新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ポルトガ領海【カミュ】

 

 

 

 船は順調にポルトガへと進む。天候は優れ、所々で雨が降る事はあっても、海が荒れる事はない。船員達の心の奥にある小さな不安とは裏腹に晴れた空は、カミュ達が渡る海をも青く染め上げていた。

 

「そろそろポルトガ領海に入る。ここまで来れば、もう一日二日でポルトガの港に着くさ。海も荒れてはいないし、魔物が出る事もないだろう。港に着くまで船室で休んでいてくれ」

 

 既に船がエジンベアの港を出てから数週間の時間が経過していた。その間で船が遭遇した魔物はかなりの数に上っており、リーシャ達三人がいない船での戦闘は、カミュが考えていたよりも困難を極めた。

 如何に元カンダタ一味の人間の戦闘能力が優れていたとしても、それは通常の『人』の枠内での話。カミュと共に旅を続けて来た三人のように『人外』という枠の物ではない。

 カミュとの連携など取れる訳も無く、軽傷、重傷を問わず、船員の中に怪我人が続出していた。擦り傷、切り傷などの軽傷は、<薬草>などで治療が可能であるが、深い切り傷や重傷と見られる者には、カミュが回復呪文を唱える以外に治療の方法がない。その数は、一度の戦闘で十数人に及び、その度に回復呪文を行使していたカミュの顔には、明らかな疲労が見え隠れしていた。

 基本的に、カミュの魔法力は底が浅い。

 『魔法使い』であるメルエと比べる物でもない事は当然の事ながら、メルエの足下に及ばない筈のサラにさえ届かない。

 そのような人間が最下級の呪文とはいえ、回復呪文を立て続けに行使した場合どうなるか。

 簡単な事である。

 『魔法力切れ』を起こすのだ。

 つまり、休みも取らずに船上にて魔物と戦い、傷ついた船員達を治療し続けた現在のカミュは、『魔法力切れ』に限りなく近い状態であるという事になる。

 

「……わかった……」

 

 それを一番理解しているのは、カミュ本人であろう。

 一対一であるならば、何も問題はなかった。単体でカミュを凌駕する魔物等、この近辺には生息していない。

 だが、今の彼は一人であり、対する魔物は常に徒党を組む。それは、カミュが考えていた以上に困難な事であり、彼の死角から飛び込んで来る魔物を牽制する役をカンダタ一味が担えない以上、彼自身も傷付いて行った。

 疲労と共に衰える動きは、カミュに自身の無力感と、一人旅の無謀さを改めて感じさせて行く。

 

「野郎ども、魔物には気をつけろ。無理に戦闘に入る事はない。船上に上がって来た魔物だけを相手しながら、全速力でポルトガ港へ向かうぞ!」

 

 カミュが船室へ入って行った事を確認した頭目は、船員達へ声をかける。その声に大きく反応した船員達は、それぞれの仕事に戻り、船の速度を上げて行った。

 ポルトガ領海には、それ程強力な魔物は出現しない。<大王イカ>のような巨大な魔物も生息はしているが、その遭遇率は、実際はかなり低いのだ。

 それは<大王イカ>という種族の希少性も関係していた。

 一回の航海で遭遇する方が稀であり、既に二度も遭遇し、その内一度は複数の<大王イカ>と遭遇したこの船が珍しいのだ。実際に、一度でも<大王イカ>と遭遇した船は、跡形もなく大破し、海の藻屑と消えてしまう事から、二度目の遭遇は有り得ない物というだけの事でもあるのだが。

 

 

 

 船はポルトガ領海を順調に進み、エジンベアの港を出てから二週間程でポルトガの港に着港する。数度の魔物との遭遇は、船を壊されないように逃げる事を優先し、カミュの出番を極力制限した物になっていたのだが、僅かな時間の休憩を取るだけで、何度も船室から出て来るカミュを見た船員達は、苦笑を浮かべる事となった。

 何度も『しっかり休んでくれ』と伝えても、暫くすると甲板に立っているカミュに、頭目も呆れを含んだ溜息を吐くしかなく、そこからは何も言う事が出来なくなる。

 それでも、どこか遠慮がちな視線を向ける船員達の瞳を受け、カミュは何度も船室との往復を繰り返すのだった。

 

「港が見えたぞ」

 

 陽が西の空へと傾きかけた頃、見張りをしていた船員の声が甲板に響き渡る。見張りの男の言葉通り、前方に見える陸地に石造りの港が姿を現し始めていた。

 この港を出港した時にカミュの傍で海を見つめていた三人はいない。カミュ一人での帰港となってしまってはいたが、徐々にはっきりと姿が見え始めた港の活気は、カミュ達が出港した時よりも上がっているようにすら感じる物だった。

 

 港に入った船は、荒縄を陸地にいる人間へ下ろし、船員達が錨を海へと沈める。港へ板が降ろされ、船員達が積み荷を降ろして行く中、カミュもまた板へ足を掛けた。

 未だに疲労が色濃く残っているカミュが、若干のふらつきを感じながらも前へと歩を進めると、笑みを浮かべた頭目がカミュへと口を開いた。

 

「今日ぐらいは宿屋でゆっくり休むんだな。アンタの仲間は、必ず無事だよ。だが、アンタが無事でなければ、あの小さな女の子は哀しむぞ」

 

 カミュの身体を気遣った言葉を投げかける頭目の顔には笑みが浮かんでいる。それが、彼が口にした言葉が本心から出ている事を示していた。

 当初は、一人で戻って来たカミュを見て、頭目や船員達も動揺を隠せなかったが、数週間の船旅の中で、再びカミュの能力の高さを確認し、そして安堵する事となる。

 

 『彼と肩を並べて歩む事の出来る者達が、簡単に倒れる訳がない』

 

 自分の疲労を隠しながらも船上で戦い、自身の魔法力を枯渇させても回復呪文を唱えるカミュを見ていた船員達は、皆、考える事は同じであった。

 彼等が感じていた小さな希望は、今、大きな確信へと変わっている。『勇者』と呼ばれる青年が持つ、『勇気』という名の輝きを肌で感じた事によって。

 

「俺達は、この港で待っている。何時でも出港できるように準備をしておくからな」

 

「……頼む……」

 

 最後に掛けられた言葉に、カミュは微かに微笑んだ。軽く頭を下げたカミュが、夕暮れ時の港を包む喧騒の中へと消えて行く。

 カミュの背中が、人波に飲まれて完全に見えなくなると、一つ大きな溜息を吐き出した頭目は、同じようにカミュの背中を眺めていた船員達へと指示を出した。

 港全体に響くような大きな指示は、どこか物悲しさを含んだ船上の空気を一変させる。

 

 まだ彼等の旅が終わった訳ではない。

 それを、誰もが信じて疑わなかった。

 

 

 

「いらっしゃい。旅の宿屋へようこそ。お一人様ですか?」

 

 カミュは港から真っ直ぐ宿屋へと向かっていた。

 もし、リーシャ達がポルトガへと戻っていたら、登城が出来ない以上、宿屋に泊る事しか方法はない筈である。

 宿賃が足りなかったとしても、ポルトガ近郊に生息する魔物達の部位を刈り取り、道具屋へ売り捌けば、数週間分程であれば、容易に手に入るだろう。最悪の場合であれば、手持ちの武具等を売り、その資金に充てても良いのだ。

 

「この宿に、女性三人の客が最近来なかったか?」

 

「はて?……最近はお客も多くなって、細かな所までは覚えていませんが、女性だけのお客は来ていなかった筈ですね」

 

 宿屋の店主にゴールドを支払いながら口にしたカミュの問いかけは、暫しの思考の後、無情な返答を貰う事となった。

 カミュ達が、ロマリア大陸とポルトガ大陸とを結ぶ連絡通路の扉を開けてから、このポルトガへは多くの人間が入って来ている。移民という形でなければ、当然の事のように宿を利用するであろうし、その数は数週間でも相当な物となるであろう。

 

「……そうか……」

 

 カミュがリーシャ達と別れてから、既に数週間の時間が経過している。それは船での移動であるからなのだが、ここでカミュとリーシャ達との時間の経過の差異が出て来るのだ。

 <ヘルコンドル>の呪文の影響で遙か南西の空へと消えて行ったリーシャ達が、何処かに不時着したとすれば、その場所から<ルーラ>を行使するだろう。

 カミュが船でポルトガまで移動するのに有したのと同じ時間、リーシャ達が空を飛んでいたとは考え難い。

 魔物の魔法の効果が強いとはいえ、その効力が数週間も続くとは考えられない以上、リーシャ達はカミュよりも早くポルトガへ到着していると考える方が自然であるのだ。

 

 確かに<ルーラ>は、距離を飛び越える事は出来るが、時間を飛び越える事は出来ない。だが、魔法力に包まれて高速で移動する事は事実であり、その速度は船とは比べ物にもならない筈である。

 そうなると、リーシャ達は、カミュよりも早くにポルトガへ着いていて、何泊かした後に他の場所へと移動したか、それともポルトガに来てはいないかのどちらかとなる。

 前者の可能性は限りなく薄いだろう。何故なら、三人の中には『賢者』であるサラがいる。

 サラが船の移動時間と、<ルーラ>での移動時間の差異に気付かない訳がないのだ。

 ポルトガからエジンベアまでの船の速度は把握している筈。ならば、宿屋で日時を尋ね、エジンベアを出た頃の日数と差し引けば、カミュの到着予測は出来る。

 故に、僅か数週間で宿を離れる訳がない。だが、カミュを待っているとすれば、宿屋に何泊もしなければならず、長い期間の滞在をする人間を宿屋の店主が覚えていない筈はないのだ。

 そうであるならば、残るのは必然的に後者となる。

 

「鍵はこれです。部屋は別棟になりますので」

 

 鍵を店主から受け取ったカミュは、そのまま集合店舗を出て行った。

 別棟の部屋へと上がる階段を上り、指定された部屋の前まで来たカミュは奇妙な既視感に襲われ、軽く溜息を吐き出す。その手に持つ鍵を鍵穴に入れると、予想通りに鍵は掛かっていなかった。

 鍵を引き出したカミュは、そのままドアの取っ手を回す。何の抵抗も無く取っ手をそのまま押し、部屋の中へと入って行った。

 

「……悪いが、今夜は他で休んでくれ……」

 

「あっ……申し訳ございません。すぐに出て行きます」

 

 部屋の中へと入ったカミュの瞳に、予想通りの人物が映り込む。カミュが通された部屋は、以前にポルトガで宿を取った際と同じ部屋だったのだ。

 その部屋にいる人物と言えば、一人だけであろう。

 

 陽が昇っている間だけの『人』の生活を送る者。

 魔物の呪いによってその姿を変えざるを得ない者。

 昼は『人』、夜は『猫』という哀しい呪いを宿し者。

 恋人と共に呪いを宿し、その仲を割かれてしまった者。

 

 ベッドの脇にある小さな椅子に座り、哀しい瞳で沈み行く太陽を見つめていた『サブリナ』という名の女性は、入って来たカミュの言葉に立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。

 通常、宿に人が入って来るのは、陽が落ち切った夜なのだろう。夜になれば、彼女の姿は猫となり、ドアが開くと同時にその身を影に隠す事も出来る。陽が昇る頃に部屋を出て行くなりすれば、気付かれる事もないのだ。

 それが、カミュのように気配などにも敏感な者であれば無理であろうが、そのような強者は、そう多く存在しない。

 

 ドアが閉まる事を確認したカミュは、大きな溜息を吐き出し、背中の剣を外した。そのままマントも取り外し、部屋着へと着替えた後、ベッドへ座り込み、もう一度溜息を吐き出す。

 瞳を閉じ、頭を垂れているカミュの想いは如何ほどの物なのかは、誰にも解らない。ただ、エジンベアからこの宿までで感じたカミュの疲労は、アリアハンを出てから最大の物なのかもしれない。

 

 強大な敵と戦い、深い傷を負った事はあった。

 深手を負い、そのまま数日もの間、目が覚めない事もあった。

 しかし、目を覚まさない時の方が、彼自身には楽であったのかもしれない。

 今の彼には、眠る余裕もないのだ。

 

 カミュという『勇者』の存在がなければ、船は全滅に陥る可能性もある。その前に、魔物との戦闘中であれば、途中で気を失うなど、自分の命を散らす事に直結してしまうだろう。

 アリアハンを出た頃のカミュであれば、『それならば、それで良い』と考えたのかもしれない。しかし、今の彼の背には、様々な物が圧し掛かっていた。

 

 出会って来た人々の『想い』、『願い』。

 共に歩むの者達の『生命』。

 

 容易く振り払えると考えていた物が、今の彼には振り払えない。振り払えない以上、それを背負うしかないのだが、エジンベアを出るまでは、彼は一人でそれを背負っていると考えていたのかもしれない。

 しかし、それは間違っていた。

 彼の背負って来た物は、彼一人で背負える程に軽い物ではなかったのだ。

 彼が今、意識を飛ばしてしまう程に感じている疲労は、戦闘で受けた傷による物などではない。何時如何なる時も、気を許す事が出来ない程の緊張感を続けている事への疲労。

 それを彼は初めて理解したのかもしれない。

 

「……ふぅ……」

 

 もう一度溜息を吐き出したカミュは、そのままベッドへと入り、即座に眠りへと落ちて行った。

 数週間ぶりの就寝と言っても過言ではないカミュは、ようやくしっかりとした睡眠を取る事が出来るのだ。深い眠りへと落ちて行ったカミュは身動き一つしない。

 未だに差し込む西日は、ゆっくりと西の大地へと落ちて行き、夜の帳を下ろして行く。

 

 

 

 

 

 翌朝、早めに目が覚めたカミュは、明るみ始めたポルトガの町の中で一人洗濯を始める。いつもならば、リーシャと共に笑顔でカミュの衣服を洗っているメルエの姿があるのだが、今はカミュ自ら自分の衣服を洗っていた。

 いつもよりも衣服に付着している血液が多く、洗っても落ちない事に苛立ちを募らせながら、カミュは手を動かして行く。

 カミュは、この宿で五日ほどの滞在を決めた。

 何らかの原因から、他の場所へ行っているのかもしれない三人がポルトガへ来た時に行き違いにならない為の物ではあったが、それ以外の理由がカミュの中に存在しているのかもしれない。

 洗濯を終えた衣服を干し、食事を済ませた後、乾いた衣服を身に纏ったカミュは、そのまま武器と防具の店へと足を向けた。

 

「……鉄の盾をくれ……」

 

 以前訪れた武器と防具の店で、再び同じ装備品を注文する。カミュの事を覚えていた様子の店主は、手入れの行き届いている<鉄の盾>を奥から取り出し、カミュの手に合わせて行った。

 新品の盾を手に装備したカミュは装着具合を確かめ、ゴールドを支払って行く。そして、お礼の言葉を背中に受け、店を後にした。

 

 

 

 結果的に言えば、五日間は無駄に終わった。

 何事も無く過ぎて行く日数は、徐々にカミュの心に変化を及ぼす。

 『焦燥感』に似た感情。

 それは、カミュを行動に移させるには充分な物だった。

 

 ポルトガ王への謁見も行わずに、カミュはポルトガ国を後にする。

 行き先の候補は、あと二つ。

 <イシス>と<ジパング>という、奇しくも女性が統治する国である。だが、カミュの頭には不安が募っていた。

 第一候補をポルトガと考えていた理由は、まず港があるという事。港があるが故に、合流すれば直ぐに出港する事が出来る。

 それに対し、<ジパング>は海に囲まれた島国ではあるが港はなく、再びポルトガへ戻るには数週間の時間を要するし、<イシス>に至っては港等ある筈もない砂漠の中心にある国なのだ。

 

「ルーラ」

 

 呪文の詠唱を終えたカミュの身体は、魔法力を纏ったまま上空へと浮き上がる。そしてそのまま南南東の方角へと飛んで行った。

 

 

 

 イシスの町に着いたカミュは、その喧騒に驚き、目を丸くした。

 以前訪れた際に感じた印象を改めさせる程の活気に、町全体が輝いて見えたのだ。

 町を歩く人々の瞳は希望に満ち、暗い影等を背負っているようには見えない。それがこのイシス国の治世が変化した事を明確に示していた。

 国を牛耳っていた文官から、真の女王となった者への政権交代が上手く起動し、国としての形態を確固たる物へと変化させたのだ。

 カミュ達がこの国を出発して既に一年以上の月日が経過している。

 カミュと同じ歳の女王であるが故の苦労は並々ならぬ物であったであろう。頂点に立っていた文官である老婆の失脚によって、その地位に新たに納まろうとする者は、未だに傀儡としての役割を若い女王に要求した事もあるだろう。

 それでもそれらを跳ね退け、彼女が一国の王としての地位に立ち、自らが執政を行っている事は、今のイシスが物語っていた。

 

「いらっしゃい。旅の宿屋にようこそ。お早いお着きですね」

 

「いや、宿泊ではない。ここ最近、若い女性三人での宿泊客は来なかったか?」

 

 町の喧騒に若干魅せられていたカミュであったが、我に返ると、真っ直ぐ宿屋へと向かう。

 宿屋の扉を潜ったカミュは、ロビーと呼ぶには小さな広間を掃除している店主らしき人物に声をかけた。

 振り向いた店主は、営業的な笑みを浮かべながらも、柔らか断りを口にする。店主の言う通り、まだ太陽は真上に上ったばかりであり、宿へ入るには早過ぎる時間であったのだ。

 

「女性三人?……どうでしたか……」

 

 店主の答えを聞いたカミュは、現状のイシスの状況をも把握する事となる。

 このイシスもまた、ポルトガと同様に活気に満ちており、その影響でこの国へ訪れる者も増えているのだろう。それ程大きくはない宿屋では、捌き切れない人数が押し寄せて来ていたのかもしれない。その為、この宿へ来た人間の全てを記憶しておく事は難しいのだろう。

 それが理解出来たカミュは、一度大きな溜息を吐き出した。

 

「その内一人は、幼い少女なのだが……記憶にはないか?」

 

「う~ん……小さな女の子であれば、珍しいですからね。当店にいらっしゃれば、憶えていると思います」

 

 カミュは再度、その三人の中で一番特徴的な少女の姿を口にするが、店主の答えはカミュの望む物ではなかった。

 メルエのような幼い少女が旅をする事自体が珍しい時代である。『魔王バラモス』の登場直後から数十年間は、安全を求めて新たな大陸へ家族で移動する者達もいたのだが、それも『英雄オルテガ』の死によって皆無となった。

 旅人こそなくなりはしないが、子供連れの者は皆無に等しい。故に、宿屋を訪れれば、それだけ珍しく、記憶にも残る筈なのだ。

 リーシャ達三人がイシスを訪れたとすれば、ポルトガ国と同様に城へ上がる事は有り得ない。彼女達三人では、謁見の資格がないのだ。

 イシス国現女王である『アンリ』であれば、抵抗なく、メルエとの謁見の許可を出すだろうが、他国の王からの書状などの全てをカミュが持っている以上、彼女達には門番へ説明する術がない。

 取り次いで貰う事さえ出来ないのであるのだから、彼女達三人の来訪が女王の耳に届く事も無いだろう。故に、宿屋にいない以上、この国には訪れていない事を示していた。

 

 残る候補は一つ。

 カミュ達が死闘によって解放した国。

 誇り高く、美しい国。

 そして、カミュの中に流れる血の元となる国。

 

「ルーラ」

 

 宿屋を出て、町の門を出たカミュは、西の空へ視線を動かした後、再び移動呪文の詠唱を行った。

 <ルーラ>という名の移動呪文は、他の攻撃呪文よりも魔法力の消費が激しい。実際に身体を魔法力で包み込み、移動中は常に魔法力を放出しなければならないのだ。

 元々魔法力の量に関しては、『魔法使い』や『僧侶』に及ばないカミュでは、一日で行使出来る回数は限られていた。

 

 魔法力に包まれたカミュは、空高く舞い上がり、そのまま東の空へと飛んで行った。

 太陽は真上に輝き、大地を暖かく照らしている。

 『日出る国』の方角から昇った太陽は、リーシャ達が飛んで行った方角へと沈んで行っていた。

 

 

 

 カミュがジパングへと辿り着いた頃には、太陽は完全に隠れ、周囲は夜の闇に支配されていた。夜の帳が落ちたジパングの村は静まり返り、門は固く閉ざされている。

 門を叩く事が出来ないカミュは、近場の木の根下で野営を行う事にした。木々を拾い、火を熾す。赤々と燃える炎から立ち上る煙が、夜空に輝く星々へと吸い込まれて行った。

 

 ジパングには宿屋がなかった筈。

 基本的に自給自足の国であるジパングに旅人が立ち寄る事は少なく、その為の宿を経営する必要性も余裕も有りはしないのだ。

 旅の宿屋がない以上、リーシャ達が宿泊する場所はない。国主であるイヨに謁見出来れば、寝泊まりする場所程度であれば借り受ける事は出来るだろうが、まず謁見出来るかどうかが定かではない。

 既に、カミュ達がジパングを出発してから数か月の月日が経っており、カミュ達の事を忘れる者はいないだろうが、『ヒミコ』という国主の姿に化けた魔物の脅威に曝されていた国である為、警備が厳しくなっている可能性もあった。

 門番が奥へ取り次がなければ、イヨとの謁見の機会は与えられない。リーシャ達の選択肢は限られているのであった。

 

 そこまで考えて、カミュは瞳を軽く閉じた。

 リーシャ達がいない以上、野営時にカミュは熟睡など出来ない。常に警戒心を持ったまま、剣を抱え、木に背中を預けたまま浅い眠りに就くのである。

 

 

 

 ジパングの朝は早い。まだ陽が昇りきらぬ内から、村の中から煙が立ち上り始める。

 朝餉を作る準備をしているのだろう。それを食し終われば、民達はそれぞれの仕事に出て行く。穀物等を育てる者は、畑や田へ出て行き、獣を狩る者達は、各々の武器を手にして森へと入るのだ。

 そんな一日の始まりの時、珍妙な来訪者が大手門を叩いた。

 

「ガイジンか? ん?……貴方はあの時の!」

 

 門番をしていた若者は、カミュの顔を見て、『ガイジン』という表現を使用した。

 ジパングの血を継いでいると考えられるカミュの髪の色は、ジパングで生きる民と同様に漆黒と言って良い程の色合いを持っている。

 しかし、小さな国であり村であるジパングでは、生きる全ての者は顔馴染みであり、それ以外の者は『ガイジン』という括りで括られるのであった。

 

「な、なんの用ですか?」

 

 門を開いた若者の顔には、若干の怯えが見える。サラやリーシャであれば、哀しみを宿した表情を作るのかもしれないが、カミュとしては、その若者の態度に何の感情も抱く事はなかった。

 むしろ当然の事とでも考えているように、軽く頭を下げた後に門を潜って行く。

 

 例え、<ヤマタノオロチ>というジパングを滅亡に追い詰める魔物を倒した『英雄』とはいえ、カミュ達が示した力は強大。

 彼等が歯も立たなかった相手を追い詰め、倒してしまった力は、ジパングの民からすれば、未知の物であり、恐怖を抱く程の物であったのだ。それは、致し方ない事なのかもしれない。

 カミュ達の力が自分達の敵に向かっている間は安全であろうが、その力が自分達に向かってくれば、対抗する術を彼等は持ち合わせていないのだ。

 唯一の頼みの綱は、彼等が自国の主である『イヨ』という国主と友好的な関係を持っている事ぐらいだろう。

 

「いえ、以前ここを訪れた際に私と共にいた人間が、こちらにお伺いしてはいないかと思いまして」

 

「え?……ご一緒ではないのですか?」

 

 この若者の脳には、カミュ達一行が鮮明に残っているのであろう。カミュの問いかけに対し、心底不思議そうに首を傾げた。

 若者の姿を一瞥したカミュは、そのまま村の中を見渡す。早朝と言っても過言ではない時間帯にも拘らず、人々は忙しなく動き回っている。誰も入口から入って来たカミュに意識を向ける事はなく、狩りへ出る者などはカミュの脇を抜けて外へと出て行っていた。

 

「失礼ですが、この門を常に見ておられるのですか?」

 

「あ、はい。私がこの門を管理しています。交代制ではなく、夜はこの家で休んでいますので……」

 

 若者へと視線を戻したカミュの問いかけに、若者は反射的に頷きを返す。若者の言葉通り、門の近くには、一軒の平屋が建てられていた。

 おそらくそこで寝泊りをし、この門の開閉を任されている国主所属の兵士なのだろう。

 他国国家のように、夜間の来訪者がないジパングでは、夜にまで門を開閉する事は有り得ない。魔物の侵入の恐れを考えて配置されているのかもしれない。

 

「そうですか……ありがとうございました」

 

「え?……もうお帰りですか?」

 

 仮面を被ったままのカミュは、そのまま門を出て歩き始める。

 中に入る事も無く、国主への謁見も行わずに立ち去ろうとするカミュを見た若者は、驚きを表すが、それに関心を向ける事も無く、カミュの姿は森の中へと消えて行った。

 

 若者がカミュと同道していた人間を憶えていた以上、ここにリーシャ達が立ち寄った事実はない。

 彼が門番として四六時中この門を護っているのだ。この門を通過する人間の中に、リーシャ達がいなかった事は明白であり、それは、カミュがこのジパングに滞在する理由がない事を示していた。

 既にカミュがリーシャ達と別れてから一か月近くの月日が経過しようとしている。これ程の時間が経過しているのにも拘わらず、ジパングへ到達していないのであれば、リーシャ達がこのジパングを訪れる可能性は皆無と言っても良い筈なのだ。

 

「ルーラ」

 

 完全に森へ入った事を確認したカミュは、再び詠唱を行い、その身体を上空へと浮かび上がらせた。

 おそらく最後になるであろう移動呪文の効果により、カミュを包む魔法力は、一気に北西の方角へ飛んで行く。

 その場所は巨大な港のある国ポルトガ。

 

 

 

「一人なのか?……見つからなかったか……」

 

 ポルトガの港へ入ったカミュを待っていたのは、頭目だった。

 カミュ一人の帰還に対して、明らかな落胆を示した頭目を無視するように、カミュはその脇を抜けて船へと向かう。

 自分を一瞥する事さえないカミュを頭目は慌てて追いかけるが、無言で歩き続けるカミュの表情の奥を窺う事は出来なかった。

 

「どうするんだ? おい!」

 

「……船を出してくれ……」

 

 何も語ろうとしないカミュに苛立ちを覚えた頭目が声を荒げる。頭目としても、カミュがリーシャ達と共に戻って来る事を期待していたのだろう。

 それが叶わなかった事への八つ当たりも少なからず含まれてはいるが、初めて見ると言っても過言ではない、刺を前面に出しているカミュを見て、恐怖を感じたのかもしれない。

 

「船を出すって!? 何処へだ?」

 

 故に、声が荒くなる。

 頭目はカミュを信じている。

 紛れもない『勇者』として。

 

 しかし、カミュ個人を『勇者』として信じている反面、そのカミュと共に歩む者達が居てこそ、『勇者一行』であるとも感じている。それは、彼が一人で戻って来た時に確信に変わった。

 今のカミュは『人』を感じさせない。

 言葉も少なく、感情も見えない。それは、相対する者に恐怖すらも感じさせる程に冷たいのだ。

 共に歩む者達がいた時、彼には小さくとも感情の起伏があった。

 小さな微笑み、優しく細められた瞳、困惑の表情、明確な怒り。そんな『人』として当たり前の感情の表現を、解り辛い程に小さくではあるが表に出させていたのは、共に歩む三人の女性であったのだ。

 

「アンタが言えば、俺達は何処へだって向かう! まだ諦めてはいないのだろう!?」

 

 その事に気が付いた頭目は、必死にこの青年の感情を探ろうと声をかける。前を行くカミュの前に立ち塞がり、その瞳を射抜くように見つめた頭目の姿がカミュの足を止めた。

 暫く睨むように対峙していた二人ではあったが、先に折れたのはカミュ。

 一度瞳を閉じ、息を吐き出したカミュは、目的地を告げる為、開いた瞳を頭目へと向けた。

 

 イシス、ジパングと移動し、その場所でリーシャ達と再会する事が出来なかったカミュは、頭の隅に残っていたもう一つの候補先を引き摺り出していた。

 その場所は、カミュが考え出した三つの候補先をも凌ぐ程の可能性を持つ候補。本来であれば、真っ先に確かめる必要性のある場所だった。

 

「ポルトガから西にある、あの未開拓の地へ行ってくれ」

 

 その場所には、カミュ達四人が絶対の信頼を置く『商人』がいる。

 その場所には、メルエのたった一人の友人である『アン』の父親がいる。

 それだけを見ても、最有力候補として充分な理由が存在した。

 ならば、何故カミュはその場所を候補に入れなかったのか。

 

 それは<ルーラ>という魔法の特性が関係していた。

 一度訪れた場所のイメージを頭に浮かべる事により、その場所へ魔法力によって移動する事が可能なのが<ルーラ>という魔法であるのだが、それは術者の頭の中に残っている物と、現実の場所が一致しなければならない。

 大凡の方角が解っていたとしても、明確な地点を示せない以上、記憶を辿り、その場所へ移動する以外に方法はないのだ。

 故に、トルドの作る町へは<ルーラ>で移動する事は出来ない。何故なら、日々変化して行く町の姿は、カミュの記憶どころか、予想や想像をも超えてしまう程の変貌を遂げているからである。

 その事を考慮に入れ、カミュはあの場所を候補地から外していたのだ。だが、それはカミュが明確にイメージ出来ないだけであり、カミュの<ルーラ>では辿り着けないという事実が元になっている。

 もし、カミュ以外の人間であれば、あの場所を明確にイメージする事が出来たとしたら。

 サラはカミュ以上に頭で考える人間である為、確実に無理であろうが、魔法の才能の塊と言っても過言ではないメルエは解らない。

 メルエの<ルーラ>がその土地ではなく、そこにいる人間をイメージして移動するものだとしたら、カミュの考えは根底から覆されてしまうのだ。

 

「よし! 野郎ども出港だ!」

 

 カミュが乗船した事を確認した頭目は、作業をしていた船員達に指示を出す。頭目と同様にリーシャ達三人がいない事に落胆していた船員達ではあったが、頭目の指示を受け、再び船乗りとしての瞳へ変化して行った。

 錨が上げられ、帆が張られる。

 暖かな陽の光と、心地よい風を包み込んだ帆が、巨大な客船を海原へと運び始めた。

 

 予期していなかった一人旅は、今も尚続いて行く。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変お待たせいたしました。
今回のお話は、幕間としても良かったのですが、敢えてこのまま投稿致しました。
かなり助長的になってしまっているかもしれませんが、カミュの一人旅を表現する事が、この後の展開に必要である為、この形となりました。
おそらく、彼の旅はもう少し続きます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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