新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【???海域】

 

 

 

「本当にありがとうございました」

 

「助かった。礼を言わせてくれ」

 

「…………ありが………とう…………」

 

船と陸地を繋ぐ板橋を渡り終えた三人は、最後に降りて来た女性に頭を下げた。女性の背丈は、リーシャと同じ程の物。体つきも女性らしさを残す、丸みを帯びた物ではあるが、腕や足には細くしなやかな筋肉が無駄なく付き、並の男では敵わない程の力を有しているだろう。髪の毛は、リーシャとは異なり、腰の近くまで伸びた奇麗な癖のない物で、メルエのように明るい茶色をしている。太陽の光に輝くような光沢を持つ髪の毛は、潮風を受けて靡いている。瞳は細く鋭いが、リーシャとは違い、吊り上がってはいない。何処か優しさを持つ瞳の光が、彼女の魅力を最大限に引き出し、その求心力を示していた。

 

「まぁ、通り道だからな、気にするな。それよりも、俺との約束を忘れるなよ」

 

「はい! メアリさんも私との約束を必ず護って下さい。私は何があっても、メアリさんとの約束を護るように全力を尽くします」

 

腰に手を当てながら、快活な笑みを浮かべた女性の名は、メアリと言う。そのメアリに向かい、強い決意と想いを胸に頷いた女性の頭には、濃い蒼の石が埋め込まれたサークレットが着けられていた。強い想いは、必ず相手の胸にも届いて行く。尚一層の爽やかな笑みを浮かべたメアリは、大きく頷いた後、その横にいる幼い少女の頭を柔らかく撫でた。

 

「わかっているさ。俺とアンタ、女同士の約束だ、必ず護る。それに、メルエに嫌われたくはないからな。メルエも元気でな。約束を果たしたその時には、俺に会いに来いよ」

 

「…………ん…………」

 

柔らかく撫でる手に、気持ちよさそうに目を細めていたメルエと呼ばれた少女は、満面の笑みでその女性に頷きを返す。少女は大事そうに抱えていた帽子を被り、肩から掛けていたポシェットに手を入れ、その中から青く輝く小さな石の欠片を取り出した。その欠片の色は、サラがサークレットに嵌め込められている石よりも色は淡いが、神々しく輝く色彩は、目にする者の心を惹き付けて行く。

 

「ん? なんだ、これは?」

 

「それは、メルエが大事に想う相手に対して贈る物だ。有難く貰うんだな」

 

メルエの小さな手から石の欠片を受け取ったメアリは、その欠片を上空に掲げ、陽の光を透かしてその輝きに笑みを溢す。メアリと同じ背丈の女性戦士であるリーシャは、何処か悔しげにその様子を眺めていたが、その想いを口にせずにはいられなかったのだろう。皮肉めいた言葉をメアリへと溢した。

 

「はっ! お前は貰えていないのだな。何だ? お前はメルエに嫌われているのか!?」

 

「なんだと!」

 

皮肉めいたリーシャの言葉を聞いたメアリは、厭らしい笑みを浮かべて、この導火線の短い女性にからかいの言葉を投げかける。予想通りの食い付きを見せたリーシャは、背中の斧に手をかけようと伸ばすが、同時にメアリも腰の剣に手をかける。決して相容れない者同士。別の言い方をすれば、似た者同士と言うべきなのかもしれない。しかし、その二人の行動は、彼女達の足元までしか背丈がない、幼い少女によって止められた。

 

「…………メルエ………リーシャ………すき…………」

 

「うっ……」

 

「ど、どうだ! 私はメルエとずっと一緒だ。羨ましいか?」

 

『むっ』と頬を膨らませたメルエは、メアリを見上げて強く言い放つ。メルエの強い言葉を受けたメアリは言葉を詰まらせ、そんな表情を見たリーシャは、『それ見ろ!』とばかりに声を上げた。傍にいるサラから言わせれば、『何を張り合っているのだ?』と呆れるような内容ではあるが、二人としては譲れない物でもあるのだろう。

 

「ふん! 頭の悪いお前は、『賢者』の嬢ちゃんとメルエの言う事を聞いて、足を引っ張らないようにするんだな。俺と白黒をはっきり付けるつもりなら、何時でも来い!」

 

「なんだと! お前など一撃で仕留めてみせる。お前こそ、腕を磨いておけ!」

 

隣で小さく溜息を吐くサラとは異なり、二人を見上げるメルエの顔には笑顔が浮かんでいる。かなり険悪な雰囲気を持つ言葉の応酬ではあるが、彼女達を包む空気は優しさに満ちている。それを敏感に感じ取ったメルエは、二人を交互に見つめて微笑んでいた。

 

「じゃあ、俺は行く。お前らの旅は、辛く長い物となるだろう。そこには、お前達の大望を嘲笑い、罵る者達もいる筈だ。だが、お前達を信じる者もここにいる事を忘れるな」

 

「はい……ありがとうございました……」

 

船へと戻る前に振り向いたメアリは、サラの瞳を真っ直ぐと見つめて口を開く。その言葉は、先程まで呆れたような表情を浮かべていたサラの瞳を潤ませた。そんなサラに満足げな笑みを浮かべたメアリは、肩掛けにしている上着を翻し、船へと上がって行く。メアリの乗船と共に上げられた板橋は、船の中へと仕舞われ、船員によって錨が上げられる。船着場から徐々に離れて行く船を見上げ、メルエは大きく手を振り、船員達もそんなメルエに手を振り返していた。

 

リーシャ達三人が何故、船で移動していたのか。

船の乗組員をも従わせる女性と何故出会えたのか。

そもそも、メアリと呼ばれた女性は何者なのか。

 

それは、一ヶ月程前に遡る。

 

 

 

 

 

「メルエ、サラ! 私の身体から手を離すなよ!」

 

<ヘルコンドル>の魔法によって弾き飛ばされたリーシャ達は、魔法力に包まれたまま南西へと向かって上空を飛んでいた。腕にしがみついているメルエの身体を強引に引き上げ、自分の胸に抱いたリーシャは、メルエの腰を掴んでいたサラを反対の手で抱き上げる。一向に衰える事のない魔法の効力は、三人の身体を何処とも解らない場所へと運んで行った。

 

「サ、サラ、どうにかならないのか?」

 

「うぅぅ……<ルーラ>を行使してみます……」

 

<ヘルコンドル>の魔法力に包まれてはいるが、強力な圧力にサラの口は上手く開かない。何とか絞り出した言葉の後、サラは詠唱の準備に入った。しかし、口から呪文が紡ぎ出されはしない。高速で移動する中、他者の魔法力に包まれたままで、自身の魔法力を放出するのは難しいのだろう。苦しそうに眉を顰めたサラは、リーシャの腕に爪を喰い込ませる程に力を込めた。

 

「ル、ルーラ」

 

力を込めて呪文を詠唱したサラの言霊は、<ヘルコンドル>の魔法力の内から異なった力の広がりを作り出す。まるでリーシャやメルエを護るように包み込んだ魔法力は、<ヘルコンドル>の魔法力に抗うようにその支配範囲を広げて行った。しかし、如何にサラが『賢者』と言われている人間であっても、相手は魔物の魔法力。サラが人間である以上、それを凌駕する程の力を生み出す事は難しい。一進一退を繰り返しながらも、徐々にその勢いは失われ始めた。

 

「サラ、頑張れ!」

 

「…………サラ…………」

 

サラの魔法力に護られるように包まれたリーシャとメルエには、口を開くだけの余裕が生まれている。サラに掴まれたリーシャの腕は、サラの爪が食い込み、血が滲んでいた。それでもリーシャは、痛みを訴える事はない。サラがそれ以上の苦しみを感じながら、自身の魔法力を絞り出している事を感じているからだ。心配そうにサラを見つめるメルエの瞳の中には、絶対的信頼が窺える。その瞳を見たサラは、一度無理やり笑顔を作り、大きく頷いた。

 

「ルーラ!」

 

再び口から発せられた詠唱。もう一度明確に自身の中で目的地のイメージを描き、その場所へ向かう為の呪文を紡ぐ。サラが<ルーラ>を詠唱する事はこれが初めての事であり、カミュやメルエのように慣れた呪文ではない。『賢者』となってから一年近くの時間が経過しているとはいえ、元は『僧侶』。『魔道書』に記載されている魔法の行使に関しては、メルエの足元にも及ばず、その自信もない。それでもサラは呪文を詠唱した。

 

力強いサラの声と共に、萎み始めていたサラの魔法力は再び力を取り戻す。自身の身体の中から全ての魔法力を絞り出すように、きつく目を瞑ったサラを中心に溢れ出した魔法力は、リーシャとメルエを優しく包み込み、そして<ヘルコンドル>の魔法力を圧迫し始める。

 

「うぅぅぅ」

 

唸り声を上げるサラから視線を外し、自分達が飛んでいる真下に視線を向けたリーシャは、そこが太陽の光を反射し、青々と輝く海原である事に気が付く。『もし、ここでサラの魔法力が切れてしまえば』という最悪の状況を考え、リーシャはもう一度メルエとサラの身体を抱き締めるように胸に抱いた。その時、一進一退を見せていた魔法力同士の戦いは終結を迎えていた。

 

「あっ……」

 

サラが力無く洩らした言葉が、彼女の内に宿る魔法力の枯渇を示している。通常の<ルーラ>であれば、『賢者』となったサラの魔法力を枯渇させる事など有り得はしない。何度行使しようと、サラの魔法力の底は、そこまで浅くはないのだ。アリアハンを出た頃のサラの魔法力ならば別だが、彼女は二年の旅の中で、心も身体も成長を続けて来た。特に魔法力の源である精神的成長は、このパーティーの中でも別格である。そのサラの魔法力が枯渇する程の戦いが、その壮絶さを物語っていた。

 

「…………リーシャ…………」

 

「はっ!?」

 

リーシャの腕を握り締めていたサラの手から力が失せて行った事に呆然としていたリーシャは、メルエの呟きで我に返る。魔法に関しては、異常なまでの才能を持つメルエは、自身を取り巻く魔法力の変化に逸早く気付いていたのだ。サラの魔法力の消滅によって再び移動する筈だったリーシャ達の身体は、空中で静止を続けていたのだが、突如、リーシャ達を留めていた力もまた消え失せて行く。空中に留める為の力の消滅は、翼のないリーシャ達の落下を意味していた。

 

「メルエ、しっかりつかまっていろ!」

 

リーシャ達の高度は、鳥達が飛んでいる場所よりも更に高い。故に、その場所から落ちた先が海であったとしても、三人の身体は衝撃で砕け散るだろう。それを理解していたとしても、リーシャには、二人を強く抱きしめる事しか出来ない。何も出来ない事に唇を噛み締めたリーシャが、その瞳を閉じた時、このパーティーの頭脳が再起動を果たした。

 

「メルエ! 下に見える船へ<ルーラ>で移動できますか!?」

 

「…………ん…………」

 

リーシャの腕の中から真下にある海原を見たサラは、米粒のように小さな存在を認める。加速度的に増して行く落下速度の中、徐々に大きさを増すその存在が、海原を航海する船である事を理解したサラは、リーシャの腕に包まれたもう一人の少女に指示を出した。その指示は、魔法を誇りとする少女の心の炎を燃え上がらせる。

 

「…………ルーラ…………」

 

落下速度は、口を開く事も出来ない程に加速していたが、それでもメルエを護るリーシャの腕の中で、海を渡る船を見つめたメルエは、その口を開き、呪文の詠唱を紡いだ。メルエの膨大な魔法力が溢れ出し、リーシャ達全員を包み込むと同時に、落下が止まる。暫しの間、その方向を探るように滞空していた三人は、再び速度を上げて落下を始めた。しかし、その落下の種類は先程とは大きく異なり、速度は一定の物を保ちながら、真っ直ぐに目的地へ向かう物。世界最高峰の『魔法使い』が唱えた呪文は、世界最高峰の魔法力を生み出し、彼女の大切な者達を運ぶ。

 

 

 

「おい、何かが落ちて来やがる!」

 

「何だあれは!?」

 

航海の目的を達し、悠々と海を渡っていた船の船員達は、突如として輝き出した上空へ一斉に視線を向けた。そこにあったのは、輝く球体。まるで太陽が落ちて来たかと錯覚してしまうような光景に、船上は慌ただしく騒ぎ出す。一定の速度で落下してくる球体は、確実に船員達の許へと落下している。このままでは船に衝突してしまうかと考えた頃に、船員達の全員がその大きさを把握する。太陽かと思われたそれの大きさは、輝きに目を眩ませていなければ、それ程の大きさではない事に気が付いたのだ。

 

「甲板にいる奴等は退避しろ!」

 

自分達では受け止める事の出来ない光弾を見た船頭のような男が、作業をしている男達へと声を荒げる。慌ただしく移動する船員達は、目の前に迫って来た光弾に恐怖し、倒れ込むようにその場を離れて行った。迫り来る光弾は、真っ直ぐ船に向かい、その速度を緩める事も無く甲板へと降り立つ。船員達が予想していた大きな衝撃はなく、微かな船の揺れを残し、船は静けさを取り戻した。

 

「何だったんだ? 何が起きたんだ?」

 

「解らねぇ。何かが落ちて来た事だけは確かなんだが」

 

埃が舞い、何かが落下して来た地点をはっきりと確認できない船員達は、各々の顔を見比べ、何かが落ちてきた場所へ目を凝らした。船にいる全員の視線の集まった、その場所の輪郭がはっきりと見え始めた頃には、恐怖と怯えに彩られていた船員達の瞳の色に変化を齎して行く。

 

「メルエ、大丈夫だったか?」

 

「…………ん…………」

 

「やはり、メルエは凄いですね。こんなにしっかりと制御が出来るなんて」

 

抱き抱えていたメルエの様子を覗き込んだリーシャは、その身体の到る所を触り、メルエの無事を確認している。そのリーシャの姿にメルエは笑顔で頷き、リーシャへと抱き着いた。メルエの可愛らしさを見たサラは、彼女の誇りである魔法を褒め、その能力の高さを称える。しかし、そんな『ほのぼの』とした雰囲気は、彼女たちを取り巻く空気にはそぐわない物だった。

 

「おい! てめぇらは何者だ!? 誰の許しを得て、この船に乗っていやがる!」

 

「全員女じゃねぇか……乗船賃として、たっぷりと働いて貰おうや」

 

下衆な笑みを浮かべた船員達が彼女達へ近付き、逃げ場を消すように囲い込む。不穏な空気を感じ取ったメルエは、サラを不安げに見上げるが、いつもなら動揺を見せるサラの瞳は、真っ直ぐ船員達へ向けられていた。そんなサラを護るようにリーシャが近くにあったモップを手に取り、サラの後ろに立つ。

 

「申し訳ありませんが、ここは何処でしょうか?」

 

「はぁ!?」

 

全く怯えを見せず、取り囲む船員達へ現在地を尋ねるサラの姿は、船員達に恐怖さえも感じさせた。彼らとて、荒くれ者として自負がある。そんな屈強な男達に取り囲まれても様相を崩さない女性に、船員達の方が怯んでしまった。後方に控えるリーシャの顔には余裕さえ見える。この状況自体が船員達にも理解が出来なくなった頃、再び彼等の耳に先程と同じ声が響いた。

 

「この海域は、何処の国の領海ですか? この船は何処へ向かっているのですか?」

 

「あぁ!? てめぇらは俺達が誰か解って言っているのか? この海の支配者たるリード海賊団の船の上だって事を理解して言ってやがるのか!?」

 

この時代には、海賊はほとんど残っていない。何故なら、魔物の活動が活発化して来たからだ。海に生息する魔物は、『魔王バラモス』の台頭後、日増しに凶暴化が進んでいる。その為、年々、貿易船などはその数を減らし、それらを収入源としていた海賊達は離散し、より大きな海賊団へ吸収されて行った。それらはまだ良い方で、魔物との戦いに敗れて海の藻屑と化した海賊船も多い。その中で唯一、このサラ達の目の前にいる海賊団だけは、全ての戦いに勝利し、この海を支配していたのだ。

 

「ほぉ……海賊なのか……」

 

勝ち誇ったように名乗りを上げる船員へ返答したのは、サラの後方で余裕の笑みを浮かべ、モップを持ったリーシャであった。掃除用具である筈のモップを手元で回すリーシャは、何処か滑稽ではあったが、醸し出される空気は、笑みを誘うような物ではない。むしろ見つめている船員達の背に冷たい汗が流れ落ちる程の威圧感を誇っていた。

 

「海には魔物以外にも人々の妨げとなる物が存在していたのですね……それで、ここは何処なのでしょうか?」

 

一歩前に出ようとしていたリーシャは、何かを考えるように俯いていた顔を上げたサラの表情を見て、笑顔を作り再度後ろへと下がった。サラの成長は著しい。一昔前のサラであれば、彼等のような荒くれ者を前にし、足が竦んでいただろう。『海賊』という存在に絶望し、それを許し難い者達として括り、憎悪をも抱いていたかもしれない。だが、『盗賊』という者達と相対し、『人』の死と直面し、信じていた物とは異なる『勇者』に導かれた彼女は、今や世界の『人』の頂点に立つ『賢者』へと成長した。

 

「ちっ! 構う事はねぇ、相手は女だ!」

 

「でもよぉ……お頭の例もあるしよ……」

 

サラの態度に怯んだ海賊であったが、一人の男の掛け声を発端とし、一斉に各々の武器を抜き放つ。しかし、そこでも別の男の一言が海賊達の虚勢を挫いてしまった。男の呟きを聞いた海賊達は、お互いの顔を見合わせ、何やら自信を失ったように足を踏み出せずにいる。状況は膠着してしまった。サラの質問には答えない。だが、そんなサラ達への攻撃も始まりはしないのだ。

 

「サラ、質問は後のようだ。ここは私に任せてくれるか?」

 

「えっ!?」

 

膠着状態を終わらせる為に、リーシャはモップを掲げて一歩前へと出る。海賊達が手にしている物は明確な凶器。人の身体など容易く斬り裂く鋭い刃先が、太陽の光を受けて輝きを放っている。『海賊』という名乗り通り、彼等の武器は手入れを怠ってはいない。例えリーシャであっても、その刃先で斬られれば、腕の一本は斬り落とされてしまうだろう。しかし、サラの肩に手を掛けたリーシャの顔には余裕が見える。

 

「リ、リーシャさん、手加減して下さいね」

 

「……当たり前だ……まったく、サラは私をどのように見ているんだ?」

 

それは当然の事なのかもしれない。彼女達は、世界を救う『勇者』と共に旅する者。『勇者』本人がそれを望んでいなくとも、彼は着実にそれへと歩を踏み出している。そして、何よりも、共に歩む彼女達が『彼こそが勇者である』と認めているのだ。そして、その『勇者』と共に歩むために、彼女達もまた成長を続けて来た。既に人類最高戦力と成りつつある彼女達にとって、『海賊』と名乗ってはいても、『人』を相手に後れを取る訳がない。それをリーシャも、そしてサラも知っているのだ。

 

「何をやっている! こんな女達に怯んだとあっては、それこそお頭に怒鳴り散らされるぞ!」

 

リーシャが一歩前へ出た事で、恐怖が爆発したように叫んだ男が、おそらく臨時の船頭なのであろう。海賊の棟梁が不在の船の上で指揮を執る男は、決してその力量が無い訳ではない。魔物や、それこそ『人』が相手であれば、明確かつ的確な指示を下し、船員達を動かして来たのだろう。事実、彼女達三人が現れる前に、彼はある場所へ赴き、棟梁からの指令を達成して来たばかりであった。

 

「おりゃぁぁ!」

 

しかし、今度ばかりは相手が悪すぎた。身も竦むような声を発したリーシャは、手に持っているモップを真横に薙ぎ払う。その速度、その鋭さ、そして何よりもその衝撃は、彼等が味わった事のない程の物であったのだ。モップの柄の一撃を受けた数名の海賊達は、甲板を転がるように吹き飛ばされ、危うく海へと落ちる手前まで転がって行く。一度に数名もの荒くれ者を吹き飛ばす光景など、見た事はない。足が縮こまるような感覚に陥った海賊達は、一歩また一歩と後ろへと下がって行く。

 

「下がるな! 俺も出る! 相手は一人だぞ! 全員で掛かれば、何とかなる!」

 

船頭を任された男は、指示だけを出す臆病者や卑怯者ではないのだろう。己の武器を手にし、先頭に立って仲間達を鼓舞する。その姿は一味の頭としての器を充分に感じさせる物であり、リーシャはモップを一度払いながらも、頬を緩めるように笑みを作った。しかし、そのリーシャの笑みは、荒くれ者共の誇りを傷つける。『侮られた』と感じた男達の目に炎が宿り、その手に持つ武器に力が籠って行った。

 

「行くぞ!」

 

船頭の掛け声と共に、海賊達全員が武器を掲げて駆け出す。その数は十数人。人外の力を誇るリーシャといえども、一度に相手が出来る人数は限られている。四方八方から来る相手を一気に薙ぎ倒す事が出来ない以上、攻撃を避けながら、方角毎に叩きのめして行く以外に方法はないのだ。リーシャは始めに前方から迫る海賊を一刀の許に叩き伏せる。モップの一撃を受けた男は、潰れた蛙のような声を発して甲板に倒れ伏した。左方から迫る剣先を左腕に着けている<鉄の盾>で防ぎ、右から迫る男達を、槍を使うように横薙ぎに振い弾き飛ばす。一気に数を減らして行く海賊達を見て、サラは大きな溜息を吐き出した。

 

「……手加減すると言ったのに……」

 

既にリーシャの頭に手加減などという文字は残っていないのかもしれない。いや、それを問えば、『魔物の時よりも力を込めていない』等と答えるのだろう。それでも弾き飛ばされ、蹲る海賊達を見ると、明らかに怪我をしている事が解る。ただ、『死』に至る程の物ではない事が、リーシャが手加減をしている事の証明であると言えば、その通りではあった。

 

「メルエ、海賊さん達の武器だけに<ヒャド>をかける事は出来ますか? 私は皆さんに<薬草>などを渡して来ます」

 

「…………ん………メルエ………できる…………」

 

周囲に転がり、呻き声を上げる海賊達を見回したサラは、足下で杖を抱き締めて状況を見ているメルエに語りかける。サラやリーシャが『勇者』と共に歩む者としての成長を続けているのと同様に、出会った当初から魔法の才能の塊であった少女もまた、その才能に磨きを掛け、成長を続けているのだ。自信を持って頷くメルエを見て、サラもまた笑顔で頷きを返した。メルエの手にはしっかりと<魔道士の杖>が握られている。メルエの宝物となったその杖も、ここまでの旅の中で何度もメルエの魔法力を放出し、限界を迎えているのかもしれない。通常の『魔法使い』と異なり、膨大な魔法力を有するメルエの攻撃魔法は、確実に杖の内部を痛めているだろう。そんな事を感じながらも、サラは周囲に転げ回る海賊達へと足を向けた。

 

「怯むな! 相手の武器はモップだぞ! 死ぬ事はない!」

 

リーシャのモップを剣で防ぎ、後方へと弾き飛ばされた船頭の掛け声で、未だに動ける者達は再びリーシャ目掛けて武器を掲げる。一段落した事に一息吐き出したリーシャは、再びモップの具合を確かめるように回転させ、甲板を勢い良く突いた。『ゴン』という大きな音は、海賊達の足を鈍らせ、再び膠着状態に入ったかに思われたが、それは海賊達の予期せぬ者の小さな声で終止符を打たれる。

 

「…………ヒャド…………」

 

小さく呟かれた言霊は、海賊船の甲板に静かに響き渡り、周囲の温度を急速に変化させて行く。吹き抜ける冷気は、モップを持って仁王立ちをしているリーシャの脇を抜け、先頭で掲げられている船頭の武器へと直撃した。弾かれたように後ろに吹き飛ばされる武器は、瞬時に凍り付き、乾いた音を立てて甲板へと落ち、粉々に砕け散る。一瞬の内に武器を失い、その武器も見るも無残な姿へと変化してしまった事で、甲板の上の音は失われた。

 

「あ……あ……」

 

「どうだ! まだやるか? 私はこのモップしか使わないが、この娘の魔法はもっと凄いぞ!」

 

恐怖に彩られた瞳をリーシャの後ろで杖を持つ少女に向けていた海賊達は、リーシャの言葉を聞き、武器を持つ手に力が入らなくなっている。実際、彼等も魔法と呼ばれる神秘を何度か見た事はあるだろう。だが、『魔法使い』と呼ばれる職業が行使出来る初期の氷結魔法である<ヒャド>の威力がここまでの物は知らない。弾き飛ばされるように後方へ飛んだ剣が、甲板に落ちた衝撃だけで粉々に砕かれたのだ。それは、あの幼い少女の唱えた<ヒャド>によって瞬時に凍らされ、剣の内部も完全に凍りついた事を示していた。通常の『魔法使い』が行使する<ヒャド>であれば、こうはいかない。

 

剣の周りは凍りつくだろう。いや、正確に言えば冷気によって氷が付着すると言っても過言ではないのかもしれない。故に、一度凍らされた剣は、再び溶け出した時に以前と同様の使用が可能であるのだ。だが、メルエの唱えた<ヒャド>によって凍らされた剣は、二度と使用する事は出来ないだろう。溶け出したとしても、剣自体が既に機能を失ってしまうからだ。もし、それが『人』に対しての物であるならば、彼等は二度と再生しないという事になる。凍らされ、突き崩されれば、粉々に砕け散り、意識を失ったまま『死』を迎えるしかないのだ。

 

余談ではあるが、以前にメルエはサラの腕を凍らせた事がある。あれは、サラだったが故に無事であったと言えるのだろう。サラは神と『精霊ルビス』に祝福された『賢者』であり、魔法の才能の塊であるメルエに及ばないまでも、世界最高峰の魔法力を有している。その魔法力は他者からの魔法力の影響を防ぐ為に重要であり、<マヌーサ>や<ラリホー>等の神経系魔法の影響をサラやメルエが受け難い事もその魔法力あっての物であるのだ。故に、手を凍りつかせ、内部さえも凍結させようとするメルエの<ヒャド>を彼女の魔法力が食い止めていたのである。実は、メルエの魔法の脅威から、カミュがリーシャを再三庇っている事もそれが原因である。魔法力を有していないリーシャは、メルエの氷結呪文を受ければ、即座に暖めて溶かさない限り、身体が崩壊する可能性があるのだ。

 

「大丈夫ですか? 一通りの手当てはしましたが、何か身体に違和感があれば言って下さいね」

 

「え? あ、ああ……ありがとう」

 

船頭は、戦う気力を失くした船員達の姿に愕然とし、周囲へと視線を巡らせる。そこで見た物もまた、彼に驚愕を齎せた。目の前で海賊達へ鋭い瞳を向ける女性に、先程モップで吹き飛ばされた者達へ<薬草>などを渡し、傷口へ当てている者を見たのだ。その者は、一人一人に対し丁寧な程の治療を行い、身体の無事を確認するように声をかけている。その女性の姿に戸惑いながらも謝礼をする船員達を見て、船頭は己の敗北を理解した。女性だと侮っていた者達は、彼の崇拝するある人物と同じように、性別を超えた力を有した者達なのだ。それを感じ、そして理解した彼は、静かに武器を鞘に仕舞い、未だに武器を持つ仲間達へ声を発する。

 

「武器を納めろ! 俺達の負けだ!」

 

彼ら全てを統べる者の優しさも苛烈さも、最も知る筈の船頭が、己の敗北を明確に口にした事は、船員達に先程よりも大きな動揺をもたらした。確かにこれ以上の戦闘は無意味だろう。目の前にいる女性達には『殺意』はない。故に、船員達の中に死人が出る事はないだろうが、彼等が勝てる事は永遠にないだろう。それを理解していても、彼等の中に『海賊』としての誇りも残っている。この荒れた時代の海で生き残って来た自信もある。

 

「負けだ、負けだ!」

 

そんな船員達の葛藤が解る船頭は、己の腰に掛けてある武器を鞘ごと甲板へ放り投げ、両手を上げて両目を瞑った。その行為は、全てを諦めているようにも見えるが、歴戦を潜り抜けて来た船員達は、船頭が最後の賭けに出ている事も理解する。隙をついて殺せる相手ではない。ならば、命を賭してでも仲間達の命を救おうと無防備を装っているのだ。

 

「随分と潔いな」

 

「勝てない以上、負ける他ないだろう……それで、お前らの望みは何だ?」

 

甲板の様子が様変わりした事で、リーシャも手に持っていたモップを下した。溜息を吐き出したリーシャを見た船頭は本題へと入って行く。この船が自分達の物ではなく、彼等の上に立つ者の所有物であり、それを預かっている責任も持っている。故に、彼は慎重に相手の出方を見ていた。

 

「それについてはだな……サラ! 手当てを終えたなら、こっちに来てくれ!」

 

「もう! リーシャさんが手加減をして下さらないのがいけないのですよ!」

 

降伏を示す船頭の態度に戸惑いを見せるリーシャは、困ったように周囲を見回し、近くで治療に当たっているサラを呼ぶ。呼ばれたサラは、怪我人に最後の<薬草>を渡しながら、少し眉を上げた瞳をリーシャへ向け、その行動を非難した。サラは、先程の<ルーラ>の行使で魔法力が枯渇に近い状態に陥っている。<ホイミ>のような最下級の回復呪文であっても行使は難しいのだ。幸い、カミュは万が一の時に備え、全員の持ち物の中にある程度の<薬草>や<毒消し草>を分けていた。自分の持ち物から<薬草>を取り出し、一枚一枚丁寧に対応するサラは、リーシャを非難するように何度も鋭い視線をリーシャへと向けている。思わず笑みさえも浮かんでしまいそうなやり取りに、剣呑としていた船上の雰囲気は幾分か和らぎ、命のやり取りをしていたとは思えない程の空間へと変化を遂げた。

 

「…………メルエ………できた…………?」

 

「メルエは凄いです。ありがとうございます。メルエのお陰で怪我をする人も減りましたよ」

 

「手加減はしたぞ。こいつらが弱過ぎるだけだ」

 

回復を終えて近付いて来たサラを不安げに見つめるメルエに、サラは満面の笑みで答える。サラの言う通り、あの場でメルエの<ヒャド>が行使されなければ、再びリーシャと海賊達の争いは始まり、今よりも多くの怪我人が出た事だろう。それは、リーシャ達にではなく、主に海賊達ではあるのだが。

 

「リーシャさんも、もっとご自身の力を知るべきです。メルエは自分の力を知り、それを制御しようと頑張っていますよ」

 

「…………リーシャ………だめ…………?」

 

「ぐっ……しかし、打ちのめさなければ、サラやメルエが傷つく可能性もある。私は、サラとメルエの剣であり盾だ。二人が傷つく事は許さない」

 

リーシャを諭すように見上げたサラの言葉に、メルエの首が可愛らしく傾く。そんな二人の糾弾を受けたリーシャは言葉に詰まるが、それでも尚、自身の中にある『想い』を口にする。『人』を相手に殺意を抱いて攻撃する事はないが、サラやメルエが傷つく可能性があるのならば、それも厭わないという程の『決意』。それがリーシャの誇りであり、自信でもあるのだ。そのようなリーシャの優しさを知っているサラは、諦めたように溜息を吐いた後、柔らかな笑みを浮かべリーシャを見上げた。

 

「ありがとうございます。リーシャさんが居て下さったお陰で、私もメルエも無事でした」

 

「…………ありが………とう…………」

 

リーシャに向かって頭を下げるサラを見たメルエは、もう一度満面の笑みを浮かべてリーシャへ頭を下げる。頭を下げた後、我慢できないかのようにリーシャの足下へしがみついた。満足気に二人の謝礼を受け取ったリーシャは、足下にしがみ付くメルエを抱き上げ、その身体を抱き締める。海賊達の存在を忘れたかのような三人の行動に、甲板にいる海賊達は唖然と見守る事しか出来なかった。

 

「私達の要望は、お話しした通りです。ここは何処ですか? この船は何処へ向かっているのですか?」

 

「あ、ああ。ここは何処の国の領海でもない。敢えて言うとすれば、スーの村から南南東にある海の上だ。この船は、これから俺達のアジトへ向かっている」

 

頭を上げたサラは、再び海賊の船頭へと対峙を始めた。唖然としていた船頭は、突然掛った声に戸惑いを見せるが、落ち着きを取り戻し、サラの疑問に答えて行った。メルエを抱き抱えたリーシャもサラの後ろに立ち、船頭の話を聞いている。怪我の治療が終わった海賊達は、船頭の後ろに陣取り、お互いの交渉を見守る形となった。

 

「スーの村ですか?……私達をそこまで運んで貰う訳にはいかないでしょうか?」

 

「おい、サラ。カミュと逸れたままだぞ?」

 

船頭の言葉の中に出て来た唯一の地名は、サラだけではなく、リーシャやメルエも聞き覚えがある名であった。エジンベアという大国の植民地とされた村。そして、エジンベアを出た彼等が次に目指す場所であった村。その名を聞いたサラは、その場所への移動を口にし、それを海賊へ依頼するのだが、傍で聞いていたリーシャは驚きを口にする。リーシャの言う通り、カミュとは完全に逸れてしまった。リーシャ達からはカミュの場所は解るが、カミュからはリーシャ達の場所を特定する事は出来ない。故に、まずはカミュとの合流を優先しようとするリーシャは口を開いたのだが、そこにリーシャとサラの考えの差異が出て来る事となる。

 

「ええ。ですから、次の目的地である<スーの村>へ向かいたいのです」

 

「いや待て、サラ。カミュは私達を探そうとするぞ? その時に明確な出発点であるポルトガに居た方が、都合が良い筈だ。カミュは船でポルトガへ戻るだろう。私達にはサラやメルエの<ルーラ>がある。先に戻っていた方が良いだろう」

 

リーシャの疑問を受けたサラは、自身を持ってリーシャへと答えを返す。しかし、その答えは、リーシャの求めていた物ではなかった。サラの言葉を途中で遮るように話し始めたリーシャであったが、リーシャの話が進むにつれて、サラの表情が困惑の色に彩られて行く。まるで、『言っている意味が解らない』とでもいうような表情を見ながらも、リーシャは最後まで話し切った。そして、サラの口が開くのを待つのだが、開かれた口から出た言葉は、リーシャを驚愕の淵へと落として行く。

 

「え?……え!?……カミュ様が私達を探す?……リーシャさんは本気で言っていらっしゃるのですか?」

 

「なに!? サラこそ本気で言っているのか?」

 

驚きの度合いは、両者共に違いはなかったのかもしれない。サラは『自分達を探すカミュ』という想像もできない姿に対して。リーシャは、『そんな当たり前の事をカミュが行わない』と考えるサラに対して。だが、二人の考え方の相違は、致命的な程の距離があり、決して埋まる事はないだろう。

 

サラとて、カミュを信じていない訳ではない。最近では、自分達を仲間として見ているようにも感じてはいた。だが、今や『盗賊』も『海賊』も恐れないサラの中で唯一と言っても良い、畏怖の念を抱く存在が、カミュその人なのである。カミュに関しての印象は大幅に変わった。だが、アリアハンという狭い井戸の中から出たサラが、最初に出会った予想外がカミュなのである。故に最初の印象は彼女の頭の何処かにこびり付いて離れない。

 

カミュという青年が希望した旅は、一人での旅。

切望していた自由な旅。

生きる事も、死する事も自らの裁量によって決められる旅。

 

故に、サラはそう考えたのだ。

しかし、リーシャは逆だった。

 

彼女が見て来たカミュという青年は、サラやリーシャよりも大きな変貌を遂げていた。いや、元から彼はそういう人間だったのかもしれない。リーシャはこの長い旅で、『勇者』であるカミュをそう分析していた。彼が辿って来た道は、リーシャやサラが考えるよりも厳しい道程だったのだろう。故に、彼は世の中を曲がった形で認識しているのだ。彼にとって、生まれてからアリアハンを出るまでの間で『味方』と呼べる人間は存在しなかったに違いない。祖父や母に厳しく育てられ、次代の『勇者』であり『英雄』である事を強要され、彼が望む望まないに拘わらず、彼は『魔王討伐』という使命を負わされた。だからこそ、彼は世の中全てを常識に縛られた人間とは異なった角度から見ている。だが、『人』という生物の内面は、何があろうと変わらない。

 

サラは劇的な成長を遂げた。彼女の中に存在する価値観を根底から覆され、絶望の底へと落とされた時、彼女は新たな道を見つけ出した。それは、彼女の心の中に本来ある『慈愛』があったればこそなのだろう。彼女の根本は、アリアハンを出た頃から今まで何一つ変わってはいないのだ。傍から見ていれば、サラ自体が別人になったように感じるのかもしれない。だが、この二年以上の月日を共にしたリーシャからすれば、それは『成長』であって『変身』でも『変心』でもない。憎悪という物がなくなり、魔物もエルフも人も公平に見るサラは確かに変わった。だが、それでもサラはサラなのだ。

 

それは、カミュにも当て嵌まる。彼は当初からリーシャ達の同道に反対していた。それは、彼の中でこの旅が『死』へと直結する物であったからなのだろう。見方を変えれば、彼はリーシャ達の身を案じていたと言えなくもない。皮肉めいた事を言い、リーシャやサラを激昂させた事もある。それでも、彼が彼女達を見捨てた事は一度たりともないのだ。『人の根本は変わらない』という考えが、サラを見ていて確信に変わったリーシャは、カミュの根本も何一つ変わっていなかった事に気付き始めている。世の中に絶望し、何もかもを諦めていたような彼の中には、何よりも大きな『優しさ』が存在していた。メルエという小さな一石によって浮き彫りになった彼の本質は、リーシャの中で確固たる自信に繋がっている。

 

「サラがどう考えているか知らないが、カミュは間違いなく私達を探す。ならば、私達はカミュが探すであろう場所へ戻っている事が最善だと私は思う」

 

「……そうでしょうか……カミュ様の目的が『魔王討伐』である事は変わらないと思いますが、まずは<スーの村>へ向かうのではないでしょうか……」

 

そんな二人の考えの差異は決して埋まらない。

メルエだけはそんな二人の争いの意味が解らず、首を傾げていた。

 

「話の途中だが、お前らの要望に応える事は出来ない。この船は棟梁の物だ。俺の独断で動かせる物ではない」

 

リーシャとサラとのやり取りは、横から掛った船頭の声に阻まれた。三人の視線が一斉に船頭の方へと向けられるが、その視線に怯む事はなく、彼は彼女達の要望を拒絶する。確固たる信念の許で発した言葉なのだろう。彼の後方に控える船員達全員がしっかりとリーシャ達を見据えていた。

 

「……そうですか……仕方ありませんね」

 

「それに、俺達は棟梁の命を受けて航海している。その報告をする為にアジトへ向かっている以上、その進路を変える事は出来ない」

 

海賊達の言い分も尤もである。彼等は棟梁と名乗る者の下に属する者達であり、この船の持ち主ではない。彼等が独断で行動し、略奪などを行っているのであれば、彼等の考えによってその行動範囲も自由に決める事は出来るだろうが、棟梁の命を受けて行動しているとなれば、独断での行動は許されざる物となり、処罰の対象となる。彼等のような『賊』と呼ばれる者達の処罰とは過酷な物も多く、その中には命さえ失う物もあるのだろう。しかし、そんな海賊達の内情を理解しようとするサラとは別に、リーシャは一つ疑問に思う事があった。

 

「一つ聞くが、お前達の受けた命とは何だ? この海域を渡る船の略奪か?」

 

それは、彼等の受けた仕事の内容である。船頭は、今いる場所を<スーの村>の南南東に位置する海域と答えた。つまりそれは、エジンベアの大臣の言葉を信じると、ポルトガの国に程近い場所となる。実際にはポルトガよりも更に南にある場所だとしても、彼等がアジトへ帰る途中である以上、既に仕事を終えた事を意味する。仕事を終えて、南へ帰ろうとしているのならば、その主命先は北の海域となるのだ。そうなれば、必然的にポルトガ近辺であり、リーシャの一番の懸念は、自分の腕の中にいる少女の大切な者が造る町がある場所。

 

「それをお前達に答えなければならない謂れはない」

 

この者達がどれ程に強力な海賊であろうと、ポルトガ国に対して牙を剥く事はないだろう。それが、危機感の薄い国王が統べる国であれば別だが、あの国には他国に引けを取らない『王』がいる。弱肉強食の世界を生き抜いた海賊であろうと、この苦しい時代に国の水準を上げる事の出来る『王』に敵う訳がない。ならば、彼等の仕事がその近辺であるとすれば、あの者が必死になっている場所だけであろう。あの場所はおそらくポルトガとの貿易を開始している頃に違いない。その貿易船を襲うのならば、海賊達にとって充分な収入となるだろう。

 

「……勘違いするな……私はお前達に問いかけている訳ではない。『お前達がここに来るまでに行って来た仕事内容を話せ』と命令しているんだ」

 

故に、リーシャの瞳が変わった。抱き抱えていたメルエを甲板に下ろし、背中に着けていた<鉄の斧>を取り外す。雰囲気が一変した事に船頭を始めとする海賊達の身が強張った。先程とは違う明確な『殺意』。手にした武器がモップではなく、様々な血を吸って来た斧に変わった事が、それを示していた。歴戦の海賊達といえども、これ程の者と対峙した事などない。焦りは恐怖へと変わり、船員達の中には腰を抜かし、座り込む者まで出ている。

 

「こ、殺す気か? 俺達を殺して、お前達はどうやって海を渡るつもりだ?」

 

「全員を殺す必要はない。お前だけを殺し、見せしめにするだけで十分だろう?」

 

「リ、リーシャさん……」

 

虚勢に近い船頭の言葉は、即座に斬り捨てられる。リーシャの纏う空気は変わらず、その手にある斧は、太陽の光を反射し、船頭の顔を明るく照らし出していた。そんな二人のやり取りを見ていたサラは、ようやくリーシャの危惧している内容が見えて来てはいたが、それ以上にリーシャの変貌ぶりに驚いている。リーシャが発した言葉は、本来であれば彼女達と共に旅をする一人の青年が発する筈の言葉だったのだ。相手に対する慈悲の欠片も無く、それを実行する事を確信させるような強さを持つ。そんな恐怖がリーシャから溢れ出していた。現に、メルエは既にサラの腰元に移動し、その腰にしがみ付いている。それ程の物なのだ。

 

「抵抗しても構わない。だが、お前達が話さない限り、最後の一人になるまで、この斧の錆と成れ」

 

「わ、わかった……話す。だが、こいつらの命だけは助けてくれ。こいつらは棟梁から預かった大事な人間達なんだ」

 

最後に一振りした斧の風切り音が、船頭の口を開かせた。一振りで数人の船員達はこの世を去るだろう。それを明確に理解させるだけの威力を、リーシャの斧は誇っていた。彼はあくまで代理の頭。本来の棟梁がいる以上、その者から預かった人間達を無事に帰す事も、代理である彼の大事な仕事となるのだ。故に、彼は決断した。棟梁の命を洩らしたとしても、それは既に遂行済みの物。ならば、この者達に話したとしても何が出来る訳でもなく、彼等の功績が変わる訳でもない。彼は、この航路を進む前に行って来た一つの仕事を少しずつ話し始めた。

 

だが、彼の予想とは大きく異なり、その話は、目の前の三人の女性達の顔から表情を奪って行く事となる。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

描いている内に、いつの間にかこの量になってしまいました。
読み辛く感じられたとすれば、大変申し訳ございません。
ようやく、彼女達の登場です。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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