最終目標は『町』なのだ。故に、『人』が集まり、ここで暮らしたいと感じる場所を作らなければならない。木材の売買は、所詮は商売。胴元はあくまでトルドであり、他の『商人』達は二次的な儲けを得る事しか出来ないのだ。

 ならば、この場所で利益を上げる事の出来る物を作り出さなければならないという事になる。

 

「まぁ、それは追々考えるとしよう。それよりも、旅は順調なのか?……以前に話していた<オーブ>という物は手に入ったのか?」

 

 思考を一旦中断し、カミュ達へと視線を移したトルドは、以前にサラが口にした物について問いかける。それに答えたのは、リーシャの腕の中にいたメルエだった。

 肩に掛かったポシェットの中から掌に収まる程の小さな珠を取り出し、誇らしげにトルドへと突き出す。目の前に突き付けられた、不思議な紫色の珠を受け取ったトルドは、それをまじまじと眺め、視線をカミュへと向けた。

 

「これが<オーブ>というものか?」

 

「……ああ……そうらしい」

 

 何とも曖昧な返答を受け、トルドは困ったような表情を作る。実際、<オーブ>ではないかと思われる物であって、<オーブ>だとは誰にも断言は出来ないのだ。

 カミュの言葉にある程度の内容を察したトルドは、もう一度<オーブ>を見つめた後、それをメルエへと返す。受け取ったメルエはそれを大事そうに再びポシェットへと仕舞い込んだ。

 

「それで、今度は何処へ向かうつもりなんだ?」

 

「エジンベアだ」

 

 話題を変えたトルドへ即座に答えたのはリーシャ。しかし、その国名を聞いたトルドは、船員達と同様に眉を顰める。その変化を見逃さなかったサラは、誰にも問いかける事が出来なかった疑問をトルドへと投げかける事にした。

 

「エジンベアとはどういう国なのですか?……誇り高い国とは聞いていますが、トルドさんは行かれた事があるのですか?」

 

 リーシャやカミュも同様の疑問を持っていたのだろう。彼等の瞳もトルドへと移った。皆の視線が集まり、少し身体を固くしたトルドだが、溜息を一つ吐き出し、嫌な事でも思い出すように口を開き始めた。

 既にメルエは会話に興味を失くし、出来上がったばかりの店舗の様子を『とてとて』と歩きながら眺めている。

 

「あの国に行ったのは、もう二十年以上前だな。まだ俺も一人身で、『商人』として駆け出しの頃で、商売の為だったら命の危険も厭わないと勘違いしていた頃だ」

 

「その頃は船も出ていたのですか?」

 

 二十年以上前となれば、このパーティーの誰もが生まれてはいない時代。いや、もしかすると一人だけは、この世に生を受けていたかもしれない。だが、『魔王』の脅威が日増しに増していた時とはいえ、今現在のように、明日にでも世界が滅びてしまうかもしれないという危機感があった訳ではない。徐々に押し込まれる『人』の世界の中で、それでももがき、前へ進もうとする者は存在していたのだ。

 それこそが『人』の強さであり、ここまで繁栄を続けて来た理由であった。

 

「まぁ、数は少なく、一年に一度ぐらいの物だったがな。それでも、新たな希望を持って乗り込んだ船は、ポルトガで色々な物を詰め込んだ後、資金を持っている裕福な貴族の多いエジンベアへ向かったんだ」

 

 思い出すように目を閉じたトルドの雰囲気を見て、リーシャとカミュは眉を顰める。それ程にトルドの雰囲気は良い物ではなかったのだ。

 国家という物に良い感情を持ち合わせてはいないカミュであっても、ここまであからさまな態度を出す事はない。それが、その名を聞く者全てが良い感情を抱いていないとなれば、今まで見て来た国の中でも飛び抜けている程の国家という事になる。

 

「正直、どんな国なのか俺にも解らない」

 

「ふぇ!?」

 

 しかし、身構えていたカミュ達へ向けて告げられたトルドの言葉は、想像とは違い、気の抜けてしまうような物だった。サラは素っ頓狂な声を上げ、リーシャは目を丸くする。その様子が面白かったのか、メルエは二人を笑顔で見上げていた。

 だが、これ程の悪感情を抱くにはそれなりの理由がある筈であり、その謎が解けない以上、カミュが納得する事もない。カミュは、もう一度問いかけるようにトルドへと視線を向け、先を促した。

 

「結果から言えば、俺はあの国の城内どころか、城下町にすら入る事は出来なかった。所謂、門前払いというやつだな。運んで来た品々は、城下町の外でやり取りされ、その場で納得の行かない金額を渡された後、追い払われるように海へ出されたよ」

 

「なんだそれは!?」

 

 心底意味が解らないといった表情を浮かべるリーシャであったが、それはサラも同様であった。城内に入れないというのは、一介の『商人』では当たり前のことだろう。しかし、貿易に来た『商人』を町の中にも入れず、まともな取引にすら応じない。それでは、完全に『商人』を敵に回す事になる。

 それだけの国力と、対外的な強みがなければ成り立たない程の行為なのである。

 

「傲慢だよ。自国に誇りを持つ事は良い事だ。だが、誇りを持つ事と、他国を見下す事は違う。他国を尊重し、健全な関係を築きながらも自国の誇りを護り、対等な関係を保つのが外交だと思うのだが……あの国はそれが出来ない。国王や側近だけではなく、その意識が町を歩く国民にまで浸透しているのだからな……」

 

「……無駄に誇りだけは高い国……ですか」

 

 トルドの言葉を聞いたサラは、ポルトガにて国王が語った内容を口にした。あの言葉はカミュ達を更なる謎で包んだ。その答えが一介の『商人』から出て来た事自体驚きなのだが、その内容自体にも驚きを表していた。

 リーシャのような宮廷騎士であっても、町の発展に『商人』が必要である事ぐらいは知っている。だからこそ、この場所にトルドがいるのであって、その『商人』を蔑にすれば、発展が望めないばかりか、国家自体が衰退する可能性すらあるのだ。

 

「あの国に行くという事は、それなりの理由があるのだろうが、気を付けてな。特に、アンタは髪の色からして他国の人間である事が解るだけに、アンタ方の望みが叶うかどうかは賭けに近い」

 

「……わかった……」

 

 トルドの言葉にカミュは一つ頷き、先へ続く困難な道を思い浮かべる。トルドとの再会は一先ず終了を迎えた。『必ずまた来る』と約束を交わすメルエに溜息を吐き出しながらも、カミュもまたトルドへ視線を送る。この場所は、何処へ向かう時もカミュ達の中継地点になるのかもしれない。

 

 勇者一行が訪れる町。

 それは、『人』を集めるには絶好の謳い文句なのかもしれない。

 しかし、トルドはそれをしないだろう。

 彼が目指す町の未来に、カミュ達はいないのだから。

 

 

 

 通用口から出たカミュ達は、再び船が留まっている浜辺へと向かって歩き出す。トルドに会えた事で、メルエの機嫌も上向きに変化し、サラの手を握りながら鼻歌を口ずさんでいた。

 そんな一行の歩みは、やはり不躾な来訪者によって止められる事となる。先頭を歩くカミュが背中の剣に手を掛けたのだ。

 

「クエ―――――」

 

 カミュ達の行く先を塞ぐように飛び出て来た魔物は、鳥の足と鳥の頭を持つ魔物。正確に言えば、足と頭しかないと言っても過言ではない。ガルナの塔で遭遇した事のある魔物に酷似しているその魔物は、カミュ達に向かって大きな叫び声を上げる。メルエを後ろに下がらせたサラは、斧を手にしたリーシャへ視線を向け、頷きを返した。

 

「カミュ、一体を頼む!」

 

「ああ」

 

 声を掛け来たリーシャの想いを理解したカミュは、大きく頷きを返す。サラの想いも同じ。『未だに魔法力を制御しきれていないメルエに魔法を唱えさせない』という想い。それは、メルエを信じていない訳ではなく、メルエを案じている物。

 この三人は何よりもメルエの心を大切にする。三人の内の誰かを傷つけ、死に至らしめれば、必ずメルエの心は崩壊してしまうだろう。それが解っているからこそ、メルエが真の『魔法使い』となるまでは、彼等三人が動くのだ。

 

「クエ―――――」

 

 だが、リーシャの振るった斧を素早い動きで避け、魔物は鋭い嘴を女性戦士の喉元へと向ける。必殺の間合いで振り抜いた斧を避けられたリーシャは、その嘴への反応が一歩遅れてしまった。

 魔物の嘴は鋭く、喉元に突き刺されば、待っているのは確実なる『死』のみである。せめて致命傷だけは避けようと身を捩るリーシャの視界に一つの影が通り過ぎた。

 

「……呆け過ぎだ……」

 

「ぐっ……すまない」

 

 乾いた音を立て、嘴を弾いたのはカミュの持つ<鉄の盾>。<ヤマタノオロチ>との戦闘の中で何度も<燃え盛る火炎>を受けて、盾としての役割を充分に全う出来なくなっていた代物ではあるが、魔物の嘴を弾くだけの能力はまだ備えていた。

 

「一体ずつ片づける方が良いのかもしれないな」

 

 態勢を立て直したリーシャは斧を構え直し、目の前で嘴を向ける魔物を凝視した。カミュと二手に分けれて殲滅しようと考えてはいたが、ランシール大陸で遭遇した魔物達とは力量が違うようである。素早い動きは勿論、得体も知れない何かを予想させる動きがリーシャを慎重にしてしまったのだ。それがカミュ達の悪手だったのかもしれない。

 

「クケェ―――――」

 

 先程とは異なる鳴き声を魔物が発した際、それが魔物の詠唱である事をカミュとリーシャは悟った。だが、それは既に遅すぎたのだ。

 一歩前に出ていたリーシャの周囲を覆うように集まり始めた風は、その鋭さを増し、真空状態となってリーシャへと襲いかかる。状況を察したリーシャは頭を護る為に盾を掲げるが、その周囲を覆い尽くした真空の刃は、鎧から出ているリーシャの肌を問答無用で切り刻んで行った。

 

「バギですか!?」

 

 リーシャが受けた魔法の正体を理解したサラが驚きの声を上げる。<バギ>とは教会が管理する『経典』の中に記載されている、『僧侶』唯一の攻撃魔法。<ドルイド>等の異教徒の成れの果てと云われている存在が行使するのであれば、釈然としないまでも納得は出来る。だが、目の前で行使した者の姿は明らかに魔物なのだ。

 それにサラは一瞬戸惑いを見せる。魔物が『経典』の魔法を行使する姿は、何度見ても慣れる事はない。『賢者』となり、目指す物が変わったと言えども、サラはやはり『僧侶』であった者なのだ。

 

<アカイライ> 

ガルナの塔などに生息する<大くちばし>の上位種とされている魔物である。<大くちばし>同様に動きが素早く、『人』が一度攻撃する間に二度の攻撃が可能な程。目で追う事は出来るが、通常の『人』では反応が難しいという程の動きなのだ。しかも、『経典』に記載されている<バギ>という集団魔法を行使する強力な魔物の一つである。

 

「ホイミ」

 

「すまない」

 

 真空の刃を何とか凌ぎ切ったリーシャに駆け寄ったカミュは、その身体に手を向けて回復呪文の詠唱を開始する。淡い緑色の光を受け、リーシャの身体に刻まれた切り傷が修復して行った。

 不意をつかれた形となり、真空の刃の中心に入ってしまったリーシャは、盾だけではその刃を防ぐ事が出来なかったのだ。

 

「マホトーンを行使します!」

 

 再び剣と斧を構えた二人の後方から補助魔法の使い手の声が轟く。その声と共に手を掲げ、<アカイライ>へ向かって詠唱を開始した。サラの手から発せられた魔法力の渦は、<アカイライ>を包み込む。

 そのまま弾けた魔法力は、その効果を発揮したのかどうかを判別する事が出来ない。メルエのように自分の中にある魔法力の流れが狂った事を感じ取り、それを表情に出してくれれば、サラにも明確に魔法の効果を実感出来るだろう。しかし、それを魔物に期待する事自体が無謀と言わざるを得ない。

 カミュとリーシャは、サラの魔法力が消えた事を確認し、<アカイライ>へ向かって駆け出した。そのまま一体の目の前に潜り込んだリーシャが斧を全力で振り下ろす。それを辛うじて避けた<アカイライ>ではあったが、二本の脚を支える発達した筋肉の一部を削り取られ、その素早い機動力をもぎ取られた。

 素早さを奪われてしまえば、<アカイライ>などカミュ達の敵ではない。

 

「カミュ!」

 

「やぁ!」

 

 振り向きざまに名前を叫んだリーシャに応える事無く、カミュは<草薙剣>を振り下ろす。<アカイライ>の巨大な頭部に突き刺さった剣は、そのまま全身を真っ二つに切り裂いて行く。

 ジパングという国に伝わる神剣は、<鋼鉄の剣>や<鉄の斧>の切れ味とは比べ物にならない。まるで焼き斬られたような跡を残し、<アカイライ>の身体が左右に分断され、地面へと崩れて行った。

 

「クケェ―――――」

 

 一体の<アカイライ>を倒したカミュとリーシャは、もう一体の方へと身体を向け、今まさに駆け出そうとした時だった。

 先程聞いた奇妙な鳴き声を上げた<アカイライ>から風が巻き起こり、視認出来る程の刃となって二人に襲いかかる。咄嗟に盾を掲げる二人ではあったが、やはりその行動は遅かった。

 既に目前まで迫った真空の刃から顔面や頭部を護る事しか出来ず、装備している<魔法の鎧>を傷つけながら肌を切り刻んで行く。飛び散る赤い血液と皮膚や肉。それは、この一体に関してはサラの<マホトーン>の効力が及ばなかったという事実を示していた。

 

「ぐっ……」

 

「……突っ込む……」

 

 ようやく収まりを見せた真空の刃から盾を下げたリーシャが苦悶の表情を浮かべる横で、一言呟いたカミュは、盾を前面に押し出しながら一気に駆け出した。

 <アカイライ>との距離は、カミュであっても少しの時間が必要な程の物。それは、<アカイライ>が<バギ>という攻撃手段を行使するのに充分な間を有する程の距離でもある。

 駆け出したカミュを嘲笑うかのように<アカイライ>が嘴を上げた。カミュに続いて走り出していたリーシャも慌てたように盾を掲げる。

 

 掲げられる盾。

 巻き起こる風という名の刃。

 凍り付く時。

 

 その時、凍りついた時間という名の壁を突き破り、粉々に砕く声が響く。

 それは、世界で唯一の『賢者』となった者の声。

 そして、カミュやリーシャが予想もしなかった名を叫ぶ声。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………マホカンタ…………」

 

 いつの間にかサラの前に出ていたメルエが杖を前に向けて詠唱を完成させる。その魔法名はカミュやリーシャが聞き覚えのない物。

 瞬時に飛び出すメルエの魔法力。目の前の魔物が唱える魔法に対して身構えていていたカミュとリーシャには、後ろから迫り来るメルエの魔法力を避ける余裕などはなく、それをまともに受ける事となった。

 

「クケェ―――――」

 

 カミュ達がメルエの魔法力を受けたと同時に響く<アカイライ>の鳴き声。それは<バギ>の詠唱を示す合図。再び巻き起こる真空の刃。真っ直ぐにカミュ達へと向かって走る風の刃がカミュ達に迫った時、カミュとリーシャは不可思議な現象を目の当たりにする。

 

「なっ!?」

 

 余りの光景にリーシャは声を上げてしまう。目の前に迫って来た風の刃が、リーシャ達の肌に接近したその時、メルエが放った魔法力がリーシャとカミュを包み込み輝き出したのだ。

 光輝く壁のようにカミュとリーシャの前に展開されたメルエの魔法力は、<アカイライ>の唱えた<バギ>によって生み出された風の刃を弾き返す。それと同時に、カミュ達へ襲いかかって来ていた風自体が、まるで主を変えたように詠唱主である<アカイライ>目掛けて走り出したのだ。

 

「クキャ―――――――!!」

 

 予想だにしない反撃を受けた<アカイライ>は、自分の許へと舞い戻って来た風の刃を受け、その身体を切り刻まれる。無数の刃は、<アカイライ>の頭部や瞳を傷つけ、肉や羽を辺りに撒き散らした。

 飛び散る体液の量はそれ程ではないが、瞳や脚などを傷つけられた<アカイライ>には、もはやカミュ達へ抵抗する力は残っていない。

 

「いやぁぁぁぁ!」

 

 状況を瞬時に把握したリーシャは、斧を掲げて駆け出し、そのまま<アカイライ>目掛けて振り下ろした。

 もはや視界も機動力も失った<アカイライ>にそれを避ける術はない。側頭部に斬り込まれた斧は、両断する事は出来ずとも、<アカイライ>の命の灯火を吹き消す威力は充分にあった。斧を抜き去ったリーシャの力に反比例するように、大きな<アカイライ>の身体は崩れ落ちて行く。

 

「…………メルエ………できた…………?」

 

「ええ! やはりメルエは凄いですね。私はまだあの魔法を契約出来ていませんから、メルエにしか出来ない事ですよ!」

 

 魔物を討伐し終えたカミュ達が戻って来ると、手に持つ<魔道士の杖>を胸に抱いたメルエが不安そうにサラを見上げている最中であった。

 そんなメルエに満面の笑みを向けて、手放しで褒めるサラ。サラの言葉を聞く限りでは、先程メルエが行使した魔法は、『悟りの書』に記載されている魔法の一つなのだろう。しかも、サラがまだ契約出来ていないという事であれば、高位の魔法であるという事になる。

 

「サラ、先程の魔法は何なんだ?」

 

 自分が経験した摩訶不思議な現象をリーシャは問いかける事しか出来ない。カミュ自身も初めて見る魔法に関し、リーシャと同様の疑問を持っていたのだろう。

 『悟りの書』に記載されている物は、基本的にこの世に広まっていない魔法である事は理解している。先程の魔法が火炎系や氷結系の上位魔法であれば、カミュやリーシャもこれ程の疑問は感じなかったに違いない。だが、先程の魔法は、メルエが放った魔法力が他者の魔法を弾き返したように見えたのだ。

 

「あれは、<マホカンタ>と云われる魔法だそうです。術者の魔法力によって光の壁を作り、その光の壁が魔法を反射するという物です」

 

「そ、それは凄いな」

 

 サラの答えを聞いたリーシャは目を剥いて驚きを表す。魔法自体を反射してしまう程の魔法。それは、使い所さえ間違う事がなければ、最強の魔法と言っても過言ではない。魔法の知識を持っていないリーシャでさえもその恐ろしさを理解出来る程の物だった。

 しかし、純粋に驚きを示すリーシャとは違い、カミュとサラの表情は優れない。不安に感じたメルエが杖を握りしめてサラを見上げていた。

 

「ただ、この魔法は効力が続く限り、どんな魔法でも反射してしまうのです。魔法に対しての選別はなく、回復魔法や補助魔法なども全て弾き返すため、迂闊な行使は出来ません。それに……」

 

 説明を続けるサラの言葉が途切れた。何かを危惧するように閉じられた口は、言うべきなのかを悩んでいるようにも受け取れる。

 ここまでの話を聞く限りでは、その効力も長くは続かないようであり、それ程に危惧する場所がリーシャには理解出来ない。助けを求めるようにリーシャが視線を向けた先には、同じように何かを考えるカミュの姿があり、その口が静かに開かれた。

 

「魔物が行使した場合の事か……確かに、魔物が反射の壁を展開した時は、全滅の危機に陥るかもしれない。だが、それ程危惧する必要はないだろう」

 

「で、ですが……『悟りの書』の魔法とはいえ、魔法は魔法。魔物が行使出来ないという根拠にはなりません」

 

 そこまで聞いたリーシャは、視線を自分の足下に落とした。そこには自信なさげに杖を抱き締める小さな『魔法使い』。カミュとサラが危惧しているのは、この少女の身の安全なのだ。

 魔法を反射するという魔法は確かに最強に近いだろう。だが、逆を言えば、どんな魔法も跳ね返す光の壁は、『魔法使い』にとっても最大の脅威と成り得るのだ。

 しかも、反射する方向は、その魔法を唱えた術者。つまりこのパーティー唯一の『魔法使い』であり、世界最高の魔法力を誇る『魔法使い』でもあるメルエなのだ。

 メルエの魔法の威力は、その余波でさえ命を奪いかねない程の物である。それが術者であるメルエに跳ね返って来たとすれば、幼いメルエなど瞬時に命を散らしてしまう可能性さえあった。

 

「大丈夫だ、サラ。メルエの傍には必ず私達がいる。もし、魔物が反射する壁を作っても、私が盾になれば良い。後でサラに回復して貰えば済む筈だ。それに、対処方法もサラがいずれ見つけてくれるのだろう?」

 

「そ、それは……」

 

 そんな中、やはり折れない者がいる。『何を心配する必要がある?』とでも言いたげにメルエの頭を撫でている女性騎士。メルエという妹のような存在を護る為ならば、身を呈する事も厭わない彼女は、当然の事のように言い放ち、更にはとんでもない要求を突き付けて来る。

 それに口籠ったのはサラ。

 対処方法など有る訳がない。跳ね返された魔法を相殺する術があろう筈がない。それがメルエのような才能の塊から発生した魔法であるならば尚更である。

 

「まぁ、何にせよ、良くやったメルエ! 私達を護ってくれてありがとう!」

 

「…………ん…………」

 

 ようやく向けられたリーシャの笑みに、メルエの顔が綻んで行く。不安そうに下げられた眉が上がり、嬉しそうに微笑んだ後、大きな頷きを返した。

 カミュやサラの不安を理解出来ない訳ではない。だが、リーシャにとってそれは大きな問題ではないのだ。実際、難しく考えているカミュやサラも同じ筈なのである。だが、彼等は未知なる力を認識し、その想いを別の事へと摩り替えてしまっているだけ。

 

 リーシャの『想い』。

 『メルエを護る剣であり、盾でありたい』。

 それは、口にした時から一度もぶれる事はなかった。

 今もその『想い』に変わりはない。

 ならば、これから先もその『想い』を貫くだけなのだ。

 

「行こう。陽が暮れてしまうぞ」

 

 微笑むメルエの手を引いたリーシャは、カミュを促し、歩き出す。カミュは一つ苦笑を浮かべ、その後を追って歩き始めた。残されたサラの脳裏に、先程感じた不安はこびり付いて離れない。

 世界で唯一の『賢者』となった彼女から見て、『悟りの書』に記載されている魔法の異質性は飛び抜けた物であった。カミュが唱える<ライデイン>のように世界を制する事の出来る程の物はまだ見えない。だが、この先、サラやメルエの成長と共に読む事が出来るようになった『悟りの書』のページに記載されている魔法が、強大な力を有している可能性を否定する事が出来ないのだ。

 『悟りの書』は<マホカンタ>について、『魔法の種類、威力、属性を問わず、全ての魔法を反射する光の壁を造り出す魔法』と記していた。どんな魔法も反射する光の壁を造り出す魔法力。そんな物を有している『人』は、メルエ以外は存在しないだろう。

 何れはサラも契約が可能となるかもしれない。だが、それが何時になるかという事は、サラにも解らないのだ。そして、『人』として行使出来る者がメルエ以外に存在しないとなれば、『人』が造り出した魔法である可能性の方が低くなる。

 古の『賢者』が編み出した魔法を伝え続ける為に残された物が『悟りの書』だとサラは考えていた。だが、最近は、その考えが正しいのかどうかが分からなくなって来ている。魔物が『経典』の魔法を行使出来る以上、魔法自体を『人』が編み出したとは考えていない。『エルフ』の女王からは、魔法を『人』に教えたのは『エルフ』だというような事を聞いていた。ならば、この『悟りの書』に記載されている魔法も、元を辿れば、『人』ではない者へと繋がるのではないかと考えたのだ。

 つまりは、魔物。

 魔物が『経典』の魔法を行使する事は、違和感はあれど、疑問に思う事はなくなった。故にこそ、全ての魔法の元は魔物に戻るのではないかという考えがサラを縛り付けているのだ。

 だからこそ、サラは恐怖する。『人』よりも強い魔法力を持つ魔物が、『悟りの書』に記載されている魔法を行使した時の危険を。

 

「ふぇ!? あっ、ま、待って下さいよ!」

 

 思考の渦に落ちてしまっていたサラは、完全に置いて行かれてしまっていた。もはや小さくなりつつあるカミュ達の背を追いかけるように駆け出したサラの横を、一陣の風が通り過ぎて行く。

 

 『人』の世界に根付いた一つの神秘。

 それを解明した者は誰もいない。

 解明しようと考えた者さえいない。

 神と魔が持ち得る神秘の力。

 それは、『人』の世を救う術となるのか。

 それとも、滅ぼす為の術となるのか。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し長くなってしまいました。
次話は必ずエジンベアです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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