新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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エジンベア大陸①

 

 

 

 一行を乗せた船は、名も無き大陸を離れた後にポルトガ大陸へ戻り、そのまま北上する。ポルトガの大陸を抜けた一行の船からは、巨大なロマリア大陸が見えて来た。既に名も無き大陸を出てから一週間が過ぎている。船酔いが軽くなり始めているサラは、甲板に出て太陽の光を浴びる機会が増えて来ていた。

 

「あれは<シャンパーニの塔>か?」

 

「地理上では、そうなりますね……」

 

 大陸沿いに北上を続ける船の上から塔が見えて来る。周囲に森などもない場所である為に、高く聳え立つ塔は、異様な威圧感を放っていた。

 今の天候は晴れ。塔がはっきりと見え、その異様さが際立っているのだ。あれが<シャンパーニの塔>だとすれば、あの塔を登ったのは、もう二年近く前の事となる。

 

「そうか……私達も長い旅をしているのだな……」

 

 塔を見つめながら呟いたリーシャの言葉は、とても重い意味を持っているようにサラは感じていた。アリアハンという辺境国を出てから二年。世界から見れば、小さな小さな島国。他国との関係も断ち、文化も他国から遅れている。そんな弱小の国を飛び出し、彼等が歩んできた道は、決して平坦な道ではなかった。

 常に命の危機と隣り合わせの旅。

 相容れない価値観の衝突を繰り返す旅。

 自身の根底を揺らされ、自分を見失う旅。

 見失った自分を探し出し、見つめ直す旅。

 長く険しい道を歩み続けて来た彼らならではの感傷。それは、彼等四人の成長を示しており、アリアハンを出たばかりの頃の彼等では感じる事さえあり得なかった物であろう。だからこそ、サラの瞳に映る塔は輝いている。過去というには余りにも短い時間ではあるが、彼女にとってこの二年は、生まれてからの十数年間よりも濃い物だったのだ。

 共に歩む者達を『仲間』とは認めない『勇者』。

 頭に血が昇りやすく、『勇者』を『勇者』として認めない『戦士』。

 教えに縛られ、それ以外の価値観を認めない『僧侶』。

 絶対に相容れない者達三人が歩み始めた旅は、楔となる幼い少女の加入を機に大きく変化した。そして、今、サラは胸を張って言う事が出来る。『カミュやリーシャ、そしてメルエは自分と共に歩む仲間である』と。

 いや、それは家族に近い物なのかもしれない。リーシャは絶対に自分達を見捨てないと断言できる。メルエも必ず自分達と共に歩むと断言できる。カミュは自分達三人を『仲間』として認めてくれていると、今は信じる事が出来る。

 徐々に視界の右側へと移動して行く塔は、サラにそんな考えを運んでくれた。彼女が歩んできた道は、決して無駄な道ではない。一歩歩む毎に、一つ絆を深めて行った。一歩歩む毎に、また一つ自分を見つけて来た。

 『魔王バラモス』までの道程のどの辺りまで歩んで来たのかは解らない。それでも、確実に近付いている事だけは信じる事が出来る。それを認める事が出来るのもまた、サラの成長なのかもしれない。

 

 

 

 北上を続ける船は<シャンパーニの塔>を超え、更に一週間以上の航海を続けた。その間、雨が降る事はあったが、海が荒れる事はなく、強力な魔物と遭遇する事もなかった。船は順調に進路を進み、陽が昇る時刻には前方に大陸の影が見えて来る。

 世界地図上で北西の端に位置する場所にある小さな大陸。その大きさは、カミュ、リーシャ、サラの三人の出生国であるアリアハンよりも小さい。だが、世界有数の国力と軍事力を誇り、その発言力や影響力はかなり大きい国として知られていた。

 

「エジンベアの公式港へは着港出来ないかもしれない」

 

「えっ!?」

 

 前を見ているカミュの横で口を開いた頭目の言葉にサラは驚きを表す。それもその筈。ランシールのような国の形態を取っていない場所であれば、国家が統治する港がなくとも不思議ではない。港とは国家にとっての収入源の一つである。それと共に海からの入出国を管理する場所でもあるのだ。

 アリアハンという片田舎の小国でさえ、旅の扉を封じる前には多数の貿易船が来訪していた。それを城下町近くにある公式の港で管理し、その収入も掌握している。

 つまり、港を国家が掌握するのは、その港へ運ばれる物の売買を管理し正確な税収を徴収する目的と、自国の安全を守る為に入国物や入国者を管理する目的があ筈なのだ。だが、エジンベアはそうではないと言う。公式の港に着港出来ないという事は、離れた場所に錨を下ろし、不法な形で入国しなければならない。そうなれば、城はおろか城下町にすら入る事は出来ないという事にもなるのだ。

 

「基本的にあの国は他国の船を着港させない。行ってはみるが、あまり期待しない方が良いだろうな」

 

「……わかった……」

 

 サラの表情を傍目に見た頭目は、視線をカミュへ向ける。その視線と言葉を受け取ったカミュが一つ頷いた事により、船の進路は決まった。

 表情が変わった三人を見上げるメルエの眉が不安そうに下がる。最近のメルエは、カミュ達の醸し出す空気に敏感になっている。それに気付いたリーシャがメルエの頭に手を置き、優しい笑顔を向けた。

 

「メルエが心配する必要はないぞ。難しい事は、カミュとサラに任せておけば良い」

 

「…………ん…………」

 

「えっ!? た、たまにはリーシャさんも考えて下さいよ」

 

 他人に丸投げをするようなリーシャの発言に頷くメルエを見て、サラは抗議の声を上げる。難しい事はカミュとサラへという考え自体は間違った物ではない。メルエが考えたとしても答えが出る訳ではなく、結局はこのパーティーの代表者であるカミュが折衝する事になるのだ。

 故に、リーシャの気持も解らない訳ではないが、何時でもサラやカミュへ難題を放り投げるリーシャに恨み事を呟いてしまった。

 

「とりあえずは上陸してからだ。港に入れないのならば、その時に考える」

 

 和やかなやり取りは、予想以上に厳しいカミュの呟きに終わりを告げる。冷静なカミュの判断に頷きを返した頭目は、エジンベアの公式港へ向かうように船員達に指示を出す。指示を受けた船員達は大きな声を上げた後、それぞれの仕事へと戻って行った。

 海風は心地よい程に帆に力を与え、船は徐々に大陸へと近付いて行く。

 

 

 

「田舎者の船は着港出来ぬ! 取引証を提示できないのであれば、即刻退去せよ!」

 

 結果から言えば、港を監視する役人の言葉は上陸拒否であった。船を港に寄せると同時に取り囲むように湧いて来た役人達は、船の頭目へ貿易許可証と、商人との取引証明書の提示を求めて来たのだ。

 当然の事ではあるが、カミュ達はそのような物を所有してはいない。ポルトガ国王からの書状は持っているが、港の役人にそれを見せた所で何の価値もないかもしれない。それでもそれを見せる事ぐらいしかカミュ達に方法はなかった。

 

「他国の国王様方からの書状はございます。エジンベア国王への献上品も持参致しました。謁見のご許可を頂きたく、上陸をお許し願いたい」

 

 役人の高圧的な物言いに青筋を立てていた頭目を下がらせて前に出たのはカミュ。商売などの取引では『商人』に劣るカミュではあるが、国との折衝や役人への対応などは、この場にいる誰よりも上である。突然出て来た年若い青年に驚いた役人ではあったが、カミュの若さを理解し、嘲笑うような表情を作った。

 

「他国の紹介状?……お前のような若造がか? 馬鹿にするなよ、田舎者」

 

 何かにつけて『田舎者』と罵る役人に船員達は怒りの表情を浮かべている。対して、カミュ達四人は全く異なった表情をしていた。カミュは完全な無表情。そこに何の感情も窺う事は出来ない。メルエは眉を下げて不安そうにカミュを見上げ、怯えるようにリーシャの影に隠れてしまった。

 サラは、役人の態度は勿論、初対面の人間に対する高圧的な物言いに目を白黒させている。最も怒りを露にすると考えられていたリーシャですら、何か憐れむような表情で役人達を見ていた。

 

「こちらが、アリアハン国王からの書状です。そして、これがポルトガ国王からの書状。献上品はこちらに」

 

 馬鹿にしたような態度を示し、カミュ達を嘲笑っていた役人も、カミュが取り出す何通もの書状と、小袋に入っている中身を見て、その顔色を変化させずにはいられなかった。

 エジンベアでは国民一人一人が、『自国が一番』という感情を有している。知識も資産も、資源も威厳も、エジンベアという国が最高の位置に立っていると自負しているのだ。故に、その精神は、下級の役人達にも脈々と受け継がれ、他国の人間達へ高圧的な態度を取る。

 しかし、他国と言えども王族となれば話は違う。エジンベアでも通説に漏れず、『ルビス教』が信仰されており、『王族とは精霊ルビスに認められし者』という教えを信じているのだ。故に、その王族の書状を持つ者となれば、下級の役人が無碍に追い払える者ではなくなる。上の人間に伺いを立てる必要性が出て来た。

 

「偽物ではないだろうな! お前のような若造が、何故このような書状を持っている!?」

 

 書状の封の部分に押された印と、表に浮かぶ国章は、間違いなくカミュの言う通りの国も物。それが本物であった場合、彼等のような下級の役人達が開封出来る訳がない。資源を他国に売却し資金を得ているエジンベアだからこそ、様々な国の国章を目にする機会も多く、彼等のような下級役人でさえ、その程度の知識を有しているという部分もある。

 

「それに関しては、国王様への謁見でお話し申し上げます」

 

「ぐっ……お前のような田舎者が国王様への返答が許されるとでも思っているのか!?」

 

 今まで、このような事態に遭遇した事はなかったのだろう。下級役人は、嫌味を意にも介さないカミュの態度に苛立ちを募らせていた。それは、言葉は丁寧であるが、『お前程度の役人に言う必要はない』という意味の言葉をカミュが発した事によって爆発する。突如激昂した役人の声に、周囲にいた人間達の視線が一気に集まった。

 

「私のような田舎者相手にそのように声を荒げれば、在らぬ噂が立ちます。ここは、お気を静められて……」

 

「く、くそ!……仕方ない、通れ! だが、船は着港させぬ。近辺の入り江にでも停泊しろ」

 

 カミュの言葉を聞いて、自分に視線が集まっている事を自覚した役人は、不承不承にカミュ達の通行の許可を出す。しかし、自分の沽券を護る為なのか、カミュ達の船が港に入る事までは許可を出さなかった。

 一つ溜息を吐き出したカミュは、後ろに立つ頭目へ視線を送り、それに頷いた頭目を確認した後、役人の横を通り過ぎる。成り行きを見守っていたリーシャ達三人もカミュの後を追い、港を出て行った。

 

 

 

 

「しかし、とんでもない態度だったな。皆の評価も納得できるという物だ」

 

 港を囲う門を出て、暫く平原を歩いていたが、ふと振り返ったリーシャは、先程の役人達の態度について感想を口にする。その呟きにも似た言葉を聞いたサラもまた、頷きを返し、同意を示した。

 先程の役人の態度が、エジンベア国民の総意だとするのならば、この国は他国民にとって不愉快極まりない国となるだろう。どれ程の資源と資金を有している国なのかは、アリアハンという片田舎の国が出生地であるリーシャやサラには解らないが、貿易相手にもあのような態度を取り続けている以上、その利用価値がなくなれば、見向きもされなくなるのは必然であろう。

 

「でも、よく怒りませんでしたね」

 

「ん?……私がか?……前々から聞きたかったのだが、サラは私をどういう風に見ているんだ?」

 

 印象の強かった先程の役人の事を思い出していたサラは、自分の口から吐いた素朴な疑問の危険性を考慮に入れる事を忘れていた。一瞬、誰の事を言っているのかが解らなかったリーシャであったが、視線の先にいるのが自分しかいない事を知り、サラに向けて素敵な笑顔を浮かべる。その笑顔を見たサラは、自分が発した明らかな失言に気付き、身を固くした。

 既に、メルエはリーシャの手を離し、カミュの許へと駆けて行ってしまっている。危険察知能力は、メルエの方がサラよりも数段上の物を持っているのだ。

 

「あっ、い、いえ……わ、私でさえも、あの役人の方の物言いには、苛立ちを覚えましたので……ア、アリアハン国家の騎士であるリーシャさんの方が、い、怒りを感じたのではないかと……」

 

 だが、サラもまたこの二年の旅で少なからず成長を遂げていた。その言い訳にも近い弁明は、もしカミュが傍で聞いていたとしても感心する程に納得が行く物であったのだ。

 その証拠に、先程まで嫌な汗を噴き出させる程の笑みを浮かべていたリーシャも、その笑みを消し、何かを考えるような思案顔へと変化させている。

 

「そうだな……確かに、以前の私であれば、あの役人ごと叩き斬ってやろうかと思う程に怒りを感じたかもしれないな」

 

 自分の感情を上手く説明出来ないかのように話すリーシャの姿を見たサラは、安堵の溜息を吐き出しかけた。ふと、前を見ると、メルエが来た事で振り返ったカミュが立ち止まっている。その事に気付いたリーシャは、再び歩き出した。それでも、考え続けるようなリーシャの仕草をサラは不思議そうに見つめながら後を続く。

 

「この旅を通じて、色々な国を見て来た事が原因かもしれない。何か喚いている役人を見ていると憐れに思えてな……」

 

「同属を憐れむか……」

 

 カミュ達に追い付いた後に、サラの疑問に答えたリーシャであったが、その殊勝な言葉は、一人の青年によって斬り捨てられる事となる。確かに頭に血を昇らせ、喚き散らすのはリーシャの得意技の一つ。

 だが、そこに侮蔑が込められているかどうかの大きな違いがあるからこそ、カミュがからかう理由なのだろう。

 

「なんだと! わ、私があの役人達と同類だとでも言うのか!?」

 

「……俺もアンタが憐れに思えて来たよ……」

 

「ぷっ!」

 

 カミュの言葉を聞いたリーシャは、瞬間的に頭に血を巡らせる。しかし、先程リーシャの口から出た言葉をそのまま返され、声を詰まらせてしまった。

 そんな二人の姿にサラは噴き出し、そのサラの様子を見てメルエも微笑む。この状況になってしまった以上、リーシャは声を荒げて怒鳴り散らす訳にはいかない。『ぐっ』と腹の下に力を入れ、怒りを噛み殺すリーシャを見上げたメルエは小首を傾げた。

 

「…………リーシャ………おこる…………?」

 

「怒らない!」

 

 出会ったばかりの頃のようなメルエの幼い質問に、リーシャは即答する。余りの声量に身体を跳ねさせたメルエは、サラの後ろに隠れるように『とてとて』と移動を始めた。

 エジンベアの役人への怒りなど何処へやら。『自分達は、そのような些細な事に構う余裕はないのかもしれない』。そんな事を、彼等は考えていたのだろう。この時までは。

 

 

 

 港からエジンベアの城下町までの距離は、カミュ達が想像しているよりも長く、日没までに辿り着く事が出来なかった。

 陽が陰り始めると、周囲の平原にも不穏な空気が満ちて来る。本来、港から城下町までは、馬車などで移動する事が大半であるし、陽が暮れてから入港する者は、港で一泊してから移動をするのだ。だが、カミュ達は徒歩。しかも、港を出たのは、陽も昇り切った頃だった。

 陽が沈めば、活発に活動する魔物も増えて来る。このエジンベアの大陸では、そのような魔物が蔓延っていた。以前、ムオルの村周辺で遭遇した事のある魔物。ポポタを襲い、カミュとメルエによって討伐された魔物が、このエジンベア周辺では多数生息していたのだ。昼間はどこか洞窟などに隠れているのか、それとも館でも構えているのかは解らないが、彼等は夜の闇に紛れて『人』を襲い、その血液を主食としている。

 

「やぁ!」

 

 飛び回るように襲いかかる魔物をリーシャが斬り捨てる。蝙蝠のような羽を持ったその魔物は、リーシャの斧での一撃を受け、地面へと落下した。

 <バーナバス>と呼ばれるその魔物は、夜の森で野営を行う準備を始めていたカミュ達に襲いかかって来たのだ。メルエを護るように立ったサラに向かって来た<バーナバス>の横合いからリーシャの斧が襲い、一体の<バーナバス>はその命を終わらせた。

 

「メルエ、右手にいる魔物へ<メラミ>を放てますか?」

 

「…………ん………メラミ…………」

 

 サラの問いかけに頷いたメルエは、杖を掲げ振り下ろす。メルエもサラが何故問いかけたのかを理解している。飛んでいる<バーナバス>の周辺は木で覆われた森。メルエの放つ<メラミ>の火球が大き過ぎれば、それは木々へと燃え移り、大惨事へと発展してしまうのだ。

 故にこそ、問いかけた。『メルエは調節して放てますよね?』と。

 振り下ろした杖の先から出た火球は、以前メルエが放った<メラミ>よりも大きさは小さい。しかし、その威力が以前より弱い訳ではない事を、<メラミ>の通り道にいたカミュは肌で感じていた。

 何故なら、カミュから距離のある場所を通過して行った筈の<メラミ>の熱気で、カミュの髪の数本が焦げて落ちているのだ。その大きさは小さくとも、魔法力の密度が濃くなっているのだろう。それがメルエの成長を如実に表しているのかもしれない。

 

「ギョエェェェ」

 

 広範囲に広がらない代わりに、高密度な高温を保つ火球を受けた<バーナバス>は堪らない。断末魔の叫びも一瞬。火球に呑み込まれた身体は一瞬の内に蒸発するように溶け、火球と共に消え失せた。

 その光景に唖然としたのは、カミュ達三人。メルエの魔法の才能を疑った事はなく、行使する魔法の威力も身を持って感じてはいた。だが、魔物を一瞬で溶かし、何もなかったかのように消し去る<メラミ>を見た時、指示を出したサラでさえ、声を失い、暗闇が戻った木々を見つめる事しか出来ない状況に陥っている。

 そして、それは何もカミュ達だけではない。カミュ達が魔物の存在も忘れ、<バーナバス>の一体が消え失せた場所を眺めている間に、真っ先に我に返った残りの<バーナバス>達は、我先にと暗闇が支配する森の中へと消えて行った。

 逃げ去った魔物にも注意を向けずに、静けさだけが広がる空間の中、メルエが自信なさげに眉を落とし、杖を胸に抱きながらサラを見上げている。

 

「…………メルエ………できた…………?」

 

「はっ!?」

 

 メルエの呟きによって、ようやく動き出した時間は、まずサラの行動を可能にさせた。リーシャも慌てたように後に続き、カミュは何事もなかったかのように野営の準備を始める。メルエに視線を合わせるようにしゃがみ込んだサラは、しっかりとメルエの瞳を見つめ、大きく頷きを返した。

 

「はい! メルエは凄いです! こんなに早く出来るなんて」

 

 魔法力の調節という点に於いては、メルエはまだサラの足元にも及ばないだろう。しかし、それを行う事をしっかりと意識し、呪文を詠唱している事だけは、この場にいる全員が理解している。そして、少なからず結果が出始めているのも事実なのだ。

 ただ、今の<メラミ>の威力は、通常の『魔法使い』には行使出来ない程の物であり、それを見た者がカミュ達以外の者であれば、その威力を恐れる物である事には変わりはない。それでも、サラはメルエの意識の変化を喜んだ。

 

「…………ん…………」

 

 サラが心から喜んでくれている事を理解したメルエは、笑みを浮かべて首を縦に振る。メルエは本当に少しずつではあるが成長していた。初めは自分の内に眠る才能だけで行使していた魔法も、媒体を通して使用する事を可能にするため、その魔法力の流れを理解している。言葉で言えば簡単な事ではあるが、魔法という神秘の存在自体を理解していなかったメルエにとって、それはサラやカミュの想像以上に困難な事であったろう。

 そして今、同じく才能という物だけで何も考えずに行使していた魔法の威力や範囲を己の意思通りに行使する方法を模索し、少しずつ結果を出し始めている。本来、通常の『魔法使い』であれば、生涯を賭けて手にする物を、メルエは僅か数年で手にしようとしているのだ。

 

「しかし、今のを見ると、船の上での鍛錬の時に行使したのが<ヒャド>で良かったと心から思うな」

 

「ひぐっ!?」

 

 しかし、サラとメルエの微笑ましいやり取りも、同じように笑顔で近付いて来たリーシャの何気ない呟きで終焉を迎える。船の上でサラの腕が凍った時、確かにカミュは『<メラミ>や<イオ>でなくて良かった』という言葉を残していた。

 その言葉が正しかった事は、もはや跡形も無く消え失せた<バーナバス>が如実に物語っている。あの時、メルエがサラの持つ木の枝に向けて<メラミ>を唱えていたら、サラは瞬時に溶け、この世から消え失せていただろう。リーシャの言葉を正確に理解したサラは奇妙な声を上げ、笑顔を引き攣らせた。その表情の変化に反応したのはメルエ。

 

「…………メルエ………だめ…………?」

 

「そ、そんな事はないぞ。私の言い方が悪かったな。あの時、メルエはこうなる事を考えて、サラに向けて<ヒャド>しか唱えなかったんだ。それはメルエがしっかりと考えている証拠だろう?」

 

 もしかすると、メルエはカミュの背中を<ベギラマ>で焼いてしまった時にサラから言われた言葉を気にしているのかもしれない。『魔法の威力の調節という物が出来なければ、メルエと旅する事は出来ない』という言葉を。

 故に、これ程までに怯える。それは子供特有の怯えなのかもしれない。大人の顔色を伺いながら、物事の善悪を理解し、行動する。そんな子供から一歩前へと進み出す機会を、メルエはこれまで与えられてはいなかったのだろう。

 しかし、リーシャの言葉は余りにも取ってつけた感が拭えない物だった。あの時の鍛錬では、サラが『凍らせてみろ』とメルエに指示を出したからこそ、メルエは<ヒャド>を唱えたのだ。

 もし、サラが『燃やしてみろ』という指示を出していたら、メルエは<メラ>か<メラミ>を詠唱していたかもしれない。ただ、『凍らせてみろ』という指示に対し、<ヒャダルコ>や<ヒャダイン>を行使しなかった事自体が、メルエの成長であると言われれば、それは正しい事であろう。

 

「そこまで考える必要はない。この先の旅で、メルエの魔法が必要なのは紛れもない事実だ。俺達は、メルエの魔法を頼みにしている」

 

「…………ん…………」

 

 薪を組み、火を熾し終えたカミュがメルエの頭を優しく撫でる。その手を気持ちよさそうに目を細めて受けるメルエの姿に、リーシャやサラの表情にも再び笑顔が戻った。カミュの言う事も一理ある。だが、それはサラが懸念した通りの道を歩む事を確定させる一言でもあった。

 カミュは何がどうあっても、メルエの味方なのだろう。例え、メルエが他人から恐れられようと、例え『人』の害と認識されようと。

 サラのように、メルエの身を案じてメルエの行動を縛る事がメルエにとって幸せなのか。それともカミュのように、メルエの自由を保証する代わりに、メルエの存在自体を孤立させてしまう可能性をも残す事が幸せにつながる事なのかは、今のところ誰にも解らない。だが、今はまだ、このメルエの笑顔があれば良いという事だけは、三人の共通認識なのかもしれない。

 

 

 

 

 夜が明け、メルエの起床を待ってから一行は再び北へと歩き出す。平原が広がる中、カミュが先頭を歩き、サラがメルエの手を引いて、最後尾をリーシャが歩く隊列は、ロマリア大陸の頃と変わりはない。サラと共に歩くメルエは鼻歌を口ずさみ、周囲に広がる景色を嬉しそうに眺めている。そんな二人を後方から微笑ましく見つめ、リーシャは前方に見え始めている城に目を細めていた。

 

「なんだ、田舎者。このエジンベアに何の用だ!?」

 

 城下町と平原を隔てる門の前に立つ一人の兵士が、カミュ達の姿を認めると大きな声で怒鳴りつけて来る。その声はとても初対面の者へ向けられる大きさでもなく、そして内容でもなかった。

 驚いたメルエは、リーシャの後ろに隠れてしまい、港で役人の姿を見ていた三人も改めてエジンベアの選民意識を目の当たりとする事となる。

 

「アリアハンから参りましたカミュと申します。エジンベア国王様への書状と献上品を持参しておりますので、国王様への謁見のご許可を頂きたく、お伺い致しました」

 

「はっ!? お前のような田舎者が国王様のご尊顔を拝せるとでも思っているのか?……馬鹿も休み休み言え。お取次ぎする必要も無い。帰れ、帰れ!」

 

 丁重に頭を下げ、懐から書状を取り出そうとしたカミュの行動を制するように、門番の兵士は口を開いた。その内容は、流石のカミュも顔を顰める程の物であり、サラは驚きに目を見開く。リーシャに至っては、怒りに血が上り始める始末。

 ここに来て、ようやくエジンベアに対する自分達の認識の甘さを三人は理解する事となった。

 

「ポルトガ国王様の書状もございます。こちらが……」

 

「しつこい! ポルトガなど、片田舎の国。そのような国の書状を我がエジンベア国王様がお目を通さなければならない謂れはない。お前達のような田舎者の若造などを相手にする時間も惜しい。早々に立ち去れ!」

 

 再度カミュの言葉を遮った門兵の態度は、とても他国の者へ取る態度ではない。それも、ポルトガという一国の王からの書状を侮辱するなど、一介の兵士が行って良い行為でもないのだ。故に、カミュ達は怒りと共に戸惑った。彼等の母国であるエジンベアという国の根本が解らなくなってしまう。

 

『この国は根底的な価値観が違うのでは?』

 

 そんな疑問がサラの頭に浮かんでは消えて行く。彼等エジンベア国民にとって、頂点にいるのはエジンベア国王であり、その存在は他国の王と同格ではないのだろう。そしてエジンベア国王の下にいるのは自分達であり、それが他国の王族達と同格と考えているのかもしれない。

 

「……ふぅ……話にならないな……」

 

 ここまで来て、カミュの口から出た言葉は、仮面を剥ぎ取った物だった。既にカミュの中ではこの門兵は会話するに値しない人間として括られたのだろう。一度大きく溜息を吐き出したカミュは、そのまま門兵に背を向け、来た道を戻り始めた。

 それを見て驚いたのはサラ。この国に何かがある以上、カミュは何としてでも中に入る為に交渉を続けるだろうと考えていたのだ。しかし、カミュは振り返る様子はない。カミュの背中を勝ち誇ったような顔で見つめる門兵を今にも殴り倒しそうなリーシャを抑え、サラもカミュの後ろを続く事しか出来なかった。

 

 

 

「何なんだ、あの兵士は!? たかだか門兵如きに、何故あのような態度をとられなければならない!?」

 

 少し離れた場所へ移動したリーシャは真っ先にカミュへと嚙付いた。流石に同じように国に仕える者として、あの門兵の態度は腹に据えかねていたのだろう。今にも爆発しそうな感情を抑え込んでいただけでも、彼女の成長が窺える。しかし、その剣幕はメルエを怯えさせるには充分な威力を持ち、メルエはカミュのマントの中へと逃げ込んでしまった。

 

「……ああいう類の人間を憐れむ事が出来る程になったのではなかったのか?」

 

「流石にあれは無理だ!? 憐れむという次元の問題ではない!」

 

 カミュの言葉に尚更激昂したリーシャは、唾を飛ばして怒鳴りつける。カミュを怒鳴りつけても何もならないのだが、リーシャの言う通り、あの門兵の態度は余りにも酷い。それを理解しているからこそ、カミュは溜息を一つ吐いただけで何も言わなかった。メルエは顔を見せず、サラは途方に暮れたようにカミュを見上げている。

 ランシールの<スライム>の言葉にあったエジンベアという国は、彼等の想像を遙かに超える国であり、城下町の中にさえ入る事が叶わない程の国だった。そしてそれは、『エジンベアという国に来る必要性がある』という漠然とした物以外に何もないカミュ達にとっては致命的な事。エジンベアに来る明確な目的が定まっていれば、門兵が何をしようと、その目的の為に動けば良いのだが、その目的さえも曖昧なままでは、カミュ達に選択肢など残されてはいないのだ。

 

「あれを何とかするのは無理だろうな。ならば、方法は一つしかないだろう」

 

「どうする?……気絶させるのか?」

 

「リ、リーシャさん……それでは、国家問題になってしまいますよ……」

 

 何か考えがありそうなカミュの言葉に対し、リーシャは恐ろしいまでに物騒な事を口にする。おそらく、あの門兵程度であれば、カミュとリーシャで昏倒させる事は可能であろう。だが、それが発覚した場合、カミュ達は『勇者一行』ではなく『暴漢一行』になってしまう事は間違いがない。

 

「…………リーシャ………だめ…………」

 

「うっ……な、ならば、どうするつもりだ!」

 

 カミュのマントから顔を出したメルエにまで諌められたリーシャは、言葉を詰まらせ、その怒りをカミュへと向ける。完全な八つ当たりを受けたカミュは、もう一度大きな溜息を吐き出し、腰に下げた一つの袋を手に取った。

 その袋は、ここにいる四人全員が知っている袋であり、不確定要素が詰まった物である。

 『消え去り草の粉』

 ランシールにいた<スライム>の口から出た摩訶不思議な内容。ランシールで販売している<消え去り草>と呼ばれる食料を乾燥させた物を身体に振りかければ、たちまち身体は透明となり、姿を隠してしまうという物であった。それは、まだ実証はされていない。袋に粉を入れたのみで、それを試した事も無いのだ。

 

「<消え去り草>を使ってみるのですか?……しかし、本当に姿が消えるかどうか……」

 

「それこそ、やってみなければわからない。方法が他にない以上、試してみるしかない」

 

 サラの疑問と恐れは当然の物であろう。未知なる物を試す時は、誰しも恐怖を感じる物であり、それが常識とかけ離れていればいる程、その恐怖の度合いは高くなって行く。姿を認識出来ぬ程の物となれば、それは神秘という次元ではない。まさしく神の所業と言っても過言ではないのだ。

 

「カ、カミュから試せよ。わ、私は嫌だからな」

 

「……まぁ、そう言うな……」

 

 一瞬、自分の方へと視線を向けたカミュを見て、リーシャは後ろへと後ずさる。先程までの剣幕は何処へやら、じりじりと後退するリーシャは、袋の中に入れたカミュの手が出て来るのを見て、その身体を硬化させてしまった。袋の中から取り出される筈の<消え去り草>の粉末。

 

「カ、カミュ様……そ、その……手は何処へ行ったのですか?」

 

 その粉末は袋の中へと入れたカミュの手と共に現れる筈だった。しかし、袋から取り出されたカミュの手は、手首より先が消え失せている。空中に浮かぶ粉末状の<消え去り草>。それを見たリーシャは驚きに口を開き、サラは理解の追い付かない頭を懸命に回転させていた。唯一人、メルエだけは消え失せたカミュの手首より先を見て、目を輝かせている。

 

「消える事は証明されたな……まずはアンタだ」

 

「ま、待て!」

 

 リーシャの抗議の声を聞く事無く、カミュは<消え去り草>の粉を頭からリーシャへと振り掛けて行く。泣きそうな表情のリーシャの姿が、粉を振りかけた場所を中心に徐々に消えて行く。<スライム>の話の内容が本物であれば、姿が消えたのではなく、只透明になってしまったという事なのだろうが、傍で見ていたサラには、リーシャという女性の存在自体がこの世から消えて行くように見えてしまった。

 楽しい事でも見るようなメルエは、『おぅ』と感嘆の声を上げ、何かを期待するようにカミュを見上げている。

 

「…………メルエも…………」

 

「ま、待て! わ、私はどうなったんだ? 私自体が私を見る事が出来ないぞ!? メルエを消す前に、私にメルエの手を握らせてくれ!」

 

 カミュを見上げ、『次は自分』と主張するメルエに頷きかけたカミュへ抗議の声が届く。しかし、何も無い場所から発せられる声は、先程まで楽しそうだったメルエであっても驚く程の威力を持っていた。

 『びくり』と身体を震わせ、声を方角に顔を向けたメルエは、少し首を傾げた後、その方角へ手を伸ばす。伸ばされた手を、親しみ慣れた暖かな手が掴んだのを感じたメルエは笑みを浮かべ、再びカミュへと視線を戻した。

 

「……行くぞ……」

 

「…………ん…………」

 

 メルエが頷いた事を確認したカミュは、メルエの頭から粉を落として行く。メルエの被る<とんがり帽子>から徐々に消えて行き、ちょこちょこと動いていた小さな足が消え失せるまでそう時間は掛らなかった。

 先程のリーシャと同じように、メルエへサラの手を握るように指示を出し、サラは見えない手に自分の手が握られる感触に驚き、不安げな表情をカミュへと向ける。だが、そのサラの表情を無視するように降りかかる粉末の雨は、サラの表情と共に姿までをもこの世界から消滅させた。

 

「……俺のマントを握れ……」

 

「は、はい」

 

 先程までサラが居た場所へ向けて発せられたカミュの声への返答は、カミュのすぐ横から発せられ、流石のカミュも若干ではあるが表情を変化させた。今までの経過から、行うべき事を理解していたサラは、見えているカミュのマントを握る為に既に行動を起こしていたのだ。

 瞬時に表情を戻したカミュは一つ溜息を吐いた後に、袋を腰へと戻し、その袋から一掴みの粉を取り出す。そのまま自分の頭から粉を掛けて行き、カミュの姿も完全に消え失せた。

 城下町に入っていないカミュ達の周辺に人の姿はない。誰かに見られていたとしたら、これは大きな問題へと発展していただろうが、エジンベアという異常な程に排他的な国であったからこそ、そのような問題へ発展する事はなかった。

 

「カミュ様、先程の門の脇に通用口のような小さな扉がありました。あの扉ならば、閂などは掛けられてはいないと思います」

 

「……わかった……」

 

 前を歩いている筈のカミュを認識できるのは、サラが握っているであろうマントの感触だけ。前方へと考えを伝え、それに答えが返って来た事に、サラは一つ安堵の溜息を吐き出した。

 カミュはカミュで、あの不愉快な門兵とのやり取りの間で、通用口にまで目を向けていたサラに感心しており、僅かに表情に出ていたのだが、それは誰にも見る事は出来ない。

 先程、門兵が立っていた場所が近付くにつれ、リーシャやサラが息を飲む音が響いた。息をする事も忘れてしまったかのように、物音一つ立てず、門兵の横をすり抜けて行く。カミュが抜け、サラが抜ける。サラの手を握っていたメルエが抜ける際に、門兵が姿勢を変える為に身体を動かした。

 息を飲み、動きを止める一行。声を押し殺し、物音を立てないように、完全に身体を固める。

 

「ふぁぁぁ」

 

 しかし、カミュ達の心配は杞憂に終わり、門兵はだらしなく欠伸を一つしただけであった。欠伸と共に上へと伸ばされた手が戻る際に、メルエの顔の横を掠めて行くが、触れる事はなく元の位置へと戻って行く。安堵の溜息を吐き出しそうになるのを堪え、サラはメルエの手を引いて再び歩き始め、メルエが無事に抜け、リーシャが抜けきった時、先頭のカミュは通用口らしき場所へと辿り着いていた。

 微かに軋む音を立てて、木で出来た通用口が開いて行く。幸い、眠そうに欠伸を繰り返す門兵には、聞こえてはいなかったようだ。

 後ろを振り返り、門兵の姿が変わらない事を確認したカミュ達は、通用口を潜り、本当の意味でエジンベアという国に入国する。最後のリーシャが潜り終わり、通用口の木の戸が静かにしまった後も、門兵は相変わらず欠伸を繰り返していた。

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

ようやくエジンベアです。
あの国の状態と、あのアイテムの不可思議具合が上手く伝えられたかどうか不安ではありますが、ようやくエジンベア編突入です。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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